東京高等裁判所 昭和62年(ネ)269号 判決 1988年3月23日
控訴人 千代田プラスチックス工業株式会社
右代表者代表取締役職務代行者 小島洋祐
控訴人補助参加人 矢部宏之
右訴訟代理人弁護士 井出聰
被控訴人 株式会社 栗原
右代表者代表取締役 栗原兼太郎
<ほか二名>
右三名訴訟代理人弁護士 河鰭誠貴
右訴訟復代理人弁護士 髙初輔
主文
本件各控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とし、補助参加により生じた費用は控訴人補助参加人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人補助参加人(共同訴訟的補助参加人)
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、第一、第二審とも、被控訴人らの負担とする。
との判決。
二 被控訴人ら
控訴棄却の判決。
第二当事者の主張
次のとおり付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
一 控訴人補助参加人の当審における主張
1 請求原因に対する認否
(一) 請求原因1(一)の(1)(2)及び(4)の事実は否認し、同(3)の事実は認める。
(二) 同1(二)の(1)の事実は否認し、同(2)の事実のうち被控訴人後藤暢夫が昭和六一年一月二八日当時控訴人会社の取締役であったことは認める。
(三) 同1(三)の事実のうち被控訴人松澤辰夫が右日時当時控訴人会社の取締役であったことは認める。
(四) 同2の事実は認める。
(五) 同3の事実は認める。
2 再抗弁に対する認否
再抗弁事実はすべて否認する。
3 本件決議の存在
(一) 控訴人会社の発行済株式総数四万株は、すべてセントラル工業株式会社(以下、「セントラル」という。)が引き受け、その払込みをしてこれを取得したものであり、従って、セントラルが控訴人会社の唯一の株主である。被控訴人ら主張の菅谷篤二、菅谷小百合及び被控訴人後藤暢夫らは、いずれも、セントラルが右株式を取得するに際し、同人らの名義を借用したにすぎないから、控訴人会社の株主となったことはない。
(二) 従って、控訴人会社の株主総会は、セントラル一名が出席して株主としての意思決定をすれば、適法に開催され、かつ、適法に決議が成立したことになるのであり、法定の招集通知等の手続を経ることは要しない。
(三) セントラルの代表取締役は菅谷篤二であるが、同人は、昭和六一年一月二八日、セントラルの代表取締役として本件総会に出席し、本件決議のとおりに意思決定をした。
二 一の3の主張に対する被控訴人らの認否
一の3の事実のうち、昭和六一年一月二八日当時菅谷篤二がセントラルの代表取締役であったことは認めるが、その余の事実は、すべて否認する。
第三証拠関係《省略》
理由
一 まず、被控訴人会社の原告適格について検討する。
1 《証拠省略》によれば、次の事実を認定することができる。
控訴人会社は、昭和六〇年一二月一六日当時、総数四万株の株式(一株の金額はいずれも金五〇〇円。)を発行していたところ、控訴人会社の株主名簿上に記載された株主構成は、セントラルが三万四〇〇〇株の、菅谷篤二(当時、セントラル及び控訴人会社の各代表取締役)が四〇〇〇株の、浦澤章が五〇〇株の、豊浦清蔵、渡邉寛、鈴木覚、菅谷小百合、浦澤哲子及び被控訴人後藤暢夫がそれぞれ二五〇株の各株主となっていた。しかし、セントラル以外の右各株主は、いずれもセントラルのために名義を貸しただけで、自らは出資の負担を全くしたことのない単なる名義上の株主にすぎなかった。従って、実質的には、資本金全額を出資したセントラルのみが、控訴人会社の唯一の株主であったというべきであり、セントラルの代表取締役であった菅谷篤二は、これらの全株式の管理処分権限を有していたというべきである。ところで、菅谷篤二は、昭和六〇年一二月一六日、被控訴人会社との間で、セントラルが控訴人会社の株式四万株を代金二〇〇万円で、菅谷篤二が同株式四〇〇〇株を代金二〇万円で、菅谷小百合が同株式二五〇株を代金一万二五〇〇円でそれぞれ被控訴人会社に譲渡する旨の契約を締結した。なお、セントラルが譲渡した控訴人会社の株式の株数は、前記株主名簿上記載の同会社の株式数を超えるものであるが、これは、前記のように、実質上の株主と名義上の株主との間にそごがあったことから生じたものと解すべきである。また、控訴人会社は、昭和五三年一二月一二日に設立され、その後同五五年中に二度増資されているが、右設立以来現在に至るまで、以上の株式についての株券を全く発行していない。
