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松山地方裁判所 平成12年(ワ)228号 判決 2003年9月16日

主文

1  被告は、原告に対し、7375万0947円及びこれに対する平成12年4月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを10分し、その3を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

4  この判決は、主文第1項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第1  請求

被告は、原告に対し、1億0760万5538円及びこれに対する平成9年1月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2  事案の概要

本件は、被告が開設する病院において経皮的冠動脈形成手術を受けた亡甲野太郎の相続人である原告が、上記手術を行うに当たり同病院に過失があったなどとして、開設者である被告に対し、診療契約上の債務不履行に基づき、逸失利益、慰謝料等の損害金及びこれに対する債務不履行日の翌日から支払済みまでの遅延損害金の支払を求める事案である。

第3  争いのない事実

1  当事者

原告は亡甲野太郎(以下「亡太郎」という。)の配偶者であり、被告は、愛媛県立中央病院(以下「被告病院」という。)の開設者である。

2  被告病院における亡太郎の診療経過等

亡太郎は、平成8年7月5日、被告病院の内科医師Bの外来診察を受け、ここに亡太郎と被告との間に診療契約が成立した。亡太郎は、平成9年1月17日、被告病院において、経皮的冠動脈形成手術を受けた(以下、この手術を「本件手術」という。)が、本件手術において、経皮的冠動脈形成手術終了直後に亡太郎に急性冠閉塞が起こり、更に経皮的冠動脈形成手術が施されたものの、亡太郎に低酸素脳症が生じた。

被告病院における亡太郎の診療経過等は、別紙診療経過一覧表及び同本件手術経過一覧表のとおりである。

3  亡太郎の死亡と原告の相続

亡太郎は、平成10年4月8日、意識不明のまま死亡したが、原告以外の相続人が相続を放棄したため、原告が亡太郎の権利義務を全て承継した。

第4  争点

1  被告病院の本件手術の術式選択における過失の有無

(1) 原告の主張

亡太郎の症例は、冠動脈のうち左前下行枝と左回旋枝とに有意狭窄のある2枝病変であったが、右冠状動脈は小さく、左冠状動脈がその分だけ大きく、左の2枝で右の分を含む3枝分の広範な心筋領域を灌流していることになっていたから、事実上3枝病変例と同等に考えるべき重症例であった。その上、糖尿病、肥満も合併しており、また、病変も石灰化を伴う複雑病変であった。

当時、糖尿病の合併する左前下行枝近位部を含む多枝病変に対しては、経皮的冠動脈形成手術(以下「PTCA」という。)より冠動脈バイパス手術(以下「CABG」という。)の方が成績(予後)が有意によいことは実証されていたのであるから、被告病院は、本件手術の術式として、CABGを第一選択とすべきであった。にもかかわらず、被告病院は、亡太郎に対する手術方式としてPTCAを選択したものであって、この点に過失がある。

(2) 被告の主張

亡太郎の症例は、形式的には左前下行枝と左回旋枝とに有意狭窄のある2枝病変であり、実質的にみても、左回旋枝の有意病変は末梢にあり、本来の右冠動脈が灌流する領域に相当する一方、本来の左回旋枝の灌流域に虚血は生じないから、右冠動脈と左前下行枝との2枝病変というべきである。また、石灰化を伴ってはいなかったし、亡太郎の糖尿病及び肥満は軽度で、治療法選択において考慮すべき程度には至っていなかった。

亡太郎の症例は2枝病変であり、冠動脈疾患におけるインターベンション治療の適応ガイドライン等の基準においてもPTCAの原則禁忌とはされていない。仮に亡太郎の症例が3枝病変に相当するものと評価されるとしても、同様である。また、当時の大規模臨床試験結果によれば、PTCAよりもCABGの方がより手技リスクが少なく、生命予後もよいとする一般的な意見は否定されていた。これらのことからすると、被告病院が、本件手術の術式として、PTCAを選択したことに過失はない。

