大判例

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東京高等裁判所 昭和61年(う)299号 判決 1986年9月08日

本籍

山梨県甲府市中央二丁目二〇六番地

住居

同県同市中央二丁目七番三号

会社役員

立川昭雄

昭和三年六月九日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六一年一月一三日甲府地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人か控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官土屋眞一出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人大森綱三郎名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官土屋眞一名義の答弁書に、それぞれ記されたとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討すると、本件は、「立川ケース製作所」の名称で印章用ケース等の製造卸業を営んでいた被告人が、自己の所得税を免れようと企て、売上の一部を除外するなどの方法により所得を秘匿したうえ、昭和五六年ないし昭和五八年分の各所得につき、虚偽過少の金額を記載した所得税確定申告書を提出し、合計一億八八〇万九七〇〇円の所得税をほ脱したという事案であって、脱税額が多額で、税ほ脱率も全体で約九三・九パーセントに達していること、脱税の動機にも特に斟酌すべき点はないことを考え合わせると、被告人の刑責は軽視できない。

したがって、被告人が修正申告のうえ所得税本税及び住民税を完納し、重加算税等については現在分納中であること、被告人が反省していること、従来個人経営であった事業を法人化し経理システムの改善に努めていることなど被告人ために酌むべき諸事情を十分に考慮し、かつ、この種税法違反事件に対する量刑の実情を考慮しても、被告人を懲役一年二月及び罰金三〇〇〇万円(ほ脱税額の約二七・六パーセントにあたる。)、懲役刑につき三年間執行猶予に処した原判決の量刑は、罰金額の点

含めて重過ぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 森岡茂 裁判官 小田健司)

○ 控訴趣意書

被告人 立川昭雄

右の者に対する所得税法違反被告事件についての控訴の趣意は次のとおりである。

昭和六一年三月二四日

弁護人

弁護士 大森鋼三郎

東京高等裁判所第一刑事部 御中

控訴の理由は量刑不当である。

原判決が言渡した懲役一年二月(執行猶予三年間)、罰金三、〇〇〇万円は、被告人にとってきわめて苛酷なものであり、とうてい納得できるものではない。客観的にみても執行猶予の点以外は求刑どおりであって、被告人に有利な情状を正しく考慮したものとはいいがたい。又、他の事例に比べても、きわめで重いものであって、量刑不当は明白である。

以下具体的に論ずる。

第一 被告人に有利な情状と量刑不当

被告人は、本件公訴事実について、国税庁の査察の段階の当初から、深く反省し、率直に事実を認めており、争いはない。そこで原審においては、専ら情状の点について主張し、立証してきた。

原審において明らかになった情状は次のとおりであり、弁論において十分に強調されたところである。これらの情状を勘案すれば懲役一年二月、罰金三〇〇〇万円という極刑にはとうていなりえないものと確信する。

原判決の量刑は、被告人の反省、ざんげ、再犯防止へのまじめな努力、社会的な善行などを十分に考慮しない不当なものといわざるを得ない。

一 情状において考慮されるべきは、まず本件の動機である。

本件の動機について、弁論において強調された点は次のとおりである。被告人は、大学中退後、甲府に戻って父の家業を手伝い、その事業は父のもとに順調に発展していった。が、被告人は昭和三〇年に結核をわずらい、二年半もの闘病生活を余儀なくされた。

この間、父が昭和三一年に死亡し、事業は、結局被告人の兄が中心となって経営する体制となり、被告人は会社に戻れなくなったのである。

そこで、被告人は装身具ケースの製造、販売部門を引き継いで独立し、営業を開始した。妻と二人で飲まず食わずで、子どもたちとの生活をささえつつ、日夜働き続けてきた。

この間の大変な苦労と人間関係のなかで「結局頼りになるのはお金である」との考えになったものである。

そして、被告人夫婦が協同して事業を進めてきたなかで、昭和五五年ころから印鑑ブームにのって急に儲かりだした。そのために、事業と家族の生活のために「将来に備えて貯わえよう」と考え、過少申告して脱税したものであった。

