東京高等裁判所 昭和62年(行ケ)227号 判決 1988年11月08日
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)及び二(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の審決取消事由の存否について判断する。
1 本願意匠が、意匠に係る物品を「ハム」とし、その形態が別紙第一のとおりであることは当事者間に争いがなく、その構成は、全体の形状が、平面を、大小二つの丸みを円弧状の曲線で結んで、柔らかい丸みのある変形勾玉状にした、やや厚い板状のものであることを基本的な構成とし、平面の細部の形状においては、右側端を大円弧状、左側端を右側端よりも小さい円弧状曲線とし、その間の一方の長辺をより大きな円弧状曲線でつなぎ、他方の長辺は右側端の大円弧状部から内側へ強く絞られる円弧状曲線でつなぎ、続いてマイナスアール状に曲線をもつて小幅部を形成してから左側端の小さい円弧部に至り、大きさの異なる左右二つの丸みを一本状の線で結んで全体の輪郭を形成し、その表面は平坦、平滑状をなしているものであると認められる。
他方、成立に争いのない甲第四号証によれば、引用例には、別紙第二の左下隅のとおりの形態のもの(引用意匠)が記載されていることが認められ、これによれば引用意匠の構成は、全体の形状が、平面を、大きな楕円形の丸みと小さい直角方形状のものを曲線で結んで変形勾玉状にした、厚みのある板状のものであることを基本的な構成とし、平面の細部の形状においては、右側端を大円弧状、左側端を直角方形状の小さい凸状部とし、その間の一方の長辺をより大きな円弧状曲線でつなぎ、他方の長辺は、右側端の大円弧状部から内側へ強く絞られる円弧状曲線でつなぎ、続いてマイナスアール状に曲線をもつて小幅部を形成してから左側端の小さい方形状の凸状部に至り、全体の輪郭は波状の変化の多い線で形成され、その表面は変化の多い波状を呈しているものであると認められる。
ところで、原告は、立体的なものの意匠は、正面図、背面図等の六面図をもつて特定されなければならないのに、引用例は平面図代用写真にすぎないから、引用例に示された引用意匠は類否判断の対象とすることができない旨主張する。
しかしながら、意匠登録出願に係る意匠が、その出願前に日本国内又は外国において頒布された刊行物に記載された意匠に類似する意匠であるか否かを判断するに当たつては、その刊行物に記載されたものが意匠法第二条に規定する意匠、すなわち、「物品の形状、模様若しくは色彩又はこれらの結合であつて、視覚を通じて美感を起こさせるもの」であれば、右類否判断の対象とすることが出来るのであつて、意匠法施行規則第二条、様式第五又は同規則第三条、様式第六に基ずき作成されたものであることを要しないというべきところ、前掲甲第四号証によれば、引用意匠が右にいう意匠に該当することは明らかであるから、原告の右主張は当たらない。
この点について、原告は、さらに、引用例はごく小さな写真一枚にすぎない上、二個の物品を重ねて少しずらせた状態を撮影したものであるから、そこに示されている物品の正確な形態を確認することが出来ず、引用例に示されたものを引用意匠として類否判断の対象とすることはできない旨主張する。
しかしながら、前掲甲第四号証によれば、引用例には、引用意匠に係る物品の説明として、「ひき肉をコートレツト形にまとめてミンチカツレツに」と記載されているから、引用意匠に係る物品はミンチカツレツであると認められる。そして、ミンチカツレツにはある程度の厚みがあることは社会通念上当然であることから考えると、引用意匠を、二個のミンチカツレツを重ねて少しずらせた状態を撮影したものと見る必然性はなく、一個のミンチカツレツを斜め上から撮影したものであつて、左下隅のやや白い部分は、ミンチカツレツの厚みが表れているものと見るのが自然である。したがつて、原告の右主張も採用できない。
2 そこで、本願意匠と引用意匠を対比すると、まず、その基本的構成態様において、両意匠は、平面が変形勾玉状で、厚みのある板状のものであることにおいて共通するとはいえ、その変形勾玉状は、本願意匠においては、大小二つの丸みを円弧状の曲線で結んだもので、すべて曲線で構成されており、全体が丸みを帯びた柔らかな印象を与えるのに対し、引用意匠においては、大きな楕円形の丸みと小さい直角方形状のものを曲線で結んだ形状のもので、全体が不安定なゴツゴツした印象を与えるものであるから、これを、単に「全体が、基本の形状を平面が変形勾玉状のやや厚い板状のものとした点において酷似し」とした審決の認定判断は、両意匠の基本的構成態様における重要な差異を看過したものというべきである。
次に、審決は、両意匠の具体的構成を対比して、「もう一方の長辺は右側端の大円弧状部から内側へ強く絞られる円弧状曲線でつなぎ、左側端の直前でマイナスアール状の最小幅部となり、(中略)極めて強い共通点が認められる。」と認定判断しているが、本願意匠と引用意匠を対比すれば、「もう一方の長辺」が、マイナスアール状を形成するところは、両意匠ともに最小幅部となつているのではなく、また、左側端の直前でもないことが明らかであり、しかも、その箇所は本願意匠が中央のやや左よりであるのに対し、引用意匠においては左側端に近い、全長辺の四分の一程度の箇所にあり、そこから側端まではほぼ直線状の形状となつているのであるから、この認定判断は誤りといわなければならない。
