東京高等裁判所 昭和60年(行ケ)51号 判決 1987年9月08日
原告 アライド コーポレーション
被告 特許庁長官
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告のための附加期間を九〇日と定める。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
「特許庁が昭和五八年審判第二二〇一七号事件について昭和五九年一一月一三日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
二 被告
主文第一、二項同旨の判決
第二請求の原因
一 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和五一年六月二五日、名称を「鉄族元素とほう素とを含む無定形合金」とする発明(以下「本願発明」という。)につき、一九七五年六月二六日及び同年一一月二八日アメリカ合衆国においてした特許出願に基づく優先権を主張して特許出願(昭和五一年特許願第七四五五四号)をしたところ、昭和五八年七月四日拒絶査定を受けたので、同年一一月一日審判を請求し、昭和五八年審判第二二〇一七号事件として審理された結果、昭和五九年一一月一三日「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年一二月五日原告に送達された。なお、原告のための出訴期間として九〇日が附加された。
二 本願発明の要旨
下記の一群の式の中から選ばれるいずれか一つの式で表わされる組成を実質上有し、少なくとも五〇%非晶質であり、改善された極限引張強さと硬度とを有する熱安定性非晶質金属合金(ただし非晶質金属針金である場合を除く。);
MaBe, MaM′bBe, MaCrcBe, MaM″dBe,
MaM′bCrcBe, MaM′bM″dBeおよびMaCrcM″dBe;
〔ただし、上記式中、Mは鉄、コバルト及びニツケルよりなる群から選ばれる一の元素であり;M′は鉄、コバルト及びニツケルよりなる群から選ばれるM以外の一又は二の元素であり;M″はバナジウム、マンガン、モリブデン、タングステン、ニオブ及びタンタルからなる群から選ばれる少くとも一の元素であり;aは四〇~八五原子%を表わし;bは四五原子%以下を表わし;cは二〇原子%以下を表わし;dは二〇原子%以下を表わし;そしてeは一五~二五原子%を表わす。〕
三 審決の理由の要点
1 本願発明の要旨は前項記載のとおりである。そして、その用途は、本願明細書の記載よりみて、タイヤコード用(実施例1)、かみそり刃用(実施例2)、高張度高硬度合金(実施例3)、磁性合金(実施例5)、耐触性合金(実施例6)等であると認められる。
2 一方、昭和四九年特許出願公開第九一〇一四号公報(以下「引用例」という。)の特許請求の範囲の第一〇ないし第一三項には「(10) 式:TiXj(式中Tは遷移金属またはそれらの混合物;Xはアルミニウム、アンチモン、ベリリウム、ホウ素、ゲルマニウム、炭素、インジウム、リンおよびシリコンからなる群から選択される元素またはそれらの混合物;iとjは原子数百分率であり、その和が一〇〇になるという条件でそれぞれ約七〇~八七、約一三~三〇である。)の無定形金属針金。(11) iが約七四~八四であり、jが一六~二六である特許請求の範囲(10)の針金。(12) 五〇%以上の無定形であり、すなわち五〇%未満が結晶形である、特許請求の範囲(10)の針金。(13) 鉄がTの少なくとも六〇原子数を占める、特許請求の範囲(10)の無定形金属針金。」が記載されており、引用例の第六頁下右欄第二行ないし第九行には、「この発明の範囲内の無定形金属ストランド、針金、シート等は補強用途などの様々な用途があり、例えばタイヤコードとして、あるいは熱可塑性、熱硬化性成形プラスチツクの補強材として;フイルター媒質として;生医学的補強材;例えば縫糸;リレーマグネツトとして;耐食性化学加工装置等の用途がある。」と記載されている。
3 そこで、本願発明と引用例記載の発明を比較すると、両者の構成成分が同一であり、その組成範囲が同一である(引用例記載の発明において、X成分としてホウ素を選択したものと、本願発明のMa Be, Ma M′b Beを選択して比較した場合)。そして、用途についてみても、前記のとおり主たる用途として両者ともタイヤコードである点で重複する。
ただし、(イ)合金の具現的形状が引用例記載の発明においては針金であり、本願発明においては針金を除くと特定されており、(ロ)本願発明においては合金の性質が特定されている点で、両者は、一応相違すると見られる。
そこで、この相違点について検討する。
前記のように本願発明と引用例記載の発明の主たる用途として両者ともタイヤコードが示されており、前記(イ)のような両者の特定にもかかわらず、使用における具体的形態がこのように重複するものである以上、該特定の意義は希薄なものと認められる。また、前記(ロ)のように合金が特定されたとしても、前記のように両者の構成成分とその組成範囲が同一であり、それらの主たる用途が重複する以上、このような合金の性質の特定があつても、これにより両者が別発明を構成するものとはいえない。
したがつて、前記の相違点(イ)、(ロ)を参酌しても、本願発明は、引用例記載の発明と同一であると認められるので、特許法第二九条第一項第三号の規定により特許を受けることができない。
