東京高等裁判所 昭和62年(ネ)1889号 判決 1988年5月18日
第九一二号控訴人、第一八八八号附帯被控訴人
株式会社中央公論社
右代表者代表取締役
嶋中鵬二
第九一二号控訴人、第一八八八号附帯被控訴人
夏堀正元
右両名訴訟代理人弁護士
古山昭三郎
同
金子正嗣
同
正國彦
右訴訟復代理人弁護士
河合敏男
第九二一号控訴人、第一八八九号附帯被控訴人
株式会社中日新聞社
右代表者代表取締役
加藤巳一郎
右訴訟代理人弁護士
森本明信
第九一二号・第九二一号被控訴人、
第一八八八号・第一八八九号附帯控訴人
山本衣子
右訴訟代理人弁護士
角尾隆信
同
小野幸治
同
森井利和
主文
一 本件各控訴に基づき、原判決中控訴人らに関する部分を次のとおり変更する。
1 控訴人株式会社中日新聞社は被控訴人に対し金五〇万円及びこれに対する昭和五五年一〇月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 控訴人株式会社中央公論社及び同夏堀正元は被控訴人に対し各自金五〇万円及びこれに対する昭和五五年一二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人の控訴人らに対するその余の請求を棄却する。
二 本件附帯控訴をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを二分し、その一を被控訴人の負担とし、その余を控訴人らの負担とする。
四 この判決は、第一項の1、2に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一1 第九一二号控訴人ら、第九二一号控訴人
(一) 原判決中控訴人ら敗訴の部分を取り消す。
(二) 被控訴人の請求をいずれも棄却する。
(三) 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
2 第九一二号・第九二一号被控訴人
本件控訴をいずれも棄却する。
二 第一八八八号附帯控訴人
1 原判決中附帯控訴人敗訴の部分を取り消す。
2 附帯被控訴人株式会社中央公論社及び同夏堀正元は附帯控訴人に対し各自金一〇〇万円及びこれに対する昭和五五年一二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 附帯被控訴人らは附帯控訴人に対し、本訴判決確定後最初に発行する婦人公論紙上に、別紙一の謝罪文を、見出し部分は二六ポイントゴシック体及び宛名の部分は八ポイントゴシック体で、本文その他は八ポイント明朝体活字をもって無料で掲載せよ。
4 訴訟費用は第一、二審とも附帯被控訴人らの負担とする。
5 右2につき仮執行の宣言
三 第一八八九号附帯控訴人
1 原判決中附帯控訴人敗訴の部分を取り消す。
2 附帯被控訴人株式会社中日新聞社は附帯控訴人に対し金一〇〇万円及びこれに対する昭和五五年一〇月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 附帯被控訴人は附帯控訴人に対し、東京新聞朝刊一面紙上に、別紙二の謝罪広告を、見出し及び宛名の部分は三段抜き三倍ゴシック活字、その他は二倍活字をもって無料で掲載せよ。
4 訴訟費用は第一、二審とも附帯被控訴人の負担とする。
5 右2につき仮執行の宣言
四 第一八八八号附帯被控訴人ら、第一八八九号附帯被控訴人
本件附帯控訴をいずれも棄却する。
第二 当事者双方の主張及び証拠の関係は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示(但し、原審被告社会福祉法人浴風会及び同小野田康久のみに関する部分を除く。)並びに当審記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。
一 第九二一号控訴人・第一八八九号附帯被控訴人株式会社中日新聞社(以下「控訴人中日新聞社」という。)
1 本件記事(一)、(二)の主要部分の真実性について
(一) 寄付金及び健康診断料の横領については、第九一二号・第九二一号被控訴人、第一八八八号・第一八八九号附帯控訴人(以下「被控訴人」という。)は、検察庁において「嫌疑不十分」の理由で不起訴処分となったが、このことは被控訴人に不正がなかったことの理由付けとなるものではない。限られた証拠に基づいて被控訴人が不正を行わなかったと断定してしまい、その反面として控訴人中日新聞社に対し、事実に基づかない報道をしたとして過失責任を問うのは酷である。被控訴人に対する嫌疑は残っているのであり、その濃淡が控訴人中日新聞社の過失責任の存否に反比例的に投影されるべきである。被控訴人は、黒光園経理主任訴外竹内の無能力を奇貨として、浴風会の経理面にまで支配力を及ぼしていたのであり、経理上の不正を訴外竹内の行為に帰せしめることはできない。また、浴風会入会時の健康診断については、当の浴風会自身が無料であると誤信し、被控訴人を健康診断料の不法領得ありとして告訴していたため、控訴人中日新聞社も同様に誤信したものである。
殊に、被控訴人が浴風会の代理人ないし機関として山下栄子から受領した寄付金六〇万円は、浴風会自身がその一部を返戻することを決めない以上は、浴風会に帰属する公金であり、被控訴人がその一部である二〇万円を領得すれば、その時点で業務上横領罪の既遂となることは明白である。右二〇万円が山下栄子名義の銀行預金口座に預けられた形になっていたこと、山下栄子が右預金の払戻しを了承していて現に被害感情を抱いていないことなどは、右犯罪の成否に関係がない。
(二) 被控訴人の暴力行為については、証人となった老人たちの証言には伝聞供述や奥歯に物の挾まったような間接的表現が多いが、これは浴風会という閉鎖社会においては、老人たちが事なかれ主義に生きて疎外されないようにしようとする自己防衛本能を持っており、また、匿名の投書等が示すように自己の証言如何によっては、浴風会内に残留している被控訴人の息の掛かった配下の者から仕返しの迫害を受ける虞があったためである。したがって、これらの証言の表面上の表現だけから被控訴人の暴力行為の証明がないとすることは誤りであり、その言外に訴えようとするものを洞察して事実の認定がなされなければならない。
