東京高等裁判所 昭和63年(行ケ)102号 判決 1989年3月09日
原告 日本鋼管株式会社
右代表者代表取締役 山城彬成
右訴訟代理人弁理士 鈴江武彦
同 村松貞男
同 花輪義男
同 長谷川和音
同 中村誠
被告 特許庁長官 吉田文毅
右指定代理人通商産業技官 川島利和
<ほか三名>
主文
特許庁が昭和六一年審判第五一二一号事件について昭和六三年三月三一日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
主文同旨の判決
二 被告
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決
第二請求の原因
一 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和五五年三月一三日、名称を「排ガスの塩化水素除去方法」とする発明(以下「本願発明」という。)について、特許出願(昭和五五年特許願第三一八六六号)をしたが、昭和六〇年一二月二〇日拒絶査定を受けたので、昭和六一年三月二〇日審判を請求し、昭和六一年審判第五一二一号事件として審理された結果、昭和六三年三月三一日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年四月二三日原告に送達された。
二 本願発明の要旨
反応前の排ガス中の塩化水素に対して、消石灰をモル比で一・〇モル以上二・五モル以下含む吸収スラリーを、回転円盤の周面から噴霧乾燥装置内に噴霧すると共に、塩化水素ガスを含む排ガスを吹き込んで、これらを旋回降下させながら反応せしめ、しかる後、反応生成物を噴霧乾燥装置内から排出し、かつ、反応後の排ガス中のダストを補集することを特徴とする塩化水素除去方法(別紙図面参照)
三 審決の理由の要点
本願発明の要旨は、前項記載のとおりと認める。
これに対して、昭和五四年特許出願公開第七一七七八号公報(以下「引用例1という。」)には、「廃物の燃焼により生じた塩化水素をアルカリ性媒質によって吸収させて廃ガス(以下「排ガス」という。)から除去する方法において、排ガスを、二〇〇~三三〇℃の温度において水酸化カルシウムの水性懸濁液が噴霧器回転体によって噴霧化されるチェンバー中に導入され、そして前記懸濁液の量は排ガスのチェンバーを離れる温度が一二五℃より高温であるように制御され、そして前記の噴霧化された懸濁液の乾燥及び反応によって形成された物質が乾燥した自由流動性の粉末としてチェンバーを離れることを特徴とする排ガスから塩化水素を除去する方法」が記載され、かつ、その例1には、浄化すべき排ガスを、天井にある空気分散機を通して噴霧乾燥器に導き、また同伴した粉末及びフライアッシュの一部を補集するために、噴霧乾燥器の直後にサイクロンを設けるようにして用いたことが記載されている。
また、昭和五四年特許出願公開第一五七七六九号公報(以下「引用例2」という。)には、噴霧乾燥器中に噴霧する排ガスから二酸化イオウをアルカリ吸収剤によって除去する方法において、アルカリ吸収剤は二酸化イオウと反応するのに必要な化学量論的量の九〇~二〇〇%を用いることが記載されており、その実施例の結果を記載した第ⅢA表及び第ⅢB表によれば、使用する消石灰の化学量論的比率を高くするほどSO2の除去効率が高くなり、九〇%以上の除去効率とするには化学量論的比率を二以上とすることが必要であることが分かる。
そして、本願発明と引用例1記載の発明とを対比すると、両者は、消石灰(引用例1の水酸化カルシウムと同意)を含む吸収スラリ(引用例1の水性懸濁液に相当)を回転円盤の周面から噴霧乾燥装置内に噴霧すると共に、塩化水素ガスを含む排ガスを吹き込んで、これらを旋回降下(引用例1においても、サイクロンを用いている。)させながら反応せしめた後、反応生成物を噴霧乾燥装置内から排出し、かつ、反応後の排ガス中のダストを捕集する塩化水素の除去方法である点で差異はないが、本願発明においては、消石灰のモル比を排ガス中の塩化水素に対して一・〇モル以上二・五モル以下と規定しているのに対して、引用例1においては、前記懸濁液の量は排ガスのチェンバーを離れる温度が一二五℃より高温であるように制御すると規定している点で、両者は相違する。
