東京高等裁判所 昭和60年(ラ)323号 決定 1985年7月17日
抗告人
梶ヶ谷政義
右代理人
柏木博
岩瀬外嗣雄
野々村久雄
相手方
株式会社エリートアンドスタンバレイ
右代表者
加藤三夫
主文
本件抗告を棄却する。
理由
一本件抗告の趣旨は「原決定を取消し相手方の申立てを却下する。」との裁判を求めるというのであり、その理由は別紙抗告理由書(写)記載のとおりである。
二そこで、本件申立ての当否について検討する。
1 記録によれば、抗告人は、昭和五六年六月一五日その所有、占有に係る原決定添付物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)及びその敷地である目黒区東山二丁目一二三一番、宅地、五二八・四二平方メートルの抗告人の共有持分一〇〇〇分の一〇九(以下、本件建物と共に、「本件不動産」という。)について申立外太陽信用金庫に対し、申立外有限会社相模屋酒店の債務を担保するため根抵当権を設定し、同月一六日その旨の登記を経由したこと、抗告人は昭和五七年三月一七日本件不動産を申立外北島吉春に売渡し、同年四月三〇日所有権移転登記を経由した(なお、抗告人は、本件不動産について、北島に売渡後の同年三月二三日同人に対し抗告人の債務を担保するため抵当権を設定し、同日その旨の登記を経由した。)こと、右金庫からの申立てに基づき、原審裁判所は、本件不動産について昭和五八年一月二七日競売開始決定をなし、同月二九日その旨の登記を経由したこと、右金庫は競売申立てに先立ち、滌除権者に対し民法三八一条所定の通知をしたが、北島に対しては、昭和五七年一二月一六日右通知が到達したこと、抗告人は、その後競売開始決定がなされるまでの間の昭和五八年一月一日北島から本件建物について期間を同日から三年間とする短期賃借権の設定を受け、同年三月二日その旨の登記を経由したこと、右競売事件は、北島所有の他の建物(以下「別件建物」という。)に対する不動産競売事件と併合され、所定の手続をへて、昭和五九年一二月四日相手方に本件不動産及び別件建物の売却許可決定が言渡されたこと、相手方は昭和六〇年一月二八日代金を納入し、同年二月二日抗告人の占有する本件建物の引渡命令を申立てたこと、なお、右競売手続において、執行裁判所により選任された評価人宮本明太郎は、本件不動産のうち建物について、当初、抗告人の短期賃借権の存在等を理由に建物自体の価格算定の過程において三割の、敷地利用価格の算定の過程において一割の各減価を行つたが、その後昭和五九年九月三日付評価書(補充)により、抗告人に対し引渡命令が出るもの等として評価し直し、右裁判所はこれに基づき最低売却価額を定めたことが認められる。
2 ところで、民事執行法一八八条により準用される同法八三条一項本文にいう「債務者」は、競売手続上の形式的当事者である不動産「所有者」がこれに当ると解すべきであるが、抵当権設定者は、抵当権設定後その所有不動産を他に譲渡して現に所有していなくともこれを占有する限り、所有者と同視して引渡命令の相手方となると解するのが相当である。けだし、抵当権設定者は将来、抵当権の実行があれば所有権及び占有の双方を失うことを予定して抵当権を設定したものであるから、その後、不動産を譲渡したことにより、譲受人又は転得者に対し右不動産の引渡を拒絶できるようなことになるというのは、著しく衡平、信義に反するからである。
前記のとおり、本件競売の基となつた根抵当権の設定者である抗告人は、本件建物譲渡後においても、所有者と同視すべき者として引渡命令の相手方となるというべきである。
抗告人は、所有者であつても買受人に実体上対抗できる権利を有するものは引渡命令の相手方から除外されるものであり、所有者と同視される者についても同様に解すべきところ、抗告人は短期賃借権をもつて相手方に対抗できるものである旨主張する。
しかし、右主張のように所有者と同一視すべき者が買受人に対抗できる権原により抵当不動産を占有するときは、引渡命令の相手方とならないとするも、右権原が外形上抵当権の実行を妨げることを目的としたものと認められる場合は権利を濫用するものとして買受人に対し右権原を主張することが許されないと解すべきである。
本件においてこれをみるに、抗告人がその占有に係る本件建物につき差押えの効力発生前にその所有者である北島吉春から短期賃借権の設定を受けたものであることは前記のとおりであるが、北島は本件建物買受後、本件建物について抵当権を設定しているものであつて、その所有権取得は形式的なものと認められること、右賃借権設定時期は差押えの効力発生前とはいえ抵当権実行の通知が北島になされた直後であること、抗告人の占有が北島に対する売渡及び賃借権設定の前後において異同のないものであること等に徴すれば、右賃借権の設定は正常な短期賃借権の設定を目的としたものではなく、北島の抵当権に優先する抵当権の実行の妨害を目的としたものと認めるのが相当であり、これを買受人である相手方に主張することは許されないものというべきである。