2  被告病院の術前管理における過失の有無

(1) 原告の主張

PTCAは、剥離片による血管閉塞、内膜傷害部に形成される血柱性閉塞、偏心性病変血管の健常壁の伸展に対する反応として発生する攣縮性狭窄によって急性冠閉塞をきたすおそれがあるから、術前にそのような危険性があるかどうかを調査すべきであった。特に、亡太郎は糖尿病を患っていた上、左前下行枝近位部病変を含む2枝病変であるばかりか、事実上3枝病変にも匹敵する極めて重篤な要注意の症例であったから、このような症例につきPTCAを施術する場合、術前に体質として血液が凝固しやすく血栓を作りやすいかどうかについて、IVUS(血管内エコー法)を実施したり、糖尿病の合併症、血清リポ蛋白の高値、プロテインC欠損症、抗リン脂質抗体症候群等の調査をする必要があった。にもかかわらず、被告病院はこれらの検査をしなかった。

(2) 被告の主張

被告病院においては、通常実施すべき術前検査は適切に行い、その結果、亡太郎はPTCAに耐えられると判断されたものである。

急性冠閉塞の危険性はどの患者もある程度の確率で有しており、また、それはPTCAを行った結果として発生するものであるから、術前にIVUS等を行ったからといって急性冠閉塞の発生を事前に予測できるものではない。

3  被告病院の本件手術におけるステント選択の過失の有無

(1) 原告の主張

被告病院は、本件手術においてWIKTORステントを選択した。しかし、WIKTORステントは、平成9年1月当時、すでに急性血栓による急性冠閉塞が起こりやすく、再狭窄も生じやすい等機能的に不良であると指摘されはじめていたから、重症多枝病変である亡太郎にはWIKTORステントではなく、PALMATZ-SCHATZステントを使用すべきであった。被告病院には、この点において過失がある。

(2) 被告の主張

平成9年1月当時、WIKTORステントがPALMATZ-SCHATZステントと比較して劣るとの定説は確立されていなかったから、被告病院が本件手術においてWIKTORステントを選択した点に過失はない。

4  被告病院の本件手術時における心臓外科医待機に関する診療契約違反の有無

(1) 原告の主張

被告病院の医師Cは、平成9年1月13日、亡太郎に対し、本件手術がうまく行かなかった場合には心臓外科医によるCABGの準備をしておくと約束し、これをもって、被告と亡太郎との間にその旨の診療契約が成立した。ところが、同医師は本件手術の際、心臓外科医によるCABGの準備(心臓外科手術室の確保、心臓外科医の待機等)を何らしていなかったため、PTCA施行後に急性冠閉塞によって心原性ショック状態に陥った亡太郎に対し、CABGを行うことができなかった。

(2) 被告の主張

被告病院においては、PTCAの実施日は、個別の待機要請の有無に関わらず、PTCAの合併症等による緊急手術に備えて待機することになっており、本件においても、カテーテル室からの緊急手術の連絡があれば、最短で約1時間で手術を始めることができた。

また、医師Dは、念のために本件手術の前日に心臓血管外科の医師Eに対し、翌日に同科の予定手術が入っていないことを確認した上で、本件手術の開始予定時刻を伝え、待機要請を行っている。

5  被告病院の亡太郎急変後の処置における過失の有無

(1) 原告の主張

被告病院は、本件手術後、亡太郎が心原性ショック状態に陥り、全身の間代性の痙攣が起きた時点で、直ちに経皮的心肺補助装置(以下「PCPS」という。)を装着し、CABGを行うべきであった。ところが、被告病院は、心臓マッサージを40分続けるなど不十分な心肺蘇生術を行うのみであり、そのため、亡太郎は低酸素脳症に陥り、死亡するに至った。

