大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和60年(ネ)1009号 判決 1991年3月20日

昭和六〇年(ネ)第八七二号控訴人

同第一〇〇九号被控訴人

第一審被告

東京都(以下「被告東京都」という。)

右代表者知事

鈴木俊一

右訴訟代理人弁護士

吉原歓吉

右指定代理人

小沼文和

外三名

昭和六〇年(ネ)第八七二号被控訴人

同第一〇〇九号控訴人

第一審原告

甲野太郎

外一名

右両名訴訟代理人弁護士

高橋利明

水野邦夫

石井小夜子

小松昭光

第一審被告

国(以下「被告国」という。)

右代表者法務大臣

左藤恵

右指定代理人

武田みどり

石原秀

主文

一  被告東京都の控訴に基づき、原判決中、被告東京都の敗訴部分を取り消す。

二  原告甲野太郎の被告東京都に対する請求を棄却する。

三  原告らの本件控訴をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、第一、第二審を通じて、全部原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(昭和六〇年(ネ)第八七二号事件)

一  控訴の趣旨(被告東京都)

1  原判決中、被告東京都の敗訴部分を取り消す。

2  原告甲野太郎の被告東京都に対する請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、第二審とも、原告甲野太郎の負担とする。

二  控訴の趣旨に対する答弁(原告太郎)

本件控訴を棄却する。

(昭和六〇年(ネ)第一〇〇九号事件)

一  控訴の趣旨(原告ら)

1  原判決中、原告甲野花子の被告らに対する請求に関する部分を取り消し、原告甲野太郎の被告らに対する請求に関する部分を第2項のとおり変更する。

2  被告らは、連帯して、原告甲野太郎に対し金三三〇万円、原告甲野花子に対し金一一〇万円及び右各金員に対する昭和五三年一月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、第二審とも、被告らの負担とする。

二  控訴の趣旨に対する答弁(被告ら)

本件控訴をいずれも棄却する。

第二  当事者の主張

当事者双方の主張は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決七丁裏七行目の「当時」の前に、「昭和五一、二年」を加え、同末行の冒頭から「)」までを「原告花子」と改める。

二  同九丁表三行目の「する。」を「することもある。」と改め、同一〇丁裏四行目の「『本件送致事件』」の次に「又は『本件各送致事件』」を加える。

三  同一五丁裏六行目と同七行目との間に改行して次のとおり加える

「(5) また、当時原告太郎は、自宅に両親と住み、昼は書店で働き、夜間は定時制高校に通学していた一六歳の少年であったから、逮捕、勾留の必要性は全くなく、更に少年の逮捕、勾留について要求される「やむを得ない事由」も存在しなかった。」

四  同一八丁表七行目と同八行目との間に改行して次のとおり加える。

「(4) また、前記3(二)(5)と同様に、当時原告太郎には、逮捕、勾留の必要性が全くなく、少年の逮捕、勾留について要求される「やむを得ない事由」も存在しなかった。」

五  同二二丁表八行目と同九行目との間に改行して次のとおり加える。

「(7) また、前記3(二)(5)と同様に、当時原告太郎には、逮捕、勾留の必要性が全くなく、少年の逮捕、勾留について要求される「やむを得ない事由」も存在しなかった。特にこの当時、原告太郎は、観護措置により、東京少年鑑別所に収容され、「余罪」についての取調を受けていたのであるから、勾留が「やむを得ない場合」に該当しないことは明らかであった。」

六  同二五丁裏六行目の「含まれていた」の次に「(⑩⑪⑫⑬⑭の各事件については原告太郎のアリバイが完全に成立しており、⑤の各事件についても、ほぼ同様であった。)」を加える。

七  同三三丁表末行の「⑭」及び「⑮」をそれぞれ「⑬」及び「⑭」と改める。

八  同三六丁裏一行目の「弁護人」の次に「(少年法一〇条所定の附添人を含む。以下同じ。)」を加える。

九  同三七丁裏一〇行目の「理由」の次に「及び逮捕の必要性」を、同三八丁裏九行目の「理由」の次に「及び勾留の必要性並びに勾留するについてのやむを得ない事由」を、同三九丁裏四行目の「理由」の次に「及び必要性」を、同八行目の「理由」の次に「及び勾留の必要性並びに勾留するについてのやむを得ない事由」をそれぞれ加える。

一〇  同四二丁表七行目の「昭和五一年」を「昭和五二年」と改める。

一一  同四三丁表六行目の「同(4)」の次に「及び同(5)」を加える。

一二  同四四丁表八行目の「同(6)」の次に「及び同(7)」を加える。

一三  同四六丁表九行目の「判明し、」の次に「昭和五二年」を加える。

一四  同五五丁裏二行目「同(4)」の次に「及び同(5)」を加える。

一五  同五六丁裏一行目の「同(6)」の次に「及び同(7)」を加える。

一六  同六四丁裏八行目と同九行目との間に改行して次のとおり加える。

「(四) 更に、家庭裁判所先議主義、保護優先主義が貫かれている現行少年法の下においては、検察官による少年事件の家裁送致は、刑事事件の公訴の提起と異なり、それ自体の直接の効果として少年の権利の侵害が生ずることは考えられず、したがって、原告太郎に原告ら主張のとおりの損害が発生することはあり得ない。」

第三  証拠関係<省略>

理由

一請求原因のうち、1当事者の地位、2事件の概要、3原告太郎の逮捕・勾留の違法性、4取調の違法性、5家裁送致の違法性及び6弁護人との接見制限の違法性に関する当裁判所の事実認定及び法律判断は、次のとおり付加、訂正又は削除するほかは、原判決の理由第一ないし第五(同六六丁表二行目の冒頭から同一八〇丁裏八行目の末尾まで)に説示のとおりであるから、これを引用する。

1  同六六丁裏三行目の冒頭に「一般に」を加え、同八行目から同九行目にかけての「勾留状発布特」を「勾留状発布時」と改め、同六七丁表三行目の「当然である。」の次に「一方、当該被疑者が少年である場合には、やむを得ない場合でなければ、検察官は勾留を請求することができず、裁判官は勾留状を発することができないことは、少年法に規定するとおりである(同法四三条三項、四八条一項)。」を加え、同三行目の「被疑者」を「当時少年であった被疑者原告太郎」と、同五行目の「ときまで」を「ときまでに」と、同六行目の「被疑者」を「被疑者原告太郎」とそれぞれ改め、同九行目の冒頭から同末行の「明らかである。」までを削り、同末行の「がなかった」の前に「及び逮捕、勾留の必要性並びに勾留するについてのやむを得ない事由」を加え、同丁裏一行目の「判断すれば足りる」を「判断する必要があり、かつ、それで足りる」と改める。