浴風会の内部において、小野田園長を中心として、被控訴人を犯人に仕立て上げようとする動きがあって、在寮老人たちが被控訴人に偏見を抱いていたという事実はない(仮に、そのような動きがあったとしても、控訴人中日新聞社はこれを知る由もなく、また、これを知り得なかったことにつき過失はない。)。かえって、浴風会は、付属病院の医師、看護婦や従業員らの組合活動の熱心な組織体であり、被控訴人が浴風会の寮母の身分を喪失したことに対する支援活動として、医師、総婦長、調理助手らが挙って被控訴人の行為を隠蔽する趣旨の書面を作成して証拠として提出している。
被控訴人が、竹刀ないし木刀を持つた内田治子を引き連れて老人の斎藤シズエに対し脅しをかけた事実は明らかであるが、このほか被控訴人は、少なくとも、(1)老人たちが寮内で話し合うことを禁じ、配下の内田治子に命じて老人たちを見張らせ、互いに話し合っている老人たちを見付けると怒鳴りに来たこと、(2)被控訴人の意を受けた内田治子は下痢をしたり粗相をしたりした老人たちの便を新聞紙に付けて他の老人たちに見せて歩き、その後を被控訴人が怒鳴って歩いて老人に恥をかかせることを平然と行ったこと、(3)痩せ細った肉体的特徴を持った老人の内田まきに対し、他人の面前で「お化け」と侮蔑し、同人に不快な想いをさせたこと、(4)老人の直井きくが身体の不自由な内田まきのために掃除や洗濯をしてやったりしたのに対し、配下の伏見をして「規則違反の始末書を書け、若し書かないと退寮させる。」と言わせたこと、(5)老人の前沢某、森タマ、竈門某らが気に入らない言動をしたとして、同人らが病気でもないのに、「検査のため入院させる」と称し、浴風会付属病院の看護婦に話を付けて、同人たちを病院へ送り込んでしまったこと、殊に、前沢の場合は、出入口に鍵がかかり自由に出ることのできない部屋であったこと、(6)老人の吉成某に対し辱めを加え、同人は被控訴人のことを、「怖い、怖い」と言うようになり、次第に気がおかしくなって「帰りたい、帰りたい」と言って荷物を結わえて肩に掛ける振舞いをし、遂に亡くなったこと、等の行為をしたことが明らかであり、殴る、蹴るの物理力による暴力でなくても精神的な迫害を加えることによる暴力行為を働いた事実が認められるのである。
2 本件記事(一)、(二)の内容たる事実を真実であると信ずるについての相当性について
(一) 控訴人中日新聞は、浴風会の老人たちからの投書に基づいて取材活動を開始したのであるが、その取材の趣旨は、(1)社会福祉法人に不正の事実があるとすれば、即刻是正されるべきである、(2)弱い老人たちが迫害に晒されているとすれば、即刻救済のキャンペーンを張るべきである、というものであって、現に本件記事(一)全体の扱い方を見れば、老人たちの悲痛な叫びを世に広く訴えて浴風会を糾弾していることが明らかである。したがって、この場合には、迫害を受けている老人たち及びこれを支援する世論が一方の当事者であり、その対立当事者であり取材の対象となるのは浴風会そのものである。そこで、東京新聞の記者訴外古本は、浴風会の小野田園長につき取材したのであり、その際に浴風会としても問題の職員である被控訴人を告訴していると聞かされたが、この時点において小野田園長が被控訴人と個人的に対立する当事者であると看破することは何人にとっても不可能であった。仮に、右の告訴に着目して、浴風会と被控訴人とが対立する当事者であると見る余地があるとしても、大局的見地からすれば、その双方が老人たちと対立する一方の当事者であると見ることもできるのである。
(二) 刑事告訴事件の被告訴人の弁解は、特段の場合を除き、全面否認である。これに対し、控訴人中日新聞社に対する匿名の投書には「万一私がこの手紙を差し出したことが発覚いたしましたら死より外ありません」と書かれており、また、取材時に同控訴人が信頼を措いていた小野田園長も訴外古本に対し老人たちの心の平穏を乱さないため被控訴人について取材することを許可しなかった。そこで、控訴人中日新聞社は、被告訴人の形式的な弁解を聞くことと、老人たちが被告訴人から報復的にいじめられる可能性があることのいずれに重きを置くかにつき苦悩した結果、浴風会の職員である被控訴人の人権よりも被害者である老人たちの人権を優先させて、被控訴人に対する取材を自制したのである。したがって、全当事者につき取材すべきであるとの原則は、本件についてそのまま当てはめることは相当ではなく、老人の苦しい立場を擁護するという苦難の選択をした本件の場合を、漫然と裏付け取材を怠った場合と同一に評価するのは失当である。
(三) 本件記事(一)、(二)は、これを浴風会と被控訴人との間の告訴事件に関する報道と見る立場からは、さほど緊急性はないが、控訴人中日新聞社は、日々迫害を受けつつある老人たちに対する救援キャンペーンを張り、広く世に訴えて、老人たちに心静かな生活を一刻も早く回復させたいとの一念に燃えて報道を行ったのであり、報道としての緊急性は高かった。取材事実を真実と信ずるにつき相当の理由が認められるためには「報道機関が報道の迅速性の制約のもとで正確性を担保するために最小限必要かつ可能な取材をした結果に基づくものであることが必要である」と解すること自体には異論がないが、事は形式的に論じられるべきではなく、意識的に取材しない部分があることについて相当な事由があれば、取材の欠けた部分があるからといって右要件を欠くと解すべきではない。
二 第九一二号控訴人・第一八八八号附帯被控訴人株式会社中央公論社(以下「控訴人中央公論社」という。)、同夏堀正元(以下「控訴人夏堀」という。)
1 本件記事(三)の主張部分は真実である。
