東京高等裁判所 昭和61年(う)1100号 判決 1986年12月23日
主文
原判決を破棄する。
被告人乙男を懲役一二年に、被告人甲女を懲役六年に処する。
被告人両名に対し原審における未決勾留日数中各一八〇日を右それぞれの刑に算入する。
理由
本件各控訴の趣意は、被告人乙男につき弁護人橋本保則、同夏井恒一の連名で提出した控訴趣意書、被告人甲女につき同被告人及び弁護人川村正敏の各提出した控訴趣意書並びに弁護人坂上勝男、同池田桂一の連名で提出した控訴趣意書に各記載されているとおりであり、これらに対する答弁は検察官辻田耕作の提出した答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。
控訴趣意中、事実誤認の論旨について
一、被告人甲女の殺意について
論旨は要するに、被告人甲女には中沢弘を殺害する意思はなく、同被告人の所為は傷害致死罪にあたるに過ぎない、というのである。
しかしながら、原判決が罪となるべき事実として、被告人甲女が中沢を殺害しようと決意して流し台の中から取り出した洋包丁(刃渡り約一五・五センチメートル)を隠し持っているうち、その意図を察知した被告人乙男と共謀のうえ、同被告人に右包丁を渡して中沢を殺害するに至つた旨認定判示するところは、その挙示する証拠によつて正当として是認することができ、当審における事実取調の結果によつてもなんら左右されるところはない。以下、所論に沿つて、その主要な点につき付加説明することとする。
所論は、右殺意を認めた被告人甲女の検察官に対する昭和六〇年一〇月二日付供述調書の内容は信用できず、同被告人が洋包丁を手にしたのは、右包丁で自分を傷つければ中沢が驚いて落着くと思い、また、若しもいよいよ危くなつたときはそれで相手を刺して身を守ろうと思つたのであつて、被告人乙男が右包丁を用いて中沢を刺すとは思わなかつたものであるという。
そこで按ずるに、関係証拠によれば、被告人甲女は、かつて同棲していた中沢が覚せい剤事犯で服役中、被告人乙男と関係を持ち続けていたところ、昭和六〇年八月二二日刑期を終えて出所した中沢は、同月二六日夜弟分の富沢秀夫を使つて被告人甲女を呼び出し、同被告人に対し、「てめえよくも俺の顔に泥を塗りやがつたな、覚悟しろ、刑務所の中でお前の始末は決めた。」などと脅かしたうえ、乙男と会つてはならない旨厳しく言い渡したのに続き、同月三〇日夜には被告人両名が被告人甲女方に居たところに押しかけて来て「やつぱりいたな、もう一歩もひかねえ、ヤクザの世界で女をとつたやつは殺されて当り前だ、殺してやる。」「あれほど逢うなと言つていたろう、甲女、お前は勘弁しない。」などと激しい言葉で難詰したこと、被告人らは中沢らから逃れるため九月四日頃秋田方面に行つたものの、互いの思いに齟齬が生じて同月一九日新潟市内に戻つたところ、翌二〇日夜中沢から命じられた富沢は、被告人乙男方と被告人甲女の勤め先を訪れて被告人両名を呼び出し、手錠を見せながら、「お前らが逃げるからワッパをはめて連れて来いと兄貴にいわれた。」と言い、また被告人甲女に缶コーラをすすめて、「これが最後なんだぞ、贅沢いつていられないんだぞ。」と言つて、被告人らを富沢のクリーニング店に連行し、持つて来た手錠を部屋内のテレビの上に置いたうえ、「本当に覚悟したらいいぞ、前の兄貴じやないぞ。」「お前ら殺されるのが分つてよく新潟へ帰つて来たな。」などと申し向けたこと、翌二一日午前一時頃中沢は、横地功と共に来て、木刀を店の棚に立てかけて部屋に入り、被告人乙男の坐つている場所が悪いと言つて同被告人を蹴り上げ、また被告人甲女に対して、顔面を手拳で殴打し髪を掴んで引張るなどしたうえ「お前みたいなのは体に聞かなければわからない。木刀をしよわせなけりやわからない。」と言つた後、被告人両名に向つて、「なぜ逃げた、お前ら覚悟しろよ、お前らの処分はもう決まつているんだ、乙男の処分はあれに頼んである、あいつなら俺のために体をかけるから。」と具体的な名前を挙げて言い、また「甲女は俺が直接やる。」と告げ、更に「お前ら別々に処分してやる、覚悟をきめろ、もう金の問題ではない、戻つて来たのはお前覚悟して戻つて来たんだよな。」などと言い続けるうち、午前五時頃横地が帰り、次いで午前八時頃富沢が近くの自分の家に行つて来ると言つて出掛けた後は、中沢一人が横になりテレビを見ていたが、この間被告人両名は膝を崩すことも許されず正座の状態で中沢らから監視され続けていたことが認められる。