(2) 被告の主張

被告病院は、PCPSの装着を優先させた場合、心臓の蘇生を遅らせることになり、場合によっては心臓が回復不能となること、一方PTCAによって急性閉塞した冠動脈の再疎通が早期に成功すれば脳及び心臓を含む全身の臓器機能を回復させることができることを念頭に、本件の場合は、亡太郎を病室に搬送せずにすぐに心臓血管造影室(心臓カテーテル検査・治療を行うための部屋)に搬入することが可能であり、急性冠閉塞等の万一の事態に備えてシース(カテーテルの挿入口)を抜去しないまま大腿動脈に留置していたため、すぐにPTCA用のカテーテルを挿入することができたことから、緊急PTCAによる再疎通を優先させたものである。平成9年1月17日午前11時38分に亡太郎はショック状態に陥ったが、緊急PTCAの結果、同日午前11時54分には血圧が86MMHGまで回復し、心原性ショックから離脱している。

以上のとおり、約16分後には緊急PTCAにより心原性ショックからは離脱できていたのであるが、それでも亡太郎の低酸素脳症を防ぐことはできなかった。PCPSの装着には最短でも15分を要するのであるから、これを優先させたとしても低酸素脳症を防ぐことはできなかったと考えられる。

また、原告主張のように、PCPSを装着した上、緊急CABGを行った場合、冠動脈を疎通させるためには最低1時間を要し、脳障害に加え心機能も回復不能となるという、より悪い結果になった可能性が高い。

さらに、PCPSは、体動による回路屈曲などにより脱血不調が生じると、たちまち血圧低下とそれに引き続く重篤な事態(心筋虚血、不整脈、心停止)が生じる危険性を有しており、また、合併症として動脈壁の損傷、静脈の血栓症、下肢血流の不全が発生するともいわれており、安易に使用されるべき装置ではない。

6  被告病院の説明義務違反の有無

(1) 原告の主張

本件では、当初CABGを施行するとされていたものがPTCAに変更されたものであり、かつ、病変、病型が重症例であるから、PTCA及びCABGのそれぞれの危険性とその原因等について患者に説明し、患者と家族に選択権を与え、同意を求める必要があった。

ところが本件では、当初CABGを第1選択としていた際に、主治医であるD医師は、CABGが第1選択となる理由、CABGの危険性については説明をしていない。また、PTCAを第1選択とした後も、C医師は、PTCAの内容について説明したのみで、その危険性や、CABGとの違いなどについては説明をしなかった。

(2) 被告の主張

D医師は、亡太郎に対し、平成8年10月3日には、CABGの合併症(脳梗塞など)、死亡率、治療内容の説明をし、同月15日の外来診療の際には、同月8日のカテーテルカンファレンスの結果に基づき、PTCAも可能と考えられるとされたこと、PTCAは心臓の血管の狭窄部分を風船で拡げるCABGに比べて侵襲の少ない方法であること、C医師が執刀することを説明し、原告の承諾を得た。

平成9年1月13日には、C医師が、亡太郎とその家族に対し、PTCAの手技、成功率、再狭窄の発生率、急性冠閉塞を含む各種合併症の発生率、それに伴う死亡率等について、CABGの治療成績と比較して説明し、さらにCABGの詳細について説明を受けたい旨の要望があれば受け付ける旨を述べている。

7  損害

(1) 原告の主張

被告の診療契約上の債務不履行により、亡太郎には以下の損害が生じた。

ア 入院雑費 67万0500円

入院期間は平成9年1月17日(債務不履行日)から平成10年4月8日(亡太郎死亡日)までの447日に及んだ。この間、1日当たり1500円の入院雑費を要した。

447日×1500円=67万0500円

イ 休業損害 774万6063円

休業期間は上記同様447日に及んだ。亡太郎の平成8年度年間所得は632万5200円であり、1日当たりに換算すると1万7329円となる。

447日×1万7329円=774万6063円

ウ 葬儀費用・石碑代 271万1227円

平成10年4月10日に実施した亡太郎の葬儀に、位牌代、会葬御礼、料理代等を含めて131万1227円を要した。

亡太郎の石碑代として、140万円を要した。

131万1227円+140万円=271万1227円

エ 逸失利益 3677万7748円

上記のとおり、亡太郎の平成8年度年間所得は632万5200円であった。また、亡太郎は死亡当時満58歳で、平成9年簡易生命表による平均余命は22.51年であり、11年間は労働可能であった。そうすると、11年に対応するライプニッツ係数8.3064により中間利息を控除した上、生活費控除3割として計算すると、逸失利益は3677万7748円となる。