本件は、老人ホームの寮母が、長年にわたり、老人たちを有形・無形の暴力で脅し、虐待し、辱め、また金銭横領をしていたというケースであるが、問題は、被害者である老人たちが右各事実を訴える術を知らず、訴えようとしても後難を恐れて踏み切らず、ようやく一部の勇気ある老人による新聞社に対する投書や小野田園長に対する申立てによって表面化した事案であるところ、その老人たちですら、自分が投書したことが発覚した場合は老人ホームを追い出されるのではないかと戦々恐々としているのである。したがって、老人たちは証人となることすら恐れ、また、証言台に立った老人たちですら、引き続き被控訴人を恐れ、復讐から逃れるために事実を事実として述べることを避け、遠回しに述べたり、断定すべき事実をぼかしたりするのである。本件の事実認定は、右のごとき背景事情を十分に認識したうえ、人間関係や証人の立場、環境等について吟味を加えてなされるべきであり、表面的な表現のみから証拠の評価をすることは誤りである。このような観点からすれば、原審及び当審に顕われた証拠により、被控訴人による寄付金横領等の事実(牧野郁の寄付金一〇万円―これを訴外竹内が領得したという事実はなく、被控訴人が訴外竹内の会計処理能力の低さや人の良さにつけ込んで領得したものである―や山下栄子の銀行預金二〇万円―これについての被控訴人の弁解も不合理であるうえ、被控訴人による証拠隠滅工作まで行われている等)及び有形・無形の、ないし言葉による暴力((1)少しでも抗議めいたことを言う老人たちに大声で「出ていけ」と怒鳴りつけ、棍棒をもって追い回す、(2)前沢老人に対して怒った被控訴人が昭和五四年二月「同人がノイローゼである」と言って、付属病院の精神科に検査のためという理由で一か月も入院させた、(3)弘老人や吉成老人が粗相をした際、被控訴人は内田治子と一緒になって皆に聞こえるように「汚い、汚い」と怒鳴り、内田治子はその便を新聞紙に付けて皆に見せて回り、被控訴人はそれを止めもせずに弘老人を辱めた、(4)竈門老人が入浴中に粗相をしたのに対し、被控訴人は「汚い、汚い」と怒鳴り、他の人々のいる前で「粗相をするなら旅行に連れて行ってやらないぞ」と怒鳴り辱めた、(5)病身で痩せた内田まき老人のことを被控訴人は人前で「お化け、お化け」と述べ侮辱した、(6)商家の出である工藤老人は被控訴人の侮辱に耐えられず自ら退寮した、(7)被控訴人は、老人たちが話し合うことを禁じ、スパイを使って見張らせ、他人に親切にすることも禁じ、寮内には被控訴人及びその配下の者による有形・無形の暴力が日常当然の如くに行われていて、直井きく老人にとっては当時の寮内は刑務所か監獄のように感じられた等)の存在が明らかに認められるのであり、被控訴人が在職した当時の黒光園は、「暴力寮母に制圧された老人ホーム」であり、「弱者をいたぶる構造」そのものであった。
2 本件記事(三)の内容たる事実が真実であると信ずるについての相当の理由
(一) 本件記事(三)は、被控訴人ないし浴風会に対する非難を目的としたものではなく、広く日本全国の福祉施設すべてに対して警鐘を鳴らすべき問題として取り上げたものである。すなわち、控訴人中央公論社は、福祉行政の貧困及び社会福祉施設の「甘えの構造」を批判し、その改善を求めるキャンペーンの一環として、本件を素材とするドキュメンタリーという形式で表現したのであり、一般読者にもその意図を十分に感知されており、その公益性は極めて大きいものがある。
(二) 本件記事(三)のうちの主要部分は既に東京新聞において大々的に報道されていた。そこで、控訴人夏堀及び編集員福士季夫は、右新聞記事を書いた訴外古本と会って、浴風会の一老人からの投書を見せられ、かつ、取材源等を聞き、右新聞報道の信用性を確認園長と面談し、右新聞報道及び訴外古本の話が事実であることを確認した。小野田園長は、松風園に赴任してきた直後から、老人たちの直訴で本件を知るに至り、正義感をもって(同人が被控訴人に対し個人的な悪感情を抱いていたということはない。)調査に乗り出し、浴風会理事会もその調査結果を正しいものと判断して正式に刑事告訴を行ったのであり、これに基づいて高井戸警察署が現に捜査中であった。したがって、小野田園長は、当時、本件について最も重要で最も信頼すべき最高の取材源であった。なお、小野田園長は、控訴人夏堀らに対し、被控訴人その他の関係者に会って取材することは「老人にこれ以上動揺を与えたくないし、東京新聞の記事で被控訴人が老人を脅かしている」との理由で、これを拒否した。
以上の点からすれば、本件記事(三)に書かれている程度の事実を真実と考えるのは極めて当然であり(健康診断料についても、小野田園長から健康診断が無料であったと聞かされれば、控訴人夏堀らがそのとおり信ずるのは当然であり、それにもかかわらず被控訴人が作成した健康診断料名目の領収書が存在する以上、被控訴人の犯行があったと見ることは当然である。)、それ以上に、被控訴人に対する取材は無意味であると考えるのもまた当然である。なお、被控訴人は、当時、小野田園長から明白な証拠を突き付けられ、自分の非を認めれば告訴はしないと諭されたにもかかわらず、これを聞き入れなかったのであり、いわんや第三者であり報道機関である控訴人中央公論社の記者の取材に対して自己の非を認めるような回答をするはずがない。それどころか、被控訴人は、恐らく、何度取材を申し込んでもこれに応じなかったに違いないであろう。控訴人中央公論社及び同夏堀には、本件記事(三)の作成につき何ら過失は無かったといわなければならない。
三 被控訴人の主張
1 控訴人中日新聞社の主張に対する反論
(一) 検察庁が被控訴人に対する告訴事件につき嫌疑不十分の理由で不起訴処分としたことは、被控訴人代理人らが担当検事から直接確認したところである。この嫌疑不十分とは、被疑事実につき犯罪の成立を認定すべき証拠が不十分ということであり、いわば起訴前における無罪判決がなされたに等しいから、それでもなお被控訴人が犯人である可能性があるとすることはできない。
山下栄子に関する二〇万円についても、浴風会自身はみずからを被害者であるとは認識しておらず、本件記事(一)、(二)においても被害者を「入寮者」であるとしているのであって、これを浴風会の公金の横領と構成することは、前提を誤つている。
(二) 投書、とりわけ匿名の投書は、しばしば独断・偏見によるものが多く、それ自体の証拠価値は乏しい。本件の投書の内容は、この投書があったとされる昭和五五年当時に、浴風会において、小野田園長を中心に、被控訴人を犯人に仕立て挙げようとする動きがあって、これにより在寮老人たちが被控訴人に偏見を抱いていたことを物語っている。