そこで、右相違点について検討すると、一般に、排ガス中の酸性ガスをアルカリ吸収剤で吸収除去する場合、酸性ガスの除去率は酸性ガスに対してアルカリ吸収剤を多く使用するほど上昇することは技術常識であるし、また引用例2には、SO2(酸性ガス)の除去において、消石灰(アルカリ吸収剤)の使用量を多くすればSO2の除去率が上昇し、消石灰の使用量を化学量論比で二以上とすれば九〇%以上の除去率となることが記載されているから、同様に酸性ガスである塩化水素に対しても、その吸収率を上げるためにアルカリ吸収剤の使用量を化学量論比で二以上、すなわち本願発明にいうモル比一モル以上とすることは、前記のように常用の範囲を含むものであって、格別特異的な範囲とは認められない。
そして、引用例1においては、アルカリ吸収剤の反応率を上げるために低濃度のアルカリ吸収剤を使用しているのであるが、引用例1においても、吸収剤の反応率を気にしなければ濃度の濃い吸収剤を使用できるのであり、そうすれば、引用例1で規定する懸濁液の量をチェンバーを離れる温度が一二五℃より高温であるように制御しても消石灰は塩化水素に対して一モル以上のモル比で使用できるものと認められるから、引用例1の方法において、消石灰を塩化水素に対してモル比で一モル以上二・五モル比以下の常用の範囲で用いて本願発明を構成することは、当業者が適宜なし得る程度のことと認められる。
また、本願発明で前記のように規定したことにより奏する効果も、構成自体が前記したように常用の範囲を含む以上、引用例1の記載事項からすると格別顕著な効果を奏するものとは認められない。
以上のとおりであるから、本願発明は、引用例1及び引用例2に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第二九条第二項の規定により、特許を受けることができない。
四 審決の取消事由
引用例1、2に審決認定の技術的事項が記載されていること、及び本願発明と引用例1記載の発明との一致点、相違点に関する審決の認定は争わないが、審決は、各引用例記載の技術内容を誤認したため右相違点の判断を誤り、かつ本願発明が奏する顕著な作用効果を看過した結果、本願発明は各引用例記載の発明に基づいて容易に発明をすることができたと誤って判断したものであって、違法であるから、取り消されるべきである。
1 相違点の判断の誤り
(一) 審決は、塩化水素の吸収率を上げるためにアルカリ吸収剤の使用量をモル比一以上とすることは格別特異的な範囲とは認められないと判断している。
しかしながら、本願発明が塩化水素に対する消石灰(水酸化カルシウム)の使用量を一・〇モル以上二・五モル以下としたのは、単に塩化水素の吸収率を上げるためのみではなく、通常の反応では生じない塩基性塩化カルシウム水和物を生成させて、反応後の排ガス中のダストを捕集する際の問題を解決するためである。
すなわち、消石灰と塩化水素とが反応すると一般には塩化カルシウムが生成されるが、これは吸湿性、潮解性及び腐蝕性が強く、装置の腐蝕及び取扱いに問題がある。本願発明は、前記範囲のモル比の消石灰を使用することにより、塩化カルシウムに換えて塩基性塩化カルシウム水和物CaCl2・Ca(OH)2・H2Oを生成させるが、これには塩化カルシウムのような吸湿性、潮解性及び腐蝕性がなく、温度は低くなってもさらさらした性状のものであって、本願発明はこのような知見に基づいて創作されたものである。したがって、ダスト捕集を容易とし腐蝕の問題を避けるために消石灰を前記モル比の範囲とすることの特異性について何ら判断せずに、本願発明のモル比一モル以上とすることは常用の範囲を含むものであって格別特異的な範囲とは認められないとすることはできない。
(二) 引用例1には消石灰を使用して塩化水素を除去する技術が記載されているが、消石灰のモル比を一モル以上とすること、あるいは本願発明のように塩基性塩化カルシウム水和物の生成についての認識はなく、その反応生成物の性状は塩基性塩化カルシウム水和物とは異なることが示唆されている。
すなわち引用例1には、「水溶液又は懸濁液の量は廃ガスのチェンバーを離れる温度が一二五℃より高温になるように制御され、そして前記の噴霧化された水溶液又は懸濁液の乾燥及び反応によって形成された物質が乾燥した自由流動性の粉末としてチェンバーを離れる」(特許請求の範囲)、「排ガスはなおその露点から非常に離れているので、それを電気集塵器又はバグフィルターに導入するのに何ら問題はない。」と記載されており、右反応生成物はチェンバーを離れる一二五℃以上の高温においては乾燥状態を維持できるが、温度が低くなり露点に近付くとこれを電気集塵器に導入することに問題があることが明らかである。
