東京高等裁判所 昭和62年(行ケ)250号 判決 1991年4月25日
ドイツ連邦共和国
ザンクト アウグスチン一
原告
ゲゼルシヤフト ヒユア マテマチーク ウント ダーテンフエルアルバイツング
ミツト ベシユレンクテル ハフツング
右代表者
デイートマール ベツター
同
ゲルト プラーガー
右訴訟代理人弁理士
富村潔
東京都千代田区霞が関三丁目四番三号
被告
特許庁長官 植松敏
右指定代理人
田中康博
同
森繁明
同
今井健
同
宮崎勝義
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告のための附加期間を九〇日と定める。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告
「特許庁が昭和五七年審判第一一五八七号事件について昭和六二年八月二一日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
二 被告
主文一、二項同旨の判決
第二 請求の原因
一 特許庁における手続の経緯
出願人 原告
出願日 昭和五一年二月一六日(同年特許願第一五七三四号、一九七五年(昭和五〇年)二月一五日及び同年六月一〇日付ドイツ連邦共和国特許出願に基づく優先権を主張)
本願発明の名称 「電子計算機」
拒絶査定 昭和五七年一月二七日
審判請求 昭和五七年六月八日(同年審判第一一五八七号事件)
審判請求不成立審決 昭和六二年八月二一日
二 特許請求の範囲第一項の記載
制御装置、演算装置および入出力ユニツト並に所要の場合には、キヤラクタ列の伝送、処理及び記憶のために相互に給合された記憶器を備え、演算装置は多数の長いスタツクレジスタからなり、その中にキヤラクタ列からなる論理表現が記憶可能で、かつスタツクレジスタに沿つてシフト可能であり、スタツクレジスタには縮約プロセツサが所属され、それによりスタツクレジスタ中に記憶された論理表現のラムダ縮約語への縮約可能性が確認可能であり、所要の場合には縮約を遂行可能であることを特徴とする電子計算機(別紙図面参照)。
三 審決の理由の要点
1 本願発明の明細書の特許請求の範囲第一項の記載は前記二のとおりである。
2 原査定の拒絶理由の趣旨は、「この出願は、明細書及び図面の記載が次の点で不備と認められるから、特許法三六条四項、五項(昭和五〇年法律第四六号、以下同じ。)に規定する要件を満たしていない。すなわち、本願発明の明細書の記載は難解であり、本願発明の動作を理解することは困難である。第2図の装置において、入力データ及び命令がどのように与えられ、どのような処理がなされ、どのように出力されるのか具体的な数値、命令を用いて説明されたい。」というものである。
3 これに対し、出願人(原告)は、意見書において、「本願発明は従来のノイマン型の電算機と異なる全く新しい形式の情報処理に関するものである。本願発明の機械語はインストラクシヨン及びステートメントを有する手続的な言語ではなく、いわゆるリダクシヨン言語(Reduotion language)である。リダクシヨン言語はエクスブレツシヨン(expression)を決められた規則、いわゆるリダクシヨン規則により他のエクスブレツシヨンに変換する点に特徴がある。」と述べているのみで、具体的な数値、命令に基づいた説明はなされていない。
4 審決の判断
(一) 本願発明は、本願発明の発明者であるベルクリング氏が作成したラムダ縮約言語を応用して、ラムダ縮約言語で表現された論理表現を、ラムダ縮約言語に基づく縮約規則に基づいて縮約を実行する電子計算機であると認められる。
(二) しかしながら、このラムダ縮約言語は、明細書、図面を通して、記号を用いて抽象的かつ概略的にしか記載されておらず、その具体的な意味を把握することは困難であり、どのようなことを表現し、それによりどのような結果をもたらすものであるか不明であるといわざるを得ず、このラムダ縮約言語を応用した論理表現も、同様に具体的な意味を把握することは困難である。また、縮約を実行する規則についても、ラムダ算法のベータ換算法則に対応し、fはvの任意の発生に対しe中で置換されるとは記載されているが、具体的にどのような規則により縮約が実行されるのかが記載されておらず、不明である。更に、論理表現の縮約をスタツクレジスタ、縮約プロセツサを使用してどのように行うかの動作説明も、甚だ概念的、概略的にしか記載されておらず、縮約の動作がどのように達成されていくかが具体的に明瞭に記載されているものとは認められず、不明である。