さらに、審決は、本願意匠と引用意匠の差異点「左側端の凸状の部位において、(中略)引用意匠が直角状を呈しているとされる部分を有する点の差異については、意匠全体からみれば、小さな部分的差異であり、(中略)軽微な差異というほかない。」と判断しているが、「左側端の凸状の部位」は、本願意匠においては、全体の面積のおよそ三分の一を占める部分であり、引用意匠においても全体の面積のおよそ五分の一程度を占める部分であり、しかも、円弧形と方形という顕著な差異が見られる部分であるから、これを、「小さな部分的差異であり」「軽微な差異というほかない」とする審決の判断は、明らかに誤りであるといわなければならない。
3 以上見てきたところによると、審決には、本願意匠と引用意匠の基本的構成態様の認定判断、両意匠の具体的構成態様における差異点の判断に誤りがあり、これらの誤りはいずれも、極めて単純な構成から成る両意匠においては直ちに看者の注意を引く特徴となるべき点に係わるもので、本願意匠と引用意匠が類似するとし、本件出願を拒絶すべきものとした審決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、審決は違法として取り消しを免れない。
三 よつて、審決の違法を理由にその取り消しを求める原告の本訴請求は正当としてこれを認容する。
〔編註その一〕 本件における主文および当事者の主張は左のとおりである。
主文
特許庁が昭和五七年審判第一〇九九三号事件について昭和六二年一〇月二二日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一 当事者が求めた裁判
一 原告
主文と同旨の判決
二 被告
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決
第二 請求の原因
一 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和五五年七月七日、意匠に係る物品を「ハム」とする別紙第一記載のとおりの意匠(以下「本願意匠」という。)について、意匠登録第五三八五一九号意匠を本意匠とする類似意匠登録出願(昭和五五年意匠登録願第二六八一六号)をしたところ、昭和五七年二月二五日拒絶査定を受けたので、同年六月五日「大岳一郎」の通称で、審判を請求し、昭和五七年審判第一〇九九三号事件として審理された結果、昭和六二年一〇月二二日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がなされ、その謄本は同年一一月七日原告に送達された。
二 審決の理由の要点
本願意匠は、意匠に係る物品が「ハム」であり、意匠に係る形態が図面によつて表されたもので、その意匠の内容は、別紙第一に示すとおりである。
これに対して、原審が類似するとして引用した意匠は、出願前刊行された書籍「主婦の友実用百科事典第一巻・料理と栄養」(株式会社主婦の友社昭和四二年七月五日発行)第一九一頁左上の「コートレツト」の欄(以下「引用例」という。)の写真中、左下すみの意匠(以下「引用意匠」という。)であつて、同記載の全体から、その意匠の内容は別紙第二に示すとおりである。
そこで本願意匠と引用意匠について比較検討すると、両意匠の形態に係る具体的な態様について、全体が、基本の形状を平面が変形勾玉状のやや厚い板状のものとした点において酷似し、さらに細部においても、その詳細な形状を右側端を大円弧状、左側端を右側端よりも小さな凸状とし、その間の一方の長辺をより大きな円弧状曲線でつなぎ、もう一方の長辺は右側端の大円弧状部から内側へ強くしぼられる円弧状曲線でつなぎ、左側端の直前でマイナスアール状の最小幅部となり、左側の凸状部へつながらせた態様のものである点などに極めて強い共通点が認められる。
ところが、両意匠間には、主として、本願意匠が、表面が平坦、平滑状で輪郭形を一本状の線によつて左右異なる丸み状を表したものであるのに対して、引用意匠は、しばしばぶつぶつした波状の変化の多い輪郭形を構成し、一方の端は直角状、対象する一方の端は変丸み状を表している点に差異が認められる。
しかしながら、表面が平坦、平滑状であるか否かの差異については、本願意匠に係る物品が厚切り様の「ハム」である以上、刃物で切截されたものであることが一般的であるから、表面が平坦、平滑状であることそれ自体は、本願意匠のみの特徴ということはできないのであり、また、引用意匠は、しばしばぶつぶつした波状の変化の多いものであるが、食品の分野、とりわけ肉の料理としては、極めて一般的な態様のものであつて何らの特徴も認められない点を勘案し、加えてこの種の意匠の創作の主眼点が、材料や調理方法に存するのではなく、主として形態にあるものとされていることを合わせ考えると、右の差異は、前記の極めて強い共通点が認められるとした点を凌駕するものとは認め難く、一般的で軽微な差異というほかはない。
そして左側端の凸状の部位において、本願意匠が別紙第一に示されるとおりのものであるのに対して、引用意匠が直角状を呈しているとされる部分を有する点の差異については、意匠全体からみれば小さな部分的差異であり、いまだ前記の基本の形状及び細部における詳細な形状によつて示される意匠全体の形態に係る具体的な態様についての共通点を凌駕するまでには至つていない、軽微な差異というほかはない。