(三) また、引用例2記載の発明は消石灰によって二酸化イオウを除去する技術であって、本願発明のように塩化水素を除去する技術ではない。そして、排ガス中の酸性ガスをアルカリ吸収剤で除去する場合その除去率はアルカリ吸収剤を多く使用するほど上昇することは審決認定のとおりであるが、二酸化イオウは弱酸性であり塩化水素は強酸性であるところ、除去しようとする物質の酸性が異なれば同一の除去率を得るために必要なアルカリ吸収剤の化学量論比が異なることは当業者の技術常識である。すなわち、一化学当量の酸は理論的には一化学当量のアルカリと反応するが、実プロセスにおいては反応時間に限りがあるので、酸を中和するのに必要なアルカリは理論的必要量よりも多くする必要があり、強酸性である塩化水素が水に溶けた場合はほぼ一〇〇%が解離するのに対し、弱酸性である二酸化イオウは解離度が小さく反応にあずかる分子の数が少ないので反応速度が遅くなるのである。したがって、二酸化イオウの除去に必要な消石灰の量から塩化水素の除去に必要な消石灰の量を推定することは意味がないから、たとえ引用例2に二酸化イオウの除去に関して消石灰の使用量を化学量論比で二以上(モル比で一以上)とすれば九〇%以上の除去率を得ることが記載されているとしても、塩化水素の除去に要する消石灰の量を同一に考えることはできない。
のみならず、単に塩化水素の除去率を九〇%以上とするだけならば塩化水素と消石灰との化学量論比を一程度とすれば十分であり、これが経済的に好ましい常用の範囲であるから、本願発明のようにその二倍以上の消石灰を投入することは当業者の常識であるということはできない。
(四) したがって、引用例1及び引用例2の記載から、塩化水素に対して消石灰の使用量をモル比で一モル以上二・五モル以下の常用の範囲で用いて本願発明を構成することは、当業者の適宜なし得る程度のことであるとした審決の判断は誤りである。
2 本願発明が奏する作用効果の看過
前記のように、本願発明は塩化水素に対する消石灰の使用量を一モル以上とすることによって、反応生成物の主成分を温度が低下しても吸湿性が少ない塩基性塩化カルシウム水和物に変え、これにより電気集塵器における取扱いを向上すると共に腐蝕の問題をも解決したものである。
これに対して引用例1記載の発明の反応生成物は塩化カルシウムであるが、これは排ガスの温度が下がると湿分を吸収して取扱いが不便となり、腐蝕の問題も生ずる。なお被告は、本願発明の反応生成物の出口温度は一八〇℃ないし三〇〇℃であると主張するが、反応生成物の出口温度は本願発明の構成に欠くことができない事項ではない。前記のように本願発明の反応生成物の性状は出口温度を限定することにより得られるのではなく、塩化水素に対する消石灰のモル比を限定することによって得られるものであるから、出口温度を限定することを前提として本願発明と引用例1記載の発明の反応生成物の同一性を論ずる被告の主張は誤りである。
したがって、本願発明が奏する作用効果は、少なくとも常温付近においては引用例1に記載された従来技術では奏することができない顕著なものであるから、本願発明は格別顕著な効果を奏するものとは認められないとした審決の判断は誤りである。
第三請求の原因に対する認否及び被告の主張
一 請求の原因一ないし三の事実は認める。
二 同四は争う。審決の認定、判断は正当であって、審決に原告主張の違法はない。
1 相違点の判断について
引用例2には、アルカリ吸収剤を噴霧乾燥器中に噴霧することにより排ガスから二酸化イオウを除去する方法において、アルカリ吸収剤を、二酸化イオウと反応するのに必要な化学量論的量の九〇%~二〇〇%(一モル比)用いることが記載されており、アルカリ吸収剤として消石灰(水酸化カルシウム)を使用した実施例の結果を記載した第ⅢA表及び第ⅢB表によれば、使用する消石灰の化学量論的比率を高くするほど二酸化イオウの除去率が高くなる事実が示されている。
すなわち、第ⅢB表の記載を精査すると、二酸化イオウの除去率が九〇%以上となる実施例におけるアルカリ吸収剤の化学量論的量は、いずれも二倍量付近あるいはそれ以上(モル比換算で一モル付近あるいはそれ以上)である。そして、一般に、排ガス中の酸性ガスをアルカリ吸収剤で吸収除去する場合、酸性ガスの除去率は、酸性ガスに対してアルカリ吸収剤を多く使用するほど上昇することが技術常識であることは、審決記載のとおりである。
そうすると、二酸化イオウと同様の酸性ガスである塩化水素に対しても、その吸収率を上げるために、アルカリ吸収剤である消石灰の使用量を化学量論比で二以上、すなわち、本願発明のモル比一モル以上とすることは、右に述べたように常用の範囲を含むものであって格別特異的な範囲とはいえない。
