東京高等裁判所 昭和61年(ネ)656号 判決 1986年8月28日
控訴人 甲野太郎
被控訴人 国
右代表者法務大臣 遠藤要
右指定代理人 西口元
<ほか四名>
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
一 控訴人は、「1 原判決を取り消す。2 被控訴人は控訴人に対し、原判決別紙目録記載の診療録を閲覧させよ。3 訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び右2項につき仮執行の宣言を求め、被控訴人指定代理人は、主文第一項同旨の判決を求めた。
二 当事者双方の主張及び証拠の関係は、原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 被控訴人は、控訴人の本訴請求の趣旨及び原因が特定していない旨主張するが、控訴人は、本訴において、原判決別紙目録記載の本件診療録の閲覧を求めるものであり、その請求の原因として、1 一般的に医療契約そのものに基づき、2 また被控訴人との間の具体的な本件医療契約に基づき、右閲覧を求めることが明らかであるから、請求の趣旨及び原因の特定に欠けるところはない。
二 控訴人は、一般的に医療契約そのものに基づいて本件診療録の閲覧を求め得る旨を主張するので、まず、その点について判断する。
1 請求原因1(本件医療契約の締結)の事実は当事者間に争いがない。
2 医療契約は、通常、患者本人もしくはこれに準ずる保護者等(以下単に「本人」という。)が、医師・医療機関等(以下単に「医師」という。)に対し、医師の有する専門的知識と技術とにより、疾病の診断と適切な治療とをなすように求め、これを医師が承諾することにより成立するものであり、一種の準委任契約であると解せられる。したがって、基本的には民法六四五条の法意により、医師は、少なくとも本人の請求があるときは、その時期に説明・報告をすることが相当でない特段の事情のない限り、本人に対し、診断の結果、治療の方法、その結果等について説明・報告をしなければならないと解すべきである。しかしこのように義務と解される説明・報告の内容・方法等については、患者の生命・身体に重大な影響を及ぼす可能性があり、かつ、専門的判断を要する医療契約の特質に応じた検討が加えられなければならない。このような観点からすれば、この場合の右説明・報告に当たっては、診療録の記載内容のすべてを告知する義務があるとまでは解し難く、その方法も、当然に、診療録を示して行わなければならないものではない。それぞれの事案に応じて適切と思料される方法で説明・報告をすればよいと考えられる(口頭による説明・報告で足りることも多いであろう。)。
また、医師法が医師に診療録の作成を義務付けているのは、本人に対し医師が正確な説明ができるようにとの趣旨をも含み、結局患者ができ得る限り適切な診断・治療を受けられるよう配慮しているためであると解するとしても、そのことから直ちに本人がこれを閲覧することをも権利として保証していると解することは困難である。
仮に、医療事故等の発生が前提とされたり、診療録の記載そのものが問題とされたりするなど、診療録閲覧の具体的必要性があると考えられるような事情の存する場合において、医療契約に基づく診療録閲覧請求権について、何らかの異なる立論をする可能性があるとしても、本件において、そのような事情の存在についての主張立証はない。
以上のとおりであって、一般医療契約上の権利として本件診療録の閲覧を求め得るとする控訴人の主張は採用することができない。
三 次に、控訴人は、本件医療契約の特質に基づいて本件診療録の閲覧を求め得る旨をも主張していると解されるので、その点について判断する。
前記のとおり、本件医療契約には、控訴人の慢性肝障害の治療のためインターフェロンを使用することが特約されており、しかもその中には医学上確立されていない医療行為をすることも含まれていて、もし右医療行為により控訴人に予期しない結果が発生しても、被控訴人は免責されるとの約定が交わされていることが明らかである。したがって、この点に関する限り、本人である控訴人としては、通常の医療契約の場合より以上にその結果について関心を抱いたとしても当然であり、治療を担当した医師としても、通常の場合にくらべて、より詳細な報告をなすべき義務があるものといえよう。
しかしながら本件医療契約の右の特殊性を考慮したとしても、それだけでは、いまだ被控訴人において前記説明・報告義務の履行として、本件診療録そのものを本人である控訴人に示し、これを閲覧させなければならないとまでいうことはできない。
そして、その他本件全証拠によっても、本件医療契約に関して、被控訴人が控訴人に対し、本件診療録を閲覧させることを約束したなど、控訴人の請求を裏付けるような事情を認めることもできない。
してみれば、本件医療契約に基づく控訴人の主張も理由がない。
四 よって、控訴人の請求は理由がなくこれを棄却すべきところ、これと同旨の原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 伊藤滋夫 裁判官 鈴木經夫 裁判官 山崎宏征)
<以下省略>