松山地方裁判所 平成18年(わ)57号 判決 2006年7月21日
主文
被告人を懲役1年2月に処する。
未決勾留日数中85日をその刑に算入する。
松山地方検察庁で保管中の折りたたみナイフ1本を没収する。
理由
(犯罪事実)
被告人は,
第1 平成18年1月26日午後6時44分ころ,松山市甲a丁目b番c号A方玄関前付近において,Bに対し,その左手等を所携の折りたたみナイフ(刃体の長さ約7.1センチメートル)で数回切りかかる等の暴行を加え,よって,同人に全治約2週間を要する見込みの左手及び左前腕部切創の傷害を負わせた
第2 業務その他正当な理由による場合でないのに,前記日時場所において,前記折りたたみナイフ1本を携帯した
ものである。
(証拠)省略
(争点に対する判断)
1 弁護人は,判示第1の犯行につき,①被告人がナイフを突きつけて被害者に傷害を負わせたことは認めるが,ナイフで切りかかってはいない,②被告人の傷害行為は正当防衛である,③仮に正当防衛が成立しないとしても過剰防衛が成立する旨主張し,被告人も事実関係につきこれに副う供述をするので,以下検討する。
2 B,A及び被告人の各供述の要旨
(1) 証人Bの公判供述の要旨
A宅の台所で食事をしているとき,Aから,今付き合っている人は殴る蹴るの暴力がひどく,嘘をついて元の奥さんのところにこそこそ行っているので別れたいという相談を受けた。Aは,その交際者は,何をするか分からない性格なので家に押しかけてくるかもしれないと言っていた。
Aと話しているとき,玄関先でどさっという物音がした。Aは,玄関に行ったが,自分の荷物があるとちょっとびっくりしたような感じだった。もしかしたら,Aが言っていた交際者が来たのかと思ったので,Aに対し「もし来たんなら,おれが守ってあげるから大丈夫だぜ。」ということを言って,玄関に行ったところ,玄関から人影が見え,戸をたたく音がして,「A,おるんだろうが。出てこい。」という声が聞こえた。Aは,しゃがみ込んで頭を抱えたような感じで「どうしよう。どうしよう。」と言っていた。戸が執拗にたたかれていたので戸が壊れるといけないし,話をするつもりで玄関の戸を開けた。その際,Aは私の左側にいた。玄関を開けると外に被告人がいた。被告人は,右手でナイフを持って,刃先を私の方に向けて立っていた。私は,被告人に対し,「おまえ何持っとんぞ」と言った。被告人は,「おどれ,殺しちゃる」みたいなことを怒鳴ってナイフを持った右手を振り上げて入ってこようとした。私は,被告人の両肩を押さえて玄関から外に押し出そうとしたが,被告人は右手に持ったナイフを振り回し,大声を張り上げながら中へ踏み込んできた。Aは,被告人のナイフを持った右手にしがみついたが,被告人は,これを振り払いAに切りかかった。私は,Aをかばおうと左手をさしのべてAと被告人の間に立ちはだかったところ,左肘を2か所切りつけられた。被告人はなおもナイフを振り回していた。Aは,必死で「やめて」と言っていたと思う。私は被告人を阻止しようとしたが,被告人に左手を切りつけられた。その後,被告人は「おどれ,覚えとけよ。絶対やっちゃるけんの。」と言って一度は車に乗ったがまた帰ってきて「覚えとけ。絶対やっちゃる。」「Aのパンパン,やりマン。」と大声でおらんでいた。
(2) 証人Aの公判供述の要旨
玄関を入って左側の台所でBと食事をしていた。その際,私に付き合っている男の人がいて,まだ別れ話をしていないので,別れ話をするともしかしたらその男が家に来るかもしれないとBに相談した。Bは自分が話をしようかと言ってくれたが,多分喧嘩になると思って断った。食事をしていると外で物音がした。その後,玄関先でどさっという物音がした。玄関に行くと玄関のガラス戸に段ボールのような荷物が見えたので,被告人が私の荷物を持ってきたと思い,何かいざこざが起こるのではないかと怖かった。その後,どんどんと玄関の戸をたたく音がして,何か怒鳴っている声が聞こえた。Bが玄関の戸を開けると被告人が右手に持ったナイフの刃先をBの方に向けて立っていた。Bは,被告人に対し「何持っとんぞ。」というふうに言った。被告人は,何か叫びながらナイフを持った右手を振り上げて家の中に入ってこようとした。Bは,被告人の両肩を押さえて被告人が家の中に入らないようにしていた。私は,Bが刺されないようにと被告人の右手を両手で押さえて「やめて。」と何度も言った。被告人は,私の手を払いのけた。Bは,私と被告人の間に入ってきたが,そのときの様子はよく覚えていない。その後,被告人は,現場を離れ,車に乗り込んだが,帰る際,「このパンパンが。」というふうに叫びながら帰っていった。被告人が帰った後,Bの左手から血がぽたぽたと落ちているのを見てBが怪我をしたことを知った。
(3) 被告人の捜査段階の供述の要旨