右のとおりの事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》
以上の事実によれば、被控訴人会社は、昭和六〇年一二月一六日に、控訴人会社の株式のうち少なくとも合計三万八二五〇株を、その前保有者より譲り受けたものということができる(以下、右株式の譲渡を、「本件株式譲渡」という。)。
2 ところで、控訴人会社は、前記のように、同会社の設立及び増資ののちも長期間にわたり株券を全く発行していなかったものであるから、控訴人会社の代表取締役でもある菅谷篤二がした本件株式譲渡についても、それが株券の発行前になされた株式の譲渡であるという理由だけで、控訴人会社がその効力の発生を否認することは信義則上許されないというべきである。従って、本件株式譲渡は、後記の控訴人会社の取締役会の承認さえあれば、有効なものというべきである。
3(一) そこで、本件株式譲渡についての控訴人会社の取締役会の承認の有無に関する双方の主張について検討する。
(1) まず、控訴人会社の定款の第八条に、同会社の株式の譲渡については取締役会の承認を要する旨の定めがあることは、当事者間に争いがないところ、被控訴人会社は、まず、本件株式譲渡については、昭和六〇年一二月二三日、控訴人会社の取締役会の承認を得た旨主張する。しかし、その主張に副う証人栗原偉行、被控訴人後藤暢夫本人(いずれも、原、当審)の各供述は、その裏付け証拠であるという《証拠省略》は、その原本に、浦澤章及び被控訴人後藤暢夫の各押印がなく、その記載内容も不完全であることと、《証拠省略》に照らすと、にわかに採用し難いものといわざるをえないし、そのほかに、右主張を認めるに足りる証拠はない。
(2) 次に、被控訴人会社は、セントラル、菅谷篤二及び菅谷小百合は、いずれも昭和六〇年一二月一六日、控訴人会社に対し、本件株式譲渡についての承認を請求した旨主張する。そして、被控訴人会社の右主張の趣旨は、本件株式譲渡の意思表示は、セントラル及び控訴人会社の各代表取締役であった菅谷篤二によってなされたものであるところ、同人は、右同日、本件株式譲渡に関する株式譲渡承認の請求書として《証拠省略》の各書面を作成して、これを控訴人会社に提出することを被控訴人会社に委ねたものであるから、これらの事実によって、被控訴人会社から控訴人会社に対し本件株式譲渡の承認の請求がなされたというものである。しかしながら、証人栗原偉行の証言(原、当審)のうち、右各書面が菅谷篤二自身によって作成されたものであるという部分は、これを否定する証人菅谷篤二の証言(原、当審)と被控訴人会社は、昭和六〇年一二月一一日以降しばらくの間セントラルの印章を預かっていたこと(この事実は、《証拠省略》により認めることができる。)並びに、菅谷篤二のものと窺われる印章の押印状況も必ずしも明らかでない(証人菅谷篤二の供述(当審)中には、右印章も預けていた旨の部分がある。)ことに照らすと、にわかに採用し難いものといわざるをえないし、そのほかに、右各書面が被控訴人会社の前記主張のとおりに作成されたものであることを認めるに足りる証拠はない。そうすると、被控訴人会社の右主張も、結局採用することができない。
(3) 更に、被控訴人会社は、セントラル、菅谷篤二及び菅谷小百合は、昭和六一年一月一〇日に控訴人会社に対して、本件株式譲渡の承認の請求をした旨主張する。そして、《証拠省略》によれば、被控訴人会社は、前記の各株式譲渡承認書を控訴人会社に郵送し、右書面は昭和六一年一月一〇日控訴人会社の草加工場宛に配達されたことを認めることができ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。しかしながら、右郵送の各株式譲渡承認請求書は前記のとおりこれが真正に成立したものと認めることはできないのであるから、これらが右のとおり被控訴人会社に配達されたとしても、それだけでは、被控訴人会社の主張するとおり菅谷篤二による本件株式譲渡の承認請求がなされたものと認めることはできないし、そのほかにその事実を認めるに足りる証拠はない。従って、被控訴人会社の右主張も、採用することができない。
