大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和62年(ネ)2534号 判決

原告春美のような極小未熟児の場合は、酸素を与えなければ死亡することは殆ど確実であり、酸素を与えてもその生存率は極めて低い。又、辛うじて生存し得た場合でも脳性小児麻痺のような脳障害が発生する確率が非常に高い。しかも、酸素を与え過ぎると未熟児網膜症に罹患して失明する危険がある。このような場合、診療を引受けた医師としては、先ず、第一に、生命の維持を図るよう努力する義務を負い、次いで、第二に、脳障害を防止するよう努力する義務を負い、更に、第三として、失明を防止するよう努力する義務を負う。第一の義務は第二及び第三の義務に優先し、第二の義務も第三の義務に優先する。(前示のように、昭和五〇年厚生省報告も、生命の安全が眼の治療に優先するのは当然である、と述べている。)。従って、未熟児を保育器から取出して高濃度の酸素の供給を停止するとその生命又は脳に危険を及ぼすかも知れない期間中は保育器から取出して眼底検査をするべきではなく、眼底検査は生命又は脳にとって危険を及ぼすことはないと判断される時期以後になされるべきである。それであるから、生命又は脳にとって危険を及ぼすことはないと正しく判断された時期が、眼底検査をする時期としては既に遅く、そのため、失明するに至ったとしても、このような場合には、検査を受けさせるべき作為義務は存在しないと解すべきであるから、医師としては診療義務の遂行上過失をおかした訳ではなく、従って、責任を負ういわれはない。この場合は、失明の結果について非難を受けるべきではなく、むしろ、生命の維持及び脳障害防止の結果について感謝を受けるべきであろう。

これに対して、生命又は脳にとって危険を及ぼすことはないと判断すべき時期が既に到来しているのに、誤って、未だ到来してはいないものと判断し、そのため、もし正しく判断されればもはや危険を及ぼすことはないとされた筈の時期に眼底検査を受けさせていれば、光凝固療法の手術によって失明を免かれる可能性があったのに、その時期に受けさせることをせず、それより後の誤った判断による危険を及ぼすことはないとされた時期に漸く眼底検査を受けさせ、そのため時既に遅く失明の結果を招いた場合は、検査を受けさせなかったという不作為の事実と失明の事実との間には因果関係が存在するというべきであり、又、検査を受けさせるべき作為義務が存在したと認めるべきであるから作為義務違反があったのであり、医師としては、診療業務遂行上過失をおかしたというべきである。従って、失明による損害に対しては、賠償責任を負うべきである。遺憾ながら、本件はこの場合にあたる。(もっとも、木村医師の治療の結果、前示のように、生存率一、二割であった原告春美は生命を取止めることができ、又、原告恵子の供述によれば、原告春美は知能はやや劣るように見られるものの脳性小児麻痺に罹患することは免かれたことを認めることができるから、木村医師としては、前示の第一の生命維持の努力義務と第二の脳障害防止の努力義務は十分に履行したものというべきである。)。

ところで、右の時期が到来したかどうかを正しく判断することは極めて難しく、誤って少しでも時期を早く判断すれば直ちに生命を失い又は脳障害を残す危険があるのであるから、医師としては慎重にならざるを得ない。従って、その判定すべき時期には相当程度の裁量の幅を認めるべきである。しかも、なお慎重に過ぎて本件のように時期を失するという過失をおかし易いことになる。しかし、本件において、医師がこのような過失をおかすのは医師側だけの事情によると解すべきではない。前示のように、患者が極小未熟児であって、生命又は脳が損なわれ易い状態にあるという患者側の事情が医師側の態度を必要以上に慎重なものにしたことは明らかであり、右事情の存在が医師側の前記の判断の誤りという過失に寄与しているものというべきである。つまり、このような場合は、失明の結果の直接の原因は医師の作為義務違反という過失による不作為であるが、医師の過失の原因は医師側と患者側の双方の事情によるものというべきであり、結局において、失明の結果は、患者が極小未熟児であったことと医師が眼底検査をなしうる時期についての判断を誤ったことの二つの原因の競合によって発生したものと言い得るのである(付言するに、全ての医療過誤は、先ず患者の病気があり、次いでこれに医師の治療上の過失が加わり、これらによって、生ずるわけであるから、この意味においては患者側の事情と医師側の事情の双方が医療過誤の原因であるということができるように見える。しかし、右に判示した特殊な事情の存する本件のような場合を除けば、たとえ、病気になったことが患者側の過失による場合であっても、患者側も医療過誤の責任を負うべきであると解するのは相当ではない。例えば、患者が未熟児ではなく、普通の成人であって、単に白内障等の目の疾病のみで治療を受けにきた場合、診察の結果、手術を要すると判断されたが、医師が何等かの手違いのため手術の時期を誤ったため手遅れとなり、そのため、失明するに至ったときは、その責任は医師側にのみあると解すべきである。何となれば、この場合は、医師は生命という絶対的価値を維持しようとして手術の適期の判断を誤ったという訳ではなく、白内障の症状だけから適期を判断し得たのにそれを誤ったというに過ぎないのであり、患者が白内障であったことが、手術の時期を遅らせるという医師の判断の誤りに寄与しているものとはいえないからである。)。

本件のような場合は、失明による損害は、結果に対するそれぞれの原因の寄与の度合いに応じて、両者が負担するものと解すべきである。このように解することは、損害賠償制度の基本に存し、実定法上も過失相殺等の規定に示されている公平の原則に合致するものであると考える。そして、被告の主張のうちには、右のように原告も責任を分担すべき旨の主張を含むものと解することができる。

しかして、前示のとおりの本件に表れた一切の事情を勘案すれば、本件において結果に対するそれぞれの原因の寄与の度合いは五割対五割と認めるのが相当である。」

(武藤 菅本 秋山)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!