四 審決の取消事由
引用例には、式TiXjで表される非晶質金属合金が開示されており、そのXに該当する成分(以下「X成分」という。)としてホウ素を選択したものは、本願発明の非晶質金属合金と成分及び成分割合が同一であることは認める。
しかしながら、本願発明は、式TiXjのX成分としてホウ素のみを選択することが必須要件であるのに対し、引用例記載の発明はホウ素のみを選択することは必須要件となつていないものであり、かつ、本願発明はホウ素のみを選択したことによつて顕著な効果を奏するものであるから、いわゆる選択発明として特許されるべきであるのに、本願発明は引用例記載の発明と同一であると認められるので、特許法第二九条第一項第三号の規定により特許を受けることができないとした審決の判断は誤りであり、審決は違法として取り消されるべきである。
1 引用例は、本願明細書が公知技術として引用する非晶質金属合金と同一の非晶質金属合金を開示しているにすぎない。すなわち、引用例は、式TiXjのX成分として、アルミニウム、アンチモン、ベリリウム、ゲルマニウム、炭素、インジウム、リン、シリコンと並列にホウ素を挙げているだけであり、引用例記載の発明の実施例を検討すると、ホウ素を単独のメタロイド元素として選択した実施例は全くない。したがつて、引用例には、これらX成分として列挙されている元素の中からホウ素のみを選択することによつて、本願発明におけるような特定の性質の非晶質金属合金を得るという技術的思想は開示されていないばかりか示唆もされていない。
のみならず、引用例に開示された非晶質金属合金の極限引張強度は、最大でも三五万psiであり、硬度値は約六〇〇~七五〇DFH(ダイヤモンドピラミツド硬度)にすぎない。
これに対し、本願発明は、この式TiXjを持つ非晶質金属合金が「発明された時これら合金は当時知られている多結晶質合金より優れた機械的性質を示した。この様な優れた機械的性質としては三五万psiに達する極限引張強度、約六〇〇~七五〇DPHの硬度値及び良い延性がある。それにも拘らず改良された磁性、物理的及び機械的性質及び高い熱安定性を要求する新しい用途が更に特定した組成を開発する努力を要請している。」(特許願書添付の明細書第五頁第一三行ないし第六頁第六行)との知見に基づき、前記式TiXjのTに該当する成分(以下「T成分」という。)として前記二の本願発明の要旨記載のものに限定すると共に、X成分としてホウ素のみを選択した組成を持つ非晶質金属合金としたものであり、右組成を採択した結果、本願明細書に「本発明による非晶質金属合金は典型的には約三七~五二万psiの範囲の極限引張強度、約九二五~一一九〇DPHの範囲の硬度値及び約三七〇度C~六一〇度Cの範囲の結晶化温度を現わす。」(特許願書添付の明細書第一三頁第九行ないし第一二行、昭和五七年一一月二七日付手続補正書第四頁末行)と記載されていることから明らかなように、少なくとも約三七万psiという改善された極限引張強度と、少なくとも約九二五DPHという改善された硬度値と、少なくとも約三七〇度Cという結晶化温度に示される改善された熱安定性とを同時に有している優れた合金を得ることができたものである。
特に重要なことは、本願発明は優れた熱安定性を有する非晶質金属合金であるということである。すなわち、非晶質金属合金は、合金材料を熔融状態から瞬時に冷却し、合金が結晶配列を生じる前に非晶状態のままで固化させることによつて得られるか、熱安定性が劣る非晶質金属合金では熱処理中にアモルフアス(非晶)状態から結晶状態への変態が起こりやすく、その結果アモルフアス状態の故に保持されていた機械的性質の低下を生じる。例えば、非晶質金属合金をラジアルプライタイヤにおける金属ベルトのようなタイヤコードとして利用する場合、金属繊維束とタイヤゴムを結合するために約一時間約一六〇~一七〇度Cの熱処理を受け、また、かみそり刃の用途に使われる金属として利用する場合、四ふつ化ポリエチレンを適用した被覆を金属に結合するために約三〇分間約三七〇度Cの熱処理を受ける(特許願書添付の明細書第八頁第一一行ないし第九頁第四行)ので、熱安定性の劣る非晶質金属合金ではこのような熱処理の過程で結晶化が生じて機械的強度が低下する。従来技術の非晶質金属合金は二五〇度Cで一時間、三〇〇度Cで三〇分、三三〇度Cで五分間の熱処理によつて脆化するものであつた(同第一一頁第一行ないし第一二頁第一行、昭和五七年一一月二七日付手続補正書第四頁第一一行ないし第一三行)。これに対し、本願発明の非晶質金属合金は極限引張強度や硬度において前述のような優れた性質を持ち、さらに併せて優れた熱安定性を有するので、タイヤコード、かみそりの刃などといつた、高度な機械的強度と高温が採用される処理条件に耐える能力とが要求される用途に適したものになり得るのである。
なお、本願発明の非晶質金属合金が熱安定性に優れていることは、本願発明のリボン状の非晶質金属合金が熱処理後にも延性であることによつて確認されている(特許願書添付の明細書第二六頁第七行ないし第一〇行、第二七頁第七行ないし第九行、昭和五七年一一月二七日付手続補正書第六頁第九行)。
2 被告は、引用例記載の発明がマーカツシユ型式で記載されていることを理由に、引用例には、ホウ素のみを単独の元素とする合金についても実質的に開示があつたことになる旨主張する。
