東京高等裁判所 昭和62年(う)1274号 判決 1994年6月22日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中一〇〇〇日を原判決の本刑に算入する。
当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人弘中惇一郎、同鈴木淳二、同喜田村洋一、同渡辺務、同加城千波が連名で作成した昭和六三年五月三一日付け及び平成元年四月五日付け各控訴趣意書(以下、前者を「趣意書」後者を「追加趣意書」という。)、控訴趣意書補充書、被告人作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官久保裕作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。
そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討する。
なお、弁護人は、当審において、本件といわゆる銃撃事件とは包括一罪の関係にあるとして、公訴棄却を求める申立をしているが、右二つの事件の公訴事実を対比すると、両者は併合罪の関係にあると認められるから、右申立は、採用できない。
第一 訴訟手続の法令違反の論旨について
一 検察官手持ちの重要証拠の開示をしなかったことが審理不尽である旨の主張について(趣意書第二の一)
所論は、原裁判所は、昭和六一年四月一日付け「証拠開示の申出に対する措置」により、検察官手持ち証拠の開示、特に、(a)加藤順子及び山野辺夫妻の供述調書、(b)の大久保美邦、佐々木清美、井上昇宗、三浦次郎及び清水礼子の司法警察員に対する供述調書(以下「員面調書」という。)等の開示を命じなかったが、右措置は審理不尽である旨主張する。
しかし、まず、(a)については、検察官はこれらの者の供述調書を、証拠として申請しておらず、証人申請もしていないのであって、原裁判所が検察官にこれらの者の供述調書を開示させなくても違法とはいえない(なお、加藤順子については、弁護人が供述調書を作成し、これが証拠として取り調べられている。)。
また、(b)については、これらの者は原審において証人として取り調べられており、検察官はこれらの者の検察官に対する供述調書(以下「検面調書」という。)を事前に弁護人に開示しているところ、員面調書の開示の必要性について疎明があったとは認められないし、実際には弁護人はこれらの証人に十分な反対尋問を行っているのであって、これらの点からすると、原裁判所が検察官に右の者らの員面調書を開示させなかったことは違法とはいえない。
さらに、供述調書以外の証拠については、弁護人は、所論の証拠の開示を求めていないのであるから(昭和六一年二月二〇日付け検察官に対する証拠開示要求書及び同年三月一八日付け裁判所に対する証拠開示命令請求書にも、開示を求める証拠として記載されていない。)、原裁判所が検察官にそれらを開示させなかったとしても、これが審理不尽であるということはできない。
二 検察官が原審においてフジワラ医師の供述調書三通を隠したなどとして訴訟手続の法令違反、審理不尽をいう主張について(追加趣意書)
所論は、要旨、次のように主張する。
原審では、検察官は、Cの傷の位置、形状、大きさ等についてタッド・フジワラの昭和六〇年八月六日付け供述調書二通及びカルテのみを証拠申請した上、渡辺博司医師にBの供述する殴打行為とカルテ上のスケッチの傷と矛盾しない旨証言させ、その結果、Bの供述する殴打行為とCの頭部にできた傷の位置、形状、大きさ等が医学上何ら矛盾しないとして有罪判決がされたが、当審になってフジワラの供述調書が他にも三通あることが判明したことから、裁判長が検察官に釈明を求めたところ、検察官は、原審では必要がないから右三通の供述調書を証拠申請せず、開示もしなかったと釈明した。しかし、右五通の供述調書は、その作成日付け等から見て同一の機会に作成された密接不可分な供述調書であり、右三通の供述調書を証拠申請しなかったのは、その内容が検察官側に都合の悪いものであったからだと考えられる。このように、検察官側に都合の悪い三通の供述調書を隠し、しかも、この三通の供述調書がそもそも存在しないかのような内容虚偽の報告書(甲一七二号証)を提出するがごとき行為は、全体としてみれば、実質的な証拠の改ざんといわなければならない。したがって、(a)原審における検察官のフジワラの供述調書の開示、提出の方法及び右報告書の作成提出、さらに渡辺医師の尋問方法などは、全体として検察官が故意に証拠の改ざん、隠匿を行ったものであり、これに基づく原審の審理手続は、憲法三一条、刑訴法一条に違反する。(b)原裁判所は、密接不可分な五通のフジワラの供述調書及びカルテについて、その一部のみを取り調べ、その結果、フジワラの診た傷の位置、形状、大きさ及び同医師が専門家として判断した受傷の原因について、全く事実と異なる認定をしたもので、このような原審の証拠調手続は、刑訴法三一七条、三一八条に違反する。(c)原審で取り調べられた二通のフジワラの供述調書は、いずれも弁護人の有効な同意がなく、また刑訴法三二一条一項三号の要件を充足しないのに取り調べられたものであるから、この点についての原審の証拠調手続は、刑訴法三二〇条一項、三二一条一項三号、三二六条に違反する。(d)弁護人は、右のような違法、不当な行為により、B、渡辺、フジワラらに対する反対尋問権を実質的に奪われたものであり、このような原審の訴訟手続は、憲法三七条二項、刑訴法三〇八条に違反する。また、頭部の受傷原因についての鑑定などの証拠調べを行わなかった原審の訴訟指揮は、審理不尽の違法を冒したものである。
そこで、検討するに、原審において、弁護人がフジワラの供述調書の開示を求めた形跡はないこと(前記一の証拠開示要求書おらび証拠開示命令請求書にも、開示を求める証拠としてフジワラの供述調書は記載されていない。)、所論指摘の検察官の釈明が虚偽であるとはいえないこと、所論指摘の報告書(甲一七二号証)は、フジワラの供述調書二通の作成経過等が記載されているものであって、他に同人の供述調書が存在しないとの趣旨は含んでいないと認められることなどからすると、検察官が原審においてフジワラの供述調書を隠したとまでは認められない。したがって、この点を前提とする所論は、全てその前提を欠き採用できない。また、原審で取り調べられたフジワラの供述調書二通が刑訴法三二一条一項三号の要件を充足することは明らかであるから、原審の証拠調手続に所論の違法はない。さらに、所論の点につき鑑定をしなかったからといって審理不尽の違法があるとは認められない。
三 Bの証人尋問の時期等が違法である旨の主張について(趣意書第二の二)
所論は、原裁判所は、共犯者とされているBを、真っ先に、かつ、真実を供述することが期待できないようなマスコミの加熱報道の中で、しかも、B自身の事件の控訴審の控訴趣意書提出期間中に証人として尋問したが、これは防御権の著しい侵害で、刑訴法三〇一条、三一九条二項、憲法三八条三項に違反するものであり、少なくとも再尋問を怠ったのは審理不尽である旨主張する。
そこで、検討するに、まず、所論が共犯者の自白も自白に含まれるとして論旨を展開している部分は採用できない。また、本件は、いわゆる共謀共同正犯の事案であり、実行行為者のBが最も重要な証人であるから、最良証拠による立証の原則からしてできるだけ早い時期に尋問することが要請されるところ、原裁判所は、検察官の請求を容れて最初に尋問することを決定したものと思われる。所論の点は、証言の信用性を判断するときに考慮すべき事項であるに止まり、Bの尋問時期に関する原裁判所の措置に何らの違法はない。違憲の主張は、前提を欠く。また、原裁判所が再尋問の必要性を認めなかった点にも、違法は認められない。
四 Bの検面調書の採用が違法であるとの主張について(趣意書第二の三、被告人の控訴趣意書第一の一)
所論は、原裁判所は、Bの昭和六〇年九月二八日付け、同月二九日付け、同月三〇日付け各検面調書謄本を刑訴法三二一条一項二号後段の書面として採用したが、(a)右条項は憲法三七条二項に違反し、無効である。(b)仮に右条項が憲法三七条二項に違反しないとしても、右各調書を証拠として採用したのは刑訴法三二一条一項二号後段に違反する旨主張する。
しかし、刑訴法三二一条一項二号後段が憲法に違反しないことは、最判昭和三〇年一一月二九日(刑集九巻一二号二五二四頁)以来確立した判例であり、当裁判所の見解もこれと同一である。
また、Bの右各検面調書謄本の供述記載と原審公判廷における証言との間の主要な相反部分は原判決が摘記するとおりであり(詳しくは、後記第三の五4(一)(6)のとおり)、原判決が、いわゆる特信性に関する検察官の主張(記録三冊五三三丁。以下3五三三のように記載する。)を検討し、これが具わっていると認めたことに誤りは認められない。
所論は、Bの検察官に対する供述は、連日の長時間の取調べ利益誘導等の違法捜査によって獲得されたもので特信性は全くなく、検察官の誘導、作文であることや単なる推測を断定的に記載されてしまったことは、Bが証言しているとおりであるとして、証言を多数引用している。
確かに、Bは、検察官の取調状況について、所論引用のとおりの証言をしているが、他方において、幕田検事の取調べの印象は、「なるべく私の言うことを理解するようにいろいろと努力なさったんじゃないかと思います」と述べ、間違ったというよりも、言葉のニュアンスとか、私が考えていたかのように文章になって出たところや読み聞かされるのを聞いていて首をかしげる部分があったが、現在どの点がそうかといわれても、何がということは答えられない旨述べている(9一二三〇)。また、前記三通の検面調書謄本には、資料としてB自筆の図面等が多数添付されており、取調期間中である九月二七日から一〇月三日にかけて、かなり詳しいB自筆のメモが残されており、これらの書面の存在及び内容は、Bの取調状況が所論のいうようなものでなかったことを推認させる。さらに、所論引用のB証言は、後記第三の五4(二)の(2)でみるように、Bが検察官に対する供述と一部相反する証言をした関係で、証言と相反する供述を録取された取調状況についても自己に有利に証言したものと認められる。その他、長時間の取調べにBが耐えられなかったとか、利益誘導をうかがわせる事情も認められない。したがって、右各調書を証拠として採用した原裁判所の措置に所論の違法はない。
五 原審の国選弁護人選任行為が違法である旨の主張について(趣意書第二の四)
所論は、原裁判所は、第一三回公判後私選弁護人が解任されたため国選弁護人二名を選任したが、右弁護人両名は、Bがハンマー様凶器でCの頭部を殴打したかどうかが本件の最も重要な争点の一つであることにかんがみ、被害者を最初に診察、治療したフジワラ医師に会ってその供述を得るべきであったのに、そのような当然の弁護活動を行わなかったから、被告人は弁護人の実質的援助を受けられなかったこととなり、原裁判所の右選任行為は憲法三七条三項に違反する旨主張する。
しかし、記録を検討すると、右弁護人両名は、第一四回公判から第二三回公判まで一〇回にわたって本件公判に立会し、所論指摘の争点を含め、弁護人としてなすべき活動を十分に行っていることが認められる(フジワラ医師に会ってその供述を得なかったのは所論のとおりであるが、それは、同医師がロサンゼルス在住のアメリカ人であったためと認められる。)。所論は前提を欠くといわなければならない。
六 まとめ
以上のとおりであり、その他所論に即し逐一検討しても、原判決に所論のような訴訟手続の法令違反はない。論旨は理由がない。
第二 理由不備の論旨について
一 原判決には犯行の動機の認定が欠落しているとの主張について(趣意書第三の一)
所論は、原判決は、判決理由の中で、起訴状に掲げられた「被告人の妻C(当時二八歳)を被保険者とする生命保険金を入手する目的」という動機が認められないとしながら、これに代わる何らの動機も認定していないから、理由不備の違法がある旨主張する。
しかし、原判決は、「罪となるべき事実」として、被告人においては、「予て第一生命保険相互会社及び千代田生命保険相互会社との間で、Cを被保険者とし、自己を受取人として締結していた災害死亡時合計八〇〇〇万円の保険金に加え、更に、高額の保険金をC殺害後合わせて取得する意図の下に」アメリカンホーム保険会社との間で、Cを被保険者とする傷害死亡時保険金額七五〇〇万円の保険契約を締結した後、本件犯行を敢行したとしているのであって、動機を認定判示している。また、原判決は、「事実認定についての当裁判所の判断」の項において、検察官の動機に関する主張のうち、被告人が、その経営する株式会社フルハム・ロードの資金繰りに困窮して、保険金殺人を計画し、あらかじめ第一生命と千代田生命の保険に加入した上、これが保険金を入手すべくC殺害を決意するに至ったものとは断じ難いとしたが、アメリカンホームの保険はCを殺害して入手する目的もあって加入したものということができるし、「被告人がBに対しC殺害への加担を持ちかけた際、その報酬として三〇〇〇万円の保険金のうち半分を同女にやる旨約束をしていることに徴すると」被告人が予め締結していた第一生命と千代田生命の保険金も「遅くともBにC殺害への加担を持ちかけた際には、C殺害後入手しようとの意図を有していたことが明らか」であり、「本件における被告人の保険金入手目的は、この限りにおいて認めることができる」旨判示している。さらに、「量刑の事情」の項においても、「動機目的」につき「遅くとも、被告人が、Bに本件犯行への加担を持ちかけた段階では、Cを被保険者とする保険の保険金を不正に入手しようとの意図を持っていたことは明らかである」と判示している。そうすると、原判決に犯行の動機の認定が欠落しているということができないことは、明らかである。
二 Cの傷の証拠調べが不十分であるとの主張について(趣意書第三の二)
所論は、原裁判所は、Cの後頭部の傷の形状、位置、程度等を特定するために必要な証拠調べを一切行わず、フジワラ医師の供述調書の中に傷の位置、形状についての説明やスケッチについての説明が欠けていることを知りながら、同医師にこの点を確かめることもしないまま、Bの供述と傷の形状が一致しているという誤った結論を出しているから、審理不尽及び理由不備の違法がある旨主張する。
しかし、原審における両当事者の立証状況、フジワラ医師がロサンゼルス在住のアメリカ人で、日本の法廷で証言することを拒否したこと、法医学の専門家である渡辺博司を証人として調べていること、フジワラ医師作成のカルテと同人の供述調書を取り調べ、渡辺の証言により、Bの供述とフジワラ医師のカルテ等に記載されているCの傷とが矛盾しないものであるかどうかを検討していることを考慮すると、傷に関する証拠調べとこれに基づく認定、判示に所論のような違法があるとはいえない。
三 B証言の信用性の検討が不十分であるとの主張について(趣意書第三の三)
所論は、Bの原審証言は、その個々の証言内容によって、検察官に対する供述を変更した理由が異なるはずであるのに、原判決が、それを個々的に検討せず、検面調書と矛盾する証言を全て虚偽であると決めつけたのは、審理不尽の誤りを冒した上、理由不備の違法がある旨主張する。
しかし、原判決の「事実認定についての当裁判所の判断」の説示に照らすと、原判決は、所論の点を十分に検討していることが認められるから、所論はその前提を欠くというべきである。
四 まとめ
以上のとおりであり、その他所論に即し逐一検討しても、原判決に所論のような理由不備及び審理不尽は認められない。論旨は理由がない。
第三 事実誤認の論旨について(趣意書第四、控訴趣意書補充書、被告人の控訴趣意書)
一 控訴趣意の要旨
原判決は、被告人が、愛人であったBと被告人の妻C(当時二八歳)を殺害することを共謀し、Bが、昭和五六年八月一三日午後六時ころ、アメリカ合衆国ロサンゼルス市内のザ・ニュー・オータニ・ホテル・アンド・ガーデン(以下「ニューオータニ」という。)二〇一二号室において、殺意をもって、Cの背後からその後頭部をハンマー様凶器で力一杯殴打したが、後頭部挫裂創の傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げなかったと認定し、被告人に殺人未遂の共同正犯が成立するとした。しかし、以下に述べるところが真相であり、被告人は、Bと右のような共謀をしたことはなく、無罪である。Bが本件時渡米した目的は、ロサンゼルスで被告人からマリファナを受け取ることが中心であったが、同時に初めての海外旅行を楽しむこと、とりわけツアーの自由行動日に被告人に付き合ってもらうことも強く期待していた。被告人は、八月一二日、Bから頼まれたマリファナを入手するため、かねてからの購入先のリチャードに電話したが、同人から手元にはなく当面入手の目処もない旨言われたため、同日夜Bにその旨伝えたところ、Bは何とか他からでも入手して欲しいと言い、また翌日の自由行動日には少しの時間でよいから自分に付き合ってもらいたいとせがんだ。被告人は、これに曖昧な答えをしたまま、翌一三日、Cと外出し、午後五時過ぎころホテルに戻った。Bは、被告人から何の連絡もなく、焦燥感とみじめさをつのらせ、被告人に対する怒りの気持を強めていたが、被告人が腕いっぱいの買い物を抱えてCと談笑しながら帰って来たのを見て、ついに、同日午後六時半ころ、たまりかねて前記二〇一二号室へ行った。ドアのチャイムが鳴ったので、Cは、ドアの覗き穴から見たところ、若い東洋人の女性が一人立っていたので、前日のチャイナドレスの仮縫いのキャンセルが連絡不十分で、縫い子が来てしまったものかと考え、説明しようと思いドアを開けた。憤慨しつつ室内に入ったBは、被告人が不在であったためCに被告人の所在を尋ねてくってかかったところ、Cから「あなたは誰なの、すぐ出て行ってちょうだい」と室外に押し返されそうになったため、カッとなって「あなたこそAと別れなさい」などと言い返し、Cを強く突き飛ばした。このはずみでCは転倒し、家具の角に後頭部を強打し、頭皮の一部が切れて出血した。Cの傷は、このようにして生じたもので、原判決が認定するように、Bからハンマー様の凶器で殴打されたものではない。原判決には事実の誤認がある。
二 本件に関連する事実関係の概要
関係各証拠によれば、以下の事実が認められ、これらの事実については、所論も争っていない。
(1) 被告人は、昭和五三年二月一日、東京都渋谷区神宮前<番地略>に日用雑貨の輸出入及び販売等を目的とする資本金五〇〇万円の株式会社フルハム・ロード(以下「フルハムロード」を設立して代表取締役となり、本件当時もその営業を続けていた。
(2) 被告人は、昭和五四年七月二六日C(本件被害者)と婚姻し、翌五五年九月一五日長女Eが出生した。
(3) 被告人は、昭和五五年一月一日、第一生命保険相互会社との間で、被保険者をC、受取人を被告人として、災害死亡時三〇〇〇万円の保険契約を締結し、翌五六年二月一日、千代田生命保険相互会社との間で、右同様被保険者をC、受取人を被告人として、災害死亡時五〇〇〇万円の保険契約を締結した。なお、被告人は、それぞれ同じ日に被保険者を被告人、受取人をCとして、同じ額の保険契約も締結している。
(4) Bは、昭和五六年五月上旬ころ、友人で被告人の交際相手であったFから、赤坂東急ホテルで開かれた被告人主催のパーティに誘われてこれに参加し、同所で同女から被告人を紹介された。被告人は、しばらくしてBを食事に誘って肉体関係をもち、度々同女と会うようになった。Bは、そのころ、それまで付き合っていた深町栄司から別れ話を持ち出されてこれを被告人に話したところ、被告人が深町の妻葉子とかけあってくれ、同年七月七日、同女から慰謝料名下に現金三八万円を受け取ることができた。Bは、そのころ、それまで勤めていた化粧品会社を辞めていたことから、被告人に仕事を探して欲しい旨頼んでいた。
(5) Bは、同月一四日、東急観光株式会社(「東急観光」という。)新宿営業所に、同年八月一〇日出発、同月一七日帰国予定のアメリカ西海岸のツアーに参加の申込みをし、七月一六日、申込金三万円を支払って、正式に申込手続をした。
(6) 被告人は、同月一七日、商用でロサンゼルスに向け出国し、同月二四日帰国した。Bは、同月二七日、被告人から六〇万円を受け取り、同月三一日、東急観光に残りの旅行代金として四七万円を支払った。
(7) 被告人は、同年八月五日、アメリカンホーム保険会社との間で、被保険者をC、受取人を法定相続人とし、保険期間を同月一二日から一〇日間、死亡時保険金額を七五〇〇万円とする海外旅行傷害保険契約を締結した。
(8) Bは、同月九日、友人の清水礼子方へ宿泊し、翌一〇日、前記ツアーの一員としてアメリカに向け出発し、サンフランシスコを経て、同月一二日(現地時間。アメリカにおける事実につき、以下同じ。)ロサンゼルス市に着き、ニューオータニにチェックインし、一四二六号室に入った。Bは、同日、ツアーの添乗員からディズニーランドへのオプショナルツアーに誘われたがこれを断り、翌一三日のメキシコへのオプショナルツアーも断ってホテルに留まった。被告人は、同月一二日、Cを伴ってロサンゼルスに向けて出発し、同日、ニューオータニにチェックインし、二〇一二号室に入った。
(9) 翌一三日午後六時過ぎころ、Bは、二〇一二号室へ行き、当時一人で在室していたCが後頭部に負傷した。そのころ、被告人は、同ホテル一階のコーヒーショップ「カナリーガーデン」において、フルハムロードのロサンゼルスにおける買付け代行をしていたDとともに、かねてから予定していた船会社の者との商談をしていたが、呼び出されて二〇一二号室へ行った。Cは、ホテルに呼ばれたフジワラ医師の簡単な診察を受けた後、ロサンゼルス市内のプレスビテリアン病院に行き、同医師から後頭部の傷を縫合する処置を受けた。
(10) Bは、翌一四日、他のツアー参加者と共にハワイに向かい、同月一七日帰国した。被告人は、同月一九日、Cとともに帰国し、同月二四日ころ、アメリカンホーム保険会社に対し、Cがホテルの自室のトイレでつなぎのスーツを脱いだ際、床の水に足を滑らせて転倒したため後頭部に裂傷を負ったとして治療費等を請求し、同年九月になって、同保険会社から約一八万円が支払われた。
三 本件の証拠構造
(1) Cが後頭部に負傷した際、ニューオータニ二〇一二号室にはBとCの二人しかいなかったため、CとBは本件の真相を知る上で特に重要な人物である。ところが、Cは、本件の約三か月後の昭和五六年一一月ロサンゼルスにおいて何者かにライフル銃で撃たれ、意識を失ったまま約一年後に死亡したため、捜査機関からの事情聴取が全くされていない。しかし、同女は、生前、負傷時の状況を、負傷直後に被告人、D及びフジワラ医師に説明したほか、帰国前に友人の加藤順子に、帰国後に妹の佐々木清美、父の佐々木良次、従姉妹の小松香らに話している。
(2) 他方、Bは、Cが負傷した際の状況を、その夜のうちにニューオータニの土産物店の従業員井上昇宗に話したほか、三浦次郎をはじめとする知人等に話し、また、警視庁に上申書を提出した上、捜査官の取調べに応じて供述し、さらに、自らを被告人とする殺人未遂被告事件(以下「別件」ともいう。)の公判及び本件第一審において供述している。
(3) 被告人は、Cが負傷した状況を、その直後にDに説明したほか、逮捕された後捜査官の取調べに応じて供述し、また本件第一審及び当審において供述している。ただし、被告人は、捜査段階以来一貫して犯行を否認している。
(4) こうして、本件をめぐっては、供述源がCであるもの、Bであるもの及び被告人であるものの三種類の供述証拠がある。他方、検察官はCはハンマー様の凶器で殴打されたと主張するが、この凶器は発見されていない。
(5) このように、本件においては、Bの供述が唯一の直接証拠であり、原判決が説示するとおり、被告人とBとの間にC殺害の共謀が存在し、これに基づきBが犯行に及んだか否かは、掛かってB供述の信用性如何にあるといわなければならない。その意味で、本件ではBの供述が特に重要であるが、Bの供述はいわゆる共犯者の供述であり、慎重に吟味する必要がある。
四 B供述の内容
Bの原審証言(13三、九八、二七二、14三三八、五三〇、15六九八、八六八)及び昭和六〇年九月二八日付け(9一三一七)、同月二九日付け(10一三五一)、同月三〇日付け(10一四三六)各検面調書謄本によれば(前者と後者が相違する部分は、後者による。)、Bの供述の内容、大要、次のとおりである。
