大判例

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松山地方裁判所 平成16年(ワ)435号 判決 2006年3月15日

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  原告ら

(1)  被告らは連帯して,原告それぞれに対し,1万円を支払え。

(2)  訴訟費用は被告らの負担とする。

2  被告小泉純一郎

(1)  本案前の答弁

ア 本件訴えをいずれも却下する。

イ 訴訟費用は原告らの負担とする。

(2)  本案の答弁

ア 原告らの請求をいずれも棄却する。

イ 訴訟費用は原告らの負担とする。

3  被告国

(1)  原告らの請求をいずれも棄却する。

(2)  訴訟費用のうち原告らと被告国との間で生じた部分は原告らの負担とする。

(3)  担保を条件とする仮執行免脱宣言

4  被告靖国神社

(1)  原告らの請求をいずれも棄却する。

(2)  訴訟費用は原告らの負担とする。

第2事案の概要

1  本件は,被告国の内閣総理大臣である被告小泉純一郎が,平成16年1月1日,被告靖国神社に参拝したこと及び被告靖国神社がこれを受け入れたことは,いずれも憲法20条3項に違反するものであり,これにより,憲法13条,19条,20条1項及び3項で保障されている原告らの宗教的人格権が侵害されたとして,原告らが,被告国に対し,国家賠償法に基づき,被告小泉純一郎及び被告靖国神社に対し,民法709条に基づき,原告それぞれに連帯して1万円を支払うよう求めた事件である。

2  争いのない事実等

(1)  当事者について

ア 被告靖国神社は,「明治天皇の宣らせ給うた『安國』の聖旨に基き,国事に殉ぜられた人々を奉斎し,神道の祭祀を行ひ,その神徳をひろめ,本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者を教化育成し,社会の福祉に寄与しその他本神社の目的を達成するための業務及び事業を行うこと」を目的とする宗教法人であり,宮司,権宮司等の神職をおき,例大祭等の祭祀を神道方式によって行っている者である。

イ 被告小泉純一郎(以下「被告小泉」という。)は,被告国の内閣総理大臣である。

(2)  本件参拝について

被告小泉は,平成16年1月1日,公用車を使用して被告靖国神社に赴き,内閣総理大臣小泉純一郎と記帳し,一礼方式による参拝をして,被告靖国神社に献花料として3万円を支払った(以下「本件参拝」という。)。

3  争点及びそれに関する当事者の主張

(1)  本件訴えの適法性について

(被告小泉の主張)

被告小泉は,自然人として,日本国憲法によって保障された思想,信条,あるいは信教の自由を享受し得る地位を有している者であり,本件参拝は,自然人たる被告小泉に対して認められた当該自由の実現にほかならない。

本件訴訟は,被告小泉に認められた思想,信条,あるいは信教の自由を違憲,違法と主張し,損害賠償を請求するものであって,原告らは,このような訴訟を提起することにより,間接的に被告小泉に対し,被告靖国神社の参拝を一切行わせないことを企図している。

このように,被告小泉の人権を制限しようとする目的で提起された本件訴訟は,それ自体違法性の程度が極めて著しいものとして,いずれも不適法である。

(原告らの主張)

原告らは,本件参拝により,原告らの主張する権利,利益が侵害されたか否かについて裁判所の判断を求めているのであって,被告小泉の有する人権の制限を目的として本件訴訟を提起したわけではない。

(2)  本件参拝の違法性について

(原告らの主張)

ア 憲法20条3項は,国及びその機関が,宗教的活動を行うことを禁止しているが,ここにいう宗教的活動とは,当該行為の目的が宗教的意義をもち,その効果が宗教に対する援助,助長,促進又は圧迫,干渉等になるような行為をいうとするのが判例である(最高裁昭和46年(行ツ)第69号同52年7月13日大法廷判決・民集31巻4号533頁)。そして,ある行為が宗教的活動に該当するかどうかを検討するに当たっては,当該行為の外形的側面のみならず,当該行為の行われる場所,当該行為に対する一般人の宗教的評価,当該行為者が当該行為を行うについての意図,目的及び宗教的意識の有無,程度,当該行為の一般人に与える効果,影響等,諸般の事情を考慮し,社会通念に従って,客観的に判断するべきである。