2  同六八丁裏四行目の「同松田一郎」の次に「同竹田二郎」を、同行の「原告太郎」の次に「(原審、以下、特に断らない限りは、すべて同原告の原審での供述を意味する。)」を、同一〇行目の「高橋刑事は」の次に「昭和五二年」をそれぞれ加え、同七〇丁表一〇行目の「頃まで」を「頃までに」と改める。

3  同七六丁表七行目の「前記松田証人」の次に「及び証人竹田二郎」を、同九行目の末尾に続けて「なお、<証拠>は、松田が作成した余罪自供一覧表であるところ、同一覧表は、その体裁及び記載内容からして、松田に対しその後も継続的に行われた高橋刑事らによる余罪捜査のうち、ある程度初期の段階で作成されたものであることが推認されるが、これが前記の松田自供書よりも先に作成され、これを参考にして、高橋刑事らが萱沼宅事件(①)について見込捜査をしたことを認めるに足りる的確な証拠はない。」をそれぞれ加え、同七七丁表一行目の「よって、」から同三行目の末尾までを削り、同七九丁裏八行目の「午後九時」を「午前九時」と改める。

4  同八一丁表末行の「請求原因2項(三)」を「請求原因2項(一)の(3)」と改め、同丁裏九行目の「(①)」の後の「事件」を、同八二丁裏二行目の「(なお、」から同七行目の「判断する。)」までをそれぞれ削る。

5  同八四丁表六行目の「犯行」の前に「の」を加え、同裏一行目の次に改行して次のとおり加える。

「5(第一回目の逮捕、勾留の必要性及び勾留するについてのやむを得ない事由)

<証拠>によれば、原告太郎は、右逮捕、勾留のなされた当時、自宅で両親とともに生活し、夜間は定時制高校に通っていたけれども、定職には就かず、また、オートバイの運転については無免許であるにもかかわらず、ブラックエンペラーと称する暴走族に加わって無軌道な生活を続けており、しかも、昭和五一年中にはオートバイの窃盗事件やリンチ傷害事件に関与して、当時既に家庭裁判所に送致されていたものであるところ、本件犯行も侵入道具を準備しての共犯事件であったことから、逮捕して取り調べる必要性が存在すると考えられたものであり、また、原告太郎は、逮捕された後も右のとおり供述を変遷させており、更に、余罪も多数あることが窺われたことから、その取調のため勾留されるに至ったものであることが認められる。そして、右の事情に照らせば、原告太郎については、逮捕勾留の必要性及び勾留するについてのやむを得ない事由が存在したものと認めざるを得ない。」

6  同八五丁裏八行目の「被害届」から同九行目の「行われた」までを「被害届の提出及び実況見分は、いずれも昭和五一年一一月一七日に行われた」と改め、同一〇行目の「一月一〇日」の前に、「昭和五二年」を加え、同八六丁表末行の「の証言」を「、竹田証人の各証言」と改め、同八九丁表七行目の「前記松田証人」の次に「、竹田証人」を加え、同九〇丁裏一〇行目の「右事件」から同末行の「後述するところに譲り、」までを削る。

7  同九二丁表三行目の「この記載と」から同八行目の「いい難いし、また」までを「右被害届の記載と前記松田、竹田の各供述とは一致しているのであり、また、実況見分調書に記載された侵入口と目される窓ガラスの状況については、その文言の解釈上不明確な点が残るものの、捜査段階において、この点が完全に明確にされなかったとしても、これを一概に非難することはできない。しかも、」と改める。

8  同九五丁表五行目と同六行目との間に改行して次のとおり加える。

「5(第二回目の逮捕、勾留の必要性及び勾留するについてのやむを得ない事由)

前記認定の事実に、<証拠>によれば、原告太郎については、第二の一項5で認定したとおりの無軌道な生活状況があり、しかも、昭和五一年中には窃盗事件や傷害事件に関与して、既に家庭裁判所に送致されていたものであり、本件犯行についても侵入道具を準備しての共犯事件であったことから、逮捕して取り調べる必要が存在すると考えられたものであり、また、原告太郎は、逮捕された後も犯行を否認し、更に、余罪も多数あることが窺われたことから、その取調のため勾留されるに至ったものであることが認められる。そして、右の事情に照らせば、原告太郎については、逮捕、勾留の必要性及び勾留するについてのやむを得ない事由が存在したものと認めざるを得ない。」

9  同九丁表一行目の「前記甲第一一一号証」の次に「<証拠>」を加え、同七行目の冒頭から末尾までを「ものと認められるのであって、」と改める。

10  同九九丁裏末行の「作成日付」の次に「及び発見日時」を、同一〇二丁裏末行の「録取した」の次に「(丙第三七号証)」をそれぞれ加え、同一〇六丁表三行目の「によれば、」の前に「及び<証拠>」を加え、同六行目の「から」を、同一〇八丁裏七行目の「から、」から同九行目の「する」までをそれぞれ削る。

11  同一一二丁表一〇行目と同一一行目との間に改行して次のとおり加える。

「5(第三回目の逮捕、勾留の必要性及び勾留するについてのやむを得ない事由)

<証拠>によれば、原告太郎は、四月一一日に観護措置の取消決定を受けた後、その取消の執行を受けた当日の午前一一時四〇分東京鑑別所前の路上で逮捕されたこと、そして、原告太郎の生活状況、非行歴等は前記認定のとおりであり、二俣宅事件()の犯行についてもその全容は勿論のこと、被害品の所在等も明らかとなっておらず、そのまま任意捜査に委ねた場合には、共犯者と目される少年らと通謀して証拠湮滅するおそれがあると認められたため、逮捕して取り調べる必要性が存在するものと考えられたものであり、また、原告太郎は、右事件について逮捕された後もその犯行を否認しており、更に、余罪も多数あることが窺われたことから、その取調のため勾留されるに至ったものであることが認められる。そして、右の事情に照らせば、原告太郎については、これが三回目の逮捕、勾留であることから、より慎重な配慮が要請されるべきであったとしても、なお、逮捕、勾留の必要性及び勾留するについてのやむを得ない事由が存在したものと認めることができる。」

12  同一一四丁表二行目の「次いで」の次に「昭和五二年」を、同丁裏四行目の「争いがない」の次に「甲第六二号証、」をそれぞれ加え、同裏五行目の「第六二、」を削り、同一一六丁表七行目の「福田宅事件」を「福沢宅事件」と改める。

