東京高等裁判所 昭和63年(行ケ)304号 判決 1990年10月18日
原告
三井石油化学工業株式会社
被告
特許庁長官
主文
特許庁が昭和五九年審判第二一〇五〇号事件について昭和六三年一一月一〇日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
主文同旨の判決
二 被告
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決
第二請求の原因
一 特許庁における手続の経緯
出願人 原告
出願日 昭和五四年七月一〇日(昭和五四年特許願第八六四四六号)
本願発明の名称 「テトラキス〔3-(3,5-ジブチル-4-ヒドロキシフエニル)プロビオニルオキシメチル〕メタンの製造方法」
拒絶査定 昭和五九年九月一七日
審判請求 昭和五九年一一月二一日(同年審判第二一〇五〇号事件)
審判請求不成立審決 昭和六三年一一月一〇日
二 本願発明の要旨
塩基性触媒の存在下に式Ⅰで示されるアクリル酸エステルとCH2=CH-COOR1 Ⅰ
(式中、R1はメチル基又はエチル基である。)式Ⅱでしめされる2.6-ジブチルフエノールとを
BU
Ⅱ
BU
反応させて、式Ⅲで示されるプロピオン酸エステルを
BU
HO CH2-CH2-COOR1Ⅲ
BU
生成させる工程Aと、工程Aの反応生成物から式Ⅲのプロビオン酸エステルを単離精製することなく工程Aの反応生成物にペンタエリスリトールを添加し、エステル交換反応を行う工程Bとからなるテトラキス〔3-(3.5-ジブチル-4-ヒドロキシフエニル)プロピオトニルキシメチル〕メタンを製造する方法にあつて、工程Aにおいて反応温度を八〇ないし九五℃、式Ⅰにアクリル酸エステルと式Ⅱの2.6-ジブチルフエノールとのモル比〔Ⅰ/Ⅱ〕を一・〇二ないし一・〇四とすることを特徴とするテトラキス〔3(3.5-ジブチル-4-ヒドロキシフエニル)プロピオニルオキシメチル〕メタンの製造方法。
三 審決の理由の要点
1 本願発明の要旨
前項記載のとおり(特許請求の範囲の記載に同じ。)
2 特公昭四二-一八六一七号公報(以下「引用例(1)」という。)及び特公昭四二-一九〇八三号公報(以下「引用例(2)」という。)の記載
塩基性触媒の存在下にアクリル酸エステルⅠと2.6-ジブチルフエノールⅡとを反応させて3-(3.5-ジブチル-4-ヒドロキシフエニル)プロピオン酸エステルⅢを生成させる工程Aと、工程Aの目的生成物であるプロピオン酸エステルにペンタエリスリトールⅣを塩基性触媒の存在下エステル交換反応させる工程Bとからなるテトラキス〔3-(3.5-ジブチル-4ヒドロキシフエニル)プロピオニルオキシメチル〕メタンⅤを製造する方法が記載されている。
3 本願発明と引用例(1)、(2)との対比
(一) 一致点
塩基性触媒の存在下にアクリル酸エステルⅠ(本願発明及び引用例(1)、(2)とも、特に区別の必要のない限り、以下、単に「アクリル酸エステル」という。)と2.6-ジブチルフエノールⅡ(同じく、以下、単に「ジブチルフエノール」という。)とを反応させて3-(3.5-ジブチル-4-ヒドロキシフエニル)プロピオン酸エステルⅢ(同じく、以下、単に「プロピオン酸エステル」という。)を生成させる工程A(以下、このような工程を「工程A」という。)と、右プロピオン酸エステルにペンタエリスリトールⅣ(アクリル酸エステルの場合と同じく、以下、単に「ペンタエリスリトール」という。)を塩基性触媒の存在下エステル交換反応させる工程B(以下、このような工程を「工程B」という。)とからテトラキス〔3-(3.5-ジブチル-4-ヒドロキシフエニル)プロピオニルオキシメチル〕メタンⅤ(アクリル酸エステルの場合と同じく、以下、単に「テトラキスメタン」という。)を製造する点。
(二) 相違点