なお、引用例1の第三頁右下欄第九行ないし第一七行には、「吸収剤の溶液又は懸濁液の濃度は個々の場合それぞれに、アトマイザーホイールの回転速度を含め装置のジメンション及び操作条件に適応させる。これは低濃度ほどより小さい粒子を生じ、従って塩化水素との反応が一層進行することが可能になるが、しかし、一方で非常に低濃度では十分なHClの吸収を行なうためにより多量の水の蒸発が必要になり、それに応じて温度が低下しまた廃ガスの水分の増加する欠点を有するからである。」旨記載されており、ここには、生成物の噴霧乾燥器からの出口温度を一二五℃よりも高温に調整する条件を満たせば消石灰の使用量は装置の態様や噴霧器の操作条件を勘案して決定し得ること、及び、吸収剤の高反応率が要求されない場合には濃度が高い吸収剤を使用できることが示唆されているのである。したがって、引用例1記載の発明における塩化水素と消石灰との化学量論比を、その実施例2及び実施例3において使用されている両者の化学量論比に基づいて限定的に解釈しなければならない理由はない。
以上のとおりであるから、引用例1記載の発明において、消石灰を塩化水素に対してモル比で一以上二・五以下の常用の範囲で用いて本願発明を構成することは、当業者が適宜なし得ることである。
2 本願発明が奏する作用効果について
原告は、引用例記載の発明の反応生成物は主として塩化カルシウムであるのに対し、本願発明においては主として塩基性塩化カルシウム水和物が生成されるところ、これは塩化カルシウムのような吸湿性、潮解性及び腐蝕性がないから温度が低くなってもさらさらした性状であって、電気集塵器による集塵が容易であり腐蝕の問題もないのであるが、このような知見は引用例1記載の発明においては認識されていないと主張する。
しかしながら、引用例1には、水酸化カルシウムと塩化水素との反応及びその生成物について、「溶液又は懸濁液の量は乾燥器を去る廃ガスの温度が一二五℃より高く、噴霧された溶液又は懸濁液の乾燥によって生ずる固体が乾いたさらさらした粉末としてチャンバを去るように調整される。本発明の方法の特有の利点は廃ガスが平板型の電気集塵器を適用するときに許容されるより以上に冷却又は濡らされないこと、及びHCl含量を非常に小さい値に低下でき、同時に吸収剤が殆んど完全に利用され、九〇%以上が塩化物に転化されている粉末を得ることができることである。」と記載されている。
すなわち、引用例1記載の発明においても、その反応生成物の噴霧乾燥装置からの出口温度を一二五℃より高くなるように制御することによって、電気集塵装置の適用が容易な、さらさらした物性の生成物を得ることができることが示されているのである。
そして、本願発明の反応生成物の噴霧乾燥装置からの出口温度は、本願明細書の記載からみて一八〇℃~三〇〇℃であることが明らかであるところ、この温度範囲は、引用例1が規定する出口温度一二五℃以上の範囲に包含される。そうすると、引用例記載の発明においてその出口温度を本願発明と同様の温度範囲に制御しても、その生成物の性状はさらさらした粉状のものとなることは明らかである。
したがって、本願発明の反応生成物が引用例記載の反応生成物と相違するものと解することはできないから、本願発明の奏する作用効果の顕著性をいう原告の主張も理由がない。
第四証拠関係《省略》
理由
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。
1 成立に争いない甲第二号証(原明細書)、第三号証(昭和五五年五月九日付け手続補正書)及び第五号証(昭和六一年四月一八日付け手続補正書)によれば、本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果は、左記のとおりと認められる(別紙図面参照)。
(一) 技術的課題(目的)
本願発明は、都市ごみ焼却炉排ガス等の排ガスから塩化水素を除去する半乾式の除去方法に関する。
排ガス中の塩化水素を除去する方法として、湿式法、乾式法及び半乾式法が知られているが、半乾式法は、塩化水素と反応する薬剤を含む吸収スラリに排ガスを接触反応させてHClを除去するもので、この方法によれば、白煙対策、腐蝕対策及び排水処理が不要で、湿式法の欠点をカバーでき、しかもHCl除去率が八〇%以上と高率で、乾式法の欠点もない。従来の半乾式法として、移動層式のものと二流体ノズルを用いたものが挙げられるが、二流体ノズルを用いた塩化水素除去方法は、排ガスを反応蒸発塔に導き、空気又は蒸気と一緒に吸収スラリを高圧噴霧させると共に、排ガスをこれと並流して有害ガス成分を除去する方法で、反応生成物は排ガスの熱により乾燥し粉体として排出される。この方法は、高圧噴霧用の補助設備を必要とし所要動力が大きくなるため、大容量のものには不向きで、しかも、焼却炉排ガスのように負荷変動が激しい排ガスに対して吸収スラリ量及び排ガス温度をコントロールするには、各流体圧力のバランス調整が難しく安定した除去率を得にくい。