13  同一一六丁裏七行目の「第一二七号証、」の次に「第一五三号証(乙第三一号証)、」を、同行目の「乙第二一号証」の次に「、第二八ないし第三〇号証」をそれぞれ加え、同一一七丁表一行目の「の犯行を、」を「及びシスターレイチェル宅事件()の各犯行を、また同日原田主任の取調を受けた際、山本宅事件()の犯行を、四月二九日に今福刑事の取調を受けた際、石田宅事件()の犯行を」と、同三行目の「認める供述をした」を「、更に、五月一四日に原田主任の取調を受けた際、長楽宅事件()の犯行をそれぞれ認める供述をしたほか、四月二一日に高橋刑事の取調を受けた際には、概括的にではあるが、これまでに松田と一五〇件位、松田、梅田と八〇件位、松田、梅田、竹田と三〇件位、その他に二〇件位の各窃盗をしている、盗んだ品物は持っているが、隠している、その所在は警察には絶対にいわないなどと供述している」とそれぞれ改める。

14  同一一七丁裏二行目から同三行目にかけての「前記松田証人の証言を」を「前記松田証人、竹田証人の各証言」と、同一一八丁裏一〇行目の「前記丙第一三号証」を「原本の存在とその成立に争いのない丙第一一号証」と、同一一九丁表二行目の「右事件の犯行を」から同四行目の「からです。』」までを「昨日右犯行を認めたのは、逮捕状に四人でやったように書いてあったので、私だけがやらないと言っても信用してもらえないと思ったからであるなど」とそれぞれ改め、同一二一丁表七行目の「松田証人」の次に「、竹田証人」を、同一二二丁裏三行目の「竹田も」の前に「、前記認定の事実と、<証拠>によれば、」を、同五行目の「自白したこと」の次に「、更に竹田は、原告太郎や梅田らが五月二七日に東京家裁で同事件につき前記のとおりの審判を受けていることを十分に知っていながら、その後にもなお右犯行を認める供述をしていること」を、同九行目の「採用できない」を「採用することができない。また、<証拠>によれば、同人に対する佐藤刑事の取調中には、一部に誘導質問があったことは認められるものの、同証言によってもその程度は軽微であって、それ自体が不法行為を構成するような違法なものであったとは認められない。」をそれぞれ加える。

15  同一二八丁裏二行目、同一二九丁表八行目及び同丁裏二行目の各「一〇〇件」をいずれも「一〇〇件以上」と、同一二丁裏五行目の「九七件」を「九六件(甲第一〇八号証上の番号61は欠番となっている。)」と、同一二九丁表五行目の「(二)」を「(一)」とそれぞれ改める。

16  同一二九丁裏六行目から同七行目にかけての「のであるが、」から同一五九丁表八行目の末尾までを削り、同一二九丁裏六行目の「考えられないでもない」の末尾に「。したがって、本件各送致事件に関する原告太郎の自白内容がすべて真実に合致するものといえるか否かについては疑問がないわけではない。」を加え、更に改行して次のとおり加える。

「(五) しかしながら、本件の全証拠によっても、本件各送致事件に関する原田主任、高橋刑事らの原告太郎に対する取調の過程において、強制、脅迫、利益誘導等、それ自体が不法行為を構成するような違法な方法による自白の強要があったとまで認めることはできない(なお、右取調の過程において、暴行、脅迫等の違法行為があったと認められないことは、後記の2で認定判示するとおりである。)。そして、この点に関する松田証人、竹田証人、梅田証人の各証言及び原告太郎本人の供述は、同人らの前記各自白の経緯についての説明に不自然な点が多く、にわかに採用することができない。

確かに、前記認定の事実関係からすれば、原田主任、高橋刑事らが原告太郎を取り調べるに当り、同原告に対し、ある程度の供述の催促、慫慂や実況見分調書添付の写真、図面等を示しての質問がなされたであろうことは否定することができない。しかし、一般に捜査官が被疑者の取調を行うに当り、嫌疑事実の存否の確認や記憶の喚起等のために、被疑者に対し、強制、脅迫、利益誘導等の違法な方法にわたらない範囲での供述の催促、慫慂や写真、図面等を示しての質問を行うなどのことは適法な取調方法として許されるものと解すべきところ、本件の全証拠によっても、原田主任、高橋刑事らの原告太郎に対する取調の過程において、右の範囲を超えた違法な方法による自白の強要があったとまで確認することは困難である。むしろ、前記認定の本件各送致事件に関する原告太郎の自白の経緯及びその内容、特に同原告は右取調中に否認と自白とを何回も繰り返しているが、その自白はその時々における同原告の内心の発露によるものと認めるのが相当であって、捜査官の供述の催促、慫慂等に安易に迎合してなされた自白とは認められないこと、同原告の自白の内容はかなり具体的であって、迫真性、臨場感があると認められること、右自白と同機会になされた同原告の供述の中には、同原告が犯行に関与したことについて当事者間に争いのない公衆電話機荒らし事件一五件及び店頭での万引き事件三件についての自白も含まれていること及び右自白時における同原告の態度等に照らして考えると、同原告の自白は、強要によってなされたものではなくして、任意になされたものであると認めるのが相当である。

なお、本件各送致事件に関する原告太郎の自白の中には、その内容の不自然な部分あるいは個々の犯行、特にその被害現場の客観的な状況と符合しない部分等もあることは否定することができず、その自白があることだけから、その内容がすべて真実に合致するものとして、同原告の右各事件に関する嫌疑を全面的に肯定することはできない。しかし、被疑者が捜査官に対して全く任意になした自白の中にも、その内容が真実に合致しない虚偽の自白あるいは記憶違いの自白が含まれている事例は一般にも間々あり得るのであり、特に本件捜査における取調のごとく短期間内に繰り返された多数かつ類似の犯行の存否が同時に又は継続して取調の対象となっている場合には、それらの各犯行の記憶の相互間に多少の錯綜、混同が生じ、個々の犯行、特にその被害現場に関する客観的な状況と矛盾する自白がなされたとしても、あながち不自然、不合理であるとはいえないから、原告太郎の右取調過程における自白の中に真実に合致しない供述が含まれているとしても、そのことだけでその自白が捜査官の違法な強要によってなされたものであると推認するのは相当でない。

したがって、本件各送致事件に関する原田主任、高橋刑事らの原告太郎に対する取調の過程において、脅迫、利益誘導等の違法な方法による自白の強要があり、そして、これが原告らに対する不法行為を構成するという原告らの主張は、採用することができない。」

