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東京高等裁判所 昭和63年(う)1214号 判決 1989年4月24日

本籍

東京都小金井市東町五丁目一二番

住居

同都同市東町五丁目一二番一四号

会社員

金子孝行

昭和八年一〇月二五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六三年九月二〇日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官平田定男出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人中村浩紹名義の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第二点(訴訟手続きの法令違反の主張)について

所論は、要するに、本件所得税法違反の罪は、正規の所得を申告せず虚儀の申告をしたことを処罰する罪であって、その所得取得行為の是非を問うものではないにもかかわらず、原判決は、被告人の本件各所為が証券取引法五〇条三号及び証券会社の健全性の準則等に関する省令一条五号に当たるとして、公訴の提訴されていない右各条項違反の刑責までも斟酌し、殊更被告人を重く処罰しているが、これは不告不理の原則に反し法定手続きの保障を規定した憲法三一条に違反するものであって、その違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

そこで、検討するに、なるほど、原判決が量刑の事情を説示するに当たり、「被告人がいわゆる手張り行為に及んだことは証券取引法五〇条三号及び証券会社の健全性の準則等に関する省令一条五号に違反し」と判示していることは所論指摘のとおりである。しかしながら、右の各条項には罰則が設けられていない上、原判決は、右判示部分に続けて、「証券市場の公正さに対する一般投資家の信頼を裏切るもので、社会に及ぼした影響も大きいこと等を考慮すると」とも判示しているのであって、その趣旨とするところは、右各条項に違反する手張り行為が禁止されていることを十分承知していた被告人が敢えて本件手張り行為に及んだことは規範意識の希薄さを示すものであるとともに、証券市場の公正さに対する一般投資家の信頼を裏切ったものであって、社会に及ぼした影響が大きいことなどをも勘案し、これを被告人に不利益な情状の一資料として斟酌したに過ぎないものと解すべきであって、原判決が公訴の提起されていない所論の条項違反の事実を認定した上、そのことを理由に殊更被告人を重く処罰した趣旨とは到底考えられない。してみると、原判決が所論指摘のように判示したことが不告不理の原則に反するものとはいえず、憲法違反をいう所論はその前提を欠くから、失当というべきである。論旨は理由がない。

控訴趣意第一点(量刑不当の主張)について

所論は、要するに、原判決の量刑は重きに失し、特に懲役刑の執行を猶予しなかった点で著しく不当であるというのである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、本件は、証券会社の取締役の地位にあった被告人が、営利の目的で継続的に有価証券の売買を行い多額の利益を上げておりながら、その所得税を免れようと企て、他人名義で有価証券の売買を行うなどの方法により所得を秘匿した上、昭和五九年ないし同六一年の三年分の実際所得の合計額が四億一七二八万九二三八円もあったのに、その総所得金額が五七四一万二七六〇円である旨を記載した内容虚偽の各確定申告書を作成し、これを所轄の税務署長に提出して、申告税額と正規の税額との差額である合計二億三五七六万六九〇〇円の所得税を免れたという事案であるところ、被告人は、昭和四三年二月、金十証券株式会社に歩合外務員として勤務するようになった者であるが、法人の顧客を獲得するなどして抜群の営業成績を上げたため、同五三年一一月取締役法人部長に、同五六年七月取締役営業部長に、同五八年一〇月常務取締役に、同六〇年一二月専務取締役にそれぞれ抜擢され(なお、本件後の同六二年一〇月代表取締役副社長に就任している。)、従業員を指揮監督すべき立場にあったこと、しかも、証券取引法等により証拠会社の役員や従業員が自已の職務上の地位を利用し、株の投機的売買をする、いわゆる手張り行為が禁止されている上、監督官庁である大蔵省からも手張りを行わないよう厳しく指導監督を受けており、そして、そのことを十分承知しておりながら、その立場をわきまえず、同会社の従業員坂嘉造と共同あるいは単独で長期間にわたって手張り行為を繰り返し、巨額の所得を上げていたのに、毎年の確定申告に際し、給与所得と配当所得のみを申告し、本件手張り行為による雑所得については全く申告せず、多額の所得税を免れたものであり、そのほ脱率が九九・八一パーセントにも及んでいるほか、本件犯行の態様も税務調査による脱税の摘発を困難にすべく、他人の名義を使用して多数の取引口座を次々に開設し、継続的に本件犯行を重ねていたものであって、計画的かつ巧妙な犯行であり、その犯情は極めて悪質であるといわざるを得ないこと、被告人が本件犯行に及んだ動機は、主として被告人自身やその家族が優雅な生活をするための費用や遊興費に充てる資金を得ようとしたことなどによるものであって、何ら酌むべきものは認められないこと、以上の諸点に徴すると、被告人の刑責は重いというべきである。