被告の主張は、結局のところ、先行発明がマーカツシユ型式で記載されている限り選択発明の成立の余地はないとするものであるが、先行発明がいかなる表現形式で記載されたかによつて選択発明の成立の可能性が左右されるという理由は存しない。後行発明において、先行発明の明細書の特許請求の範囲に記載されている複数の物質のうち特定の物質が特に効果が優れているとされた場合、選択発明が成立するか否かは先行発明を開示した文献中に具体的にその特定の物質を選択するという技術的思想が開示されているか否かによつて定まるのである。本件において、引用例にはホウ素を単独のメタロイド元素として選択する技術的思想は何ら具体的に開示されていないばかりか示唆さえされていないのに対し、本願発明はホウ素を単独のメタロイド元素として選択することを必須要件としており、これによつて引用例記載の発明に比して顕著な効果を奏すること前記1のとおりであるから、本願発明は選択発明として特許性を有するものである。
また、被告は、本願発明も引用例記載の発明も共に用途としてタイヤコードを第一位に掲げている事実を考慮すると、本願発明は引用例記載の発明と同質でしかも同程度の効果を奏するものと認めるのが相当である旨主張する。
しかしながら、引用例記載の発明は、その名称が「新規な無定形金属および無定形金属物品」であること及び引用例に記載された発明の目的(第四頁右上欄第二行ないし末行)からも明らかなように、ある成分及び成分割合の金属合金が非晶質金属合金になることの発見自体に基づいているものであり、引用例に用途としてタイヤコードが記載されても、引用例記載の発明の目的、その成分及び成分割合が広範囲であること、引用例には熱安定性に優れているとの認識はなく、むしろ「熱処理はこの発明の無定形金属合金の場合は省かれる。」(第七頁左下欄第五行、第六行)と記載されているように熱処理を避けることが示唆されていること、引用例記載の発明の出願(出願人は原告)当時タイヤコードに実用可能な非晶質金属合金は存在しなかつたことにかんがみれば、引用例におけるタイヤコードの用途記載は、この新規な非晶質金属合金の一般的特性として機械的強度が優れていることの認識から用途の潜在的可能性として述べられているにすぎないというべきである。
第三請求の原因に対する認否及び被告の主張
一 請求の原因一ないし三の事実は認める。
二 同四は争う。審決の認定、判断は正当であり、審決には原告主張の違法はない。
いわゆる選択発明の成立が認められるためには、(1) 後行発明(本願発明)が、形式的に(表現上)、先行発明(引用例記載の発明)に対して下位概念に相当することを前提として、後行発明が先行発明を記載した刊行物中に具体的には記載されていないこと。(2) 後行発明が先行発明に比較して顕著な効果を奏すること。顕著な効果には、先行発明の効果と異質の効果のほか、同質の効果も含まれ、同質の効果の場合には格段の差を示すこと、の二要件を満たすことが必要である。
本願発明は、引用例の特許請求の範囲第一〇ないし第一三項の記載からみて、引用例記載の発明の下位概念の発明に相当するので前記(1)の要件の前提を満たしていることは明らかである。
しかしながら、例えば有機化合物の用途発明では、先行発明の明細書の特許請求の範囲に記載された化合物の各部位の置換基がマーカツシユ型式によつて択一的に限定されている場合には、一つの特許請求の範囲の中に数千、数万の化合物が相互に均等な効果を奏するものとして包含されることとなり、しかも発明の詳細な説明中の実施例の数はたかだか数十にとどまるというようなケースが稀ではなく、この様な場合、実施例に挙げられていない化合物については実施例に挙げられている化合物と均等な効果を奏するという意味において実質的に記載があるものとみるのである。
本願発明及び引用例記載の発明は合金の発明ではあるが、引用例記載の発明は、明細書の特許請求の範囲において構成要件の一部がマーカツシユ型式で限定されているので、右に述べた有機化合物の発明に関する処理の仕方がそのまま妥当するものである。すなわち、引用例の式TiXjのX成分は、アルミニウム、アンチモン、ベリリウム、ホウ素、ゲルマニウム、炭素、インジウム、リン及びシリコンから成る群中の元素又は混合物であるから、これらの元素はそれぞれ相互に置換し得る均等な元素であつて、ホウ素単独でもホウ素以外の一元素でも、また、ホウ素と他の元素との組合せでも、さらには、ホウ素以外の元素の組合せでもすべて均等であり、また、T成分は、遷移金属(スカンジウム、イツトリウム、ランタン、アクチニウム、チタン、ジルコニウム、ハフニウム、バナジウム、ニオビウム、タンタル、クロム、モリブデン、タングステン、マンガン、テクネチウム、レニウム、鉄、ルテニウム、オスミウム、コバルト、ロジウム、イリジウム、ニツケル、パラジウム、プラチナ、銅、銀、金)又はそれらの混合物であつて、右遷移金属に属する各元素はそれぞれ相互に均等な元素であるから、T成分としては、各元素の一及びそれらのすべての組合せは均等であるということができる。したがつて、引用例に記載の実施例1ないし29中にはX成分としてホウ素を単独で含む例は一例もないとはいえ、右実施例はすべてがX成分としてホウ素のみを含む合金と均等な合金についての実施例というべきであり、その結果として、引用例にはX成分としてホウ素のみを含む合金についても実質的に開示があつたことになるから、本願発明は引用例記載の発明の選択発明であるために必要な要件(1)を満たしていないというべきである。