632万5200円×(1−0.3)×8.3064=3677万7748円(1円未満切り捨て。以下、同様。)

オ 慰謝料 5000万円

亡太郎は、一家の主であるとともに、甲野海運有限会社の代表取締役としての重責をこなしており、本件の医療過誤によりその生命を奪われたことの精神的苦痛は多大なものがある。

また、本件では、被告病院の過失は重大でかつ怠慢を伴うものであること、その結果として患者の死亡という重大な結果をもたらしていること、施術者のC医師は当時被告病院の副院長という病院管理の幹部であったこと、過失をもたらした要因として被告病院の構造的問題(医学知見の吸収不足及びセクト主義による他科との連携不足)に基づくものと考えられること、被告病院は愛媛県における中核的病院であり、日々進歩している医学知見を反映した治療体制がとられるべきであるにもかかわらず、過去にも重大な医療過誤事件を発生させていること、その原因も本件と同じく日々進歩している医学知見の吸収不足と他科との連携不足等にあったと考えられるのに、何ら改善がなされておらず、その努力が怠られていることなどが認められるから、これらを踏まえて慰謝料は制裁的、抑止的要素を加味した金額として5000万円が相当である。

カ 弁護士費用 970万円

(2) 被告の主張

いずれも争う。

第5  当裁判所の判断

1  争点5(被告の亡太郎急変後の処置における過失の有無)について

(1) 事実経過

前記争いのない事実に証拠(証人D、同C、同E、原告本人、甲A1、2、3の1、B3ないし6、8、9、19、20、乙A1、3、5、6、11ないし13、B5、12、14ないし16、19の1・2、鑑定(鑑定書及び鑑定書に対する質問事項への回答))及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。

ア 亡太郎は、平成8年7月5日、被告病院を受診し、不安定狭心症と診断され、同年10月2日には、心臓カテーテル検査を受けたところ、冠動脈(冠動脈には、右冠動脈と左冠動脈とがある。後者は、主幹部が、左前下行枝と左回旋枝とに分かれる構造となっている。)のうち、左前下行枝近位部(主幹部に近い部分)に83パーセントの狭窄、及び左回旋枝に4つの狭窄(74パーセントの狭窄部分が2か所、61パーセント、48パーセントの狭窄部分が各1か所ある。)が検出され、いわゆる2枝病変であることが判明した(右冠動脈、左冠動脈の左前下行枝、左回旋枝のうち、有意な病変が1枝のみに認められる場合を1枝病変、2枝に認められるものを2枝病変、すべてに認められるものを3枝病変という。)。もっとも、亡太郎においては、右冠動脈も、狭窄はないものの形成不全であったことから、上記狭窄のある2枝が3枝分の広範な心筋領域を灌流しており、亡太郎の病変は、実質的には3枝病変に匹敵する重症病変であった(被告は、亡太郎の左回旋枝の灌流域には虚血を生じる病変は認められないから、その症状は実質的に見ても2枝病変に過ぎない旨を主張するが、左回旋枝には主なもので4か所もの狭窄部分が生じていることは前記のとおりであり、証拠(乙A3、5)によれば、被告病院医師らにおいても、左回旋枝に対してCABG又はPTCAの施行を検討・予定していたことが認められるから、左回旋枝には侵襲的治療を要する有意病変があったと解するのが相当である。)。また、亡太郎は、肥満体であり糖尿病を患っていた。

イ 亡太郎の主治医であったD医師は、亡太郎の症状が左下行枝近位部に狭窄を有する重症2枝病変であると判断し、被告病院心臓血管外科医師Eの意見も確認した上で、CABGの適用であると考え、その旨を亡太郎に伝えた。しかし、C医師を中心とする被告病院の内科医らは、平成8年10月3日及び同月8日のチームカンファレンスの結果、亡太郎にPTCAの適用があると判断し、D医師が亡太郎にPTCAはCABGに比して侵襲が少ないことなどを説明してPTCAを勧めたところ、亡太郎はこれを承諾した。これにより、亡太郎の左前下行枝の狭窄に対してPTCAを施行することが決定された。