したがって、被告人は、本件犯行について深く反省し、摘発後直ちに各年分の所得税について修正申告をした上、資産の一部を売却してその本税を納付し、付帯税等についても自宅を売却するなどして納付すべく、その準備を進めていること、被告人は、昭和六二年一一月金十証券の取締役を辞任し、翌六三年三月には外務員の嘱託も解かれた上、日本証券業協会から外務員登録の抹消処分を受け、更に本件が新聞等で大きく取り上げられるなど社会的制裁を受けていること、被告人には前科前歴がないことはもとより、その生い立ち、その他所論指摘の被告人に有利な諸般の情状を十分斟酌しても、被告人を懲役一年及び罰金五〇〇〇万円に処した原判決の量刑は、その罰金額はもとより、右懲役刑に執行猶予を付さなかった点においても、これが重過ぎて不当であるとは考えられない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 寺澤榮 裁判官 朝岡智幸 裁判官 新田誠志)

昭和六三年(う)第一二一四号

○控訴趣意書

被告人 金子孝行

右の者に対する所得税法違反被告事件にかかる控訴の趣意は、左記のとおりである。

昭和六三年一二月七日

弁護人 中村浩紹

東京高等裁判所 第一刑事部 御中

第一点

原判決は、刑の量定が、不当であり、破棄されるべきである。

一、原判決は、判示「罪となるべき事実」を認定し、被告人にたいし、所得税法二三八条一項、二項を適用して、「懲役一年および罰金五〇〇〇万円」に処する旨の実刑判決を言い渡した。

しかしながら、被告人について後述する諸般の情状をもつてしては、右刑の量定は、重きに失し、著しく不当であると思料され被告人には、懲役刑につき、執行猶予の判決が言い渡されるのが相当であると思料する。

二、本件は、被告人が、昭和五九年度、同六〇年度、同六一年度分の所得申告なすにあたり、各申告期日に正規の申告をせず、総額金二億三五七六万六九〇〇円の所得税の、納付を免れたとされる事案である。

三、被告人の右各年度における所得の種類は、株式会社金十証券より支給される給与所得と有価証券売買による雑所得(他に若干の配当所得)であったが、被告人は、その内の有価証券売買益の雑所得の申告を除外させたものであった。

被告人が右の如き方法で、所得隠しをなした動機は、公判廷において供述しているとおり、株式取引が、全て被告人名義でなされず、借名によるものであったため、その利益を自己の所得として申告する訳にもゆかず、又、自己の所得として申告した場合、禁止されている証券会社役員による株式の自己取引行為が露見し、監督官庁である大蔵省により、処分を受け、会社に迷惑をかけることとなるのを、恐れたことに、直接の動機を認めることができるのである。

勿論、かかる考え方をしたこと自体、被告人のおかれていた立場からして、誤りであったが、被告人は、ことさら、所得を計画的に隠匿しようと意図していたものではなかったというべきである。