すなわち、脱税して浪費したり、ぜいたくしたいなどというものでは全くなく、本当に貯蓄してきたものである。

お金を貯わえ、将来に備えたいという被告人の考えは、今日の社会においては、きわめて常識的であり、健全であるといわねばならない。

そのことによって被告人の事業が安定して発展していくことは、被告人とその家族にとどまらず、従業員一五名とその家族の生活維持にとって不可欠なことで、そのために、被告人が貯えに走ったものである。

すなわち、自己の欲望を満すためではなく、事業の将来に備えたものであって、このような動機は悪質なものとはいえず、同情に値いするものといわねばならない。たしかに、お金をため将来に備えるために脱税するということは許されないことであり、その点では被告人の考えは甘いものではあるが、動機において、とくに悪質だといえるものではないと確信するものである。このような動機の場合、求刑どおりの量刑とすることは、まさに極刑と評価せざるを得ない。

二 本件の方法、態様も十分に考慮されるべきである。

大口の取引の売上除外が主なもので、もっぱら単純な申告もれであり、所得かくしであった。相手と通謀したり、あるいは二重帳薄などをつけて、計画的にやってきたものではない。

昭和五五年以降の急激な印鑑ブームにのって、売上が大巾にのびたために、これを被告人の家族、従業員とその家族の生活のために、事業がとんざしないように、お金を貯えたものである。

被告人の事業は夫婦で努力して築いてきたものであったために、又、ブームまでは年間一〇〇〇万円前後の所得であったために、帳薄などの整備は必要ないと考えてきたことなどが、本件を可能にする条件であった。

たしかに、申告率はきわめて低かったが、これは短期間のブームとの考えから大口を除外したためであった。除外した所得は定期預金などにして貯蓄していたのである。

このように、手段、態様は、特に悪質なものではなく、ごく単純なものであった。すなわち発覚すれば、すぐに解明され、弁解の余地のないもので、そこには悪質な操作はないのである。

三 被告人の反省と経理システムの改善も重要である。

被告人は、脱税の事実を指摘されるや、ただちに卒直にその事実を認め、国税局の調査に進んで協力した。東京への呼出に月四回位、計二〇回も行き、又、自らも所得を調べなおした。帳薄などきちんと整備してこなかったことも、十分反省した。こうして正しい所得が明確になるや、直ちに修正申告をし、正しい税金(本税・地方税)を納付し、重加算税は毎月三〇万円づつ支払い続けている。

貯金をはき出して、総額二億をこえる金を進んで納付したのである。

この間、国税局の査察以来約一年半の間、自らの非にさいなまれつつ深く反省し二度と脱税などしまいと強く決意をかためるとともに、できないシステムに改善をはかってきた。

一つは、ケース製造・販売の事業を法人化し、有限会社立川ケース製作所として再出発させたことである。ずさんな帳薄ではなく、商法に定められた帳薄、伝票をきちんと整備し、毎日の動きが正しく記載されるよう税理士の指導も受けて、経理システムの改善につとめたのである。被告人個人の収入は給与という形になり、ずさんな管理は全く不可能にしたのである。

もう一つは、事業の代表者を交替した。被告人が約三〇年近くにわたって手塩にかけて育ててきた事業ではあったが、反省の意をこめて、代表者は娘むこの立川茂に譲り、現実の会社運営も全面的に同人にまかせ、被告人は身を引いたのである。

この点について、原判決の量刑は十分に評価したものとはとうてい考えられないものである。

すくなくとも、これだけの反省と改善への努力がみられれば、量刑が求刑どおりなどということが正しいはずがないのである。

四 この間、被告人が受けた社会的制裁についても十分考慮されるべきである。

昭和五九年六月、被告人が国税局の査察を受けて以来、新聞報道されるなどして業界にかぎらず、甲府市民にもひろがり、被告人はいたたまれない状況での生活を余儀なくされたのである。

このため、第一に、事業への影響は著るしかった。売上は半減していった。

取引先の信用を失い、もって事業遂行が大変であったが、立川茂を先頭に従業員の懸命の努力でなんとかもちこたえているのである。

第二に、周囲の社会的信用も失い、様々にうわさされ、うしろめたい日々を送ってきたのである。

被告人の受けた打撃は、身から出た錆とはいえあまりにも大きく、すでに十分に社会的制裁を加えられているのである。

又、修正申告をし、適正な所得税一億一千万円余、住民税をあわせれば二億円余をすべて納入し、さらに重加算税も支払い続けている。

このような長期にわたる社会的制裁や国家の実損回復の事実は、量刑にあたって十分に考慮されるべきである。

通常の刑事事件の場合、重加算税に匹適する金銭的出費は、ありえないものであって、とくに罰金刑においては、被告人に苛酷にならないよう配慮してこそ正しい温情ある判決といいうるものと確信する。

