東京高等裁判所 昭和61年(行ケ)96号 判決 1988年10月11日
原告 サントリー株式会社 外一名
被告 特許庁長官
主文
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告ら
「特許庁が昭和六〇年審判第二〇六二五号事件について昭和六一年三月一〇日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
二 被告
主文第一、二項同旨の判決
第二請求の原因
一 特許庁における手続の経緯
原告らは、昭和五一年一月二三日、名称を「液中の微小物体観察装置」とする発明(以下「本願発明」という。)について特許出願(昭和五一年特許願第六七六六号)をしたところ、昭和六〇年八月一二日拒絶査定があつたので、同年一〇月二三日審判を請求し、同年審判第二〇六二五号事件として審理された結果、昭和六一年三月一〇日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年四月三日原告に送達された。
二 本願発明の要旨
液中の微小物体を観察する装置であつて、液中に少なくとも一部を液密に浸潰可能で、液中に焦点を有する第1レンズ系と該第1レンズ系による微小物体の像を視覚し得る程度にまで拡大して結像する第2レンズ系とを備えた光学系と、該光学系の結像面もしくはこれと光学的に等価な面に撮像面を有する撮像手段と、微小物体の流動速度に比して十分に高速で瞬間的に閃光を発する閃光手段と、液中において前記光学系の第1レンズ系に対して微小物体が自由に通過し得る間隔をおいて対置され、第1レンズ系の焦点近傍にまで前記閃光手段の閃光を案内する光案内手段とを備え、閃光時、液中の微小物体を動態のまま観察し得るようにしたことを特徴とする液中の微小物体観察装置。(別紙図面(1)参照)
三 審決の理由の要点
本願発明の要旨は前項のとおりと認める。
これに対し、昭和四三年実用新案出願公告第一一一四号公報(以下「引用例」という。)には、容器1中の流動する微小物体を観察する観察装置において、容器1に一部を密封された状態で浸潰可能で、容器1中に焦点を有する拡大レンズ系21を備えた光学系と、光学系の結像面に撮像面を有する撮像手段24と、ランプ12と、ランプ12からの光を拡大レンズ系の焦点近傍にまで案内する光案内手段5であつて、容器1中を流動する微小物体を観察のために固定する前にはその端部に設けた投光窓6と光学系の前部に設けた観測窓4との間に形成される間隔中を微小物体が自由に通過し得るようにし、容器1中を流動する微小物体を固定して観察するときには投光窓6を観測窓4に対して押し付けて微小物体を固定する光案内手段5と、を備えた容器1中の微小物体観察装置、が記載されているものと認められる(別紙図面(2)参照)。なお、引用例には、光学系は一部を密封された状態で容器中に浸潰可能であるとは明記されていないが、光学系を外部環境と連通しないように密封構造にすることは通常の事項であるので、この点に関して引用例の記載内容を前記のように認定した。また、引用例には、拡大レンズ系の焦点が容器中に存在すると明記されていないが、観測窓の外側に固定された微小物体が光学系を通して観察可能であるためには、拡大レンズの焦点は少なくとも観測窓の外部になければならないので、この点に関しても引用例の記載内容を前記のように認定した。
そこで、本願発明と引用例記載のものとを対比すると、両者は、(1)微小物体の観察環境が、本願発明は液中であるのに対し、引用例記載のものは容器中とだけ記載され液中であることについては明記されていない点、(2)光学系が、本願発明は第1レンズ系とこの第1レンズ系による微小物体の像を視覚し得る程度にまで拡大して結像する第2レンズ系とを備えているのに対し、引用例記載のものは拡大レンズ系を備えるとだけ記載されていてどのようなレンズ構成になつているか明記されていない点、(3)微小物体の照明手段が、本願発明は微小物体の流動速度に比して十分高速で瞬間的に閃光を発する閃光手段であるのに対し、引用例記載のものはランプである点、(4)微小物体が自由に通過し得る光学系と光案内手段との間の間隔が、微小物体観察時に、本願発明は何らの変化もしないのに対し、引用例記載のものはこの間隔を縮めて微小物体を固定する点において相違するものの、その他の構成は互いに一致しているものと認められる。