(三) そうであれば、本願発明の明細書と図面は、依然として本願発明を当業者が容易に実施できる程度に記載したものとは認められない。したがつて、本願出願は、前記拒絶理由により拒絶されるべきものである。
四 審決を取り消すべき事由
審決の理由の要点1ないし3は認める。4のうち、(一)は認めるが、(二)、(三)は争う。本願発明に係る明細書の記載に審決指摘の如き不備の点はない(以下、単に「本願発明」というときに特許請求の範囲第一項記載の発明を指す。)。
1 本願発明のラムダ縮約言語(以下、単に「ラムダ縮約言語」というときは、本願発明にいうラムダ縮約言語を指す。)は、本願発明に係る明細書に抽象的かつ概略的にしか記載されていないため、通常のノイマン型電子計算機の技術分野の技術者にはその具体的な意味の把握が困難なものであり、また、右ラムダ縮約言語が本願発明の電子計算機の動作原理の基礎となつているものであることも被告の主張するとおりである。しかしながら、明細書が引用するIBM研究報告RJ一二四五・一九七三年(一三頁一五行ないし一六行)中に、「"closed applicative languages"のもう一つのセットはλ縮約(リダクション)言語のセットである。」(甲第五号証訳文三頁一行ないし二行)と記載されるとともに右λ縮約言語についての詳細な説明がなされていることから明らかなように、いわゆるラムダ縮約言語自体は本願出願の優先権主張日前既に公知となつていたもので(以下、原告が公知であつたとする「ラムダ縮約言語」を「λ縮約言語」と表記する。)、本願発明にいうラムダ縮約言語は、右公知のλ縮約言語を基礎としてこれを発展的に拡張、変更したものにすぎない。そして、本願発明のラムダ縮約言語が右公知のλ縮約言語に対して新規な点は、新たに、三つのap(適用)コンストラクタ(←、・、△)とラムダBarコンストラクタの概念を導入した点に止まり(明細書一八頁九行ないし二〇頁七行)、前記公知のλ縮約言語を知悉する当業者であれば、敢えて明細書中にその詳細な説明が記載されていなくとも、これを容易に理解し得るものである。なお、本願発明は、元来、新しい動作原理に基づく電子計算機の新規のハードウエア構成を提供することを主眼とし、そのラムダ縮約言語に係る部分は前記公知のλ縮約言語の部分的拡張、変更を付加的に提案したものにすぎないものであつて、そのことは、本願発明に係る明細書が、「この発明による計算機は、前記のラムダ算法から出発して以下においてラムダ縮約言語と呼ぶ特別な新規な縮約言語の応用に基くのである。」(一七頁二行ないし四行)と記載する一方で、該「ラムダ縮約言語」について抽象的かつ概略的な記載しかなさず、その概略説明に続いて「上記のざつと定義した新規のラムダ縮約言語は、論理機能アンドおよびオア、条件、作表並びに値呼出しおよび名前呼出しの書式化を可能にする。ここでその詳細を述べる必要は無いが論理表現の処理を簡単に述べる。」(二〇頁一三行ないし一八行)と記載していることからも窺われるところである。
2 しかるに、審決は、いわゆるλ縮約言語が公知であることを看過し、本願発明のラムダ縮約言語が恰も全く新規なプログラミング言語であるかの如く誤認した結果、右ラムダ縮約言語の具体的内容が不明であるとして、ハードウエア構成が特許請求の範囲第一項に明瞭に記載されており、動作原理も明細書の記載から当業者に明らかであるにもかかわちず、本願発明に係る明細書には当業者が容易に実施し得る程度に発明の開示がない旨の誤つた結論を導いたものであるから、違法として取り消されるべきである。