したがつて、抗告人が本件建物について短期賃借権を有することをもつて引渡命令の相手方から除外すべき旨の主張は理由がない。
3 次に、抗告人は、同人の短期賃借権が買受人に対抗できるものとしてされた評価に基づき本件不動産の競売が実施された点においても本件引渡命令が違法である旨主張するが、前記のとおりその前提を欠くものであつて、右主張も理由がない。
三よつて、本件抗告を棄却することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官宍戸清七 裁判官豊島利夫 裁判官笹村將文)
抗告理由書
一 本件不動産引渡命令事件において申立人は、相手方を御庁昭和五八年(ケ)第一一二号、同一二〇三号不動産競売事件の債務者となつている抗告人である旨主張しているが、同主張は事実に反する。
なるほど、抗告人は抵当権設定当時に本件不動産の所有者であつたが、同不動産は昭和五七年三月一七日(移転登記は同年四月二三日)北島吉春に売却されて、以後は同人が本件不動産の所有者の地位を承継している。而して、抗告人は上記北島から昭和五八年一月一日本件不動産を期間を同日から三年間、賃料一ケ月五万円の約定にて賃借し、同年三月二日には賃借権設定登記を経由した。
してみると、抗告人は民法第三九五条所定の短期賃借人として申立人に対抗しうる立場にあるのであるから、抗告人に対して不動産引渡命令を発するに足る要件が欠けているといわざるを得ない。
二 なお、民事執行法第八三条の解釈として、不動産引渡命令の相手方となりうる債務者(所有者)とは差押え当時の所有者であつて単に抵当権設定当時に所有者であつたに過ぎない者は除外されると解すべきである。仮りに百歩譲つて、一般論としては抵当権設定当時の所有者が引渡命令の相手方となりうるとしても、同人が現在の所有者から適法に賃借権の設定を受けて抵当権者に対する対抗力も具備している本件のような場合には、すべからく引渡命令を受ける相手方からは除外されると解されるのである〔注解民事執行法(3)二七一頁参照〕。
三 更に看過してならないことは、本件基本事件である不動産競売事件において、執行官による現況調査報告書には、抗告人が所有者北島吉春から本件不動産を昭和五八年一月一日から三年間として賃借し且つ現に占有していることを認める旨の記載がある(賃借権設定登記がなされていることは登記簿上明白である)。
しかして、上記報告書を受け、評価人宮本明太郎が作成して原裁判所に提出した不動産評価書には、本件不動産につき「借家人のいる負担」として三割の減価を、本件不動産の敷地については「借家人のいる負担」として一割の減価を各々明確にしている。そして、本件競売は上記評価に基づき実施された。
抗告人としては、原裁判所から競売手続による売却がなされた旨の告知をうけた時点では、当然同人の賃借権が競落人にも対抗力を有し、従つて不動産引渡命令手続にまでも移行することは有り得ないものと考えて売却決定に対する執行抗告にまでは及ばなかつたのである。
しかるに、今回原裁判所がなした申立人の抗告人に対する不動産引渡命令がそのまま維持されるということになると、上記評価に際しては抗告人の賃借権が競落人に対抗し得ることを前提としてなされていたのにもかかわらず、これと明らかに矛盾する結果を容認することとなる。換言すると、民事執行法第七一条六号の売却不許可事由が存したのにこれを看過してなされた違法な競売手続(名古屋高裁昭和五七・一一・一一決定、判例時報一〇六九号八七頁以下参照)がそのまま法認されて、まことに耐え難い法的矛盾が露呈したまま放置される結果となる。けだし、抗告人は本件不動産引渡命令の告知を受けて初めて前記売却不許可事由の存在を確知し得たのであり、この時点に至るまで抗告人には原裁判所のなした売却許可決定に対する適法な不服申立の機会が全く与えられなかつたに等しいからである。
四 如上の諸点に鑑みると、申立人は抗告人に対して不動産引渡命令を求め得る立場にはないにもかかわらず原裁判所は引渡命令を決定するという誤りを犯したものである(東京高裁昭和五六・一一・二〇判夕四五九号六一頁参照)。よつて抗告人は、原裁判所がなした不動産引渡命令の決定の取消しを求めるため本件執行抗告に及んだ次第である。