松山地方裁判所 平成21年(ワ)738号 判決 2011年6月29日
原告
甲野太郎
同訴訟代理人弁護士
濱秀和
宇佐見方宏
菅沼真
重隆憲
同訴訟復代理人弁護士
河口まり子
被告
乙山春男
外3名
上記4名訴訟代理人弁護士
宮澤潤
柴田崇
岩井完
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする
事実および理由
第1 請求の趣旨
1 被告乙山春男は,原告に対し,1100万円及びこれに対する平成20年3月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告丙川夏男は,原告に対し,1100万円及びこれに対する平成20年3月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告丁谷秋男は,原告に対し,1100万円及びこれに対する平成18年11月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 被告戊沢冬男は,原告に対し,1100万円及びこれに対する平成19年3月13日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 前提となる事実(末尾に証拠等の掲記のない事実は,当事者間に争いがない。)
(1)当事者
ア 原告は,B病院泌尿器科勤務後,平成16年以降医療法人A会病院(以下「A会病院」という。)にて勤務する医師であり,現在は,A会病院の泌尿器科部長である(弁論の全趣旨)。
イ 被告乙山春男(以下「被告乙山」という。)は,大阪大学大学院医学系研究科最先端移植基盤医療学教授であり,日本移植学会副理事長である。
ウ 被告丙川夏男(以下「被告丙川」という。)は,東京女子医科大学腎臓病総合医療センターに勤務しており,日本移植学会理事長である。
エ 被告丁谷秋男(以下「被告丁谷」という。)は,日本移植学会前副理事長であり,現在は国立長寿医療センターの総長である。
オ 被告戊沢冬男(以下「被告戊沢」という。)は,日本移植学会前理事長であり,現在は財団法人先端医療振興財団副理事長,先端医療センター長である。
(2)原告は,B病院及びA会病院において,疾病による根治的治療として提供者(ドナー)から摘出された腎臓から疾病部分を排除し,透析患者等腎移植を必要とする患者(レシピエント)に移植する手術(以下「本件生体腎移植手術」という。)を行ってきた。
(3)A会病院で,平成17年9月,原告が執刀して実施した本件生体腎移植手術において,レシピエントとドナーとの間に財産上の利益供与があり,平成18年10月1日,臓器の移植に関する法律(以下「臓器移植法」という。)11条違反により,レシピエント及び仲介に当たった同人の内妻が逮捕されるという事件が発生した(以下「本件臓器売買事件」という。)。
本件臓器売買事件は,臓器移植法の施行後初めて発覚した臓器売買事件であり,連日新聞報道されるなど社会の耳目を集めた。
(4)被告丁谷の発言
被告丁谷は,平成18年11月11日までに,共同通信社のインタビューに対し,原告のした本件生体腎移植手術のレシピエントの選択について,「“甲野王国”のようなものを作って,その中で勝手に臓器を融通するのは社会のルールに反している。」と発言した(以下「丁谷発言」という。)。
(5)被告戊沢が米国移植外科学会会長に宛てた書簡
被告戊沢は,平成19年3月13日,米国移植外科学会会長アーサー・J・メイタスに対し,別紙のとおり「原告の米国移植外科学会2007年度年次総会における発表についての日本移植学会理事長としての要望事項」として,「現在問題となっている当該病院では,院内での臓器取引の問題が,昨年の秋に最初に発生しました。警察の捜査が行われた結果,一連の勝手な腎移植の問題が明るみに出ました。彼はこれらの事実の内容について,日本で開催されたどの学会にも報告していませんでした。」,「この報告は,米国移植外科学会の年次総会の論文としては適切でない。」と記載した書簡(以下「戊沢書簡」という。)を送付した(甲23の2。以下,上記記述を「戊沢書簡の記述」という。)。
(6)被告乙山の発言
平成20年3月18日,衆議院第一議員会館において,国会議員が本件生体腎移植手術について勉強するために立ち上げた「修復腎移植を考える超党派の会」の勉強会(以下「本件勉強会」という。)が,報道機関に公開の上,開催された。