前記相違点について検討する。(1)について、観察光学系を観察環境、例えば、真空中、水中、海中等に適合するように構成することは周知であるので、引用例記載のものを液中で使用できるようにすることは単なる設計上の事項である。(2)について、拡大レンズ系として第1レンズ系と第2レンズ系とで構成し、第2レンズ系によつて第1レンズ系による微小物体の像を視覚し得る程度に拡大して結像させることは、例えば投影顕微鏡において周知の事項であるので、この点は単なる周知の手段の適用にすぎない。(3)について、対象物体を動態のまま固定せずに観察するために、物体の速度に比して十分高速で瞬間的に閃光を発する閃光手段を用いて対象物体を照明することは周知の事項である。そして、引用例記載のものも流動する微小物体を観察しようとするものであるので、前記周知のものを引用例記載のもののランプの代わりに用いることにより、微小物体を固定せずに観察可能にすることができることは、当業者が容易に想到できたことである。(4)について、相違点(3)による変更によつて、引用例記載のランプの代わりに閃光手段を用いると、微小物体の固定手段を設けなくともよいことは明らかな事項であるので、この点は相違点(3)に伴う当然の設計変更である。
したがつて、本願発明は、周知技術及び引用例記載のものに基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第二九条第二項の規定により特許を受けることができない。
四 審決の取消事由
審決認定の引用例の記載事項及び本願発明と引用例との一致点、相違点の認定並びに相違点(1)、(2)に対する判断は認める。
審決には、これを取消すべき手続きの違背があり、また、審決は、相違点(3)、(4)について判断するに当たり、本願発明と引用例記載の考案との技術的思想の相違を看過し、さらに周知技術と本願発明の奏する作用効果を誤認した結果、本願発明は引用例に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと誤つて判断したものであつて、違法であるから、取り消されるべきである。
1 審判手続の違背について
原告らは、昭和六〇年一〇月二三日、本件審判を請求したが、その際提出した審判請求書の請求の理由の欄に「詳細な理由は追つて補充する。」とのみ記載し、何らの実質的な理由を記載しなかつたが、右方式の不備は性質上当然補正可能なものであるから、このような場合、審判長は特許法第一三三条第一項の規定に基づき、原告に対し相当の期間を指定して請求の理由の補正を命じなければならなかつたはずである。しかるに、特許庁は右手続きを怠り、原告らに何らの主張もさせることなく、昭和六二年二月五日審理を終結し、同年三月一〇日、審決をするに至つたものである。したがつて、審決は違法であるから取消されるべきである。
また、一般に拒絶査定に対する審判においては、原査定の結論の当否が審理の対象となるが、審査手続の結果のみに基づいて審理されるのではなく、更に請求人は審判手続において新しい資料を追加補充して新たに主張・立証する機会が与えられる権利と地位を有している(特許法一五八条、一五九条)。しかるに、本件審判手続において、請求人たる原告らは何ら主張・立証する機会も与えられることなく職権で実体審理され、審決がなされた。これは、審判手続において請求人が何らかの主張・立証をなしたが、それと異なる理由について職権で審理したときに、そのまま審理を終結して請求人の再度主張・立証する権利(特許法一五三条二項)を無視する場合より一層強く右請求人の権利と地位を無視するものである。したがつて、審決にはこの点においても取消されるべき手続きの違法がある。
2 相違点(3)、(4)の判断の誤りについて
引用例記載のものも本願発明も液中の流動微小物体の観察装置に関するものであるが、前者は微小物体を固定して観察しようとするものであるのに対し、後者はこれを固定することなく動態のまま観察しようとするものであり、このため、前者にあつては微小物体の固定手段が必須の構成要件であるのに対し、後者の装置にあつては固定手段は存在しない。ただし、本願発明にあつては光学系の第1レンズ系と光案内手段の間に微小物体が自由に通過し得る間隙を設けることが必須である。そして、照明光源については、引用例記載のものはランプであるのに対し、本願発明は閃光手段である。前記のような構成をとることにより、本願発明は、微小物体を動態のまま肉眼による観察可能な拡大静止像として捕捉することを可能にしたものであるのに対し、引用例記載のものは微小物体を固定したうえで観察する装置であり、固定することが困難である微小物体の観察には使用できないし、固定したのでは真の観察が困難である場合にも適さないものである。このように、本願発明は目的、構成及び効果のいずれの点においても引用例記載のものとは明らかに相違している。
(一) 相違点(3)について