ところで、所論が指摘する被告人甲女の検察官に対する昭和六〇年一〇月二日付供述調書においてその後の経過として同被告人が供述するところは大略次のようなものである。
私は、このような中沢らの言動からみて、どこか別のところに連れて行かれて殺されるにちがいないと思い、部屋に連れて来られたときに富沢が流し台の下の棚に隠した包丁のことを思い出し、これを取り出して店の方に置いた私のバッグの中に隠しておいて危なくなつたらこれで相手を刺して自分の身を守ろうと考え、中沢に「バッグを取らせて下さい」と頼んだところ、極めてつつけんどんに「そんなものいいから放つておけ。」と怒鳴られた。
私は、中沢が依然として私たちを許してくれる気持がないことを知り、このままでは富沢が食事から帰つて来たのち、私も乙男もどこかに連れて行かれて散々な目にあわされるか殺されてしまうものと思い、この場から逃れたい気持と、中沢の仕打に対する怒りの気持から富沢が帰らないうちに包丁を取り出して中沢を殺そうと思つた。
私が中沢を殺すしかないと思つたのは、所詮、中沢のすきを見て、あるいは中沢に傷を負わせてこの場から逃げ出すことができたとしても事態の解決にはならず、しかも後難を考えれば、生半可な対処では到底逃れ切れるものではないと思つたからで、中沢が電話をかけているすきに、流しの下から包丁を取り出してそのまま坐つている座布団の下にいつたん隠したのち、次に包丁をテーブルの上にあつたタオルに包み隠して自分の右脇に置いた。
私が流し台の下から包丁を取り出した様子、タオルに包み隠した様子は乙男も見ていたし、私は実行を躊躇しながら乙男に問いかけるような感じで乙男の方を見ると、乙男はうなづいて、こつちに寄こせと目で言つているようにして左の手のひらを開いて合図をしたので、乙男のこのしぐさから乙男も私と同じように、中沢を刺して死んでもらうしかないと考えていることがわかつた。
私は包んでいたタオルをとつて包丁を右手で乙男の手のひらに乗せるように渡し、乙男が中沢の方に向つて行き易いように少し後ろに下がつたところ、乙男が私のすぐ前を通つて中沢の真上まで行き、中沢の左首を突き刺した。
というものである。
右の供述内容は、当時の状況に照らし、被告人甲女の心の動きを自然になんら作為することなく表現しているものというべく、しかも被告人乙男が原審において甲女から包丁を受けとつた前後の状況や被告人甲女の表情から受けた感じとして供述するところとも齟齬するところがない。加えて、被告人甲女が被告人乙男に包丁を手渡せば同被告人が中沢を刺すものと考えていたことは、被告人甲女が包丁を手渡した後の自らの具体的動作として、被告人乙男が中沢の方に向つて行き易いように少し後ろに下がつたと供述し、また実況見分の際に同旨の指示説明をしているところからも明らかである。更に被告人甲女の原審での供述によれば、同被告人は右供述調書作成後の一〇月七日に川村弁護人と接見し、その際同弁護人に対して殺す気はなかつたんだと言い、同弁護人から取調があつたらそのことを言つた方がいいと言われていたが、同月一一日の検察官による取調の際も、それまでと同じく中沢に対する殺意を認める供述をしており、その後再び同弁護人と接見した際右のように供述したことを同弁護人に話さないまま公訴提起後同弁護人から右供述内容についての指摘を受けていることが明らかであり、右取調の状況についても、被告人甲女は、どうして私のいうとおりに書いてくれないのかと思い、それが切なかつた、というものの、いずれの調書についても読み聞かされた内容につき異議をいうことなく署名、指印し、この間別に検事が脅かしたり、大声を出してどなりつけたりしたことはなかつた旨述べているものであつて、被告人の検察官に対する前示一〇月二日付供述調書の内容につき信用性を疑わせるような事情は窺われず、同被告人が殺意をもつて被告人乙男に右包丁を手渡した旨の原判決の認定を左右し得るものではない。
所論は、被告人甲女が包丁を取り出した時点では監禁が始まつてすでに七時間を経過し、この間に脅迫の態様は稀薄化し、中沢に疲労もみられ、富沢は食事に出掛けるほどの余裕も生じていて、被告人甲女について恐怖感はあつたにしても殺害されるような具体的危険性はなく、中沢殺害を動機づけるものは見出し得ないという。