(1) (a)私は、昭和五六年五月初めころ、友人の今澤法江に誘われ、赤坂東急ホテルの客室で開かれた少人数のパーティに参加した際、当時同女の愛人であった被告人と面識を得、その後、フルハムロードが主催するファッションショーを見に行くなどして被告人に接するうち、被告人のスマートな容姿、ソフトな話し方、都会的な立居振舞いに惹き付けられ、被告人のことを素敵な人だと思うようになっていたところ、その後暫くして被告人から電話で食事に誘われ、同月下旬ころ、その誘いに応じて被告人と会い、その際、誘われるままホテルに入り、被告人と初めて肉体関係をもち、以後交際するようになった。(b)私は、同月二八日、当時交際は途絶えていたが以前深く交際し、当時もまだ未練があった深町栄司からはっきりした態度で別れ話を持ち出されて強い衝撃を受け、そのころ、そのことを被告人に打ち明けたところ、被告人は、「そんなことで悩むのは馬鹿らしいよ。もっと人生楽しく生きなければいけないよ」と励ましてくれた。(c)六月末か七月初めころ、被告人に対し、深町と別れたために会社に行く気力もなくなって勤めを辞めてしまった旨話したところ、被告人から、「慰謝料を取ってあげる」などと言われてその処理を被告人に任せた。(d)被告人が深町の妻と交渉してくれて、七月七日、私は深町の妻から三八万円を受け取ることができた。いざ金を取ってみると、被告人の言うとおり、深町のことでこれまで長い間思い悩んできたことが一挙に吹っ切れてしまい、私は、ますます被告人に対する信頼の度を深め、被告人のことを、何か問題があれば全て解決してくれるスーパーマンのような存在として見るようになった。
(2) (a)私は、被告人に就職口を探してくれるよう頼んでいたところ、同月一〇日ころ、被告人から仕事が見つかった旨連絡を受けたので、フルハムロード近くのレストラン「セレクション」で被告人と会い、どのような仕事なのか尋ねると、被告人は、(ⅰ)「実は、B、人を殺す仕事なんだよ」と真剣な口調で言い、さらに、それは被告人の妻を対象とする保険金殺人であって、「(ⅱ)興信所に妻の素行を調べさせたら、妻がライバル会社の社長と浮気をして、フルハムロードの情報をライバル会社に流していることが分かった。(ⅲ)また、可愛い子供をベビーシッターに預けて遊び歩き、子供の面倒を全く見ないし、会社の従業員に対しても社長夫人面をしているので、従業員の手前恥ずかしい。妻に愛情なんかない。妻をひどく憎んでいる。(ⅳ)やってくれたら保険金の半分をあげる。(ⅴ)もしBがオーケーしてくれたら、僕とBは一生つながっていける。(ⅵ)僕は今までに何度も人を殺しているが一度もばれたことはない。人を殺すなんて簡単なことだ。絶対にばれない計画を立てるから心配はいらない」などと言われた。(b)私は、被告人に敢えて私に殺人の協力方を求めてきたということは、私のことを信頼のできる特別な女性とみてくれているからで、ここで被告人の依頼を承諾すれば被告人の最愛の女性になれるし、また、まとまった保険金が貰えれば今まで憧れていた豊かで華やかな生活も実現できると思い、被告人の立てた計画どおりにやれば絶対に発覚しないとの被告の言を信じて自分の人生を被告人に賭けることとし、翌日、これを承諾する返事をした。
(3) (a)その後、八月六日ころまでの間、右「セレクション」、被告人方付近に駐車した自動車の中、渋谷パルコパートーⅠ内の喫茶店、その近くのモーテル、赤坂東急ホテル等で被告人と会い、被告人から「完全犯罪なのて簡単にできるんだよ。一番いいのは全然結び付きのない人間と一緒にやり、殺される者と無関係の者にやらせる方法だ。ノン(今澤法江)もマリファナのことがあるから僕とBのことは喋らない。大丈夫だ。保険金は三〇〇〇万円だが、昔から掛けているものだから絶対に怪しまれない。成功してこの保険金が入ったらそのうち一五〇〇万円をやる。使い道を考えるようにすれば気分が楽になる」などと言われた。(b)そして、C殺害の具体的方法について、被告人がCに煙草を買いに行かせ、私が物陰に隠れていて通り魔に見せ掛けてCを殺す、海水浴に行き岸から離れたところで、隠れていた私がCの足を引っ張って水死させる、私がピストルでCの頭と被告人の足を撃つ、被告人がCの頭を撃ってから自分の足を撃ち、私がピストルをどこかに捨てる、ナイフを用いてやるなど様々な方法が被告人から提案されて話し合ったが、結局は、Cの頭を殴って撲殺するという方法でやることになり、私もそれくらいならできると思い、これを了承した。(c)また、私が、「日本の警察は優秀なので、日本ではやりたくない」と言ったため、被告人が提案し、私も了承してアメリカのロサンゼルスでCを殺すことになった。
(4) (a)そして、被告人に言われて、八月一〇日に出発する旅行会社のパッケージツアーに参加してロサンゼルスに行くことにしたが、その際被告人から、ホテルは一人部屋を取り、どのホテルに滞在することになるのかしっかりと確認しておくように、旅行のことは親兄弟にも話すななどと指示された。(b)私は、七月一四日ころに東急観光主催のアメリカツアーへの参加を申し込み、その後、被告人から旅行費用として六〇万円を受け取り、支払済の申込金三万円のほか四七万円を東急観光に支払った。(c)そのツアーのロサンゼルスでのホテルの予定はパンフレットではヒルトンホテルになっていたが、八月四日か五日にはホテルもニューオータニに決まったので、被告人にこれを知らせ、同月六日には日程表も貰うことができたので、被告人にこれを見せた。(d)その時被告人から「八月一三日は一日中オプショナルツアーになっているから、Bが自由行動をとってもおかしくない。この日にやろう。時間は当日改めて指示する。僕もCもニューオータニに泊まることにしてあるから、やる場所はホテルのCの部屋にしよう。殴る道具は先に渡米した時トンカチのような形の鉄の塊を見付けておいたのでロスに行ってから渡す。これはアメリカにはごろごろしているが日本では余り見かけない物だから日本人がやったとは警察も思わない」などと言われ、さらに、殺害の具体的手順及び事後の偽装工作についても、被告人から次のような指示を受けた。(e)すなわち、「(ⅰ)僕はフルハムロードのロサンゼルス駐在員との商談を予め同月一三日に設定しておいて部屋を出る。(ⅱ)Cには中国服の仮縫いのための採寸に中国人の女性が部屋に訪ねて来ると話しておくから、Bは、僕が商談をしている間に、採寸に来た女性を装って部屋に入り、Cがドアを閉めて部屋の奥に向かって歩き出した際、部屋に入ってすぐやれないときは、採寸の振りをしながらCの隙をみて、背後から、トンカチ様の鉄の塊でCの頭を殴れ。何度も何度も殴れ。(ⅲ)そして、Cが死んだことを確認した後、部屋の中のハンドバックや鞄から現金や貴重品を取り、あとは部屋にばら撒き、Cが身に付けているネックレス類も持ち出し、あたかも強盗に襲われたように見せかけろ。(ⅳ)僕は、BがCを殺したあと、商談に同席中のDにCを呼ぼうと話し、Cに電話をするが、出ないということで、DにCの部屋に呼びに行かせ、死んでいるのを発見して貰う。Dが僕のアリバイを証明してくれることになる」というものであった。
(5) (a)私は、アメリカへ渡航する前夜、友人の清水礼子方を訪ねたが、その際、計画が失敗してアメリカの警察に捕まってしまうのではないか、そして、再び日本へ帰って来られなくなるのではないかとの不安に駆られたので、清水に対し、「ロサンゼルスに大きな仕事をしに行く。それは危ない仕事で日本に帰って来られなくなるかも知れない。その時は警察にこれを届けて」と言って、フルハムロードの電話番号を書いた紙片を渡した。(b)私は、翌一〇日成田を出発し、途中サンフランシスコに二泊して、一二日ロサンゼルスに入り、市内のニューオータニにチェックインした。そして、その日夜のディズニーランドの見物を断り、土産物店で知り合った若い男性にオートバイでドライブに連れて行って貰ったが、その際、翌日もどうかと誘われたので、Cを殺害した後部屋から持ち出すことになっている貴重品類を遠くに捨てに行くには丁度都合がよいと考え、翌日もオートバイに乗せて貰うことにした。(c)翌一三日はメキシコへのオプショナルツアーを断って自分の部屋に待機していたところ、午前一〇時ころ、被告人から、これから行く旨の電話があり、暫くすると被告人が私の部屋に現れた。被告人は、怖じ気付いている私を抱き締めて励まし、決行の時刻を指定し、Cがいる客室の番号、客室への道順、Cの容姿、服装などを私に教えた。(d)そして、持参したショルダーバックの中から、重さが1.5キログラム前後で、横の長さが約一四センチメートル、太さが直径約四センチメートル、柄の長さが接合部から約一二センチメートル、太さが直径約三センチメートルの二本の円柱形の鉄棒をT字型に組み合わせたものを取り出して、「B、これならやれるだろう」と言って私に渡した。(e)さらに、「殴る時には、姿が壁の鏡に映らないように気をつけろ。窓際には寄るな。Cの部屋から出るときは覗き穴から廊下を見て人がいないことを確かめろ。トンカチのようなものは指紋を拭いて部屋に捨てておけ」などと注意し、指示した。また、被告人は、「保険金はすぐ出ないと思うけど、Bには僕からそれまで生活費を渡す。ただし、ビジネスだから、旅行費用の六〇万円やこの生活費は保険金の分け前から差し引かせて貰う。夕方Cが部屋に一人になったとき電話を入れる」などと言い、さらに、私を抱き締めながら、「頑張れよB、これが終わって日本へ帰ったら結婚しよう」と言ったので、私は、胸がジーンとしてうれしくなるとともに、C殺害の決意を一段と固めた。(f)同日午後六時ころ、被告人から電話が架かり、これから行くように指示され、さらに、殺害に成功したらその合図として、被告人が商談をしているホテル一階のコーヒーショップの周りを歩くように言われた。
(6) (a)私は、間もなく、凶器を携えてCの部屋へ行き、中国服の採寸に来た女性を装ってドアをノックしたところ、Cが何ら不審を抱かず、私を室内に招き入れ、客室の窓の方に向かって歩き出したので、左肩に掛けた袋に入れていた凶器の柄を握ってCの後を追い、Cが、鏡が取り付けてある、バスルームの壁の前を通り過ぎたので、やるのは今だと思い、凶器を袋から取り出し、殺意をもって、右斜め前方一メートル弱の所を行くCに対し、あせる気持ちと不安定な姿勢のまま、自分の顔の高さから右手を前に突き出しながら、左斜め上から右斜め下の方に向け凶器を振り下ろして、力一杯その後頭部を一回殴った。(b)私が殴ると、Cは、少し前にくずれるような感じでしゃがみながら右手で後頭部を押さえ、左回りで私の方に振り向き、一瞬のうちに私が立っていたところまで体を起こしながら突進し、私が右手に持っていた凶器を掴んで取り合いの末、これを取り上げた。(c)その時のCの顔は目を大きく見開き私を睨み付けているような感じであった。(d)私は怖くなり、「ごめんなさい。ごめんなさい」と何度も言って頭を下げた。Cは「ヘルプミー」と叫んだ。私がCに「Aさんを呼んで下さい」というと、Cは、「あなたAの何なの」と聞いてきた。私はこれには何も答えなかった。(e)Cは、被告人を呼んで来ると言って一旦部屋を出たが間もなく戻って来て、「貧血を起こしちゃいそう」と言った後、電話で被告人を呼ぶように言ったので、私は、フロントを通して被告人に電話を架け、「私、すぐきて」と言った。(f)間もなくして被告人が部屋に入って来た。Cは、被告人に対し、私から殴られたことを話し、「この女知っているんじゃないの」と尋ねたが、被告人は否定した。(g)Cは、これで頭を殴られたと言って被告人に凶器を手渡し、被告人に対し警察を呼ぶよう頼んだ。被告人は、「今警察を呼んだら僕達はやばいことをやっているから二、三週間滞在しなければならなくなるし、とにかく警察沙汰にしない方がよい」と言ってCを一生懸命説得していた。また、Cに「とにかく傷もたいしたことなさそうだから、今日のことは何もなかったことにしよう」と言った後、私の方を指さして「出て行ってくれ」と言ったので、私は部屋を出た。
五 B供述の信用性
1 B供述の裏付けとなる事実
B供述には、次のような裏付けとなる事実が存在している。
(一) Cが友人又は親族に話した負傷時の状況
(1) 加藤順子の弁護士瀬戸英雄及び同五十嵐二葉に対する一九八六年(昭和六一年)二月二七日付け供述調書(12一八一八)によれば、以下の事実が認められる。すなわち、加藤順子は、昭和五六年八月一三日夜一〇時ころ、当時住んでいたロサンゼルス市内の自宅にCから電話があり、Cがニューオータニで女に襲われた話を聞いたが、そのときは簡単な話であった。翌日、Cと被告人が加藤方へ来て詳しい話を聞いたところ、その内容は、次のようなものであった。八月一三日の午後六時半にチャイナドレスを作って貰うためにアポイントメントがあったが、それを事前にキャンセルしてあったのに、六時四〇分ころ、「ミセス・ミウラ」とドアがノックされた。キャンセルを会社の方にしたが、縫い子と会社の連絡がうまくいかず、チャイナドレスを縫ってくれる人が来てしまったと思った。Cがドアを開けたところ、女がいて、その女が部屋に入ってから、Cが後ろを向いたときに、その女がバッグの中からハンマーを出して後ろから叩いた。血がはっと出たので、女はびっくりして「ごめんなさい、ごめんなさい」と誤り、「Aさんを呼んで下さい」と言った。被告人が来て、女に対し、「お前は誰だ」と言ったが、そのうちに女は逃げてしまい、どこの誰だか分からなかった。Cはその女ととっくみ合いをして女の手を後ろにねじ上げ、ハンマーを取り上げた。
(2) 佐々木清美の原審証言(18一八〇四)によれば、以下の事実が認められる。すなわち、佐々木清美は、当初Cから、頭に怪我をしたのはルームサービスのボーイに急に襲いかかられたからだと聞いたが、Cが帰国した後、警察に届けなかったことを不審に思って尋ねたところ、Cは、両親に被告人の知人の縫い子に殴られたと言うと両親の被告人に対する印象が悪くなると困るので作り話をしたと述べた。しかし、実際は、被告人の知っている女性から中国服を作ってくれるという話があったので、その仮縫いの人を部屋の中で待っていて、その女性が来て招じ入れた直後に殴られたと聞いた。ドアを開けてからのことについては、Cから「ねえ、清美。ドアを開けると、さあどうぞと言って、部屋に向かって相手に背中を向けるでしょう。さあどうぞって。足を踏み出したところで急にT字型の凶器で殴られたの」といった言い方で言うのを聞いた。
(3) 佐々木良次の原審証言(19一八七九)によれば、佐々木良次は、Cが帰国した後、Cから、当初は、ルームサービスのボーイがコーヒーを持って来てくれたので、部屋に入れたところ、自分が後ろ向きになったとき、鉄パイプのような物で殴られたと聞いたが、しばらくして、実は、ボーイではなく、中国服の仮縫いに来た女性にハンマーのような物で殴られたと聞いたことが認められる。
(4) 小松香の原審証言(17一三四九)によれば、小松香は、Cが帰国した翌日、Cから、ルームサービスの女性が来たので、ドアを開け、後ろ向きで中へ案内しようとすると、ハンマーのような物で急に殴られたと聞いたことが認められる。
(5) これらのうち、右(1)の加藤順子が聞いた話は、Cが負傷したその日から翌日にかけて聞いたものとして特に重要である。また、これらの者がCから聞いた話の内容は、よく符合しており、CがハンマーないしはT字型の凶器で後ろから殴打されたという点では、四人とも一致しており、中国服の仮縫いに来た女性に殴られたという点に関しても、加藤順子、佐々木清美及び佐々木良次の三人が一致している。そして、右(1)の加藤がCから聞いた話の内容は、Bの供述中前記四(4)(e)の(ⅱ)、(6)の(a)(b)(d)(e)の各一部と、右(2)の佐々木清美が聞いた話の内容は、Bの供述中前記四(4)(e)の(ⅱ)、(6)の(a)の一部と、右(3)の佐々木良次及び右(4)の小松香が聞いた話の内容は、Bの前記四(6)(a)の供述の一部と概ね合致している。
(6) 所論は、加藤順子の供述においては、チャイナドレスを作る件が事前にキャンセルされていたこと、そのことをCも認識していたこと、女性が部屋に入ってきてから殴られるまでの時間と殴られた場所は分からないこと、被告人が「お前は誰だ」と言っているうちに女性が逃げたこと、Cが終始あっけらかんとしていたことが述べられているのであって、Bの供述とは顕著に相違し矛盾している上、この加藤の供述についても、原判決は、これらの疑点を何ら解明することなく「ドアを開けた直後に殴られた」かのごとく、供述内容を恣意的に解釈しているのは不当である旨主張する。
しかし、所論指摘の加藤の供述は、Bの供述と相違し矛盾しているとまではいえない。また、原判決が、加藤の供述内容を、ドアを開けた「直後に」殴られたと解釈していないことは判文上明らかであって(原判決二一丁裏参照)、所論の非難は失当である。
(7) 所論は、Cは医師でもない加藤順子に対しては、ありのままを言う必要はなく、夫の立場や自分の体裁を考え話の核心をそらして「強盗」と述べ、それにふさわしいように「ハンマーで殴られた」と述べたと考えるのが合理的である旨主張する。
加藤順子の供述によれば、加藤のみたところでは、Cは、この事件のことを余り気にしていない様子で、「強盗に遭っちゃった」と言ったりして、あっけらかんとしていたことが認められるが、Cが加藤に対して、強盗に遭ったと述べたかどうか定かでない上、少なくとも「ハンマーで殴られた」話を「強盗」と結び付けてしたとは認められない。しかも、加藤に話した「ハンマーで殴られた」時の状況は、前記のとおりであって、強盗にふさわしいようなものでなく、所論のように考えるのが合理的であるとはいえない。
(8) 所論は、佐々木清美、佐々木良次及び小松香は、事件後二年以上の期間、被害者の話、怪我の部位、程度等について思い出すこともなく過ごしていたところ、突然おびただしい量のマスコミ報道の渦中に入ることを余儀なくされ、その後、身内で集まっては種々の話合いをし、被告人が犯人であると思い込むに至ったことが明らかであるから、信用できない旨主張する。
確かに、右三名が、本件の約二年半後から、突然おびただしい量のマスコミ報道の渦中に入ることを余儀なくされてきたことは、所論のとおりである。また、佐々木清美らは、本件の約三か月後のCに対する銃撃事件、その約一年後のCの死亡等を契機に本件時の状況について思い出すことを余儀なくされ、次第に被告人が犯人ではないかとの疑いを抱くに至っている。しかし、そのことは、Cの親族の供述を検討する際に常に考慮されなければならない事柄であるに止まり、そのことの故をもって同人らの供述を一律に信用できないということはできない。
佐々木清美らの供述内容についてみると、佐々木清美の供述は、Cが警察に被害届けをしなかったことに不審を感じ、子供が寝静まってからCにそのことを尋ねた点、これを契機として、Cから本当は仮縫いの女性からT字型の凶器で殴打されたが、被告人と両親との関係を思って当初作り話をしていたことを聞き、両親に本当のことを言った方が良いと勧めた点、Cは清美の勧めに従い佐々木良次にも右のとおり話した点等、その供述内容は、Cと清美姉妹の信頼関係、Cが被告人と両親の関係について悩んでいたことなど家族間の機微にも触れる極めて自然なものである。また、清美の供述中、仮縫いの女性から殴打された際の状況については、Cの言い方についても言及し、ごく自然な内容になっている。そして、佐々木良次及び小松香の供述は、このような清美の供述とよく符合している。これらの諸点に徴すると、佐々木清美、佐々木良次及び小松香の各供述は、これまで検討してきた限度においては、十分信用できるといわなければならない。
(二) Bが第三者に話した犯行状況
(1) 井上昇宗の原審証言(16一二〇二)及び当審証言(30三)によると、以下の事実が認められる。すなわち、井上昇宗は、ニューオータニ内の土産物店で働いていた昭和五六年八月一三日午後一〇時半過ぎころ、Bを連れてハリウッドのドン・ザ・ビーチカンバーというレストランのバールームに行き、カクテルを飲んでいると、Bが急に泣き出し、実は私大変なことをしてしまったと言って、真剣な態度でとぎれとぎれに、次のような話をした。「(a)ある人にその人の奥さんを殺してくれと頼まれて、(b)チャイニーズを装ってハンマーのような物で殴りかかった。(c)うまく殺してくれれは保険金三〇〇〇万円のうち一五〇〇万円を山分けしてもいい、(d)結婚してもいいと言われた。(e)ロサンゼルスの同じホテルに泊まれるよう仕組んで来た。(f)ノックしてドアが開いていきなり殴りかかったが、(g)血が出てきたので、怖くなってできなかった。(h)Aという人から頼まれた」。井上がどうして彼女が殺されなければならないのか聞くと、Bは、「(i)店の情報を他の人に流したり、(j)浮気をしたり、(k)会社の金を使い込んだりしているような女性であるから」と言った。凶器の入手先を聞くと、「(l)Aがどこか工場か何かから拾ってきた物らしい。(m)部屋で受け取った」と言った。
(2) 三浦次郎の原審証言(16一〇七六)によると、以下の事実が認められる。すなわち、三浦次郎は、Bの紹介で勤めた被告人の会社を辞めて間もなく昭和五八年二月下旬ころ、Bに対し、被告人の会社では、Cが銃撃されたのは被告人が仕組んだ保険金殺人らしいとか、Cは何か月か前にもロサンゼルスのホテルで東洋系の女性にハンマー様のもので襲われたとか、銃撃事件についてFBIや保険会社が動いているとかの噂が流れていると話したところ、Bはひどく驚いた様子で、すぐ来てくれというので、真夜中に出掛けた。Bは、膝を抱えて真っ青な顔をしており、Bから、「(a)Cがハンマー様の物で殴られた事件は実は自分がやった。(b)被告人に保険金殺人を頼まれた。(c)脅されてやった。(d)保険金の分け前をやる、(e)Cは会社の情報を流したり、浮気をしていると言われた。(f)チャイナドレスの仮縫いを装って部屋に行けば、部屋に入れてくれる手筈になっているから、後ろを向いたときにハンマー様の凶器で頭を思い切り息の根が止まるまで何度も殴り続けるように指示を受けた。(g)鉄のようなものでできていて、T字型のハンマーのような凶器はロサンゼルスで手渡された。(h)後ろを向いたときにCの後頭部ハンマー様の凶器で殴ったが、かすった」旨の話を聞いた。
(3) これらのうち、右(1)の井上昇宗の聞いた話は、Cが負傷したその日の夜に、Bが時折泣きながら真剣な態度で話したものとして、特に重要である。また、井上昇宗と三浦次郎がBから聞いた話の内容は、概ね符合しており、加藤順子、佐々木清美、佐々木良次、小松香が聞いたCの話とも概ね符合している。そして、右(1)の井上昇宗が聞いた話のうち(a)(h)はB供述の全趣旨、すなわち、本件は被告人に頼まれてしたことであるという点で一致し、(b)(f)はB供述前記四(6)(a)の一部と、(c)(i)(j)はB供述前記四(2)(a)の(ⅱ)(ⅳ)、(3)(a)の一部と、(d)はB供述前記四(5)(e)の一部と、(e)はB供述前記四(4)(a)の一部と、(1)はB供述前記四(4)(d)の一部と、(m)はB供述前記四(5)(d)の一部と合致している。また、井上の証言は、全体として、泣きながら真剣な態度で話をした点を含めて、井上に話をしたときの状況に関するBの供述と概ね符合している。
次に、右(2)の三浦次郎が聞いた話のうち、(a)(h)はB供述前記四(6)(a)の一部と、(b)はB供述前記四(2)(a)(ⅰ)の一部と、(d)(e)はB供述前記四(2)(a)の(ⅱ)(ⅳ)と、(f)はB供述前記四(4)(e)(ⅱ)の一部と、(g)はB供述前記四(5)(d)の一部と符合する。また、三浦次郎の証言は、全体として、同人に話をしたときの状況や話の内容に関するBの供述と概ね符合している。
(4) 所論は、井上昇宗の原審証言は信用できないとして、次のように主張する。
(a) 井上は、Bを連れた行った店「ドン・ザ・ビーチカンバー」の所在地をハリウッドと供述しているが、右の店は、ハリウッドではなく、マリナ・デル・レイにある。マリナ・デル・レイとハリウッドの位置関係は、ニューオータニから見て南西の海側と北西の山型といった正反対にある。このように、井上供述が「ドン・ザ・ビーチカンバー」の所在地について明白な虚偽を含んでいる事実は、それだけでB自白の存在に関する井上供述の信用性を決定的に失わせるものである。
(b) 井上は、「Bの『大変なことをしてしまった』という言葉に対し、すかさず、『まさか人殺しをしたわけではないだろう』と聞き返した」と供述するが、右のようなBの言葉に対し、このような問を発することは余りにも唐突であり、かつ、不自然である。
(c) 井上は、ドン・ザ・ビーチカンバーで最後の客となったが、まだ店で過ごしていたかった旨供述している。しかし、最後の客となり、店の人の注意を引きつけながら、かかる重大な話を続けたいと考える心理は理解し難い。もし、真実Bが泣きながら告白したとすれば、途中で店を出て、車の中で話をするのが自然である。
(d) 井上は、相手の奥さんが死亡しなかったとだけ聞いたのみで、怪我の程度については分からなかったというのに、そんな大きな事件にはならないだろうと即断し、「人間気持を入れ替えて、本当に大切なことは何か、もう一度考え直して一から出直してごらん」とBを慰めたというのであるが、Bの話によれば、重量のある凶器で頭を殴り、血まで出たというのであるから、右のように判断し、右のような教訓を垂れるというのは理解し得ない。
