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東京高等裁判所 昭和61年(行コ)55号 判決 1988年6月29日

控訴人

地方公務員災害補償基金埼玉県支部長

畑和

訴訟代理人弁護士

堀家嘉郎

早川忠孝

橋本勇

関口幸男

被控訴人

會田瑤惠

訴訟代理人弁護士

丸山和也

阿部佳基

山之内三紀子

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審とも、被控訴人の負担とする。

二  控訴の趣旨に対する答弁

本件控訴を棄却する。

第二  当事者の主張

当事者双方の主張は、次のとおり訂正、付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する。

一  原判決八枚目裏末行の「管掌」の次に「の区画整理」を加え、同九枚目裏九行目の「大旨」を「概ね」と改め、同一〇枚目表四行目の「金杯」の次に「製作について」を加え、同一六枚目裏三行目の「見学」を「視察」と改め、同二三枚目裏一〇行目の「管掌」の次に「の区画整理」を加える。

二  控訴人の当審における主張

1  本件旅行前の瑞男の日常業務及び超過勤務時間

(一) およそ行政庁の事務は極めて特殊な例外を除いては、部、課、係の職員が組織的、有機的に担当、遂行するものであり、瑞男の管掌業務についても、これらすべてを瑞男が一人で担当、処理したものではなく、上司たる開発部長の指示、援助のもとで、係長及び課員等の部下職員(総勢三三人)を指揮して行われたものである。したがって、本件旅行前において、瑞男が各事務につきどの程度の量の業務を自ら担当、処理したかが具体的に明らかにされない限り、当時瑞男が業務遂行により慢性的疲労状態に陥っていたと認定することはできないというべきである。

(二) 瑞男の超過勤務時間数は、次のような事情を考慮すると、昭和五三年一二月が三時間前後、昭和五四年一月が七時間前後、同年二月が一〇時間前後とみるのが妥当である。

(1) 昭和五三年一二月一日から同月三一日までの三一日間のうち土曜、日曜、年末休暇、有給休暇などを差し引くと瑞男が勤務した平日の日数は一七日だけであり、同様に昭和五四年一月一日から同年二月一三日までの間に瑞男が超過勤務をなし得た平日の日数は二一日だけであった。

(2) 越谷市では、かねてから、超過勤務手当は、実際の残業時間数についてそのまま支給されてきているが、同市の支出命令書によれば、開発部管理課職員全員(三三人)の超過勤務時間数は、昭和五三年一二月が一五時間であり、昭和五四年一月が一一時間、同年二月が一〇一時間であるにすぎない。

(3) さらに、管理課の係長の職にあった者のうち超過勤務が最も多かった者の実績をみると、昭和五三年一二月は換地係長の三時間、昭和五四年一月は管理係長の七時間、同年二月は換地係長の一〇時間がそれぞれ最高であった。

2  本件旅行直前の瑞男の健康状態

瑞男は、昭和五四年一、二月当時、死亡の原因となるほどの強度の慢性的疲労状態にはなかったものである。すなわち、

(一) 本件旅行は、名目上は公務出張旅行であったが実質的には審議委員の労をねぎらう慰安旅行であり、瑞男が管理課長の職責上どうしても参加しなければならない性質の旅行ではなかったのであるから、瑞男は本件旅行直前に公務のために慢性的疲労状態に陥っていたのであれば、上司にその旨を申し出て旅行参加を取り止めることができた筈である。それにもかかわらず、あえて自らこれに参加したことは、当時、瑞男が慢性的疲労状態になかったことを如実に示すものである。

(二) また瑞男は、当時、慢性的疲労状態に陥っていたとすれば、目まい、肩こり、胃腸障害等何らかの身体的障害を惹起する筈であるのに、昭和五四年一、二月にはかかりつけの高橋医師の診療を一回も受けていない。

3  瑞男の旅行中の行動

本件旅行は二日間ともガイド付きの貸切バスを利用したものであったところ、被控訴人の主張するこの間の瑞男の行動をみるに、その内容は、旅行参加者に対するバスの乗降や休憩時間等についての指示、審議委員らに対するバス乗降の際の手助け、食堂における食券等の手配、審議委員らの荷物の運搬の手伝い、見学場所等における記念写真の撮影などの雑務、高令な審議委員の身の回りの世話、ホテルのチェックイン手続、参加者の部屋割りの決定、通知、夕食開始時間や翌日の予定の連絡、宴会場における席順の指定などであるが、いずれも一挙手一投足の労で足りるものばかりであるのに加えて、むしろこれらは部下の仕事であり森下係長が主に行ったものである。瑞男の右行動は、間欠的に行われたものであるから、これらの瑞男の行動が従来の業務内容に比し、著しく異なる過激な業務でないことは明白である。また瑞男は、旅行中に夜の宴会及びその後の懇親会等にも率先して参加しているが、これらは公務とはいえないものである。

