東京高等裁判所 昭和62年(行ケ)100号 判決
一 請求の原因一ないし三の事実は当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第二号証(本願発明の出願公告公報)によれば、特許請求の範囲に記載された図3のA2域のCrは二七・五ないし三一・七、Moは二・五ないし五・七、B域のcrは三一・七ないし三五・〇、Moは二・三ないし四・八、C2域のCrは二七・五ないし三二・四、Moは一・八ないし三・八、D域のCrは三一・八ないし三三・七、Moは一・七ないし八・五(以上いずれも重量%)であることが認められる。
二 両発明の課題について
1 審決の理由の要点3(一)は当事者間に争いがなく、これによれば、本願発明も引用出願発明も耐食性フエライト系鉄―クロム―モリブデン合金であり、合金の性質に関する引用出願公報の「……溶接部の機械的性質特に曲げ特性は優れている。」との記載と本願発明の特許請求の範囲中の「良好な溶接後延性を有する」との記載の技術的意義が実質上異ならないものということができ、このことと当事者間に争いのない請求の原因四1(一)の事実を勘案すれば、両発明は、耐食性及び溶接後延性(溶接部の曲げ特性)の向上を共通の課題とする合金発明と認めることができる。
2 原告は、引用出願公報においてシヤルビー衝撃値と耐食性に関する記述内容に濃淡の差があるとして、引用出願発明の課題はシヤルビー衝撃値の高い合金を提供することにある旨主張する。
成立に争いのない甲第三号証(引用出願公報)、乙第一号証(特公昭四二―一八九〇九号公報)によれば、引用出願発明は、特公昭四二―一八九〇九号公報に硫酸又は有機酸などの非酸化性の酸に対し優れた耐食性を有するとして開示されている、C〇・二〇以下、Si〇・一ないし三・〇、Mn〇・一ないし二・〇、Cr二二・〇ないし三〇・〇、Ni〇・一ないし二・五、Mo一・〇ないし五・〇、N2〇・〇三ないし〇・四(いずれも重量%)残余Feからなる耐食性フエライト系鉄―クロム―モリブデン合金について、他の成分の組成比は同一としてCとN2との含有量との関連でN2を〇・〇一五%(一五〇ppm)以下(その結果Cも〇・〇一五%(一五〇ppm)以下となる。)と限定することにより、一層の機械的性質の改良向上をはかることができることを見出したとしてその特許請求の範囲記載の構成を採択したものであり、たしかに引用出願公報には、衝撃値、溶接部の曲げ試験等合金の機械的強度に関し力点がおかれている記載があるとはいえ、CとNとの含有量との関連においてではあるが試験結果を含む耐食性に関する記載があるほか(三欄三二ないし四欄二一行、第2図、第3図)、特に耐食性と関連があるCrNiMoについて耐食性の観点からその組成比を検討した記載もみられること(二欄二八ないし三六行、なお、Moに関する記載中同欄三〇行の「効果」の文言は耐食性を含むものと解される。)が認められるから、引用出願発明においても、シヤルビー衝撃値等の機械的強度だけではなく、耐食性もその課題とされているものと認めて差支えない。そうであれば原告の右主張は理由がない。
三 両発明の構成元素の量的割合について
1 審決の理由の要点3(二)及び(三)は当事者間に争いがなく、これによれば、両発明は構成元素の種類及び量的割合(組成割合)において異なるところがないものということができる。(このうち、CrとMOの組成割合が重複する部分(CrMO重複域)が別紙(三)斜線部分であることは当事者間に争いがない。)。
2 原告は、引用出願発明がCrMO重複域についての実施例を示していないことを理由に、両発明の実質的同一性を否定する。
しかし、明細書に記載された実施例は、特許請求の範囲に記載された発明が実際上どのように具体化されるかを示すものではあるが、当該特許請求の範囲に記載された発明の要件をみたすすべての事例についてまで実施例を示す必要はなく、当該発明の範囲が実施例として記載された事例にのみ限定すべきでないことは当然である。この点は、合金分野において、原告が主張するような事情を配慮しても変わるところはなく、特に前記のように、引用出願発明において、Cr及びMOを限定した理由が同公報に記載されており、これによれば、同発明に係るフエライト系鉄ークロムーモリブデン合金の耐食性の認められる範囲について技術的検討を経たことがうかがえるから、引用出願発明がCrMO重複域について実施例を欠くからといつて、そのことの故に右重複域に関する引用出願発明が単なる形骸にすぎないとか、本願発明と実質的同一性を欠くとすることはできない。
