松山地方裁判所 平成18年(わ)68号 判決 2006年7月20日
主文
被告人を懲役2年6月に処する。
未決勾留日数中100日をその刑に算入する。
松山地方検察庁で保管中の洋出刃包丁1本を没収する。
理由
【犯罪事実】
被告人は,平成18年2月6日午前5時35分ころ,愛媛県今治市甲a丁目b番地乙団地集会所において,A(当時56歳)に対し,殺意をもって,その右胸部及び腹部を所携の刃体の長さ約15センチメートルの洋出刃包丁で各1回突き刺したが,同人に加療約1か月間を要する見込みの右胸部刺創,右肺裂傷,肝裂傷等の傷害を負わせたにとどまり,殺害の目的を遂げなかったものである。
【証拠】
省略
【法令の適用】
省略
【量刑の理由】
1 犯行に至る経緯など
被告人は,平成15年に乙団地(以下「団地」という。)のc号棟に子供らと共に転居してきたものであり,被害者は当時から被告人方の階下に居住していた。被告人と被害者との間では,被告人が転居してきた当初から本件に至るまで,被告人方の子供などが発する生活音を巡り,被害者が被告人などに対して執拗に抗議するなどのトラブルが頻繁に生じていた。被告人は,平成18年2月5日に女性同士の飲み会に参加して飲酒し,同月6日午前4時過ぎころ帰宅した。被告人が帰宅した際,寝ていた子供が目を覚まし部屋の中を音を立てて歩き始めると,被害者方ベランダから「ピシッ,ピシッ」という苦情を表す音が聞こえてきた。被告人は,以前からそのような被害者方からの苦情を表す音を不快に思っていたことや,数日前に喧嘩をした内縁の夫が被告人方を出て行っていたので,被害者についての愚痴を内縁の夫に聞いてもらうこともできなかったことから,やり場のない怒りを蓄積させた。被告人は,被害者方に赴き,怒号しながら玄関ドアを叩いたり,蹴りつけたりした。団地の自治会長は,被告人の上記怒号やドアを蹴りつける音を聞いたので,被害者方に赴き,話合いで解決するよう諭し,被告人と被害者に対し,10分後に団地集会所へ集合するよう指示した。被告人は,一旦帰宅したものの,これまでの経緯から,今更話合いをしても解決するはずがないなどと考えるうち,被害者に対する怒りを抑えきれず,自宅台所から判示包丁1本(以下「包丁」という。)を取り出したところ,被害者から110番通報を受けた警察官が被告人方を訪れたため,被告人は,包丁を玄関上がり口付近に,警察官に見つけられないようにして置いて応対した。被告人は,警察にまで通報した被害者に対し,より一層の怒りを募らせ,腹立ちの余り自宅でも飲酒するなどした。このような被告人の様子を見ていた長女Bは,被害者に対して怒りを感じ,上記包丁を持って自宅を飛び出して,怒鳴りながら被害者方玄関ドアを叩くなどした。被告人もBの後を追って被害者方へ行きその玄関ドアを蹴りつけるなどしたが,Bが包丁を持っていることに気付き,その場にいた団地住民に頼んで,Bから包丁を取り上げてもらった。被告人は,上記経緯に加え,Bの行動を見て,これほどまでに同女を憤慨させたのは,被害者のせいだと思い,被害者に対する確定的殺意を抱き,団地c号棟入口付近に放置された包丁を再び手にした。
2 犯行状況
被告人は,団地住民が,被害者は団地集会所にいる旨話すのを聞き,包丁を手にしたまま,同集会所へ向かい,同日午前5時35分ころ,同集会所内に乱入するや,被害者に駆け寄り,包丁を右手で順手で持った状態で被害者の正面から上半身めがけて体当たりするようにして包丁を被害者の右胸部に1回突き刺した。自治会長が包丁を持っている被告人を制止しようとしたが,被告人はこれを振り切り,被害者の腹部を包丁で更に1回突き刺した。その後,被告人は自治会長らに制止され,駆け付けた警察官に逮捕された。被害者は重傷を負ったが,緊急手術を経て一命を取り留めた。2か所の刺創のうち,特に右胸部のものは,右から中心に向かい,深さは約10センチメートルに達し,右肺,右横隔膜,肝臓を一刺しで一度に損傷させ,肺の損傷部位は心臓から約5センチメートルしか離れていない位置であった。
3 判断など
本件犯行に至るまで被告人と被害者の間に生活音を巡る根深いトラブルがあるとしても,少なくとも本件犯行の直接の原因となった生活音については,その時間帯を考慮すれば抗議を受けてもやむを得ないものであること,被告人は,自治会長が設定した話合いの場に包丁を持って行き,一方的に本件犯行を敢行していること,したがって被害者には落ち度はないこと,前記のとおり犯行態様は非常に危険なものであり,未遂に終わったとはいえ傷害の結果は重大であることなどの事情も認められる。
そうすれば,本件は幸いにも未遂に終わっていること,被告人が本件を反省していること,被告人が被害者に対し300万円の被害弁償をして示談が成立し,被害者が被告人を宥恕していること,被告人の家族は転居し,今後被告人と被害者の間にトラブルが生じるおそれはないこと,被告人の内縁の夫が出廷して被告人の監督を約したこと,被告人には養育すべき子がいること,自治会長が情状証人として出廷したり,多数の団地住民が嘆願書に署名していること,被告人には前科がないことなどの事情も認められるが,刑の執行を猶予すべきまでの事案とは認められず,被告人に有利な事情を考慮しても主文の実刑は免れないと判断する。
(求刑・懲役5年,洋出刃包丁1本の没収)
(裁判長裁判官 前田昌宏 裁判官 武田義德 裁判官 酒井英臣)