工程Aにおいて、本願発明が反応温度を八〇ないし九五℃アクリル酸エステルとジブチルフエノールとのモル比を一・〇二ないし一・〇四と特定するのに対し、引用例(1)、(2)においてはそのような特定がない点(以下「相違点(1)」という。)及び本願発明が工程Aのプロピオン酸エステルを単離精製することなく工程Aの反応生成物にペンタエリスリトールを加えて工程Bを行うのに対し、後者では工程Aのプロピオン酸エステルを単離精製後に工程Bを行う点(以下「相違点(2)」という。)。
(三) 右相違点以外に格別の差異はない。
4 相違点に対する判断
(一) 相違点(1)について
反応温度や反応試薬のモル比が特定されていない引用例(1)、(2)記載の発明は、特定された本願発明を含むものであり、その特定についても当業者が目的に応じて各々試みて決めることであつて、本願発明における前記特定は通常の選択の範囲内であるから、当業者に格別困難なこととは認められない。
(二) 相違点(2)について
一般に複数工程からなる方法においては、各工程を連続して行う方法(以下「連続法」という。)と、段階毎の目的生成物を単離精製して行う方法(以下「分離法」という。)があることは当業者によく知られており、連続法を採るか分離法ほ採るかは当業者が適宜決めることである。そして、工程Aと工程Bは各々溶媒、触媒共に共通のものであつてもよいことは請求人(原告)も承知していることから本願発明において連続法を選択したことに困難性を認めることはできない。
(三) 更に、本願発明の明細書の実施例と参考例を比較検討しても、本願発明の方法(連続法)が公知の方法(分離法)に比して格別優れた効果を奏したものとも認められない。
5 したがつて、本願発明は引用例(1)、(2)に記載された発明に基づいて容易に発明をすることができたものと認められるので、特許法二九条二項の規定により特許を受けることができない。
四 審決を取り消すべき事由
審決の理由の要点1、2及び3の(一)ないし(三)は認める。4のうち、(一)は争う。同(二)のうち、連続法を採るか分離法を採るかは当業者が実施に当たつて適宜決めることであるとの点及び本願発明において連続法ほ選択したことに困難性を認めることができないとした点は争い、その余は認める。同(三)は争う。5は争う。審決は、連続法を採択した本願発明の相違点(1)に係る構成の推考困難性及び作用効果の顕著性に関する判断を誤り、その結果、本願発明の進歩性の判断を誤つて否定した。
1 審決はまず、本願発明が工程Aの反応条件(反応温度及び反応試薬 のモル比)を特定した点(相違点(1))について、引用例(1)、(2)記載の発明は工程Aの反応条件を格別限定していないから本願発明の反応条件を含み、その特定も当業者の通常なし得る範囲内のものにすぎない旨判断している(審決の理由の要点4(一))。しかし、右審決の判断は、審決も相違点(2)として摘示するとおり、本願発明が工程Aの目的生成物(中間体)であるプロピオン酸エステルを単離精製することなく工程Bを実施するもの(連続法)であるのに対し、引用例(1)、(2)記載の発明は工程Aの反応生成物からプロピオン酸エステルを単離精製した後に工程Bを行うもの(分離法)であり、したがつて、両者の反応条件選択の前提は全く異なることを無視している点で既に誤りである。すなわち、分離法では、工程A終了後プロピオン酸エステル分離のための多数の工程を必要とし、かつこれに伴つて薬剤、溶剤、水、熱量等の供給を必要とするのに対し、連続法は、工程A終了後の単離精製を経ないため、分離法よりも製品コストを低くすることができる反面、最終目的物であるテトラキスメタンの総括収率(工程Aにおけるプロピオン酸エステルの理論収率(分離法によるときは単離精製による回収率をも考慮したもの)と工程Bにおけるテトラキスメタンの理論収率とテトラキスメタンの再結晶回収率(分離法、連続法とも、工程Bの後でテトラキスメタンを単離精製するために問題となる。)とも掛け合せたもの)(以下、単に収率というときは、この意味で用いる。)