イ 被告靖国神社は,国事に殉じた人々を祭神とし,祭神について神道の祭祀を行い,神徳を広め,祭神の遺族その他の崇敬者を教化育成し,その他靖国神社の目的を達成するための業務及び事業を行うことを目的とし,現に春秋期例大祭等の行事を行い,靖国神社の本殿,霊璽簿奉安殿,拝殿等の礼拝施設を有しているのであり,宗教法人法2条に該当する宗教団体であり,同法に基づき設立された宗教法人である。そして,被告小泉は,本件参拝において,被告靖国神社の職員からお祓いを受け,被告靖国神社の本殿に昇殿し,祭神である英霊に対して畏敬崇拝の気持ちを表したのであって,被告小泉としても当然そのような意識をもって参拝したといえるから,本件参拝は,客観的にみて極めて宗教的意義の深い行為であるというべきである。

過去の裁判例においては,地方自治体の職員が封筒に現金を入れて被告靖国神社に持参したり,また被告靖国神社の銀行口座に送金したことについて,宗教的意義があると認められており(最高裁平成4年(行ツ)第156号同9年4月2日大法廷判決・民集51巻4号1673頁),これらと比較しても,本件参拝は,被告靖国神社という特定の宗教と直接的なかかわりを有しており,被告靖国神社に対する参拝が慣習化した儀礼的行為ともいえないことからすれば,本件参拝に宗教的意義がなかったということはできない。

ウ また,内閣総理大臣である被告小泉が本件参拝を行ったことにより,被告国又はその機関が被告靖国神社を特別視し,あるいは他の宗教団体に比べて優越的地位を与えているとの印象を社会一般に生じさせ,国民の被告靖国神社に対する関心を高めたのであり,被告小泉による本件参拝は,その宣伝効果により,神道の教義を広めるための宗教施設である被告靖国神社を援助,助長,促進する効果をもたらした。

一方で,被告靖国神社には,遊就館という日本で最初の戦争博物館があり,被告小泉が被告靖国神社を参拝することにより,内閣総理大臣が被告靖国神社の親交とともに,戦争観を支持,賛同しているという強力なメッセージを発信することとなり,被告靖国神社に対する信仰やその戦争観に賛成できない者をアウトサイダーに追いやり,非国民呼ばわりするおそれもある。

エ このように,被告小泉の本件参拝は,その目的に宗教的意義があり,本件参拝により,被告靖国神社を援助,助長,促進する効果をもたらし,被告靖国神社に対する信仰と戦争観に反対する者への圧迫,干渉となるのであって,社会的,文化的諸条件に照らし,相当とされる程度を越えたものとして,憲法20条3項に違反する。

(被告らの主張)

否認ないし争う。

(3)  原告らの被侵害利益及び損害について

(原告らの主張)

ア 原告らは,被告小泉の本件参拝により,憲法13条,19条,20条1項及び3項に基づいて保障されている,被告靖国神社に祀られているとの観念を受け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し,祭祀するか,しないかに関して,公権力からの圧迫,干渉を受けずに自ら決定し,行う権利ないし利益である宗教的人格権を侵害された。

イ マスメディアの発達により,内閣総理大臣である被告小泉の被告靖国神社への参拝が大々的に報道されると,被告靖国神社は,肯定的評価を受け,靖国神社信仰を持たない者について否定的評価がされ,またそのように世論誘導が行われるのであって,このような社会的事情の中では,憲法13条に規定されている幸福追求権を実質的に保障するために,プライバシー権と同様に,宗教的人格権を確立しなければならない必要がある。

確かに,判例は,信教を理由とする不利益な取扱いがあったり,宗教的行事への参列強制のような宗教上の強制が加えられたりした場合には,信教の自由の侵害があったといえるとしながら,宗教上の人格権とされる静謐な宗教的環境のもとで信仰生活を送る利益は,直ちに法的利益と認めることができないとしているが(最高裁昭和57年(オ)第902号同63年6月1日大法廷判決・民集42巻5号277頁),社会的事情も変化し,プライバシー権の内容も豊かになっていることからも,同条に基づく宗教的人格権の保障を,再度,考慮するべきである。

ウ また,憲法19条及び20条1項前段は,個人が公権力による侵害,干渉を受けることなく思想,信条,信仰を選択し,保持し,変更することを保障しているが,さらに,憲法20条1項後段及び同条3項も,単に制度的保障として政教分離を位置づけているものではなく,信教の自由を直接的に保障する権利的な性格を有する規定であると解するべきである。すなわち,憲法20条1項後段及び同条3項は,被告国に対し,特定の宗教を優遇するメッセージを禁止すると同時に,個人に対しては,宗教的な理由で政治共同体からの排除を印象づけるような圧力を感じたり,ほかから干渉を受けることなく宗教的私生活を送ることができ,精神的不安,負担,苦痛が引き起こされることのないような権利ないし利益を付与する規定であると解するべきである。

