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東京高等裁判所 昭和63年(ネ)1522号・昭61年(ネ)3302号・昭63年(ネ)1547号 判決

1 成立に争いのない甲第二号証の三、原審証人宗像善和(第一回)の証言により真正に成立したと認められる甲第一号証中の訴外会社作成部分、原審における被控訴人本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第二号証の一、二、右善和及び被控訴人の各供述によると、被控訴人は訴外会社に対し、昭和五三年三月三一日に三五〇万円、同年四月二四日に一一五〇万円を、利息を年二割四分と定めて貸与し、更に同年六月二〇日に一〇〇〇万円を貸与し、同日両者間に、右貸与金合計二五〇〇万円について利息を年二割四分、弁済期日を昭和五六年一二月三一日とする準消費貸借契約が締結されたことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2 甲第一号証の存在、成立に争いのない甲第五号証、第八、九号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第七号証、原審証人宗像善和(第一、二回)、同荒山ツネの各証言及び前掲被控訴人の供述を総合すると、亡善孝は昭和二〇年ころから妻子と別居して荒山ツネと同棲し、同女の養子である善和も共に生活をしていたが、亡善孝は昭和三九年九月一一日善和を養子にしたこと、亡善孝は農薬の製造、販売を目的とする中外化学工業株式会社を経営していたが、同社は昭和三九年ころ倒産したこと、善和は亡善孝と一緒に働いていたが、昭和四七年ころ同じ業種を目的とする訴外会社を設立して経営していること、善和は昭和五三年三月ころ訴外会社の営業資金に充てるために荒山ツネの妹の夫である被控訴人に融資を申し入れたこと、被控訴人は亡善孝と親しく交際していたので同人に相談したところ、同人からも「自分が保証するから貸してくれ。」と依頼されたため融資を決意して前示のとおり二五〇〇万円を訴外会社に貸与したこと、同年六月二〇日東京都北区王子所在の当時の亡善孝宅において、亡善孝及び善和を保証人として金銭借用証書(甲第一号証)を作成したが、亡善孝は当時パーキンソン氏病に罹患しており、意識は正常であったものの、字は書けなかったので、荒山ツネが代署して亡善孝の実印を押捺したこと及び亡善孝は荒山ツネのもとで死亡したことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実によると、甲第一号証中の亡善孝及び善和作成部分は真正に成立したものと認められ、亡善孝及び善和は本件債務について保証したというべきである。

3 請求原因第三項の事実については当事者間に争いがないから、亡善孝の右保証債務(以下「本件保証債務」という。)について控訴人滋子が二分の一、同善樹及び同善也が各八分の一をそれぞれ相続により承継したことになる。

4 そこで控訴人ら主張の弁済について検討する。

(一) 訴外会社が表(一)≪省略≫の1ないし93、107、108、110ないし118、120ないし124のとおり弁済したことは当事者間に争いがない。表(一)の94ないし100、102ないし106及び119については、当審証人宗像善和の証言(第二回)により真正に成立したと認められる甲第四号証の四、同証言及び弁論の全趣旨を総合すると、表(二)≪省略≫(101及び109を除く。)記載の年月日及び金額のとおり弁済したことが認められ、同証及び同証言中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。またこれを超えて訴外会社が弁済したと認めるに足りる証拠もない。

(二) 表(二)の101及び109記載のとおり、善和が昭和六一年八月一日二三四万一六七九円を、善臣が昭和六二年三月二〇日一三五万円を、被控訴人に対してそれぞれ支払ったことは当事者間に争いがなく、前掲善和証言によれば、右各金員はいずれも本件債務の元本に充当されたことが認められ、他にこれを動かすに足りる証拠はない。

(三) 右のとおり、訴外会社、善和及び善臣は表(一)の1ないし93及び表(二)の94ないし124のとおり弁済しているから、利息及び遅延損害金については利息制限法の定める制限利率(遅延損害金の約定があったとの主張もないから、利息、遅延損害金とも年一割五分)に従って充当し、これを超える部分については元本の支払に充てて計算すると(円未満切捨て)、昭和六三年五月二三日現在の残元本の額は、表(二)のとおり三〇九万四五〇三円と算出される。

5 右弁済により、被控訴人が訴外会社に支払を求めることのできる本件債権は、三〇九万四五〇三円及びこれに対する最終弁済日の翌日である昭和六三年五月二四日から支払済みまで利息制限法の範囲内での約定利率年一割五分の割合による遅延損害金の合計額となる。

そこで進んで控訴人ら各自の負担する債務額について検討する。

まず右残債務については既に自己の負担すべき債務額を超えて弁済した保証人はその負担を免れるところ、善臣は前示のとおり昭和六二年三月二〇日本件債権の元本の一部一三五万円を弁済しており、右弁済額に約定利息を加算して昭和六三年五月二四日現在の額(以下、これを「みなし弁済額」という。)に引き直すと、一五八万九一一六円(1,350,000×{1+0.15×(1(年)+66/365(日))})となり、善和は前示のとおり昭和六一年八月一日本件債権元本の一部二三四万一六七九円を弁済しており、右弁済額に約定利息を加算して昭和六三年五月二四日現在の額に引き直すと、二九七万八九二一円(2,341,679×{1+0.15×(1(年)+298/366(日))})となる。善臣及び善和が仮にその支払をしていなければ、本件債権の残存額は七六六万二五四〇円であり、保証人としては亡善孝と善和とがその二分の一ずつを負担すべきものであり、亡善孝の相続人として控訴人滋子は一六分の四、同善樹、同善也、善臣及び善和は各一六分の一の負担である。そこで、前記のとおり善和及び善臣が保証人として弁済をしたことにより各人の負担すべき債務額がどのように変動したかを検討すると、まず、初めに弁済した善和については、そのみなし弁済額二九七万八九二一円は同人の負担する債務額四三一万〇一七八円(前記七六六万二五四〇円の一六分の九)に充当され、残りの負担額は一三三万一二五七円となる。次に、善臣については、同人のみなし弁済額一五八万九一一六円はその負担する債務額四七万八九〇八円(前記七六六万二五四〇円の一六分の一)を超えるから、同人は前記残債務の負担から除外されるとともに、その超過部分一一一万〇二〇八円はその余の債務者全員との求償関係に帰することとなるから、超過部分の弁済金も右残債務の負担を算出するに当たって除外すべきものであり、また、右超過部分は、第三者弁済として、その余の債務者らの債務にその負担する債務額に応じて充当されたものとみるべきである。右充当前の段階での各自の負担額は、善和が前記のとおり一三三万一二五七円、控訴人滋子が一九一万五六三五円(前記七六六万二五四〇円の一六分の四)、控訴人善樹、同善也がそれぞれ四七万八九〇八円(前記善臣の負担額と同じ)であるから、前記超過額を右各負担額に応じて按分充当すると、充当額は善和三五万一五〇三円、控訴人滋子五〇万五八〇二円、同善樹及び同善也各一二万六四五〇円となる。そして右充当額を控除した後の各人の負担額は、善和九七万九七五四円、控訴人滋子一四〇万九八三三円、同善樹及び同善也各三五万二四五八円となる。そうすると、被控訴人は、控訴人らに対し、それぞれ右と同額の金員及びそれらに対する昭和六三年五月二四日から支払済みまで同じく年一割五分の割合による遅延損害金の限度で支払を求めることができることになる。

(丹野 加茂 新城)

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