仮に、本願発明が右要件(1)を満たしているとしても、要件(2)を満たしていないことが明らかである。すなわち、本願明細書及び引用例を仔細に検討しても、本願発明のホウ素を含む非晶質金属合金がこれと同一組成の引用例記載の非晶質金属合金に比較して異質の効果を奏するとの記載はなく、また、同質ではあるが顕著な効果を奏する旨の記載はない。本願明細書中の実施例1中の八例のデータをみると、極限引張強度は四一万三、〇〇〇psiないし四九万九、〇〇〇psiであるのに対し、引用例のこれと均等の非晶質金属合金の実施例では、極限引張強度は三五万psi(実施例1)であり、多少の相違は認められるが、本願発明も引用例記載の発明も共に用途としてタイヤコードを第一位に掲げている事実を考慮すれば、本願発明が異質の効果を奏すると認めることはできないのはもちろん、同質の効果について、本願発明が引用例記載の発明より格段に優れているとも認めることができず、両発明は同質でしかも同程度の効果を奏するものと認めるのが相当であるから、本願発明は引用例記載の発明に対し要件(2)を満たしていないものである。
この点について、原告は、引用例には非晶質金属合金の熱処理を避けることが示唆されており、引用例記載の発明は本願発明のように優れた熱安定性を有しない旨主張するが、引用例には、用途として本願発明と共通のタイヤコードという記載があり、このように合金をタイヤコードとして使用し得るためには、その合金は一定基準値以上の引張強さ、硬さ、弾性、耐食性、熱安定性等の諸性質を備えていることを必要とするから、引用例記載の発明がタイヤコードとして使用できたということは、これらの性質を備えていることを意味し、引用例に、本願発明の非晶質金属合金のように一六〇度Cないし一七〇度Cで約一時間耐えることができるという記載がないとしても、タイヤコードという用途の表現の中に実質的に右の熱安定性の記載があるというべきである。
したがつて、本願発明は引用例記載の発明に対して特許性のある選択発明を組成するということはできない。
第四証拠関係<省略>
理由
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。
1(一) 成立に争いのない甲第二号証の一ないし四によれば、本願発明は、前記本願発明の要旨記載の一般式で示される組成を実質上有し、少なくとも五〇%非晶質であり、改善された極限引張強さと硬度とを有する熱安定性のある非晶質金属合金(ただし非晶質金属針金である場合を除く。)に係るものであつて、タイヤコードフイラメント、かみそりの刃片などの用途に適しているものであること(特許願書添付の明細書第一六頁第四行ないし第一七頁第一三行、昭和五七年一一月二七日付手続補正書第五頁第九行)が認められる。
(二) 一方、成立に争いのない甲第三号証によれば、引用例記載の非晶質金属合金は、引用例の明細書の項の特許請求の範囲第一〇項に記載された、式:TiXj(式中Tは遷移金属又はそれらの混合物、Xはアルミニウム、アンチモン、ベリリウム、ホウ素、ゲルマニウム、炭素、インジウム、リン及びシリコンからなる群から選択される元素又はそれらの混合物:iとjとは原子数百分率であり、その和が一〇〇になるという条件でそれぞれ約七〇~八七、約一三~三〇である。)の無定形金属針金であること、引用例の明細書の項の発明の詳細な説明には、「この発明の一つの目的は、簡単に冷やされ無定形状態になり、高度の安定性を持ち、かつ望ましい物理特性を有する新規無定形金属合金組成物を供給することである。(中略)この発明のもう一つの目的は、上記および他の無定形金属組成物より針金形の物品、すなわち横断面がほぼ円形であるフイラメント、すなわち棒状フイラメントを供給することであり、(中略)私達は今や、少量、すなわち〇・一~一五、好ましくは〇・五~六原子数%のAl,Si,Sn,Sb,Ge,In,Beなどの特定金属を上記合金に加えることにより新規で、独特で、かつ有用な特定組成物が得られることを発見した。これら元素の導入の結果としてこれら合金ははるかに優れたガラス形成体となり、すなわちその無定形状態は一層簡単に得られ、その上一層熱安定性である。」(第四頁右上欄第二行ないし左下欄第一三行)、「これら無定形合金および針金体物品は非常に望ましい物理特性を持つ。例えば、様々な選択された組成物の場合、優れた耐食性およびユニークな磁性の他に冷却状態で高引張強さ、および高弾性限度を達成できる。(中略)またこれら延性サンプルの場合、三五〇、〇〇〇psiまでの引張強さはその冷却状態で得られた。(中略)更に前記一般式TiXjの様々な合金は例えば部分的に結晶性である時でさえも高引張強さ、高硬度、延性および耐食性という望ましい特性を持つことが発見された。」(第七頁右上欄第九行ないし右下欄第四行)、「この発明の範囲内の無定形金属ストランド、針金、シート等は補強用途などの様々な用途があり、例えばタイヤコードとして、あるいは熱可塑性、熱硬化性成形プラスチツクの補強材として(中略)の用途がある。」(第六頁右下欄第二行ないし第九行)と記載されていることが認められる。