エ このように憲法13条,19条,20条1項及び3項に基づき保障されている宗教的人格権については,一般人に対して,被告国が特定の宗教を特別視したり,ほかの宗教に比して優遇しているとの印象を生じさせ,被告国が特定の宗教への関心を呼び起こすような結果を惹起し,被告国の宗教的中立性ないしその外観を否定するような状況が種々の証拠によって認定される場合には,当該宗教を信奉しない者に対する排除を印象づける圧力が認容されるものとして,宗教的人格権の侵害が認められるべきである。そして,宗教的人格権に対する侵害は,横並び等を強いる世間全般の雰囲気こそ精神的な自由を侵害するのであるから,信教の自由そのものではない法的利益である宗教的人格権が侵害されたかどうかを判断するにおいては,強制の要素を必要と解すべきではない。

オ 本件参拝は,ニュースとなり,テレビ,ラジオ,新聞をにぎわせ,国会でも議論がされており,原告らは,マスコミ等を通じて,内閣総理大臣が被告靖国神社を特別視していること,被告国が被告靖国神社を肯定的意味づけをしている事実を知り,その結果,靖国神社信仰に同意できない原告らは,被告国から排除されたような精神的圧力を受け,静謐な信仰上の生活やライフスタイルに影響を受けることとなった。

カ 以上から,原告らは,本件参拝により,宗教的人格権が侵害され,危惧感,憤慨,不安感,不快感,圧迫感を受けたということができる。

(被告小泉の主張)

原告らの主張する被侵害利益は,法益として認められず,原告らの有する権利が本件参拝により侵害された事実はない。

(被告国の主張)

ア 原告らの主張する宗教的人格権の内容は,その定義つけからは,保障される権利ないし利益の内容が不明であり,いかなる行為によりどのような状態に至った場合に当該権利ないし利益が侵害されることになるのか全く明らかにされていない。特に,強制,制止の要素が認められない場合においては,圧迫,干渉を受けたと感じるかどうかは,個人の経験,価値観や世界観,戦没者に対する思い入れや被告靖国神社に対する認識等によって大きく異なり,個人差が極めて大きいものと考えられ,法律によって一律に保護すべき場合を確定し得ない。

したがって,原告らが被侵害利益として主張するところは,法律による保護になじまない,個人の主観的感情にすぎないというべきであり,法律上保護された権利ないし利益とはいえない。

イ また,原告らが主張する権利ないし利益は,実定法上の根拠を欠く宗教的人格権であり,最高裁判所の判決においても,国家賠償法上保護された法的利益といえないと明確に判示されている(最高裁昭和57年(オ)第902号同63年6月1日大法廷判決・民集42巻5号277頁)。

ウ さらに,最高裁判所の判決では,憲法20条3項の規定する政教分離は,制度的保障であると明確に判示されており(最高裁昭和46年(行ツ)第69号同52年7月13日大法廷判決・民集31巻4号533頁,最高裁昭和57年(オ)第902号同63年6月1日大法廷判決・民集42巻5号277頁,最高裁平成4年(行ツ)第156号同9年4月2日大法廷判決・民集51巻4号1673頁),同条を根拠として宗教的人格権が認められるとする原告らの主張は,明らかに失当である。

エ 加えて,憲法20条1項が規定する信教の自由は,被告国による信教を理由とする不利益な取扱い又は強制,制止を受けないとの意味を有するものであるのに,原告らの主張する宗教的人格権が,なぜ,信教の自由の保障と異なり,強制の要素がなくても保護されるのか,その根拠が全く明らかにされていないばかりか,戦没者をどのように回顧し,祭祀するか,しないかに関して,公権力からの圧迫,干渉を受けずに自ら決定し,行う権利ないし利益が,いかなる権利で,どのような場合に侵害されたことになるのかも不明である。

オ そして,本件参拝は,被告小泉が被告靖国神社を参拝したというものにすぎず,原告らが戦没者に関する祭祀等について自ら決定し,行うことを何ら制約するものではないから,原告らの権利利益が侵害されたということはできない。

(被告靖国神社の主張)

原告らの主張する宗教的人格権なるものは,従来の政教分離に関係する各訴訟において,一貫して保護に値する法的利益ではないとされてきたのであり,宗教的人格権は,結局,他者の宗教に関する行為によってもたらされた不快の感情を別に言い直しただけのものであり,他者の行為に対する賠償請求権を支える法的利益とはいえない。

(4)  被告国の国家賠償責任について

(原告らの主張)

