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東京高等裁判所 昭和60年(く)265号 決定 1985年11月29日

少年 B・H(昭43.2.25生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、附添人弁護士○○○○が提出した抗告申立書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

抗告趣意第二(法令違反の主張)について

所論は、要するに、原審の本件審判手続には、昭和60年少第180号暴力行為等処罰に関する法律違反保護事件を審判の対象とする旨を明示しないまま審判を行い、少年に対し中等少年院送致の決定を言い渡し、また、少年の自力更生の可能性につき、少年やその実兄及び少年の更生に協力しようとする株式会社○○の役員2名に対する附添人の質問を許さないなど、少年法22条1項の規定の精神に著しく反する違法があり、これが決定に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

一  しかしながら、関係各記録を調査して検討すると、本件の審判手続は、原審が昭和60年7月25日右の暴力行為等処罰に関する法律違反保護事件につき第1回審判期日を開いてその審判を実施し、さらに同年8月8日同保護事件について第2回審判期日を開いて少年を家庭裁判所調査官○○○○の観察に付する旨の決定を言い渡したところ、同年9月20日新たに検察官から傷害保護事件(昭和60年少第652号)の送致を受けるに至つたため、同年10月17日少年及び保護者(父母)のほか、附添人の在席のもとに第3回審判期日を開き、その冒頭において本件暴力行為等処罰に関する法律違反保護事件に右傷害保護事件を併合する旨の決定をし、これを口頭によつて告知したうえ、審判手続を実施したことが認められる。このような審判の経過及び手続にかんがみれば、第3回審判期日において暴力行為等処罰に関する法律違反保護事件をも審判の対象としていたことは明らかなところである。なるほど、昭和60年10月17日の審判期日通知書の事件名欄に右保護事件名の記載が存在せず、また、同保護事件につき右の日に審判期日の指定をした形跡が記録上窺えないことは、所論指摘のとおりである。しかし、前記のとおり、右審判期日の冒頭において、裁判官から両事件を併合して審判する旨の告知がなされ、これによつて同期日においては、かねてから試験観察に付されていた本件暴力行為等処罰に関する法律違反保護事件もまた当然審判の対象にされることが明示され、在席していた少年及び保護者はもとより、附添人においてもこれを了知し、若しくは了知し得た(少年に対する処遇は、その要保護性に応じ決定されるべきところ、本件のように試験観察中の再非行の場合、先行非行を審判の対象から除外することは、まず考えられないことであろう。)のにもかかわらず、同期日に右保護事件が審判されることにつきなんら異議を述べることなく審判手続の進行に応じ、殊に、附添人は、後記のとおり、少年の利益のためその処遇につき意見陳述に及んでいることが明らかである。してみれば、所論指摘の前記瑕疵は、これにより治癒されるに至つたというべきである。のみならず、右瑕疵の存在が少年保護の見地から少年に実質的な不利益を招来したものとは到底認め難く、明らかに決定に影響を及ぼすものとはいえない。

二  少年法22条1項違反をいう所論は、ひつきよう、原審の審判手続には審理不尽の違法等があると主張するに帰するものと解される。しかしながら、およそ家庭裁判所が少年保護事件の審判にあたり、附添人の同行した関係者の取調べを実施するか否かは、事案の種別・内容、各記録に現われた証拠・資料収集の程度及び審理の経過などを勘案してその必要性を考慮し、その裁量によつて決すべきものであるところ、後記の抗告趣意第一に対する判断において示すとおり、少年については不良交友の機会を断つため施設に収容したうえ、基本的かつ体系的な生活指導を施さないかぎり、その健全な育成を期することは困難であると思料され、右の判断は、少年のほか、その実兄など関係者に対する附添人の質問を許してみても、もはや異なる判断に達する余地はなかつたものと認められる。してみれば、原審が、少年の保護者(父母)及び附添人にそれぞれ意見陳述の機会を与えたほか、附添人がそれに基づいて陳述した上申書には、少年の実父A、実兄C、株式会社○○の代表取締役D及びEほか2名作成の各上申書が添付されている(これら書面は、審判期日の前日に原審に提出されている。)ことに配慮し、これら関係者に対する附添人の質問を許さなかつた措置に合理的裁量の範囲を超えた違法は認められない。また、その他原審の審判手続には所論がいうような少年法22条1項の精神に反すると疑うべき違法な手続のなされた形跡を窺うこともできない。(なお、所論は、原決定後附添人からの本件社会記録の閲覧請求に対し、これを許可しなかつた原審の措置には、少年審判規則7条2項に違反した違法がある、という。しかしながら、原審が附添人からなされた昭和60年10月21日付の本件各記録の「謄写」申請につき、法律記録についてのみこれを許可し、社会記録についてこれを不許可としたことは、記録上明らかなところである。しかし、所論も半ば自認するように、附添人から更に本件社会記録について適式に「閲覧」の申請がなされた形跡は記録上これを窺うことができない。所論は前提を欠き失当である。)