4  瑞男の死亡原因

瑞男の死因は、脳梗塞であると診断されているが、これが脳血栓、脳塞栓のいずれに該当するかについてまでは明らかにされていない。ところで、医学上の一般的な見解として、脳血栓の発症原因は、脳動脈硬化症による場合が最も多いが嚢状動脈瘤破裂、髄膜血管性梅毒、結節性動脈周囲炎、低血圧、外傷なども原因となりうる、とされており、また、脳塞栓の発症原因は、動脈硬化症ないしリウマチ性心疾患に続発する心房細動の結果、心臓内にできた血栓が剥離し血流を介して脳に至り脳血管を閉塞して起こすことが最も多い、その他心筋梗塞を起した際できた左室内膜上の凝血、細菌性内膜炎の疣贅なども原因となりうる、とされている。したがって、医学上は、本件旅行の前後における蓄積された疲労やストレスだけで死に至るほど重度の脳梗塞を惹起するということはあり得ないというべきであり、たとえ、過労やストレスが原因となって脳梗塞による死亡が発生しうるとしても、その過労、ストレスは異常に強いものでなければならないと考えられるところ、本件において、瑞男の発症直前に公務遂行によるそのような強度の過労等が存在していたとは認められないから、瑞男の死亡原因である脳梗塞は、公務起因性を有しないことが明らかである。

医学上の一般的見解に基づき、瑞男本人の健康状態、行動等を総合して判断すると、結局、瑞男は、かかりつけの高橋医師が発見しえなかった脳動脈硬化症を基礎疾患として有していたものであるところ、旅行二日目の宴会終了後における過度の飲酒酩酊により急性アルコール症ないしそれに近い状態となり、これが引き金となってその血液、血管に何らかの異常が誘発された結果、脳梗塞が発症し、死亡したものと推認され、他に死因として考えられるものはない。

5  公務起因性の判断基準

本件の如き脳卒中について、労働省は「中枢神経及び循環器系疾患(脳卒中、急性心臓死等)の業務上外認定基準について」(基発第一一六号)との通達を出しており、これによれば、急性循環器障害の発症直前において、「災害的な事項」が業務として存在していたか否かを基準として業務上外の認定をすべきであるとしている。したがって、本件においては、瑞男の発症の日である昭和五四年二月一六日、もしくは、せいぜい旅行に出発した同月一四日以降の瑞男の業務について、従来の業務内容に比し、質的、量的にみてその程度が著しく異なる過激なものであったか否かを判断すべきであり、瑞男が開発部管理課長に任命された昭和五三年四月に遡ってその業務の内容、程度を判断対象とすべきではない。

三  被控訴人の当審における主張

1  控訴人の当審における主張はすべて争う。

2  瑞男が昭和五三年一二月中に勤務した日数は、一七日でなく二三日である。また瑞男は日曜にも休日出勤したことがあり、平日出勤日にも、午後五時以降の超過勤務だけでなく、出勤前に自宅から電話で仕事の打ち合せをしたり、昼食時間の半分以上を仕事に費やしたりしている、さらに昭和五四年一、二月中の瑞男の超過勤務時間数の計算についても控訴人の主張には誤りがある。

3  瑞男は、本件旅行の企画、遂行の事実上の責任者であった。瑞男が参加しなければ、この視察旅行は形をなさないし、審議委員に対しても説明がつかず、他の市側の参加職員に対しても、弁解できない関係にあった。瑞男は、当時、疲労、ストレスが蓄積し、本心は旅行に参加したくなかったが、組織における立場上、不参加の申出をすることもできず、まさか死亡するとは夢にも思わず、無理をして旅行に参加したものである。

4  瑞男の旅行中における行動について、控訴人主張の如く、一つ一つの行為を切り離して観察し評価するのは誤りである。旅行全体の中における瑞男の行動を総合的にとらえて評価すべきである。