また、原告は、引用出願発明が合金の製造方法を示していない旨主張するが、前掲甲第三号証には、「本発明合金に於ては従来のものに比しC及びN2を特に下げ即ちCを〇・〇一五%以下通常C〇・〇〇六~〇・〇一二の如くし、又N2は〇・〇一五%以下通常N2〇・〇一以下の如く極めて少量とするのであり、それ故本発明合金の溶製に於ては原料を精選し溶解に於て真空溶解炉等により行いC及びN2の混入を防止し更にこれ等を除去し所望限度以下とすることが必要である。」との記載(四欄二八ないし三六行)があることが認められ、右記載により引用出願発明はその合金の製造方法を示しているものということができるから、原告の右主張は採用できない。
四 Niの不動態化剤性について
前記のとおり、審決の理由の要点3(二)は当事者間に争いがなく、これによれば、本願発明において合金中の不動態化剤として(不動態とは金属が腐食がおこらなくなつた状態を指すものであることについては当事者間に争いがない。)特許請求の範囲に記載されている「コバルト、ニツケル、ルテニウム、白金、金、イリジウム、ロジウム オスミウム」の選択成分のうちNi(ニツケル)を選択し、不可避の不純物としてMn、Siを加えれば、その組成はCr、Mo、C、N2 Fe、Mn、Siとなり、引用出願発明の合金組成とは一致し、また、当事者間に争いのない審決の理由の要点3(三)に摘示されているように、両発明の構成成分の量的割合も一致している。しかして、前掲甲第二号証によれば、本願発明においてNiが不動態化剤としての役割を果たしていることが認められるから、右のように両発明間において、構成成分の種類及びその組成割合において実質上異なるものでないことが認められ、かつ前掲甲第三号証にNiの不動態化剤としての役割を否定する記載も、また、本願発明とは特段に異なつた不動態化に関する方法を採択した記載も見出し得ない以上、引用出願発明においても、Niは本願発明同様不動態化剤としての役割を果たしているものと認めるのが相当である。
したがつて、引用出願発明に明示的な記載がないことを理由に、同発明におけるNiの不動態化剤としての役割を否定する原告の主張は理由がない。
五 両発明の耐食性について
成立に争いのない甲第五号証(ジヨージ・アゲンの宣誓供述書)において、本願発明の合金とのストレイチヤー試験のための対比試料として選択されている三種の合金におけるCrMoの組成比はそれぞれ二五・五八%三・二〇%、二五・六〇%三・二〇%、二五・六四%三・一九%でいずれも本願発明との前記CrMo重複域外にあるから、かかる組成の合金と右重複域内にある本願発明の合金とについてストレイチヤー試験を実施し、その結果の優劣を対比することは、右対比試料の組成が前記重複域の組成に近いとしても、引用出願発明も右重複域の組成を含むものである以上、技術的に意味がないというほかない。原告が対比試料選択に関し主張するところはいずれも理由がなく採用できない。そうであれば、前掲甲第五号証は耐食性に関し本願発明の効果の顕著性を裏付けるものではない。
六 以上のとおり、本願発明と引用出願発明(この出願が昭和四七年四月一〇日に拒絶されたことは当事者間に争いがない。)との同一性を否定する取消事由はすべて理由がなく、その他審決を取消すべき事由も認められないので、審決の違法を理由にその取消しを求める本訴請求を失当として棄却する。
〔編注〕本願発明の要旨は左のとおりである。
添付図面の図3のA2、B、C2及びD域以内の重量%のクロム及びモリブデン、一〇〇ppmを上限とする炭素、二〇〇ppmを上限とする窒素、及び二五〇ppmを上限とする炭素と窒素との合計量、ならびに不動態化剤として四・〇%以下のコバルト、三・〇%以下のニツケル、一・五%以下のルテニウム、〇・三%以下の白金、〇・二%以下の金、〇・一%以下のイリジウム、〇・一%以下のロジウムおよび〇・一%以下のオスミウムより成る群から選ばれる少なくとも一つもしくはそれ以上、ならびに残部の鉄及び場合により不可避の不純物を含有し、そして、ストレイチヤーH2SO4不動態試験に合格する、良好な溶接後延性を有する耐食性のフエライト系鉄―クロム―モリブデン合金