ア 国家賠償法1条1項にいう「職務を行うについて」とは,当該公務員がその行為を行う意図目的はともあれ,行為の外形において職務の執行と認め得る場合をいうと解するのが判例である(最高裁昭和29年(オ)第774号同31年11月30日第二小法廷判決・民集10巻11号1502頁)。

イ 被告小泉は,本件参拝において,公用車を使用して被告靖国神社に赴き,秘書官を同行させ,内閣総理大臣との肩書を付して記帳し,内閣総理大臣小泉純一郎との名札を付した献花をしており,その外形上,内閣総理大臣の職務として行われたものといえる。

本件参拝について,閣議決定がなかったり,閣僚を随行させず,また玉串料等を公費で支出していないとしても,被告小泉が内閣総理大臣という地位にあり,その地位が公的存在である以上は,私的参拝であったと公言し,その理由を開示しない限りは,公的なものと推認されるはずである。

ウ また,被告小泉は,自由民主党総裁選挙のときから,首相に就任したら,8月15日の戦没者慰霊祭には,いかなる批判があろうとも必ず参拝すると述べ,日本遺族会を訪問した際には,内閣総理大臣になったら被告靖国神社を公式参拝する旨明言していたのであり,内閣総理大臣という地位と被告靖国神社の参拝を関連づけていたものである。被告小泉は,平成13年8月13日に被告靖国神社を参拝するに先立ち,同年5月14日の衆議院予算委員会において,内閣総理大臣として参拝するつもりだと述べ,その後,内閣官房長官が,談話を発表しており,被告小泉の参拝が純然たる私的行為であるとはいえない。現に,被告小泉は,私的参拝であると述べたことも一度もない。

エ このように,本件参拝は,その外形及び被告小泉の発言において,内閣総理大臣の職務の執行と認め得るものであって,国家賠償法1条1項にいう「職務を行うについて」に該当する。

オ したがって,被告国は,国家賠償法1条1項に基づき,原告らに対し,損害を賠償する責任がある。

(被告国の主張)

ア 内閣総理大臣その他の国務大臣の地位にある者であっても,私人として憲法上信教の自由が保障されていることはいうまでもないから,これらの者が,私人の立場で神社,仏閣等に参拝することはもとより自由である。そして,神社,仏閣等への参拝は,宗教心の現れとして,すぐれて私的な性格を有するものであり,特に,政府の行事として参拝を実施することが決定されるとか,玉串料等の経費を公費で支出するなどの事情がない限り,それは私人の立場での行動とみるべきものである。

また,閣僚の場合,警備上の都合,緊急時の連絡の必要等から,私人としての行動の際にも,必要に応じて公用車を使用し,秘書官を同行させており,公用車を利用し,秘書官を同行させたからといって私人の立場を離れたとはいえないし,記帳に当たり,その地位を示す肩書を付すことも,その地位にある個人を表す場合に,慣例としてしばしば用いられており,肩書を付したからといって,私人の立場を離れたものとはいえない。

本件参拝においては,閣議決定等により,これを政府の行事として実施することが決定されたものではないし,玉串料等の経費が公費で支出された事実もない。むしろ,被告小泉は,本件参拝において,献花代3万円を私費でまかなっている上,現在に至るまで,内閣総理大臣としての資格で参拝したことを示すような発言を一切しておらず,かえって,平成16年4月7日,記者団に対し,本件参拝について,私人小泉純一郎が参拝している,私的な参拝といってもいいのかもしれませんね,と述べている。

なお,被告小泉の内閣総理大臣就任前の発言自体をもっては,本件参拝が公式参拝であると認める根拠とはならない。

イ 仮に,行為の外形において職務執行と認め得べきものであっても,本件において,これを行為の外形から判断するのは相当ではないし,本件参拝の外形のみによっては,内閣総理大臣の職務として行われたものかどうかは判明しないというべきであるす。なわち,国家賠償法1条1項にいう「職務を行うについて」に該当するか否かを外形上から判断する場合であっても,憲法20条3項にいう「国及びその機関」の活動であるかどうかは,同条が国及びその機関と宗教との実体的な結びつきを制限する趣旨であることに照らし,一般人からみて,外形的に国及びその機関の行為であるとみえるような行為であれば足りるということはできず,実体的に判断される必要がある。そして,本件参拝は,先のとおり被告小泉の私人としての行為とみるべきであるから,本件参拝に国の機関としての内閣総理大臣の行為としての実体はなく,憲法20条3項の適用の前提を欠くはずである。

・被告小泉の不法行為責任について

(原告らの主張)