5  公務起因性の判断基準として控訴人が主張する労働省通達は、二五年以上も前に出されたものであり、循環器系疾患についての医学的知識が必ずしも十分でない時代のものであるから、単に形式的な「あてはめ」式の運用をするのではなく、法が公務災害について補償を認めんとする本来の趣旨に立ち返って、柔軟な解釈、運用をすべきである。業務と発病の時間的間隔を「発病直前少なくとも発病当日」と制限することは、発病の原因を考える上で、医学的、実際的に欠陥がありすぎるし、また常に、発病直前の「災害的」業務(出来事)を要求することは、たまたま、そのような目立つ出来事があった者は救済されるが、そうでない者は、過労の程度のいかんにかかわらず救済されないという、極めて非科学的で、強い偶然に左右される結果を招来し、同じ被災者に著しい不公平を強いることになる。

第三  証拠<省略>

理由

一当裁判所も、被控訴人の本訴請求は、正当としてこれを認容すべきものと判断するが、その理由は、次のとおり訂正、付加するほかは、原判決の理由説示と同じであるから、これをここに引用する。

1  原判決二八枚目裏一〇行目の「甲第一四号証と、」を「甲第一四号証、乙第一三、第一四号証、」と改め、同二九枚目表二行目の「証拠はない。」の次に「乙第一八号証によっても右認定は左右されない。」を加え、同枚目四行目の「瑞男は、」の次に「昭和六年八月二日生れで、」を、同八行目の末尾に続けて「そして、瑞男は、この間の昭和四三年一〇月被控訴人と婚姻し、その後二子をもうけて円満な家庭生活を営んでいた。」をそれぞれ加え、同二九枚目裏一〇行目の「公園緑地係」を「緑化公園係」と、同一一行目の「約三〇名」を「三三名(ただし、緑化公園係には、係長がおらず、主任、主事の外六名の土木作業員がいた。)」

2  同三二枚目裏一行目の次に行を改めて「また、瑞男は、几帳面な性格で、人一倍責任感が強く仕事熱心であり、日ごろから自己の職務に全精力を注ぎこれを完全に遂行しようと努力していた。」を、同三三枚目裏一行目の「原則として」の次に「(ただし、同月二六日は、瑞男は一日中年次休暇をとった。)」をそれぞれ加え、同三四枚目裏八、九行目の「盛土運搬車両を搬入する」を「盛土運搬車両の搬入路を確保する」と、同三五枚目表五行目の「買取り」を「売却」とそれぞれ改め、同三六枚目表一、二行目の「瑞男は、」の次に「右式典が長年月を要した区画整理事業の完成を祝うにふさわしい内容となるよう行事全体に細かい配慮を加えながら、」を加え、同三六枚目裏八行目の「別表二」の次に「(ただし、同表の「12月中の上記以外の日帰宅」欄の「帰宅したことはまずなかった」を「帰宅したことが少なかった。」と、同表の「結論」欄の「仮に」から「そくしている。」までを「同年一二月一日から同月三一日までのうち超過勤務をなしえたと認められる平日の日数を一七日とし、一日三時間の超過勤務をしたとすると五一時間であり、夜一一時、一二時の帰宅や土、日曜の勤務を考慮すると少なくとも六〇時間以上あったと認めるのが実情にそくしている。」とそれぞれ改める。)」を、同三六枚目裏八、九行目の「および三」の次に「(ただし、同表の「通常時の超過勤務」欄の「通常日の数を」から「算定(25×5=125)」までを「通常日のうち超過勤務をなしえたと認められる日数を一六日とし、平均三時間超過勤務したとして算定。」と、同表の「時間数」欄の「125」を「48」と同じく「182」を「105」とそれぞれ改める。)」をそれぞれ加える。

3  同三七枚目表五行目の「成立に争いのない甲第三二号証、」を「前掲甲第三二号証、成立に争いのない」と改め、同三八枚目表末行の末尾に続けて「また、瑞男は、右のような実務面の責任者であったため、たとえ、当時、疲労等により体調がすぐれなかったとしても、旅行への参加を取り止めることは事実上許されない立場にあった。」を加え、同三九枚目裏三行目の「右視察」から同五行目の「行ない、」までを「右出発から視察、見学を経てホテルに到着するまでの間、瑞男は、実際の事務担当責任者として、旅行が計画どおり進行し、しかも参加者全員とりわけ審議委員が旅行に満足するよう絶え間なく諸事全体に気を配り、森田係長の協力を得てこれらの諸事務を手落ちなく遂行したが、たとえば、旅行参加者に対し、折りをみて旅行行程の説明や乗り継ぎの案内をし、乗り物の乗降時間や休憩時間等について逐一細かく指示を行い、」と、同六行目の「帰けた。」を「助けるなどし、」とそれぞれ改め、同四〇枚目表八行目の「含めて」の次に「心身ともに」を加え、同四一枚目裏三行目及び同三、四行目の各「都市区画整理事業」を「土地区画整理事業」とそれぞれ改め、同四三枚目裏六行目の末尾に続けて「なお、瑞男は、当夜も右のように審議委員らの接待に務めていたため、酩酊するなどの飲酒はしなかった。」を加える。