3 被告は、いわゆるλ縮約言語が本願出願の優先権主張日前に公知となつていたとしても、一般の当業者が右λ縮約言語についての知識を有していたとはいえない旨主張する。しかしながら、本願発明は、今日広く普及しているノイマン型電子計算機とは動作原理を全く異にする新規な電子計算機に係るところ、本願出願の優先権主張日前には既にいくつかのかかる電子計算機の構成が提案されていたのであり、これらのノイマン型でない(以下「非ノイマン型」という。)電子計算機の技術分野における当業者は、ノイマン型電子計算機の動作原理のみならず、他の新しい動作原理に基づく電子計算機の動作原理やその基礎をなす計算理論に通暁している筈である(そうでなければ新規な動作原理を有する電子計算機の開発など到底できない)。したがつて、これら非ノイマン型電子計算機の技術分野における当業者であれば、前記IBM研究報告RJ一二四五・一九七三年の記載内容も難解とはいえ理解できないものではなく、そこに記載されたλ縮約言語に関する知識も当然有していたものと考えられるのである。他方、通常のノイマン型電子計算機の技術分野における当業者、すなわち、そのハードウエアの開発・設計技術者、オペーレーテイングシステムの設計技術者、システムエンジニア等の技術者は、右非ノイマン型電子計算機の技術分野における当業者とはいえないから両者は駿別されるべきものであり、前者の技術者が前記λ縮約言語に関する知識を有しなかつたとしても、本願発明の属する技術分野における当業者にその知識がないことにはならないから、この点に関する被告の主張は失当である。なお、被告は、本願発明に係る明細書が引用形式で文献名を拳げている点を非難しているところ、明細書がラムダ縮約言語との関係で文献名を引用しているのは、前記IBM研究報告のほか、ラムダ計算に関する数学研究年報Na六(プリンストン大学出版社一九四一年)(明細書一三頁四行ないし五行)及び縮約言語に関するIBM研究報告RJ一〇一〇・一九七二年(同頁一三行ないし一五行)がある。しかし、非ノイマン型電子計算機の技術分野における当業者にとつては、これらの文献の記載事項はいわば教科書的な知識に属するものにすぎないから、明細書において逐一説明する要はなく、必要に応じて文献名を挙げれば足りるものである。仮にこれらの文献の記載事項を明細書中で詳細に説明しなければならないとすれば、この種の新しい動作原理に基づく電子計算機に関する明細書は、発明とは直接関係のない基礎的知識の説明に膨大な紙面を費やさなければならないことになり、その不当は明らかである。
第三 請求の原因に対する認否及び被告の主張
一 請求の原因一ないし三は認め、四は争う。
二 被告の主張
1 原告がその公知と称するλ縮約言語に関して記載がある旨主張するIBM研究報告RJ一二四五・一九七三年(甲第五号証)の記載内容は、抽象的な言語理論に関するもので、しかも、極めて特殊な分野の專門家でなければ理解できない難解なものであるから(なお、該文献は、その最終頁に限定配布の注意書きがあることからも明らかなように、私企業の研究機関内部の特殊な限定配布資料である。)、仮に、右文献によつてλ縮約言語が本願出願の優先権主張日前公知となつていたものと認められるとしても、それは極めて特殊な専門家の範囲に限られ、本願出願当時の電子計算機の技術分野における通常の知識を有する者が、通常の電子計算機の分野についての技術水準とほぼ同等の技術水準で、右λ縮約言語に関する知識を有していたものとは到底考えられない。そして、本願発明に係る明細書中には右IBM研究報告の文献名が引用されているのみであるから、かかる明細書の記載によつては、原告が公知と称するλ縮約言語の内容すら当業者が理解できないことは明らかである。まして、ベルクリン氏(本願発明の発明者)の作成に係る本願発明の発明者)の作成に係る本願発明のラムダ縮約言語は、右原告が公知と称するλ縮約言語を更に発展的に拡張、変更したものであるというのであり、原告指摘の新規部分(明細書一八頁九行ないし二〇頁七行)の内容も明細書の記載からは理解できるところではないから、本願発明に係る明細書の記載によつて、当業者が本願発明のラムダ縮約言語の異体的内容を理解し得るとは到底いえない。