(二) しかしながら、本件株式譲渡は、前記認定のとおり菅谷篤二がその譲渡の意思表示をしたものであるところ、同人は、控訴人会社の代表取締役であるとともに、実質的には控訴人会社の唯一の株主であったセントラルの代表取締役でもあった。しかも、《証拠省略》によれば、控訴人会社は、会社設立以来、その株主総会及び取締役会を一度も開催したことがなく、代表取締役の選任、新株の発行、計算書類の承認等を含む取締役会の決議事項の一切については、菅谷篤二がこれを一人で決定し、他の取締役は、これらの決定のすべてを菅谷篤二一人に全面的に委ねていたものであることを認めることができ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。そこで、これらの事実に照らして考察すれば、控訴人会社の菅谷篤二以外の取締役は、本件株式譲渡の承認の許否についてもこれを菅谷篤二一人の判断に委ねていたものと解するのが相当である。そして、前記のとおり菅谷篤二は、実質的には控訴人会社の唯一の株主であったセントラルの代表取締役でもあったことからすると、同人以外の取締役が菅谷篤二に対してした右のような委任は、控訴人会社の取締役会の決議事項のすべてをその上位機関である同会社の株主総会の決定に委ねたのと同様の実質を有するものであったということもできる(なお、《証拠省略》によれば、菅谷篤二は、本件株式譲渡後現在に至るまで、何ら正当な理由がないのに、その株式譲渡のなされたこと自体をも否認する態度をとるとともに、被控訴人会社からなされた前記各株式の名義書換請求についてもこれを拒否したこと、但し、控訴人会社の専務取締役であった被控訴人後藤暢夫は、昭和六〇年二月ころ、控訴人会社の株主名簿に、本件株式譲渡による前記株式の取得者として、被控訴人会社の会社名を記載したことを認めることができ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。)。
以上に認定、考察したところからすれば、控訴人会社は、その代表取締役であった菅谷篤二のした本件株式譲渡について、同会社の取締役会による承認決議がいまだなされていないことを理由として、被控訴人会社が控訴人会社から前記の株式を譲り受け、その結果、同会社の株主としての地位を取得したことを否認することは許されないものというべきである。そして、被控訴人会社の前記の3(一)の主張は、このような趣旨において採用するのが相当である。従って、被控訴人会社は、控訴人会社の株主として、本件決議の不存在確認を求める本件訴えの原告適格を有するものというべきである。
二 次に、被控訴人後藤暢夫及び同松澤辰夫の原告適格について検討するに、右被控訴人両名が、本件決議の成立日時であるとされる昭和六一年一月二八日当時控訴人会社の取締役であったことは、当事者間に争いがない。そうすると、その余の点を判断するまでもなく、右両名も本件決議の不存在確認を求める本件訴えの原告適格を有するものということができる。
三 そこで、更に、控訴人補助参加人の主張するとおり本件決議が存在するかについて検討するに、《証拠省略》によれば、菅谷篤二は、昭和六一年一月二八日ころ、東京都文京区大塚にあったセントラルの本店において、控訴人補助参加人の指導と鈴木覚(控訴人会社の監査役)の補助により、控訴人会社の臨時株主総会議事録と題する甲第一号証記載のとおりの書面を作成していること、しかし、菅谷篤二は、右書面記載のような株主総会を開催するについて、他の取締役に全く相談しなかったのはもとより、前記認定のとおり、右日時当時控訴人会社の発行済み株式総数四万株のうちの少なくとも三万八二五〇株を有効に取得していた被控訴人会社に対してもその総会の招集通知すらしていなかったこと、更に、右の総会議事録上、同総会において控訴人会社の取締役に選任され、かつ、右議事録に出席取締役として、記名押印したことになっている児玉孝夫及び岩本広康の両名は右の株主総会と称するものに全く関与していなかったことを認めることができ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。従って、右事実と商法の規定に照らして考察すれば、本件決議はもとより、右株主総会自体も全く存在しなかったものというべきであるから、控訴人補助参加人の前記主張は、これを採用することができない。
四 ところで、請求原因2及び3の事実は、当事者間に争いがない。
5 以上によれば、被控訴人らの本件請求は、いずれも理由があるというべきであるから、これを認容した原判決は、その結論において相当である。よって、本件控訴は、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用及び補助参加により生じた費用の各負担につき民訴法九五条、八九条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 奥村長生 裁判官 加藤英継 笹村將文)