17  同一六〇丁裏四行目の「前記」を「被告国との間においては成立に争いがなく、被告東京都の間では<証拠>により真正に成立したものと認められる」と改める。

18  同一六三丁表三行目の「の証言、」を「、証人宮田正康の各証言、」と改め、同九行目から同一〇行目にかけての「発見されなかったことから、」の次に「原告太郎らが述べる犯行現場の状況と実際の被害現場の状況との異同を確認するため、」を、同一〇行目の「原田主任は、」の次に「昭和五二年」をそれぞれ加え、同丁裏二行目の「原告太郎らに対し」から同一六四丁裏一〇行目の末尾までを次のとおり改める。

「原告太郎らに宮田の面前でその犯行現場の状況の説明をさせたこと、松田がした右説明を聞いていた宮田は、その説明が被害現場の状況と一致していることを確認したこと、そして、宮田と原告太郎らとの面接時間は約三分間位であったこと、原田主任は、宮田が帰った後、原告太郎らに対し、盗品を早く出して返すよう要請したことが認められる。

ところで、原告太郎本人の供述の中には、宮田も右面接の際原告太郎らに対し盗品の返還を要請した旨及び原田主任は、原告太郎に対し、宮田は暴力団住吉連合の大幹部だ、お前らがああいうことしたとすればただではすまない、若い人を使ってお前らにいやがらせをするように住所を教えるからななどと脅した旨の各供述部分が存在する。しかしながら、原田証人及び宮田証人の各証言によれば、宮田は、当日は多少派手な服装をしていたものの、当時四一歳でナイトレストランの店長をしていたものであり、それまでに暴力団に加入したり、暴力団員と交際をしたりしたことはなく、原告太郎らと面接した際にも、原告太郎らに対し直接話しかけたことはなかったことが認められる。また、原告太郎本人も、原審においては、右面接の際、宮田に対して最初は犯行を否認したが、後にこれを認めたと供述しながら、当審では、最後まで犯行を否認したと供述しており、その供述には必ずしも一貫性が認められない。したがって、原告太郎の前記各供述部分はにわかに採用することができないといわざるを得ない。もっとも、一般的には、少年の被疑事件の取調の過程において、暴力団員とも見間違えかねない派手な服装をした者を少年と面接させること自体は、少年に対する心理的圧迫感を引き起こす可能性があるものとして、これを避けるべきではあるが、本件の場合、原告太郎との面接の時間は前記のとおり短時間であり、しかも、その目的も被害現場状況の確認であったにすぎず、これによって原告太郎を脅迫して自白を強要するなどの違法な意図があったとは認めがたいし、また、実際に原告太郎がこれによって脅迫されたとも認められないから、右事実をもって、それが不法行為を構成するほどの違法な取調方法であったとまでいうことはできない。

19  同一六四丁裏一〇行目と同一一行目との間に改行して次のとおり加える。

「(四) 以上のとおりであるから、原告らの請求原因4項(二)の主張はいずれも採用することができない。」

20  同一六六丁裏四行目、同一六七丁表八行目及び同一六八丁表九行目の各「⑪、」の次にいずれも「⑫、」を加え、同一六九丁表一行目の「既に、」から同六行目の「まず、」までを「後記第四の二3(一)に認定説示のとおりであって、特にそれが原告太郎のアリバイ回避の目的でなされたものであるとは認められない。次に、吉田宅事件(⑮)及び市川宅事件(⑯)に関する右供述訂正の経過について検討するに、」と改める。

21  同一七一丁表五行目の「前記」から同七行目の「するまでもなく」までを「いずれも」と改める。

22  同一七一丁裏三行目の「③ないし事件」を「③ないし⑰事件」と改め、同四行目の「二俣宅事件()」の前に「別紙送致事実一覧表記載の⑱ないし事件はいずれも同月二六日に、」を加え、同六行目の「いずれも五月二六日までに」を「五月一六日又は同月二六日に」と改める。

23  同一七二丁表五行目の冒頭から同一七八丁裏五行目の末尾までを次のとおり改める。

「1 少年法によれば、検察官は、少年の被疑事件について捜査を遂げた結果、犯罪の嫌疑があると思料するとき、又は、犯罪の嫌疑がない場合でも、家庭裁判所の審判に付すべき事由があると思料するときは、事件を家庭裁判所に送致しなければならないとされている(同法四二条)。したがって、検察官が、右前段の事由に基づき事件を家庭裁判所に送致するに際しては、当該少年に犯罪の嫌疑があると思料されることが必要な要件とされているのである。もっとも、右嫌疑の程度については、現行少年法の構造に照らし、刑事事件の公訴を提起する場合と同程度の嫌疑があることを必要とするか否かについては議論の存するところである(因みに、少年法は、検察官が少年の被疑事件を家庭裁判所に送致する場合(四二条)と、家庭裁判所から逆送された少年の事件につき公訴を提起する場合(四五条五号)とで、犯罪の嫌疑の程度に差異があることを予定しているかのごとき規定を設けている。)。しかしながら、少なくとも、被告国が本件に関して自認するとおり、検察官が事案の性質上当然になすべき捜査を故意又は過失により怠り、その結果収集した資料の証拠評価を誤るなどして、経験則上到底首肯し得ない程度の不合理な心証を形成し、客観的には犯罪の嫌疑が認められないのに、少年法三条一項一号に該当するとして少年の被疑事件を家庭裁判所に送致したような場合には、その家庭裁判所への送致は違法になるというべきである。

2 ところで、被告国は、少年の被疑事件の家裁送致は、公訴の提起と異なり、仮にそれが違法であっても、それだけでは少年に対する権利侵害が生じないと主張する。

確かに、少年事件の処理は、家庭裁判所がその権限と判断に基づき独自に決定すべきものであって、検察官からの事件の送致に何ら拘束されるものではない。また、仮に審判が開始された場合においても、その手続は非公開であるから、刑事事件につき公訴が提起され、公開の法廷で審理される場合と比較して、少年が受ける不利益は少ないものと推認することができる。しかしながら、家庭裁判所は、検察官から事件の送致を受けた場合には、当該事件を調査し、また、審判のため必要があるときは観護措置をとることがあり、調査の結果、審判を開始した場合には、保護処分に付さない決定、あるいは少年法二四条一項所定の保護処分に付する決定をし、更には刑事処分を相当と認めて検察官に送致する決定をすることになっている。そして、これを家庭裁判所に送致された少年の側からみれば、それにより、調査及び審判の対象とされ、あるいは身柄拘束を伴う観護措置をとられる可能性が生じ、更には、右に述べたとおり家庭裁判所の保護処分の対象に取り上げられ、場合によっては刑事処分のため検察官に逆送される可能性のある立場に置かれたことになるのであるから、検察官による家裁送致が一種の不利益処分であることは否定することができない。また、家庭裁判所に送致された少年は、世間的にもいわゆる「非行少年」であるとのレッテルを貼られたことになりかねないものである。したがって、家庭裁判所への送致は、それ自体、少年の名誉、信用を害するものであり、また、それによって少年の受ける精神的な苦痛は、刑事事件における公訴の提起と同程度とはいえないとしても、これを格段に下回るものともいえず、これによって権利侵害が生じないなどとは到底いうことができない。また、このことは、その手続が非公開であり、保護処分の性質、目的が刑事処分のそれとは異なることなどによっても、その結論を左右するものではないというべきである。ただし、一般論としてみた場合には、家裁送致による少年の権利侵害の程度は、刑事事件の公訴の提起によるそれと比較して、やや低いものであることは否定しがたく、これに比例して、検察官が家裁送致をする際に要求される犯罪の嫌疑の確実性の程度についても、刑事事件の公訴の提起の場合に要求される犯罪の嫌疑の確実性の程度と比較して、自ずから差異の生じることは否定することができない。

