東京高等裁判所 昭和63年(う)1197号 判決
被告人 手島克訓 ほか二名
〔抄 録〕
第三本件ガス導管の破断についての予見可能性
一 我が国においてマーストン・スパングラー理論が注目されるようになったのは、昭和四四年三月二〇日に発生した東京都板橋区におけるガス爆発事故を契機として、西尾ら東京瓦斯株式会社の関係者が実験を行い、ガス導管の周辺の地盤が沈下する場合には、通常の五倍に近い大きな土圧が管に加わることがあることを確認して、同事故の原因がそのような土圧の発生にあるとしたことにあるが、同事故は、大規模に路面下を開削して建設された地下鉄トンネルの上に、防護具で支持して埋戻されたガス導管について発生したものであり(西尾の当審第三回公判証言、土質工学会編「土と基礎の沈下と変形の実態と予測」、東京地方裁判所昭和五八年六月一日宣告の判決謄本)、ガス導管が横断する路面下を幅約一・五メートル、深さ約三・五メートル程度掘削してこれを埋戻すという、本件程度の小規模な工事において、埋戻し土等の沈下に伴い発生した異常に大きな土圧により、管が破断したとされるような事例は、本件の以前、以後を含め学会や実務界には未だ報告されたことがないと認められる(西尾の原審第二八回、当審第五回各公判証言、大川の当審証言、東田の当審第八回公判証言)。
二 マーストン・スパングラー理論については、前記のような論争があって、有力な根拠に基づく強い反対論が存在しているうえ、同理論を支持する者のうちにも、西尾のように、その計算式を疑問とし、別個の計算式を提示する者が現れている。のみならず、同理論を採らずに、地盤の沈下に伴う異常土圧の発生の可能性を認める者らの側においては、現在のところ、その土圧の計算式は分からず提示できないとしている(須藤の原審第四〇回公判証言、東田の当審第八回公判証言)。
三 この点に関する研究者らの見解をみると、西尾は、その原審証言等において、「異常な土圧については、マーストン・スパングラーの理論は存在していたものの、実験による裏付けは十分なされておらず、とくに、完全突出条件がどのような状態のときに成り立つかということも理論からははっきり示されないものである。この理論は、一部、ガス事業法の技術基準にも採用されてはいるが、必ずしもそれが常識化されているとは言えず、とりわけ(中略)完全突出条件の発生を予測することは、理論に精通している人間にとっても極めて困難と言わざるを得ない。一例として、建設工事に関連した分野で、極めて高度かつ広範囲の知識を有すると目される安達氏でさえも、このような土圧発生の可能性に思い至らない事実が、この理論の特殊性を示しているものと言える。(中略)事故の原因としてこの理論に想到し得たのは筆者の特殊な立場にもよるのであり、一般の技術者が、しかも事前に、これを予想することは容易に期待できないことと思われる。」(西尾作成の「折損の可能性」)、「多分マーストン・スパングラーのいっているような理論、これは(中略)道路工事に携わっている人のほとんど多くの人が知らないといっていいほどではないかというふうに思います。」、「若杉先生とか須藤先生とか、あの方達もマーストン・スパングラーの突出条件による土圧というものに思い至らないというのが、大変この問題が難しいことを示しているだろうというふうに考えます。」(第二九回公判証言)と述べ、更に当審証言においても、「現場で実際に工事に当たる人は、仮にスパングラーの理論の正確なことは知らないにしても、土の埋戻しが不十分であれば地盤の沈下が生ずる、場合によっては異常な土圧が発生して、ガス導管が折れることもあるということは当然知っていなければいけないことなんじゃないでしょうか。」との問いに対し、「これを知るということは、おそらく非常に難しいと思います。漠然と埋戻しが悪いと地盤沈下があって、それによっていろんな影響が出ると、まあ影響が出る位のことは、誰しも知っていることだと思いますけれども、その土圧の大きさがどの位になる可能性があると、そこまでのはっきりした意識は多分持てないだろうと思いますけれども。」と答えている(第五回公判証言)。