(三) 訴外古本は、小野田園長から告訴事実の内容のみならず、暴力問題についても聴取し、告訴手続は小野田自身がとつたことも聞いたのであるから、告訴された被控訴人は小野田とは対立的な立場にある反対当事者に当たることは明らかであった。
(四) 控訴人は、本件においては被控訴人の人権よりも被害者である老人たちの人権を優先させたため被控訴人に対する取材を自制したものだというが、右立論は、老人たちが被控訴人から迫害を受けていたことが、あたかも明明白白の事実で立証を要しないとの考え方が前提となっている。しかし、本件で問題になつているのは、被控訴人が老人たちにいわれなき迫害を加えていたという事実があったかどうかということであり、綿密な調査・取材によってこれを確かめることなく、軽率にも誤って被控訴人を元凶と看做して、老人たちに対する「救援キャンペーン」を張るなどということはナンセンスであり、被控訴人の人権を侵害するも甚だしいものである。控訴人中日新聞社も加盟している新聞協会の新聞倫理綱領には「個人の名誉はその他の基本的人権と同じように尊重され、かつ擁護さるべきである。非難されたものには弁明の機会を与え、誤報はすみやかに取り消し、訂正されなければならない。」と定めていることを銘記すべきである。
2 控訴人中央公論社、同夏堀の主張に対する反論
(一) 原審における老人たちの証人尋問は、控訴人らの要望を容れて浴風会の講堂で行われており、被控訴人もこれを傍聴したが、当時は被控訴人が浴風会を解雇されて既に一年余を経ていた時期であったし、傍聴席の多くは浴風会の幹部らのほか控訴人らの関係者によって占められていたもので、証人たちが被控訴人を恐れて証言を差し控えたということはあり得ない。
(二) 犯罪報道において、一人の話を聞いて物事を断定することがいかに危険であるかを考え、できるだけ多くの関係者から取材をすることは、言論報道人の常識あるいは鉄則である。小野田は浴風会松風園(黒光寮)の園長であったが、取材する立場の者としては、園長の言葉だからといって盲信してはならない。本件は、小野田が園長であつた時代に起こった問題ではなく、三上現理事長が園長の時代の事柄であるし、小野田が信頼できない人物であることは、同人に対する証人尋問によつて明らかにされている。右のように、本来信頼できない者を最も信頼すべき者であるとする誤りを犯さないためにも、初めから複数の関係者、とりわけ反対当事者たる被控訴人にも十分な取材をして真相を究める努力をすべきであつた。
(三) 告訴事件として警察で捜査中であったという点も、捜査が始められて日も浅く、警察からは公式にも非公式にも何らの発表もされていない段階であったことに留意すべきである。
(四) 控訴人らは、取材源として、東京新聞、訴外古本、小野田園長を挙げ、これらがそれぞれ独立の取材源であるかのように主張しているが、東京新聞の記事は訴外古本の執筆したものであり、訴外古本は小野田のみから取材しているのであるから、要するに小野田だけからの取材というに帰着する。
(五) 被控訴人は身柄を拘束されていたわけではなく、自宅から浴風会に通勤していたのであるから、取材は容易であり、現に他の新聞社の記者は被控訴人から取材をしていた。
3 被控訴人の損害額について
本件名誉毀損による被控訴人の損害額は、原審の認容額では余りに不十分であるから、被控訴人は控訴人らに対し本件各記事(本件記事(一)ないし(三)の総称。以下同じ。)につき損害賠償額を金一〇〇万円増額すること及び名誉回復措置として謝罪広告の掲載を求めて附帯控訴を提起した。
本件各記事は、その記事態様、表現において殊更に侮辱的で断定的であり、かつ誇大なタイトル及び記事内容となっている。右各記事は、いずれもかかる表現のもとに、被控訴人があたかも横領・脅迫等の不正行為をほしいままにする悪らつ残忍な女性であって、業務上横領の犯人であるときめつけるものであった。このような表現方法は、控訴人らの記事が真実に反すること及びその取材方法の不十分性等と合せ考えると、一層控訴人らの責任を重くするものである。しかも、控訴人らは、当審で提出した準備書面中において、本件各記事に劣らないほどの侮蔑的で露骨な表現のもとに被控訴人の人格を侵害する挙に出ており、被控訴人の名誉毀損はますます増幅されている。また、当審における証人直井きくの証言及び同人の陳述書は、被控訴人を「泥棒」とまで罵倒しているが、これは全く本件各記事の影響によるものであり、被控訴人は未だに大きな被害を被っているのである。
また、本件は単なる個人的表現によるものではなく、広範な読者層を有するマスメディアによる大々的な表現伝達方法が採られたケースであって、これにより被控訴人が被った不利益もそれだけ甚大なものであった。被控訴人は、このため、一八年間の長期にわたって勤務してきた浴風会を解雇され、その職を追われたのみならず、その後も再就職の道を閉ざされ、生活のための収入を得る手段を奪われるという結果に立ち至ったのであつた。
このように、現在のマスコミの発達した社会では、そうした媒体による名誉毀損行為は、時に被害者の社会からの抹殺を意味することになる。このような名誉侵害によって被る社会的ダメージに照らして考えれば、低額の損害賠償では、加害者側の記事刊行に当たってのあるべき事前の注意、更には事後の対応を甘くすることになるとの批判が妥当するものといわなければならない。高額の慰謝料の認定こそが、こうした近時大きな社会問題化しているマスメディアによる個人の名誉侵害に対する有効な予防手段の一つと考えられる。
理由
第一請求原因事実について
一当事者
請求原因1(一)の事実は、被控訴人と控訴人中央公論社及び同夏堀との間においては当事者間に争いがなく、被控訴人と控訴人中日新聞社との間においては<証拠>により、これを認めることができる(以下、証人の証言及び当事者本人尋問の結果は、特に断わらない限り、いずれも原審におけるそれを指す。)。
また、同1(二)及び(三)の事実は、控訴人ら(右控訴人ら三名の総称。以下同じ。)が明らかに争わないからこれを自白したものとみなすべく、同1(四)ないし(六)の事実は各当事者間に争いがない。
二記事内容
請求原因2(一)(1)(a)、同2(一)(2)(a)及び同2(二)(1)(a)の事実すなわち、被控訴人主張の新聞(東京新聞昭和五五年九月二五日付及び同年一〇月七日付各朝刊)及び雑誌(婦人公論昭和五五年一二月特大号)にそれぞれ本件各記事が掲載されたことは、当事者間に争いがない。
