大判例

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東京高等裁判所 昭和60年(う)997号 判決

被告人 矢島敏行

〔抄 録〕

論旨は、要するに、原判示事実は、「被告人は、昭和六〇年三月三〇日午前四時二五分ころ、群馬県高崎市通町四六番地株式会社ホテルニュー赤城(代表者深澤恭子)二階調理室において、同会社所有の焼魚二尾、とうふ一丁(時価合計約一六〇円相当)を窃取した」というのであるところ、被告人は、原審公判廷において、豆腐一丁は食べた記憶がないと述べているから、被害物件は、焼き冷ましの目刺二匹に過ぎないのであって、これが刑法二三五条所定の「財物」に当たるか多大の疑問の存するところであり、これを摘み食いしたというような零細な反法行為は、いわゆる「一厘事件」に関する大審院判例(大審院明治四三年(れ)第一六二八号同年一〇月一一日判決、刑録一六輯一六二〇頁)の昔から論じられて来たように、犯罪を構成しないものと解すべきであるから、右所為に対し刑法二三五条を適用して被告人を懲役六月に処した原判決は、法令の解釈適用を誤ったものであるというのである。

よって、所論につき検討するに、まず、原判決挙示の関係証拠によれば、本件の事実関係は、おおむね次のとおりであることが認められる。(中略)

以上を総括すれば、被告人は、原判示ホテルニュー赤城内に管理者の同意なく立ち入り、早朝で、客室以外は無人であることを奇貨とし、金目のものでもあれば窃取しようと企て、一階フロント内を物色し、机の抽斗を開けたり、レジスターに手を掛けて開けようと試みたりしたが、金品窃取の目的を遂げず、次いで二階食堂に至り、テーブルの上の米飯の保温器の蓋をいじったりしたのち、食堂に接続する厨房(原判示調理室)の冷蔵庫内を物色し、焼魚(目刺)二尾、豆腐一丁(但し、その三分の二位)及び米飯二掴み位を盗み食いしたものであることが認められる。

してみると、本件は、本来フロント内の金品窃取を企てて果たさなかった未遂事犯であるにもかかわらず、偶々、空腹を癒すため被告人が冷蔵庫内の前示食品若干を盗み食いしたため、これらの食品窃取の既遂罪が成立し、これと一罪の関係にある前記未遂行為がこれに吸収されて表面に現われなくなった結果、恰も被害の極めて軽微な窃盗事件であるかの如き外観を呈するに至ったものであって、被告人の行為の危険性、反社会性は、単に原審認定事実に現われた実害の程度にとどまるものではない。

そこで、以上の事実関係を前提として、所論の当否につき考察することとする。

所論は、まず、本件被害物件(米飯二掴み位は訴因外とされている。)が刑法二三五条所定の「財物」に当たることに疑義を呈しているが、本件被害物件の食品としての効用、その保管の態様に照らしても、これらが刑法上の保護に値し、管理、所有の対象となる「財物」に当たることに疑問を容れる余地はないものというべきである(最高裁判所昭和二四年(れ)第三〇五六号同二五年八月二九日第三小法廷判決、刑集四巻九号一五八五頁参照)。

所論は、次ぎに、いわゆる「一厘事件」に関する前記大審院判例を援用して、本件のような零細な反法行為は犯罪を構成しないものと解すべきであると論じているが、右判例は、零細な反法行為はすべて犯罪を構成しないとする趣旨ではなく、「犯人ニ危険性アリト認ムヘキ特殊ノ情況ノ下ニ決行セラレタルモノニアラサル限リ共同生活上ノ観念ニ於テ刑罰ノ制裁ノ下ニ法律ノ保護ヲ要求スヘキ法益ノ侵害ト認メサル以上」との限定を付しているのである。従って、前示のように、金品窃取の未遂の点のみからも被告人の危険性を充分窺い得るうえ、窃取行為により、刑法上の保護に値する個人の財物に対する権利を侵害したことの認められる本件にあっては、右判例の趣旨に徴しても、犯罪の成立が阻却されるものと解すべきいわれのないことが明らかである。その他、被告人の本件所為が可罰的違法性を欠き、あるいは社会的に相当と認められるべき事由は見当らない。

(草場 半谷 龍岡)

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