本願発明は前記事情にかんがみて創案されたもので、排ガスの負荷変動に対して調整が容易であると共に、塩化水素除去率を高く維持でき、しかも用いる設備が簡易で大容量のものにも適した排ガスの塩化水素除去方法を提供することを目的とするものである。
(二) 構成
本願発明は、前記目的を達成するためにその要旨とする構成を採用したものであり、本願発明の方法においては、塩化水素と反応する薬剤を含む吸収スラリを液流出口19から回転円盤12に滴下し、回転円盤12の遠心力を利用して周方向に噴霧すると同時に、排ガス流入口11から排ガスを流入するもので、噴霧された吸収スラリは、旋回下降しながら排ガス中の塩化水素と反応する。吸収スラリの薬剤は、苛性ソーダあるいは炭酸ソーダでもよいが、安価な消石灰を用いても、十分な反応効率、すなわち吸収率を得ることができる。
消石灰使用量は、理論的には入口塩化水素モル数と等モルであればよいが、実操業では〇・五~二・五モルCa(OH)2/入口HClモル数の範囲とすることにより、五〇~九〇%の塩化水素除去率を示す。
(三) 作用効果
消石灰と塩化水素との反応は、一般に左式で与えられる。
Ca(OH)2+2HCl→CaCl2+2H2O
しかし、この式の反応生成物である塩化カルシウム(CaCl2)は、温度により無水塩・一水塩・二水塩・四水塩・六水塩を生成し、それぞれ吸湿性・潮解性・腐蝕性が強く、装置の腐蝕及び反応生成物の取扱いに関して問題点が多い。しかしながら、本願発明の方法では反応生成物として塩基性塩化カルシウム水和物CaCl2・Ca(OH)2・H2Oを主成分としたものが得られる。この塩基性塩化カルシウム水和物は、前記の乾式法で得られる反応生成物と同じものであり、吸湿率がEP灰(電気集塵機による集塵灰)と同程度に低く、したがって湿式法のように腐蝕対策を必要とせず、EP灰と同様に簡易な処理が可能である。
以上のように、本願発明は、湿式法の利点(高い除去率)、及び乾式法の利点(安価なランニングコスト、設備費、簡易な処理工程)を兼ね備え、大容量のものにも適し、しかも排ガスの負荷変動に対して制御、調整を的確かつ容易に行え、塩化水素除去率を常に高く維持できる等の顕著な効果を奏する。
2 本願発明と引用例1記載の発明の相違点の判断
(一)(1) 前記のように本願発明においてはその主要反応生成物として塩基性塩化カルシウム水和物(CaCl2・Ca(OH)2・H2O)を生成させることが明らかであるが、前掲甲第二号証、第三号証及び第五号証によれば、本願明細書には、原明細書第一一頁第一一行に「下記反応式により」と記載されているにもかかわらず、これに相当する反応式は示されていないが、本願発明の好ましい操業条件を説明する原明細書第一四頁第一五行及び第一六行に「消石灰の使用量は、理論的には入口HClモル数と等モルであればよい」と記載されていることが認められることからすると、右反応は、例えば
2HCl+2Ca(OH)2→CaCl2・Ca(OH)2・HO+H2O
の式で示されるものと推認することができる。したがって、反応生成物として塩基性塩化カルシウム水和物を主成分とするものを得るためには、排ガス中の塩化水素HClのモル数に対して、少なくとも等モル以上の量の消石灰Ca(OH)2を使用する必要があることが明らかである。
ところで前掲甲第二号証によれば、原明細書第一二頁第一行ないし第八行には、本願発明の方法で塩基性塩化カルシウム水和物が主に生成されるのは、吸収スラリが、回転円盤12の遠心力を利用して噴霧される場合細かい粒子(例えば二μパス程度)となること、このため排ガスとの接触面積が多くなること、その結果排ガスの顕熱により急速に乾燥され乾燥状態で排ガス中の塩化水素と反応することが理由であると推定される旨記載されていることが認められるが、前記のとおり消石灰によって排ガス中の塩化水素のすべてを塩基性塩化カルシウム水和物に変えるには塩化水素のモル数に対し少なくとも等モル以上の消石灰を用いることが必要不可欠なのであるから、前記の各理由は、「消石灰を塩化水素のモル数に対し少なくとも等モル以上使用する」との条件が満された場合にのみ実現可能なものである。