(e) 仮にCの怪我が重傷だったり、そうでなくても警察が関与するようになったりしていれば、ホテル内強盗殺人未遂事件ということでニューオータニとしても重大な事態にならざるを得ないのに、その犯人を連れ歩いたり、犯人の部屋に泊まったということになれば、井上自身も職場を追われたり、警察から厳しく調べられたりする可能性があるから、Bが殺人の告白をしたとか、井上がそれを真面目に聞いたなどというのは、現実味がない。
(f) 井上が真実Bから告白を受け、Bの身を案じたとすれば、八月一四日の朝Bを一人で送り出したのは極めて不可解であり、同日以降ホテルの関係者にBの話の真偽や事件の様子を確かめたり、同僚の山田に一二日のドライブ中のBの言動を聞いたりするのが当然と思えるが、井上はこのような行動を一切とっていない。
そこで、所論(a)についてみると、確かに、弁護士鈴木淳二作成の昭和六三年四月二〇日付け調査報告書によると、ニューオータニより西南西方に位置するマリナ・デル・レイのバーリ通り一三五三〇番地に「ドン・ザ・ビーチカンバー」という店が存在していることが認められる。しかし、検察官山田弘司作成の「複製写真作成報告書」と題する書面及びロサンゼルス市書記作成の一九九三年八月一一日付証明書によれば、「ドン・ザ・ビーチカンバー」という店は、本件当時、マリナ・デル・レイだけでなく、ハリウッドにも存在していたことが認められるから、所論は前提を欠くといわなければならない。
所論(b)については、知り合って間がない女性が、一緒にバールームでカクテルを飲んでいる途中、急に泣き出して、「実は、私、大変なことをしてしまった(16一二一六)と言われた時の問としてみれば、所論のいうほど唐突で不自然であるとはいえない。
所論(c)については、井上は、原審において、最後の客となっても、「まだできれば店で話すというか、何となく過ごしていたかった」と証言しているところ、井上がこのような心理状態になったからといって理解し難いとはいえない。
所論(d)については、所論のように井上が判断し教訓を垂れても、理解し得ないということはできない。
所論(e)についてみるに、相手は若い女性であるし、井上の証言によれば、被害者が死亡しなかったと聞いて大きな事件にはならないだろうと判断し、Bが泣きながら真面目に話すのを聞いてBの身を案じた、Bはニューオータニの屋上から飛び降りて死のうかと思ったと言っていた、ホテルに戻って被告人と擦れ違った時Bの身の危険を考えたというのである(16一二二〇〜二、一二二八、一二三〇)。そうすると、所論のいうような事情から、井上の証言に現実味がないとはいえないと考えられる。
所論(f)については、所論の点が極めて不可解であるとか、所論のような行動をとるのが当然であるとまではいえないと考えられる。
(5) 所論は、原判決は、井上の原審証言が信用できる理由として、①供述自体が具体的で臨場感に富むこと、②虚偽のB告白を構築する理由がないこと、③Bの井上宛手紙の内容がB告白の存在を裏付けていること、④B告白の内容が極めて具体的で筋道の立ったものであること、⑤B告白の内容が殴打後の混乱した心理状態下で短時間に創作し得るものではないこと、⑥告白時のBの態度が真摯であったこと、⑦Bにおいて自己を殺人未遂犯に仕立てる事情が存しないこと、⑧Bにおいて被告人を共犯者とする虚構の事実を述べなければならない事情が存しないこと、⑨Bの井上宛手紙の内容が告白後の真情を流露していることを挙げているが、次の点からすると、原判決の説示は誤っている旨主張する。
(a) ①については、井上は、Bが告白したような内容の行為をした理由を金と結婚のためとだけ聞き、それ以上細かく聞かなかったと供述しているが、Bのような若い女性がなぜそのような大それた事件をしたかについて聞かないのは不自然であるし、Bが初対面に等しく素性もわからぬ井上に告白した理由についても、気安さとか胃薬を与えたためと供述しているが、このような理由だけで、愛情を感じていた男性の妻を撲殺して保険金を取ろうとするような重大な犯罪を告白するとは思えないなど、井上の原審証言は、不自然であり、具体的で臨場感に富むとはいえない。
(b) ②については、井上は、マスコミ報道、マスコミ関係者との接触による影響、「ロス疑惑」報道後のBとの打合せとそれに伴う事態の成り行き、被告に対する悪感情等により、八月一三日にBから聞いた話の筋を曲げ、脚色して証言するに至ったと解することもでき、これらの疑点を検討せず、「殊更にBと口裏を合わせるなどして虚偽のB告白を構築したものとは到底考えられない」と説示したのは不当である。
(c) ③及び⑨については、Bは、井上に対し、好意以上の感情を抱くに至ったと考えられるし、帰国後は、被告人との関係を維持した上、ヌードモデルをしたり、ポルノ映画に出演するなど華やかな芸能界に進んで飛び込んでいるのであって、このような事実からすると、Bの手紙の内容がその真情を流露したものと即断することはできない。被告人の言うように、「マリファナを購入して儲けるために渡米したが、自分の感情の爆発により被告人の妻に怪我を負わせてしまった」という事実の存在を前提にすれば、十分説明がつく。
(d) ④については、B告白の内容に関する井上の証言には、記憶の変容等が認められ、また、井上は、Bから、凶器を袋に入れたまま殴ったか否か詳しく聞いていないというのであり、Bが殺そうとして殴ったか否かも定かでないというのであって、このような告白の中心をなすべき実行行為の状況が極めて曖昧であることからすると、B告白の内容が、極めて具体的で筋道の立ったものであるとはいえない。
(e) ⑤及び⑥については、Bの心理状態が混乱していたとの原判決の判断が誤りであるばかりでなく、Bは、本件後二、三時間にわたりホキの店で過ごしているのであり、井上の原審証言にあるような告白内容程度の話であれば、十分に考える時間的余裕はあり、Bにおいて創作は可能であったといえる。さらに、B自身は、薬と酒で混乱し、何をしゃべったか分からないと供述しているのであるから、なぜ真摯といえるのか理解し難い。
(f) ⑦及び⑧については、Bは、マリファナの件は隠してCを怪我させたことや自己嫌悪、悔悟の気持を語ったか、被告人の言動に対する恨みも手伝って、架空の作り話をした可能性もあり得る。いずれにしても、感情の起伏が激しく、その場の状況によって自己保身や相手の気を引くためには虚偽の事実を語ることができるBが、感情のおもむくまま、自己の気分を発散させるために、とりとめもなく一時間位にわたり、種々の話をしたのである。このように、Bが、被告人を共犯者とし、自己を殺人未遂犯と述べる事情も存在する。
そこで、所論(a)についてみると、金と結婚のためと聞けば、殺人の動機としてむしろ十分といえ、Bが泣きながら語ったことなど当時の状況に照らすと、井上がそれ以上詳しく聞かなかったのも、不自然とは思わない。また、Bが井上に告白した理由については、井上が所論指摘のように思ったというだけであるから、井上の感じとった理由が不十分であるとしても、同人の証言が不自然であるとか、具体性を欠くということはできない。井上の証言自体が具体的で臨場感に富むことは、これを通読すれば明らかであり、原判決の説示に誤りはない。
所論(b)についてみると、井上は、マスコミ関係者との接触、「ロス疑惑」報道後のBとの接触とその後の事態の推移等についても証言しているところ、これを仔細に検討しても、井上が八月一三日にBから聞いた話の筋を曲げ、脚色して証言しているとは認められないし、原裁判所がこの点の検討を怠ったとも認められないから、原判決の説示は相当として首肯できる。
所論(c)については、Bが帰国後井上に出した手紙は、原判決が摘記しているとおりのものであるところ、その内容は、所論の点を全て考慮しても、Bの告白後の真情を流露したものと読むのが最も素直であり、これを書いたB本人の説明(13二八一)を排してまで別異に解釈すべき理由は見当たらない。原判決の説示に誤りはない。
所論(d)については、所論の点に若干記憶の変容や曖昧な点があるとしても、Bの告白内容が極めて具体的で筋道の立ったものと評し得ることは変わりはなく、原判決の説示に誤りはない。
所論(e)についてみるに、井上の証言するBの告白時の言動にかんがみると、ドン・ザ・ビーチカンバーに行くまでの心理状態は混乱していたと推認できるし、告白内容は、そのような心理状態のもとで、三、四時間の間に創作し得るようなものではないと思われる。井上の原審証言によれば、Bは「胸の内を、深い慟哭をついて話してくれた」(16一二二〇)というのであって、Bの告白時の態度が真摯であったとの説示も誤っているとは認められない。
所論(f)についてみると、所論のいうような理由でとりとめもなく種々の話をしたにしては、その話の内容は、自分を実行行為者とする殺人、それも保険金殺人という、重大過ぎるものであり、原判決の説示は首肯できる。
(6) 所論は、三浦次郎は、原審公判廷において、Bから「ハンマー様の物でCを殴打したのは、実は自分である」と告白された旨供述するのであるが、三浦次郎はBが被告人から脅迫されてCを殴打したと言ったと供述しているのであり、脅迫されて殴打したものではない旨のB供述と基本的に相反していること、右告白ではBが被告人に対して愛情があったことを隠しているが、なぜBが三浦次郎に対してまでそれを隠したのか疑問があること、三浦次郎は、Bの犯行告白に関してマスコミから対価を受領していること、三浦次郎のBを慰めてやりたい、かばってやりたいとの気持とBへのアドバイスはそぐわないこと、三浦次郎がBをサンケイ新聞の取材に応じさせた理由が不合理であることなどから、信用できない旨主張する。
確かに、三浦次郎の供述するBの告白では、Bは被告人から脅迫されてCを殴打したと述べており、また、被告人に対して愛情があったことを述べていないのは所論のとおりである。しかし、まず、前者の点については、B供述によれば、裏切った親兄弟も殺すと言われたということは三浦次郎に述べた(13三二五)、被告人との共謀の過程で、裏切った親兄弟も殺すと言われたがその時は脅かされたという自覚はなかった(13一五四、9一三〇六)というのである。そのとおりであるとすると、三浦次郎は、裏切ったら親兄弟も殺すと言われたと聞いた時、これを額面どおりにBが脅迫されてCを殴打したと受け取ったと解することができる。次に、後者の点については、B供述によれば、三浦次郎が不審な目で見ている被告人への愛情など恥ずかしくて言えなかったというのである(13三一一)。また、三浦次郎の証言ではBをサイケイ新聞の取材に応じさせた理由が今一つ明確でないことや同人がマスコミから対価を受領していることは、所論のとおりであるけれども、そのことから直ちに、三浦次郎の供述が信用できないとはいえない。さらに、Bを慰めてやりたい、かばってやりたいとの気持と、Bへのアドバイスは両立しないものではないか思われる。そうすると、所論のような理由により三浦次郎の証言が信用できないとはいえないと考えられる。
(三) Bの渡米前夜の言動等
(1) 清水礼子の原審証言(16一〇一四)によると、以下の事実が認められる。すなわち、バスガイドの同期生で友人付合いを続けてきたBが、ロサンゼルスへ行く前日清水宅へ来て泊まったが、Bは、その際、「人に頼まれ往復の旅費を出して貰ってロサンゼルスへ行く。自分にとってはすごい仕事でチャンスである。すごく多額のお金をいただける」などと言った。Bは、次第に少し思いつめたような感じになり、メモ用紙に横書きの算用数字で、六桁か七桁の数字を書いた紙を清水に渡し、「自分の身に何かあったら、これを警察に渡して欲しい」と言った。
(2) 右事実は、B供述前記四(5)の(a)とよく符合している。
(3) 所論は、原判決は、清水の原審証言により認められる事実(渡米前夜訪れたBが思い詰めたような感じであったこと、その際のBの話の内容、清水に六、七桁の数字を横書きした紙片を渡していること)がB供述とほぼ符合しており、とりわけ、「すごい仕事で、すごく多額のお金がいただける」との発言は、C殺害の実行とそれによる保険金の分け前のことを念頭に置いてしたものである旨認定し、右証言によっても、被告人との殺人の共謀を自認するB供述の信用性が裏付けられていると説示しているが、次の理由から、原判決の右説示は誤っている旨主張する。
(a) 清水は、Bが「すごい仕事」と言ったと供述するが、二一歳のうら若い女性であったBが、相手の女性の頭部を凶器で何度も殴打して撲殺する行為を「すごい仕事」と表現するとは思われない。また、Bが真実保険金目的の殺人を実行しようとして渡米するのであれば、いくら清水から問われたとはいえ、「多額の金がもらえる」等と事件を暗示するような言い方はしないと考えられる。これらからすると、Bが清水に話した「すごい仕事で、すごく多額のお金がいただける」との内容は、原判決のいうごとく殺人の実行と保険金の分け前を指すと解するのは不自然かつ不合理であり、むしろ、マリファナを密輸入する目的を念頭に置いてしたと解する方が自然である。
(b) 清水は、「自分の身に何かあったらこれを警察に渡して欲しい」とBから言われて、六桁か七桁の数字が記載された紙片を渡されたと供述するが、被告人とBとの関係を知っているのは、今澤、深町等何人もいること、警察に捕まった場合、Bが被告人のことを話せば、つながりははっきりすることなどを考えると、不可解なことといわざるを得ず、Bが警察に渡してくれと清水に被告人の会社の電話番号を渡した事実の存在については疑いが存する。
しかし、所論(a)については、「すごい仕事で、すごい多額のお金がいただける」との言葉を原判決の説示のように理解しても不自然、不合理であるということはできない。
所論(b)についてみると、確かに、今澤、深町等は、被告人とBとの関係を知っているし、警察に捕まった場合、Bが被告人のことを話せば、二人のつながりがはっきりするのは、所論のとおりである。しかし、Bの供述によれば、当時、犯行に失敗してアメリカの警察に捕まり日本に帰って来れなくなるのではないかという不安にかられて、清水に被告人の会社の電話番号を書いた紙片を渡したというのであり(10一四五五)、そうであれば、何ら不可解なことではない。したがって、Bが、清水に対し、「自分の身を何かあったらこれを警察に渡して欲しい」と言って、六、七桁の数字を横書きした紙片を渡したと認定した原判決に誤りはない。
(四) 被告人から殺人をもちかけられた者の存在とその際の話の内容
(1) 福原光治の原審証言(22二五三八)によると、以下の事実が認められる。すなわち、福原光治は、ロサンゼルス市内の寿司店で働いていた昭和五六年二月ころ、被告人から、「君を男と見込んで、君と組んでビジネスをやりたい。三月ごろ会ってくれるか。この手紙を読んだら焼却して欲しい」旨の手紙を受け取り、三月一〇日から一四日の間のある日、被告人とシティーセンターモーテルで会った。そこで被告人から、「今の商売は飽き飽きした。自分は智略、策略にたけた人間だ。刑務所に入っていた時に知り合ったやくざの幹部みたいな人から、犯罪の請負の仕事があって、その金を山分けし、それを元手に今のフルハムロードをやった。今度また、犯罪を請負う仕事をして一儲けし、アメリカに来てレストランでもやろうかと思う。裏の世界では、人殺しぐらい行われている。完全犯罪は、世の中には多い。人殺しが悪いというのは間違っている。人殺しは、裁判では有罪となれば悪いのであって、無罪となれば悪くないんだ。人殺しをやってくれないか。やられる人は、君の全然知らない人だ。引き受けてくれるなら、まず、今の仕事をすぐ辞め、東京の指定したホテルへ入って電話を待て」などと言われた。報酬の額を聞くと、「殺しに報酬はない。もし、引き受けてくれたら、もう少し話す。それ相当の収入にはなるだろう」と言われた。誰を殺してくれとか、殺す方法は話に出なかったが、迷った挙げ句、最終的には断った。
(2) 水上晴由の原審証言(17一五一一)によると、以下の事実が認められる。すなわち、水上晴由は、フルハムロードに勤めていた昭和五六年五月初めころ、赤坂東急ホテルで、被告人から、Cが自宅から資料を持ち出し、同業者に情報を流し、その会社の社長と浮気をしているという話を聞き、「今の給料で一〇〇〇万ためるにはかなりの時間がかかる。お金は欲しくないか」などと言われ、欲しいと答えたら、被告人は、「お金になる仕事があるけれども、その仕事をやってみる気があるか。金のためだったらどんな仕事でもできる人間か」と言われた。ある程度のことはできると思うと答えておいたところ、同月終わりころ、再び赤坂東急ホテルで、被告人から、先日の話を考えてくれたかと言われたので、仕事の内容を聞くと、「車に細工して、ブレーキを効かなくすることはできるか」と言われた。当時、被告人が乗っていた車は、クラウンのロイヤルサルーンであったから、コンピューター制御されているから無理ではないかと答えた。「この仕事を受けるつまりがあるのなら、来月一杯で会社を辞めて、連絡があるまで待て。その間の給料は保障する」と言われた。報酬は、はっきりとは覚えていないが、一〇〇〇万か二〇〇〇万であった。Cか、相手の社長へ仕返しをするのかなと思ったが、私が断ると、被告人は、この話はなかったことにしてくれと言った。
(3) 右のように、被告人は、本件の約五か月前及び三か月前に、福原光治と水上晴由の二人に対して殺人を依頼している。二人に対する依頼は時期的に近いだけでなく、多額の報酬を匂わせたり、引き受けるつもりがあったら仕事をすぐ辞めて連絡を待つように言っている点で共通している。この二つの殺人依頼の事実は、被告人から昭和五六年七月一〇日ころ殺人の依頼を受けたというBの前記四(2)(a)の供述を裏付ける事情の一つとなるほか、被告人が福原光治と水上晴由に申し向けた話の内容は、Bが被告人から聞いたという話の内容と酷似している。被告人が福原にした完全犯罪の話や「やられる人は、君の全然知らない人だ」という話は、B供述前記四(3)(a)の一部と共通点がある。また、水上に対して、報酬を一〇〇〇万円か二〇〇〇万円と言っている点は、Bの前記四(3)(a)の供述中の一五〇〇万円とほぼ合致するし、同じく水上に対し、Cが浮気をし、ライバル会社の社長に情報を流していると言っている点は、Bの供述前記四(2)(a)(ⅱ)の一部と同じである。最後の点は、Dの原審証言(18一六〇九)によると、被告人はDに対しても同じことを述べており、このことは、右(2)の水上晴由の証言を補強するとともに、Bの右供述をさらに補強している。
(五) 昭和五五年一月加入の災害死亡時三〇〇〇万円の保険の存在
(1) 前記二(3)で認定したとおり、被告人は、昭和五五年一月一日、第一生命保険相互会社との間で、被保険者をC、受取人を被告人として、災害死亡時三〇〇〇万円の保険契約を結んでいる。
(2) 右事実は、Bの前記四(3)(a)の供述中「保険金三〇〇〇万円のうち一五〇〇万円をやる。この保険は、昔から掛けているものだから絶対に怪しまれない」との部分を裏付けている。
(六) 宿泊者名「福島二郎」と記載のある料金精算書等の存在
(1) 関係証拠特に司法警察員作成の資料入手状況報告書(5三五〇)によると、警察では、Bから、昭和五六年八月六日赤坂東急ホテルに被告人と宿泊した際、「二郎」という名前で宿泊した旨の供述を得たところから、昭和六〇年九月三〇日係官赤坂東急ホテルへ赴いて関係資料を調査したところ、昭和五六年八月六日「福島二郎」外一名が宿泊した旨の記載のある料金精算書、予約申込人「電鉄A氏」等と記載のある予約カード控を発見し、任意提出を受けたことが認められる。
(2) 右事実は、Bの昭和六〇年九月二九日付け検面調書謄本中、昭和五六年八月六日に日程表を受け取ってすぐ被告人に連絡したところ、被告人は、今晩赤坂東急の部屋を予約しておくからそこで会おうと言ったが、「この時○○ジローという偽名を使って予約するということを言っていたと思う」(10一四一四〜五)旨の供述及び殺人の依頼を承諾した日から、これからの電話は「福島」という名前でしようということになった旨の供述(10一三八三)を裏付けている。しかも、Bの供述が事後の調査により裏付けられていることは看過できない。
(七) 昭和五六年八月一三日の商談の設営
(1) 関係証拠特にDの原審証言(18一五九九)によれば、以下の事実が認められる。すなわち、船会社の宮本仁は、フルハムロードの荷物を運びたいと希望し、以前から被告人と会いたいとDに頼み、Dは、これを被告人に何度か伝えていたが、被告人は、多忙を理由に断っていた。しかし、八月一三日の数日前になって、日本からの電話で、八月一三日六時半ニューオータニのカナリーガーデンにセットできるのであれば宮本と会ってもよいと言われたので、Dは、直ちにその旨宮本に伝え、同人の了解をとった。被告人は、その後、Dに対し、宮本が了解したかどうかの確認を電話をし、その際、念を押しておくように言った。八月一三日の午後六時半ころ、カナリーガーデンで、予定どおり、被告人、D、宮本、井原らが会って話をした。
(2) 右事実は、Bの前記四(4)(e)の(ⅰ)の供述を裏付けている。
(八) 被告人がホテルを予約した状況
(1) 関係証拠特に関根久雄の原審証言(16一一五一)、小野塚久輝の検面調書抄本(5四〇七)及び笹口和彦の検面調書(5四二五)によると、以下の事実が認められる。すなわち、被告人は、昭和五六年七月一四日か一五日ころ、予約の通常のルートではなく、知り合いで当時東急観光国際企画仕入部副マネージャーであった小野塚久輝を通じ、八月一二日から一八日まで二名分のロサンゼルスのホテルの予約を依頼した。その際、被告人は、ホテルはヒルトンにして欲しいと頼んだので、小野塚は、同月一五日、東急トラベルサービスロサンゼルス支店の関根久雄に、テレックスで、ヒルトンホテルをどうしても取って欲しい旨要請した。しかし、ヒルトンホテルを確保することはできず、ニューオータニになり、関根は、七月三〇日、東急観光海外旅行センターに、ヒルトンホテルは取れなかった、小野塚に伝えて欲しい旨のテレックスを入れ、小野塚は、そのころ、右の顛末を被告人に伝えた。
(2) 右事実は、Bの前記四(4)(a)(c)の供述を裏付けている。
2 Cの傷の部位、形状、程度等との関係
所論は、Cが受けた傷は、後頭部の外後頭隆起の左下に位置し、頭蓋骨まで裂けた約1.5センチメートルの垂直線状の裂傷であったと認定すべきであり、原判決は傷の客観的状況について根本的な事実誤認をしている。また、Bが供述するように、ハンマー様の凶器を左斜め上から右斜め下に振り下ろして殴打しても、右のような傷はできない旨主張する。
(一) Cの傷の部位、形状、程度等
(1) 関係証拠を摘記すると、以下のとおりである。
(ア) 医師タッド・フジワラ作成の一九八一年(昭和五六年)八月一三日付け診療録写し(11一五四九)には、Cの傷が図示されている。右図における傷の位置は、後頭部ほぼ中央にあり、その形状は、左上から右下への三日月の形をしている。そして、フジワラのロサンゼルス警察本部警察官に対する一九八五年(昭和六〇年)八月六日付け供述調書(甲四六号証)(11一五六五)を合わせて読むと、同診療録写しには、「後頭部裂傷、出血多量、脳震盪後の状態、頭皮の裂傷、急性斜頸」の記載がある。
(イ) フジワラ作成の右診療録写しに添付されたX線撮影結果報告書(11一五五五)には、頭蓋骨には骨折等の異常は認められない旨の記載がある。
(ウ) 当審において取り調べた影山茂樹が一九八五年(昭和六〇年)七月二五日に写しを作成した一九八一年(昭和五六年)八月一三日付け「ザニューオータニホテルアンドガーデン宿泊客事故報告書(病気)」写し(33二〇三)には、「被害者は、二〇一二号室のバスルームでジャンプスーツを置こうとしていたとき後方へ滑り転倒した。被害者は、転倒した際トイレのシートカバーの前の部分に頭部を強くぶつけ、後頭部に二分の一インチの裂傷を負い、目まいを訴えた」旨の記載がある。
(エ) フジワラのロサンゼルス警察本部警察官に対する一九八五年(昭和六〇年)八月六日付け供述調書(甲四七号証)(11一五七九)及び同調書に添付された海外旅行保険金請求書兼状況報告書(裏面診断書)によると、裏面の一九八一年(昭和五六年)八月一三日付け診断書(11一五七七)には、「負傷の種類と症状」欄に、「震盪後の状態、急性斜頸、頭皮裂傷」、「外科手術を受けた場合はその詳細」欄に、「後頭部頭皮裂傷が骨まで深く裂け込んでおり、患部付近の頭髪をそる。…3.0プロレン糸による縫合閉じ。SIMPLE VERTICAL MATRESS(翻訳者訳――単純垂直縫合か)」の記載がある。