しかしながら、前叙した経過の後富沢が所用で出掛けたあとも、関係証拠によれば、中沢は部屋の隅に置かれたテレビの方に向つて足を伸ばし横になりながら、テレビを見ていたとはいえ、依然として、被告人らに正座を強いた状態でその監視を続けていたことが明らかで、富沢が外出した後は前示の如き脅迫の文言を申し向けたり、暴行を加えたりすることはなくなつたものの、被告人甲女らにとつて事態が打開される様子は依然としてなく、このままでは殺害されるかも知れないとの恐怖の気持がなお続いていた旨をいう被告人甲女の検察官に対する供述は首肯し得るものということができ、右所論は採用できない。
所論はまた、被告人乙男と中沢の間はテーブルを挟み、かつ距離的に離れていて、直ちに中沢の頸部を正確に刺すことは物理的に不可能であり、従つて被告人甲女が中沢に対して殺意を生じる状況にはなかつたのに、刺突が生じるに至つたのは折れるはずのないテーブルの脚が折損するという偶然の事態になつたからであつて、原審は右の関係を十分審理し判断すべきであるのに、右についての審理を尽くさず、事実を誤認するに至つた旨主張するが、前叙の如く被告人甲女は被告人乙男に包丁を渡した後、同被告人が中沢の方に向つて行き易いように少し後ろに下がつているもので、この動作は被告人乙男が刺突に及んだ際の具体的状況如何にかかわらず被告人甲女についての殺意の存在を示すものであり、また実況見分の際被告人甲女、同乙男の各指示説明した被告人乙男及び中沢のそれぞれの位置及び姿勢、テーブルの形態及び材質に徴すれば、被告人乙男が中沢に対して刺突行為に及べないような状況にあつたともみられないところであつて、右所論も採用できない。
以上、被告人甲女の前示検察官に対する供述調書の内容は信用し得るものであり、そのほか所論が縷々指摘するところを検討しても同被告人の中沢に対する殺意を認めた原判決の認定に事実の誤認は存しない。論旨は理由がない。
二、被告人乙男及び同甲女の過剰防衛について
論旨は要するに、被告人乙男、同甲女の中沢に対する殺害行為及び被告人乙男の富沢に対する殺害行為は、いずれも、中沢、富沢らによつて監禁状態におかれ、自己の生命、身体に対する危険にさらされた被告人両名が、右の急迫不正の侵害状態を脱出しようとして敢行した行為であり、防衛の意思をもつて為されたことは明らかであるのに、原判決が、被告人両名に対する不正侵害が現在していることを肯定しながら、被告人らの所為は不正侵害に相応した防衛行為とみることはできないし、また防衛意思をも欠くものであるとして、右殺害行為のいずれも過剰防衛に当らないと判断したのは事実を誤認するものである、というのである。
そこで先ず中沢に対する所為について按ずるに、被告人らは八月二六日頃以降両名の仲を中沢に厳しく追及されるうち、一時連れ立つて秋田方面に逃れていたが、九月一九日頃新潟市内に戻つて来たところを中沢らに察知され、同月二〇日夜弟分の富沢が被告人らに対し手錠をはめて連れて来いと中沢にいわれていると言い、また被告人甲女には、最後だからコーラを飲むように言うなどして富沢のクリーニング店に被告人両名を連行したこと、翌二一日午後一時頃中沢も横地を伴い、木刀を手にして店に来た後、中沢が被告人両名に向つてそれぞれ前示の如く蹴つたり殴つたりするなどの暴行を加え、被告人甲女に対しては木刀で殴りかねない態度を示したうえ、「なぜ逃げた、お前ら覚悟しろよ、お前らの処分はもう決まつているんだ。乙男の処分はあれに頼んである、あいつなら俺のために体をかけるから。甲女は俺が直接やる。お前ら別々に処分してやる。覚悟をきめろ。」などと言い続け、この間被告人両名を正座させたままにしておくなどの言動に及んでいること、午前五時頃横地が帰り、次いで午前八時頃富沢が所用で出掛けて中沢のみとなつたのちも、同人は横になつてテレビを見ていたが、テーブルを間にして被告人両名の傍らに位置し、依然として被告人らを正座させていたこと、右の如く中沢は富沢と意思相通じて二一日午前一時頃以降被告人両名を富沢の店の部屋内に閉じ込めたうえ被告人らを処分する意思である旨を言い続け、富沢が外出した後も被告人両名に対する監視を止めようとはしない態度をとり続けていたことは、すでに前示一において詳述したとおりであつて、被告人両名に対する急迫不正の侵害状態は富沢の出掛ける以前においては勿論、午前八時頃富沢が外出した後においても依然として存したというべきである。