右認定の記載によれば、引用例記載の発明は、簡単な方法により高度の安定性を持ち、かつ望ましい物理特性を持つ針金状、すなわち横断面がほぼ円形のフイラメント状の無定形合金を得ることを目的とし、その式TiXjの組成で示される合金は、引張強さ、硬度、熱安定性を有し、タイヤコードなどの用途を有するものと認められ、引用例にいう「無定形」が本願発明にいう「非晶質」を意味することは前掲甲第三号証全体の記載内容から明らかである。
(三) 前記(一)及び(二)の認定事実に基づいて、本願発明と引用例記載の発明とを対比すると、本願発明の非晶質金属合金の組成を示す一般式における成分M(鉄、コバルト、ニツケルの群から選ばれる一の元素)、M′(鉄、コバルト、ニツケルの群から選ばれるM以外の一又は二の元素)、Cr(クロム)、M″(バナジウム、マンガン、モリブデン、タングステン、ニオブ、タンタルの群から選ばれる少くとも一の元素)は、いずれも引用例の明細書の項の特許請求の範囲に記載された非晶質金属合金の組成を示す一般式においてT成分とされた遷移金属又はそれらの混合物(前掲甲第三号証によれば、右明細書の項の発明の詳細な説明において、T成分のうち遷移金属は、スカンジウム、イツトリウム、ランタン、アクチニウム、チタン、ジルコニウム、ハフニウム、バナジウム、ニオビウム(ニオブ)、タンタル、クロム、モリブデン、タングステン、マンガン、テクネチウム、レニウム、鉄、ルテニウム、オスミウム、コバルト、ロジウム、イリジウム、ニツケル、パラジウム、プラチナ、銅、銀、金を含み、T成分は右遷移金属又はそれらの混合物((第八頁右上欄第九行ないし左下欄第一四行))であるとされていることが認められる。)に包含されるものであり、また、本願発明の非晶質金属合金の組成の中の右M、M′、Cr、M″以外の成分であるB(ホウ素)は、引用例記載の非晶質合金を示す一般式におけるX成分(アルミニウム、アンチモン、ベリリウム、ホウ素、ゲルマニウム、炭素、インジウム、リン、シリコンからなる群から選択される元素又はそれらの混合物)に包含されるものであることが明らかであるから、本願発明の非晶質金属合金の成分及び成分割合は引用例記載の非晶質金属合金の成分及び成分割合に包含され、両者はその構成において上位概念(引用例記載の発明)と下位概念(本願発明)の関係にあるというべきである。
そして、前記(一)及び(二)の認定事実によれば、本願発明の非晶質金属合金と引用例記載の非晶質金属合金とは引張強さ、硬度及び熱安定性を有するものであることにおいて同一性質のものであるということができる。
なお、本願発明の要旨における「改善された極限引張強さと硬度とを有する熱安定性」なる性質の限定が、この性質が要求される種々の用途を総括的に表現するものとしても理解できるとして、本願発明及びこれと同じ性質を持つ引用例記載の発明の用途の異同をみるに、前記(一)及び(二)の認定事実によれば、両発明に係る非晶質合金はいずれもタイヤコードに供されるものであることにおいて共通するものであるということができる。
この点について原告は、被告の本願発明と引用例記載の発明の効果の対比に関する主張に対する反論中で、引用例に用途としてタイヤコードが記載されていても、引用例記載の発明の目的、その成分及び成分割合が広範囲であること、引用例に熱安定性に優れていることの認識がないこと、引用例記載の発明の出願当時、タイヤコードに実用可能な非晶質金属合金は存在しなかつたことなどを挙げて、用途の潜在的可能性として述べられているにすぎない旨主張する。
しかしながら、引用例には、前述のとおり、この発明の一つの目的は「簡単に冷やされ無定形状態になり、高度の安定性を持ち、かつ望ましい物理特性を有する新規無定形金属組成物を供給することである」と記載され、かつ、この発明の特性は「その無定形状態は一層簡単に得られ、その上一層熱安定性である」と記載されているほか、前掲甲第三号証によれば、引用例には実施例2として「改良された熱安定性と、曲げに対する高柔軟性、強度および耐食性を有する合金を得た」(第九頁左下欄第九行、第一〇行)との記載があること、原告の指摘するとおり「熱処理はこの発明の無定形金属合金の場合は省かれる」(第七頁左下欄第五行、第六行)との記載が存するが、右記載は、その前段の「またこれら延性サンプルの場合、三五〇、〇〇〇psiまでの引張強さはその冷却状態で得られた」(同欄第二行、第三行)との記載、及び後段の「Fe76P15C4B1Si1Al3のような合金から、その溶融物を直接冷却することにより、商品としてそのまま採用できる安価で高引張強さを持つた針金を形成できる」(同欄第六行ないし第九行)との記載からみて、引用例記載の非晶質金属合金針金は溶融物を直接冷却したのみで、すでに高引張強度の製品が得られるので、通常の結晶質の金属にしばしば用いられる引張強度向上のための熱処理を省略することができることを教示しているものであり、引用例には熱安定性に対する認識がないとか、引用例が熱処理を避けることを示唆しているとかいうことはできないことが認められ、引用例は、叙上のとおり熱安定性に優れた非晶質金属合金を提供することをその発明の目的とし、その成分及び成分割合のものは熱安定性に優れていることを説明した上、その用途としてタイヤコードを開示しているものであるから、仮に引用例記載の発明に係るような非晶質金属合金のタイヤコードとしての実用可能性が確認されたのが引用例記載の発明の出願後であつたとしても、引用例記載の発明は熱安定性の点で本願発明と共通のタイヤコードという用途に供されるものというべきであつて、原告の前記主張は理由がない。