そして、前掲甲第二号証によれば、原明細書第一三頁第一六行ないし第二〇行には、「この反応生成物について常温、大気放置下での吸湿率の変化を測定した結果を第5図に曲線a2に示す。なお比較のため消石灰(曲線b2)、CaCl2試薬(曲線d2)及びEP灰(曲線e2)の場合についても併記する。」と記載されており、第5図(別紙図面参照)を見ると、時間(H)の経過に伴う吸湿率(試料重量に対する増加重量の百分率)の変化が示され、曲線d2すなわちCaCl2試薬については、二〇時間で約三三%、六〇時間で約四八%、一〇〇時間で約五〇%強に増加しているのに対し、曲線a2すなわちCaCl2・Ca(OH)2・H2O試薬では、二〇時間で約七%、六〇時間で約一〇%、一〇〇時間でも約一二%であるにすぎないことが認められるから、本願発明の方法による反応生成物は常温、大気放置下において吸湿率が極めて低く、塩化カルシウムのそれに比べて顕著な相違があることは明らかである。
このように、本願発明においては、主要生成物として吸湿率が低い塩基性塩化カルシウム水和物を生成させることによって、排ガスの処理時(すなわち噴霧乾燥装置内やその出口等)だけでなく、その処理後の常温、大気放置下においても、湿式法のような腐蝕対策を必要とせず、簡易な処理を可能にしているものと認められる。したがって、本願発明において消石灰の使用量を「反応前の排ガス中の塩化水素に対してモル比で一・〇モル以上二・五モル以下」の範囲としたのは、単に塩化水素の吸収率を上げるためではなく、反応生成物として塩基性塩化カルシウム水和物を生成させ、これによって反応後の排ガス中のダストを捕集する際の問題、すなわち噴霧乾燥装置出口の高温域に限らず常温、大気放置下における吸収性の問題、腐蝕対策の問題等をも解消するものと認められる。
(2) 一方、《証拠省略》によれば、引用例1には引用例1記載の発明の方法によって得られる生成物に関し「本発明の方法の特有の利点は(中略)九〇%以上が塩化物に転化されている粉末を得ることができることである。(中略)主として(中略)塩化カルシウム(中略)からなる生じた廃物粉末並びにフライアッシュの除去は、この廃生成物が乾いたさらさらした粉末であることにより非常に容易である。」と記載され、吸収剤として水酸化カルシウムを用いた実施例である例2及び例3には「二・五重量%の水酸化カルシウム懸濁液を噴霧した。水酸化カルシウムと塩化水素との間の化学量論比は〇・五/一・〇になるように行った。(中略)生じた乾燥粉末は水分九%でフライアッシュ含量四七%であった。残りは主に塩化カルシウムであった。」、「水酸化カルシウムの二・五重量%懸濁液を噴霧した。塩化水素と水酸化カルシウムとの間の化学量論比は一・〇/一・〇であった。(中略)捕集した乾燥粉末は五〇%フライアッシュを含量した。残りは主に塩化カルシウムであった。」と記載されており、これらの記載によれば、引用例1記載の発明の方法において吸収剤として消石灰を用いると、その主要生成物が塩化カルシウムとなるものと認められる。
ところで、成立に争いない甲第一〇号証の一ないし三(「化学大辞典1」共立出版株式会社昭和三七年六月五日発行)第一〇二九頁右欄の記載によれば、塩化カルシウムの性質は「潮解性で吸湿性がきわめて強い」ものであることが認められる。それにもかかわらず、引用例1記載の発明の方法によって得られる塩化カルシウムからなる廃物粉末(並びにフライアッシュ)が、前記のように「乾いたさらさらした粉末」であるのは、《証拠省略》によれば、「懸濁液の量は乾燥室を去る廃ガスの温度が一二五℃より高く、噴霧された(中略)懸濁液の乾燥によって生ずる固体がさらさらした粉末としてチャンバを去るように調整される。」、「主に塩化物及びフライアッシュからなる(中略)廃ガスはなおその露点から非常に離れている」ためであると認めることができる。
(3) そうすると、本願発明は塩化水素の吸収除去剤として引用例1記載の発明と同じ消石灰を用いているが、その使用量を「反応前の排ガス中の塩化水素に対してモル比で一・〇モル以上二・五モル以下」に限定したのは、主要生成物として塩基性塩化カルシウム水和物を生成させ、これによって反応後のダスト捕集の際の問題を解決しようとするものであるから、引用例1記載の発明とは明らかに技術的課題を異にするものというべきである。