右のように中沢には被告人らに対する前示の厳しい態度を改める気配が一向に見えないという状況の中で、被告人甲女が前叙の如くこのままでは富沢が食事をして帰つて来た後被告人乙男と共にどこかに連れて行かれて殺されてしまうか、乱暴され或いは覚せい剤を射たれたりして売り飛ばされるなどされるのではないかと思い、この場から逃げ出したい気持と中沢に対する怒りの気持が半々に生じ、中沢から逃れるためには同人を殺すしかないと考えるに至り、また被告人乙男も検察官に対する供述調書において、「私は中沢や富沢が朝食をとつたのち殺されるのではないかと怖くてたまらなかつた。甲女が流しの下の扉を開けて包丁を取り出したのを見て、甲女が中沢を殺すつもりではないかと考えた。私は中沢やその仲間から私や甲女が殺されるくらいなら中沢が一人になつた隙に甲女が手にしていた包丁を使つて殺してやろうと考えた。」旨述べているように、中沢に殺されるくらいならば同人を殺してでも逃げようと考え、そこで、被告人両名が意思相通じて中沢を殺害するに至つたことは明らかである。してみれば、被告人両名は再三にわたつて中沢らから生命、身体へ危害を加えることを予告する脅迫をうけ、あるいは殴る蹴る、頭髪を引つぱるなどの暴行をうけ、およそ八時間余りに及ぶ監禁状態のもとにおかれたもので当時中沢らによる急迫不正の侵害が現在していたことが明らかであり、しかも被告人両名は、中沢らによつて殺されるのではないかとの不安にかられ、このような監禁状態から脱出して自らの身を防衛しようとの意図のもとに中沢殺害の所為に出たものというべく、被告人らの右所為をもつて、中沢らによつて殺されるのではないかとの不安から先制攻撃として中沢殺害に及んだもので防衛意思にも欠けるものと評価するわけにはいかない。従つて、被告人両名の中沢に対する本件殺人は急迫不正の侵害に対する防衛行為ではあるが、右行為は客観的にみて、防衛に必要かつ相当な程度を超えていたことも否定できないところであるから、過剰防衛にあたると認定するのが相当であつて、過剰防衛にも当らないとした原判決には事実の誤認が存するものといわざるを得ない。
次に富沢に対する被告人乙男の所為についてみるに、関係証拠によれば、被告人乙男は、中沢を刺した後被告人甲女に対して、富沢が来るか見てくれ、と大声で言い、これに応じて外に出て行つた同被告人から、間もなく富沢が帰つて来た旨知らされるや、中沢を刺したことが富沢に知れると、富沢が被告人両名を殺すかも知れないと考えて中沢の左胸に刺してあつた包丁を抜き取り、富沢に見つかつたときには同人を殺してやろうという気持のほか逃げられるものなら逃げようという気持もあつて、店の出入口に向つたところ、出入口の前に停められた車の運転席から富沢が出てこようとしているのに気付き、富沢を殺さなければ同人に仕返しをされると考えて、運転席から降り立つた富沢の右胸あたりを力一杯包丁で突き刺し、同人が運転席に入り込んだのを見て、その臀部を更に包丁で突き刺したことが認められる。右の経過に照らせば、被告人乙男は富沢からの仕返しを怖れてこれから未然に逃がれるため同人の殺害に及んだものではあるが、右の時点においては、被告人両名はすでに中沢及び富沢らによる監禁状態から解放され、しかも富沢はそのとき車で店に戻つたばかりで被告人乙男に対しなんらの侵害行為にも及んでいなかつたものであるから、右の状態の富沢に対しやにわにその右胸部を包丁で突き刺した被告人乙男の所為をもつて急迫不正の侵害に対する行為とみることはできない。したがつて、富沢に対する過剰防衛をいう所論は採用できない。
以上、原判決には被告人乙男、同甲女の中沢に対する殺害につき過剰防衛を認めなかつた点において事実の誤認があつて、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、被告人甲女に関して原判決は破棄を免れず、また被告人乙男に関しても、原判決は中沢に対する殺人の罪を富沢に対する殺人の罪と併合罪の関係にあるものとして処断し主文において一個の刑を言い渡しているのでその全部について破棄を免れず、論旨は右の限度において理由がある。