審決は、対象物体を動態のまま観察する場合の照明手段として閃光手段を用いることは周知の事項であり、流動する微小物体の観察装置である引用例記載のもののランプの代わりに右周知の閃光手段を用いることにより、微小物体を固定せずに観察可能にすることができることは、当業者が容易に想到できたところであるとしている。しかしながら、本願発明は流動する微小物体を動態のまま観察し、拡大静止画像を得るという技術的課題を解決するために、特許請求の範囲の構成、特に照明光源として閃光手段を使用するという構成を採用したものであつて、引用例記載のものの目的、構成及び作用効果を全く異にするものであり、引用例には本願発明の目的、構成及び効果について何等開示するところも示唆するところもない。したがつて、引用例記載のものから本願発明が容易に想到することができたとはいえない。仮に引用例記載のもののランプに代えて閃光手段を照明光源とする着想が生じたとしても、引用例記載のものは挾着体と出没装置とにより粒子を固定するものであるから、照明光の強度が強過ぎてかえつて観測しにくくなり、場合によつては像が飛んで観測が不能となる。つまり、引用例記載のものに閃光手段を組み合わせることに必然性が存在しないばかりか、両者を組み合わせても本願発明に至ることは不可能である。また、審決は対象物体を動態のまま観察するために閃光手段を用いて対象物体を照明することは周知であるというが、対象物体を現実の大きさのままで観察する場合はともかく、本願発明のごとく対象物体を拡大し、その静止像を得る場合の閃光手段は決して周知の手段とはいえない。
(二) 相違点(4)について
審決は、引用例記載のランプの代わりに閃光手段を用いると、微小物体の固定手段を設けなくともよいことは明らかな事項であるので、この点は相違点(3)に伴う当然の設計変更である、としている。しかしながら、微小物体の固定手段は引用例記載のものにおける必須の構成要素の一つであるから、これを取り除くなどということは引用例記載の技術自体に反するものであり、これから容易に改変し得るものとは到底考えられない。仮にこれを取り除いたとしても、その結果の装置によつて微小物体の観察を行うことは実質的に不可能である。なぜなら、微小物体の肉眼による観察を可能ならしめるためにはこれを拡大する必要があり、このような拡大状態では微小物体の見掛け流動速度が増幅される結果、引用例記載のもののランプでは微小物体の静止像を得ることはできないからである。また、審決はランプの代わりに閃光手段を用いれば微小物体について固定手段を適用してもしなくてもよいと認識しているようであるが、微小物体を固定したのでは微小物体自体の認識が不可能となるものであり、流動状態において初めて満足すべき静止像が得られるのであつて、このように効果上顕著な相違が生ずるからには、固定手段の有無をもつて当然の設計変更となし得ないことは明らかである。
第三請求の原因に対する認否及び被告の反論
一 請求の原因一ないし三は認める。
二 同四は争う。
審決に、これを取消す程の手続違背はなく、また、相違点(3)、(4)についての審決の認定、判断は正当である。
1 手続違背の主張について
本件審判請求書には実質的な請求の理由の記載がなく、方式不備な点があつたが、審判長は、原告らに対し、右不備を補正すべき旨の命令を発しなかつたこと、特許庁は右不備があるまま審理を遂げ、審決に至つたことは認める。しかしながら、請求の理由は請求人の責において補正すべきものであり、本件においては、審判請求から審理終結通知まで三・五か月あつたので原告らに補正する期間がなかつたとはいえず、また、本件審判は拒絶査定不服の審判であり、原査定が発した拒絶査定理由とそれに基づく出願人(原告ら)の意見書及び補正書等の記載内容及び請求の趣旨が原査定を取消すというものであることからみて、請求の理由は自ずと推測でき得るものであり、審理には何らの支障も生じなかつたのであるから、審判長が補正命令を発しなかつたことが直ちに審決を取消すべき違法事由になるとはいえない。そして、原告らには、審査において既に拒絶理由に対する意見を開陳する機会が与えられており、かつ、本件審判においては何らの拒絶理由を通知していないので、請求人に対して新たな主張・立証の機会を与える必要はなく、この点における原告らの主張も理由がない。
2 相違点(3)の主張について
微小物体の動態のままの拡大静止像を得るという技術的課題は周知のものであり、しかもそのために照明手段として閃光手段を用いることは周知のことであるので微小物体の拡大静止像を観察するための引用例記載のものに右周知の技術的課題を適用することは当業者が予測できることといわざるを得ない。そして、引用例記載のものにこの技術的課題を適用しようとすれば、引用例記載のもののランプの代わりに閃光手段を用いようとするのは当然のことである。