被告乙山は,本件勉強会において,国会議員らから,本件生体腎移植手術について,関係学会の医師としての見解,説明を求められ,「見過ごすことができないことがあるんですよね。A会の健康診断。何故かといいますと,これ,B病院のデータなんですけれども,生着率悪いですよね。これはしょうがない,ひどいですけれど,半分以上の人が4年で死んでいるんですよ。もらった人が。はっきり言いますけど僕ら,これ犯罪ですよ。」と発言した(以下「乙山発言」という。)。
(7)被告丙川の発言
ア 被告丙川は,平成20年3月18日,本件勉強会において,被告乙山同様関係学会の医師としての見解,説明を求められ,「腎移植が少ないことが臓器売買や違法な海外移植,そしてこの度の病腎移植の原因となっていること。こういった移植を増やせばこういったものは自然と無くなってしまうであろうと。そして臓器売買を二度と許してはなりません。今回の問題の発端は臓器売買の移植でした。健全,安全,医学的妥当な移植を増加させることが本当の患者を救うことになると私は考えます。」と発言した(以下「丙川発言(1)」という。)。
イ 被告丙川は,平成20年5月19日,日本移植学会の記者会見において,全米移植外科学会で表彰された原告の論文(以下「本件論文」という。)に関し,「あの論文には虚偽の記載があります。」,「体外でそのがんの部分の尿管を切り離して腎臓を移植したというふうに記載があります。しかし,実際には腎臓を先に摘出して尿管を途中で切って,残ったがんも含む尿管を後で摘出している。そういうふうにしたにもかかわらず,そういう虚偽の記載がされています。」と発言した(以下「丙川発言(2)」といい,丁谷発言,戊沢書簡の記述,乙山発言,丙川発言(1)と併せて「本件発言等」と総称する。)。
2 本件は,原告が,本件発言等により名誉を毀損されたと主張して,被告らに対し,不法行為に基づく損害賠償請求権に基づき,それぞれ慰謝料1000万円及び弁護士費用100万円並びに本件発言等がされた日
(各不法行為日)から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
3 争点及び当事者の主張
(1)丁谷発言について
ア 丁谷発言は原告に対する名誉毀損に当たるか。
(原告の主張)
一般人が丁谷発言を聞けば,原告が専制君主のように社会のルールを無視して独断で移植手術をし,臓器を融通していると受け止めることは明らかであるから,丁谷発言は医師である原告の社会的評価を低下させる事実を摘示するものであり,名誉毀損に当たる。
(被告らの主張)
丁谷発言が原告の社会的評価を低下させる事実を摘示するものであるとの主張は争う。
また,原告がドナーやレシピエントの人権を保障し,公正に臓器移植を行うために定められた日本移植学会倫理指針等のルールを無視し,自己の関与する患者のみを対象として移植を行ったことは事実であり,丁谷発言はこのような移植が医療行為として適切なものではないことを指摘するもので,正当な学問的批判の範囲内の行為にすぎないから違法性を欠き,名誉毀損には当たらない。
イ 丁谷発言が名誉毀損に当たるとした場合,発言内容が真実であるため違法性が阻却されるか。
(被告らの主張)
仮に丁谷発言が名誉毀損に当たるとしても,丁谷発言は移植医療という公共の利害に関する事項に係るものであり,かつ,専ら移植医療の適正という公益を図る目的でされたものである。そして,原告が日本移植学会倫理指針等のルールに従わず,自己の関与する患者のみを対象として移植を行ったことは真実であるから,丁谷発言は違法性を欠くものである。
(原告の主張)
丁谷発言が公共の利害に関する事項に係るものであることについては否認する。また,丁谷発言は,原告の本件生体腎移植手術とその成果に対する被告丁谷の権威主義的自尊心から来る嫌みやねたみに基づくもので,決して移植医療の適正という公益が図られることを目的としたものではなく,公益性はない。さらに,原告がレシピエントの選択についてルールを無視し,勝手に臓器を融通しているという事実が真実であるとの立証もされていないから,被告丁谷は免責されない。
(2)戊沢書簡の記述は原告に対する名誉毀損に当たるか。
(原告の主張)
ア 一般人が戊沢書簡の記述を読めば,原告の行った本件生体腎移植手術が臓器売買という犯罪の一環として行われたものであると受け止めることは明らかであるから,戊沢書簡の記述は医師である原告の社会的評価を低下させる事実を摘示するものである。