よつて、その余の控訴趣意について判断するまでもなく、刑訴法三九七条一項、三八二条により被告人両名につき原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所において被告事件につき更に判決をすることとする。
原判決が認定した「犯行に至る経過」及び「罪となるべき事実」のうち第二の事実のほか、第一の事実として、
「被告人甲女は、台所の流し台の棚にある包丁に思い到り、中沢の行動から身を守るのに用いることにして右包丁をバッグに隠し入れるため、中沢に対して離れたところに置いてあるバッグを取らしてくれるように言つたが、これを聞き入れなかつた中沢の言葉の調子からみて到底被告人乙男との間のことを許して貰えないものと思い、このままでは富沢が帰つて来たら中沢が言つていたように同人にどこかに連行されて殺害されたりするのではないかなどと思いをめぐらした挙句、この場から逃れるためには中沢を殺害するほかないものと考え、これまで同人から執拗に暴行、脅迫などを受けて苦しめられて来たことに対する憤りも加わつて、富沢がいない間に中沢を殺害しようと決意し、同日午前八時三〇分頃、前記富沢方台所の流し台の中から、洋包丁一丁(当庁昭和六一年押第三二五号の1、刃渡り約一五・五センチメートル)を密かに取り出していつたん座布団の下に入れた後、これを出してタオルで包み隠して脇に置き、その場に座つたまま被告人甲女の左斜め前に横になつてテレビを見ている中沢の様子を窺い、目に入つた同人の首筋を刺せばよいと考えたものの躊躇するうち、右斜め前に正座させられていた被告人乙男と目が合い、被告人乙男も被告人甲女と同様にそれまでの中沢の言動からこのままでは同人に殺害されるものと考えていたところ右被告人甲女の行動を見ていてその意図を察知し自らの手で中沢を殺害することを決意して、被告人両名は暗黙裡に意思を相通じ前示の中沢らによる監禁状態から脱出し、自らの身を防衛しようとの意図のもとに中沢殺害を共謀のうえ、被告人乙男が被告人甲女から右包丁を受け取るや、直ちにこれを両手で逆手に握つて飛びかかり、同所で横になつてテレビを見ていた中沢の左頸部、次いで左胸部を防衛の程度を越えてそれぞれ各一回突き刺し、よつてその頃その場において同人を左頸動脈切断により失血死させて殺害し」
との事実を原判決挙示の関係証拠によつて認定し、被告人両名の右第一の所為はいずれも刑法六〇条、一九九条に、被告人乙男の第二の所為は同法一九九条にそれぞれ該当するので、所定刑中いずれも有期懲役刑を選択し、被告人乙男につき、以上は同法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文一〇条により重い第二の罪の刑に同法一四条の制限に従い法定の加重をしてその刑期範囲内で、また被告人甲女につきその刑期範囲内で処断することにして、犯情をみるに、被告人らがそれぞれ本件各犯行に至つたについては前叙の如く被害者らの言動に起因するところが大きいとはいえ、被告人甲女は、目前の危険状態から逃れたいとの心情のほかに中沢に対する憤りの気持ちも加わつて同人殺害を決意したうえ、包丁を取り出すことによつて被告人乙男による犯行を導き出し、被告人乙男は、右の如く包丁を取り出した被告人甲女の挙動に引きずられた面があるというものの、中沢の虚を衝いて自ら同人の殺害を実行し、富沢に対してもいきなり刺突の所為に出たもので、結果の重大性、被害者らの遺族の心情をもあわせ考えると、被告人両名の刑責は重いものといわざるを得ず、なお被告人らが犯行後直ちに自首し、また死の結果を生じさせたことにつき反省の意を示していること、被告人甲女の身内の者が中沢の遺族に対して慰藉に努めていること、被告人両名の中沢に対する犯行は過剰防衛行為であること、そのほか被告人甲女に前科なく、被告人乙男も罰金刑に処せられたことがあるのみであるなどの有利な諸事情を斟酌したうえで、被告人乙男を懲役一二年に、同甲女を懲役六年に処し、同法二一条により被告人両名に対し原審における未決勾留日数中各一八〇日を右それぞれの刑に算入し、原審における訴訟費用につき刑訴法一八一条一項但書により被告人両名に負担させないこととする。
よつて、主文のとおり判決をする。
(裁判長裁判官高木典雄 裁判官渡邉一弘 裁判官近江清勝)