2(一) 原告は、本願発明は、引用例記載の発明の式TiXjにおけるX成分としてホウ素のみを選択することを必須要件とし、これによつて顕著な効果を奏するものであるから、いわゆる選択発明として特許すべきである旨主張する。
いわゆる選択発明は、構成要件の中の全部又は一部が上位概念で表現された先行発明に対し、その上位概念に包含される下位概念で表現された発明であつて、先行発明が記載された刊行物中に具体的に開示されていないものを構成要件として選択した発明をいい、この発明が先行発明を記載した刊行物に開示されていない顕著な効果、すなわち、先行発明によつて奏される効果とは異質の効果、又は同質の効果であるが際立つて優れた効果を奏する場合には先行発明とは独立した別個の発明として特許性を認めるのが相当である。この選択発明の特許性は、従来主として有機化合物の技術分野において問題とされてきたが、本願発明のような合金の技術分野においても成立し得るものと解すべきである。
そして、選択発明とされるものが先行発明が記載された刊行物(以下刊行物が明細書であつて、先行発明が特許請求の範囲に記載されている場合について述べる。)中に具体的に開示されていないかどうかは、もとより先行発明の明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて判断すべきものであるが、右判断は、特許請求の範囲に要約された当該発明の構成に関する発明の詳細な説明の記載を実施例の記載を含めて斟酌してなすべきものと考えられる。
(二) 本願発明の非晶質金属合金の成分及び成分割合は引用例記載の非晶質金属合金の成分及び成分割合に包含され、両者はその構成において上位概念(引用例記載の発明)と下位概念(本願発明)の関係にあり、かつ、両者は引張強さ、硬度及び熱安定性を有するものであることにおいて同一性質のものであることは前記1認定のとおりであり、前掲甲第三号証によれば、引用例に記載された実施例1ないし29中には、式TiXjにおけるX成分としてホウ素のみを選択した非晶質金属合金は一例もなく、発明の詳細な説明中にこの点についての具体的な開示は存しないことが認められる。
したがつて、本願発明の非晶質金属合金の持つている前記引張強さ、硬度及び熱安定性という性質によつて把握される本願発明の効果が引用例記載の発明に比して際立つて優れたものであることが認められる場合には、本願発明は引用例記載の発明とは別個の発明として特許性を付与されるというべきである。
被告は、選択発明の成立要件の一つとして後行発明が先行発明を記載した刊行物中に具体的に記載されていないことを要するとした上で、合金に関する発明である本願発明及び引用例記載の発明についても、有機化合物の用途発明についてとられている処理の仕方と同様に、先行発明の特許請求の範囲に記載された化合物の各部位の置換基がマーカツシユ型式によつて限定されている場合には、一つの特許請求の範囲に記載された化合物に該当する化合物で実施例に挙げられていないものについては、実施例に挙げられている化合物と均等な効果を奏するという意味において実質的に記載があるものとみるべきところ、引用例記載の発明は特許請求の範囲において構成要件の一部がマーカツシユ型式で限定されているから、引用例に記載の実施例1ないし29中にはX成分としてホウ素を単独で含む例は一例もないとはいえ、右実施例はすべてがX成分としてホウ素のみを含む合金と均等な合金についての実施例というべきであり、その結果として、引用例にはX成分としてホウ素のみを含む合金についても実質的に開示があつたことになる旨主張する。
いわゆるマーカツシユ型式は、化学関係特許に用いられる特許請求の範囲の表現型式であつて、二以上の物質又は官能基等の名を列記し、「そのなかから選択されたもの」という型式でこれを表現するものであり、引用例の式TiXjにおけるX成分が形式的にはこの型式を用いたものであることは前記1(二)認定の事実から明らかであるが、マーカツシユ型式で記載されているからといつて、特許請求の範囲に記載された物質又は成分割合のおのおのについて具体的技術内容が開示されていないのに、その開示されていない物質又は成分割合を選択したものについても、これが実質的に開示されているとすることは、単なる擬制にほかならないのみならず、およそ先行発明の特許請求の範囲がマーカツシユ型式で表現されている場合は、たとえ後行発明が顕著な作用効果を奏することが証明されても、選択発明の特許出願をいわば門口で退けることにもなり、相当でない。
ちなみに、産業別審査基準「有機高分子化合物」(その1)には、明細書の特許請求の範囲の記載が特許法第三六条所定の要件を備えているかどうかの判断基準の一つとして、特許請求の範囲の表現型式としての一群の化合物の総括的表現(上位概念又はマーカツシユ型式による表現を含む。)は、「それに内包される個々の化合物が、その発明において発明の作用および効果上均等であることを認めうる場合以外は原則としてこれを使用してはならない。」