原告は、引用例記載のもののランプに代えて閃光手段を照明光源とすると、照明光が強過ぎて微小物体の像を認識することが不可能になる旨主張するが、いかなる理由でこのようなことがいえるのか不明であり、右主張は何ら根拠を有しないものである。
3 相違点(4)の主張について
引用例記載のものに微小物体の動態のままの拡大静止像を得るという技術的課題を適用しようとすれば、微小物体の固定手段は除くのが当然であるし、また、照明光源を閃光手段とすれば、少なくとも右技術的課題解決のために固定手段は必要ないものであることは技術的に明らかなことである。
第四証拠関係<省略>
理由
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告ら主張の審決の取消事由の存否について判断する。
1 手続違背の主張について
本件審判請求書において、「請求の理由」については、「詳細な理由は追つて補充する。」とのみ記載され、実質的な理由が記載されていなかつたこと、審判長は審判請求人たる原告らに対し右の不備について補正を命ずることなく、また、原告らも何ら理由の補充をしないまま審理が終結され、審決がなされたことは、当事者間に争いがない。
ところで、審判を請求する者は、特許法第一三一条第一項本文の規定により、同項第一号ないし第三号に掲げる事項を記載した請求書を提出しなければならないが、拒絶査定不服の審判請求についても同項第三号の「請求の趣旨及びその理由」における「理由」が記載されているというためには、その制度の趣旨からみて、拒絶査定を不服とする実質的な理由が記載されていることを必要とし、単に「詳細な理由は追つて補充する。」という程度の記載では、この要件を満たしていないというべきである。
したがつて、本件審判請求書には特許法第一三一条第一項第三号に定める要件を欠いた方式の違背があり、その不備は補正される可能性のあるものであるから、審判長は原告らに対し、相当の期間を指定して、請求書について補正を命じなければならず、原告らが右指定期間内にその補正をしなかつたときは、決定をもつて審判請求書を却下しなければならなかつたものである(特許法第一三三条第一項、第二項)。したがつて、右手続きを経ることなく、実体審理を行い、「本件審判の請求は成り立たない。」とした本件審決には、審判手続きに瑕疵があるというべきである。
しかしながら、審決に審判手続上の瑕疵があると認められる場合においても、その瑕疵が審決の結論に影響を及ぼさないことが明らかであると認められる特別の事情があるときは、その瑕疵は審決の取消事由とならないものというべきである。
そして、特許法第一三一条第一項第三号がいわゆる拒絶査定に対する不服の審判において、審判請求書に請求の理由を記載することを要するとする趣旨は、審判請求人に対し、拒絶査定を不服として審判を請求する理由を主張させることにより、審判請求人の利益を保障するとともに、審判手続における審理の対象を明確にし、審判に誤りなきを期することにあるというべきであるから、当該審判請求人の拒絶理由を不服とする理由が手続上明確であつて、審判長が審判請求人に対しあらためて審判請求書に理由を記載すべきことの補正を命じなくとも、審判請求人の利益を奪うものでないと認められる特別の事情が存するときは、同法第一三三条第一項に規定する手続に違背した審判手続上の瑕疵は、審決の結論に影響を及ぼさないというべきである。
これを本件についてみるに、成立に争いのない甲第六号証、第一四号証、第一五号証の一、原本の存在ならびに成立について争いのない甲第七号証によれば、本件拒絶理由通知に対する昭和五九年七月二三日付け意見書には、本願発明と引用例及び昭和四九年特許出願公開第一一三四五号公報(以下「第二引用例」という。)各記載のものとの技術的思想の相違を主張し、本願発明とは基本構成において異なる引用例記載のものに第二引用例記載の発明の閃光手段を用いても、本願発明の作用効果は得られない旨の記載があり、前同日付け手続補正書による補正は、本願明細書に先行技術としての引用例記載のものの欠点を記載したものであること、一方、審理終結後、審理再開申立書と共に、原告らより出された昭和六一年三月一日付け審判請求理由補充書は、本願発明と引用例、第二引用例及び拒絶査定の備考欄に記載された、撮影用の照明手段として閃光手段を用いることの周知例としての昭和五〇年特許出願公開第一一五四二四号公報(以下、「第三引用例」という。)