の点で分離法に劣つている。本願発明は、両者のかかる差異に着目し、連続法の使用を前提に、その収率の改善を課題として、工程Aの反応条件(反応温度と反応試薬のモル比)について前記本願発明の要旨のとおり選択したものであり(なお、本願発明においても、工程Bについては、引用例(1)、(2)にみられるような従来公知の条件に従うものである。)当然ながら、分離法に係る製造方法を記載したものである引用例(1)、(2)には、かかる課題や構成に関する何らの記載も示唆もない。のみならず、明細書の記載及び追試結果を示すものである甲第八号証からも窺われるように連続法による場合の収率低下の原因は、単離生成を経ないために残存した工程Aにおける副精製物が工程Bにおいてペンタエリスリトール等と副反応を起こし、これが同工程におけるテトラキスメタンの収率及びその後の単離精製による回収率に悪影響を及ぼすためであると考えられるところ、本願発明が選択した工程Aの反応条件は、明細書の比較例及び前記甲第八号証の追試結果によつて裏付けられているとおり、収率に複雑な影響を及ぼす工程Aの反応条件のうち、例外的に分離法による場合に劣らない収率を示す。ごく限られた範囲のものであるから、本願発明のこの点の構成が、分離法に係る引用例(1)、(2)記載の発明の反応条件に基づいて想到し得る筈がないことはもとより(なお、この点は、前記甲第八号証における、引用例(1)、(2)の反応条件のままで連続法を行つた場合の収率が極度に低いことを示す実験結果からも窺われるところである。)、連続法と分離法が単なる選択事項であるとか、反応条件の設定が適宜選択し得る事柄にすぎないとか、被告主張のように単なる技術常識に基づいて容易に想到し得る事柄にすぎないとかいうことができないことは明らかである。
2 また、審決は、本願発明の明細書記載の実施例と参考例を比較することにより、本願発明の方法(連続法)が公知の方法(分離法)に比して格別優れた効果を奏したものとも認められないとしているところ(審決の理由の要点4(三))、この点の判断は、要するに、連続法による実施例1、2の収率と分離法による参考例の収率との間にさほど差異がない点を指摘しているものと解される。しかし、本願発明が、分離法よりも低コストではあるが収率の劣る連続法の使用を前提に、その改善を課題として前記本願発明の要旨のとおりの構成を採択し、連続法によりながら分離法に劣らない収率を実現したものであることは前記のとおりであるから(なお、本願発明の収率が分離法に劣らないものであることは、明細書の記載によつて裏付けられているところである。)、本願発明が低コストにして高収率という従来方法にはみられない顕著な作用効果を得ているものであることは明らかである。したがつて、収量の点だけに着目した前記審決の判断は誤りというほかない。
3 なお、被告は、乙第一号証を援用するなどして、本願発明が工程Aの反応試薬のモル比を一対一に近付けたのは技術常識上当然のことにすぎない旨主張するが、右証拠は、分子量に分布を持つ混合物(エポキシ樹脂)の変性反応であつて、本願発明のアクリル酸エステルとフエノールとの反応のような低分子の純粋な化学反応とは異なるから参考にはならないし、本願発明のモル比は一対一・〇二ないし一・〇四であつて一対一ではない。また、本願発明の反応条件は、特定のモル比と特定の温度条件の組合せであるから、モル比だけを取り上げて議論しても意味がない。更に、収率は、使用される試薬の性質によつても大幅に異なり得ること(例えば、甲第八号証に例として示しているように、本願発明の工程Bにおいて使用されるペンタエリスリトール(四価アルコール)に対し、一価アルコールを用いた場合等)を考慮すると、被告主張のような一般論で、本願発明の特定した工程Aの反応条件の選択が容易になし得るとはいえない。
4 そうであれば、以上のような誤つた判断の下に本願発明の進歩性を否定した審決は、その判断を明らかに誤つたものであるから、違法として取り消されるべきである。