五 被告人の善良な市民としての社会奉仕も十分に配慮されるべきである。

被告人は、二〇年以上に及ぶ民生委員、児童委員として、甲府富士川地区を中心に、老人福祉、児童の不良化防止などに懸命にとりくみ、努力し続けてきた。

正にボランティア活動の精神どおりに働いてきにのである。又、交通安全協会の役員として、これも長年にわたって活動し、商工会議所の活動、甲府市での消防関係の仕事など、社会奉仕の範囲は広く、又、菩提寺の再建復興にも物心両面から大きな功績と活動をおこなってきた。

このように、被告人は自己の利益だけのためにお金を貯わえることにきゆうきゆうとしてきたのではなく、社会に大きく還元し、社会の発展のために尽力してきたのである。通常人では、このような長期にわたる奉仕活動はとうていできないもので被告人の社会奉仕への熱意は大変すばらしいものといわざるを得ない。

被告人は、もちろん初犯である。脱税もはじめてであった。

六 以上のような情状を考慮すれば、懲役一年二月、罰金三〇〇〇万円という量刑はきわめて酷である。

とくに罰金三〇〇〇万円は重すぎる。

原判決は、被告人に有利な情状を正当に評価したものとは、とうてい思われない。

第二 他の事例に比べてもきわめて苛酷である。

判例時報第一〇二八号、同一〇二九号及び同一〇三-号に東京地裁刑事財政経済部における事案が三〇件紹介されている。

量刑の面で整理すると、添付の一覧表のとおりである。

本件の量刑にあたって、逋脱税額の面から参考になる事案は、10番16番などであるが、被告人に対する罰金刑よりもはるかに低い罰金である。

所得税申告ゼロのような事案である1番3番12番なども罰金刑は、原判決の量刑にくらべ、はるかに低い。

罰金三〇〇〇万円ないし、これを超える事案は三〇件中、三件にすぎず、それぞれ逋脱税額は本件にくらべはるかに高額で参考にならない。

これら、事案をみる限り、被告人に対する罰金三〇〇〇万円はあまりにも重罰すぎることは、第一の情状の点ともあわせて考慮すれば明白であると思料する。

罰金三〇〇〇万円ということ自体、きわめて高額であって、被告人にとって苛酷といわざるを得ない。

判決例の比較は、さまざまな事情から検討されなければ、正しい比較でいえないことは十分承知しているが、本件は、被告人に有利な情状が十分にあり、事案も単純なものであることから、被告人と他の事例との比較において被告人がことさら重い罰金刑を受けなければならない事情は存在しないものと確信する。

他の事例など、裁判の公平の観点からも原判決の量刑不当は明らかと思料する。

第三 求刑と量刑

検察官の求刑は、その性質上、どうしても最高刑になる傾向が強く、被告人に有利な情状がみられない場合のほかは、求刑どおりの量刑になるのはおよそまれである。裁判所は公正に検察官の求刑も参考にしながら、その性格を承知したうえで被告人の情状を勘案して適正な量刑をおこなうべきである。

原判決は、執行猶予を付してはいるが、懲役刑、罰金刑とも求刑どおりである。これはきわめて異常であり、被告人の情状を正しく評価していない不当なものである。

添付一覧表の事案三〇件のうち、求刑どおりの量刑は、8番20番の二例にすぎない。その余は、求刑より相当程度低いものとなっている。

これは、裁判所が、被告人側に有利な情状を考慮した結果にほかならない。

本件において求刑どおりの罰金刑を選択すべき事情は全くなく、かえって、前記の情状が十分に考慮されれば、懲役一年二月、罰金三〇〇〇万円という選択、とりわけ罰金刑の選択はありえないものと確信する。

原判決が求刑どおりに量刑した点は、全く不可解である。

以上、原判決の量刑不当について、御庁が正しい判断を下されることを心から期待して、控訴趣意書とするものである。

以上

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