各記載のものとの技術的思想の相違について詳細な主張をし、引用例記載のものには光源として閃光装置を用いようとする技術的思想はなく、むしろこれを否定するものであり、仮に、引用例記載のものに第二引用例を組み合わせても本願発明の作用効果は得られない旨記載するものであり、同年三月二八日付け審判請求理由補充書には、本願発明を用いて行われた研究論文の紹介等が記載されていることが認められる。右事実によれば、本願発明並びにこれに対比する引用例及び第二引用例記載のものについての原告らの主張は、前記意見書の記載内容を昭和六一年三月一日付け審判請求理由補充書で詳細敷衍しただけであつて、両書面の内容に実質的な相違はなく、また第三引用例記載のものは第二引用例記載のものと同様の趣旨で引用されているものである。
そうであれば、審判請求人の本件審判請求の理由は、審判長が審判請求人に対しあらためて審判請求書に理由を記載することを命じるまでもなく、明らかであつたというべきである。
そして、前記審決の理由の要点によれば、審決は、前記拒絶理由に対する出願人(審判請求人)の意見書に基づいて審判請求人の本件審判請求の理由を推測し、これを審理判断の対象としてなされたものと認められる。
したがつて、本件審判手続において、審判長が審判請求人に対し審判請求書に審判請求の理由を記載すべきことの補正を命じなくとも、審判請求人に保障されている利益を奪うことにはならないというべきであり、特許法第一三三条第一項に規定する手続に違背した本件審判手続の瑕疵は審決の結論に影響を及ぼさないものというべく、この瑕疵をもつて審決の取消事由とすることはできない。
また、原告らは、審判請求人は審判手続において新しい資料を追加補充して新たに主張・立証する機会を与えられる権利と地位を有するにもかかわらず、本件審判においては右権利と地位が無視されていると主張する。
しかしながら、審判請求人が審判手続において新しい資料を追加補充して新たな主張・立証をするのは、審判請求人の責任においてなされるべきことであり、本件審判の請求から審理終結までには約三・五か月の期間があつた(この点は当事者間に争いがない。)のであるから、原告らが自ら主張・立証しようとすればその機会がなかつたとはいえない。そうすると、本件審判の審理に当つて、原告らに新たな主張・立証の機会を与えず、その権利と地位を無視したという原告らの主張もまた採用できない。
2 相違点の判断について
(一)(1) 原本の存在及び成立について争いのない甲第一号証、第七号証によれば本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果は次のとおりであることが認められる。
本願発明は、醸造過程における酵母の振舞い、海水のプランクトンの振舞い等、液中の微小物体を動態のまま観察する新規の観察装置に関するものである。一般に、液中の微生物の種類、密度もしくは集合状態等の状態を知ることができれば、その液の状態を知ることができる場合がある。従来においては、この種の観察はもつぱらサンプリングによる顕微鏡観察に依存していた。しかしながら、この方法は、サンプリングした液をプレパラートで抑込んで固定する必要があり、このため、液中における状態をそのまま再現できないばかりか、場合によつては、微小物体の集合状態を破損してしまうという問題があつた(本願明細書第二頁第一六行ないし第三頁第一八行)。本願発明はかかる知見に基づき、液中の微小物体をそのままの状態で観察し得るとともに、微小物体の移動方向、移動速度から液の局所的な流動状態をも観察することができる観察装置を提供することを目的とし(本願明細書第三頁第一九行ないし第四頁第一一行)、特許請求の範囲(前記本願発明の要旨)記載のとおりの構成を採用したもので、本願発明によれば、対物レンズと光案内手段との間に液が流動しうる間隔を設けたから、微小物体はその間を自由に通過することができ、その際ストロボ等の閃光で液中の微小物体を動態のまま像の流れなしにこれを拡大光学系で拡大して捉えることができ、液体中における微小な生物体を動態のまま拡大静止像として捕捉しうるという作用効果を奏するものである(本願明細書第一一頁第一一行ないし第一六行)。
(2) 一方、引用例には、容器中1中の流動する微小物体を観察する観察装置において、容器1に一部を密封された状態で浸潰可能で、容器1中に焦点を有する拡大レンズ系21を備えた光学系と、光学系の結像面に撮像面を有する撮像手段24と、ランプ12と、ランプ12からの光を拡大レンズ系の焦点近傍にまで案内する光案内手段5であつて、容器1中を流動する微小物体を観察のために固定する前にはその端部に設けた投光窓6と光学系の前部に設けた観測窓4との間に形成される間隔中を微小物体が自由に通過し得るようにし、容器1中を流動する微小物体を固定して観察するときには投光窓6を観測窓4に対して押し付けて微小物体を固定する光案内手段5と、を備えた容器1中の微小物体観察装置、が記載されていること、は当事者間に争いがない。