4  同四五枚目裏四、五行目の「異常は認められず」を「肝機能や胸部に異常はなく、また心臓疾患の疑いも認められず、」と、同四六枚目表末行の「週に数回」を「週に一、二回」と、同四七枚目表七行目の「昭和五四年」を「昭和五三年」とそれぞれ改める。

5  同四八枚目表二行目の「場合であっても、」の次に「それが自然的に増悪したものではなく、」を、同一一行目の「あたっては、」の次に「発病までの」を、同行目の「わたる」の次に「激しい」をそれぞれ加える。

6 同四八枚目裏八、九行目の「第二九ないし第三二号証、」を「第二九ないし第三一号証、乙第一二号の一ないし三、前掲甲第三二号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一〇号証、」と、同四九枚目表一行目の「午後一二時四〇分」を「午後零時四〇分」とそれぞれ改める。同四九枚目裏末行の「前者は、」から同五〇枚目裏八行目末尾までを次のとおり改める。

「脳血栓は、脳動脈壁の硬化、肥厚などによりその内腔が狭くなり、そこを流れる血液量が減少し、その流域の脳組織が局所的に虚血に陥って壊死を起こすものであり、脳塞栓は、動脈硬化性ないしリウマチ性心疾患に続発する心房細動の結果、心臓内に血栓が形成され、それが剥離し、その断片が血流を介して脳に至り、脳血管を閉塞して起こすことが最も多い。そして脳梗塞の原因の大部分を占めているのは脳血栓であり、脳血栓は、例外的な場合を除き、殆んどが脳に関連した動脈硬化を基盤として発症するものとされている。動脈硬化は、一般に、かなり若い年代から始まり、年をとるにつれて増大し、その程度は各個人によって差があるが、その発症及び増悪因子として、食事(塩分の過剰摂取、習慣的飲酒、喫煙なども含まれる)、運動、血圧、神経の緊張度(心労、不安などの心理的ストレスや気候の変化などによる物理的ストレスを含む)、遺伝などが挙げられている。これらの中でも脳血栓発症のいわゆる引き金として、ストレスが重要視されており、このストレスが遊離脂肪酸やカテコールアミン、コレステロールを血中において増加させ、副腎皮質ホルモンの増減等に影響を与えることによって動脈硬化に増悪的に作用すると考えられている(なお、動脈に何らの病変もない場合、単なるストレスのみによって脳血栓が発症するということは一般的には考え難い。)。

7 同五一枚目表一〇行目の「などの事実」から同一一行目の「時点において、」までを「などの事実に前項認定の医学上の一般的見解を併せ考えると、瑞男は、本件旅行に参加した当時、すでに動脈硬化症に罹患していたものと推認するのが相当であるが、しかし、その程度は、」と、同五一枚目裏二行目の「基礎疾患を有していなかった」を「基礎疾患ではなかった」とそれぞれ改め、同四行目の「瑞男は、」の次に「几帳面な性格で責任感が強く、職務遂行に熱心であったが、」を、同五二枚目表三行目の「東越谷」の次に「第一」を、同五三枚目裏一、二行目の「責任者として、」の次に「旅行が日程どおり円滑に遂行され、かつ、参加者全員が満足するよう絶えず事務全般に気を配り、その実現に精力を注ぎ続け、たとえば、」をそれぞれ加え、同一一行目から同五四枚目表一行目にかけての「本件旅行に参加したことにより、」を「本件旅行中、日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したことにより、」と改める。

8 同五四枚目八行目の「本件出張旅行における業務遂行に際しての」を「本件出張旅行中における多量、異質な業務の遂行による」と、同一〇行目の「瑞男の血液の性状に影響を与え」を「瑞男の動脈硬化症を急激に増悪せしめるとともに、その血液の性状に悪影響を与え」と、同五四枚目裏四行目の「ないとはいえない。」を「ないとはいえず、右死亡と公務との間には相当因果関係があると認められる。」とそれぞれ改める。

二よって、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官田尾桃二 裁判官市川賴明 裁判官櫻井敏雄は転補のため署名、捺印することができない。裁判長裁判官田尾桃二)

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