3 そこで、検察官による本件各送致事件の家裁送致に原告らの主張するような違法があったか否かについて、個別に検討することとする。

(一)  萱沼宅事件(①事件)

原告太郎が、右事件で勾留された昭和五二年二月二四日の時点において、同事件について犯罪の嫌疑があったと認められることは前記認定のとおりである。そして、<証拠>によれば、その後、同事件が家庭裁判所に送致された同年三月四日までの間における同事件の捜査の経緯については、次の事実を認めることができる。

右事件の勾留請求書に掲げられた被疑事実においては、同事件の犯行日時は、当初の松田及び竹田の各供述に基づき、昭和五一年一二月一一日(土曜日)午後八時三〇分頃とされていた。しかし、その後、昭和五二年二月二三日に、竹田がアルバイト先の雇主とともに東調布署に任意出頭したうえ、竹田がした前の供述の訂正を申し出てきたため、佐藤刑事が竹田を取り調べたところ、同人は右事件の犯行日は昭和五一年一二月一二日(日曜日)である旨供述の訂正をするに至った。そこで、高橋刑事が昭和五二年二月二四日に松田を取り調べたところ、同人も犯行当日の犯行前に見ていたテレビ番組(フジテレビの女子のプロレス)の関係から、右事件の犯行日は昭和五一年一二月一二日である旨供述を訂正したので、原田主任は、当該テレビ局に電話して当該番組の放映の有無を確認したところ、松田の供述どおりの番組の放映のなされていることが確認されたため、以後、右事件の犯行日は昭和五一年一二月一二日と訂正されることになった。したがって、竹田及び松田の右犯行日時の訂正については、特に不自然又は作為的な点は認められない。

そして、<証拠>によれば、松田及び竹田は、その後それぞれ昭和五二年二月二八日又は同年三月二日になされた寺本検察官の取調に対しても、右事件の犯行を自白している。もっとも、<証拠>によれば、松田及び竹田は、同検察官の取調において、犯行日を右訂正前の昭和五一年一二月一一日として調書を取られているが、この点は、同検察官が従前の送致事実記載の犯行日時を訂正するのを忘れて質問をし、松田及び竹田も犯行日自体にはそれほど注意しないまま供述したため、このような調書が作成されたものと思料される。そして、この点は、右検察官に不注意があったとの誹りを免れない。また、第二の一2(二)(3)で指摘した松田及び竹田の供述と被害現場状況との食い違いについての解明も特になされていない。

以上の事実によれば、右事件については、昭和五二年三月四日の家裁送致の当時においても、依然として侵入場所、侵入時のテレビ、ダンボール箱の状況及び被害金の存在場所等についての詳細な解明はなされていなかった。しかし、犯行の日時、場所、被害品、犯行態様、現場の状況等の大筋については右関係者間の供述が一致しているといえるから、これらに基づき、検察官が原告太郎の家裁送致の際に右事件につき同原告に犯罪の嫌疑があると判断したことは相当というべきであって、これに違法な点は認められない。

(二)  東工大事件(②)及び東工大厚生課室事件(⑧)

原告太郎が、前者の事件(②)で勾留された昭和五二年三月七日の時点において、同事件について犯罪の嫌疑があったと認められることは前記認定のとおりである。また、<証拠>によれば、後者の事件(⑧)については、昭和五一年一一月一七日付で被害者から東調布署に被害届が提出されており、同日に実況見分のなされていることが認められる。そして、前者の事件(②)は、後者の事件(⑧)と同一の機会に、引き続いてなされた犯行と目されていたことは前記判示のとおりである。

ところで、<証拠>によれば、原告太郎は、昭和五二年三月七日に前者の事件で勾留された後の同月八日には、原田主任の取調に対し、それまでの犯行否認の態度を改め、今回自白するに至った理由、犯行の動機、犯行態様等を詳細に供述して、これを全面的に自白するに至り、同月一二日には寺本検察官の取調に対しても同様に自白し、これと並行して、当初否認していた梅田も右各犯行をそれぞれ自白するに至ったことが認められる。

右事実と前記認定の捜査の経緯に照らせば、検察官が昭和五二年三月二五日の家裁送致の際に右各事件につき、原告太郎に犯罪の嫌疑があると判断したことは相当であって、これに違法な点は認められないというべきである。

もっとも、前掲証拠によれば、東工大厚生課室事件(⑧)については、犯人らの厚生課室への侵入方法について、モップを他所から持ってきて立てかけたのか、あるいはモップがもともと侵入場所に存在したのかについては、梅田の供述と原告太郎の供述との間に食い違いがあること、梅田が三月一二日に寺本検察官に対し東工大事件(②)について供述した際に、東工大厚生課室事件(⑧)については何ら触れていないことは、原告らの主張するとおりであり、また、職員組合事務室のガラス窓からの侵入方法、同室からの脱出方法についても、関係者の供述相互間に食い違いが存在する。そして、これらの点について十分な補充捜査がなされていないことは否定することができないが、しかし、そのことによってもそれだけで原告太郎の右各事件についての嫌疑が消失するとまでいうことはできないから、このことが前記の判断を左右するものはない。

(三)  木下宅事件(③)

<証拠>によれば、右事件については、昭和五一年九月三〇日に被害者から東調布署に被害届が提出され、同日に実況見分がなされていること、右事件については、昭和五二年二月二六日に松田が原告太郎らとの犯行を自白した後、同月二七日に竹田が、三月一一日に梅田がそれぞれ犯行を自白し、原告太郎も、同月一一日に原田主任の取調に対し、また、同月一七日には寺本検察官の取調に対し、それぞれ自白していることが認められる。そして、右事件につき家裁送致のなされた当時、これらの自白に疑問を抱かせる事情は、本件全証拠によっても、認めることができない。