(オ) 当審において取り調べたフジワラのロサンゼルス警察本部警察官に対する一九八五年(昭和六〇年)七月二七日付け供述調書(33二四六)には、「Cには、頭蓋の底部で首の筋肉が頭蓋につながっている部分に1.5センチメートルの裂傷があり、縦にもしくは横に傷が走っていた(添付の図面(34二二七〜九)には、横の傷が記載されている。)。…傷を縫合する前に、傷の中に指を入れてみると、頭蓋骨まで達しているのがわかり、柔らかい組織が露出していることに気づいた。これは傷が裂けて破れたものであり、…私は、一番の黒色のナイロン糸を用い三針の単純縫合でその裂傷を縫い合わせて閉じた」旨の記載がある。
(カ) 当審において取り調べたフジワラのマイケル・ヤマキ弁護士に対する一九八八年(昭和六三年)四月二日付け宣誓供述書(33六八)には、「Cの後頭部頭蓋の左半部で、後頭部の隆起の少し下、中心線から左に、長さ約1.5センチメートルの垂直線の裂傷があった。三日月形ではなかった。切り口はきれいであったが、深さは極めて深いものであった」旨の記載がある。
(キ) 医師小山栄三郎は、平成五年四月一二日、当審公判廷において(31四一九)、「昭和五六年八月二〇日、Cの傷の抜糸をした。私は立って、上から椅子に座らせた患者を見た。四針位縫ってあった。Cの傷は、後頭部結節の四、五センチメートル位上にあったと思う。傷の形ははっきり覚えていないが、縦のように見えた。直直か曲線かははっきり覚えていない。傷の長さもはっきりしないが、五、六センチメートル位と思う」旨証言している。
(ク) 佐々木清美は、昭和六一年七月二四日、原審公判廷において、「私は、Cが帰国して間もなく同人の傷を見た。後頭部の骨のぐりぐりの辺りに縦の傷があった。傷の一番下の部分がぐりぐりの辺りであったと思う。頭を後ろから見て、ほとんど中央にあった。三針か四針縫った跡があった。左手の人指し指の上から二番目の関節位の長さであった」(18一八一九〜二二)旨証言している。
(ケ) 佐々木良次は、昭和六一年七月二四日、原審公判廷において、「私は、Cが帰国して何日かしたころ、同人から、抜糸してもらったが傷のところがちくちくするから見て欲しいと言われて傷を見た。抜糸の残りの一本が残っていたので毛抜きで抜いた。傷は、頭の少し上の方で、真ん中から少し右寄りにあった。縦に真っ直ぐな傷で、長さは三ないし四センチメートル位であった」(19一八九二〜三)旨証言している。
(コ) 小松香は、昭和六一年六月二六日、原審公判廷において、「昭和五六年八月二〇日、Cが傷を見せてくれた。傷は、頭頂部の少し下にあった。傷の一番下の部分は、頭を後ろから見て、横の直径の線より上にあった。右か左かはっきりしないが、どちらかというと左にあったように思う。真っ直ぐ縦ではなくて、右に少し流れるようなひら仮名の「し」という字の丸のところが余りないような形に見えた。長さは、三、四センチメートルと思う。四針位縫ってあった」(17一三九三〜九)旨証言している。
(サ) 加藤順子の弁護士瀬戸英雄及び同五十嵐二葉に対する前記供述調書には、「本件の翌日、Cが自宅に来たとき同人の頭の傷を見た。頭のつむじの右側より少し下に、縦に二、三センチメートルの傷があった」(12一八二〇)旨の記載がある。
(シ) 被告人は、平成五年一一月二四日、当審公判廷において、「帰国後二、三日して縫合してあるCの傷を見たところ、頭の尖ったところより若干下に縦に真っ直ぐの二センチメートル位の傷であった」(32七八六〜七)旨供述している。
(2) これらの証拠を概観するに、まず、前記(1)の(ア)(イ)及び(エ)の診断書部分は、本件直後に自ら診察し、治療にあたった医師によって作成された書類であるから、最も重要な客観的証拠である。
フジワラ医師の供述はかなり変遷しているが、最終的には、前記(1)(カ)の宣誓供述書のとおりになっている。しかし、前記のように、前記(1)(オ)の調書では、「縦にもしくは横に傷が走っていた」旨供述した上、同調書に添付された図に横の傷が書かれているところ、一個の傷について「縦にもしくは横に」という表現は意味をなさないし、添付図面に横の傷が書かれていることとも矛盾している。その上、添付図面の傷の位置、形状は、前記(1)(ア)の診断録の図とも全く異なっている。そうすると、傷の部位、形状についての同人の記憶は、前記(1)(オ)の調書が作成された時点において既に曖昧になっていたことが明らかである。本件が発生してから右調書が作成されるまでに約四年、前記宣誓供述書が作成されるまでにはさらに二年八か月余りを経過しているところ、フジワラ医師は、バスルームで滑って転倒し怪我をしたという説明を受けて診察したもので、特に印象に残るような診察でもなかったものと思われることや、前記診察録写しには、前記のような図はあるが、傷の正確な部位、形状等については記載が見当たらないことなどからすると、フジワラ医師が右宣誓供述書作成時に右のような診察録写しを見てどこまで正確な記憶を喚起し得たかは疑問であるとしなければならない。そうすると、前記(1)(オ)(カ)の供述はいずれも証拠価値に乏しいといわなければならない。
次に、佐々木清美らの供述であるが、同人らは、それぞれCの近親者や友人で、同人らにとって印象深いCの傷について供述しているのであり、殊更虚偽の事実を述べているとは考え難い。しかし、これらの供述も体験時から約四年半ないし五年近くを経た時点のものであり、傷の良さや形状等詳しい点については、日時の経過による記憶の誤りの可能性を否定できない。被告人の供述についても、同様である。
小山栄三郎の供述も、カルテ等の客観的記録に基づくものではないし、体験時から一二年近くも経過した時点のものであることからして、佐々木清美らの供述と同様、傷の形状等詳しい点については、日時の経過による記憶の誤りの可能性を否定できない。
(3) そこで、以下の証拠をもとに検討する。
(ア) まず、傷の部位については、診療録写しの図示によると、Cの傷は、後頭部のほぼ中央にあったように描かれている。この図は、フジワラ医師自身が前記(1)(カ)の宣誓供述書で述べているとおり、全くの図で写真のように明確なものではなく、解剖学的に正確な表示でもないが(33八三、九四)、傷のおおよその位置を知る上では最も重要な証拠といわなければならない。これよりさらに、傷が後頭部結節(以下「外後頭部隆起」ともいう。)の上にあったか下にあったか、あるいは、中央より右にあったか左にあったかについては、フジワラ医師、佐々木清美らの供述は区々に分かれている。しかし、前記(1)(カ)のフジワラの供述は十分な証拠価値がないとはいえ、負傷の当日Cの傷を診た医師の供述であるから、同供述にあるとおり、Cの傷が後頭部隆起の少し下、中心線から左にあった可能性を否定することはできない。他方、小山栄三郎は、抜糸をした医師であるところ、同医師は、前記(1)(キ)の証言において、全体的に記憶がはっきりしないとしながらも、位置については記憶があると述べ、その根拠として、患者用の丸椅子にCを座らせ、自分は立って上から見えたからであると述べていることからすると、傷は後頭部結節の四、五センチメートル位上にあったという証言も看過できない。この証言と、前記(1)(ク)の佐々木清美の証言、前記(1)(コ)の小松香の証言を総合すると、Cの傷は後頭部結節より上にあった可能性も否定できない。
(イ) 次に、傷の形状についてみると、前記(1)(ア)の診察録写しには、裂傷と記載され、前記(1)(エ)の診断書部分には「SIMPLE VERTICAL MATRESS」との記載があり、傷を見た近親者らも、そのほとんどが縦の傷であった旨供述している。また、傷の性質は、渡辺博司の原審証言、船尾忠孝の当審証言(31三三六)、石山昱夫の当審証言(31三六一、四〇九)によると、単なる裂傷というよりも、挫裂創とみるのが相当と認められる。これらからすると、Cの傷は、縦の挫裂創であったことが認められる。もっとも、前記のように、診療録写しには三日月の形をした図が存在しているところ、これを記載したフジワラ医師は、前記のとおり、この図は位置を示したもので、写真のように明確なものではない旨述べているが、医師がカルテに傷の図を書く場合、形を無視して書くとは通常考え難いから、縦といっても弧状を呈していた可能性は否定できない。
(ウ) さらに、傷の程度についてみると、傷の長さについては、フジワラ医師は、前記のように、Cの傷は約1.5センチメートルであったと供述しているけれども、証拠価値が十分でないことは前記のとおりである。また、前記のように、Cの傷を見た近親者らは、二センチメートル位(被告人)、二、三センチメートル(加藤順子)、三、四センチメートル(佐々木良次、小松香)、人差し指の上から二番目の関節位の長さ(佐々木清美)、あるいは、五、六センチメートル(小山栄三郎)であったというのであるが、これらの供述の証拠価値が十分でないことも前記のとおりである。なお、前記(1)(ウ)の報告書写しには、二分の一インチの記載があるが、この記載は誰がどのような根拠に基づいてしたものか明らかでないので証拠価値は認められない。そうすると、傷の長さに関する以上の各証拠は、いずれも単独で証拠価値が十分ではないので、いずれかの証拠に基づきそれに沿う長さを認定することはできないが、それらの証拠を総合すると、長さは、短くても1.5センチメートル位、長くても五センチメートル位であったと認めるのが相当である。
次に、傷の深さについてみるに、前記(1)(イ)のX線撮影結果報告書及び前記(1)(エ)の診断書部分によると、Cの頭蓋骨には骨折等の異常がなかったが、傷は骨まで深く裂け込んでいたとこが認められる。そして、船尾忠孝の当審証言(31三四九〜五〇)によれば、外後頭部の左下方一センチメートル(A点)、同二センチメートル(B点)の箇所における頭皮の厚さについて、三五例の計測値の平均をとると、A点が0.53センチメートル、B点が0.55センチメートル(A点B点とも最も厚い例は一センチメートル)であったことが認められるから、Cの傷の深さは、傷が外後頭部左下方にあったとしても、右の程度のものであったと推認できる。さらに、関係証拠によると、Cの傷は全治約一週間と認定するのが相当である。
(エ) 以上のとおりであり、Cの傷は、後頭部ほぼ中央にあり、短くても1.5センチメートル位、長くても五センチメートル位のほぼ直線状の縦の挫裂創であり、頭蓋骨に骨折等の異常がなかったが、頭蓋骨まで達するもので全治約一週間と認定するのが相当である。原判決は、Cの傷につき、創縁部が円弧状を呈する後頭部挫裂創と認定しているところ、「創縁部が円弧状を呈する」という部分は、誤りであると認められる。しかし、前記(イ)でみたとおり、証拠上、弧状を呈していた可能性は否定できない上、直線状の縦の傷であることを前提としても、次にみるとおり、Bの供述する凶器及び犯行態様とは矛盾しないのであるから、右の誤りは判決に影響を及ぼすものとは認められない。
(二) Bの供述する凶器及び犯行態様での成傷可能性
(1) Bの供述する凶器と犯行態様は、前記四(5)(d)及び(6)(a)のとおりである。なお、関係証拠によれば、BとCの背丈はほぼ同じであったと認められる。
(2) まず、傷の部位の観点から考察すると、Bは、Cの背後からハンマー様凶器を左斜め上から右斜め下に振り下ろしてその後頭部を殴ったというのであるから、Cの傷が外後頭隆起の上にあった場合に不自然といえないのはもちろん、仮に下にあったとしても、傷の部位は打撃の瞬間における頭の傾き具合や動き等によっても左右されると考えられるから、必ずしも不自然であるとはいえない。後記船尾鑑定も、位置との関係では、外後頭隆起の下に傷害が生じる可能性を肯定している。
次に、傷の形状、程度の観点から考察する。石山昱夫証人は、「頭部のように毛髪が多数ある場所では、ハンマーの平たい面が当たった場合でも、角が当たった場合でも、直線状の裂傷ができる可能性がある(31三五九)。弁護人が当審において提出した模造ハンマー(昭和六二年押第四二〇号の三八)(T字の各断端面はいずれもほぼ円形でその直径は約四センチメートル、重さ約2.5キログラム)で後ろから殴った場合、直線状の傷ができても不思議ではない(31三八四)。直径三センチメートル位のハンマーで殴った場合でも、上下径1.5センチメートル位の裂傷が生じることもある(31三八六、四一一)。直径五センチメートル位の殴打面のハンマーでも可能である(31三八七)。後頭部をハンマー様凶器で殴打した場合、上下径約1.5センチメートルで深い傷ができる可能性もある(31三六二〜三)。模造ハンマーで殴打すると、まともに当たれば陥没骨折ができ易いけれども、例えば、かすったような場合には、陥没骨折ができなくてもおかしくない。要するに、模造ハンマーの当たり具合による(31三八四、三九七、四〇一)」旨供述している。これらの結論は、同証人の示す論拠とともに、十分首肯することができる。そして、Bが供述するように、BとCの双方が動いているときに殴打したものであるとすると、Bの手元が狂ったり、Cの頭が動いたりして、凶器がまともに当たらないことも考えられ、この点も合わせ考慮すると、Bの供述する凶器及び犯行態様により、前記認定のCの傷ができる可能性を肯定することができる。
(3) もっとも、フジワラ医師は、前記(1)(カ)の宣誓供述書において、「後頭部を写真(司法警察員作成の昭和六〇年九月二九日付け実況見分調書添付写真二〇、二二ないし二四)のように殴られたとすると、傷は後頭部隆起より上にできる(33八七)。しかし、実際には、傷は後頭部隆起より下にできていたのであり、写真のように殴られたとすると、私が見た傷と合致しない(33八四〜五)。このような傷は、下から上に向かって殴られなければできない(33八七)。この傷は転んで頭の後ろを固い物にぶつけた場合と一致する(33八八)。もし、ハンマーで殴られたのであれば、他の部位にも傷ができたりすると思う(33九六)」旨供述している。
しかし、まず、これらの論拠は、前記(2)及び後記(4)に摘記した石山昱夫の証言を左右するに足りないと考えられる。また、フジワラ医師は、前記(1)(オ)の供述調書において、頭蓋骨の模型に印をつけた横の形状の傷に対するものではあるが、これに凶器の見本を当て(その写真が添付されている。)、「凶器の角が丁度このように頭蓋骨に打ち当たれば、Cに治療した傷を生じさせる可能性はあると思う」と供述している(34二五三)。さらに、宣誓供述書における前記の結論は、傷の位置のほかに、傷の周囲にもっと鈍い傷ができるはずであることを根拠にしているが、船尾忠孝作成の「依頼鑑定書」(43一八七八)によれば、毛髪の量によっては、創口の周囲に皮膚変色や表皮剥奪を伴わない創傷が生じ得ると認められるから、右の根拠も十分ではない。加えて、ハンマー様のもので殴られても他の部位に傷ができないこともあると考えられるから、これらの点を総合すると、宣誓供述書の前記結論は採用し難い。
(4) また、当審において取り調べた船尾忠孝作成の前記「依頼鑑定書」には、「被害者の後頭部の外後頭隆起の直左下方に、ほぼ垂直に走る上下径約1.5センチメートル、かなり深く骨に達する挫裂創一個がある。右挫裂創の創口はきれいで周囲に皮膚変色や表皮剥脱を伴っていない。このような創傷は、直線状ないしはほぼこれに近い稜角をもった比較的重量のある硬固な鈍器又は鈍体による打撲又は擦過打撲によって生じたものと考えられ、このような成傷器であれば、Bが供述する犯行態様(凶器については除外)によっても、位置のみに関しては成傷可能と考えられる。しかし、被害者の右の創傷がBの供述する凶器によって生じ得るかについては大いに疑問がある。すなわち、人頭蓋骨の後頭部に粘土を厚さ約一センチメートル付着させ、当審で取り調べた前記模造凶器(重さについては、依頼鑑定書には約1.76キログラムとあるが、実際には前記のとおり約2.5キログラム)で前記当該部位に圧迫を加えて圧迫痕の形態について実験したところ、模造凶器の左側縁又は右側縁が頭皮に対して約四五度の角度で作用した場合には、かなり直線に近い上下径1.5センチメートル、深さ0.1センチメートル弱の圧迫痕が得られた。したがって、粘土のような均一構造に較べ、組織学的に多重構造からなる頭皮においては、Bの供述する凶器によって被害者の後頭部に創口がほぼ垂直に走る上下径約1.5センチメートルの挫裂創が生ずること、並びに毛髪の量によっては創口がきれいで創口の周囲に皮膚変色や表皮剥脱を伴わない創傷が生じ得ることは肯定できるが、右実験によると、被害者の後頭部に骨に達するほどの深い傷ができるためには創口の上下径は3.0センチメートル強以上となり、また、創口の上下径が約1.5センチメートルであれば、深さは約0.1センチメートル弱と極めて浅い創傷しかできないことが判明したから、結局、(a)フジワラ医師の所見にかかる被害者の後頭部創傷が、一審判決の認定したBの供述する凶器によっては生じ得ない。(b)右創傷は、被害者が転倒した際に生じたものと解しても矛盾しない場合があり得る」旨記載されており、同人は当審公判廷においても同旨の証言(31三〇三)をしている。(以下、両者をあわせて「船尾鑑定」という。)。
しかしながら、まず、船尾鑑定はCの傷を上下径約1.5センチメートルとして考察を進めているが、1.5センチメートルより長かった可能性もあることは、前記(一)(3)(エ)でみたとおりである。次に、本件のような創傷の発生についての分析には粘土を用いての実験はあまり意味を持たないように思われる。船尾鑑定も粘土と頭皮の違いを意識し、皮膚筋肉の弾力性を考慮しても鑑定の結果は変わらないとしているが、石山昱夫の「本件のような創傷の発生についての分析には、船尾鑑定のように、人頭蓋骨の後頭部に厚さ約一センチメートルの粘土を付着させ、模造凶器で圧迫を加える実験は不適当である。なぜなら、頭部を鈍体によって殴打した場合、皮膚組織及び皮下組織は、外力作用に対応し、それぞれの持つ弾性によって瞬間的に変形し、その後凶器の作用面が皮膚面から離れれば元に戻る性質があるから、弾性がなく可塑性が極めて大きい粘土を用いて瞬間的に発生する外力の作用メカニズムを解明することは不可能であるからである」(31四〇八)という証言の方が説得力がある。また、船尾鑑定は、上下の方向については、凶器が当たった部分以上に裂傷ができることを肯定しているが、船尾鑑定において否定されている深さの方向についても、石山昱夫は、「皮膚に一気に外力が加わると、皮膚が圧迫されることにより、組織が破壊されると同時に皮膚が左右に押し分けられ、その力によって内部崩壊的に切れていく。こうして、仮に、頭皮に鈍体が当たった場合、鈍体がめり込んだ先以上に深い傷が出来てもよい」(31三六一〜二)旨証言しており、この証言によれば、深さの方向でも凶器が当たった部分以上に挫裂創ができる可能性があると認められるから、粘土による実験ではこの点の解明ができないと考えられる。
これらの点からすると、前記船尾鑑定の結論のうち、(a)の部分は、採用できない。
(5) 所論は、重さ約1.5キログラムの鉄製ハンマーで力一杯殴り、「ゴツン」という音がする程の手応えがあったとすれば、Cの髪の多かったことを考慮に入れたとしても、Cが受けた傷はとても骨自体には異常のない程度ではすまなかったことは明らかであると主張する。
しかし、Bは、凶器でCの後頭部を力一杯殴ったが「凶器の平たい部分の全面が当たらず、平たい部分の一部だけが当たっただけの結果に終わった。ゴツンという音がして手応えもあったが、凶器の平たい部分がCのカーリへアの髪の毛の表面をすべったようなツルッとした感じがした」(10一五〇四〜五)と供述しているのであり、この供述によれば、凶器は当たったがまともには当たらなかったということになり、前記(2)の石山証言が示すとおり、かすったような場合は陥没骨折ができなくてもおかしくないのであるから、骨に異常のない程度の傷ですまないことが明らかであるとはいえない。むしろ、右のBの供述は、前記認定のCの傷と矛盾しないだけでなく、よく符合するということができる。
(三) 小括
以上によると、所論は理由がなく、その他弁護人が弁論において主張するところを逐一検討しても、Cの傷の部位、形状、程度等とBの供述する凶器及び犯行態様とは矛盾しないと考えられる。
3 動機との関係
所論は、本件当時、被告人の経営するフルハムロードの営業は順調に推移していたし、被告人がCを殺してまでも保険金を入手しなければならないさし迫った事情は一切なかったから、保険金を取得する目的でCを殺害することを被告人と共謀した旨のB供述は信用できない旨主張する。
(一) 動機に関連する諸事情
(1) フルハムロードの経営状態
関係証拠によると、以下の事実が認められる。
フルハムロードは、昭和五三年二月一日に設立されて以降、第一期(同五三年二月一日から同五四年一月三一日)、第二期(同五四年二月一日から同五五年一月三一日)、第三期(同五五年二月一日から同五六年一月三一日)、第四期(同五六年二月一日から同五七年一月三一日)と売上を伸ばし(第三期の売上高は約一億八四〇〇万円)(8一〇六一)、従業員数も昭和五六年六月当時一三、四名になった(32五四八)ものの、みるべき資産はなく、自己資金に乏しい上、経費がかさみ、第一期と第三期は赤字を出し、第三期における借入金の残は、被告人個人からの分を除き、四〇八〇万円(8一〇六八)、累積赤字は、第三期が一一六八万円余(8一〇六一)、第四期が一七五万円余(8一〇八九)となっていた。昭和五五年四月ころ被告人からの売込みを受けてフルハムロードの決算書等を見た三永株式会社の宇佐見嘉康も、フルハムロードは設立後日が浅く未だその経営が順調がどうか判断できるような段階ではないと感じる程度であった(18一七〇六)。フルハムロードは、東海銀行原宿支店を唯一の取引銀行として営業していたが、同銀行は、フルハムロードの第三期が一〇〇〇万円を超える赤字であったことから収益力が非常に悪く、未払い金の大口が被告人であったことから被告人からしか資金を調達できない会社であって、安全性も良くないし、債務超過で決算の内容が非常に悪いと判断していた(39九四三〜四)。同銀行は、昭和五六年四月ころ、被告人の定期性預金の担保があるか、信用保証協会の保証がある限度で、すなわち、銀行がリスクを負わない場合にしか貸出をしない方針を採っていた(39九五八)。もっとも、フルハムロードの手形、小切手が決済されなかったことはなく、借入金の返済が滞ったことはなかったが、フルハムロードは、昭和五六年八月、九月ころには、特に資金繰りが苦しく(36五一一)、支払いの繰延べをしたり(36五六二〜三)、取引先の三永株式会社から手形により、九月には一〇〇〇万円を、一〇月にも四四〇万円を借り入れて(18一七三三〜四)、当面の資金繰りをした。
以上の事実によれば、フルハムロードは、資金繰りの方途もなく経営が行き詰まっていたとは認め難い。しかし、フルハムロードは、設立当初から、自己資金に乏しく、売上は伸びたものの、経費がかさんで、累積赤字を解消できない状態にあったものであり、昭和五六年になっても、取引銀行の信用が薄かったため銀行借入も思うにまかせず、資金繰りに苦労していたことも事実である。小日向信光の各証人尋問調書謄本記載の供述及び田口敏行の原審証言、同人の証人尋問調書謄本記載の供述は、以上の認定に反する限度で採用できない。
(2) 保険の契約状況
被告人の保険の契約状況は、前記二(3)及び(7)のとおりである。日下祐二の昭和六〇年一〇月三日付け検面調書抄本(8八二二)によると、被告人は、昭和五六年八月五日に海外旅行傷害保険契約を締ぶ前に、アメリカンホーム保険会社との間で、昭和五四年九月三日から昭和五六年七月一四日まで一〇回海外旅行傷害保険に入ったが、うち最後の七月一四日(同月一七日から同月二四日までのロサンゼルス出張のためのもの)を含め、北米渡航目的の九回中、一回目の一〇〇〇万円を除く八回は、死亡時保険金三〇〇〇万円の標準タイプのものであったこと、Cは昭和五六年五月にシンガポールに旅行しているが、その際被告人が被保険者をCとして入った保険の死亡時保険金は一〇〇〇万円であったこと、同保険の死亡時保険金の最高額は、昭和五六年七月一九日までは五〇〇〇万円であったが、翌二〇日から七五〇〇万円になったことが認められる。
このように、被告人は、Cと結婚して約半年後、被保険者をC、受取人を被告人として、災害死亡時三〇〇〇万円の保険契約を締結し、その一年余り後、これを合計八〇〇〇万円に増額し、昭和五六年八月五日、本件ロサンゼルス旅行のために、七五〇〇万円の海外旅行傷害保険契約を結び、結局、本件当時、無色無収入のCに対し、合計一億五五〇〇万円という多額の保険をかけていたものである。しかも、被告人は、右旅行の少し前までは、最高五〇〇〇万円まで入れるところを、Cのシンガポール旅行については一〇〇〇万円、自分自身のロサンゼルス出張については三〇〇〇万円しか入っていなかったのに、本件旅行のときは最高額の七五〇〇万円に入っていたものである。
(3) 被告人とCとの関係その他
関係証拠によると、被告人は、Cと結婚してからも、多数の女性と肉体関係をもっており、原判決が説示するとおり、Cに真摯で深い愛情を抱いていたとは認められない。