第三請求の原因に対する認否及び被告の主張
一 請求の原因一ないし三は認め、四は争う。
二 被告の主張
1 原告の主張1の点について
本願発明が特定する工程Aの反応条件は、連続法の条件として予測し得ないものでない。すなわち、分離法は工程毎の収率を向上させようとするものであるところ、一般に、一方の原料に基づく収率を上げようとすれば他方の原料を過剰に加えればよいことはよく知られており、引用例(1)、(2)記載の発明のアクリル酸エステルのジブチルフエノールに対するモル比(一・一四)もこのような観点から定められたものである。これに対し、連続法は中間体の分離によつて反応系を整理することを省略するものであるから、当初の工程でなるべく余分な反応物が存在しないように原料の使用モル比を分離法による場合よりも低く、すなわち当量に近くすることは当業者の常識であり(一例として、乙第一号証には、多段階反応を連続して行う場合に、初めの反応を一対一の当量比で行う例が示されている。)、しかも、工程Aで用いられるアクリル酸エステル不飽和二重結合を有して反応性が高く、過剰に存在すれば余分の副生成物を生じやすいものであることを考慮すれば、引用例(1)、(2)記載の発明の分離法を連続法に代えるに当たつて、アクリル酸エステルの過剰度を小さくし、当量に近いモル比で実施する程度のことは、当業者なら格別創意を要することなくなし得ることにすぎない。
2 原告の主張2の点について
(一) 原告は、本願発明の作用効果の顕著性の判断に当たつては、本願発明では、中間体の単離精製を省略し得るため低コストであるとの利点の存在をも考慮すべきである旨主張するが、分離法に代えて連続法を採用すれば、かかる利点が生じるのは当然のことにすぎず、その点で格別の効果を認めることはできない。
(二) 明細書記載の参考例(分離法によるもの)の収率は実施例より若干低いが、参考例における中間体の単離精製は極めて多くの工程を経てなされているところ、分離法による場合でも、中間体については、物性を確認する必要がある場合を除き、粗生成物の状態まで単離した程度で次工程に加えるのが通常であることを考慮すると、参考例は必要以上の単離生成の結果収率が低下しているものとも考えられるから、右記載を根拠として、本願発明が収率に関して予想外の効果を奏したということはできない。また、引用例(1)、(2)記載の発明と同一の反応条件で連続法を適用した場合に収率が低下することを示す甲第八号証の3の実験は、工程Aでジブチルフエノールに対してアクリル酸エステルを一・一四という過剰なモル比で加えながら、単離精製しないで工程Bを行うという当業者なら考えもしないような条件を採用するものであるうえ、本願発明の実施例1、2では工程Bの前に未反応アクリル酸エステルの留去を行つていながら、前記実験においては、これを留去しないまま工程Bに入り、工程Bに反応を行いつつ未反応アクリル酸エステルの留去をなしており、かかる実験条件によれば、その収率が低くなるのも当然のことにすぎないから、右実験結果によつても、収率の点で本願発明に格別の効果があるとすることはできない。
第四証拠関係
本件記録中の書証目録の記載を引用する。
理由
一 請求の原因一ないし三(特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び審決の理由の要点)当事者間に争いがない。