平成9年1月13日、執刀医であるC医師は、亡太郎、原告及び亡太郎の妹に対し、本件手術内容に加え、PTCAが失敗したときには待機している外科医が緊急CABGを行う旨を説明した。本件手術前日である同月16日には、D医師がE医師に対して、緊急CABGに備えて待機しておくよう依頼した。

ウ 平成9年1月17日午前10時26分、心臓カテーテル室にて本件手術が開始された。C医師を執刀医とする医師らは、亡太郎の左前下行枝にPTCAを実施し、病変部にWIKTORステントを留置した上で、同日午前11時3分、本件手術を終了し、心臓カテーテル室を退出した。ところが、その直後である同日午前11時15分ころ、亡太郎が胸の違和感を訴えたため、医師らは、同日午前11時25分ころ、亡太郎を再び心臓カテーテル室に搬入し、同日午前11時35分ころ、緊急心臓カテーテル検査を行って左冠動脈造影を施行したが、同日午前11時38分、亡太郎に心原性ショックが起こり、全身の間代性の痙攣が起ったことから、被告病院医師ら4人が、交替で約40分間、心臓マッサージを続けた。

上記左冠動脈造影により、左前下行枝が血栓により完全閉塞し、さらに一部の血栓が左回旋枝に流れ込み左回旋枝の閉塞をきたしていることが判明したため、医師らは、同日午前11時45分ころ、直ちに診断カテーテルから血栓溶解薬を冠動脈内に注入するとともに、血栓解除のための再PTCAができるように診断カテーテルをPTCA用のガイディングカテーテルに変更した上、再び、血栓溶解薬を冠動脈内に注入した。その後の同日午前11時50分、被告医師らはPTCAを試み、他方で循環補助のためIABP(大動脈内バルーンパンピング)を実施するべくバルーン挿入を行った。同日午前11時54分には心臓の自己調律を示す不整脈が出現し、収縮期圧86MMHGとなったが、全身血行が十分でなかったため、医師らは、午後0時13分、IABPを開始し、同日午後0時24分まで心臓マッサージを続けた結果、亡太郎の血行動態は落ち着きはじめた。しかし、亡太郎は、このころまでに、低酸素脳症に陥っており、その結果、意識が回復しないまま平成10年4月8日死亡した。

(2) PTCAについて

ア PTCAの適応等

PTCA(経皮的冠動脈形成手術)とは、冠動脈疾患治療法の1つであり、先端にバルーンを装着したカテーテルをガイドカテーテルを通じて狭窄部分まで挿入し、バルーンを膨張させて狭窄部分を拡大するというものである。PTCAは、1977年ころにはじめて報告された手法であるが、従来から冠動脈形成手術として用いられていた外科手術であるCABG(冠動脈バイパス手術)と比べて、内科医のみで行うことができ、侵襲性も小さく、効果も劇的であるため、短期間のうちに多数の施設で施行されるようになった。

もっとも、PTCAについては、上記のような利点がある反面、解離や血栓などを原因とする急性閉塞、再狭窄などの合併症が生じることが指摘されている。ただ、これについても、ステント(管腔の内側から金属製構造物を挿入し、バルーンで拡張された血管壁内に留置することで、血管壁を保持して内腔を確保し、急性期の冠閉塞を予防し、再狭窄を抑制しようとするもの。)の導入等により、急性閉塞や再狭窄等をある程度予防することができるようになり、PTCAの安全性は向上している。

イ PTCAの適応

一般的に、1枝病変はPTCAの適応とされるが、左冠動脈主幹部病変、3枝病変、左前下行枝近位部病変を含む2枝病変などは、PTCAの適応ではないとされている。ただ、病変部位や形態によってはPTCAの適応があるとされる場合もあり、絶対的な禁忌とまでされているわけではない。