また、関係証拠特に水上晴由の原審証言(17一五四三〜九)によると、フルハムロードでは商品に保険を掛けていたが、昭和五六年四月ころ、フルハムロードの従業員が被告人の指示により、不良品や傷のついた商品をためておき、これが偶然の事故で破損したようにし、その写真を撮影するなどして保険金を請求したことが認められる。
さらに、前記1(四)で認定したとおり、被告人は、福原光治らに殺人をもちかけた際、同人に対しては、「犯罪を請負う仕事をして一儲けし、アメリカに来てレストランでもやろうかと思う」(22二五六四)と、水上晴由に対しては、「金のためだったらどんな仕事でもできる人間か」(17一五二一)と申し向けており、これらの文言には、金のためであればどんなことでもしかねないという被告人の考え方が表れているように思われる。
(二) 動機に関連する原判示の当否
(1) 所論は、原判決は、「被告人が互いに全く関わりのないB、D、水上の三名にCの浮気とフルハムロードの情報漏洩という同一の事柄をほぼ同時期ころに打ち明け、特にDに対しては、取引上の留意事項として注意を喚起していることに鑑みると、被告人がこれらの事実について相当深刻に考えていたのではないかと思料される」と説示しているが、具体的には情報漏洩があったとか、Cが浮気をしていたということの裏付けはなく、単に、被告人がこれら三名にそのようなことを言っていたというに過ぎないのであるから、右認定は証拠に基づかず経験側にも反する旨主張する。
確かに、本件記録上、フルハムロードの情報漏洩があったとか、Cが浮気をしていたとの証拠はないから、被告人が互いに全く関わりのないB、水上、Dの三名にCの浮気とフルハムロードの情報漏洩という同一の事柄をほぼ同時期ころに打ち明けたというだけでは、それらの事実について被告人が相当深刻に考えていたと認めるには証拠が不十分であり、原判決の説示は誤りであると認められる。
しかし、原判決は、前記第二の一でみたとおり、本件犯行の動機を保険金入手目的であると認定しているところ、原判決の右説示は、被告人が保険金殺人を企ててもおかしくない事情の一つを指摘したに止まり、本件犯行の動機が保険金入手目的であると認められることは、後記七でみるとおりであるから、右の誤りは判決に影響を及ぼさないということができる。
(2) 所論は、原判決は、殺害の動機として、被告人がCの行状に強い不審を抱いていたことなどを挙げた上、「被告人がこれらの理由で、或いは、これに何らかの事情(これが何であるかは、被告人が本件を否認し、C殺害を決意するに至った経緯についてこれを供述しない以上、解明は困難である。)が加わってC殺害を決意するに至ったとしても、決して不自然なことであるとは言えない」と説示しているが証拠上動機が認定できないのに、動機はあるなどという判断の仕方があまりにも不当であることは多言を要しない、原判決は、率直に妻を殺害する動機として、余人を納得させるようなものは認められないとすべきであった旨主張する。
しかし、原判決が本件犯行の動機を保険金入手の目的であると認定していることは、前記第二の一でみたとおりであり、殺人の動機としては、これで十分であると考えられる。所論指摘の原判決の説示は、被告人が保険金殺人を企てたもう一つ先の理由を全面的に解明するのは困難である旨を説示したに止まるものと解されるから、所論の非難は当たっていないと思われる。
(3) 小括
以上のとおりであって、フルハムロードの経営状態、保険の契約状況、被告人とCとの関係等被告人をめぐる諸事情は、被告人が保険金を取得するためCを殺害しようとしたというB供述を裏付けこそすれ、これと何ら矛盾するものではない。その他右の点に関するB供述の信用性を疑わせるような事情は見当たらない。本件においては、右のB供述が存在するのであるから、B供述とあいまって被告人に保険金取得の目的があったと認めるに足りる証拠があるかないかを検討すれば足り、Bの右供述を除いて独立に、Cを殺してまでも保険金を入手しなければならないさし迫った事情があったことを証明する必要はないと考える。所論は理由がない。
4 B供述の変遷との関係
所論は、B供述は、警視総監宛の昭和五九年七月一三日付け上申書から、任意捜査における司法警察員に対する供述、強制捜査における司法警察員に対する供述、検察官に対する供述、別件における公判供述、原審公判廷における供述、そして、別件における控訴趣意書と変遷を重ねているから、全体として全く信用できない旨主張する。
(一) 変遷の概要
(1) 警視総監宛上申書(7七六七)
警視総監宛の昭和五九年七月一三日付け上申書(以下単に「上申書」という。)には、「私は、ツアーで旅行中の昭和五六年八月一三日、ロサンゼルスのニューオータニにおいて、突然被告人に呼び出されて強圧的に命令され、命令に従わないときは、私の生命身体に危害を加えられる危険を感じましたので、私の意思に反しやむを得ずCを殴打しなければならない立場に追い込まれました」と前置きした上、要旨、次のような記載がある。
赤坂東急ホテルのパーティで知り合った被告人と昭和五六年春ころから親密に付き合うようになり、仕事を捜していると話したところ、被告人から、保険金三〇〇〇万円のうち半分をやるからと、同人の妻Cを対象とする保険金殺人を頼まれたが、強く断った。同年七月中旬ころ、被告人から、「気分転換にアメリカでも行っておいで」と言われ、アメリカヘ行った。同年八月一三日午前中、ロサンゼルスのホテルの部屋で被告人から、「この前のことを頼むよ、保険金殺人だよ」などと言われ、「お前がやらなければどうなるかわからない。親兄弟さえどうなるか覚えておけ」などと脅された。さらに、「チャイナドレスの仮縫いをすることになっているから、ドアをノックすればCがすぐドアを開ける。部屋に入ったらすぐ頭を殴れ。殴り殺したら近くの鞄を荒らして金目のものを持って逃げろ」などと言われ、黒い袋から出した凶器を無理やり握らされた。私は行かなければ殺されると思い、渡された凶器の入った袋を持って部屋を出たが、殺そうと思って行ったのではなく、Cに話をして分かってもらうために見せようとした。とにかく、被告人に言われたことを実行しようとしたポーズを見せようと思った。ノックしただけでドアが開き、Cに中へ通された。ベッドの上に凶器の入った袋を置き、Cを後ろに向かせ、採寸の振りをして、袋の中から凶器を途中まで出した。できないと思って、もう一度袋の中へ入れようとしたとき、Cが大声で「ヘルプミー」と叫びそうになった。それと同時に思わず凶器で殴ってしまった。頭を殴ろうとは思わなかった。凶器は、鉄製で重かったが、自分で持てる位の重さであった。灰色で、塗装はしてなく、ツルツルしていた(凶器として、T字型の図が掲載されており、大きさは、縦が二五センチメートル、横が二〇センチメートルと記載され、いずれも?がついている。)。
(2) 任意捜査段階における員面調書
Bの任意捜査段階における昭和六〇年三月三一日から同年八月二一日までの員面調書には、要旨、次のような記載がある。
(ア) 昭和六〇年三月三一日付け供述調書(41一四四五)
その時期を昭和五六年六月ころとしているほかは、Cの保険金殺人をもちかけられ、これを断ったというところまで、上申書とほぼ同旨の記載がある。
(イ) 昭和六〇年四月一日付け供述調書(41一四六〇)
被告人から保険金殺人を誘われ、全く信じられない馬鹿なことだと思った。被告人から、殺す対象が妻であると聞き、その理由まで聞いたが、信じられないこと、考えられないことと思い、被告人は妄想の中にいるのではないかと思った。被告人も「冗談、冗談」と言った。被告人がアメリカかどこかに行ったらいいと勧めてくれたのは、私がぶらぶらしているので、うっぷんをはらしてあげようと考えてくれたものと思った。昭和五六年八月一三日、ロサンゼルスのホテルの部屋に来た被告人は、前に言ったことをやってもらうと言った後、鞄からT字型の鉄の塊のハンマー様の物を取り出して、「チャイナドレスの仮縫いが部屋に来るということになっているので、ドアをノックして、後を振り向かせて、これで息の根が止まるまで思い切り何度も何度も殴れ。殺してしまえ。やりとげられたら三〇〇〇万円の保険金の半分をやる。殺したらお前と結婚してやる」などと言い、「やらなかったらお前の家族の命を取り、お前をアメリカから出られないようにしてやる」などと脅した。以前冗談と思って聞いていたことを思い出し、本当に家族や自分を殺すつもりだなと思い、ぼう然とした。被告人から言われたとおりしなければならないと思い、言われた部屋へ行き、ドアをノックすると、女の人がドアを開けて入れてくれた。Cがベッドとベッドの間に行ったので、Cの肩に触れるようにして後ろを向かせ、メジャーで計る振りをしながら、とっさにハンマー様の物を右手に持ってCの後頭部を一回殴った(凶器の図面が添付されており、縦の長さが約三〇センチメートル、横の長さが二〇ないし三〇センチメートルなどと記載されている。)。
(ウ) 昭和六〇年六月二日付け供述調書(41一四八四)
上申書の内容に一部間違っていることがあるので話す。被告人と知り合った時期は、昭和五五年の秋ではなくて、昭和五六年の四月か五月である。被告人からCを殺せと言われたのは、八月一三日ロサンゼルスのホテルではなくて、日本でアメリカ旅行をもちかけられたときに言われ、私もその気になってアメリカ旅行に行った。被告人は、昭和五六年七月上旬ころ、旅行の話が出た時、保険金殺人で妻を殺す、半分の一五〇〇万円やる、成功したら結婚してもいい、やり方はアメリカで話すなどと一方的にべらべらしゃべりまくった。私は、一瞬驚いたが、被告人を信頼していたので、断ることなく、すんなりやる気になった。
(エ) 昭和六〇年六月三日付け供述調書(41一四九五)
被告人からCを殺そうと言われ、赤坂東急ホテルで会うまで、日本で被告人と会ったのは三回と記憶している。二人のつながりがなければうまくいく、会わない方がいいということで、電話で毎日のように話した。私が出発するまで何を使用してCを殺すということは決まっていない。場所はロサンゼルスのホテルということに決まっていたが、どこのホテルかは、被告人のホテルが分かっていなかったので決まっていなかった。一人部屋を希望した理由は覚えていない。それを被告人に言われた記憶はない。ロサンゼルスのホテルで、「私は殺せません。勘弁して下さい」と被告人に泣きながら頼んだが、「やらなければお前の親兄弟も殺す」などと言われた。被告人がバッグの中から黒色布製のずだ袋を取り出し、その中から新聞紙で包んだ鉄のハンマー様の物を取り出し、これでやれと言った。私は、ここまで来た以上仕方がない、やらねば殺されるかもしれないと思って、うなずいて返事をした。夕方の六時ころ被告人から電話があり、やり終わった合図は一階のコーヒーショップの付近をうろうろすることだと言われた。私は、被告人の言うとおりやらねばならないという気持で部屋を出た。ドアをノックすると、Cは、私を部屋に入れてくれ、私の脇をすり抜けるようにして部屋の中央に歩いて行き、ベッドに座ったので、私は、「スタンダッププリーズ」と言った。Cを後向きにさせ、ずだ袋をベッドの上に置き、メジャーのないまま計る振りをした。早くやらなければ気付かれると思い、とっさに、ずだ袋の中のハンマーを大工が使うような握り方で右手に持ち、Cの後頭部めがけて殴った。右手に手応えがずしんとあり、ゴンと鈍い音がした。Cは頭をかかえ込むように両手で押さえて悲鳴をあげてしゃがみ込んだ(凶器の図面が添付されており、縦の長さが三〇センチメートル位、横の長さが二〇センチメートルないし二五センチメートルなどと記載されている。)。
(オ) 昭和六〇年六月六日付け供述調書(当審弁一九号証)(41一五三四)
六月三日の調書で、日本で殺人の計画のため被告人と会ったのは三回と言ったが、四回会っている。ハンマー様凶器の形は、先日厚紙を利用して作った。重さは、一〇〇〇グラムと書かれた鉄棒より若干重く、一二〇〇グラムの物より若干軽かったと思う。被告人は、ハンマー様の物について、「この付近の工場のまわりに捨てていたものを拾ってきた」と言っていた。
(カ) 昭和六〇年六月二四日付け供述調書(41一五六九)
今まで、ロサンゼルスのホテルで被告人から脅かされたと供述していたが、脅されたことはなかったので訂正する。また、私は、ロサンゼルスのホテルで、Cを殺すことができないと泣きすがるように被告人に言ったと供述したが、そのようなことも全くない。脅しは、帰国して一週間位経ってからあった。「このことを言ったら、親兄弟を殺す」などと言われた。
(キ) 昭和六〇年八月二一日付け供述調書(42一五七五)
Cを殺す道具について被告人と話し合ったのは、渋谷のラブホテルである。私が殴り殺せるものがいいと言うと、被告人は、アメリカに先に行って捜しておくと言った。アメリカに行った被告人が、帰ってきてから、鉄の塊でハンマーのような形をして手で持てる位の重さのものを見つけた、ロスで殺すと言った。凶器は、私の部屋に持ち帰り、指紋や血を拭いてすぐホテルの近くに捨てなさいと言われていたが、実行できなかった。先日、厚紙を利用して凶器を作ったが、その後、良く考えてみたところ、大きさ、太さが若干大きいように感じたので、本日再び厚紙を利用して作った。
(3) 強制捜査段階における員面調書
Bの強制捜査段階における昭和六〇年九月一二日から同年一〇月一日までの員面調書には、要旨、次のような記載がある。
(ア) 昭和六〇年九月一二日付け供述調書(42一五八四)
被告人との共謀等について、およそ次の点を除き、検面調書と同様の詳細な記載がある。
犯行場所については、私が日本でやることに不安があって断ったところ、被告人がそれじゃロスがいいだろう、それもBとは別々のホテルに泊まり、Cの部屋でやると決めた。八月一三日、被告人からの電話で、同人が同じホテルに泊まっていると聞き、出発前の打合せと違うと感じた。被告人から言われたとおり、部屋の中に入ってすぐ殴って殺そうとしたが、先に行かれてしまいその機会がなかった。Cがベッドに座っていたので、Cを立たせて後ろ向きにさせ、T字型のハンマー様の鉄の塊で後ろからCの頭をめがけて振りおろすように殴りつけた(凶器の図面が添付されており、縦の長さが18.5センチメートル位、横の長さが、一七センチメートル位などと記載されている。)。
(イ) 昭和六〇年九月一七日付け供述調書(42一六二六)
被告人との共謀等について、検面調書とほぼ同旨の詳細な記載がある。
(ウ) 昭和六〇年九月二一日付け供述調書(42一六六四)
犯行の態様とずだ袋の準備等について、検面調書とほぼ同旨の記載がある。
(エ) 昭和六〇年一〇月一日付け供述調書(42一七一四)
六月三日に厚紙で作ったハンマー様凶器に基づき業者が鉄パイプで作った物を見せてもらったが、横の部分のパイプの長さと太さが大き過ぎ、柄の部分のパイプの長さと太さが大き過ぎて握りきれない。八月二一日に厚紙で作り直したハンマー様凶器に基づき業者が鉄棒と鉄パイプで作った物(横の長さが17.5センチメートル、柄の長さが接合部から一九センチメートル、重量2.5キログラム)を見せてもらったが、形、大きさはこのくらいだがこんなに重くなかった。八月二一日に厚紙で作り直したハンマー様凶器に基づき業者が鉄パイプで作った物(横の長さが約17.3センチメートル、直径約四センチメートル、縦の長さが接合部から約一九センチメートル、直径約三センチメートル、重量1.75キログラム)を見せてもらったが、形も太さもこの位だが、少し軽かったように記憶している。また、鉄製T字型道具(横14.7センチメートル位、柄の長さが接合部から一八センチメートル位、縦横とも直径2.5センチメートル位、重量1.15キログラム)を見せてもらったが、太さがこれより太いし、柄の部分がもう三ないし四センチメートル位短かったと思う。
(4) 昭和六〇年九月二八日付け、同月二九日付け、同月三〇日付け検面調書
右三通の検面調書には、大要、前記四(ただし、(1)の(a)ないし(c)、(2)(イ)(ⅲ)の一部、(3)(b)の一部、(6)の(d)ないし(g)を除く。)のとおりの記載がある。なお、昭和六〇年九月三〇日付け供述調書には、凶器の図面が添付されており、凶器の大きさとして、横の長さが約一四センチメートル、太さが直径約四センチメートル、柄の長さが接合部から約一二センチメートル、太さが直径約三センチメートルと記載されている。
(5) 別件における公判供述(9一一八二)
Bは、昭和六〇年一二月一八日、別件の第一審公判において、およそ次の点を除き、検面調書とほぼ同旨の供述をした。
保険金を入手する目的は、あくまでも付随的なものであった。一度被告人に対してお金はいらないと言っている。被告人と打合せをしたときの気持は、現実的なことじゃなくて、何か推理小説の中にいるような感じであった。飛行機に乗ってから次第に不安になり、被告人のためにやってあげようという気持はなくなっていた。ホテルに着いて、自分はとんでもないことをしようとしているという実感がし、できることなら逃げたいという気持になったが、被告人には言えなかった。裏切り者は許さない、本人はもちろん、家族も殺すというような話を東京でしていたことを思い出した。Cの顔を見た途端、血の気が引けるような何が何だか分からない状態になり、ハンマーを無我夢中で取り出してCの顔に当てた。日本を出国する前に、清水礼子に会った時、被告人の電話番号を書いた紙を渡したのは、もしかしてアメリカで殺されるのではないかという恐怖のようなものがあったからでもある。清水に、アメリカに行くとお金になる、危ない仕事であるが大金になるというような意味のことを話した覚えはない。
(6) 原審証言
Bは、昭和六一年二月一四日から同月四月二五日まで七回にわたり、原審公判廷において、およそ次の点を除き、検面調書とほぼ同旨の証言をした。
私が被告人から殺人の話をもちかけられてこれを承諾したのは、被告人に対し恋愛以上のものを感じていたので、被告人の言うことだったら何でも聞いてあげたい、被告人に言われたとおりにしてあげたいと思ったからである。被告人から保険金殺人だと言われ、殺害の対象者がCと分かったのは、既に私が被告人からの殺人依頼を承諾した後である。被告人から保険金三〇〇〇万円のうち半額の一五〇〇万円をやると言われたがいらないと言った。Cを殺す方法の一つとして、岸から離れたところへ連れて行って足を引っ張って水死させるというのもあった。レイプに見せかける、変質者に見せかけるという話も出た。アリバイについては、最初はCとDと被告人が食事をしてCを部屋に帰すということだった。部屋に入ったらすぐ殴れと言われたように思っていたが、採寸の振りをしてしっかりとした位置関係で後ろを振り向かせて殴れと言われたことを思い出した。八月一三日ロサンゼルスのホテルの私の部屋で、被告人から「これが終わったら結婚しよう」と言われたが、私は白々しいと思った。この時は既に被告人に対する愛情とか信頼とか同情めいたものは薄れていた。私がCの部屋に行って犯行に及んだのは、被告人が「裏切ったら親や兄弟を殺す」と言っていたことを思い出し、やらなければ何をされるか分からないという気持になったからである。Cを殺すつもりでCの部屋に行ったが、Cを見た途端、体中の血の気が引けるようになって、あとはもう何が何だか分からなくなった。Cを殴ったのは事実だと思っているが、Cが痛そうに頭を押えるまでのことは覚えていない。ハンマーは取られたというより手渡したという表現の方が正確である。ずだ袋は凶器を入れるために持って行ったという意識はない。メジャーを持って行くことは被告人に指示されていた。Cの部屋に行く時に着ていた服やサンダルは、サンフランシスコでも着ていた。バスルームの所にある鏡については覚えていなかった。出発前に清水礼子に「行きも帰りも旅費を出して貰える。行くだけでも大金が貰える」と話した記憶はない。ニューオータニの部屋で凶器を渡された時は二人とも座っていたというのは記憶違いである。なお、二月二〇日の公判廷において、Bは、凶器の形状について、原寸大だという図面を書いているが、それを検尺すると、横の長さが約一四センチメートル、太さが直径約3.5センチメートル、縦の長さが接合部から約一一センチメートル、太さが直径約三センチメートルである。
(7) 別件における控訴趣意書(9一二八五)
Bは、別件の昭和六一年四月四日付け本人名義の控訴趣意書において、事実関係につき、大要、次のような主張をしている。
殺人への協力を承諾する前に、相手がCであることと保険金殺人で金を半分くれるということは聞いていなかった。成功したら一生共にいようという言葉に有頂天になったことは全くない。金で私の心が動いたこともない。結婚という言葉を聞かされたからといって決意を固くしたことはなく、白々しいと思った。変装した覚えはない。Cの部屋へ行ったときの気持は、東京で、裏切ったらBはもちろんのこと、親兄弟まで殺すと言われたのを思い出し、やむを得ず行ったものである。Cの顔を見た途端、身体中の血の気が引いたようになり何が何だか分からなくなった。
(二) 変遷の理由
(1) 捜査段階における供述について、その変遷の理由としてB自身が供述するところを拾ってみると、以下のとおりである。
①上申書について、「昭和五九年一月、週刊文春に『疑惑の銃弾』と題して、いわゆる銃撃事件と本件のことが掲載され、その後も、これらがマスコミで大々的に報道されたことから、いずれ自分も本件の犯人として公になり、警察沙汰になるのは必定と思い、自責の念と極度の不安にさいなまれていたところ、三浦次郎から、マスコミが根も葉もないことを書き立て、警察が来れば最悪の事態になる、それより、むしろ自分の方から話したほうがよいなどとアドバイスを受け、弁護士とも相談して上申書を警視庁に提出した。上申書は、一口に言って、自分を偽善する内容のものである」(13三一五〜六、三二九〜三〇、40一五五三〜六)。旅行をおごってもらったとか、共謀などなくロサンゼルスに行ってから突然被告人に脅かされたとか、Cに知らせるために部屋まで行ったとか、ベッドの間で殴ったとか、Cに気づかれそうになって凶器を袋に入れたまま思わず殴ったとか書いたのは、三浦次郎の考えに基づくものである(13三二四〜六、14五六五〜六、五七一〜二)。②日本で共謀したことを隠していた理由について、「この事件は、社会的に相当騒いでいたので、正直に話すと私も共犯として騒がれ、私自身のみでなく、親兄弟に大変迷惑がかかることから、ロサンゼルスに来てAから言われたことにすれば助かると思ったからです」(41一四八七)。③当初被告人から脅迫されたと供述していた理由について、「それは、自分を守るという意識があったからです。Aから脅かされてCさんを襲ったということにすれば助かると思ったからです」(41一五七一)。④ベッドに座ったCを立たせて採寸をする振りをした際に殴ったと供述した理由について、「このように話せば、最初部屋に入った時にCさんを殺す気持がなくなった。採寸をしたのはCに気づかれないようにするためで、Cさんを殴ったのも、少しでもやらないとAに何をされるのか分からないから、と後からでも理由がつくからです」(42一六六七)。⑤渋谷のラブホテルで相談したことを隠していた理由について、「こんなに社会で騒がれているAと何回もホテルに行ったと知られると、口には言い表すことができない位恥ずかしかったのです」(42一五八二)。⑥メジャーと手袋の話をしなかった理由について、「用意周到で現地まで持って行ったことを知られたくなかった。当時メジャーと手袋まで持って行ったということがひどく大きな罪に思えた」(15七一八〜九)。⑦任意捜査の段階から強制捜査の終りころにかけての供述態度について、「私のやろうとしたことが、昭和五九年春ころから世間に知れそうになった時、私が一番考えたことは、渡部さんを初めとする事件後知り合った人達や実家の両親、幼な友達に、Aに惚れて殺人をしようとしたこと、金に目がくらんで殺人をしようとしたことを絶対に知られたくないということでした。醜い本当の自分の姿を知られたくなかったのです。もちろん将来裁判所などでできるだけ軽い刑になりたいという気持もありました。ですから、当時友人や一部マスコミには、あえて事実と違う、自分の醜いところを出さずにすむようなストーリーを作ってお話しし、逮捕される前の刑事さんからの事情聴取でも自分を飾る話をしました。逮捕されて手錠をかけられ独房で毎日過ごしている中でも、私は最初のころ、まだ自分を飾っておきたいという強烈な気持がありました。しかし、私も飾りがいつばれるかと毎日ビクビクしていました。昭和五九年の春ころマスコミからいつ私の醜い姿を暴露されるだろうか、いつ渡部さん達に私の嘘がバレてしまうだろうかとビクビクしていた時と同じ様な心境でした。このような気持のままでいては再出発できないと独房の中で思うようになり、井上さんに、助けて、と心の救いを求めて全てお話しした時のことを思い出し、この調べの中でも本当のことをお話しし、何ひとつ心にやましいところを残さないで裁判を受け服役し、新しい人間として再出発したいと思っています」(42一七四五〜八)。⑧捜査の最終段階における心境について、「警察に逮捕されて一八日目。最初の数日間、自分の過去において罪を犯したという実感がなく、むしろ、私が一体何をしたのか、自分のことでありながら、決してその事実を認めようとはしませんでした。そんなことから、私は食欲もなく眠れず、まるで病人のようだったと思います。が、日一日と自分自身変わっていくのが手にとるようにわかっていきました。何故なら、私は、逮捕されているのにかかわらず、話さなくてはいけないことを話さなかったり、嘘をついたりしていたからです。正直言って、私には大変なことをしてしまったという罪の意識はなかったのではないかとさえ思います。そして、自分だけは助かりたいという気持が強かったからだと思います。四年間のブランクをいいことに、私は二度と思い出したくない過去のこと(を)意識的に隠そう隠そうとしていたのです。しかし、このままの状熊は、何ら過去の自分とは変わらず、私は一つも前へ進むことができないのではないかと思うようになり、全て思い出せる限りお話ししたのです」(9/30幕田と認印のある、B自筆のメモ)(9一三一二)。
