松山地方裁判所 平成2年(行ウ)6号 判決 1992年7月31日
原告
三沢勇
右訴訟代理人弁護士
山下泰史
被告
別紙被告目録のとおり
主文
一 原告の請求中、被告松山労働基準監督署長による療養補償給付をしない旨の決定の取消を求める部分を却下する。
二 原告の請求中、被告労働保険審査会による再審査請求却下裁決の取消を求める部分を棄却する。
三 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告松山労働基準監督署長が原告に対し、平成元年三月一三日付けで行った労働者災害補償保険法による療養補償給付をしない旨の決定(以下「不支給処分」という。)を取り消す。
二 被告労働保険審査会が平成二年九月七日付けで行った原告の再審査請求を却下する旨の裁決を取り消す。
三 訴訟費用は被告らの負担とする。
第二事案の概要
一 事実経過(末尾に証拠を掲げた事実以外は、当事者間に争いがない。)
1 昭和六三年五月一四日、原告は、伊予市所在のマンションの建築現場で転落事故にあい、約五か月間の通院治療を要する頭部外傷Ⅱ型、頸部捻挫、胸部打撲、右第五肋骨骨折、近視性乱視複視等の負傷をした。原告は、愛媛県立中央病院で治療を受けたが、視力障害、頭部痛、平衡感異常等の後遺障害が残存するとして、同年九月一六日、障害補償給付を申請し、同月三〇日、併合九級に該当するとして、障害補償給付を受けた。
2 原告は、平成元年二月二〇日、血圧上昇及び他の症状悪化を理由に、療養補償給付を申請した。このとき、原告は、松山市真砂町に居住していたが、書類は原告の長男である三沢伸二宅(松山市堀江町にある雇用促進住宅<略>)(以下「伸二宅」という。)に送るよう、係官に申し出た(原告本人尋問の結果(以下「原告の供述」と略記する。)(一回1項、二回31項)(回数は、人証の採用回数ではなく、各人証の尋問のため開いた法廷の回数である。項数は、人証調調書記載の項数である。)。ところが、同年三月一三日付けで、この申請は却下され、その旨を記載した書面が、伸二宅に送られてきた(<証拠略>、原告の供述)。
3 原告は、前記処分を不服として、労働者災害補償保険審査官(以下「審査官」という。)に対し、少なくとも三月一五日から二二日の間に、審査請求をした。
この審査請求書には、右端近くの審査請求人の住所欄に「松山市藤原町四丁目」、その少し左側にある、原処分を受けた者の住所欄に「松山市藤原町」との記載があり、末尾近くの審査請求人氏名欄右横に、「松山市堀江町雇用促進住宅二〇一号(改行)三沢伸二様方」との記載がある(<証拠略>)。「藤原町」の記載は、原告が書いたが、「伸二宅」の記載は、原告が書いたものではない(<証拠略>)。上記(証拠略)の左端付近には、三月一五日と記載されているが、同書右下の受理印は、三月二二日付けである。原告は、二月末ころ、(住所略)に転居したばかりであり、審査請求書を提出した当時、その住所を正確には記憶していなかった(<証拠略>)。
なお、当時の審査官は石川重夫であったが、同年四月一日から、富永修(以下「富永」という。)に変わった(<証拠・人証略>)。
4 原告は、六月八日、富永審査官による事情聴取のため、愛媛労働基準局に出頭した。そのときの聴取書(<証拠略>)の冒頭には、住所欄があるが、ここには伸二宅が記載されている。また、この聴取書の最終丁冒頭に、「平成元年6月14(改行)三沢勇」との記載及び指印があるが、これは、原告が書き、指印したものである。
5 審査請求を棄却する決定は、平成元年九月一日付けで行われた。決定書の謄本は、同日(<証拠・人証略>)郵便で発送され、翌二日、伸二宅に配達された。原告は、九月二日、富永審査官に電話して、決定が出たことを聞いた。原告は、同月四日、愛媛労働基準局で富永審査官に会い、決定書の写しを手渡された。
なお、決定書謄本は、伸二宅から原告宅に送られた。原告がこれを受け取ったのは、同月一一日である。(<証拠略>)
6 原告は、一一月二日、労働保険審査会に対し、再審査請求をした。同審査会は、再審査請求が法定の期間内にされたものではなく、そのことについて正当な理由がないと判断し、平成二年九月七日付けで、これを却下した。この裁決書が原告に送達されたのは、一〇月三日ころである。原告は、一二月二〇日、本訴を提起した。
7 原告は、平成二年六月ころ、住民票を伸二宅に移したが、少なくとも本件当時、現実に伸二宅に住んだことはなかった(<証拠略>)。
二 争点
1 再審査請求を却下した裁決に対する取消請求は、理由があるか(不支給処分取消請求の適法性)
(一) 原告の再審査請求は、法定の期間内にされたものといえるか(労働保険審査官及び労働保険審査会法(以下「法」と略す。)。三八条一項)
(原告の主張)