イ そして,戊沢書簡は,日本移植学会理事長が米国移植外科学会会長に対し,同学会での原告の論文発表の中止を促す書簡であるところ,同学会での発表論文は発表論文選定委員会において協議して決定されるものであり,戊沢書簡が送付されてまもなく原告の論文発表が中止されたこと,戊沢書簡について,同学会会長から同学会前会長であるフロリダ大学ハワード教授に相談があったことからすれば,戊沢書簡は同学会会長個人に宛てた私信ではなく,学芸員や同学会,発表論文選定委員会の構成員等不特定又は多数人に公表されることが予定されていたものといえる。また,被告戊沢においても,原告の論文発表の当否を検討するため,同学会において戊沢書簡が学芸員や選定権限のある者の目に触れることは当然予想していたはずであるから,戊沢書簡が不特定又は多数人に公表されることを認識していたというべきである。
ウ したがって,戊沢書簡の記述は公然と原告の社会的評価を低下させる事実を摘示したものであり,名誉毀損に当たる。
(被告らの主張)
ア 戊沢書簡に原告が臓器売買に関わったとの表現や,そのように誤認させる表現はなく,一般人がこれを読んでも,原告が臓器売買の一環として本件生体腎移植手術を行ったとは判断し得ないから,戊沢書簡の記述は原告の社会的評価を低下させる事実を摘示するものとはいえない。
イ 戊沢書簡は,米国移植外科学会会長個人宛の私信であり,公表されることを想定したものではないから,公然性に欠ける。
ウ したがって,戊沢書簡の記述は名誉毀損に当たらない。
(3)乙山発言について
ア 乙山発言は原告に対する名誉毀損に当たるか。
(原告の主張)
乙山発言は,「第二の薬害肝炎,薬害HIV問題にしないために」,「長期経過した後に悪性腫瘍を含めた再発が移植患者に発症し死亡することになる(腎がんは何年経っても再発がある)」,「その場合は,過去に病腎を認めた関係者が罪を問われることになる。」と記載した資料を示しながらされたものである。一般人であれば,薬害肝炎,HIV問題が刑事事件にまで発展したことを当然知っているはずであるから,一般人の普通の注意に照らせば,乙山発言は,原告が実施した本件生体腎移植手術がドナーに対する傷害致死罪等の犯罪行為に当たるという内容であることは明らかであり,医師である原告の社会的評価を低下させる意見を表明するものであるから,名誉毀損に当たる。
(被告らの主張)
乙山発言は,被告乙山が,医学的観点から,安全性も確認されておらず,十分なインフォームドコンセントもなく,移植のための治療としては不適切と思われる方法により腎臓を摘出するなど,非常な危険を犯して行われている本件生体腎移植手術を放置することは,国民の生命身体の安全を守ろうとする医師として許してはならないとの考えを表明したものにすぎず,乙山発言は原告の医師としての社会的評価を低下させるものとはいえない。
また,乙山発言は目的,手段,方法のいずれにおいても医療行為に対する学問的批判の範囲内の行為にすぎないから違法性を欠くものである。
イ 乙山発言が名誉毀損に当たるとした場合,発言内容が真実であるため違法性が阻却されるか。あるいは,被告乙山が真実であると信じたことにつき相当の理由があり故意又は過失を欠くといえるか。
(被告らの主張)
仮に乙山発言が原告に対する名誉毀損に当たるとしても,乙山発言は移植医療という公共の利害に関する事項に係るものであり,かつ,専ら移植医療の適正という公益を図る目的でされたものである。そして,乙山発言が前提としている事実はB病院のデータに基づく真実であるところ,被告乙山は,数字を挙げて本件生体腎移植手術に関する意見を述べたにとどまり,その表現方法も原告に対する人身攻撃に及ぶようなものではないから,乙山発言は違法性を欠く。また,仮に乙山発言が前提としている事実が真実であることの証明がなかったとしても,被告乙山において,上記事実を真実と信ずるについて相当の理由があるから,故意,過失が否定され,被告乙山は免責される。
(原告の主張)
乙山発言は,丁谷発言同様,原告の本件生体腎移植手術とその成果に対する被告丁谷の権威主義的自尊心から来る嫌みやねたみに基づくもので,公益を図る目的でされたものではない。また,前提となるB病院のデータが真実であるとしても,同データと原告が傷害致死罪等の犯罪行為を行ったということには何の結び付きもなく,前提事実と論評との間に何らの合理的関連性もない。このような場合には,公正な論評として違法性ないし故意,過失を欠くものとはいえない。さらに,犯罪行為を行ったという表現方法が人身攻撃でないなどおよそ考えられない。したがって,乙山発言が違法性ないし故意,過失を欠くものとはいえず,被告乙山は免責されない。