原判決においては、証券マンとしての被告人のかかる心情を、理解し、汲んでいただけなかった点が遺憾である。

四、証券会社役員が、自己のためになす株式取引行為は、投機行為に走りやすく、その結果、証券市場の公正さに対する一般投資家の信頼を裏切るものであることは、原判決の指摘するとおりであるが、所謂、手張り行為を看過する風潮が、今尚広く残されていることにも、本件のごとき事犯が発生する余地が在るところであり、しかも、一方では、右時期にあっては、「年間五〇回未満、且つ、二〇万株未満」の株式取引については、その売買益にたいし、非課税とされる租税特例が存し、株式取引に関与する多くの人々が、この特例により所得税を賦課されない特典を受けており、その結果、課税回避のために、家族、知人等の借名取引を利用していることも、顕著な事実である。

又、各証券会社では、会社自身が、一定の枠内において、自己売買が認められ、それにより利益を得、経営基盤を築いていることも顕著な事実である。

被告人の在職した金十証券にあっても、右行為により利益を得、会社経営が成り立っていた時期が続いていたこともあるのである。

五、原判決は、量刑の事情において、被告人の右手張り行為が、証券取引法五〇条三号及び証券会社の健全性の準則等に関する省令一条五号違反行為であることを指摘し、所得税法違反の刑責を問われている被告人の刑責が、重大である旨判示している。

しかしながら、本件は、被告人に対する所得税法違反についての刑責が問われている事案であるから、手張り行為の前記法及び省令違反についての責任を、被告人に対する本件犯行の責任加重事由として考慮することは、誤りと言わなければならない。

原判決は、右誤りを犯して、被告人に対する刑を不当に重く量定していることは明白である。

六、本件犯行の直接的な動機は、前述のごとく、被告人自身の手張り行為が、監督官庁に、発覚することを恐れたことにあるが、一方では、被告人の過去における生いたちに、その遠因を認めることが出来る。

即ち、被告人は、その成長期にあって、貧しい家庭環境のため一六歳のときから住み込みの給仕として証券会社に勤めつつ、勉学を続け、証券マンとしての道を歩んできた。

その間、二度にわたる会社解散の憂き目に遭遇し、家族共々苦しい生活を経験した。

その為に、金十証券入社後、営業努力を嵩ね、抜群の成績をあげると共に、証券業界のフオローの傾向期より、家族の生活を安定させるために、何とか資産を残しておきたいと考えるようになり、株式売買による蓄財に手を染めてしまったものである。それが、段々とエスカレートしていったものである。

かたや、証券業界にあっては、「自分の給料は、自分で儲けろ」という風潮があったことも否めない事実である。

偶々、「場立」で会社の自己売買を一手に委されており、羽振りの良かった坂嘉造が被告人に近づいてきたことも、被告人にとって不運というべき事態であった。

被告人も人の子、金儲けの誘惑を撥ね除けることが出来なかったのである。

七、被告人は、本件事件の摘発後、国税当局による調査に際し、手持ちのメモ類等の資料一切を担当官に提出し事案の解明と、自己の責任の解明に協力しており、当初より、本件に対する改悛の情が顕著であった。

このことは、取り調べ検察官すらも、「お前のメモがなかったら、この事案の解明は、できなかった。罪一等を減ずるほどの価値がある。」と被告人に、好意的であったほどである。

八、被告人は、国税当局との資料検討の結果出された計数上の結論に基づき、直ちに、各年度分の所得税の修正申告をなし、且つ、本件公訴提起前に、各年度の本税額全額金二億三五九五万四三〇〇円の納付を完了させた。

この納税資金の準備は、手張りにより得た株式全部と信用取引による売買の一切を、売却処分、手仕舞して、手許に残った資金、金十証券の株式の約半数を売却し、且つ、残り半数の株式を担保に借入した資金をもって、賄かなった。

右資金は、被告人及び家族の保有する流動資産のすべてであり、修正申告に伴う付帯税の納付に関しては、現状のままでは、早期に、現金納付を準備することができない状態である。

被告人が、申告を除外した所得額の合計は、金三億五九八七万六四七八円であるが、本税及び付帯税の納付額は、右秘匿した金額以上の額になり、その他課せられた罰金額の納付をも含めると被告人の手許には、借財のみが残るのみである。