以上のうち、上申書の作成の経緯とその内容に関する部分は、三浦次郎の証言による裏付けもある。特に、上申書中、旅行をおごってもらったという点、ロサンゼルスヘ行ってから脅されてやらざるを得なかったという点、頭を殴ったのももみ合っているうちに凶器が当たってしまったという点が、三浦次郎の発案にかかるものであること(16一〇九七)は、重要である。上申書の内容は、Bが供述するような意図のもとに出来上がったものと認められる。そして、上申書の内容と同趣旨のその後の供述を変えるようになった心境の変化については、前記②ないし⑥の五点につき嘘の供述をした個々の理由に関して述べるところを含め、B自身の弁明がいずれも十分に了解可能であり、現に強制捜査の中ごろから後の供述にはほとんど変遷が認められない。Bの捜査段階における供述は、上申書及びこれと同趣意の供述をしている部分と、Bが記憶とおりだと述べている部分とに分断することができるところ、Bが当初意図的に虚偽の事実を述べた際(捜査官に対しては正直に述べると言いながら、なお自分をかばうなどの理由で虚偽の事実を述べる場合を含む。)の供述が、後にBが記憶どおりだと述べる段階の供述と違うのは当然であり、前者の供述はもともと原体験がないことになるから、その供述自体が変化することも理解できる。また、B自身が「上申書には素直な気持とそうでないものが交ざっている」(14五七三)、「上申書は記憶にないものを交えて書いた」(15八六五)と述べているように、意図的な虚偽の供述と原体験に基づく供述とが入り混じっている場合には、供述の変化が一層複雑な様相を呈すると考えられるし、B自身が「嘘はいつかはばれるだろうと内心思いながら調べを受けていましたので、少しずつ痛い部分を触れられると答えるようになりました」(10/2・3暮田と認印のある、B自筆のメモ)(9一三一六)と述べているように、捜査官による矛盾点、不合理な点の追及やこれに伴う供述の変遷、新たな供述もあったと考えられる。こうして、捜査段階における供述の変遷の理由は、全て合理的説明が可能である。そして、本件においては、強制捜査の中ごろ以降の供述が、公判段階における供述について後記(2)の理由に基づく変化が見られるほかは、公判段階に至るまで大筋において一貫していること、本件はもともと保険金三〇〇〇万円のうち一五〇〇万円をやるからと被告人からもちかけられた保険金殺人の計画に端を発するという点、チャイナドレスの仮縫いが来ることになっているからノックすればCがドアを開けてくれると言われたという点、後ろからCの頭を殴れと言われたという点、C殺害後強盗を装うように言われたという点、八月一三日にニューオータニのBの部屋でT字型の鉄製の凶器を渡され、それを持ってCの部屋へ行ったという点では、上申書以来供述に変遷がなく、公判段階における供述においても、その凶器でCを殴打したことを否定はしていないことに留意しなければならない(凶器の形状等については後記(3)で補足する。)。
(2) 次に、被告人としてのBの供述が変遷しているのは、Bが別件において、保険金入手目的が動機であったことを否定ないしは薄めようとし、殺意もなかったと主張し、裁判の結果を少しでも有利にしようと、自己の主張に合わせるべく供述したためであると考えられる。さらに、証人としての供述が変遷しているのは(もとより、供述の変化一般に通常みられる記憶違い、記憶の変容、記憶の喚起等によるものは除く。)、原判決が説示するとおり、右のように争ったのにもかかわらず一審で実刑判決を受けたBが、当時審理中であった控訴審での裁判を意識し、これが局面を自己に有利に展開しようと企図し、そこでの主張に合わせるべく意識的に証言をしたためであると理解することができる。
(3) 凶器の形状等についての供述の変遷についても、一応の合理的な説明ができることは原判決が説示するとおりである。当審において取調べたBの員面調書等を仔細に検討しても、この点の原判決の判断に誤りはない。
Bの供述によれば、上申書から初期の警察官の取調べまでは、大きさについては余り念頭に置かずに供述し、その後、警察官の指示により、ボール紙や紙粘土や模型を作ったり、凶器を入れたずだ袋から出すときの感覚を思い描くなどしながら、次第に大きさ等についての記憶を喚起していき、最終的に検察官に対して供述したところに落ちつき、原審公判廷においてもほぼ同様の供述をしたというのであり(15七二九〜五八、八六八〜七八)、この供述は首肯し得るから、Bの右供述の変遷も説明が可能であるということができる。
(三) B供述の信用性に関する心理学的鑑定等
(1) 弁護人は、当審弁論において、B供述の変遷を検討した佐々木正人助教授ほか六名共同作成の鑑定書(50三一九四)を援用し、B供述に信用性がない理由を補足している。
右鑑定書記載の意見(以下「鑑定意見」という。)は、多くの点で示唆に富むが、前記(二)(1)でみたとおり、B供述の変遷について大きな原因を与えたと認められる三浦次郎の証言が鑑定資料に含まれていない点で致命的な欠陥があるのみならず、内容的にも幾つかの点で首肯できないところがある。その主なものを列記すると、以下のとおりである。
まず、第二章についてみると、鑑定意見の要点は、殺害依頼を承諾した動機に関するBの供述に変遷があることを指摘し、当初の「脅迫されて、やむを得ず」という動機(第一相)から次の「金銭目的」という動機(第二相)への変遷はともかく、最後の「Aへの愛情」という動機(第三相。ただし、厳密には、「Aへの愛情と金銭目的の双方」である。)への変遷は、合理的な説明が不可能であるから、Bが第二相において第三相の真実を隠蔽するために嘘をついていたと考えることはできないというにある。しかし、鑑定意見も指摘しているとおり、Bは、第二相においてAに対する愛情を抱いていたという事実を語らなかった理由として、渡部に嫌われたくないという気持があったという点を挙げているところ、この説明は、当時既に渡部という新たな恋人を得ていたBの立場からすれば、合理的に理解することができると思われる。これに対し鑑定意見は、Bは、第三相の供述に入るずっと前に、Aと肉体関係をもった事実を供述しているのであるから、Bが第二相の供述の段階において渡部らの目を気にして供述していたとは考えられない旨分析している。しかしながら、Bの供述によれば、当時のAとの肉体関係は、深町との失恋後のなげやりな気分の下でもったものとされているのであり、Bの立場からすれば、そのような気分でもった単なる肉体だけの関係であればともかく、真実Aに愛情を抱きその故に関係をもったということだけは何とかして渡部に知られたくないという気持になることは、あり得ることと考えられる。したがって、第二相から第三相へのBの供述の変遷について、合理的な説明が不可能であるという鑑定意見には賛成することができない。
次に、第三章についてみると、鑑定意見は、Bの犯行計画に関する供述に多くの変遷があり、その変遷の過程には一連の特徴的な文脈の錯誤や論理的な矛盾があるなどと指摘し、これらの点からすると、B供述が嘘から真実へ変遷したものであるとは考え難いという。しかし、鑑定意見がB供述の「矛盾」であるとしている箇所の中には必ずしも矛盾とはいえない点があるほか、鑑定意見が、B供述の信用性の判断において「自分に不利な証言をする理由がない」という基準を絶対に採用してはならないとしている点は、首肯できない。人が自分に不利益な事実を認めたがらないことは、一般的な傾向として認めざるを得ないことであり、それ故にこそ、被告人が自分に不利益な事実を認めた供述は、現行刑訴法上、任意性に疑いのない限り証拠能力が肯定され、特段の理由のない限り、証拠価値も高いと考えられているのである。もちろん、人は、何らかの理由により、時に自分に不利益な虚偽の供述をすることがあるから、不利益な事実を認めた理由が何であったのかという点についての慎重な検討が必要であることは当然であるが、「自分に不利な証言をする理由がない」ことを根拠としては使わずに十分な説明ができるかという観点から分析を進めている鑑定意見の立場には、方法論自体に問題があるといわなければならない。
さらに、第四章についてみると、鑑定意見も認めるとおり、Bの殴打地点に関する供述の変遷は、殺意の自発性の変化とほぼ同時に生じている。そして、Bは、当初の供述をした理由につき、前記(二)(1)でみたとおり、「このように話せば、最初部屋に入ったときにCさんを殺す気持がなくなった。採寸をしたのはCさんに気づかれないようにするためで、Cさんを殴ったのも、少しでもやらないとAに何をされるか分からないから、と後からでも理由がつくからです」と説明している。これは、殺意がなかったため入室後すぐには殴打せず、ベッドの間で採寸の振りをした際、Cの行動に触発されてとっさに殴打したという趣旨の当初の供述が、その後、殺意を持って入室し、入室後直ちに殴打したという供述に変遷した理由を説明するものとして、合理的に了解可能であると思われる。したがって、殴打地点の変遷は不可解で合理的な説明が全くされていないとする鑑定意見には賛成できない。
最後に、第五章についてみると、鑑定意見は、凶器の大きさ及びその使用状況に関するBの供述が、昭和六〇年六月三日の殴打実演及び同年九月二八日の犯行再現実験を契機に大きく変遷し、凶器は次第に小さく、また、使用状況は次第に明確になっていることからすると、Bは、以前に自分が体験したことを思い出すとか、犯罪事実について語っているというよりも、むしろ、取調べの場で行った行為自体が凶器の大きさを特定していった可能性や、取調官との実演の模様について語っている可能性が強い旨指摘する。しかし、犯行後約四年を経過した後に事件について供述するに至った者が、殴打実演や犯行再現をすることにより、当初曖昧であった凶器の大きさや犯行状況についての記憶を次第に正確に喚起するということは、十分あり得ることと考えられるから、そのような可能性を認めない鑑定意見には賛成することができない。また、Bは、前記のとおり、殴打の場所ときっかけについて当初は虚偽の供述をしていた旨供述しているのであるから、その後、殴打場所等について真実だという供述をした際に、それに伴い、これと密接に関連する凶器の使用状況について、従前の供述を変更したとしても、不自然なことではい。さらに、鑑定意見は、B供述に現れた凶器の大きさは、二段階の供述変遷により次第に小さくなっているが、検察官が主張するように凶器の大きさを恐怖感から当初大きめに供述するということ(いわゆる過大視の現象)は、大学生二一名に実際に複製凶器を握らせて行った実験の結果によると起こり難いとしている。しかし、心理学的な実験に参加した学生が、単に、実際殺人に用いられたものであると告げられた上で複製凶器を握らされたに過ぎない場合と、現実に殺人を企図した犯人が、殺人の用に供するつもりで凶器を持参し実際にもこれで被害者の頭部を殴打した場合とでは、その際の心理状態に大きな差異があることは容易に理解し得ることである。そして、実験のため冷静な心理状態で複製凶器を握った学生の場合に凶器の過大視が生じなかったとしても、右実験結果を援用してB供述の信用性を否定する鑑定意見に賛成することができない。
このようにみてくると、B供述が真実を語った証拠として採用されることには記憶研究者として反対せざるを得ないとの結論は採用することができない。
(2) 所論は、原判決は、Bの凶器についての供述の変遷について、Bが徐々に記憶を喚起していったものである旨説示しているが、真実凶器で人を殴打した体験を有する者がその際の感覚を忘却してしまうことは考えられないし、また、一旦忘れてしまったのなら、大きさや重さの異なる物体を手にしたからといって、一瞬だけ手にした当時の記憶がよみがえるはずもないのであって、そもそも凶器は存在しなかったとみる方が合理的である旨主張する。
しかし、Bは、所論のように一瞬ではないものの、八月一三日午前被告人から渡された時と同日夕方の犯行時しか、凶器を見たり持ったりしていないというのであるから、そうであるとすれば、本件から四年近く経った取調べの際、凶器の大きさ、重さ等についてすぐには思い出せず、前記(二)(3)でみたとおり、模型を作ったり、似たような物体を手にしたり、ずだ袋から出すときの感覚を思い描くなどして漸次記憶を喚起していったとしても、決して不合理ではない。また、Bは、本件凶器が円柱形の金属をT字型に組み合わせたものであることについては、捜査段階から公判段階まで終始一貫した供述をしている。
そうすると、凶器の大きさ等についてBの供述が変遷しているからといって、Bの供述する凶器は存在しないとか、T字型のハンマー様の物というBの凶器に関する供述が虚偽であるということはできない。
(四) 小括
以上のとおりであって、B供述の変遷については合理的説明が可能であり、変遷しているという理由だけで、B供述に信用性がないということはできない。所論は理由がない。
5 B供述の合理性その他
(一) 共謀について
所論は、被告人とC殺害を共謀した旨のB供述は、次のような点から不自然、不合理であり、信用できない旨主張する。
(a) Bの供述する共謀の日時、場所は、①昼過ぎころ、フルハムロードとは目と鼻の先にある馴染みの店で、人目につき易く、隣の客の話が聞こえるようなレストラン、②夕食時刻ころ、知人や妻に会う可能性の極めて高い自宅近くに停めた自動車の中、③昼間、東京でも最も人通りの多い繁華街の、殺人計画を話し合うような雰囲気など全くない喫茶店、④昼間、公然と徒歩で、それを仕事の合間に出入りしたというラブホテル、⑤それまで数多く利用し、ホテルの書類上から発覚し易い赤坂東急ホテルであったというのであり、いずれも殺人の共謀の日時、場所としては不自然である。
(b) Bは、被告人が、C殺害の方法として、通り魔に見せかけて殺す方法、ナイフで刺殺する方法、ピストルで射殺する方法、海で事故死に見せかける方法、レイプに見せかける方法、そして殴打による方法と、次々に提案したと供述するが、被告人は泳ぐことができないし、ピストルなど触れたことも所持したこともなく、到底提案するはずもない方法があるのみならず、被告人は完全犯罪を企図したというのであるから、B供述のように何の脈絡もない白紙同然の計画を次から次へ述べることなどあり得るはずもない。
(c) B供述によると、被告人は、犯行直前までハンマー様凶器をBに見せなかったというのであるから、Bが凶器を実際に振りまわせるかどうか検討さえしなかったものであり、また、凶器の入れ物はBに一任したというのであるから、犯行直前まで、凶器が袋に入るのか、袋の中からスムーズに凶器を取り出せるのかなどの点について検討しなかったものであって、人を殺すにしては杜撰な計画というほかない。
(d) Bは、Cを見分ける方法として、八月一三日午前一〇時ころに初めてCの容姿等を聞かされたと供述しているが、間違いなくCを殺害しなければならないのに、事前にCの顔を教えず、写真すら見せていないのは、入念に計画した保険金殺人としては考えられない。また、Bは、その際、被告人から、Cが白いジャンプスーツを着ているなどと説明されたと供述しているが、いくら旅先であるとはいえ、自分の妻が犯行予定時刻の午後六時半前後に何を着ているかその日の午前一〇時の段階で言い得るはずがない。
(e) C殺害について被告人にアリバイが成立するためには、被告人とCが一緒ではない時点でCが生きていることが第三者によって確認されており、その後になってCの死亡が発見されることが必要であるところ、本件時の被告人の現実の行動は、被告人とCが一緒にいるところを第三者が確認した後にC殺害が発見されるようなものではなかったのであるから、その意味で、Bが供述する被告人のアリバイ工作は、なかったということになる。また、電話に出ないという一事で確かめに行くというのでは、最初から妻の身に何らかの変事があったことを予期していたに違いないと評価されてしまうなど、C発見に至る手順についてのB供述は、不自然というほかない。さらに、被告人がアリバイ工作をしていたこととBの電話で直ちに一人で二〇一二号室へ戻ったということとは両立しない。
(f) B供述によると、犯行後、Bは凶器を室内に置いて来る予定であったというのであるが、そうだとすれば、指紋がつかないようにするための細心の注意をしなければならないはずであるのに、被告人は当日素手で掴んでBに渡し、Bも終始素手で掴んでいたというのは、不自然である。
(g) Bは、被告人から、犯行が首尾よくいった合図として、ホテル一階のコーヒーショップ「カナリーガーデン」の周りを歩くように言われたと供述するが、右の店は極めて広い店であり、周囲を歩く人を見ることはほとんど無理な座席もあること、アメリカにおいては、どのテーブルにつくかは必ず店の者によって指定されることなどからすると、右供述は作りごとである。
(h) およそ犯罪を共謀する場合には、実行犯が、犯行後にどのような行動をとるべきかについての検討を欠かすことはあり得ないのに、Bが供述するところでは、犯行後の警察の捜査にいかに対処するかなど、BがCを殺害した後どのような行動をとればよいかについてほとんど指示らしい指示がない。
(i) Bは、「日本の警察って優秀なんでしょう。日本でやったらすぐ捕まってしまうんじゃないの。私日本はいやです」と言ったことから、犯行場所はロサンゼルスに決まったと供述するが、海外旅行の経験を一度も有しないBが、自ら殺人を実行する場所について海外を発想、提案するなど極めて唐突にして不自然である。
(j) Bと被告人との関係は、昭和五六年五月ころ初めて顔を合わせ、同月下旬ころから、時々会っては性的関係を結ぶというだけの間柄であったこと、Bは、前科、前歴ともになく、他人に対して暴力を振るうなどという経験も皆無の若い女性であったこと、立っている若い健康な女性に対して金属製ハンマー様凶器で頭部を殴打するなどという方法は、それ自体簡単に致命傷を与えられるとは限らず、失敗する確率もかなり高い方法であることなどからすると、被告人がBを共犯者に選ぶというのは極めて考えにくい。
そこで、所論(a)についてみると、Bは、①のレストランで二日にわたり、最初の殺人の話をしたというのであるが、二日とも、ランチタイムが過ぎたころで周りに誰も客がいなかったというのであり、二日目に、Bが「こういう所で会っているのを店の人なんかに覚えられているんじゃない」と言うと、被告人は、「誰もそこまで気をつけて見ていないから思い出せるはずがないから心配しなくてもいいよ。ただ、これからは出来るだけ人目につかないようにはしよう」と言ったというのである。また、②については、ファミリーレストランで食事をしたが、そばに客が沢山いて殺人計画の話をすることができなかったため、被告人の自宅に向かう自動車の中でその話をし、さらに、自宅のそばに停めた自動車の中で話を続けたというのであり、③の喫茶店では、ツアーに関する打合せをした程度で、聞かれて困る話はしていないというのである。さらに、④については、この喫茶店で一旦会ったが、客が多く殺人の話ができる雰囲気ではなかったので、被告人に言われて近くのモーテルに入ってその相談をしたというのである。
以上のB供述に現れている事情は一応了解が可能である上、場所柄をわきまえて人に悟られないようにすればどのような相談もできるし、⑤の赤坂東急ホテルも、前記1(六)でみたように偽名で泊まることもできるのであるから、発覚し易い場所とはいえないのであって、Bの供述する共謀の日時、場所が格別不自然であるとは認められない。
所論(b)についてみるに、確かに、B供述によると、被告人は所論のように次々とC殺害の方法を提案したようになっている。しかし、B供述によれば、被告人が所論のような殺害の方法を述べているのは、被告人がBに殺人を頼んだ日という昭和五六年七月一〇日ころの翌日、Bがこれを承諾した時からしばらくの間であるということになるところ、このころは殺害の方法を模索している段階になるから、被告人が何ら脈絡のない種々の方法を次々に提案することがないとはいえない。また、被告人自身が泳げないとしても、海で事故死に見せかけることができることは明らかであり、それまでにピストルに触れたことや所持したことがないとしても、Bの供述する方法が提案するはずもない方法であるとはいえないと考えられる。
所論(c)についてみると、Bの供述する凶器と殺害方法は、鉄製のハンマー様凶器で撲殺するという単純なものであるから、所論の点について検討しなかったとしても杜撰な計画であるとはいえないと考えられる。
所論(d)についてみると、確かに、B供述によると、Bは被告人から八月一三日午前一〇時ころ初めてCの容姿等を聞かされたもので、この時もそれ以前もCの写真を見せられていない。しかし、被告人は、この時、「Cは白いジャンプスーツを着ていて、カーリヘアの長い髪だ。背の高さはBと同じ位だ。白いツナギの上下を着ているからね」(10一四七二〜三)と言ったというのであり、背丈、髪形、服装等をかなり詳しく言っている上、殺害場所はCが一人でいるはずの部屋であり、犯行の直前には被告人から連絡があることになっていたというのであるから、もし、Cの服装に変化があれば、その時に伝えればよいことであり、Cを見分ける方法が入念に計画した保険金殺人としては考えられないということはできない。
所論(e)についてみると、所論も引用しているB供述によると、被告人は、赤坂東急ホテルで、Bに対し、僕は完全なアリバイを作る、Dとセッティングした商談の前にCと僕とDの三人で食事でもして、そのままCを部屋に戻して僕とDで商談に入り、途中Bからうまくやったという合図があったら、僕が商談をしているところからCの部屋に電話を入れ、Cの返事がないということで、Dに部屋に行ってもらうことにしようと言っていたというのである(10一四二五)。そのとおりであるとすると、当初は、被告人は所論のいう完全なアリバイを予定していたこととなり、当日の被告人の現実の行動がB供述と合わないからといって、Bの供述する被告人のアリバイ工作がなかったということにはならない。また、C発見に至る手順についてのB供述が所論のような理由で不自然であるとは考えられないし、被告人にとって予想外のことが起こったとすれば、所論の点が両立しないとはいえないと考えられる。
所論(f)についてみると、確かに、B供述によると、被告人はBに犯行後凶器を部屋に置いて出るように言ったというのである。しかし、まず、Bの指紋について考えると、B供述によれば、被告人から、警察に捕まったことがなければまず大丈夫だが、部屋には指紋を付けてはいけないから手袋を用意して行くように、手袋ができなくて素手で殴ったときは、殴った後でよく指紋を拭き取るように言われたというのであり(10一四二二〜三、13一八九)、このとおりであるとすると、被告人は、Bの指紋を採取されることはない、もし採取されても、警察にBの指紋は保管されていないからBが捕まることはないと考えていたこととなり、指紋に対しても十分注意していたということができる。また、被告人自身の指紋については、B供述によれば、Bの合図で直ちに被告人が犯行現場に行くことになっていたというのであるから、警察が来る前に凶器についた指紋を拭くこともできるし、仮に指紋が拭き取れなかったとしても、部屋に行ってから触った旨の弁解も可能であるから、被告人が凶器を素手で掴んだとしても不合理であるとはいえない。
所論(g)についてみるに、ロサンゼルス警察本部警察官作成の実況見分報告書(甲三九号証)、Dの原審証言によると、ニューオータニ一階の「カナリーガーデン」のほとんどの席から道路を歩いている人の姿を見ることができ(18一六二一)、本件時被告人らが座った席からも同店の周りの通路が見えることが認められる(18一六二四)。また、店員に案内された席についても、希望により変わることができると思われる。したがって、所論指摘のB供述が所論のような理由で作りごとであるということはできないと考えられる。