(4)丙川発言(1),(2)について
ア 丙川発言(1)は原告に対する名誉毀損に当たるか。
(原告の主張)
被告丙川が,丙川発言(1)の後,国会議員から原告が臓器売買をしたのかを再三質問されていることからすれば,丙川発言(1)は,一般人の普通の注意に照らせば,原告が臓器売買に関与したという事実を摘示するものであり,医師である原告の社会的評価を低下させるものであるから,名誉毀損に当たる。
(被告らの主張)
丙川発言(1)は,一般人の普通の注意に照らしても,原告が臓器売買に関与しているとの内容とは到底受け止められず,かえって,被告丙川は原告が臓器売買をしたのかを問われた際には,これを明確に否定している。したがって,丙川発言(1)は,原告の社会的評価を低下させる事実を摘示するものとはいえず,名誉毀損には当たらない。
イ 丙川発言(2)は原告に対する名誉毀損に当たるか。
(原告の主張)
被告丙川は,丙川発言(2)に続き,「これは絶対やってはいけない手術法なんです。尿管がんの手術法としては。ところが,腎臓だけを先に取り出して尿管を途中で切る。そして,がんを含む尿管を後で摘出するというと,これはやはりどうしても移植を最優先したとしか言いようがない。そういうふうに書くとやはりこれはまずいということで,そういうふうに書かれたんだと思いますが,これは全くの虚偽です。」と発言している。この一連の文脈からすると,一般人が丙川発言(2)を聞けば,原告が実際には尿管部分を切り,腎臓と尿管とを二つに分けて摘出するという許されない手術方法を採ったにも関わらず,本件論文には尿管と腎臓を一塊として摘出するという問題のない手術方法をとったとの虚偽の記載をし,これを隠ぺいしたと受け止めることは明らかであり,丙川発言(2)は医師である原告の社会的評価を低下させる事実を摘示するものというべきであるから,名誉毀損に当たる。
(被告らの主張)
丙川発言(2)は,原告の本件生体腎移植手術に関する発表内容の正確性に関し,誤りと思われる点を指摘したものであり,学問的批判の範囲内の行為にすぎないから違法性を欠く。
ウ 丙川発言(2)が名誉毀損に当たるとした場合,発言内容が真実であるため違法性が阻却されるか。あるいは,被告丙川が真実であると信じたことにつき相当の理由があり故意又は過失を欠くといえるか。
(被告らの主張)
仮に丙川発言(2)が名誉毀損に当たるとしても,丙川発言(2)は移植医療という公共の利害に関する事項に係るものであり,かつ,専ら移植医療の安全という公益を図る目的でされたものである。そして,丙川発言(2)は,本件論文中の尿管と腎臓の摘出について「腫瘍はバックテーブルにて除去された。」とする記載,すなわち,尿管と腎臓を一塊として摘出する手術方法を採ったとする記載と,同手術に関するC病院の記録から実際に採られた手術方法を調査した結果に基づくもので,真実であることは明らかであるから,違法性を欠く。また,仮に丙川発言(2)の摘示する事実が真実であることの証明がなかったとしても,被告丙川は本件論文及びC病院の記録にある記載を信じて丙川発言(2)をしたものであり,上記事実を真実と信じるについて相当の理由があるから,故意,過失が否定され,被告丙川は免責される。
(原告の主張)
丙川発言(2)は,丁谷発言同様原告の本件生体腎移植手術とその成果に対する被告丁谷の権威主義的自尊心から来る嫌みやねたみに基づくもので,公益が図られることを目的としたものではない。また,本件論文中の「腫瘍はバックテーブルにて除去された。」との記載は臓器を冷やして保存しつつ修繕する手術方式を意味するにとどまり,本件論文では尿管と腎臓が一塊として摘出されたのか,二つに分けて摘出されたのかについては述べられていない上,上記各手術法はいずれも尿管がんの標準の手術法であり,原告において手術法を隠ぺいするために故意に虚偽の記載をする必要もまったくないから,丙川発言(2)は真実とはいえないし,真実と信じるについて相当の理由があるともいえず,被告丙川は免責されない。
(5)原告の損害
(原告の主張)
ア 慰謝料 4000万円
原告は,被告らの本件発言等により名誉を著しく毀損され,精神的損害を被った。原告の被った精神的損害を金銭に換算すれば,少なくともそれぞれ1000万円は下らない。