(3.62)と定められているが、これは、総括的表現に内包される個々の化合物が発明としての作用効果上均等であると認め得る場合でなければ、明細書がその発明をまとまりのある一つの技術的思想として開示したことにならないのみならず、明細書の発明の詳細な説明に照らし、個々の化合物が発明としての作用効果上均等であると認め得ない場合には、発明の詳細な説明の記載と一群の化合物を総括的に表現した特許請求の範囲の記載との脈落が断たれ、特許請求の範囲の記載が発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことができない事項のみを記載したことにならないからにほかならず、右判断基準はもとより相当であり、その考え方は合金の場合にこれを準用することができるが、そうであるからといつて、選択発明の成否を決めるに当つて、後行発明が、先行発明が記載された明細書に具体的に記載されていないかどうかを検討する場合、被告主張のように先行発明の特許請求の範囲がマーカツシユ型式で表現されているときは、明細書に実施例として具体的に挙げられていない組成物も、実施例に挙げられている組成物と均等な効果を奏するはずのものであるから、実質的に開示されているものとみるべきであるとして、選択発明の成立を認めないことは、先行発明の明細書に具体的に開示されている化合物であればこそ、そのような化合物をことあらためて後行発明の内容として特許を求めることは特許制度の趣旨に添わないから許されないとする選択発明の成立要件の意義及び限界から大きく離れることとなり、到底首肯することはできない。それゆえ、被告の主張は採用できない。
(三) そこで、本願発明は、引用例記載の発明と対比して、引張り強さ、硬度、及び熱安定性において際立つて優れた効果を奏するものであるかについて検討する。
(1) まず、引張り強さについては、引用例には、前述のとおり三五万psi(三五〇ksi)までの引張強さはその冷却状態で得られたとの記載があり、かつ、前掲甲第三号証によれば、引用例記載の発明の実施例1に、成分Fe,P,C,SiおよびAlの生成混合物からなる合金:Fe76P15C5Al3Si1が三五万psiの引張強さを示した(第九頁左上欄第一三行ないし右上欄第一四行)と記載されていることが認められるのに対し、成立に争いのない甲第四号証(アーネスト・デイ・バフ作成の書簡)によれば、右書簡には、本願発明の成分及び成分割合に属するMa Be, Ma M′b Be, Ma Crc Be, Ma M′b Crc Be, Ma M″d Be, Ma M′b M″d Be, Ma Crc M″d Beの合計四五例(ただし、一例において、「具体的金属」欄にホウ素の記載をその原子%の表示と共に脱漏している。)について、硬度(DPH)、極限引張強度(ksi)、結晶化温度(度C)を実験した結果が記載されているが、その中のFe85B15,Ni58Mn20B22,Ni65Mo20B15の極限引張強度はそれぞれ三五二ksi、三五三ksi、三六五ksiであることが認められるから、本願発明の成分及び成分割合に属する右以外の例における極限引張強度がこの数値より非常に高いものであつても、本願発明の非晶質金属合金のすべてが引用例に具体的に記載された非晶質金属合金より引張強さの点で格別際立つて優れているということはできない。
(2) 次に、硬度については、引用例には、前述のとおり引用例記載の非晶質金属合金の持つ物理特性の一つとして高硬度が挙げられているから、硬度において優れているものということができるが、前掲甲第三号証によれば、引用例には硬度についての具体的な数値は示されていないことが認められるから、引用例の記載そのものから本願発明と引用例記載の発明の効果を対比することはできない。しかしながら、前掲甲第二号証の一ないし四によれば、本願明細書(特許願書添付の明細書第四頁第四行ないし第六頁第二行、昭和五七年一一月二七日付手続補正書第三頁第八行ないし第一三行)には、引用例たる公開特許公報の明細書の特許請求の範囲(1)に記載された式MaYbZcを持つものとともに式TiXjを持つものが記載され、「これら非晶質合金が発明された時これら合金は当時知られている多結晶質合金より優れた機械的性質を示した。この様な優れた機械的性質としては三五万psiに達する極限引張強度、約六〇〇~七五〇DPHの硬度値及び良い延性がある。」と記載されていることが認められ、ほかに引用例記載の非晶質金属合金の硬度が右記載と異なることを認めるに足りる証拠はないから、引用例記載の非結晶金属合金の硬度は本願明細書の右記載に従つて約六〇〇~七五〇DPHであると認めるのが相当である。
これに対し、前掲甲第四号証によれば、本題発明の成分及び成分割合に属するFe85B15,Ni58Mn20B22,Ni65Mo20B15の硬度はそれぞれ七四三DPH、七四七DPH、七七一DPHであることが認められるから、本願発明の成分及び成分割合に属する右以外の例における硬度がこの数値より非常に高いものであつても、本願発明の非晶質金属合金のすべてが引用例に具体的に記載された非晶質金属合金より硬度の点で際立つて優れているということはできない。
(3) さらに、熱安定性については、引用例は、前述のとおり、熱安定性に優れた非晶質金属合金を提供することを目的とすることを開示し、その成分及び成分割合のものは一層熱安定性に優れているとの記載があるが、前掲甲第三号証によれば、引用例にはこの熱安定性を結晶化温度をもつて具体的に記載していないことが認められ、ほかに引用例記載の非晶質金属合金の結晶化温度を認めるに足りる証拠は存しない。
一方、前掲甲第四号証によれば、本願発明の成分及び成分割合に属する非晶質金属合金の四五例の結晶化温度は三七三度Cないし六一五度Cを示していることが認められる。