Aに貸してある自転車を返してもらおうと思い,知人のCに頼んでA宅付近まで車で連れて行ってもらった。私は,段ボール箱に入っていたAのカタログを返そうと思って持ってきていたので,この段ボール箱をA宅の玄関前に置き,家の前に置いてあった鍵のかかった自転車を持ってCの車まで運んだ。その途中,A宅を見たところ,電気がついていたのでAが家にいると思い,自転車の鍵を返してもらうために玄関の戸をドン,ドン,ドンと叩いた。最初にAが出てきたので「自転車の鍵を返してくれ。」と言うと,家の中からBが出てきて,「お前,俺の女に何言いよんぞ。」と大声で言いながら,私の胸倉をつかんできた。私も「お前こそ,わしの嫁と何しよんぞ。おどれ,殺してやろうか。」と思い,Bの胸倉をつかんだ。その後,何を言ったか忘れたが,お互い大声で言い合いになった。そして,Bが手を離して私を殴ろうとしたので,ズボンのポケットに入れていたナイフを取り出し,右手に持ち,ナイフの刃を出してBの腹の方へ押し付けた。それからどうしたかはっきり覚えていないが,相手とナイフを取り合うようになったりしたので,ナイフを持った手を振り回すようにしてBに切りつけたと思う。Bのどの辺りを切りつけたかははっきり覚えていないが,「AがBと浮気をしている。Aは私を騙して若い男と付き合っていた。」ということが分かったので,切りつけてやった。このときに,私は,「おまえら殺してやろうか。」等とも言っている。その後,Aの「やめて,やめて。」と言う声が聞こえ,車に乗って自分の家まで帰った。
(4) 被告人の公判供述の要旨
自転車の鍵をもらおうと思ってA宅を見ると炊事場に電気がついていたため,Aがいると思い玄関の戸をコンコンと3回ほどたたいた。すると,戸が開き,Aが先に出てきて,その後,Bが出てきた。私がAの名前を呼んだところ,Bが「わしの女性だ。」と言った。Bが被告人の胸倉をつかんできたので私もBの胸倉をつかんだ。どういう経緯でナイフを出したかはよく覚えていないが,私は,ナイフを出して並んでいたAとBのあい中へその腰辺りに突きつけた。Aが「やめて」と言ったときにあっと思ってナイフを自分のポケットに入れてすぐ帰った。
3 証人Bの公判供述の信用性
証人Bの公判供述は,具体的かつ詳細なものであって迫真性があること,証人Aの具体的かつ詳細な公判供述とも概ね合致すること,いずれの証人の供述も,捜査・公判を通じて一貫していると推察できること,被告人の知人であり被告人をA宅付近で待っていたCの「まず,被告人が何か怒鳴っている声が聞こえた。その後,若い男性の声や『やめて,やめて。』などという若い女性の声が聞こえた。その若い男性の声は怒鳴り声ではなかった。」旨の供述とも合致することに照らせば,その信用性は高いというべきである。
なお,弁護人は,証人Bと同Aは,本件事件後婚姻し,被告人とは対立関係に立っているため,打ち合わせやかばい合い等したうえでの証言とも考えられるからその証言は信用しがたい旨主張する。確かに,同証人らの身分関係や被告人との対立関係に照らせば,弁護人が主張する懸念は抽象的には認められるところである。しかしながら,同証人らが打ち合わせ等をしたというのであれば,証人Aは,その供述をBのそれと一致させるであろうと考えるのが自然であるところ,証人Aは,記憶が曖昧なところは曖昧に答え,特に,傷害の実行行為そのものについて「よく覚えていない」旨証言していること,現に同証人らが打ち合わせ等を行ったことをうかがわせる証拠はないことに照らせば,同証人らの身分関係や被告人と対立関係にあることから直ちに上記各証言の信用性を減殺することにはならないというべきである。
4 被告人の供述の信用性
次に被告人の供述について検討する。
被告人の公判供述は,ナイフを出した経緯及び切りつけ行為の有無という本件における核心部分について,捜査段階の供述から合理的な理由なく変遷しているうえ,被告人が公判廷で供述する実行行為の態様に照らせば,被害者の左手及び左肘に切創が生じたことを合理的に説明することはできないのであって,到底信用することはできない。
また,被告人のナイフを出した経緯についての被告人の捜査段階の供述は,上記のCの供述と合致しない上,ナイフの刃を折りたたんだ状態からナイフの刃を出すためには,片手でナイフの柄を持って,もう片手の指先で柄から出ている刃の上部をつかんで引き出さなければならないところ,Bから殴られようとした際に,被告人がズボンのポケットからナイフを取り出し,さらに上記操作をしてナイフの刃を引き出す時間的余裕があったとは考えがたいところである。以上のとおり,被告人の供述は,捜査・公判のいずれも不自然・不合理で信用できない。
5 結論
以上のとおり,信用性の高い証人Bの公判供述によれば,被告人は,被害者に対し,ナイフで切りかかったことが優に認められる。また,同公判供述によれば,被告人が一方的に被害者に対してナイフで切りかかったのであって,被害者による被告人に対する急迫不正の侵害行為は認められず,正当防衛及び過剰防衛が成立しないことも明白である。よって,弁護人の主張はいずれも理由がない。
(適用法令)省略
(量刑事情)
本件は,被告人が当時交際していた女性宅に赴き,同女宅から出てきた被害者に対して所携のナイフで切りかかって傷害を負わせた事案である。
被害者は,本件犯行により,全治約2週間を要する見込みの左手及び左前腕部切創を負わされ,このため調理師としての稼働に支障をきたしたのであって,その犯行の結果は,決して軽微なものではない。そして,凶器であるナイフを使っての犯行は危険かつ悪質である。これに対して,被告人は,被害弁償はおろか,慰藉の措置すら講じてはおらず,被害者が厳罰を求めるのももっともである。加えて,被告人には,平成7年6月に殺人未遂,現住建造物等放火により懲役3年に処せられた前科1犯がある。
以上に照らせば,被告人の刑事責任は重く,被告人は本件各犯行を反省し,2度と罪を犯さない旨公判廷で誓ったこと,被告人は重い病気に罹患していること,被告人の元妻が情状証人として出廷し今後の監督を約束したこと等の酌むべき事情を最大限考慮しても主文掲記の刑が相当である。
(求刑 懲役2年,折りたたみナイフの没収)
(裁判官 武田義德)