イ 弁護士費用 400万円
原告は,本件訴訟提起及び訴訟追行を弁護士に委任した。本件訴訟が高度の技術的,専門的訴訟追行能力を要することはいうまでもなく,そのためには弁護士の委任が必要不可欠であって,本件で原告が負担すべき弁護士費用の金額は,400万円を下らない。
(被告らの主張)
争う。
第3 当裁判所の判断
1 前記前提となる事実,後掲各証拠等によれば,次の事実が認められる。
(1)原告は,B病院及びA会病院において,本件生体腎移植手術を行ってきたが,日本移植学会が臓器移植についてWHO勧告や,国際移植学会倫理指針,厚生省公衆衛生審議会による臓器移植法の運用に関するガイドライン等を参考にして定めた倫理指針が生体臓器移植に際して求めるレシピエントの書面による同意を得るなどの手順を踏んでいなかった(甲10の1,2,乙3,弁論の全趣旨)。
(2)平成18年10月1日,原告が平成17年9月にA会病院で実施した本件生体腎移植手術において,レシピエントとドナーとの間に臓器移植法11条に違反する財産上の利益供与があったとしてレシピエント及び仲介に当たった同人の内妻が逮捕されるという本件臓器売買事件が発生し,連日新聞報道されるなど社会の耳目を集めた。
A会病院は,本件臓器売買事件を契機に,原告が行った腎臓移植手術に関する調査を行い,平成18年11月2日,A会病院開院以来同年9月までに行われた腎臓移植手術78件のうち,本件生体腎移植手術が11件
(ドナーが罹患していた疾病の内訳は,ネフローゼ症候群2件,尿管狭窄2件,腎動脈瘤2件,腎結石1件,腎がん2件,腎血管脂肪腫1件,腎石灰化囊胞1件である。)であったことを公表した(弁論の全趣旨)。
(2)上記調査結果の公表を受け,被告丁谷及び被告乙山を含む関係学会の医師らや移植機会の増加を望む患者団体らは,原告の行う本件生体腎移植手術について,がんに罹患した腎臓の移植は常識ではあり得ないし,他人に移植できるほど機能する腎臓であれば摘出する必要がなかったのではないかという疑いがあるなど医療倫理に違反しており,日本移植学会倫理指針が求める手続も行われておらず,医学的,社会的に許されない,レシピエントの選択についても臓器の移植機会の公平性の点で問題があるとして批判した(甲3の1ないし3,甲9,弁論の全趣旨)。
そのような中で,被告丁谷は,平成18年11月11日までに,日本移植学会副理事長として共同通信のインタビューを受け,本件生体腎移植手術のレシピエントの選択について「どういう方法がいいか,公の場の議論に持ち出すべきだ。」とした上で,丁谷発言をした(甲22)。
(3)被告戊沢は,平成19年3月13日,日本移植学会理事長として,米国移植外科学会会長アーサー・J・メイタスに対し,戊沢書簡を送付した。
原告は,米国移植外科学会の平成19年度年次総会において本件生体腎移植手術に関する論文を発表する予定であったが,同月23日,同学会から論文の採用を取り消す旨の連絡を受けた(甲24,弁論の全趣旨)。
(4)日本移植学会,日本臨床腎移植学会,日本泌尿器科学会,日本透析医学会は,平成19年3月31日,本件生体腎移植手術について,感染腎や腎動脈瘤の腎臓を移植することには感染症や破裂の持ち込みの危険性があり,悪性腫瘍を有する患者からの腎臓を移植することには腫瘍細胞の持ち込みの可能性が否定できず,持ち込まれた腫瘍細胞による再発のリスクがあるとして,現時点では,医学的に妥当性がないとの共同声明を発表した(甲5)。
厚生労働大臣は,上記共同声明を受け,同年7月12日,行政手続法39条に基づく意見公募の手続を経て,臓器移植法の運用に関する指針(ガイドライン)を改正し,本件生体腎移植手術は医学的に妥当性がない,臨床研究目的以外の実施を禁止する旨を関係機関に通知した(甲12,13)。
(5)他方,原告による本件生体腎移植手術を受けた患者らから,透析治療の負担から解放されることから今後も本件生体腎移植手術を受けたいとする声もあり,国会議員の間で本件生体腎移植手術に関する勉強会として「修復腎移植を考える超党派の会」が立ち上げられた(甲19,20,弁論の全趣旨)。
修復腎移植を考える超党派の会は,平成20年3月18日,衆議院第一議員会館において,報道機関にも公開の上,本件勉強会を開催した。