再審査請求期間は、原告が決定書謄本を受領した平成元年九月一一日の翌日から起算すべきである。よって、原告の再審査請求は、期間内にされた適法なものである。
原告は、労働基準局の門岡に、平成元年三月一五日に審査請求書を提出した。その時、伸二宅を、住所、連絡場所や書類などの送付先として届けてはいない。その約一か月後、原告は、前記門岡に対し、電話で藤原町の正確な住所を伝え、六月八日の事情聴取においても、富永審査官に対し、藤原町の正確な住所を述べた。よって、伸二宅への送付は違法である。
(被告の主張)
審査請求に対する決定は、決定書謄本が伸二宅に配達された九月二日に効力を生じた。再審査請求期間は、その翌日から起算すべきであり、一一月一日の経過により満了した。一一月二日に行われた再審査請求は、再審査請求の期限に遅れた不適法なものである。そして、保険給付に関する決定については不服申立て前置主義がとられている。そこで、前記期間の経過により、不支給処分には不可争力が生じるから、その取消を求める訴えは不適法である。
すなわち、決定が「送付」(法二〇条一、二項、三八条一項)されたというためには、相手方がその内容を知りうる状態に置かれれば足り、現実に相手方に了知される必要はないと解すべきである。
原告は、平成三年三月二二日、審査官に対して審査請求書を提出するとき、連絡場所を伸二宅とするよう申し出た。四月中旬ころ、原告が門岡に対し、藤原町の正確な住所を伝えたこと、六月八日、原告が藤原町の住所を審査官に対して述べたことは、いずれも否認する。また、不支給処分の通知は、原告の意思で伸二宅宛てとされた。
これらの経緯を考慮すれば、伸二宅に決定書謄本が配達された時点で、原告が裁決の内容を知りうべき状態になったというべきである。
(二) 再審査請求の期限に遅れたことに対する正当な理由(法三八条二項で準用される法八条一項但書)
(原告の主張)
原告は、平成元年九月四日に富永審査官から決定書の写しを交付されたとき、同人から、「今から六〇日以内に審査請求できる。」といわれた。そこで、仮に審査請求期間が被告主張のとおりであったとしても、これに遅れたことに正当な理由がある。
(被告の主張)
原告主張の教示の事実は否認する。そもそも、「正当な理由」とは、天災地変による交通の途絶などにより再審査請求の意思を伝えられなかった場合等、期間経過の責めを請求人に帰すべきでないと判断される場合に限ると解される。本件においては、原告の主張を前提としても、期間満了まで相当の余裕があったから、正当な理由は認められない。
2 不支給処分に対する取消請求は、理由があるか。
原告の血圧が高くなったことは、業務に起因するか。
原告の諸症状は、障害補償を受けたときよりも悪化したか。
第三争点に対する判断
一 争点1(一)について
(一) 後記証拠によれば、次の事実が認められる。これに反する証拠の評価については、(二)項に説示する。
富永は、平成元年三月末に、前任者の石川審査官から引き継ぎを受けた。(証拠略)の伸二宅の住所は、すでに記載されており、原告への連絡通知は伸二宅にするよう、引き継ぎを受けた。同年四月六日、原告が愛媛労働基準局に来たときに、富永が、原告の通知先等について確認すると、原告は、審査請求書の末尾に記載の場所に連絡してくれたら原告に連絡が行くことになっている、住所は長男の所にしてくれと述べた。また、富永は、六月八日の事情聴取通知書(<証拠略>)を、伸二宅に宛てて送った(この事実は、当事者間に争いがない。)。富永は、この事情聴取の初めに、原告の住所について、「四月六日に確認した住所でよろしいですか。」と聞いたところ、原告は、「これでいい。」と答えた。当日、事情聴取は終わったが、聴取書は完成しなかった。同月一四日、原告が愛媛労働基準局に来て、富永から、冒頭に記載された原告の住所も含め、聴取書の読み聞けを受け、日付と氏名を書いて指印した。原告が、連絡場所を藤原町の自宅にしてほしいと申し出たことはない。(<証拠・人証略>)
(二) これに反し、原告は、本人尋問において、二1(一)項主張のとおり供述する。しかしながら、審査請求書(<証拠略>)は、藤原町の住所の記載が不完全である。そして、平成元年三月二二日に審査請求を受理した旨の通知書(<証拠略>)が、同月二七日、伸二宅に宛てて発出された(この事実は、当事者間に争いがない。)。なお、審査請求書には、「代理人については後日お知らせします」との記載がある反面、住所や連絡先についてそのような記載がない。そうすると、審査請求書を受理した担当者が、原告に対して連絡場所を聞き、原告が伸二宅にしてほしいと回答し、そこで伸二宅の記載がなされ、その旨富永に引き継がれたと認めるのが合理的である。住所の連絡に関する原告の供述には、曖昧な点が認められるうえ、住所の点を含め、六月の事情聴取の状況についても、富永の証言と原告の供述を比べれば、富永の証言のほうが、(証拠略)の記載などにはるかによく符合する。その他、特に富永、門岡各証言に不自然な点はない。