また、同2(一)(1)(b)及び同2(二)(1)(b)の事実すなわち、本件記事(一)及び(三)のうち、A子又はYの特定に関する記載についてはA子又はYが被控訴人であることを示しているとの点を除けば、各当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右特定内容が、被控訴人の経歴、特徴等と(僅かな相違点を除き)合致すること(なお、昭和五三、五四年当時、黒光園ないし松風園黒光寮の寮母は、被控訴人のみであった。)が明らかであり、右事実によれば、本件記事(一)及び(三)中のA子又はYは被控訴人を示す仮称として用いられたものと認められ、同様に、本件記事(一)と同(二)との連続性に鑑みれば、同2(一)(2)(b)についても、本件記事(二)が被控訴人をその記事の対象としていることは明らかというべきである。
三記事による名誉毀損―請求原因2(一)(3)、同2(二)(2)の事実すなわち本件各記事による名誉毀損の有無について
本件各記事の記載内容が被控訴人主張のとおりであり、本件各記事が東京新聞又は婦人公論に掲載され、それらが不特定多数の人々に頒布されたことは、各当事者間に争いがない。右事実によれば、本件各記事の内容は、被控訴人による横領及び暴力行為等の犯罪事実をその対象として含んでいるものであることが明らかであって、たとえA子又はY等の仮称を用いたとしても、右二において述べたとおり、A子又はYの年齢、住所、特徴等による特定からすれば被控訴人を知る人々、特に近隣者や在寮老人等相当多数の人々にとっては、右A子又はYが被控訴人を示すものと容易に推知できるものであり、更に、<証拠>によって認められる、本件各記事における「恐怖の老人ホーム」、「浴風会に暴力寮母」、「寄付金横領やまき上げ」、「オニ寮母許すな」、「暴力寮母に制圧された老人ホーム」等の見出しや、その記事内容における横領、詐欺・暴行・脅迫等の事実についての断定的な表現等に照らせば、本件各記事が被控訴人の社会的評価を低下せしめ、その名誉を毀損するものであることは明らかである。
四責任原因―請求原因2(一)(4)及び同2(二)(3)の責任原因について
控訴人中日新聞社において本件記事(一)、(二)の、控訴人中央公論社及び同夏堀において本件記事(三)の、各内容が特定人の犯罪行為に関するものを含むことをそれぞれ十分に認識していたことは、<証拠>からも明らかであり、本件各記事が被控訴人の名誉を毀損するものであることは前認定のとおりである。したがって、控訴人らが、それぞれ関係する本件各記事を執筆(控訴人夏堀が本件記事(三)を執筆したことは同控訴人本人尋問の結果により認めることができる。)、掲載し、不特定多数の購読者にこれを頒布した以上は、本件各記事の公共性・公益目的、真実性ないし真実と信ずるについての相当性等、控訴人ら主張の抗弁事実が認められない限りは、控訴人らは被控訴人に対し名誉毀損に基づく不法行為責任を負うものといわなければならない。
第二抗弁事実について
一本件各記事の公共性、公益目的の存否
<証拠>によれば、本件各記事は、老人福祉という公共の利害に関する事実について、主に福祉行政の問題点を指摘するなど公益を図る目的で執筆、掲載されたものであると認めることができる。
二本件各記事の真実性の有無
1 山下栄子の銀行預金騙取(被控訴人に対する告訴状(原審被告小野田康久本人尋問の結果により原本の存在及び成立を認め得る乙第一号証)の告訴事実三)
(一) <証拠>によると、(1)山下栄子は昭和五三年一二月一四日ころ黒光園への入寮手続として、寮母の被控訴人に対し、寄付金分六〇万円を含む金額一六七万五〇〇〇円の小切手を交付したうえ、同五四年一月下旬ころ入寮したこと、(2)黒光園(昭和五四年一月以降は黒光寮。以下同じ。)においては、経理主任の竹内が金銭出納事務を担当していたが、竹内は出勤時間がまちまちであることなどから寄付金の受領等を被控訴人に代行してもらうことが度々あり、右小切手の受領もその一例であって、被控訴人は右小切手を受領して間もなくこれを竹内に渡したこと、(3)その後、右小切手金中の二〇万円が山下栄子の第一勧業銀行高井戸支店の預金口座に振り込まれ(但し、いつ、どのような手続でなされたかの詳細は明らかではない。)、更に被控訴人の指示に基づき同年二月五日、黒光園の調理士矢代暁子及び黒川(改姓後は久保木)みち子が山下栄子の名で右二〇万円の払戻しを受けたこと、(4)右二〇万円中、少なくとも一二万円は、被控訴人、矢代及び黒川の三名が各四万円宛を受領しているが、被控訴人は、右二〇万円は山下栄子から黒光園の職員五名(被控訴人、竹内、矢代、黒川、塚田)への謝礼として貰ったものであり、竹内及び塚田も各四万円宛を受領していると供述していることが認められる。
(二) 一方、山下栄子は右証言において、被控訴人に渡した金員中二〇万円が、返してくれと言わないのに再度自己の預金口座に振り込まれており、それがまたいつの間にか引き出されていたので疑問に思った旨を供述しているのであるが、入寮の際に結局のところいくらを寄付金として差し出すことにしたのか、自己の預金通帳や銀行届出印が何故に被控訴人の手に渡ったのか等についての記憶が曖昧であって明確な説明ができない状況であるうえ、右預金通帳の記載につき竹内や銀行員等に調べて貰って二〇万円が出し入れされていることを知りながら、取り立ててこれを問題にしようとせず、被控訴人ら黒光園職員に対し格別の被害感情を抱いていないことが窺われるのである(なお、右証言によれば、同人作成名義の乙第九号証は、必ずしも細部に亙る点まで同人の真意を表わしているとも認め難い。)。
(三) 他方、証人竹内強の証言によると、竹内は、当初、被控訴人から受領した前記一六七万五〇〇〇円の小切手は直ちに浴風会の銀行口座に振り込んだもので、内金二〇万円を山下栄子の口座に戻したようなことは全くないと強く否定していたが、やがてこれを覆し、被控訴人から二〇万円を山下栄子の口座に入れるよう連絡を受けてその手続をしたことを認めるに至ったが、その供述内容は転々としており、同人から事実関係を聞いたという原審被告小野田康久(以下「小野田園長」という。)の供述とも矛盾が認められる(なお、小野田園長の供述では、右二〇万円が一旦浴風会の口座に入金されたという事実はないとしている。)。