(四)  石川宅事件(④)

<証拠>によれば、右事件については、昭和五一年一〇月一一日に被害者から東調布署に被害届が提出され、同日に実況見分がなされていること、右事件については、昭和五二年二月二五日に松田が原告太郎らとの犯行を自白した後、同月二七日に竹田が、三月一一日に梅田が右犯行を自白し、原告太郎も、同月一一日に原田主任の取調に対し、また、同月一七日には寺本検察官の取調に対し、それぞれ自白していることが認められる。そして、右事件につき家裁送致がなされた当時、これらの自供に疑問を抱かせる事情は、本件全証拠によっても、認めることができない。

もっとも、<証拠>によれば、松田は、昭和五二年五月一五日、原田主任の取調において、同事件の犯行日時等の訂正をしていることが認められるが、これは、右家裁送致後のことであるから、右判断の妨げとなるものではない。

(五)  竹田宅事件(⑤)

<証拠>によれば、右事件については、昭和五一年一〇月二九日に被害者から東調布署に被害届が提出され、同日に実況見分がなされていること、右事件についても、石川宅事件(④)と同様に、昭和五二年二月二五日に松田が原告太郎らとの犯行を自白した後、同月二七日に竹田が、三月一一日に梅田がそれぞれ右犯行を自白し、原告太郎も、同月一一日に原田主任の取調に対し、また、同月一七日には寺本検察官の取調に対し、それぞれ右犯行を自白していることが認められる。そして、右事件につき家裁送致がなされた当時、これらの自供に疑問を抱かせる事情は、本件全証拠によっても、認めることができない。

なお、原告らは、右事件について、アリバイ捜査の欠如を指摘するが、この点については、前記第三の二3の事情があるほか、原告太郎が犯行を自白しているとともに、特に同事件についてアリバイの主張のなされた形跡が認められない以上、これを欠いたとしても、やむを得なかったものといわざるを得ない。

(六)  海老根宅事件(⑥)及び藤原宅事件(⑦)

<証拠>によれば、右各事件については、昭和五一年一〇月二九日及び三〇日に各被害者から東調布署に各被害届が提出され、それぞれ右各同日に実況見分がなされていること、右各事件については、昭和五二年二月二六日に松田が原告太郎らとの犯行を自白した後、同月二七日に竹田が、三月一二日に梅田がそれぞれ右各犯行を認め、原告太郎も、同月一一日に原田主任の取調に対し、また、同月一七日には寺本検察官の取調に対し、それぞれ犯行を自白していることが認められる。そして、右各事件につき家裁送致がなされた当時、これらの自供に疑問を抱かせる事情は、本件全証拠によっても、認めることができない。

もっとも、右各事件については、その侵入方法、逃走方法につき関係者の各供述間に多少の食い違いが存在するほか、<証拠>によれば、その後昭和五二年六月六日に、右各事件につき竹田が犯行時刻を訂正する供述をしていることが認められる。しかし、その大筋においては、右各供述はほぼ一致しているといえるうえ、犯行時刻の訂正の供述は、右各事件の家裁送致後のことであるから、右の点は前記判断の妨げとはならないものと解するべきである。

(七)  坂野宅事件(⑨)

<証拠>によれば、右事件については、昭和五一年一一月二〇日に被害者から東調布署に被害届が提出され、同日に実況見分がなされていること、右事件については、昭和五二年二月二五日に松田が原告太郎らとの犯行を自白した後、同月二七日に竹田が、三月一七日に梅田がそれぞれ右犯行を自白し、原告太郎も、三月一一日に原田主任の取調に対し、また、同月一七日には寺本検察官の取調に対し、それぞれ犯行を自白していることが認められる。そして、右事件につき家裁送致がなされた当時、これらの自供に疑問を抱かせる事情は、本件全証拠によっても、認めることができない。

(八)  宮松宅事件(⑩)及び池田宅事件(⑪)

<証拠>によれば、右各事件については、昭和五一年一一月二二日に各被害者から東調布署に各被害届が提出され、右各同日に実況見分がなされていること、右各事件については、昭和五一年二月二五日に松田が原告太郎らとの犯行を自白した後、同月二五日及び二六日に竹田が、三月一二日及び同月一七日に梅田が右各犯行を自白し、原告太郎も、三月一一日に原田主任の取調に対し、また、同月一七日には寺本検察官の取調に対し、それぞれ犯行を自白していることが認められる。そして、右各事件につき家裁送致がなされた当時、これらの自供に疑問を抱かせる事情は、本件全証拠によっても、認めることができない。

もっとも、<証拠>によれば、右各事件については、その後昭和五二年六月七日に竹田が犯行時刻を訂正する供述をしているほか、同年五月一五日に松田が実行行為者を訂正する供述をしていることが認められるが、右家裁送致がなされた同年三月二五日当時においては、それまでの関係者の供述に疑問を抱かせる事情は存在しなかったのであるから、右の点は前記判断の妨げとはならないものと解するべきである。

また、原告らは、右各事件について、アリバイ捜査の欠如を指摘するが、この点については、前記第三の二3の事情があるほか、原告太郎が犯行を自白しているとともに、特に右各事件についてアリバイの主張のなされた形跡が認められない以上、これを欠いたとしても、やむを得なかったものといわざるを得ない。

(九)  朴木宅事件(⑫)

<証拠>によれば、右事件については、昭和五一年一一月二二日に被害者から東調布署に被害届が提出され、同月二三日に実況見分がなされていること、同事件については、昭和五二年二月二五日に松田が、同月二六日に竹田が原告太郎らとの犯行を自白した後、三月一三日及び同月一七日に梅田が右各犯行を自白し、原告太郎も、三月一一日に原田主任の取調に対し、また、同月一七日には寺本検査官の取調に対し、それぞれ犯行を自白していることが認められる。ところで、原告太郎及び右各共犯者らの各供述中には、右事件の犯行場所である石川台ハイライズの被害者宅への侵入方法に関し、客観的には犯行当時既に鉄柵が存在していたため、原告太郎及び共犯者らの供述する方法では、乗り越えることができなかった筈の鉄扉の上を乗り越えて屋上に出た旨の供述がなされていること、また、犯行後の玄関ドアの錠の状態、逃走方法につき実況見分調書の記載及び被害者の供述するところと、原告太郎及びその他の関係者の供述との間に相矛盾する部分の存在することが明らかであり、これらの点は、寺本検察官としても、実況見分調書の記載を十分に検討して、家裁送致の前に右矛盾点の解明をなすべきであったというべきである。しかし、<証拠>によれば、同検察官は、右事件を含めて、家裁に送致した事件の罪質、少年らの非行歴、犯情等からして、右事件が家庭裁判所から逆送され、公訴を提起しなければならないことになるとは考えていなかったこと、原告太郎らが皆犯行を自白していることなどに鑑み、右矛盾点の解明を十分に行わなかったことが認められる。そして、このような判断は、少年事件を担当する検察官の判断としてはやむを得なかったものといわざるを得ず、これを怠ったまま右事件を家裁送致した同検察官の処置に違法があるとまでいうことはできない。なお、原告らは、右事件について、アリバイ捜査の欠如を指摘するが、この点については、前記第三の二3の事情があるほか、原告太郎が自白しているとともに、特に右事件についてアリバイの主張のなされた形跡が認められない以上、これを欠いたとしても、やむを得なかったといわざるを得ない。