それゆえ、原審の審判手続に所論のいうような決定に影響を及ぼすべき法令違反はなく、論旨は理由がない。

抗告趣意第一(処分の著しい不当の主張)について

所論は、要するに、少年を中等少年院に送致することにした原決定の処分は著しく不当である、というのである。

関係各記録によれば、少年は中学1年生の頃から居住地域の暴走族グループに加入し、定時制高校中退後定職にも就かずに頻繁に転職を繰り返していたところ、この間2回にわたるオートバイの窃盗事件により昭和58年7月21日千葉家庭裁判所八日市場支部において保護観察に付せられたが、その期間中も屡々シンナーの吸引や無免許運転に及んでいたこと及び少年は昭和59年12月9日暴走族仲間と共に○○警察署所属のパトカーを襲つてこれを損壊する事件を起こしたため、昭和60年8月8日同裁判所支部において家庭裁判所調査官の観察に付されたが、その後10日を出でずしてまたも暴走族仲間と共に車両に乗つて通行中の被害者らを襲い、同人らが日頃反目しあつている暴走族の構成員であるとして暴行を加え、約3週間の入院加療を要する傷害を負わしめたことが認められる。かかる認定事実にかんがみると、少年は勤労意欲に乏しいばかりでなく、自己の非行に対する反省にも欠け、一途に暴走族仲間との交遊に走り、これによつて度重なる非行を繰り返していることが窺われる。そして、少年の家庭が保護能力に乏しいことなど諸般の事情をあわせ考えると、いまや少年については不良交友の機会を断つため、施設に収容したうえ基本的・体系的な生活指導を施さないかぎり、その健全な育成を期することは困難であると思料される。してみると、一般短期処遇の勧告を付して少年を中等少年院に送致した原決定の処分は相当であつて、所論のいうような処分の著しい不当はない。論旨は理由がない。

よつて、少年法33条1項後段、少年審判規則50条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 寺澤榮 裁判官 片岡聰 小圷眞史)

抗告申立書

第一(編略)

第二少年法第22条には審判は懇切を旨とし、なごやかにこれを行わなければならないと規定されている。しかしながら原審判は、この規定にほど遠いものであり決定に影響を及ぼす法令違反があったものと言わざるを得ない。

一 審判は昭和60年10月17日午前10時30分より昭和60年少652号傷害保護事件に関して行なわれるとの通知を受け、附添人、両親、兄、株式会社○○取締役F、同Gは午前10時前に裁判所に出頭した。

ところで審判が開始されたのは午前11時であり、15分で全てが終了したのである。

審判は送致事実につき、まず少年に確認したところ、3回の手拳による殴打と1回の足蹴りを認めた。その後、少年に対し何か言いたいことはありますかと問い、更に両親に対し何か言いたいことはありますかと聞いた。

そして上申書の他に何か付け加えることがあるかと尋ねられた附添人は、上申書を敷衍し、株式会社○○役員2人と兄を同行していることを伝え、できれば更生した兄に会って頂ければ自力更生の可能性の有無が十分判断頂けると述べた。

その後裁判官は調査官に対し、問いを発したが調査官は別にありませんとのことであった。この直後決定がなされた。

附添人による少年に対する質問、及び同行した兄、並びに少年の更生に協力しようとする会社役員2名に対する附添人の質問も、一切許されず終了してしまったのである。

二 決定書掲記の非行事実(イ)に関しては、裁判官は一言も触れていない。右事件をも併合する旨の明確な説明は一切なされていないのである。

審判期日通知書も昭和60年少652号傷害保護事件と記されているのみであり、一方昭和60年少180号暴力行為等処罰ニ関スル保護事件記録の表紙記載の審判期日欄も昭和60年7月25日午前10時、昭和60年8月8日午前11時と記載されているのみで、昭和60年10月17日の期日は一切触れていないのである。

原審判においては、この点が不明確のまま決定がなされたと言わざるを得ない。

三 また裁判官において、少年の自力更生の可能性を探ろうとする意志が全く見られなかった。附添人が父親から相談を受けたのは9日の夕刻であり、(10日は祝日)10月11日午前中少年と面会のうえ選任届を受領した。その後附添人は精力的に関係者と会い、少年の在宅観護の道を模索した。そして上申書掲記の条件を整えた。しかしながら調査官の調査は既にその時点で全て終了していた。上記条件については附添人から11日夕方担当書記官に、14日には担当調査官に連絡済みである。しかしながら審判期日まで調査官と少年との再面談は行なわれなかった。