(四) ところで、<証拠>によると、黒光園の職員らは以前から在寮老人たちから何かにつけて金品を貰う例があったと認められるが、それにしても、職員一人につき四万円、五人で合計二〇万円という高額の金銭を謝礼として受領するということは尋常ではなく、被控訴人の前記供述に疑問の余地があることは否定することができない。したがって、被控訴人が、単独でか複数人共同してかはともかく、山下栄子の銀行預金二〇万円を騙取したのではないかとの疑いを持たれて、勤務先の浴風会から告訴をされ、警察等の取調べを受けるということは止むを得ないところである。しかしながら、右の疑問を解明するには、山下栄子が入寮に際し結局のところいくらの寄付をすることに決したのか、右金銭(小切手)がどのような経路で動いたのか、二〇万円についての同人の真意は奈辺にあったのか等の諸点についての証明が不可欠であるが、本件に顕われた証拠関係によっては、右諸点が極めて漠然としたままであり、山下栄子から事情聴取した結果を述べる小野田園長の供述も直ちに全面的に採用することはできない。
(五) そうすると、なお疑惑は残るものの、山下栄子名義の銀行預金二〇万円の払戻し・領得が同人の意思に基づかず、詐欺罪等の犯罪を構成すると断定することは、証拠上無理があるといわざるを得ない。なお、控訴人中日新聞社は、被控訴人が浴風会の公金を横領したものと主張するが、本件各記事が右二〇万円につき浴風会を被害者とする横領事件として扱つている訳ではないばかりか、右主張のような横領罪が成立すると断定するためには、やはり前記の諸点についての疑問が解明されることが必要であることに変わりがない。
2 寄付金及び健康診断料の横領(告訴事実一及び二)
(一)(1) 被控訴人が、黒光園に入寮した各老人から寄付金及び健康診断料(前沢操・寄付金六〇万円、直井きく・寄付金六〇万円及び健康診断料三万円、牧野郁・寄付金一〇万円、大宮清名・寄付金三〇万円及び健康診断料三万円、間所益子・健康診断料三万円)を受領し、右各受領金額を記載した黒光園(黒光ホーム)名義の領収書(乙第二号証の一ないし三、同第三ないし第五号証の各一。但し、間所益子分は誤記により一万円と記載。なお、乙第二ないし第四号証の各一には竹内の印影がある。)を右各老人に交付したことは、被控訴人本人尋問の結果により認めることができる(もっとも、証人牧野郁の証言によれば、同人は被控訴人に対して寄付金として二〇万円を渡し、その旨の領収書を受け取ったというのであるが、右証言は曖昧な点が多いうえ、弁論の全趣旨により同人が受け取った領収書の写しであると認められる乙第二三号証の金額欄の記載に照らすと、被控訴人が供述するように右金額が後日一〇万円から二〇万円に改ざんされた可能性が高いものと認められる。)。
(2) <証拠>によれば、浴風会の会計帳簿には、右の健康診断料については全く受領の記載がなく、寄付金については、前沢操、直井きく、大宮清名分が前記領収書記載の金額より各二〇万円ずつ少ない金額が記帳されていること(但し、牧野郁分については、受領額及び領収書記載金額がいずれも一〇万円であつたとすると、会計帳簿金額と一致することになる。)が認められ、したがって、被控訴人が受領した右各健康診断料各三万円及び各寄付金の差額分各二〇万円は、浴風会の収人に組み込まれることなく、何者かの手によって領得されたものと考えられる。
(3) この点につき、被控訴人は、各老人からの受領金額を全額、領収書の耳の部分とともに竹内に交付したのであり、竹内から老人宛の別の領収書を預かったことはないというのに対し、竹内及び同人から事情聴取した小野田園長は、被控訴人が受領金額の一部を領得して残額のみを竹内に交付し(その際領収書の耳は交付されていない。)、竹内から老人に渡すように交付した領収書は被控訴人が隠滅してしまった、と反論しているのであり、結局、被控訴人の供述と竹内の証言のいずれが措信できるかに帰着する事柄である。
(4) そして、被控訴人の供述にも疑わしい点がないわけではないが、明らかに虚偽であるとする決め手も見出し難い。
これに対し、竹内の供述は極めて曖昧で、首尾一貫せず、右供述と同人が作成した甲第一六号証、乙第六号証、第一四号証の一ないし七の会計帳簿(小野田園長の供述により甲第一六号証の原本の存在及び成立並びに乙第一四号証の一ないし七の成立が認められ、証人竹内強の証言により乙第六号証の原本の存在及び成立が認められる。)とを対比させると、寮費、暖房費等の取扱いについても、その会計処理に不明朗な点が少なからず見受けられるほか、<証拠>によれば本件以外の健康診断料等についても竹内による会計処理に杜撰な点が多々見受けられるのである。更に、竹内は、被控訴人作成の前記各領収書の一部(前記乙第二ないし第四号証の各一)に押捺された竹内名義の印影については全く見覚えがないと断言するのであるが、同人作成の甲第一七号証の領収書(被控訴人本人尋問の結果により成立が認められる。)に押捺されている竹内名義の印影と対比してみると、両印影が酷似していることが明らかであって、被控訴人作成の前記各領収書の一部に使用された竹内名義の印は同人自身の印である可能性が高く、この点においても竹内の供述は措信し得ず、竹内から同人の印の使用を委されて前記各領収書に捺印をしたと述べる被控訴人の供述がより信用し得るものと見られる。
また、小野田園長の供述は竹内の供述に符合するところが多いが、これは竹内からの事情聴取や竹内作成の会計帳簿の記載等をその主な根拠とするものであって、右根拠が薄弱なものである以上、小野田園長の供述もまた措信し難い点を含んでいることになる。
そうすると、前記のような竹内の反論を支持するに足りる証拠はなく、かえって、右一連の不明朗な会計処理の実情に鑑みれば、むしろ、被控訴人のいうように、寄付金等の受領及び領収書の交付については被控訴人が竹内の依頼により同人の代行としてこれを行い、受領金額全額を竹内に交付したにもかかわらず、同人がそのうち一定金額を自分で領得し、健康診断料については会計帳簿に何らの記載をせず、寄付金に関しては、残額分について別途領収書の耳のみを作成し、これと同額を会計帳簿に記載して、その分だけを浴風会の会計に組み込んだものである可能性も考えられるのであり、少なくともその疑いを完全に払拭することはできない。