また、《証拠省略》によれば、引用例2記載の発明は、イオウ酸化物及び粒状物を含有するガスからこれらを除去する方法に関するものであって、冷却又は再加熱の必要なしに、電力プラント煙道ガスを処理してそこからイオウ酸化物及び粒状物を除去するために商業上適した新規な多用途二帯法を供し、従来のイオウ酸化物法に特有な種々の欠点を排除することを技術的課題(目的)とするものであることが認められ、排ガスから塩化水素を除去する方法における前記のような技術的課題を有しないことが明らかである。
したがって、審決のように、「排ガス中の酸性ガスをアルカリ吸収剤で吸収除去する場合、酸性ガスの除去率は、酸性ガスに対してアルカリ吸収剤を多く使用する程上昇することは技術常識であるし。」「引用例2にはSO2(酸性ガス)の除去において、消石灰(アルカリ吸収剤)の使用量を多くすればSO2の除去率は上昇し、そして、消石灰の使用量を化学量論比で二以上とすれば九〇%以上の除去率となることが記載されている」としても、本願発明における前記技術的課題について何ら示唆するところのない引用例1及び引用例2記載の発明に基づいて消石灰の使用量を「反応前の排ガス中の塩化水素に対してモル比で一・〇モル以上二・五モル以下」に限定することは、当業者において容易になし得たこととすることはできない。
(二) 引用例1記載の発明は排ガス中の塩化水素の除去に当たり本願発明と同じく消石灰を使用しているが、その主要生成物は塩化カルシウムであって、本願発明のように塩基性塩化カルシウム水和物を生成させることについて何らの認識もないことは前記のとおりである。そして、塩化水素(HCl)を消石灰(Ca(OH)2)で処理して塩化カルシウム(CaCl2)を生成させる反応は、Ca(OH)2+2HCl→CaCl2+2H2Oで示されるところ、この式によれば塩化カルシウム一モルを生成させるために化学量論的に必要な消石灰の量は、塩化水素二モルに対して一モル、すなわち塩化水素の半分のモル数で足りることが明らかであるが、これは、本願発明のように塩基性塩化カルシウム水和物を生成させる場合に必要な消石灰のモル数の半分にすぎない。
そうすると、本願発明における塩化水素に対してモル比で一・〇モル以上二・五モル以下とする消石灰の使用量の限定は、引用例1記載の発明における消石灰の使用量とは別異の技術的意義を有することが明らかであって、引用例1記載から容易に推考することはできないものというべきである。審決は、「引用例1の方法において、消石灰を塩化水素に対してモル比で一モル以上二・五モル以下の常用の範囲で用いて本願発明を構成することは、当業者の適宜なし得る程度のことと認められる。」との判断の根拠として、引用例1記載の発明においてはアルカリ吸収剤の反応率を下げるために低濃度のアルカリ吸収剤を使用していること、引用例1記載の発明においても吸収剤の反応率を気にしなければ濃度の濃い吸収剤を使用できること、及び引用例1記載の発明で規定する懸濁液の量をチェンバーを離れる温度が一二五℃より高温であるように制御しても消石灰の使用量は塩化水素に対して一モル以上のモル比で実施できるものと認められることを挙げているが、これらはいずれも、本願発明が主要生成物とする塩基性塩化カルシウム水和物とは別異の生成物を生成させるための要件にすぎないから、これらを根拠として消石灰を塩化水素に対してモル比で一モル以上二・五モル以下の範囲で用いて本願発明を構成することは適宜なし得るとすることは理由がない。
この点について、被告は、排ガス中の酸性ガスをアルカリ吸収剤で吸収除去するとき酸性ガスの除去率がアルカリ吸収剤を多く使用するほど上昇することは技術常識であるから、酸性ガスである塩化水素に対してもその吸収率を上げるためにアルカリ吸収剤である消石灰の使用量を化学量論比で二以上、すなわち本願発明のモル比一モル以上とすることは常用の範囲を含むものであると主張する。排ガス中の酸性ガスをアルカリ吸収剤で吸収除去するとき酸性ガスの除去率がアルカリ吸収剤を多く使用するほど上昇することが技術常識であることは原告も争わないところであるが、本願発明は前記のとおり塩基性塩化カルシウム水和物を主要生成物とするものであるところ、従来の技術常識が塩基性塩化カルシウム水和物を生成させることを認識していたことを認めるに足りる証拠はないから、右技術常識のみをもって本願発明のモル比一モル以上とすることは常用の範囲を含むとすることはできない。