二1 右当事者に争いのない本願発明の要旨に甲第二ないし第五号証(以下「本願明細書」と総称する。)及び弁論の全趣旨を総合すれば、本願発明の製造対象であるテトラキスメタンの製造方法としては、従来から、審決摘示の工程Aと工程Bからなるものが知られていたが、両工程の組合せ方には、工程Aの反応生成物から同工程の目的生成物(中間体)であるプロピオン酸エステルを単離精製したうえ、これを工程Bの原料として使用する、いわゆる分離法による場合と、工程Aの反応生成物から右プロピオン酸エステルを単離精製することなく工程Bを実施する、いわゆる連続法による場合があること、右のうち分離法による場合は、公知の反応条件の下に各工程を実施することにより比較的高収率が期待できるが、中間体の単離精製の必要や工程毎に高価な触媒を添加する必要があるため製品コストを高くなつてしまうのに対し、連続法によれば製品コストが低く抑えることができる反面、高い収率が期待できないという欠点があつたこと、本願発明は、以上のような状況に鑑み、連続法による場合の収率を改善することにより、低コストにして、かつ分離法に劣らない収率が期待し得るような製造方法の実現を目的として、前記本願発明の要旨のとおりの構成、すなわち、前記従来方法のうち連続法によるものにおいて、工程Aの反応条件を反応温度(八〇ないし九五℃)と反応試薬のモル比(アクリル酸エステルのジブチルフエノールに対するモル比一・〇二ないし一・〇四)の二点で限定する構成を採択したもの)なお、工程Bについては公知の反応条件に従うものである。)であることが認められる。
2 次に引用例(1)、(2)に審決の理由の要点2摘示のとおりの記載のあること、右各引用例記載の発明と本願発明との間には同3摘示のとおりの一致点及び相違点(1)、(2)があり、かつ右相違点以外の格別の再がないことは当事者間に争いがなく、右事実に成立の争いのない甲第六、第七号証を総合すれば、引用例(1)、(2)記載の発明も、本願発明同様、工程Aと工程Bからなるテトラキスメタンの製造方法に係り、本願発明との実質的差異は、分離法による点(審決摘示の相違点(2))と工程Aの反応温度と反応試薬のモル比を、本願発明の八〇ないし九五℃、一・〇二ないし一・〇四に対し、五〇℃、一・一四としている点(引用例(1)においては例1、引用例(2)においては実施例1A)(同相違点(1))のみであることが認められる。
三 取消事由に対する判断
原告は、取消事由として、審決は、連続法に採択した本願発明の相違点(1)に係る構成の推考困難性及び作用効果の顕著性に関する判断を誤つた結果、進歩性の判断を誤つたものである旨主張しているので、判断する。
1 前記二1によれば、本願発明における工程Aの反応条件(反応温度及び反応試薬のモル比)の選択は、工程Aの中間体を単離精製することなく工程Bを実施する連続法の採用を前提として、その場合の収率改善のためになされたものであることが明らかであるのに対し、同2によれば、引用例(1)、(2)記載の発明は、工程Aの中間体を単離精製したうえ、これを工程Bの原料として使用する分離法によるものであることが明らかであるから、工程Aの反応条件も、当然ながら分離法を前提として選択されているものと推認されるところ、連続法と分離法の連続させ方の違いに照らせば、連続法では工程Aの状態が工程Bに影響を及ぼすのに対し、単離法ではそうでないことが明らかであり、現に、後記4で認定するように工程Aにおける副生成物が工程Bに対して影響を及ぼすことが窺われるから、そうである以上、原告主張のとおり、両者はその反応条件選択の前提を全然異にするものというべきであり、また、前掲甲第六、第七号証を精査しても、他に、引用例(1)、(2)中に前記二1認定の本願発明の課題や構成に関する記載ないし示唆を見出すことはできない、そうであれば、本願発明の工程Aの反応条件が引用例(1)、(2)の記載が推考し得るものでないことは明らかであり、もとより複数工程からなる方法において、連続法と分離法があることが当業者に知られているからといつて、また、工程Aと工程Bにおける溶媒、触媒が共通しているからといつて、そのことが直ちに、右の点の推考容易性が裏付けるものでもない。
