東京高等裁判所 昭和61年(ネ)610号 判決 1987年1月29日
主文
原判決を次のとおり変更する。
被控訴人は、控訴人に対し、金六五六万六四四〇円及びこれに対する昭和五七年一〇月一六日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
控訴人のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審を通じこれを五分し、その三を被控訴人の負担とし、その余を控訴人の負担とする。
この判決の第二項は仮に執行することができる。
事実
控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人は、控訴人に対し金一一二〇万九九四〇円及びこれに対する昭和五七年一〇月一六日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決と仮執行の宣言を求め、被控訴人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の主張は、原判決事実摘示のとおりであり(ただし、原判決四枚目表七行目の「登記火災保険料」を「登記費用及び火災保険料」に、同五枚目表九行目の「除々に」を「徐々に」にそれぞれ訂正する。)、証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 争いのない事実
控訴人が昭和五五年三月二〇日、被控訴人から本件建物の所有権と本件借地権を買い受け、代金六五〇万円を支払ったこと、本件土地は南側が幅員約六メートルの公道に接し、北側は高さ約四・四メートルの崖の上にのぞむ地形となっていたが、昭和五六年一〇月二二日本件土地に一部沈下と傾斜が生じたこと、そこで控訴人は被控訴人に対し、昭和五七年七月三一日到達の内容証明郵便により、民法五七〇条、五六六条一項に基づき本件売買契約を解除する旨の意思表示をしたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
二 契約解除の成否
1 右争いのない事実に、成立に争いのない甲第六、第七号証(第六号証は原本の存在とも)、原審証人岡田政司の証言により成立の認められる甲第一一号証、原審証人川上よし子の証言により昭和五六年一〇月二三日ころ本件土地の北側付近を撮影した写真であると認められる甲第一二号証の一ないし三、原審証人岡田政司、同川上よし子の各証言を総合すると、本件土地の北側の崖は、基部が高さ二メートル弱のコンクリート擁壁で、その上に高さ約二・四メートルの大谷石の擁壁が積み上げられたいわゆる二段腰の構造の擁壁となっていたところ、昭和五六年一〇月二二日当地を襲った第二四号台風に伴う大雨により、右擁壁に傾斜、亀裂を生じ、崖上の本件土地が沈下し、構造耐力上及び保安上著しく危険な状態となったため、同年一一月四日東京都北区長が本件土地の地主(共有者)である高木義敦ほか一一名に対し、擁壁の新規築造又は十分な改修補強等、安全上必要な措置を早急に講ずるような文書をもって勧告し、控訴人も地主らに同様の申し入れをしたけども、地主らは何らの措置もとらなかったので、控訴人は本件建物の倒壊の危険を避けるためやむなくそのころこれを取り壊したことが認められる。
しかして右甲第一二号証の一ないし三と岡田証言によれば、本件擁壁がこのような状態になったのは、擁壁に通常設けられるべき水抜き穴が設けられていなかったため、土中に含まれた雨水の圧力が加わり、大谷石の擁壁がこれに耐えきれなかったことによるものと認められる。原審証人吉田肇の証言中には、本件擁壁に水抜き穴があったかのように述べている部分があるが、自ら現認したわけではないもののようであるし、原審における被控訴人の供述中同旨を述べる部分も前記の各証拠に照らしたやすく信用することはできない。
2 成立に争いのない甲第四、第五号証と原審証人吉田肇の証言によれば、控訴人は親類筋にあたる岡田みよ子を介して、宅地建物取引業者である株式会社三ツ星住宅興社の仲介により、本件借地権とその地上の本件建物を買い受けたものであるが、その際に本件擁壁に水抜き穴が設置されていないという構造的欠陥については何の説明も受けなかったものと認められ、水抜き穴の欠如がこのような重大な結果をもたらすことに当時全く想到しえなかったのは、通常人としてまことに無理からぬことであったと考えられる。
借地権は建物の所有を目的として設定される権利であるが、借地権付建物の買主が当該売買契約当時知らなかった事情によりその土地に建物を維持することが物理的に困難であるということが事後に判明したときは、その借地権は契約上当然に予定された性能を有しきれない隠れた瑕疵があったものといわざるをえず、これにより建物所有という所期の目的を達しえない以上、借地権付建物の買主は、民法五七〇条、五六六条一項により売買契約を解除することができるといわなければならない。
3 被控訴人は、控訴人が本件売買契約の解除前に本件建物を取り壊して原状回復を不能にしたから、解除は失当であると抗弁しており、これは契約の目的物の毀損による解除権の消滅(民法五四八条一項)を主張するものと解せられる。
しかしながら、原審証人川上よし子、同吉田肇の各証言によれば、本件売買契約における六五〇万円という代金額は専ら本件借地権の価格によってきめられ、本件建物は昭和三三年の増築後すでに二〇年余も経過した老朽家屋であったため、代金額決定上は全く計算外とされたものであったと認められるばかりでなく、前記のような本件土地の沈下傾斜により本件建物の倒壊の危険が迫ってやむをえずこれを取り壊したものである事情に鑑みると、本件は解除権の消滅原因たる故意過失による目的物毀損の場合には当たらないと解すべきであり、被控訴人の抗弁は理由がない。
4 そうすると、本件売買契約は、昭和五七年七月三一日到達の意思表示により有効に解除されたこととなる。
三 原状回復と損害賠償
1 控訴人は被控訴人に本件売買代金六五〇万円を支払っている(前記一)ので、売買契約解除により被控訴人は控訴人に対し原状回復として右六五〇万円を返還する義務がある。
2 弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第二四号証、第二五号証の一、二及び成立に争いのない甲第二九号証によれば、控訴人は本件売買当時、登記費用(登録免許税、司法書士報酬等)として三万八三〇〇円、建物火災保険料として二万八一四〇円、計六万六四四〇円を支出したことが認められ、控訴人は被控訴人に対し、売買契約の有効を前提として出捐した右金額を解除に伴う損害賠償として請求することができるというべきである。
3 控訴人は家屋補修・取壊料として三一万三五〇〇円の損害を主張するが、これを認めるに十分な証拠がない(甲第二一号証は大矢工務店からの請求書であるが、この請求に対応する控訴人の支払関係は明らかでなく、甲第二二号証は広栄土建のオカダ商事宛の領収証で、これと控訴人との関連は不明であるし、また甲第二三号証は株式会社三ツ星建設のシート掛け工事代の領収証であるが、これが解除原因である借地の擁壁の瑕疵とどのように関係するものであるのかが明確でない。)。
4 控訴人は、そのほかにローン利息と同手数料、引越料及び家賃五年分相当額を請求するが、これらはいずれも売買の目的物に瑕疵があったことと相当因果関係のある損害とは認めがたい。
四 むすび
以上によれば、控訴人の被控訴人に対する本訴請求は、三の1及び2の合計六五六万六四四〇円とこれに対する昭和五七年一〇月一六日(本件訴状送達の日の翌日)から完済まで年五分の割合による利息ないし遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がないというべきである。よってこれと異なる原判決を右のとおり変更し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、九二条、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。