してみると、前記の差異があいまつた効果を考慮しても、前記の具体的な態様は、看者の注意を強く惹くところであつて、両意匠の形態に関する主要部を構成するものであり、かつ全体の基調をなす特徴といわざるを得ないのであるから、たとえその構成態様にさほどの特徴が認められないとしても、類否判断を左右する支配的要素と認めざるを得ない。
したがつて両意匠の形態は、酷似するとした基本の形状、及び極めて強い共通点が認められるとしたその具体的の態様によつて表象される「まとまり」が共通し、これから生ずる美観をも共通することになるから、両意匠は類似する意匠であるといわざるをえない。
以上のとおりであつて、本願意匠は引用意匠に類似するものであるから、意匠法第三条第一項第三号に規定する意匠に該当し、意匠登録を受けることができない。
三 審決の取消事由
審決には、意匠の類否判断の対象には適さない引用意匠をもつて本願意匠との類否判断をした誤りがあり、さらに審決認定の共通点、差異点についての認定、判断をも誤つたものであつて、違法であるから、取り消されるべきである。
1 引用意匠の適性について
立体的なものの意匠は、正面図、背面図、左側面図、右側面図等の六面図によつて特定されなければならない。
ところが、本件の引用例は、縦横とも一センチ五ミリメートル内外の、平面図代用の小さな写真一枚にすぎない。しかも、右写真に撮影されているものには、部分的に二重の輪郭線が認められ、その二重の輪郭線の間には白い部分が認められるから、右写真は、二個の相似形の物品を重ねて少しずらした状態を、上方から撮影したものである。このような引用例からは、そこに示されている物品について、厚みを含め、各面の詳細な形態を確認することができない。
したがつて、審決には、意匠類否の判断の対象に適さない引用意匠をもつて本願意匠との類否判断をした違法がある。
2 本願意匠と引用意匠との間の共通点、差異点の認定、判断について
本願意匠と引用意匠との間には、平面の形状において目立つた差異がある。
すなわち、本願意匠は、その左側端の小さな凸状部において、外周線が丸み状を呈しているのに対し、引用意匠の左側端の凸状部の外周は、幾つかの辺で構成され、直角台形状を呈している。そのため、右の点を含む物品全体の形状を比較すると、本願意匠が、大きさの異なる左右二つの丸みを一本の線で結んだ形状で、全体として柔らかい印象を与えるのに対し、引用意匠は、直角台形状の右側に大きい円弧状を付けたような形状であり、しかも、左側端の直角台形状の特徴が際立つているので、全体としてもゴツゴツした奇怪な印象を与えるものであつて、両意匠が起こさせる美感は、明らかに異なるものである。
したがつて、両意匠の形態が類似するとした審決の判断は誤りである。
第三 請求の原因に対する認否と被告の主張
一 請求の原因一、二の事実は認める。
二 同三は争う。審決の認定、判断は正当であり、審決に原告主張の違法はない。
1 引用意匠の適性について
本件の引用例が小さな写真一枚であることは認めるが、意匠法において必要とされている正投象図により作成する六面図は、出願された意匠が登録を受けたとき、その意匠の形態を特定するために採用されている図法である。ところで、一般的に、意匠の類否判断に当たつては、「意匠」を表したものが斜視図であつても、六面図であつても、その意匠について認識することができ、意匠についての創作の主眼点が把握できる程度の表現であれば差し支えないものと考えられるのであつて、審決も、この観点から、引用意匠の要旨を認定して本願意匠との類否判断をしているのであるから、何ら違法はない。
なお、原告は、引用例は二個の相似形の物品を重ねて少しずらした状態を上方から撮影したものであるから、物品の詳細な形態を確認することができないと主張する。しかし、引用例の該当頁の記載によれば、引用意匠に係る物品は、ひき肉をまとめてコートレツト状のミンチカツレツにしたものであるから、引用例は二個のミンチカツレツが重なつて撮影されているのではなく、一個のミンチカツレツをやや斜め上から撮影したものとみるのが相当であり、原告が二個の物品の重なり状態を示すと主張する左下隅には、ミンチカツレツの厚みが表れているものと理解するのが自然である。
したがつて、この点を踏まえてなされた審決の認定、判断に違法はない。
2 本願意匠と引用意匠との間の共通点、差異点の認定、判断について
原告は、本願意匠と引用意匠とが起こさせる美感の顕著な差異を主張するが、原告主張の点が多少認められるものであつても、本願意匠も引用意匠も、個々の部分について余り特徴の認められない、極めて一般的な態様のものである。そして、この種の一般的な態様の意匠の創作の主眼点を勘案すると、原告主張の点は軽微な差異であり、意匠全体からみれば小さな部分的な差異であつて、意匠全体の形態に係る具体的な態様についての共通点を凌駕するまでには至らないというほかないから、本願意匠は引用意匠に類似するものであり意匠法第三条第一項第三号に規定する意匠に該当するとした審決の判断に誤りはない。
〔編註その二〕 本件に関する意匠は左のとおりである。
別紙第一
<省略>
別紙第二
<省略>