被告乙山は,本件勉強会において,国会議員らから,本件生体腎移植手術について,関係学会の医師としての見解,説明を求められ,B病院が本件生体腎移植手術について公表した術後の生着率,レシピエントの生存率に関するデータを前提に,「第二の薬害肝炎,薬害HIV問題にしないために」,「長期経過した後に悪性腫瘍を含めた再発が移植患者に発症し死亡することになる(腎がんは何年経っても再発がある)」,「その場合は,過去に病腎を認めた関係者が罪を問われることになる。」と記載した資料を示しながら,乙山発言をした(甲19,20)。
また,被告丙川は,本件勉強会において,被告乙山同様関係学会の医師としての見解,説明を求められ,丙川発言(1)をした。被告丙川は,別の発言者から原告が臓器売買をしたのかを質問され,「いやいや,私はそんなこと言ってません。私が申し上げているのは,臓器売買がこの問題の発端だったということが明らかになるのです。これまでかつて臓器売買はこれほど大きな問題になったことはありません。何が臓器売買につながっていったのかきちんと要因を分析して,二度とそういうことが起きないようにしなければいけない。」と発言した(甲19,20)。
(6)被告丙川は,全米移植外科学会で表彰された原告の本件論文中の尿管がん患者をドナーとする本件生体腎移植手術に関する「腫瘍はバックテーブルにて除去された。」との記載及びC病院の記録を調査した結果,原告が腎臓を尿管から切り離して先に摘出し,その後尿管を摘出する手術法を採っているものと理解し,この手術法については腫瘍を播種させる危険性もあると考えられたことから,平成20年5月19日,日本移植学会の記者会見において,本件論文に関し,丙川発言(2)をした(甲29の1,2,乙4ないし6,弁論の全趣旨)。
2 丁谷発言について
(1)争点(1)ア(丁谷発言は原告に対する名誉毀損に当たるか。)について
丁谷発言は,原告が本件生体腎移植手術のレシピエントの選択に際し,社会のルールに反し,原告や関係医師が関与する患者のみを対象としているという事実を摘示するものである。被告丁谷は,日本移植学会副理事長として丁谷発言をしており,一般人が丁谷発言を聞けば,原告が,日本移植学会がドナー及びレシピエントの権利を保障し,公正な臓器移植を行うために定める倫理指針等医師として守るべきルールを守らずに,恣意的に原告や関係医師が関与する患者のみから本件生体腎移植手術のレシピエントを選択しているとの印象を受けるものといえるから,丁谷発言は医師である原告の社会的評価を低下させるものであり,名誉毀損に当たると認められる。
(2)争点(1)イ(丁谷発言が名誉毀損に当たるとした場合,発言内容が,真実であるため違法性が阻却されるか。)について
事実の摘示が名誉毀損に当たる場合であっても,その行為が公共の利害に関する事実に係り,かつ,その目的が専ら公益を図ることにあった場合に,摘示された事実がその重要な部分について真実であることの証明があったときには,上記行為には違法性がないものというべきである。
丁谷発言は,原告による本件生体腎移植手術のレシピエントの選択において,日本移植学会倫理指針等のルールが守られていなかったという事実に関するものであり,当時,本件臓器売買事件を契機として,原告が本件生体腎移植手術に際し,日本移植学会倫理指針等の定める手順を踏まず,レシピエントの選択についても移植医療の機会の公正の観点から疑問があるとの報道がされていたこと,被告丁谷が当時日本移植学会副理事長であったことからすれば,丁谷発言は,移植医療の公正,適正という公共の利害に関する事実に係り,かつ,公益目的からされたものとみるのが相当である。原告は,丁谷発言が原告の本件生体腎移植手術とその成果に対する被告丁谷の嫌みやねたみに基づくものである旨主張するが,被告丁谷にそのような動機があったことをうかがわせる証拠はなく,原告の上記主張は採用できない。
そして,証拠(甲5)及び弁論の全趣旨によれば,原告が本件生体腎移植手術のレシピエントを選択するに際し,日本臓器移植ネットワークを利用するなどその適正を図るための手続を採っておらず,また,これに代わるべき一定の基準も設けていなかったことが認められ,さらに,前記認定のとおり,原告が本件臓器売買事件の発生まで,レシピエントから書面による同意を得るといった日本移植学会倫理指針の求めるルールに準拠していなかったことは事実であるから,丁谷発言は違法性を欠き,被告丁谷には原告に対する不法行為は成立しないものというべきである。
3 争点(2)(戊沢書簡の記述は原告に対する名誉毀損に当たるか。)について