(5) なお、右の寄付金及び健康診断料の領得並びに前述の山下栄子関係の銀行預金騙取を内容とした、被控訴人を被告訴人とする告訴が、浴風会から高井戸警察署に対して行われたことは当事者間に争いがないが、<証拠>によれば、右告訴事件はその後在宅のまま東京地方検察庁に送致されたものの、昭和五九年九月二九日に嫌疑不十分により不起訴処分となったことが認められる。
以上によれば、被控訴人が、前沢操の寄付金六〇万円中二〇万円、直井きくの寄付金六〇万円中二〇万円及び健康診断料三万円、大宮清名の寄付金三〇万円中二〇万円及び健康診断料三万円並びに牧野郁の寄付金二〇万円中一〇万円を横領したこと及びこれに付随して虚偽の領収書を作成したことに関しては、これを認めるに足りる証拠がないといわねばならない。
(二) なお、本件各記事中には、以上のほか、被控訴人が、(1)老人たちから寮費を二重取りした、(2)老人を正当な理由なく付属病院の精神科に入院させた、(3)前記以外の老人たちの健康診断料を相当額横領した、(4)未入居の入居希望者からも二万円を取った、(5)老人を、園長に密告したと脅した、(6)財産や生活状態が収入に比して不相応である、等の事実が記載されているけれども、これらの諸事実が真実であることを十分に認めるに足りる的確な証拠は見当たらない。
3 暴力行為及び脅迫等
(一) 証人斎藤シズエの証言中に、あるとき、内田治子(同人は、以前、黒光園の職員であったが退職し、一時アルバイトとして職員の手伝いをしていたもので、その後同園の寮生となった。)が棒を持って斎藤の部屋に入ってきて、「私のことを呼び捨てにする。」と言って殴りかかったことがあるが、そのとき被控訴人が部屋の入口の所に立っていて内田を止めようとしなかった旨の供述があり、証人山下栄子の証言及び小野田園長の供述中には、斎藤が右のような目にあったことを他から聞いたことがある旨の供述がある(もっとも、山下証人は、「内田が斎藤の部屋の前で木刀を持って『寮から出て行け』と言い、その横に被控訴人が居た。」と聞いたというのであり、小野田園長は、「被控訴人が内田をして斎藤を木刀か棒で追い回させた。」旨を聞いたというのである。)。しかし、右斎藤証人の証言によると、右のような事件は同人が在寮していた一〇年余の間に一度だけであって、それもかなり前のことであり、同人は内田に対して「殴るなら殴れ。」と落ち着いていたというのであって、どのような状況からどの程度緊迫した情勢になったのかは必ずしも明らかではない(しかも、右の伝聞供述では、表現がかなり誇張されていることが窺われる。)。また、証人矢代暁子の証言によると、被控訴人が丸い棒を持って「うるさい奴はこれだ」と壁を叩いたのを何回か見ているというのであり、証人直井きくのように、「渋沢寿三郎という老人が文句を言ったのに対して、被控訴人が棒を振り上げて殴りそうにした。」旨を聞いたし、皆が被控訴人を怖がっていたと証言する者もある。
これに対して、証人竹内強は、被控訴人が老人を怒鳴っているのを見たが、殴ったり蹴ったり木刀で追い回したりしたことはないと供述し、証人山下栄子、同牧野郁、同木部マサ子らは、被控訴人から怖い思いをしたことはなく、木刀を振り回すなど考えられないことであり、むしろ、被控訴人は人扱いの難しい有料老人ホームをうまく運営している、偉い、良くやった等の証言をしている。
(二) 右各証言をどのように受け止め、評価するかについては、種々検討を要するところであり、黒光園の寮母としての被控訴人の言動のうちには、考えるべき点があったのではないかと推測できないものでもない。他方、在寮老人たちの中に、なにがしかの問題行動が見られなかったとも断定はできないでろう。多数の人間関係の中にあって、好悪の念が入り混じることも十分に考えられる。しかし、そのような背景事情を前提としつつ、本件に顕われた全証拠を検討しても、被控訴人が在寮老人たちに対して、理由もなく、本件各記事に表現されているような強度の暴力行為や脅迫行為を行った(殊に、木刀や棍棒などを用いた)ことを認めるには十分ではないというほかはない。
なお、当審における証人直井きくの証言及びこれにより成立の認められる丁第六号証の一、弁論の全趣旨により原本の存在が認められる丙第一一号証の二によれば、黒光園において、被控訴人や前記内田治子らが、老人たちに対して、いわば意地悪な、ないし不親切な処遇態度(言動)を示したことがあると窺える余地があり、そのことが老人たちの心身に悪影響を及ぼしていたものと推認できないものではない。そうとすれば、これに対してジャーナリストの立場で調査を行い改善を計るということは、一つの有意義な活動ということができる。ただ、今ここで問題としているのは、本件各記事の表現に該当するような強度の暴行脅迫が存在したかどうかであり、それが認めるに足りないことは既に認定したところである。
4 してみれば、本件各記事の内容中、少なくとも、その主要部分ないし根幹を占めるというべき被控訴人による横領、金員騙取、甚だしい暴行脅迫等の事実についは、いずれも真実であると認めることができないのである。
三本件各記事が、公共の利害に関する事項について主として公益を図る目的で執筆、掲載されたものと認められることは、前記一のとおりであるから、その記事内容のうち被控訴人の名誉に関する事実について右二のとおり真実であることの証明が得られなくとも、控訴人らにおいて当該事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには、控訴人らの行為は不法行為を構成しないと解することができる。
しかしながら、当裁判所は、本件においては控訴人らに右の相当の理由があるとは認め難いと認定判断するものであり、その理由は、次のとおり訂正、付加するほか、原判決理由第二、三(原判決四三枚目表六行目から四九枚目表三行目まで)の説示と同一であるから、ここにこれを引用する。