また、被告は、引用例2には排ガスから二酸化イオウを除去する方法において、使用する消石灰の化学量論的比率を高くするほど除去効率が高くなる事実が記載されており、その二酸化イオウの除去率が九〇%以上となる実施例におけるアルカリ吸収剤の化学量論的量はモル比換算で一モル付近又はそれ以上であると主張する。しかしながら、引用例2記載の発明が吸収除去剤として本願発明と同様に消石灰を使用しているとしても、これによって吸収除去されるガスは二酸化イオウであって、処理対象とするガス自体が本願発明における塩化水素とは別異である上、消石灰による処理によって得られる生成物も本願発明の塩基性塩化カルシウム水和物とは別異のものであるから、引用例2の前記記載は主要生成物として塩基性塩化カルシウム水和物を生成させるために消石灰の使用量を限定する点に関して何らの示唆をするものではなく、塩化水素に対し消石灰をモル比で一・〇モル以上二・五モル以下とする本願発明の限定は引用例2の記載に対しても特異な範囲というべきである。
(三) したがって、引用例1及び引用例2の記載から、塩化水素に対して消石灰の使用量をモル比で一モル以上二・五モル以下の常用の範囲で用いて本願発明を構成することは、当業者の適宜なし得る程度のこととした審決の判断は誤りというべきである。
3 本願発明が奏する作用効果について
前記のように、引用例1記載の発明において塩化カルシウムから成る廃物粉末(並びにフライアッシュ)が乾いたさらさらした粉末であるのは、消石灰懸濁液の量を乾燥室を去る排ガスの温度が一二五℃より高く、噴霧された懸濁液の乾燥によって生ずる固体がさらさらした粉末としてチャンバを去るように調整され、主に塩化物(並びにフライアッシュ)から成る排ガスがなおその露点から非常に離れているようにされているためであり、また、引用例1記載の発明においてその噴霧乾燥室で生成された塩化カルシウムから成る廃物粉末(並びにフライアッシュ)を電気集塵器又はバグフィルタに導入するのに何ら問題がないのは、その廃物粉末(並びにフライアッシュ)自体が乾いたさらさらした粉末であるように高温で露点から離れるよう調整された結果であると認められる。
これに対し、本願発明において塩化水素に対する消石灰を所定のモル比としたのは、塩化水素の吸収率を上げると共に、その主要反応生成物として塩基性塩化カルシウム水和物を生成せしめ、これによって反応後の排ガス中のダストを捕集する際の問題、すなわち噴霧乾燥装置出口の高温域のみでなく常温、大気放置下における吸湿性あるいは腐蝕対策等の問題を解消し、その取扱いを容易にするものであること前記のとおりであるから、本願発明が奏する作用効果は、単に反応直後の問題を解決したにすぎない引用例1記載の発明の作用効果とは別異の顕著なものというべきである。
この点について被告は、本願発明の反応生成物が引用例1記載の発明の反応生成物と相違すると解することはできないと主張するが、前記のとおり、塩化水素を消石灰で処理反応させ主要生成物として塩基性塩化カルシウム水和物を生成させるには塩化水素のモル数に対し少なくとも等モルの消石灰を使用することが必要不可欠であるところ、引用例1にはその主要生成物として塩基性塩化カルシウム水和物が生成させること、及びそのために消石灰の使用量を限定することについては何らの記載もないのであるから、たとえ引用例1に、生成物の噴霧乾燥器からの出口温度を一二五℃よりも高温に調整する条件を満たし、水酸化カルシウムの使用量が使用する装置の態様や噴霧器の回転数を含めその操業条件を勘案して決定し得るものであり、さらに吸収剤の高反応率が要求されない場合には濃度の高い吸収剤を使用できることが示唆されているとしても、これらは塩化カルシウムを生成させるための事項というほかない。したがって、本願発明の反応生成物の出口温度が引用例1記載の発明の出口温度に包含され、右出口における反応生成物の性状が共にさらさらした粉末状のものであるとしても、本願発明の反応生成物と引用例1記載の発明の反応生成物とが同一のものであると解する余地はない。
4 以上のとおりであるから、本願発明は引用例1及び引用例2記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとする審決は、本願発明と引用例1記載の発明との相違点の判断を誤り、かつ本願発明が奏する顕著な作用効果を看過したものであって、違法であるから、取消しを免れない。
三 よって、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は正当としてこれを認容することとし、訴訟費用の負担については行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する
(裁判長裁判官 藤井俊彦 裁判官 竹田稔 春日民雄)
<以下省略>