戊沢書簡の記述は,A会病院において本件臓器売買事件が発生したこと,これに対する捜査機関の捜査により,原告が行ってきた本件生体腎移植手術が明らかになったという事実を摘示するものにすぎず,前後の文脈を併せても,原告が主張するように原告が本件生体腎移植手術を臓器売買という犯罪の一環として行ったという事実を摘示するものとみることはできない。そうすると,戊沢書簡は医師である原告の社会的評価を低下させるものとはいえず,被告戊沢には原告に対する不法行為は成立しないものと認められる。
4 乙山発言について
(1)争点(3)ア(乙山発言は原告に対する名誉毀損に当たるか。)について
乙山発言は,本件生体腎移植手術により悪性疾患を有する生体腎の移植を受けたレシピエントのうち半数以上が術後4年で死亡しているという事実を前提として,原告の行った本件生体腎移植手術が犯罪に当たるという意見を表明するものであるとみることができる。被告乙山は,乙山発言に際し,過去に刑事事件にも発展した薬害問題を引用し,レシピエントが悪性腫瘍の再発により死亡した場合には過去に本件生体腎移植手術を認めた者が罪を問われることになる旨記載した資料を示しており,一般人がこれを聞けば,原告が治療として行っている本件生体腎移植手術はレシピエントの生命に危険を生じさせる行為であり,傷害致死罪等患者の生命に対する何らかの犯罪が成立し得るような危険な手術をしているとの印象を受けるものといえるから,原告の社会的評価を相当程度低下させるものであるということができ,名誉毀損に当たると認めるのが相当である。
(2)争点(3)イ(乙山発言が名誉毀損に当たるとした場合,発言内容が真実であるため違法性が阻却されるか。あるいは,被告乙山が真実であると信じたことにつき相当の理由があり故意又は過失を欠くといえるか。)について
ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては,その行為が公共の利害に関する事実に係り,かつ,その目的が専ら公益を図ることにあった場合に,上記意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り,上記行為は違法性を欠くものというべきである。
このような見地からみるに,乙山発言は,原告による本件生体腎移植手術の安全性に関するものであり,国会議員から,関係学会の医師としての見解,説明を求められて行われたものであること,当時,日本移植学会等関係学会や厚生労働大臣が本件生体腎移植手術は医学的に妥当性がないとしていたことからすれば,乙山発言は,移植医療の安全,適正という公共の利害に関する事実に係り,かつ,公益目的からされたものとみるのが相当である。原告は,乙山発言が原告の本件生体腎移植手術とその成果に対する被告乙山の嫌みやねたみに基づくものである旨主張するが,被告乙山にそのような動機があったことをうかがわせる証拠はなく,原告の上記主張は採用できない。そして,乙山発言が前提とする本件生体腎移植手術により悪性疾患を有する生体腎の移植を受けたレシピエントのうち半数以上が,術後4年で死亡しているという事実は,B病院が本件生体腎移植手術について公表したデータに基づくものであり,真実であったと認められる(甲20,21,弁論の全趣旨)。
また,本件生体腎移植手術がレシピエントの身体に対する侵襲を本質としてするものであり,医療行為としての相当性を欠いた場合には刑罰法規に触れる余地が全くないとはいえないことからすれば,乙山発言は,被告乙山が,医師の立場から,本件生体腎移植手術について,術後の生着率,レシピエントの生存率に関するデータを前提に,本件生体腎移植手術は他の方法によった場合と比較して有効性に乏しく,むしろレシピエントの生命に対する危険性の方が高いため,医療行為としては著しく相当性を欠き,刑罰法規に触れる可能性すらあることを指摘したものとみることができる。確かに,「これ犯罪ですよ。」との表現は,この部分だけに限れば,原告を犯罪者であると断定するかのような表現ともとり得るし,これを聞いた一般人がそのように理解する可能性があることも否定できないところであるが,乙山発言の内容全体やそれがされた経緯等にも照らして考えれば,乙山発言は,もっぱら本件生体腎移植手術自体の医学的相当性に言及したものであると解することができ,上記医学的相当性の問題を離れ,原告が犯罪者であるとか,医師としての適格性を欠く者であるといった,原告個人に対する人身攻撃に及ぶなどの内容を持つものとは認められない。そうすると,乙山発言は,意見ないし論評としての域を逸脱するものであったということまではできず,乙山発言は違法性を欠くものと認められる。したがって,被告乙山には原告に対する不法行為は成立しないと認めるのが相当である。