2 しかして、本願発明の電子計算機が本願発明のラムダ縮約言語をその動作原理の基礎とするものであることは被告も認めるところ、電子計算機の動作原理の基礎となるラムダ縮約言語は本願発明の根本に関わるものであるから、単に文献名を列挙するのみでなく、当然、当業者が容易に理解し得る程度の説明がなされていて然るべきであり、そのような充分な説明がない結果、本願発明のラムダ縮約言語の具体的内容が不明なものとなつている以上、右ラムダ縮約言語に基づく論理表現及び縮約規則、並びにこれと関連するハードウエアとしての動作の構造も、本願発明を容易に実施し得る程度には当業者において理解し得ないのは当然であり、したがつて、本願発明の明細書及び図面は当業者が本願発明を容易に実施できる程度に記載したものとは認められないとした審決の判断に何ら誤りはない。
3 なお、原告は、本願発明に係る当業者の範囲につき、本願出願の優先権主張日前に既に非ノイマン型電子計算機の構成が提案されていたことを根拠に、恰も確立した非ノイマン型電子計算機の技術分野が既に存在していたかの如き主張をしている。しかしながら、非ノイマン型電子計算機には、本願発明の如き動作原理に基づくもののみでなく、その他の様々な動作原理に基づく電子計算機がすべて含まれ、それら様々な電子計算機をそれぞれの特殊な専門家が研究、開発していたのであるから、現実には、原告主張の非ノイマン型電子計算機の技術分野なるものが、通常のノイマン型電子計算機の技術分野程明確に技術分野として確立されていたものではなく、両者を綾別することはできなかつたというのが実情である。
第四 証拠関係
本件記録中の書証目録の記載を引用する。
理由
一 請求の原因一ないし三は当事者間に争いがない。
二1 右当事者間に争いのない事実並びに成立に争いのない甲第二号証の一ないし三(特許願書並びに添附の明細書及び図面)、第三号証(昭和五五年二月八日付手続補正書)及び第四号証(昭和五六年六月九日付手続補正書)(以下「本願明細書」というときは、右各書証によつて認められる本願発明に係る明細書及び図面を指す。)によれば、本願発明は、ラムダ縮約言語をプログラミング言語として用い、従来広く用いられていたノイマン型電子計算機とは全く異なる動作原理で駆動する特許請求の範囲第一項記載のとおりの構成からなる電子計算機に係ること、その特徴は、基本的には、制御装置、演算装置、記憶装置、入出力ユニツトからなる従来型電子計算機と同様のハードウエア構成を有する電子計算機において、演算装置を多数のスタツクレジスタで構成したうえ、右スタツクレジスタ中にラムダ縮約言語で記述された論理表現を記憶させ、右論理表現について、縮約プロセツサによりその縮約可能性の確認と縮約の遂行を行なう点にあること、右のような構成の採択により、本願発明は、ノイマン型電子計算機における、プログラムの見通しが悪い等の欠点を解決することを意図したものであることが認められる。
2 しかして、前記当事者間に争いのない特許請求の範囲第一項には「・・・スタツクレジスタ中に記憶された論理表現のラムダ縮約語への縮約可能性が確認可能であり、所要の場合には縮約を遂行可能であることを特徴とする電子計算機」との記載があるところ、右記載中の「ラムダ縮約語」が本願明細書の発明の詳細な説明に記載されたラムダ縮約言語(以下、「本願発明のラムダ縮約言語」というときは、この意味のものを指す。)に基づくものであることは明らかであり、また、右発明の詳細な説明には、「この発明による計算機は、前記のラムダ算法から出発して以下においてラムダ縮約言語と呼ぶ特別な新規な縮約言語の応用に基づくのである。」(一七頁二行ないし四行)、「この発明の計算機の基礎となる・・・新規のラムダ縮約言語は・・・」(二〇頁一三行ないし一四行)、「・・・ラムダ縮約言語と呼ばれる新規のプログラミング言語が提案され、之がこの発明の計算機の基礎となつている。」(四二頁一五行ないし一八行)との記載があること及び本願発明のラムダ縮約言語が本願発明の電子計算機の動作原理の基礎をなすものであることにつき当事者間に争いがないことを考慮すれば、右摘記に係る特許請求の範囲の記載部分は、本願発明の電子計算機を駆動させるプログラミング言語について、これを新規のラムダ縮約言語に限定する意義をも有することが明らかであり、その意味で、同言語は本願発明の必須要件を構成するものといえる。そして、審決指摘のとおり、本願発明の電子計算機が、本願発明の発明者(ベルクリング氏)作成に係る右のラムダ縮約言語を応用して、ラムダ縮約言語で表現された論理表現を、ラムダ縮約言語に基づく縮約規則に基づいて縮約を実行するものであること(審決の理由の要点4(一))も当事者間に争いがないところである。