(一〇)  石沢宅事件(⑬)及び中川宅事件(⑭)

<証拠>によれば、前者の事件(⑬)については、昭和五一年一一月二九日に、後者の事件(⑭)については同月二七日に各被害者から東調布署に各被害届が提出され、それぞれ右各被害届が提出された日に実況見分がなされていること、右各事件については、昭和五二年二月二五日に松田が原告太郎らとの犯行を自白した後、同月二七日に竹田が、三月一二日に梅田が右各犯行を自白し、原告太郎も、三月一一日に原田主任の取調に対し、また、同月一七日には寺本警察官の取調に対し、それぞれ犯行を自白していることが認められる。そして、右事件につき家裁送致がなされた同年三月二五日当時、これらの自白に疑問を抱かせる事情は、本件全証拠によっても、認めることができない。もっとも、<証拠>によれば、竹田は同年六月七日に至り、右各犯行には梅田が加わっていなかったと供述するに至ったが、これは、右家裁送致後のことであり、家裁送致当時には、右のような事情は存在しなかった。

また、原告らは、右事件について、アリバイ捜査の欠如を指摘するが、この点については、前記第三の二3の事情があるほか、原告太郎が犯行を自白しているとともに、特に右事件についてアリバイの主張のなされた形跡が認められない以上、これを欠いたとしても、やむを得なかったといわざるを得ない。

(一一)  吉田宅事件(⑮)及び市川宅事件(⑯)

<証拠>によれば、前者の事件(⑮)については昭和五一年一二月一〇日に、後者の事件(⑯)については同月一九日に各被害者から東調布署に各被害届が提出され、それぞれ右各届が提出された日に実況見分がなされていること、右各事件については、昭和五二年二月二五日に松田が原告太郎らとの犯行を自白した後、同月二七日に竹田が(ただし、後者の事件については、竹田の供述調書は証拠として提出されていない。)、三月一二日に梅田が右各犯行を自白し、原告太郎も、三月一一日に原田主任の取調に対し、また、同月一七日には寺本検察官の取調に対し、それぞれ犯行を自白していること、また、梅田が三月一四日に至り右両事件の犯行時刻の訂正の供述をしたことを契機として、原告太郎を含む残り三名の共犯関係者も、いずれも犯行時刻を訂正する供述をしていることが認められる。

そして、右各事件につき家裁送致がなされた昭和五二年三月二五日当時、右各犯行時刻が訂正されたことをも含めて、これらの自白に疑問を抱かせる事情は、本件全証拠によっても、認めることができない。もっとも、<証拠>によれば、松田は、同年五月一五日に至り、後者の事件について、竹田は犯行に加わっていなかったと供述を変更し、また、<証拠>によれば、竹田は、同年六月八日に至り、前者の事件の犯行には加わっていなかったと供述を変更しているが、これは、右家裁送致後のことであり、家裁送致当時は、右のような事情は存在しなかった。

(一二)  福地宅事件(⑰)

<証拠>によれば、右事件については、昭和五二年二月一九日に被害者から東調布署に被害届が提出され、同日に実況見分がなされていること、同事件については、同年二月二五日に松田が原告太郎らとの犯行を自白し、三月一二日及び同月一七日に梅田が右犯行を自白し、原告太郎も、三月一一日に原田主任の取調に対し、また、同月一七日には寺本検察官の取調に対し、それぞれ犯行を自白していることが認められる。そして、右事件につき家裁送致がなされた当時、これらの自白に疑問を抱かせる事情は、本件全証拠によっても、認めることができない。

(一三)  戸塚宅事件(⑱)

<証拠>によれば、右事件については、昭和五一年八月三〇日に被害者から東調布署に被害届が提出され、同日に実況見分がなされていること、右事件については、昭和五二年三月一八日に原告太郎が鈴木刑事の取調に対し、犯行を自白しているほか、同月二三日に梅田が右犯行を自白していることが認められる。そして、右事件につき家裁送致がなされた当時、これらの自白に疑問を抱かせる事情は、本件全証拠によっても、認めることができない。

(一四)  大泉宅事件(⑲)、福沢宅事件(⑳)及び佐藤宅事件()

<証拠>によれば、右各事件については、いずれも昭和五一年八月三一日に各被害者から東調布署に各被害届が提出され、同日に実況見分がなされていること、右各事件については、昭和五二年三月一七日に原告太郎が原田主任の取調に対し右各犯行を自白しているほか、同月二三日及び同月二四日に梅田が右各犯行を自白していることが認められる。そして、右各事件につき家裁送致がなされた当時、これらの自白に疑問を抱かせる事情は、本件全証拠によっても、認めることができない。

(一五)  小林宅事件()及び相原宅事件()

<証拠>によれば、右各事件については、いずれも昭和五一年九月一一日に各被害者から東調布署に各被害届が提出され、同日に実況見分がなされていること、そして、右各事件については、昭和五二年三月一九日に原告太郎が原田主任の取調に対し各犯行を自白していることが認められる。そして、右各事件につき家裁送致がなされた当時、原告太郎の右自白に疑問を抱かせる事情は、本件全証拠によっても、認めることができない。

また、原告らは、右各事件について、アリバイ捜査の欠如を指摘するが、この点については、前記第三の二3の事情があるほか、原告太郎が犯行を自白しているとともに、特に右各事件についてアリバイの主張のなされた形跡が認められない以上、これを欠いたとしても、やむを得なかったといわざるを得ない。

(一六)  鈴木宅事件()