このようにみてくると、原告の供述中(一)項の認定に反する部分は、採用することができない。
(三) 法二〇条一項の「送達」は、審査請求に対する決定の効力発生の要件であり、本件においては、同条二項により、決定書謄本の「送付」によることとなる。同時に、この「送付」が、同法三八条一項により、再審査請求期間を計算する基準となる。法二〇条二項の「送付」と、法三八条一項のそれとは、同じ文言であるから、同一に解釈すべきである。そして、同法八条一項本文が「原処分のあったことを知った日の翌日」を起算日と定め、文理上区別があること、民法の意思表示の到達に関する解釈等を参酌すれば、「送付」されたというためには、名宛人が現実に決定の内容を知ったことまでは必要でなく、これを知りうべき状態に至れば足りると解すべきである。
本件では、原告が伸二宅に暮らしたことはない(第二の一7項)。そこで、原告又は原告宅に書面が到達するまでは、決定の内容を知りうべき状態に至らない、という余地がある。しかしながら、原告は、療養補償請求に対する決定の通知を伸二宅に送付させ、これを受けて速やかに不支給処分に対する審査請求をした(第二の一2及び3項)。また、審査請求手続において、一貫して伸二宅を住所又は連絡場所として届けている((一)項)。これらの経緯に照らせば、伸二宅に書面が到達された九月二日に、原告が決定の内容を知りうべき状態に至ったものというべきである。
そうすると、審査請求に対する決定は、平成元年九月二日に効力を生じたといえる。そして、再審査請求期間は、平成元年九月三日を第一日として計算すべきであり、六〇日目である同年一一月一日の経過により満了する。よって、原告の再審査請求は、これに遅れたこととなる。
2 争点1(二)について
原告は、その本人尋問において、主張のとおり教示を受けたと供述する(<証拠略>)。
しかしながら、富永証言は反対であり、再審査請求の用紙を渡し、不服申し立ての期間を教示したのは、一〇月ころに原告が来たときと証言する(<証拠略>)。
そこで検討すると、富永が(証拠略)を伸二宅に発送した事実(1(一)項)と併せて考えれば、富永の証言(<証拠略>)のとおり、同人としては、原告の住所を伸二宅として扱い、審査請求期間は、伸二宅への配達の翌日から起算すると考えていたものと認められる。そして、審査請求に対する決定書の末尾には、「決定書の謄本が送付された日の翌日から起算して60日以内」に再審査請求ができる旨の教示が記載されている(<証拠略>)。同審査官が、原告に裁決書の写しを手渡した九月四日の時点で、仮に(証拠略)の配達証明書を既に見ていれば、原告のいうような教示は、明らかに富永の考え及び決定書記載の教示と矛盾する。仮に見ていなくても、配達先との距離が近いこと(当裁判所に顕著である。)からみて、九月二日に配達される可能性はあり、矛盾する可能性が充分予想できる。さらに、富永証言の随所に、原告に対する応対に慎重を期したことを窺わせる箇所がみられる。そのような状態で、富永審査官が原告主張の教示をしたとは考えがたい。その他、富永証言に、特に不自然な点はない。
そうすると、原告の主張する教示は認められず、原告の正当事由の主張は、その他の点について判断するまでもなく、その前提を欠き失当というべきである。
二 以上の次第であるから、原告は、再審査請求を、正当な理由なく所定の期間内に申し立てなかったこととなり、再審査請求を不適法として却下した労働保険審査会の裁決は、相当である。よって、原告の請求中、右裁決の取消を求める部分は理由がない。また、再審査請求が不適法であった場合、労働災害補償保険法三七条にいう「労働保険審査会の裁決を経た」とはいえないものと解すべきである(最高裁判所昭和三〇年一月二八日判決民集九巻一号六〇頁参照)。よって、原告の請求中不支給処分の取消を求める部分は、同条の要件を満たさない不適法なものといわざるをえない。
そこで、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条を適用して民事訴訟法八九条の例により、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 八束和廣 裁判官 細井正弘 裁判官 久留島群一)
<別紙> 被告目録
被告 松山労働基準監督署長 中村四郎
労働保険審査会
右代表者会長 仙田明雄
右被告両名指定代理人 古江頼隆
片野征夫
小川満
志賀和之
安田鎮夫
近藤俊三
内海洋治
右被告松山労働基準監督署長指定代理人 栗原潔
白石督
河端通好
玉井豊治
右被告労働保険審査会指定代理人 高橋一夫
森田邦宝
野中一輝