三 取消事由に対する判断
原告主張の取消事由は、要するに、本願発明に係る電子計算機の動作原理の基礎をなす前記ラムダ縮約言語に関する具体的意義が本願明細書によるも不明であるから、本願明細書と図面は本願発明を当業者が容易に実施できる程度に記載していない、とした審決の認定判断の誤りをいうものであるので、その点について判断する。
1 先ず、本願発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者、すなわち当業者の範囲について検討するに、前記二に認定したように、本願発明が非ノイマン型電子計算機に係るものとはいえ、ノイマン型電子計算機の欠点を解決することを課題とする以上、その明細書には、右課題の対象とされたノイマン型電子計算機関連の技術者にとつて、発明が容易に実施することができるようその技術的事項が記載されることが必要である。しかして、前紀二の事実によれば、ノイマン型電子計算機は本願出願の優先権主張の日前において広く一般に用いられていた電子計算機であると認めることができるから、本願発明における当業者とは、ハードウエア及びソフトウエアを含めノイマン型、非ノイマン型を問わず広く電子計算機の研究、開発部門に属する者を指すものと解するのが相当である。この点に関し、原告は、本願発明が属する技術分野はノイマン型電子計算機の技術分野とは峻別された非ノイマン型電子計算機に係る分野であり、したがつて、本件にいう当業者も右のような技術分野における当業者であると解すべき旨を主張するが、右に述べたように、本願発明の課題に照らし、電子計算機関連の技術者の中からノイマン型電子計算機関連の技術者をその当業者の範囲から除外すべき理由を見出すことができない。
2 前記二の認定事実に徴すれば、本願発明の電子計算機は特許請求の範囲第一項記載のソフトウエア及びハードウエア構成の両面から規定されるものであること、また、ラムダ縮約言語は、本願発明の電子計算機のソフトウエア構成に属し、ハードウエア構成とともに本願発明の必須要件を構成するもので、本願発明の電子計算機の動作原理等の基礎をなし、従来のものとは異なる新規な構成のプログラミング言語であることが明らかである。そして、右のように、ラムダ縮約言語が電子計算機で用いられるプログラミング言語である以上、それに従つて電子計算機を駆動するための固有の言語仕様や文法(規則)の体系を有する筈であり、少なくとも、これらの言語仕様及び文法(規則)や、それらが電子計算機のハードウエア構成と具体的にどのように結合されるかという点が、前記1に述べた意味での当業者が容易に理解し得る程度に本願明細書中に記載されているのでなければ、本願発明を容易に実施し得るものでないことはいうまでもないところである。
3 そこで、ラムダ縮約言語に関する本願明細書の記載について検討するに、その発明の詳細な説明(殊に一七頁四行ないし二二頁四行)には、ラムダ縮約言語は、変数の特別な処理のため変数vで示すアトムの新クラスv、並びにキヤラクタ/で表されるラムダコンストラクタ(後記のラムダBarコンストラクタのことであると解される。)