(二)(1) 相違点(3)について、
原告らは、本願発明は流動する微小物体の動態のままの拡大静止像を得るという技術的課題を解決するために、特許請求の範囲の構成、特に照明光源として閃光手段を使用するという構成を採用したものであつて、引用例記載のものとは目的、構成及び作用効果を全く異にするものであり、本願発明の技術的思想について何等示唆するところのない引用例から本願発明が容易に想到することができたとはいえない旨主張する。
しかしながら、本願発明が微小物体の動態のままの拡大静止像を得ることを技術的課題としていることは前項(一)で認定したとおりであるところ、成立に争いのない乙第一号証(田中克己著「顕微鏡の使い方」裳華房昭和四三年五月一五日発行 第二四一頁、第二四二頁)には、顕微鏡写真術について、動くものの撮影には瞬間的に強い光を出す光源(例えばクセノン閃光放電灯)が望ましい旨の記載があり、また、成立に争いのない乙第二号証(昭和三〇年特許出願公告第三五七四号公報)には、瞬間撮影用フラツシユランプ又はストロボフラツシユの顕微鏡瞬間写真用光源装置を用いることにより従来数十秒の露出時間を必要とした顕微鏡写真が、五〇分の一ないし一〇〇分の一秒の撮影ができて、顕微鏡下に運動している細菌などの撮影が可能となつた旨記載されていることが認められ、右認定事実によれば、微小物体の動態のままの拡大静止像を得るという技術的課題は本件出願前既に周知の事項であり、しかも、右課題を達成するために閃光手段を用いることは周知のことであるから、本願発明の技術的課題は何ら新規なものではない。そして、本願発明と同様、微小物体の拡大静止像を観察することを技術的課題とする引用例記載のものに右周知技術を適用して、微小物体の動態のままの拡大静止像を得ることは当業者にとつて格別の困難を要するものとは認められない。
原告らは、仮にランプを閃光手段に代える着想が生じたとしても、そのようにして得られた装置は照明光が強過ぎるため、微小物体の像を認識できない旨主張する。しかしながら、原告らの右主張は理由が不明であり、根拠を有しないものであるから失当といわざるを得ない。
したがつて、前記周知技術を引用例記載のもののランプの代わりに用いることにより、微小物体を固定せずに観察可能にすることができることは、当業者が容易に想到できたことである、とした審決の判断に誤りはない。
(2) 相違点(4)について
原告らは、審決の相違点(4)についての判断に対し、微小物体の固定手段は引用例記載のものの必須の構成要件であるから、これを取り除くことは到底考えられず、仮にこれを取り除いたとしても、その結果の装置によつては微小物体の観察は不可能である。また、固定手段の有無は微小物体観察の効果上顕著な相違を生じるものであるから、これをもつて当然の設計変更とはなし得ない旨主張する。
しかしながら、引用例記載のものに微小物体の動態のままの拡大静止像を得るという技術的課題を適用しようとすれば、引用例記載のものから微小物体の固定手段を除去することは当然の帰結であり、また、照明手段を閃光手段とすれば、観察時間が引用例記載の考案のランプを用いた場合と比べて著しく短いため、固定手段が不要となることも、当業者にとつて自明の事項であると判断される。
したがつて、相違点(4)に係る本願発明の構成は、引用例記載のランプの代わりに閃光手段を用いると、微小物体の固定手段を設けなくともよいことは明らかな事項であるので、この点は相違点(3)に伴う当然の設計変更であるとした審決の判断に誤りはない。
3 以上のとおりであつて、本件審判手続に審決を取消すべき違法があるとする原告らの主張は理由のないものであり、また、本願発明と引用例記載のものとの相違点についてなされた審決の判断は正当であつて、審決に原告主張の違法はない。
三 よつて、審決の取消しを求める原告らの本訴請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担については行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第九三条第一項の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 藤井俊彦 竹田稔 岩田嘉彦)
別紙図面(1)
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