須藤は、前記のように管の強度にも欠陥があったとする立場を採るものであるが、「ガス管破断の二つの原因(<1>埋設土中の応力集中、<2>管自体の応力集中)によって、ガス管が現実に破壊したと推論される。なお、このような応力集中が現場の設計段階で予測ができたかどうかについては、現時点の土木技術からみて困難であるといわざるを得ない。特に現行の設計基準等には、このような応力集中の考え方は明確にされておらず、現場の設計及び施工技術者に要請される技術を超えたものであろう。」としている(須藤作成の「応力解析」)。
大川は、「埋設管に問題を限定しなくても、土質工学の分野におけるすべての場合において、土の締固めの重要性については、土木系技術者や施工者は一般論として十分に理解していたものと思われる。したがって、埋戻し土の選択や締固めが不適当な場合に、土が沈下し、管がたわみ、その結果、管が折損する可能性があるということは容易に予見できたものと考えられる。」としながらも、「埋戻し土の締固めの重要性を、埋設管の挙動や、特に本事故のような長手方向の問題が関与する場合の挙動との関係で、力学的に詳しく理解することは事故当時ではかなり難しかったし、現在でもその状況は同じであると思われる。埋設管を研究している一人として、大変残念なことではあるが、それが現状であると認めざるを得ない。」(大川作成の「考察」)、「この場合、通常の土圧の五倍ぐらいの土圧になりましょうか。まあ、五倍もかかるということは、(中略)一寸信じ難いということで、普通の方は一寸分からないということの方が、妥当かもしれません。」、「少なくとも土が沈下し、管がたわみ、ここ位までだったら、誰しも理解するところだろうと。それが、(中略)折損する可能性まで、すべての人が分かり切ったこととして対処しただろうかというところになると、なかなか厳しいような気もします」(当審証言)としている。
東田は、「本件事故当時藤枝市辺りで、この程度の工事を行う場合、事故防止のための条件を満たすような施工を期待することができたと考えますか。」との問いに対し、「実態論としては無理じゃないかな(中略)。この私が書きましたようなメカニズムですね、どうしてガス管が破壊に至ったかということに関しては、これは分からなかったであろうと思います。」と答えている(当審第八回公判証言)。
このように、原審及び当審において、埋戻し土等の沈下がある場合埋設管に異常に大きな土圧が作用することがあり得ることを認める研究者らは、当審公判での確認の機会が得られなかった大草を除き、いずれも、表現に若干の差があるにせよ、本件事故当時、実際に現場で埋戻し工事に当たる者やその監督等に当たる者が、右のような土圧の発生を予測することは極めて困難であったとの趣旨を述べている。
四 本件ガス導管付近の掘削及び埋戻し工事は、昭和五四年二月ないし三月に行われたものであるところ、被告人らの学歴や職業経験等についてみると、被告人手島は、昭和四七年三月静岡県立島田工業高等学校を卒業後、藤枝市役所に就職し、技術員、技手、技師補等として下水道関係の職務に従事してきたもの、被告人園田は、昭和四二年三月同高校を卒業後、実父の経営する園田工務店の土木工事の業務に従事してきたもの、被告人高林は、昭和四六年三月同高校を卒業後、東海ガスに就職し、本社供給課勤務を経て、昭和四七年一月から藤枝支店工事課に勤務していたものであるにすぎず(被告人らの司法警察員に対する昭和五四年六月二一日付各供述調書)、埋戻し土等の沈下に伴う異常土圧の発生について特別の知識を有していたとうかがうに足りる事情は見当たらない。
五 これらの状況からすれば、被告人ら三名において、本件工事に際し、埋戻し土の締固めがゆるい場合、埋戻し土の沈下があることを予見できたことは否定し難いにしても、埋戻し土及び周囲のゆるんだ地盤の沈下に伴い、本件ガス導管に通常の土圧の数倍に達するほどの異常に大きな土圧が作用し、管が破断に至ることまでも予見することが可能であったとは認定できないといわざるを得ない。
(柳瀬 横田 井上)