が挿入されること、右ラムダコンストラクタの使用により、応用コンストラクタapの成分であり得るラムダ論理表現\veが形成できること、その論理表現の縮約はラムダ算法のベータ換算法則に対応し、fはvの任意の発生に対しe中で置換されること、一般に成分の処理において相違するap型の多くのコンストラクタが定義され、eがラムダ論理表現であるときは種々の縮約順序が可能であること、三つのapコンストラクタ(←、・、△)が与えられること、縮約に際し自由な及び制限された変数の問題を特別に取り扱うため、特別なラムダBarコンストラクタが定義され、これは置換の変数のたまたまの自由な出現が誤りに結びつくのを防止するものであること、論理表現の入力及び出力は完全に括弧で入れた形で行われ、これに反し内部の表示は二元のトリーで存在し、その際左右の括弧はそれぞれコンストラクタに対応し、項及び演算子はエレメントとして現れること、そのラムダ縮約言語は論理関数アンド及びオア、条件、作表並びに値呼出し及び名前呼出しの書式化を可能にするとともに回帰及び反復の遂行も可能にすること、論理表現の処理を簡単に述べれば、関数は普通に一定の論理表現であり、多くのパラメータすなわちV1…Vnはそれぞれラムダコンストラクタ(前記のラムダBarコンストラクタのことであると解される。)と共に記入され、引数はパラメータ変数と同じ順序で現れるが、応用コンストラクタは反対の順序で現れること、応用コンストラクタapl…apnとしてコンストラクタ・、←、△が現れ、まずコンストラクタapl及びその成分が縮約され、続いて対応する方法がとられること、全部のapコンストラクタの縮約の後f中ですべてのパラメータ変数が実際のパラメータによつて置換され、一定の論理表現、すなわち関数によつて発生された値に導かれること等の記載があることが認められる。しかしながら、右内容自体が極めて難解であるのみならず、本願明細書中には、右に用いられた記号や英数字、キヤラクタ列等について明確な説明又は定義がなされていないため、右のような記載によつては、当業者のうち特にラムダ縮約言語について特別の知識を有する者を除き(後記5に認定するようにかかる知識を有する者は当業者のうち極めて限られている。)ノイマン型電子計算機関連の技術者を含む大部分は、前記のような言語仕様、文法(規則)等、本願発明のラムダ縮約言語の具体的内容及び意味の把握は困難であり、したがつて、それらが電子計算機のハードウエア構成と具体的にどのように結合されるかという点も不明であるというほかない(本願明細書中に他に以上の点を明瞭に示した記載も見出せない。)。現に、原告ですら、審決を取り消すべき事由1において、その公知と主張する2縮約言語に関する知識を前提とするのでなければ、本願発明のラムダ縮約言語の具体的な意味の把握が困難であることを認めているところであるし、右2縮約言語に関する知識を有する者は非ノイマン型電子計算機関連技術者だけであつて、ノイマン型電子技術関連技術者がかかる知識を有しなかつたことも争つていないところである。
4 しかして、特許明細書の発明の詳細な説明には、発明公開の要請に応え、実施例を示すなどの方法により、その記載だけで当業者がその発明を容易に実施することができる程度の内容の開示が求められるものというべきところ、本願発明のラムダ縮約言語の具体的内容及び意味の把握が前記認定のように困難であり、また、そうである以上それを前提とすることが明らかな論理表現の意味や縮約を実行する規則が明確かつ具体的に理解し得る筈もなく、また、同言語が本願発明の電子計算機の動作原理等の基礎をなすものであることは既にみたとおりであつてみれば、その動作原理を明確かつ異体的に理解し得る筈もないのであるから、本願明細書には当業者において本願発明を容易に実施できる程度の記載があるものとは到底いえないものというほかない(他に右認定を覆し本願明細書にこの点に関する記載不備がないと認めるに足りる証拠もない。)。そうであれば、これと同旨に出た審決の前記認定判断は正当であつて、誤りはない。
5 これに対し、原告は、この点に関する審決の認定判断が誤りであるとして縷々主張しているので、順次検討する。