5 丙川発言(1),(2)について
(1)争点(4)ア(丙川発言(1)は原告に対する名誉毀損に当たるか。)について
丙川発言(1)は,腎移植が少ないことが臓器売買や違法な海外移植,本件生体腎移植手術の原因となっていること,臓器売買を許すべきでないこと,今回の問題の発端が臓器売買の移植であったこと,健全,安全,医学的妥当な移植が増加すれば上記のような問題がなくなり,患者の救済になるであろうことを述べるにとどまり,前後の文脈を併せても,原告が臓器売買に関与しているという事実を摘示しているものみることはできないから,医師である原告の社会的評価を低下させるものとはいえず,名誉毀損には当たらない。
原告は,被告丙川が,丙川発言(1)の後,国会議員から原告が臓器売買をしたのかを再三質問されていることから,丙川発言(1)が原告の臓器売買への関与という事実を摘示するものであったと主張するが,その事情のみをもって,一般人が丙川発言を聞いた場合に,原告が臓器売買に関与したのではないかという印象を与えるものであるとはいえない。
(2)争点(4)イ(丙川発言(2)は原告に対する名誉毀損に当たるか。)について
丙川発言(2)は,原告が,実際には腫瘍の播種の危険を伴う手術方法を採ったにも関わらず,本件論文には問題のない手術方法を採ったと虚偽の記載をしたという事実を摘示したものである。そして,一般人が丙川発言(2)を聞けば,原告が許されない手術方法をとった上,これを隠ぺいしていたという印象を受けるものといえるから,医師である原告の社会的評価を低下させるものであり,名誉毀損に当たる。
(3)争点(4)ウ(丙川発言(2)が名誉毀損に当たるとした場合,発言内容が真実であるため違法性が阻却されるか。あるいは,被告丙川が真実であると信じたことにつき相当の理由があり故意又は過失を欠くといえるか。)について
丙川発言(2)は,原告が行った尿管がん患者であるドナーからの本件生体腎移植手術の安全性に関するものであり,当時,日本移植学会等関係学会や厚生労働大臣が本件生体腎移植手術は現時点では医学的に妥当性がないとしていたことからすれば,丙川発言(2)は,移植医療の安全,適正という公共の利害に関する事実に係り,かつ,公益目的からされたものとみるのが相当である。原告は,丙川発言(2)が原告の本件生体腎移植手術とその成果に対する被告丙川の嫌みやねたみに基づくものである旨主張するが,被告丙川にそのような動機があったことをうかがわせる証拠はなく,原告の上記主張は採用できない。
また,本件全証拠によっても,原告が,実際には腫瘍の播種の危険を伴う手術方法を採ったにもかかわらず,本件論文には問題のない手術方法を採ったと虚偽の記載をしたという事実は認められないものの,本件論文中の「腫瘍はバックテーブルにて除去された。」との記載部分にある「バックテーブル」とは手術室内の手術台後方の別の台を意味すると解されるから,被告丙川が,上記記載は,腫瘍のある尿管をドナーの腹腔内に残してひとまず腎臓のみを先に摘出することを意味する記載ではなく,尿管と腎臓とを一塊として摘出した後に手術台の後方の台の上で尿管部分を切除するという方法を採ったことを意味する記載であると考えたとしても不自然であるということはできない。そして,その他本件論文の記載が単なる誤記であることをうかがわせる事情もなかったと認められること(弁論の全趣旨)からすれば,被告丙川が,原告が,実際に行った腫瘍の播種の危険を伴う手術方法を隠ぺいするために,本件論文にはこれとは異なる手術法を採ったと記載したという事実を真実と信ずるについては相当の理由があったものということができるから,被告丙川は,丙川発言(2)につき,故意又は過失を欠くものと認められる。
(4)したがって,被告丙川には,原告に対する不法行為は成立しないものと認められる。
6 結論
以上によれば,原告の請求はいずれも理由がないからこれらを棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 濱口浩 裁判官 宇田川公輔 裁判官 藤原未知)
別紙<省略>