所論(h)についてみると、所論が一部引用しているとおり、Bの供述によれば、Bは、被告人から、Cが強盗に襲われたように見せかけろ、アメリカでは一流ホテルだって強盗事件がしょっちゅう起こっているから警察がホテルにいた客を調べることはまずないだろう、部屋に置いて来たトンカチの様なものを見て、犯人はアメリカの人間だと思うはずだから、日本人は疑われることはない、翌日にはハワイに行けるからもうロスの警察は手が出せなくなるなどと言われた(10一四二七〜八)というのである。そうとすれば、被告人は、所論のとおり、警察の捜査に対してどう対処するかについては指示していないけれども、Bが日本人で、ツアーの客としてホテルに宿泊していたものであることなどから、少なくともBがハワイに向けて出発する前に警察に追及されるような状況にはならないと思っていたこととなる。また、警察に追及されたときどのように対処するかを前もってBに言うことは、Bをして実行を躊躇させるおそれがあり、被告人がそのように考えた可能性も否定できない。そうすると、被告人がBに犯行後の警察の捜査にいかに対処するかなど所論の点の指示をしていなくても、犯罪の共謀として検討すべきことをしていないということはできないと考えられる。
所論(i)についてみると、B自身は海外旅行の経験を一度も有しないが、Bが供述するとおりに共謀が成立したとすると、海外にしばしば出張していた被告人と一緒に、被告人の手引きに従って敢行することになるのであるから、日本よりは外国の方が警察に捕まる可能性が小さいとBが考えたとしても、必ずしも唐突あるいは不自然であるということはできない。
所論(j)についてみるに、確かに、Bは、前科、前歴ともにない若い女性であり、被告人とはその年の五月上旬ころから付き合ってきたに過ぎない者である。しかし、被告人がBを共犯者として選んだ理由について、B自身は、自分が被告人に愛情をもっていると被告人から思われていたこと、深町から金を取るのに被告人の言うとおりにしたことから、悪いことでも平気でできると見抜かれたこと、ヤケになっているような言葉を使っていたこと、今澤法江に被告人とのことを喋っていないので、口の固い女と思われたかもしれないこと、ちゃらんぽらんな性格を見抜かれたこと、二人の関係が世間に知られていないことがこの計画の一番の強みだと被告人が言っていたこと、Bは、当時、身長一六六センチメートル、体重六三キログラムという体格をしていた上、被告人に、中学、高校でバレーボールをしアタッカーをしていたので力には自信があると言ったことがあること、以上の点を挙げているところ(10一三六八〜七三、13一一六〜七)、これらの理由は一応了解可能であり、前記1(四)(1)(2)のように、被告人は、本件の約五か月前及び三か月前に、福原光治及び水上晴由の二名に殺人をもちかけて断られていたことも考え合わせると、被告人がBを共犯者に選ぶのが極めて考えにくいということはできない。
以上のとおりであり、被告人とC殺害を共謀したというB供述が所論のような理由で合理性がなく信用できないとはいえないと考えられる。
(二) 仮縫いの予約とそのキャンセルについて
所論は、次のように主張している。
被告人とBが共謀してCを計画的に殺害するためには、被告人がDらと会談中、Cが必ずホテルの二〇一二号室にいて、しかも、Bが確実に室内に入れることが前提になるところ、加藤順子の弁護士瀬戸英雄及び同五十嵐二葉に対する供述調書によると、Cと被告人との間でチャイナドレスを作って貰うという予定があったがそれは事前にキャンセルされていたこと、CがBを自室に入れたのは縫い子と会社との連絡がうまくいかなかったと考えたためであることが明らかであるから、Cとしては本件時二〇一二号室にいるという理由は特になかったものであるし、また、たまたまCが部屋にいたとしても、仮縫いの話がキャンセルされていれば、訪れた縫い子をCが室内に入れるとは限らないものである。この点からすると、B供述のうち、「被告人が、Cには中国服の仮縫いのための採寸に中国人の女性が部屋に訪ねて来ると話しておくから、Bは、僕がよそで商談をしている間に、採寸に来た女性を装って部屋に入り、Cがドアを閉めて部屋の奥に向かって歩き出した際、あるいは、採寸の振りをして後ろを向かせた際、Cの隙を見て、その背後から、トンカチ様の鉄の塊でCの頭を殴れと言った」「その後、凶器を携えてCの部屋へ赴き、中国服の採寸に来た女性を装ってドアをノックしたところ、Cが何ら不審を抱かず、私を室内に招き入れた」との供述は、客観的事実に反し、信用できない。
(1) そこで検討するに、チャイナドレスの仮縫いの予定とそのキャンセルについて、加藤順子は、所論引用の調書(12一八一八)において、Cから、「八月一三日の夜六時半にチャイナドレスを作って貰うためにアポイントメントがあった。それを事前にキャンセルした。六時四〇分ころドアがノックされ(たので)、チャイナドレスを縫ってくれる人が来たと思った。キャンセルを会社の方にしたが縫い子さんと会社との連絡がうまく行かず、来てしまったのかと思った。縫い子と思いドアを開けた」と聞いたと述べている。また、被告人は、原審及び当審公判において、「昭和五五年の秋か暮れころ、ロサンゼルスのアドバークという店で声をかけられて中国人の女性と知り合ったが、その後、この女性からロサンゼルスの定宿であるシティーセンターモーテルに電話がかかるようになり、中国服のサンプルを作って貰う話が出て、七月に渡米した時には、妻とは八月中ころに休暇でロサンゼルスに来てニューオータニに泊まることになるだろうと話しておいた。八月十二日夜にこの女がニューオータニの自室に電話でアポイントメントを求めてきた。前には無料ということだったのに、少しお金を払って貰いたいというので、電話のそばにいたCに尋ねたところ、お金をとられるくらいならいらないと言うので、Cの面前で断った。この女性とは先方から電話がかかって来るだけで、住所は知らないし、現在では名前や電話番号も忘れた。Cは、負傷したすぐ後で、前日キャンセルした中国人の女の子が来たと思ってドアを開けたと言ったので、自分は、Cに対し、その女ともみ合ってバスルームで転んだことにしようねと言った」旨供述している(20二二一九〜二二、二二二四〜九、二二七三、21二四一一、22二七三三〜八、32七八九〜九〇、八〇八〜一〇)。
(2) この二つの供述以外に、チャイナドレスの仮縫いの女性の存在、仮縫いの予約、そのキャンセルについてみるべき証拠はない。ところで、被告人は、右のように、何度も電話で話をし、チャイナドレスのサンプルを作って貰う話もあったというのに、先方から一方的に連絡があるだけで、その女性の住所は知らないし、氏名も忘れた(21二四二一〜二、22二七三五)というのであるが、不可解である。また、前記二(6)で認定したとおり、被告人の七月の渡米は、同月一七日から二四日のことであるところ、前記1(八)で認定したとおり、被告人とCの宿泊先がニューオータニに決まったことを被告人が知ったのは、七月三〇日より後で、それまではヒルトンホテルを希望していたのであるから、被告人が七月に渡米した時に、その女に対し、八月に妻と来る時にはニューオータニに泊まることになるだろうと話しておいたという被告人の供述は信用し難い。さらに、被告人の前記供述によると、アポイントメントは最初から成立しなかったことになるが、加藤が聞いたCの話では、六時半に仮縫いに来るというアポイントメントができていて、それが後でキャンセルされたこととなっており、この点で被告人の供述とCの話は矛盾する。さらにまた、被告人は、捜査段階において、チェックインした日に女性からニューオータニに電話が入り、採寸の日時はDらとの商談の時間帯に合わせて決めた旨具体的に供述し(12一八二九〜三〇)、被告人自身の体験としても、Cの説明としても、キャンセルしたとかキャンセルしてあったのに女が来てしまったとは一言も述べていないが、これが被告人の前記公判供述と矛盾することも明らかである。加えて、佐々木清美の原審証言(18一八四二〜三)によれば、被告人は、清美に対しては、ホテルのフロントの方に、都合がつかないので仮縫いには行けないというメッセージが入っていたが、それが手に入ったのはCが殴られた後だった旨述べたことが認められ、被告人は清美に対し、一旦アポイントメントが成立していたのか、キャンセルの話がいつあったのか、キャンセルは先方がしてきたのか被告人の方でしたのかの点について、被告人の前記公判供述とは全く異なる内容の話をしていることになる。このようにみてくると、被告人の前記供述は信用できないといわざるを得ない。他方、佐々木清美の原審証言によれば、前記1(一)(2)でみたとおり、Cが仮縫いの女性を待っていたことに疑いはない。
(3) これらの事実関係や、Cの加藤に対する話の内容を総合して考察すると、被告人は、Cにドアを開けさせる口実として、もともとそのような予定は全くないのにチャイナドレスの仮縫いの女が来ると言っておいたが、Cを殴った女が被告人の意思とは関係なしに来た者であることを装うため、キャンセルしてあったのに仮縫いの女が来てしまった、来たのはキャンセルを会社の方にしたので縫い子と会社の連絡がうまくいかなかったからではないかと、輪をかけて虚偽の事実を申し向け、そのようにCをして信じ込ませたと推認することが可能である。そうすると、Cの加藤に対する話のうち、「チャイナドレスを作って貰うアポイントメントがあったが、事前にキャンセルした」という点と、「キャンセルを会社の方にしたが、縫い子さんと会社の連絡がうまくいかなかった」という点は、Cが被告人からそのように言われて信じた事柄をそのまま、その他の体験した事実とともに加藤に述べたと考えることができる。
このような推論が可能であるから、前記加藤の供述調書から所論のいうような事実を認定することはできず、仮縫いの話もキャンセルの話ももともとなかったことであるから、B供述が客観的事実に反するとはいえないし、所論が疑問とする点は全て前提を欠くこととなる。
(三) ドアの自動ロックシステムについて
所論は、Bは、本件後一旦部屋の外へ出て行ったCが「それから間もなくして、一人で部屋の中に入って来た」と供述し、Cが出て行ってから戻るまでの時間については、「そんなに長い時間ではなかったですけれども、何十秒というくらい」と供述しているが、ニューオータニの部屋のドアは自動ロックシステムになっていたから、鍵を持たないCは一旦廊下に出てしまえばBがドアを開けない限り部屋の中に戻って来られないのであって、Bの右供述は、客観的事実に反し、信用できない旨主張する。
弁護士弘中惇一郎作成の実況見分報告書(33一八五)、ビデオテープ(昭和六二年押第四二〇号の三七)、片田勉の員面調書(50三二八一)によれば、ニューオータニ二〇一二号室のドアは、昭和五六年八月当時も、自動ロックシステムになっていたと認めるのが相当である。しかしながら、ロサンゼルス警察本部警察官作成の実況見分報告書(甲三九号証)添付の写真27、45、46(4一二二、一四〇〜一)によれば、ドアが九〇度に開いた状態ではドアは自動的に閉まらないことが明らかである。そうすると、まず、Cは、ドアを九〇度に開けて部屋を出て行った可能性がある。
また、Bの供述によれば、Cを殴り、凶器を取り上げられ、一言二言問答をした直後に、Cは、被告人を呼んで来ると言って部屋を出たが間もなく戻ってきて、「貧血起こしちゃいそう」と言った後、電話で被告人を呼ぶように言ったというのである。フジワラ医師の前記2(一)(1)(ア)の診療録によると、程度は別としてCが脳震盪を起こしていたことは疑いない。そうすると、Cは、ドアの外側へ出たが、身体がまだ部屋の中に残っていてドアが閉まらない状態の時に、貧血を起こしそうな感じに見舞われ、部屋の中に戻ったと考えることもできる。
さらに、Cが戻って来た時Bがドアを開けてやったが、Bがこれを忘れてしまった可能性も否定できない。
このようないくつかの可能性がある以上、自動ロックドアであるということから直ちに、所論指摘のB供述が客観的事実に反し信用できないとはいえないと考えられる。
(四) 凶器の存在について
(1) 所論は、原判決は、ハンマー様凶器についてのB供述は、植松、若林両名の供述によって裏付けられているとするが、右両名の供述を仔細に検討すれば、凶器の存在を認定させるものではないのであり、右の点に関する原判決は、証拠の評価を誤り事実を誤認したものであると主張する。
植松信一、若林忠純の各原審証言は、要するに、Bの供述するような凶器は日本でもアメリカでも見つけることができなかったが、アメリカでは廃材などを利用して手製の工具を簡単に入手できたし、注文すれば比較的短時間で作って貰えることが判明したというに過ぎないから、これらの証言が、凶器の入手経路についてBが被告人から聞いたという話の内容を裏付けているとまではいうことができない。したがって、所論指摘の原判決の説示は必ずしも首肯し難い。しかし、右のB供述は、裏付けが得られなければ虚偽であるという性質のものではなく、裏付けが得られなかったことにより、信用性を補強する事情が一つ減ったに止まるから、右の点は、いずれにしても、判決に影響を及ぼすものではない。
(2) 所論は、BがCを襲ったとする「重さ約1.5キログラム前後で直径三、四センチメートル位の二本の円柱形の鉄棒を組み合わせたもの」という凶器は、B以外に見た者はいないし、これと似たような物ですら、日米をかけての捜査官の必死の努力も空しく見つけ出すことはできなかったのであり、凶器がその後どうなったか判らないというのは、Bが供述するような凶器は最初から存在しなかったことを裏付けている旨主張する。
Bの供述する凶器とよく似た物が捜査当局の努力にもかかわらず発見されなかったことは事実である。しかし、凶器の存在及び形状については、Bのほかにも、C自身が、友人や親族らに対して、「ハンマー」、「T字型の凶器」、「ハンマーのような物」と述べていることは、前記1(一)でみたとおりである。また、Dも、当審公判廷において、本件当日Cが治療を受けているプレスビテリアン病院で、被告人から、Cが男に襲われた時の凶器として、鉄でできていたと思うが木槌のような形の物を見せられた旨証言している(30九三、一五六)。さらに、本件では、事件直後に被害届その他警察への連絡はなく、Bの供述によれば、Bが凶器を処分したのではなく、Cに取り上げられ、Cは被告人に手渡したというのであるから、凶器がその後どうなったか判らないことに意味を認めることはできない。
そうすると、所論のような理由で、凶器は最初から存在しなかったという疑いは生じない。
(五) B供述の臨場感、創作可能性について
(1) 所論は、原判決は、B供述のうち、①被告人から聞かされたというC殺害の動機について述べるところ、②被告人が保険金に関し、「三〇〇〇万円の保険は昔から掛けてあるものだから怪しまれない。保険金が入ったら一五〇〇万円をやる。使い途を考えていれば気が楽になる」などと言った旨述べるところ、③殺害方法を撲殺と決定するに至る過程でなされた被告人との間のやりとりについて述べるところ、④本件凶器の入手経路について被告人から聞いたという話の内容について述べるところ、⑤被告人から指示説明を受けたとして犯行の具体的手順及び犯行直後の偽装工作について述べるところ、⑥被告人から「殴るときには、姿が鏡に映らないように気をつけろ。窓際には寄るな」とまで注意を受けたと述べるところ、⑦被告人が「保険金が出るまで生活費を渡すが、ビジネスはビジネスだから、旅行費用の六〇万円と渡した生活費は保険金の分け前から差し引かせてもらう」と言っていたなどと述べるところは、いずれも臨場感に満ち、現に体験した者でなければ容易に供述し得ないものである旨説示するが、以下の点から、右説示は不当であると主張する。
(a) ①については、Bが被告人から聞かされたという、Cとライバル会社の社長との浮気、情報流し、あるいはCが子供を可愛がらないなどの点は、客観的事実に全くそぐわないことであり、さしたる意味を認めることはできない。
(b) ②の被告人が「三〇〇〇万円の保険は昔から掛けてあるものだから怪しまれない」と言ったというのは、本件のマスコミ情報に触れた者であれば誰でも容易に認識し得る事柄である。また、被告人が「使い途を考えていれば気が楽になる」と言ったとの供述は、いかにも真犯人としての実感にあふれたもっともらしい表現であるが、サンケイ告白、上申書、任意捜査段階での供述には全く欠落していることなどから、検察官の作文の疑いが極めて濃い。
(c) ③については、殺害方法を撲殺と決定するに至る過程でなされた被告人との間のやりとりのうち、通り魔とナイフ以外は全てマスコミ情報の受け売りと見られ、また、通り魔とピストルの話もBには実行できそうもなく、あまりにも不合理かつ非現実的である。これらは、Bの想像の産物である。
(d) ④については、本件凶器の入手経路について被告人から聞いたという話の内容である「アメリカじゃゴロゴロしているが、日本では見かけない」「渡米後にアメリカの工場で拾った」というのは、捜査の結果そのような事実のないことは明らかになったし、極めて漠然とした話であるが、もし、Bの供述が真実であれば、被告人は、なぜそれがアメリカにしかないのか、どういう物なのか、どこで拾ったのかについてBに当然具体的に話したはずであるから、ハンマー様凶器というのはBの想像上の産物である。
(e) ⑤については、犯行の具体的手順及び犯行直後の偽装工作とは、具体的には、Bが中国服の仮縫いを装って室内に入り、後ろ向きになったCをハンマー様の凶器で殴り殺し、被告人はその間商談を装ってアリバイ工作をすることと、現金や貴金属を持ち去り、他の物を床にばらまくなどして強盗の犯行に見せかけることなどであるが、前者は、同じ内容のことが週刊文春に「疑惑の銃弾」として報じられ、かつ、その後もさまざまのマスコミにより繰り返し報じられてきたことであるし、後者については、誰でも容易に思いつく程度の内容であり、何の新奇性もないものである。
(f) ⑥については、この供述は昭和六〇年九月三〇日付け検面調書になって初めて登場している(この点は⑦についても同様ある。)ところ、同月二八日に東京のホテルニューオータニを使って再現実験が行われていることからすると、捜査官がその際得た鏡の存在及び窓の外の状況についての知識をもとにBに尋問した結果、右のような供述となったものと考えられ、検察官の作文である疑いが極めて濃い。しかも、二〇一二号室の窓の下は駐車場であり、近くには全くビルがないから、被告人が窓際には寄るななどと述べるはずがない。
(g) ⑦については、この供述は、一見いかにももっともらしい言葉づかいになっているが、これから殺人に着手しようとしている精神的に極めて不安定な状態にあるはずの女性に対して、このような戦意を喪失させるような無意味なことをいうとは理解し難い。これも検察官の作文である疑いが極めて濃い。また、これから妻を殺害させ、そのかわりに結婚しようという立場の女性に対しての言葉にしては大きな矛盾がある。
そこで、所論(a)についてみると、Cとライバル会社の社長との浮気や情報流し、あるいはCが子供を可愛がらないことなどをBが聞いたということと、これらが事実であることとは別個のことであり、口実の可能性もあるから、これらが客観的事実とそぐわないからといって、さしたる意味を認めることができないとはいえない。殺人の依頼を受けた際「私はAが結婚生活で苦労していると思い、Aが可哀相に思うとともに、Aが他の人に見せない淋しい部分を私だけに見せてくれているんだと思い、とてもうれしい気持がした」(9一三四七)という部分も、現に体験した者でなければ容易に供述し得ないものの一つということができる。
所論(b)についてみるに、三〇〇〇万円の保険のことがマスコミで報道されていたとしても、Bがそれとは関係なく体験し、これを記憶していることもあり得るのであるから、そのことから直ちに、被告人から「三〇〇〇万円の保険は昔から掛けてあるものだから怪しまれない」と言われなかったことにはならないし、「使い途を考えていれば気が楽になる」との言葉が所論指摘の供述書等に現れていないとしても、このことを根拠に検察官の作文の疑いが極めて濃いとはいえない。
所論(c)についてみるに、通り魔とピストルの方法が、所論のように、Bに実行できそうもなく、あまりにも不合理かつ非現実的であるとまではいえない。また、通り魔とナイフ以外の方法についてマスコミで報道されていたとしても、そのこととBが被告人から聞いたこととは両立する。したがって、所論のような理由かち直ちに、Bの想像の産物であるということはできないと考えられる。特に、被告人がCを撃って自分の足も撃つという話が出た際、被告人が「大腿骨なら撃たれた方もそんなに痛みは感じないんだ」(13九三〜四)とか、「そうか硝煙反応が残るから駄目か」(10一四〇六)と言ったという部分も、現に体験した者でなければ容易に供述し得ないものの一つということができる。
所論(d)についてみるに、捜査官がロサンゼルス近郊を調査しても「アメリカにはゴロゴロしている」という供述の裏付けはとれていないが、所論指摘のB供述は、「殴る道具は先に渡米したときトンカチのような形の鉄の塊を見つけておいたので、ロスに行ってから渡す。これはアメリカにはゴロゴロしているが日本では余り見掛けない物だから、日本人がやったとは警察も思わない」(10一四一八〜九)という一連の話の中で述べられたというのであり、凶器についていわばBを安心させるための話の一節とも理解することができるから、右の点に裏付けがとれていないからといって、被告人がBの述べるようには言わなかったということにはならないと考えられる。また、Bが被告人から聞いた話が必ずしも所論のいうように漠然とした話とは思われないないし、所論の点を当然具体的にBに話すはずであるともいえないと考えられる。そうすると、所論のような理由でBの供述が想像上の産物であるとはいえない。
所論(e)についてみるに、前者については、所論(b)についてと同様、所論の点がマスコミにより繰り返し報じられてきたとしても、Bの体験や記憶と両立し得るものである。後者については、確かに、誰でも容易に思いつく程度の内容であるが、そうであるからといって、虚偽であるという理由にはならないと考えられる。
所論(f)についてみるに、鏡の存在及び窓の外の状況については、ロサンゼルス警察本部警察官作成の実況見分報告書(甲三九号証、四〇号証)により、既に捜査官において把握していたことが認められるから、所論の再現実験により得られた知識をもとに尋問したと即断することはできない。仮にそうであるとしても、取調べの際、Bが記憶を喚起して供述したことも十分考えられ、直ちに検察官の作文であるとはいえない。また、弁護士弘中惇一郎作成の前記実況見分報告書、ロサンゼルス警察本部警察官作成の前記実況見分報告書(甲三九号証)によれば、二〇一二号室の窓の下は駐車場であり、近くにビルがないことは所論のとおりであるが、約二〇〇メートル離れればビルがあることも事実である(33一八五)。Bの供述によれば、被告人は「遠くのビルとかから見られたら困るから、窓際には寄るな」と言ったというのであり(13一八八)、被告人がそれらのビルを気にして、窓際には寄るなと言ったとも考えられるから、述べるはずがないとはいえないということができる。
所論(g)についてみるに、所論指摘の言葉は生活費と保険金の分け前にも触れているし、必ずしも、これから殺人をしようという女性の戦意を喪失させるものとは思われない。B供述によれば、右の言葉の直後に、被告人がBを抱き締めながら、「これが終わって日本へ帰ったら結婚しよう」と言ったので、胸がジーンとしてうれしくなり、決意を一段と固めたというのであり(10一四八五〜六)、そうとすれば、被告人は、戦意をふるい立たせる言葉も述べていることとなり、検察官の作文である疑いは生じない。また、このようなB供述の流れの中に位置づけてみると、所論指摘の言葉に所論のいうような大きな矛盾があるとも思われない。
(2) 以上のとおり、原判決の説示は相当であるが、原判決が指摘する箇所のほかにも、臨場感に満ち、現に体験した者でなければ容易に供述しえないと思われる供述として、次の四点を指摘することができる。第一は、殺人依頼を受け、これまでも殺人をしたことがあるという話を聞いた際、恐ろしいとか不気味だとは思わず、「そんな重大な話を私に打ち明けていいんだろうか、Aは私のことを本当に信用してくれているんだなと思う気持の方が強かった」(10一三五八)という供述、第二は、C殺害の依頼を引き受けるかどうか考えた際、「Aは私のことを今澤さんなどとは違った特別の女とみてくれているからこそ、私は殺人計画のパートナーに選んでくれたのだと思った」(10一三六一)という供述、第三は、被告人から「同じマンションの階だけ違う部屋を借りていつも二人で一緒にいるということを考えても楽しくなるだろう」と言われた(10一三八一)という供述、第四は、前記2(二)(5)でみたところの「ゴツンという音がして手応えもあったが、凶器の平たい部分がCのカーリヘヤの髪の毛の表面をすべったようなツルッとした感じがした」という供述である。