2 また、本願明細書(前掲甲第二ないし第五号証)の表1(本判決添付の別表)に記載された実施例1、2及び比較例1ないし4を対比すると、同じ連続法により、かつ、他の操作条件を同一にした場合でも、反応温度及び反応試薬のモル比のいずれかの点で本願発明の規定の範囲外のもの(比較例1ないし4)は、範囲内のもの(実施例1、2)より工程Aにおけるプロピオン酸エステルの理論収率(表中「Ⅲの理論収率」)(ただし比較例1を除く。)、工程Bにおけるテトラキスメタンの理論収率(表中「Ⅳの理論収率」)及び再結晶回収率(ただし比較例2を除く。)が劣り、したがつて総括収率も相当低いことが明らかであり、また、これらを参考例(分離法によるもので、工程Aの反応温度及び反応試薬のモル比は比較例1に、その余の操作条件はほぼ実施例1に同じ。)と対比した場合、実施例1、2の総括収率は参考例とほぼ同等といえるが(実施例1、2の方がやや高い。)比較例1ないし4の総括収率はいずれも参考例より相当低いことが明らかである。右によれば、連続法による場合は、工程Aの反応条件が本願発明の規定の範囲外のときは総括収率の点で分離法による場合よりも劣るが、規定の範囲内では分離法による場合とほぼ同等の総括収率が得られるものであることが一応裏付けられているものと認めることができ(なお、この点は、前掲甲第八号証の表4、5の追試結果を参酌すれば一層明らかである。)、また、連続法が少なくとも中間体の単離精製を省略できるだけ分離法より製品コストを低く抑えることができることも明らかであるから(この点は前掲甲第二号証の八頁八行ないし一一行に明記されているところである。)、本願発明は、工程Aの反応条件を前記本願発明の要旨のとおり限定することにより、低コストにして、かつ分離法に劣らない収率を得るという、前記二1認定の本願発明の目的にほぼ沿う作用効果を得ているものと認められる。そして、この点で、工程Aの反応条件に関する本願発明の規定は格別の技術的意義を有するものである。
3 そうであれば、審決のいうように、該規定をもつて当業者において適宜なし得る通常の選択の範囲内のものにすぎないということはできないから、引用例(1)、(2)の他に何ら引用例も引くことなく、連続法による相違点(1)に係る本願発明の構成が想到容易であるとした審決の判断は誤りといわざるを得ないし、連続法による本願発明の実施例の収率と分離法による本願発明の参考例の収率との間に格別の差異がないことを理由とするものと解される本願発明の作用効果に関する審決の判断もまた誤りというほかない。
4 被告は、本願発明が特定する工程Aの反応条件技術常識からも容易に想到し得るものであるとしてある主張しているけれども、前掲甲第八号証によれば、連続法による場合の収率低下は、単離精製を経ないために残存した工程Aにおける副生成物が工程Bの目的生成物(テトラキスメタン)の収率等に影響を及ぼすためであることが窺われるのみならず、該副生成物の工程Aにおける発生の程度や工程Bにおける挙動及び影響度も、工程A及び工程Bの反応条件、反応試薬等により複雑に影響されるものであることが窺われることに加えて、前記本願発明の要旨から明らかなように本願発明の規定が、反応試薬のモル比において一・〇二ないし一・〇四で、かつ反応温度において八〇ないし九五℃という比較的狭い範囲の規定であることを考慮すれば、被告主張のような一般論のみでは、工程Aの反応条件に係る本願発明の構成に到達し得るものでないといわざるを得ないから、この点に関する被告の主張は採用できない。また、本願発明の収率に関して被告が主張するところも、本願発明の収率が分離法よりも優れていないことを指摘しているにとどまる点で、既に採用の限りでない。
5 そうであれば、審決の判断は原告主張の点で誤りであるというべきであり、右の誤りが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、審決は違法として取り消されるべきである。
三 よつて、原告の本訴請求の認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 舟橋定之 裁判官 小野洋一)
<以下省略>