しかしながら、引用例記載の非晶質金属合金も熱安定性の点で優れたものである以上、原告において引用例に具体的に示されている非晶質金属合金の結晶化温度について立証しない限り、本願発明の非晶質金属合金と対比して熱安定性の優劣を論ずることはできない(前掲甲第二号証の一ないし四によれば、本願明細書には、「半金属の中でも特に燐を含有する鉄、ニツケル、コバルト及びクロムを含む大抵の非晶質金属合金組成物は(中略)結晶化温度約四〇〇~四六〇度Cを現わす。」((特許願書添付の明細書第一一頁第一行ないし第五行、昭和五七年一一月二七日付手続補正書第四頁第一一行))と記載され、引用例に具体的に開示されたものではないが、引用例の式TiXjの成分及び成分割合内であつて、本願発明のとX成分を異にするFe76P16C4Si2Al2,Fe30Ni30Co20P13B5Si2Fe74.3Cr4.5P15.9C5B0.3の結晶化温度はそれぞれ約四六〇度C、約四一五度C、四四六度Cである((特許願書添付の明細書第一一頁第五行ないし第一二行、昭和五七年一一月二七日付手続補正書第四頁第一二、第一三行))と記載されていることが認められ、本願発明の非晶質金属合金にはこれより低い結晶化温度のものを含んでいることからみても、本願発明の非晶質金属合金のすべてが引用例記載の非晶質金属合金より結晶化温度において優れているとはいえない。)から、本願発明の非晶質金属合金が引用例に具体的に開示されている非晶質金属合金より際立つて優れた熱安定性を有するものとはいえない。
原告は、本願発明において特に重要なことは優れた熱安定性を有する非晶質金属合金であることであるとし、本願発明の非晶質金属合金は従来技術の非晶質金属合金と異なりかみそりの刃及びタイヤコードへの適用に当たつて受ける熱処理によつて脆化しない旨主張する。
しかしながら、前掲甲第二号証の一ないし四によれば、本願明細書には、「合金が、中でも、高い引張強度、高い熱安定性及び製作の容易さをもつことを要求する多くの用途がある。例えばかみそり刃の用途で使われる金属リボンは四ふつ化ポリエチレンの適用した被覆を金属に結合するために通常約三〇分間約三七〇度Cの熱処理を受ける。同様にタイヤコードとして使われる金属繊維束はタイヤゴムをこの金属に結合するために約一時間約一六〇~一七〇度Cの熱処理を受ける。」(特許願書添付の明細書第八頁第一一行ないし第九頁第四行)と記載され、一方、従来技術の非晶質金属合金については、「約二〇〇~三五〇度Cの温度範囲におけるこれら組成物の熱安定性は例えば二五〇度Cで一時間または三〇〇度Cで三〇分または三三〇度Cで五分間の熱処理後の脆化傾向」(同第一一頁第一二行ないし末行)を持つと記載されていることが認められ、原告のいう従来技術の非晶質金属合金でも二五〇度Cで一時間までの熱処理に耐える(二五〇度Cで一時間の熱処理で脆化するということは、二五〇度Cで一時間までは脆化しないことを意味する。)のであるから、充分にタイヤコードに適用できるものであり、この点において本願発明の非晶質金属合金が著しく優れた熱安定性を有するということはできない。
また、原告は、本願発明の非晶質金属合金は熱処理後にも延性であり、この点からしてもその熱安定性が優れていることが確認できる旨主張する。
前掲甲第二号証の一ないし四によれば、本願明細書には、本願発明の非晶質金属合金は「二〇〇度C一時間の熱処理の後も延性でかつ充分に非晶質のままであつた。」(特許願書添付の明細書第二七頁第八行、第九行、昭和五七年一一月二七日付手続補正書第六頁第九行)と記載されていることが認められる。しかしながら、前掲甲第三号証によれば、引用例には、その非晶質金属合金は著しく延性であつてその厚さより小さい曲率半径を超えて曲げることができ、ハサミで切ることができる(第七頁右上欄第一三行ないし左下欄第二行)旨記載されていることが認められるから、引用例記載の非晶質金属合金も延性である点においては本願発明の非晶質金属合金と異ならないのであつて、ただ、前掲甲第三号証によれば、引用例には熱処理後の延性についての記載がないことが認められ、この点について本願発明の非晶質金属合金との優劣を論ずることができない以上、このことを理由に本願発明の非晶質金属合金が著しく優れた熱安定性を有することはできない。
(4) 前記(1)ないし(3)の認定事実によれば、本願発明の非晶質金属合金は引用例に具体的に記載された非晶質金属合金と対比して、改善された引張り強さ、硬度、熱安定性という効果において量的に際立つて優れた効果を奏するものと認めることはできないから、本願発明はいわゆる選択発明として特許されるべきものではない。
3 以上のとおりであつて、本願発明の非晶質金属合金の成分及び成分割合は引用例に式TiXjで示された非晶質金属合金の成分及び成分割合に包含されるものであり、本願発明は引用例記載の発明と同一であるから、審決の認定、判断は正当であつて、審決には原告主張の違法はないというべきである。
三 よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担及び上告のための附加期間について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第一五八条第二項の各規定を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 蕪山嚴 竹田稔 塩月秀平)