(六) その他
(1) 所論は、Bが犯行時の殺意を明確に認めているのは、上申書からの全供述中、昭和六〇年九月三〇日付け検面調書のわずか一通であり、他は一貫して犯行時の殺意を認めていないことからすると、右調書はいかにも唐突である上、Bが供述する右調書の際の取調状況によると、Bの意思に反して調書が作成されたというべきであり、この点からも犯行時の殺意を認めた右調書は信用できない旨主張する。
しかし、Bが犯行時の殺意を明確に認めているのは、所論指摘の調書以外にも、当審で取り調べた前記4(一)(3)(ウ)の昭和六〇年九月二一日付け員面調書がある。Bは、殺意に関する検察官の取調状況については、所論引用のとおりの証言をしているが、Bは九月三〇日より前の右の員面調書において、司法警察員に対しては明白に殺意を認めていたのであり、この調書については、不満を述べていない(15九二六〜八)。そして、前記第一の四でみた検察官の一般的な取調状況のほか、所論引用のBの証言によっても、殺意を否認したが、結局は説得されて認めるに至ったとみてよいから、この点も合わせ考えると、殺意を認めた検面調書がBの意思に反して作成されたとは認められない。
(2) 所論は、B供述の中には、仮にBが真実C殺害を目的としてロサンゼルスへ赴いたとすれば当然存するはずの、失敗した場合の不安ということが全く認められない旨主張する。
しかし、前記1(三)で認定したとおり、Bは、ロサンゼルスへ出発する前夜、「自分の身に何かあったら、これを警察に渡して欲しい」と言って、数字を書いたメモ用紙を清水礼子に渡したことがあるほか、Bは、「(飛行機の中でも)失敗して捕まったらどうしようなどとそれまで以上に心配になり、窓の外を見たり、はしゃいだりするような気持になれなかった」(10一四五八)「ツアーの間中、食欲はほとんどなかったが、これも殺人計画のことが頭にあったからである」(10一四五九)「(犯行の少し前ころ)手順を頭でおさらいしたり、もし失敗したらどうしようと思ったりしていた」(10一四八七〜八)などと供述しているのであって、失敗した場合の不安がB供述の中に認められないことはない。そして、ツアーの間、Bが食欲もなく元気がなかったことについては、同行者の一人である前崎良子の検面調書抄本(7七三〇)中の供述も、これを裏付けている。
(3) 所論は、Bは、「本件の前日の八月一二日夕方、土産物店で知り合った若い男性にオートバイでドライブに連れて行ってもらった。その際、翌日もどうかと誘われたので、翌日もオートバイに乗せてもらうことにした」と供述しているが、殺人の実行を翌日に控えた者の行動としては不自然である旨主張する。
しかし、Bの供述によれば、他の同行者がディズニーランドのツアーに行ったことから、一人取り残された感じとなって、キーホルダー等を買ったホテル一階の店に行き、店員の若い男の子やその友達と仲良くなってオートバイのドライブに誘われ、気を紛らわせたいというような気持があって連れて行ってもらった(13一六三)、明日もよかったらと言ってくれたので、Cの部屋から持ち出した貴重品類をどこか遠くで捨てられれば都合がいいと思い、乗せてもらうことにした(10一四六五〜六)というのであって、このような心理状態でドライブに行き、翌日の約束もしたのであれば、殺人の実行を翌日に控えた者の行動として、必ずしも不自然であるとはいえないと考えられる。
(4) 所論は、Bは、本件後「私は怖くなり、『ごめんなさい。ごめんなさい』と何度も言って頭を下げた」とか、Cに被告人を呼んで下さいと言ったと供述するが、怖くなったのであれはその場から逃げるのが普通であって、謝ったり、被告人を呼んで欲しいというのは説明のつかない言動である。また、Bは、「Cは、大声で『ヘルプミー』と叫んだ」と供述するが、英語のできないCがとっさに英語を使ったというのは理解し難いなどと主張する。
しかし、Bは、逃げて警察に捕まるよりは、謝って勘弁してもらい、被告人を呼んで警察沙汰にならないようとりつくろってもらおうと思ったとも考えられ、所論指摘のBの言動が説明のつかないものであるとはいえない。また、Cは高校を卒業しているのであるから、「ヘルプミー」程度の英語を使っても理解し難いとはいえない。
(5) 所論は、B供述によると、Cは、本件後一旦部屋を出たのに再び犯人のいる部屋に戻り、Bに対しなぜ殴ったかとの質問をしなかったばかりか、「俺たちやばいことしているから」などというそれほど説得力があるとは思えない理由で、警察に届けない旨の被告人の説得にも簡単に応じたことになるが、このようなCの行動は、Cを殺害するつもりで殴打した旨のB供述と著しく矛盾する旨主張する。
しかし、所論の点に関するB供述は、前記四(6)の(d)ないし(g)のとおりである。もし、これらの供述のとおりであるとすれば、Cが部屋に戻ったのは、凶器は取り上げてある上、犯人から「Aさんを呼んで下さい」と言われて犯人が被告人を知っている女と分かったのと、犯人が何度も謝るなど意外とおとなしかったことや、頭に傷害を受けて貧血を起こしそうな感じに見舞われたことから、部屋に戻って被告人を呼んだ方がいいと判断したためということになるし、「あなたAの何なの」とは質問しており、Bに対しなぜ殴ったかとの質問をしなかったからといって、必ずしも不自然ではない。さらに、Cとしては、海外の事情に詳しい夫の言うことを信じ、「俺たちやばいことしているから」程度の理由で、警察に届けないようにしようとの被告人の説得に応じることも十分あり得ると思われる。そうすると、右のようなCの行動が、Cを殺害するつもりで殴打した旨のB供述と著しく矛盾するとはいえない。
(6) 所論は、被告人は、本件後わざわざ救急車を手配し、さらに救急隊が引き上げた後もCを日本語の通じる医師に受診させ、医学的検査まで受けさせているが、このような被告人の行動は、被告人と共謀してCを殴打した旨のB供述と著しく矛盾する旨主張する。
確かに、被告人が所論のような行動をしたことは、関係証拠上明らかである。しかし、仮に被告人とBが共謀してCを殴打したとしても、失敗したことが分かった後の行動としてはごく普通のものであり、この被告人の行動が被告人と共謀してCを殴打した旨のB供述と著しく矛盾するとはいえない。
(7) 所論は、Bは、帰国後も従前どおり繰り返し被告人と会い、親密な関係を結んでいる上、被告人の求めに応じて自分のルームメイトをガールフレンドとして紹介したり、自分が付き合っていた三浦次郎をフルハムロードに入社させ、その一方で、ポルノ映画に出演したり、ヌードモデルになったりしているが、このようなBの行動は、被告人と共謀してCを殴打した旨の供述からは説明がつかない旨主張する。
Bの供述によれば、Bは、帰国後被告人から、「あんなのカスリ傷だよ。Cは、カットバン一つ貼っただけでプールサイドで騒いでいた。警察沙汰にしなかった。バスルームで滑って転んだということにした」と聞いていた(13二七五〜七)というのである。そして、Bは、所論の点に関し、「帰国後、Aという人間が怖くなって、被告人に対する愛情はなくなっていた。ロサンゼルスで井上からも日本へ帰ったら被告人とは一切付き合わない方がいいと言われていたので、そういうふうにした方がいいと考えた。被告人に言われたとおりにしなかったことと、井上に本件のことを話したのではないかということとで、被告人が自分を疑っているのではないかと不安であった」(13二七八〜九)「被告人に対し愛情がなかったから、被告人の求めに応じて女性を紹介した。もし、被告人との交際を自分の方から急にやめると、被告人が私に不審を抱いて何をするか分からないと思い、私からも電話をしたり、被告人から電話があったときも素直に応じた」(13二八六〜七)「被告人の指示したとおりにできず、裏切ってしまったので怖いという気持があったが、被告人に殺されるのではないかというような恐怖心まではなかった」(15七九五〜六)「犯行後、被告人との関係をもったのは仕方なくといった方が正確である」(15八一六)「少年向け雑誌のグラビアのモデルの仕事をしたとき、顔をみられるのではないかとかそういうことは全く考えていなかった。とにかく再出発をしたいという気持であった」(13二八八)旨供述している。これらの供述のとおりであるとすれば、被告人と共謀してCを殴打した者の心理状態として理解することができ、所論指摘のBの行動が被告人と共謀してCを殴打した旨の供述からは説明がつかないとはいえない。むしろ、被告人が本件後もBと会っていたことは、被告人が述べるところの後記六1のような経緯でBがCを負傷させたとすれば、説明のつけにくいことであると考えられる。
(8) 所論は、Bは、殺人犯としての汚名あるいは社会的糾弾を覚悟の上で告白を始めたのではなく、三浦次郎の指示に従い、当時の異常にフィーバーしたマスコミの「A報道」のストーリーに合わせて、ハンマー様凶器で怪我をさせ、その背後に被告人の保険金殺人計画があったなどの供述を始め、その過程で引っ込みがつかないことになってこれに固執しているのであるなどと主張している。
しかし、Bが本件がマスコミで報道されるより前に井上昇宗や三浦次郎に犯行を告白していることは前記1(二)の(1)(2)のとおりであって、Bの告白がマスコミで既に報じられていたストーリーに話を合わせたものであるということはできない。また、いかに当時のマスコミ報道が過熱していたにせよ、被告人の保険金殺人計画などというものが全くないのに、Bが、事実に反して、これに加担して殴打行為を行ったなどと、自己及び親兄弟が汚名や社会的糾弾を受けることの確実な事実を進んで供述し、これを長期間維持するということは、考えにくいことである。被告人及び弁護人が主張するように、Bが殺意をもってCを殴打したのではなく、単にカッとなって同女を突き飛ばし怪我をさせたに過ぎないのが真実であるとすれば、Bは、その事実を率直に供述すればよく、通常であればそのように供述するはずである。現に、上申書及びこれと内容を同じくする供述をしていた段階並びに公判段階においては、Bの自分をかばう姿勢が顕著にみられる。然るに、Bは、捜査段階においては、被告人とC殺害を共謀の上実行行為に及んだ事実を明確に認め、公判段階に至っても、若干曖昧になっている点はあるものの基本的にはこれを維持しているのである。Bが、所論のいうとおり、供述を始めた当初の段階においては、凶器で殴打して怪我をさせたと認めても罰金か執行猶予の軽い処分で済むと高をくくっていたとしても、遅くとも、その後第一審裁判所で厳しい懲役刑の実刑判決を受け、服役という事態が現実の問題となってきた後においては、所論のいう真相を訴えて寛大な判決を求めるのが当然であると考えられるのに、Bは、控訴審段階においてもそのような主張は全くしていない。のみならず、Bは、Bの仮出獄後に作成された昭和六三年三月三一日付け、同年四月七日付け検面調書写し(43一七五〇、一七七三)においても、Bの内心に関する部分を除き、捜査の最終段階における供述を維持している。このようにみてくると、Bが所論のいうような理由から、虚偽の供述をしていると考えられない。
六 被告人の供述の信用性
1 被告人の公判段階における供述の内容
被告人の原審公判廷における供述の内容は、大要、次のとおりであり、当審においても、これを維持している。
私は、いつであったか記憶にないけれども、当時交際していた今澤法江に紹介されてBと知り合い、その後Bと親密な交際をするようになったが、同女と肉体関係を結ぶときには二人でマリファナを吸引して互いにその昂揚感を高め合っていたところ、その後、コーヒーホール「セレクション」でBと会った際、同女がマリファナを知人の伝で買うと、煙草状にしたもの一本で五〇〇〇円から八〇〇〇円もすると言うので、私がアメリカでは一本二〇〇円か三〇〇円程度で手に入ると言ったところ、同女は、マリファナを安値で仕入れることができれば、友人に売って儲けることができるので、渡米した際にマリファナを持って来てくれないかと頼んで来た。私は、Bが渡米して自分で日本にマリファナを持って帰るのであれば、アメリカでマリファナを買ってこれを同女に渡してやってもよいと思い、その旨同女に言ったところ、同女もそうして欲しいと言った。なお、私とBとは互いに結婚のことなど考えた間柄ではなく、時折会っては肉体関係を持つだけの単なる遊び相手に過ぎなかった。私は、その後、赤坂東急ホテル等でBと会い、渡米するための打合せを行ったが、そのころ、丁度、昭和五六年八月一二日から同月一九日までフルハムロードの夏期休暇を利用してCとロサンゼルスに旅行する予定が立ったので、その機会にBも私たち夫婦の旅行の日程に合うように、一二日からロサンゼルスに滞在する予定の旅行会社のパッケージツアーに参加して渡米し、翌一三日にロサンゼルスでマリファナをBに渡すことにした。マリファナを日本に持ち込む方法については、マリファナと一緒にアンティークドレスも渡すから、そのポケットにマリファナを詰め、これをスーツケースに入れて持ち帰れば税関でも怪しまれないと教えた。Bの旅行費用五〇万円、マリファナ購入代金一〇〇〇ドル(当時の為替相場で約二五万円)及び右アンティークドレス代金二、三万円は一時私が立て替えておき、後日返済してもらう約束であった。こうまでしてBに便宜を図ってやったのは、同女のように可愛い女の子の願いを気前良くかなえてやることで自分自身気分が良かったからである。なお、Bから一三日は一日どこかへ遊びに連れて行ってくれとも頼まれ、私はこれをしぶしぶ了承したが、その際、当日私は忙しいのだということを同女に分からせるために、社員のDとの打合せもあるし、Cも中国服を注文して作るのでその仮縫いをするなど結構予定も入っている旨話しておいた。右のDとの打合せというのは、以前から何回もDに「船会社の宮本仁という者からフルハムロードの貨物を運ぶために同社の船を利用して欲しいと言われているので、宮本と会うだけは会ってもらえないか」と頼まれていたものの、それまでの渡米の際には忙しくて宮本に会う時間が取れなかったが、今回は日程に余裕があるので会ってみようと思い、ロサンゼルスに到着する翌日の一三日の午後六時前後に会えるよう約束を取り付けておいてくれとDに頼んでおいたものである。
私は、一二日、ロサンゼルスのニューオータニに宿泊手続をし、以前から私のロサンゼルスにおけるマリファナの入手先であったりチャードという男の許に電話を架け、一〇〇〇ドル分のマリファナを買い受けたい旨伝えたところ、それまでは同人にマリファナを頼めば必ず買うことができたのに、今回に限って、ロサンゼルス地域にはマリファナが全く入って来ていないと言われ、マリファナ入手が不可能であることが分かった。そこで、同日夜、同じホテルに滞在していたBに電話を架け、現在マリファナのストックがなく、買えなくなってしまった旨伝えたところ、同女は、他から入手する手立てはないのかと盛んに言い立てるし、また、一方で、明日どこかへ連れて行ってくれとも言うので、私は、一時しのぎに、とにかく明日電話する旨答えておいた。その電話の際に、私は、Bに尋ねられるまま、私たち夫婦のいる客室の番号を教えてしまった。さらに、一二日、中国服のサンプル品をCのために無料で作ってくれる約束になっていた中国人の女性から電話があり、以前は無料で作るという話であったが、やはり代金を払ってもらいたいなどと言ってきたので、Cに意向を確認したところ、Cは代金が要るのであれば服は要らないと言うので、その旨右中国人女性に伝え、中国服を作る話は断った。
翌一三日は、リチャード以外からマリファナを買える当てもなく、また、Cを残してBと一緒に出掛けることもできないので、Bに約束の電話をしないまま、朝からCと買い物に出掛け、午後六時前にホテルに戻って来た。私は、ホテルに戻ってから、自分の部屋に上がり荷物を置いた後、Dや宮本に会うため、直ちにホテル一階のコーヒーショップに降りて行き、同人らと商談をしていた際、私に電話が架かっている旨の呼び出しがあり、同店のレジスター横の受話器を取ったところ、Cから、直ぐ部屋に上がって来るように言われたため、商談の場を中座して部屋に上がってみると、部屋の奥のベッドの端にCが腰掛け、Bが入って右側の壁に寄り掛かって立っていた。私は、思いもかけぬ事態に肝が潰れる程驚き、気が動転してしまい、Cにどうしたのかと言って近寄ると、Cは、「キャンセルしたはずの中国人の仮縫いの女性が来たのかと思ってドアを開けたら、この人が入って来て、突然、『私が結婚するんだから、Aさんと別れなさい』と言うのよ。一体何なの」と強く言ってきたが、私は、とにかくしらないと言い張り続けた。Cは、さらに、「それで、びっくりして、Aさんに来てもらおうと思って電話を架けようと、奥に向かったときに、後ろから思い切り突き飛ばされたの」と言い、Bの足元を指して、「あのハンマーみたいなものでぶったんじゃないのかしら」と言った。Bの足元には、スーパーで買物をしたときにくれるような茶色の紙袋があり、その中に濃茶色の、十字型で縦横の棒の部分に木を掘ったような溝ないしくびれのあるトーテムポールのような物が入っていた。私は、Bがそのようなことをするはずはないと思ったので、Cに、「そんなことする訳ないじゃないか」と言い、次いで、Bに対し、「お前なんかと結婚する訳ないだろう。馬鹿野郎。ふざけんのもいいかげんにしろ。頭おかしいんじゃないのか。マリファナか覚せい剤か何かのやり過ぎじゃないのか」などと言って面罵し、とにかく同女との浮気がCに発覚しないようにするためには早くBを部屋から出してしまわなくてはならないと思い、「お前なんか出て行け」と言うと、同女は、「ごめんなさい」とか、「すいません」とか言って頭を下げ、トーテムポール様の物が入っている足元の紙袋を持って出て行った。その後、私は、Cが後頭部に怪我をして、そこから血を出していることを知り、Cに対し、「Dの手前、女性が押し掛けて来て怪我をさせられたということではみっともないので、浴室で転んだことにしてくれ」と頼んだところ、Cもこれを承知してくれた。また、その後、Bに電話で、なぜCといかさいのようなことになったのかその理由を尋ねたところ、Bは、私が一三日の昼間、同女にマリファナが他のルートから入手できたかどうかの約束の電話をしなかったことや、同女を遊びにも連れて行かないでCと外出し、私とCがたくさんの荷物を抱えてホテルに戻って来て、ロビーで二人仲良くしているのを見たことで、かっとなったからだと言っていた。
2 供述の変遷、合理性等
(1) 本件時の状況に関する被告人の供述をみると、次のように変遷している。
(ア) Dの原審証言(18一六二六、一六三五、一六四〇)によると、被告人は、Dに対し、本件直後Cの部屋に行く途中、Cがバスルームで転んで怪我をしたと言い、次いで、Cが治療を受けた病院で待っている時、エレベーターから男がCを追いかけて来て襲ったと言い、その一日、二日後には、殴ったのは女性である旨言ったことが認められる。
(イ) 被告人の昭和六〇年九月一二日付け員面調書(12一八二二)には、「部屋に入ると、Cとチャイナドレスの女がいた。Cは、『この人失礼なのよ』『体のあちこちに触れるのよ』と言った。女は英語で盛んに何か喋っていた。何の意味か判らなかったが、ニュアンスで『あなたの奥さんが失礼だ』という内容であったと思う。Cが『もう帰ってもらって』と言ったので、『出て行ってくれ』と英語で言って、女を部屋から出した。Cは、女が出てから、転んで怪我をしたと言って、頭の後ろを指で示すような動作をした。傷は、髪の毛が邪魔になり見られなかった。Cは、採寸のとき、女が体のあちこちに触っていやらしいので、『出て行ってくれ』と外に出そうとしているとき、女に反対に押し返され、その時、足が滑り、当たったバスルームの扉が開いて仰向けに倒れ、トイレの便器の下部分に当たったと説明してくれた。事実そこに血が一滴だけ落ちていた」旨の記載がある。
(ウ) 被告人の昭和六〇年九月一九日付け検面調書(11一五八七)には、「Cは、採寸に来た中国系の女ともみあいになり、彼女から押されるようにして風呂場の所で転び後頭部に怪我した。その旅行中、Cとロサンゼルスの寿司屋に行ったとき、Cは、店の人に後頭部の怪我のことを強盗に襲われたとか、人に襲われたと言っていたが、それは、保険会社の人が信用するかどうか第三者の人に試したのだと思う」旨の、昭和六〇年一〇月二日付け検面調書(11一六五四)には、「部屋に上がるとCと中国系の女がいた。その女はBではない」旨の記載がある。
(エ) 被告人は、原審第一回公判において、「私がCから聞いた限りにおいては、BがCを襲って傷を負わせたなどというようなことは全くなかったことであり、私はBがそのようなことをする女性ではないと今も信じている」旨陳述した。
(オ) 被告人は、原審公判廷において、捜査官に対する前記供述が虚偽であることを認めた上で、前記のとおり供述した。
右のように、被告人は、本件時の状況(特にCの負傷原因)という本件の核心部分について、度々供述を変遷させているのであって、Cの負傷原因について変遷のないB供述と全く異なるところである。また、Dや佐々木清美に対して、あるいは水上晴由の面前で、Cは女に殴られたと被告人が話していた(18一八四二〜三、17一五二九〜三〇)ことは重要である。
被告人が原審公判廷において供述するところが真実であるとするならば、最初からその旨供述すればよいことであり、被告人がなぜ最初から原審公判廷における供述のように供述しなかったのか到底理解できないところである。特に、捜査段階において、Bに渡した五、六〇万円の金は全額が中絶費用だったなどと、Bの渡米自体を隠していたことは看過できない。
(2) 被告人の原審公判廷における供述には、不自然、不合理な点が多い。原判決は、被告人の供述に不自然、不合理な点があるとして、四点を挙げ詳細に説示しているが、この点に関する所論の批判を検討しても、当裁判所の判断は、次の点を加えるほか、原判決の説示と同様である。
被告人は、前記のとおり、一〇〇〇ドル分ものマリファナを仕入れてBが日本に持ち帰り友人に売って儲けることになっていたというのであるが、Bがマリファナを常用していたとか、Bがマリファナの販路を持っていたとかの事情は、証拠上うかがい知ることができない。また、被告人は、前記のとおり、Cの受傷直後に二〇一二号室に行った際、同女から、「奥に向かったときに、後ろから思い切り突き飛ばされた」と言われた旨供述しているところ、Cが自分の受傷状況について被告人に殊更虚偽の被害を訴えるとは考えられないから、もし被告人が真実Cからそのような訴えを受けたのであるとすれば、CはBから後方から突き飛ばされたということになる。しかし、右のような被害の状況は、Cが後頭部に負傷したという客観的事実と符合せず、明らかに不合理である(なお、右の点については、弁護人も、本件の真相は、CがBを室外に押し返そうとしたため、BがカッとなってCを強く突き飛ばした旨被告人の右供述とは異なる事実関係を主張していることは、前記第三の冒頭記載のとおりである。)。
(3) 以上によると、被告人の供述は信用し難い。
七 まとめ
以上のとおりであり、前記四に摘記したB供述には、これを裏付ける事実が多数あり、信用性に疑いをさしはさむべき事由は認められないし、原判決が説示するように、現に体験した者でなければ容易に供述し得ない部分が多数含まれている。そして、Bは、前記4(一)(6)でみた限度において、原審公判廷でも、前記四に摘記した供述と一致する証言をしており、被告人自身による反対尋問にもよく耐えている。その他所論に即し逐一検討しても、前記四に摘記したB供述は、十分に信用できる。逆に被告人の供述は信用できない。このようなB供述をはじめとする原審で取り調べられた証拠及び当審における事実取調べの結果によれば、原判決が認定しているとおり、被告人は、Bと共謀の上、第一生命と千代田生命の保険金については遅くともBにC殺害への加担を持ちかけた時点において、アメリカンホームの保険金については加入する時点において、これらをC殺害後取得する意図の下に、Cを殺害しようとしこれを遂げなかった事実を十分に認めることができる。原判決の罪となるべき事実の認定には誤りはなく、論旨は理由がない。
よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条を適用して、当審における未決勾留日数中一〇〇〇日を原判決の本刑に算入し、当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文を適用してこれを全部被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官佐藤文哉 裁判官木谷明 裁判官平弘行)