九、しかしながら、未納付帯税約一億円の納付については、自宅住居を売却処分して得た資金と前記借入金の担保とした金十証券株式を、昭和六四年度に売却処分して、手許に残る売得金をもって完納することを誓約し、且つ、その為の準備をしており、現に、家屋の売却については、不動産業者に媒介依頼中であるが、武蔵野税務署による差押え登記が在るため、買い叩きにあい、又、不動産取引の沈静化のため、被告人が納税資金として希望する額に程遠く、未だに、売買が成立しない現状である。

いずれ、好条件の取引相手を捜し、かかる買主が、見つかりさえすれば、差押えにより優先権を有する国税の納付は、十分可能であり、現段階において、完納と同様に処遇されて然るべきものと思料する。

一〇、被告人は、本件に関し、他の同種事犯者に比して、加重な社会的制裁を受けており、量刑にあたり、右事情は、十分斟酌されて然るべきものと思料する。

被告人は、その能力と手腕により、多大の功績を残した金十証券から、一切の地位を失い、且つ、四〇年間その身命を賭して働いてきた証券業界に、二度と職を得ることができない、日本証券業協会による外務員登録抹消処分を受け、熟達した世界にて稼働し、収入を得ることが不可能となった。

このことは、今回一切の資産を処分して(いづれ住居も失うことになる)納税義務を履行した、サラリーマンであった被告人にとり、まさに死活問題に直面させられた制裁を受けたことになるものなのである。

原判決言渡し後、被告人及び妻は、将来の生活設計ができないまま、悶々たる日々を、送っている。

同種事犯を犯した自営業者等が、引き続き同一営業を続け、収入を得、生活ができることと比し、自らの責任とは言え、被告人のおかれた境遇は、右の者たちとは著しい格差があり、十分斟酌されて然るべきである。

一一、被告人は、本件事犯に関し、深く改悛の情を示していることは、前述の通りであるが、被告人のおかれた厳しい状況にたいし、金十証券の同僚らは、被告人の人柄と既に受けている社会的制裁の可酷さに同情し、自然発生的に、被告人に対する減刑嘆願のための署名を、社内で集め、その後一三〇余名に達した。

当審において、右署名者の心情を、お汲取り頂きたい。

一二、被告人には、過去において前科、前歴は、全くなく真面目に職務に励み、家庭を支えてきた。

今後も、本件の罪の償いをなし、二度とかかる過ちを犯すことのないよう、妻と共に、細々と生活をなす決意でおり、妻も被告人に協力することを誓っている。

一三、以上、諸般の情状を、十分斟酌されるならば、本件事犯につき、被告人にたいする懲役刑は、執行猶予を付するのが相当であると思料するので、当審において、右のご判決を賜わりたく、ここに不服申立を為した次第である。

第二点

原判決には、憲法違反があり、破棄されなければならないものと思料する。

一、原判決は、被告人にたいし、その所為につき、所得税法二三八条一、二項を適用して、前記の通りの刑を、言渡した。

そして、その量刑の事情において、被告人の所得行為が、証券取引法五〇条三号及び証券会社の健全性の準則等に関する省令一条五号に違反していることをもって、被告人の責任は、非常に重大であると指摘し、その結果、弁護人が、前記量刑不当の項にて指摘する諸般の事情をもって考慮すれば、極端に加重な刑の宣告を為しているのである。

二、本件被告人にかかる所得税法違反の罪は、正規の所得を申告期日に申告せず、虚偽の申告を為したことにたいし、処罰される罪であり、その所得取得行為の是非を問うものではない。

原判決は、被告人の刑責を、公訴提起なき右法令違反の刑責までも斟酌し、不告不理の原則に反し、量刑している違法がある。

右は、法定手続きの保障を定めた、憲法三一条に違反するものであること明らかである。

三、よって、原判決は、破棄されなければならないものと思料する。

以上

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