ア 国家賠償法は,被害者の財産的救済のみならず,公務執行の適正担保のためにもあると考えられるから,同法1条は,少なくとも違法行為が加害公務員の故意又は重大な過失による場合には,当該公務員個人に対して請求することを妨げない趣旨と解するべきである。

イ 被告小泉は,故意又は重大な過失によって,本件参拝を行い,原告らに損害を与えたのであるから,被告小泉は,民法709条に基づき,原告らに対し,損害を賠償する責任がある。

(被告小泉の主張)

原告らの主張は,被告小泉が,内閣総理大臣の職務として本件参拝を行ったものであるとして,内閣総理大臣である被告小泉に対し,損害賠償を求めている。しかし,公権力の行使に当たる公務員の職務行為について,公務員個人は賠償責任を負わないのであるから(最高裁昭和49年(オ)第419号同53年10月20日第二小法廷判決・民集32巻7号1367頁),原告らの被告小泉に対する請求は,主張自体失当である。

・被告靖国神社の不法行為責任について

(原告らの主張)

ア 憲法20条1項後段は,いかなる宗教団体も,国から特権を受け,又は政治上の権力を行使してはならないと規定しており,同条の趣旨は,被告国に対して宗教団体に特権を与えることを禁じるとともに,宗教団体に対しても,特権の受入れを禁じるものである。

イ 被告靖国神社は,本件参拝において,被告小泉が内閣総理大臣小泉純一郎と記帳するのを受け入れ,宮司が先導して昇殿参拝させ,一般人が通らない場所を通行し,一対の献花も被告靖国神社で準備し,設置を認め,被告小泉の参拝を積極的に歓迎した。これにより,被告靖国神社は,一般国民から,内閣総理大臣に参拝してもらえる神社あるいはその教義が内閣総理大臣から賛同してもらえる特別の神社との印象を持たれ,ほかの宗教団体と比較して特別の地位,特権,利益を享受した。

ウ よって,被告靖国神社が被告小泉の靖国神社参拝を拒否せずに受け入れたことは,憲法20条1項後段に違反し,違法な行為であるから,被告靖国神社は,原告らに対し,民法709条に基づき,損害を賠償する責任がある。

(被告靖国神社の主張)

被告靖国神社としては,その参拝の趣旨に合った参拝をする者であれば,被告小泉であろうとその他の者であろうと,同じように参拝を受け入れるのであり,被告小泉の参拝のみ積極的に受け入れたわけではない。被告靖国神社は,本件参拝が内閣総理大臣という公的資格による参拝であるかどうか,外観上から区別することは困難であり,また,被告靖国神社が参拝者の参拝を受け入れる立場にあることからして,被告小泉の参拝を区別して,参拝を受け入れたり,受け入れなかったりする立場にはない。

第3当裁判所の判断

1  本件訴えの適法性について

(1)  被告小泉は,原告らの本件訴えが,被告小泉の思想,信条,あるいは信教の自由を制限することを目的としたものであって,その違法性の程度が極めて著しいものとして不適法であると主張するが,一件記録によっても,原告らが,被告小泉の主張するような目的をもって本件訴えを提起したと認めるに足りない。

(2)  したがって,原告らの本件訴え自体が不適法であるとは認められないから,この点に関する被告小泉の主張は理由がない。

2  原告らの被侵害利益及び損害について

(1)  原告らは,被告靖国神社に祀られているとの観念を受け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し,祭祀するか,しないかに関して,公権力からの圧迫,干渉を受けずに自ら決定し,行う権利ないし利益である宗教的人格権を侵害されたと主張する。

(2)  しかし,前記争いのない事実等によれば,本件参拝は,被告小泉が被告靖国神社に参拝したというものにすぎないのであって,原告らに何らかの強制力を及ぼしたり,原告らを不利益に扱ったりするものではないというべきであり,このことからすると,本件参拝によって,原告らが,被告靖国神社に祀られているとの観念を受け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し,祭祀するか,しないかに関して,公権力からの圧迫,干渉を受けずに自ら決定し,行うことを制約されたということはできない。

また,仮に,被告小泉の本件参拝により原告らが,危惧感,憤慨,不安感,不快感,圧迫感を受けたとしても,なお本件参拝により賠償の対象となり得るような法的利益の侵害があったものということはできない。

(3)  したがって,この点に関する原告らの主張は理由がない。

3  以上によれば,その余の点を判断するまでもなく,原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担について民訴法61条,65条1項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 澤野芳夫 裁判官 竹尾信道 裁判官 水橋巖)

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