<証拠>によれば、右事件については、昭和五一年一〇月三一日に被害者から東調布署に被害届が提出され、同日に実況見分がなされていること、右事件については、昭和五二年三月一九日に原告太郎が原田主任の取調に対し犯行を自白していることが認められる。そして、右事件につき家裁送致がなされた当時、原告太郎の右自白に疑問を抱かせる事情は、本件全証拠によっても、認めることができない。

(一七)  二俣宅事件()

原告太郎が、右事件で勾留された昭和五二年四月一四日の時点において、同原告にその嫌疑があったと認められることは前記認定のとおりである。そして、<証拠>によれば、その後、原告太郎は、勾留質問の際に、右犯行を否認したが、松田、竹田及び梅田は、いずれもそれまでに右犯行を自白していたこと、そして、原告太郎も、四月一八日には鈴木刑事の取調に対し、同月三〇日には松田検察官の取調に対し、それぞれ犯行を自白していることが認められる。そして、右事件につき家裁送致がなされた同年五月二日当時、原告太郎の右自白に疑問を抱かせる事情は、本件全証拠によっても、認めることができない。

なお、原告らは、梅田について、右事件のアリバイ捜査の欠如を主張するが、その当時においては、共犯者とされる全員が犯行を自白し、しかも、捜査の際誰からも右事件についてアリバイの主張のなされた形跡が認められない以上、アリバイ捜査を欠いたとしても、やむを得なかったといわざるを得ない。

(一八)  シスターレイチェル宅事件()

<証拠>によれば、右事件については、昭和五一年九月八日に被害者から東調布署に被害届が提出され、同日に実況見分がなされていること、右事件については、昭和五二年四月二五日に原告太郎が高橋刑事の取調に対し犯行を自白していることが認められる。そして、右事件につき家裁送致がなされた当時、原告太郎の右自白に疑問を抱かせる事情は、本件全証拠によっても、認めることができない。

(一九)  山本宅事件()

<証拠>によれば、右事件については、昭和五一年一〇月一八日に被害者から東調布署に被害届が提出され、同月一九日に実況見分がなされていること、右事件については、昭和五二年四月二五日に原告太郎が原田主任の取調に対し犯行を自白していることが認められる。そして、右事件につき家裁送致がなされた当時、原告太郎の右自白に疑問を抱かせる事情は、本件全証拠によっても、認めることができない。

(二〇)  二俣宅事件()

<証拠>によれば、右事件については、昭和五一年七月三一日に被害者から東調布署に被害届が提出され、同日に実況見分がなされていること、右事件については、原告太郎が、昭和五二年四月二〇日に高橋刑事の取調に対し、四月三〇日に松田検察官の取調に対し、それぞれ犯行を自白していることが認められる。そして、右事件につき家裁送致がなされた当時、原告太郎の右自白に疑問を抱かせる事情は、本件全証拠によっても、認めることができない。

なお、原告らは、右事件について、アリバイ捜査の欠如を主張するが、その当時においては、原告太郎は犯行を自白しているとともに、右事件につきアリバイの主張のなされた形跡が認められない以上、これを欠いたとしても、やむを得なかったといわざるを得ない。

(二一)  芳賀宅事件()

<証拠>によれば、右事件については、昭和五一年一〇月一六日に被害者から東調布署に最初の被害届が提出され、同月一七日に実況見分がなされ、更に昭和五二年四月二〇日には被害者から追加の被害届が提出されたこと、右事件について、原告太郎は同年四月二五日に高橋刑事の取調に対し犯行を自白していることが認められる。そして、右事件につき家裁送致がなされた当時、原告太郎の右自白に疑問を抱かせる事情は、本件全証拠によっても、認めることができない。

なお、原告らは、右事件について、アリバイ捜査の欠如を主張するが、その当時においては、原告太郎は犯行を自白しているとともに、右事件につきアリバイの主張のなされた形跡が認められない以上、これを欠いたとしても、やむを得なかったといわざるを得ない。

(二二)  石田宅事件()

<証拠>によれば、右事件については、昭和五一年一一月九日に被害者から東調布署に被害届が提出され、同日に実況見分がなされたこと、右事件については、原告太郎は昭和五二年四月二九日に今福刑事の取調に対し犯行を自白していることが認められる。そして、右事件につき家裁送致がなされた当時、原告太郎の右自白に疑問を抱かせる事情は、本件全証拠によっても、認めることができない。

(二三)  長楽宅事件()

<証拠>によれば、右事件については、昭和五一年一一月一四日に被害者から東調布署に被害届が提出され、同月一五日に実況見分がなされたこと、右事件については、原告太郎は昭和五二年五月一四日に原田主任の取調に対し犯行を自白していることが認められる。そして、右事件につき家裁送致がなされた当時、原告太郎の右自白に疑問を抱かせる事情は、本件全証拠によっても、認めることができない。

4 以上に検討したところからすれば、検察官による本件各送致事件の家裁送致には、前記1で指摘したような違法があったということはできない。したがって、右各事件の家裁送致に違法があったことを前提とする原告らの被告国に対する請求はその理由がないというべきである。」

24  同一七八丁裏七行目から同八行目にかけての「その弁護人」の次に「(前記のとおり、少年法一〇条所定の附添人を含む。以下同じ。)」を加え、同一七九丁裏一行目の「午後四時四一分」を「午後五時四一分」と、同九行目の「一般的指定」から同一〇行目の具体的指定処分は」までを「一般的指定は、それ自体、原告太郎の防禦権を侵害する違法な処分であるのみならず、右具体的指定処分も」とそれぞれ改め、同一八〇丁表八行目の「前に見た」を削り、同九行目の「を違法とする」を「がそれだけで当然に被疑者の防禦権を侵害することになり、違法であるとする」と改め、同九行目から同一〇行目にかけての「いうまでもない」の次に「(一般的指定があると否とにかかわらず、検察官は、弁護人等から被疑者との接見の要求があったときは、原則として何時でも接見の機会を与えなければならないのである。そして、接見の機会が違法に侵害されたか否かは、弁護人等から具体的に接見の要求がなされ、それに対して検察官がどのように対応したかを明らかにしない限り、これを確認する方法がないのであるから、それを抜きにして、単に一般的指定がなされたとの一事により、当然に接見の機会が違法に侵害されたということはできないというべきである。)」を加える。

二以上に検討したとおりであって、原告らの被告らに対する本件各請求はいずれも理由がないから、これらをいずれも棄却すべきである。よって、被告東京都の本件控訴は理由があるから、原判決中、被告東京都の敗訴部分を取り消して、原告太郎の請求を棄却することとし、また、原告らの本件控訴はいずれも理由がないから、これらを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、九六条、八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官奥村長生 裁判官前島勝三 裁判官富田善範)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例