まず、原告は、本願発明のラムダ縮約言語は全く新規なわけではなく、本願明細書も引用するIBM研究報告RJ一二四五・一九七三年(成立に争いのない甲第五号証)に記載された公知のλ縮約言語を基礎としてこれを発展的に拡張、変更したものにすぎないもので、その新規部分についても公知のλ縮約言語を知悉する当業者であれば本願明細書の記載から容易に理解し得る旨主張する。しかしながら、本願明細書の記載によれば、右IBM研究報告は、ラムダ縮約言語とは異なるプログラミング言語のクラスである縮約言語を記載したものとして引用されていることが認められるし(一三頁一三行ないし一六行)、本願明細書の全記載に徴しても、本願発明のラムダ縮約言語については、全く新規なプログラミング言語であるというだけで、それが原告のいう公知のλ縮約言語を前提とするものであることを示すような記載は見出せない。また、仮に、前掲甲第五号証(IBM研究報告RJ一二四五・一九七三年)によつて原告のいうλ縮約言語が本願出願の優先権主張日前既に公知となつていたものと認められるとしても、これに接した者がその内容により本願明細書の記載を理解し得るか否かについては極めて疑わしく、また、右甲第五号証の末頁には限定配布の注意書き(LIMITED DISTRIBUTION NOTICE)があることが認められ、他に同号証の記載又は公知のλ縮約言語なるものが当業者に周知となつていたことを認めるに足りる証拠もない以上、当業者が明細書の内容を理解し得るか否かを、右甲第五号証の記載又は公知のλ縮約言語なるものを加味して判断することはできない(右甲第五号証の配付先が限定されていたことからみて、仮に、右甲第五号証により本願明細書の記載を理解し得た者がいたとしてもその数は原告が主張する非ノイマン型電子計算機関連技術者中でも自ら限られていると認めざるを得ない。)。
次に、原告は、本願明細書は、ラムダ縮約言語に関し、前記IBM研究報告のほか数学研究年報No.六(プリンストン大学出版社一九四一年)及びIBM研究報告RJ一〇一〇・一九七二年を引用しているが、これらの文献の記載事項は当業者にとつては教科書的な知識に属するものにすぎないから、明細書において逐一説明する要はなく、必要に応じて文献名を拳げれば足りる旨主張しているところ、本願明細書中には原告主張のとおりの引用がなされていることが認められる。しかしながら、その記載内容に関し少なくともノイマン型電子計算機関連技術者については、右に原告が主張するようなことを認めるに足りる証拠はなく、また本願発明のラムダ縮約言語が、前記1で述べたように、本願発明の必須要件を構成し、本願発明の電子計算機の動作原理等の基礎をなす従来のものとは異なる新規な構成のプログラミング言語である以上、かかる引用だけで足りるものでないことは明らかである。
更に、原告は、本願発明の主張が新規なハードウエア構成を提供する点にあり、「ラムダ縮約言語」に関する構成は付加的なものにすぎない旨主張しているので付言するにたとい本願発明の主張がハードウエア構成にあり、ラムダ縮約言語に関する構成は付加的なものにすぎないとしても、本件において問題となるのは、本願発明の主張がどこにあるかという点ではなく、本願明細書に、本願発明を当業者が容易に実施し得る程度の記載があるか否かの点であり、かつ、前記のとおり、本願発明のラムダ縮約言語が、本願発明の必須要件を構成し、本願発明の電子計算機の動作原理の基礎をなす従来のものとは異なる新規な構成のプログラミング言語である以上、明細書に、当業者においてラムダ縮約語がどのようなものであるかについて理解可能な程度の記載すべきことは明らかであるから、この点に関する原告の主張も採用の限りでない。
3 そうであれば、本願明細書の発明の詳細な説明の項には、その発明の属する分野の通常の知識を有するものが容易に実施することができる程度の記載があるものとすることはできない。
四 以上によれば、本願明細書は特許法三六条三項の要件を満たしているものと認めることはできず、これと同旨の審決の判断に誤りはない。よつて、原告の本訴請求を失当として棄却し、訴訟費用の負担及び上告のための附加期間の付与につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、一五八条二項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 舟橋定之 裁判官小野洋一は転補につき署名押印することができない。 裁判長裁判官 松野嘉貞)
図面
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