東京高等裁判所 昭和61年(う)317号 判決
所論は,原判決が,被告人が本件事故現場の交差点(以下「交差点」という。)に進入した際に,その対面信号が赤色を表示していたとは断定できないとした点について,控訴趣意第3の2において,原判決には,その信号が青色を表示していたと積極的に認定しなかつた点で,判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があると主張する。
そこで,記録を精査し,当審における事実取調の結果を参酌して検討してみると,所論のように被告人の対面信号が青色を表示していたとは認められないが,なお,所論にかんがみ右の点に関する原判決の事実認定を職権で調査すると,かえつて,被告人は対面信号がまだ赤色を表示しているうちに交差点に進入したものであることが,関係証拠から認められるのであつて,原判決は,所論とは別の意味で事実を誤認したものといわなければならない。
即ち,本件事故の直接の目撃者である山田順子の原審及び当審における各証言によると,同女は,乗用車を運転して岩槻方面から到着し,交差点において上尾方面に右折しようとした際,対面信号の黄色表示を見て交差点の直前で一時停止したこと,その直後,同女がもし一時停止せずに交差点に進入しておれば当然衝突したと思われる位の間に,被告人の自動車が,同女からみて右方の上尾方面からかなりの高速度で進行してきて交差点に入り,本件事故を起こしたこと,そのときには,同女の対面信号は黄色のままであり,従つて,被告人の対面信号はまだ赤色を表示していたことが認められる。
所論は,同女の対面信号がまだ黄色を表示しているうちに事故が発生したとする同女の証言の信用性を争い,その理由として,同女は,交差点に向かつて進行中,左側のレコード店エコーの前の路上に止まつていた白い自動車のわきを通り過ぎるころに対面信号が黄色を表示しているのを確認した旨証言しているのであるから,その地点から交差点手前の停止線までの距離及びその間の速度などによつて,黄色信号を確認してから一時停止するまでの所要時間を算出し,交差点の信号サイクルと照らし合わせてみれば,同女が停止したときにはすでにその対面信号が赤色に変わつていたはずであり,また,被害者らの同僚数名が,被害者らより少し先に,上尾側の横断歩道を,その歩行者用信号が青色に変わるのを10秒位待つたうえで渡り,更に50ないし60メートル進んだときに衝突音を聞いたというのであるから,その同僚らが歩いた距離及び速度によつてその間の所要時間を算出し,信号サイクルと照らし合わせてみれば,事故発生時には被告人の対面信号は青色を表示していたはずであると指摘している。
しかし,事故当夜警察官に対してしたものを含めた同女の一連の供述について,他の関係証拠とも対照し,なお,当審における事実取調の際に示された同女の供述態度をも参酌しながら,その内容及び経過をつぶさにみてみると,同女の証言の核心部分,つまり同女の対面信号が黄色を表示しているうちに事故が発生したとする部分は,同女がそのように極めて印象的な情景を目のあたりにし,鮮明に記憶に留めたところを卒直に述べたものとして,十分に信用に値するものと認められ,他方,所論が種々の計算関係に基づいて指摘するところは,同女あるいは被害者らの同僚らが,それぞれ,事故の発生を全く予期していない段階においていわば漫然と知覚したにすぎず,その性質上,正確な記憶が残るとは思われない事柄を前提とするものであつて,同女の証言の信用性に疑問を生じさせるには足りない。