ウ PTCAによる合併症発生時の措置

PTCAを実施した際に、解離又は血栓による急性冠閉塞などの合併症が生じた場合においては、直ちに補助循環を行い、補助循環によっても心筋虚血が持続したり、冠血流が十分に保てないときは、CABGを行うものとされている。上記の循環補助法としては、IABP(大動脈内バルーンパンピング。大腿動脈から先端にバルーンを有するカテーテルを挿入し、心臓の収縮に同調させて、バルーンの膨張・脱気を行う方法。)やPCPS(経皮的心肺補助装置。重症心原性ショック患者に対し、血液ポンプを用いて行う機械的循環補助法。)などがあり、一般的には、血圧低下を伴った心筋虚血などであればIABPを用い、ショックや心不全に陥る左主幹部、多枝病変例の主要冠動脈の閉塞等、より重篤な合併症では、PCPSを用いるものとされている。被告病院においては、IABPもPCPSも設置されていた。

(3) 被告病院の亡太郎急変後の処置における過失の有無について

ア 前記認定事実によれば、亡太郎は、左冠動脈造影が施行された1ないし2分後に、血圧が著明に低下し、心拍数が急速に減少してショック状態となっているところ、そのころには、被告病院医師らは、左冠動脈造影の結果から、亡太郎の左前下行枝が血栓により完全閉塞するとともにその一部の血栓により左回旋枝も閉塞していることを把握し、カテーテルにより血栓溶解薬を冠動脈内に注入した上、PTCAを施行し、これによって、現に、閉塞部がある程度解除したというのである。だとすれば、医師らは、亡太郎がショック状態に陥ったころには、既に本件手術による合併症の部位・程度を把握し、冠動脈血行再建のための適切な措置を執りうる状態にあったということができる。そうすると、この時点における医師らとしては、冠動脈の血行再建に加え、全身の血液循環の確保という観点から、PCPSによる循環補助の措置を執ることを考慮すべきであって、医師ら4人が、交代で、約40分間にわたり、亡太郎の心臓マッサージに当たっていたこと、PCPSは、外科医師によっても可能であるところ、D医師が本件手術前に外科医師に待機を要請していたことは、前記認定のとおりであるから、実際的にも、再度のPTCAを行うとともにPCPSの装着を行うことは十分可能であったというべきである。

したがって、被告病院医師らとしては、亡太郎がショック状態となり、その合併症の部位・程度を把握したころには、速やかに亡太郎にPCPSを装着すべき義務があったというべきである。しかるに、被告病院医師らは、PTCAによって冠動脈の血行再建を図ることを行うのみで、PCPSを装着することにより全身の血液循環を確保する義務を怠ったというほかない。なお、前記認定のとおり、被告病院医師らは循環補助の措置としてIABPを実施しているが、亡太郎の状態に照らすとIABPでは足りず、PCPSの装着が必要であったというべきである((2)ウ参照)。

イ そして、証拠(鑑定、甲B8、9、乙B5)及び弁論の全趣旨によれば、PCPSの全身循環補助機能は強力なものであり、かつ、医師らは15分間程度でPCPSを行うことができたことが認められるから、医師らが、上記義務を履行し、亡太郎がショック状態となったころからPCPSの装着に取りかかっていれば、亡太郎に脳障害が生ずることはなく、その結果、亡太郎が死亡することはなかったというべきである。

被告は、本件では亡太郎がショック状態となってから約16分後(平成9年1月17日午前11時54分の不整脈が出現した段階)に全身循環が確保されて心原性ショックから離脱しているにもかかわらず、亡太郎に低酸素脳症の結果が生じていることから、医師らがたとえPCPS装着を優先しても同結果を回避することはできなかった旨主張するものと解される。

しかし、被告病院医師らは、その後の午後0時13分には循環補助のためIABPを開始し、午後0時24分まで心臓マッサージを続けていることに照らすと、このころまでは亡太郎について十分な全身循環は確保されていたと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