1 原判決四五枚目表八行目の「被告浴風園」とあるのを「浴風会」と訂正し、同九、一〇行目の「被告浴風会の数人の老人に面接した上」を削除する。
2 原判決四六枚目表二、三行目の「対立当事者」の次に「、殊に告訴を捜査の端緒とする刑事事件においては告訴人側」と付加し、同六行目の「解すべきである」に続けて「(殊に、本件記事(一)、(二)のように、その中の被疑者である被控訴人の犯罪容疑に関する部分の殆どについて結局真実の証明がないとされるような場合には、それだけ被疑者本人からの取材が重要であり、その必要性が高いものであったというべきである。)」と付加する。
3 原判決四七枚目裏四行目に続けて「なおまた、控訴人中日新聞社は、本件記事(一)、(二)の取材の趣旨は、社会福祉法人の不正の是正と迫害を受けている老人の早急な救済にあったのであるから、報道の緊急性があり、かつ、その記事内容における相手方当事者は浴風会であって被控訴人であると解すべきではないと主張する。しかし、同控訴人がその主張の趣旨の取材・報道を行うことと、その際に被控訴人の犯罪容疑事実をどのような程度・態様において公表するかとは区別されるべき事柄であり、後者の局面においては、被控訴人が相手方当事者の立場にあることは明白であり、その報道にさほどの迅速性が要求されないことも多言を要しない。同控訴人は、更に、被告訴人の弁解は通常は全面否認であるから、その取材は形式的なものにすぎないというが、被疑者の弁解を聞くことを要するということは、被疑者が否認している旨の記事を付け加えれば足りるという趣旨でないことはいうまでもなく、被疑者の弁解を聞くことによって、それまで得られた資料に基づく被疑事実の見方を再検討して、記事内容やその報道の是非・時機等を見直すことが要請されることも十分あり得るのであり、これを怠って被疑事実の報道を急ぐの余り被疑者の名誉、人権を侵害することがあってはならないことを忘れてはならないのである。」と付加する。
4 原判決四八枚目表八行目の「部分が存在する」の次に「(控訴人夏堀は、同中央公論社から本件記事(三)の執筆依頼を受けた際、被控訴人本人との面接取材を執筆引受けの条件の一つとし、現に担当社員に対し被控訴人への連絡を何度も求めたことが認められる。)」と付加する。
5 原判決四八枚目裏五行目に続いて「もっとも、証人松田利彬の証言と控訴人夏堀本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、本件記事(三)と基本的に同趣旨の本件記事(一)、(二)が既に東京新聞で報道ずみであったこと、控訴人中央公論社の編集員福士季夫及び控訴人夏堀が訴外古本及び小野田園長に対する取材を慎重に行ったこと、同控訴人らにとっては小野田園長が当時としては最も信頼すべき取材源と考えられたのであり、浴風会理事会も小野田園長の調査結果に基づいて被控訴人を正式に告訴していたこと等、同控訴人ら主張の事実が認められ、同控訴人らが本件記事(三)の内容を真実と信じたことは了解し得るけれども、上記認定の本件の事実関係のもとにおいては、(その過失の程度は小さいにしても)なお、被控訴人につき取材を行っていないことを正当化することはできない。また、同控訴人らも、本件記事(三)の目的が全ての福祉施設に対し改善への警鐘を鳴らすことにあったこと及び被控訴人に対する取材をしても否認するだけで無意味である旨をいうが、控訴人中日新聞社の主張につき説示した(本項3)と同様に、いずれも以上の認定判断を左右するには足りない。」と付加する。
第三損害について
当裁判所は、諸般の事情(前認定のとおり、被控訴人が浴風会により告訴され警察の取調べを受けるに至ったについて被控訴人自身の言動にも反省を求められるべき点があったと認められること、控訴人らの過失の程度が小さいこと並びに被控訴人は本件を契機として浴風会の職を失ったが、この点は弁護士とも相談のうえ解雇予告手当及び退職金をも受領して通常解雇を受け容れたものであること(この事実は被控訴人本人尋問の結果により認められる。)を含む。)を総合考慮して、被控訴人が本件記事(一)及び(二)の掲載により控訴人中日新聞社に対して請求し得る慰謝料額並びに本件記事(三)の執筆及び掲載によりそれぞれ控訴人夏堀及び同中央公論社に対して連帯支払を請求し得る慰謝料額は、いずれも金五〇万円(遅延損害金については、本件記事(二)及び(三)が掲載された日である昭和五五年一〇月七日及び同年一二月一日から起算すべきものとする。)が相当であり、被控訴人のその余の金銭請求及び謝罪広告掲載の請求はいずれも失当であると判断するが、その理由は、右記のほか原判決理由第三の説示(原判決四九枚目表四行目から同五〇枚目表三行目まで)と同一であるから、これを引用する。
以上のとおりで、原判決中右金額の範囲で被控訴人の請求を認容した部分は相当であるが、その余は失当であって、本件各控訴は右の限度で理由があるから、原判決を主文第一項のとおりに変更することとし、本件附帯控訴は理由がないからこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官森綱郎 裁判官友納治夫 裁判官清水信之は、転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官森綱郎)
別紙一謝罪文
株式会社中央公論社発行の昭和五五年一二月特大号婦人公論二四二頁以下に「ドキュメント暴力寮母に制圧された老人ホーム」なる大見出のもとに掲載した執筆者夏堀正元名の記事は、著しく真実に反し、このため貴殿の名誉ならびに信用を甚しくきづつけ御迷惑をお掛けいたしました。ここに謹んでお詫び申し上げます。
昭和 年月日
<住所省略>
株式会社中央公論社
代表取締役嶋中鵬二
<住所省略>
夏堀正元
<住所省略>
山本衣子殿
別紙二謝罪文
当社発行の昭和五五年九月二五日付東京新聞朝刊に掲載された「恐怖の老人ホーム」なる標題の記事及び同年一〇月七日付東京新聞朝刊に掲載された「オニ寮母許すな」なる標題の記事は、いずれも著しく真実に反し、このため貴殿の名誉ならびに信用を甚だしくきづつけ御迷惑をお掛けいたしました。ここに謹んでお詫び申し上げます。
昭和 年月日
<住所省略>
株式会社中日新聞社
代表取締役加藤巳一郎
<住所省略>
山本衣子殿