現在の少年にとって、一番重要なことは両親、兄、関係者が少年のために一生懸命尽くそうと努力していることを十分認識させることである。

附添人は、かかる機会を設定しようと努力したが、裁判官は一顧だにしない。

特に上申書記載の右事情は、調査官調査の段階では出てこず、附添人が選任された以降整えた条件である。審判では、尚更右事情を吟味すべきである。兄、会社関係者は自らの仕事をなげうって10時前には裁判所に入って待機していたのである。

原審判は、かかる事由を全て無視した。

実兄の非行体験、更生体験を直接見聞すれば、少年の在宅更生が可能であることも十分認識されるはずである。

裁判官は傷害に関する非行事実を確認したのみで、何ら具体的審理をせず、その原因、当時の生活状況、観護措置までの生活、今後の見通し等、具体的質問は一切せずに、ただ単に何か言いたいことはありますかと少年に問うたが、少年にとって答えようがない。

裁判官は少年の非行の原因、更生の可能性を探る努力を全くしないで少年に対し、行為の責任を自ら取ってもらわなければならないという。その原因がどこにあり、また更生の可能性を吟味した上で、なお少年院送致が至当であるとするなら、詳細にその理由を少年に告げるべきである。当日の審判は全く説得力を持たない。少年にとってマイナスの作用しかなさない。

附添人が去る8月、横浜家庭裁判所において経験した少年事件審判と比較すると、その落差の大きさは驚嘆に価する。

審判期日そのものが、少年の更生の一助になるべきである。だからこそ少年法22条には前記の如き規定が設けられているのである。

原審判は、少年法22条の規定に著しく反して行なわれたものであって、その決定に影響を及ぼす法令違反があったものといえ取り消されるべきである。

なお附添人が決定後、記録の閲覧申請を打診したところ、原決定裁判官は、少年審判規則7条2項の規定にかかわらず、少年調査表等調査官作成書類一切の閲覧を拒否した。(○○書記官の電話連絡)

〔参照〕原審(千葉家八日市場支 昭60(少)180、652号 昭60.10.17決定)

主文

少年を中等少年院に送致する。

理由

(非行事実)

本件記録中の少年に関する

(イ) 司法警察員作成に係る昭和60年2月26日付送致書

(ロ) 検察官作成に係る昭和60年9月20日付送致書

記載の各犯罪事実と同一であるからここにこれを引用する。

(適用すべき法令)

上記非行事実中

(イ)の事実につき 暴力行為等処罰ニ関スル法律1条、刑法261条、60条

(ロ)の事実につき 刑法204条、60条

(中等少年院に送致する理由)

少年のこれまでの生活史、非行及び処分歴、知能、性格、環境並びに本件非行の態様を併せ考えると、少年を在宅のまま処遇することはもはや不可能と解すべく、少年の健全な育成を期するためには、少年を中等少年院に送致して、不良交友及びシンナー吸入癖を絶つとともに、規律ある環境のもとでの体系的な生活指導を中心とした短期間の集中的な専門的矯正教育により、偏つた性格の是正、遵法精神の涵養を図り、社会法則を意識した健全な生活態度を身につけさせることが相当である。

よつて、少年法24条1項3号、少年審判規則37条1項、少年院法2条3項により、主文のとおり決定する。

参考 司法警察員及び検察官各作成の送致書記載の犯罪事実

(司法警察員作成の送致書記載の犯罪事実)

被疑少年B・H、同Iは暴走族○○の構成員であるがJ他数名と共謀のうえ昭和59年12月9日午前0時2分ころ香取郡○○町○○×××番地先路上において○○警察署警ら用無線自動車××号(千葉××ゆ××-××号)乗務員巡査部長K、巡査Lに対して危害を加える目的をもって所携の木刀、鉄パイプ等をこもごもふりまわして前記車両の左右フロントドアーサッシ凹損、ラジオアンテナ折損(損害額22、400円)する等の暴行を加えもって数人共同して器物を損壊したものである。

(検察官作成の送致書記載の犯罪事実)

被疑者は、Mら多数と共謀の上、昭和60年8月18日午前2時50分ころ、千葉県山武郡○○町○○××番地の×先路上において、N(当20年)に対し、その顔面部及び胸部を手拳で殴打し、さらに腰部を足蹴にするなどの暴行を加え、よって同人に入院加療約3週間を要する全身打撲等の傷害を負わせたものである。

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