ウ 被告は、PCPSを装着した上、緊急CABGを行った場合、冠動脈を疎通させるためには最低1時間を要し、心機能が回復不能となった可能性が高い旨主張するが、被告病院医師らが、PCPSを装着するとともにPTCAを行うことによって亡太郎の脳障害を避けることができたことは前記のとおりであるから、PCPSを装着して緊急CABGを行うために約1時間を要するからといって、被告医師らの上記措置を執るべき義務が左右されるものではない。

エ 被告はPCPS使用の際の危険性、合併症等を指摘した上で、安易に使用されるべき装置ではない旨を主張するが、乙B19によると、PCPSは心筋梗塞等の重篤な循環不全に対応されるものであり、まさに本件はこれに当てはまるものというべきである。また、鑑定はもちろん、乙B5(被告提出の私的意見書)においても、本件でPCPSを用いることを不相当とはしていないものと解されるから、被告のこの点の主張は失当というべきである。

(4) 以上のとおり、本件手術において、被告病院医師らには、亡太郎急変後、速やかにPCPSを装着すべき義務があったのにこれを怠った過失があるというべきであり、この点において、診療契約上の債務不履行があるものと認められる(以下、この債務不履行を「本件債務不履行」という。)。

2  争点7(損害)について

(1) 入院雑費 58万1100円

ア 入院期間 447日

前記争いのない事実を前提とすると、本件債務不履行と相当因果関係のある入院期間は、債務不履行日である平成9年1月17日から亡太郎死亡日である平成10年4月8日までの447日である。

イ 1日当たりの入院雑費

1日当たり1300円と認めるのが相当である。

ウ 計算

447日×1300円=58万1100円

(2) 休業損害 774万6063円

ア 亡太郎の従前の収入

甲C1によれば、亡太郎の平成8年度年間所得は632万5200円であると認められ、1日当たりに換算すると1万7329円である。

イ 休業期間

上記(1)ア同様、447日と認められる。

ウ 計算

447日×1万7329円=774万6063円

(3) 葬儀費用等 120万円

甲C2ないし9によれば、亡太郎の葬儀費用(位牌代、会葬御礼、料理代等)として131万1227円を、石碑代として140万円を要したことが認められるところ、このうち、本件債務不履行と相当因果関係のある損害は、120万円と認めるのが相当である。

(4) 逸失利益 3152万3784円

ア 亡太郎の従前の収入

(2)アのとおり、亡太郎の平成8年度年間所得は632万5200円である。

イ 就労可能年数

甲A3の1によれば、亡太郎(昭和14年4月23日生)は、平成10年4月8日死亡当時満58歳であると認められ、平成9年簡易生命表によると、平均余命は22.51年であり、11年間は就労可能であったと認められる(ライプニッツ係数8.3064)。

ウ 生活費控除率

甲A1、原告によると、亡太郎は、生前、一家の支柱として原告を扶養していたものと認められるところ、その生活費控除率は40パーセントと認めるのが相当である。

エ 計算

632万5200円×(1−0.4)×8.3064=3152万3784円

(5) 慰謝料 2600万円

亡太郎は、一家の支柱であるとともに、甲野海運有限会社の代表取締役として稼働していたものであるところ、本件債務不履行により低酸素脳症に陥り、意識が回復しないまま約1年3か月後に死に至ったものであること、本件債務不履行の態様などを総合考慮し、亡太郎に対する慰謝料として2600万円を相当と認める。

なお、原告は、本件の場合、慰謝料の算定に当たり制裁的、抑止的要素を加味すべきであると主張するが、それは当裁判所の採用しないところである。

(6) 弁護士費用 670万円

本件事案の内容等にかんがみ、本件債務不履行による損害とみることができる弁護士費用は670万円と認める。

(7) 損害額合計

以上のとおり、亡太郎につき合計7375万0947円の損害が生じ、これを原告1人が相続した(甲B1、2、10ないし18、弁論の全趣旨)。

3  結論

以上によれば、その余の争点について判断するまでもなく、原告の本件請求は、7375万0947円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成12年4月4日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

別紙

診療経過一覧表<省略>

本件手術経過一覧表<省略>

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