松山地方裁判所 平成22年(わ)132号 判決 2010年9月08日
主文
被告人を懲役3年に処する。
未決勾留日数中120日をその刑に算入する。
押収してある柳刃包丁1本(平成22年押第10号の1)を没収する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,
第1平成22年3月4日午後7時50分ころ,愛媛県宇和島市内のA方において,A(当時59歳)に対し,殺意をもって,その胸部を,柳刃包丁(刃体の長さ約26.5センチメートル)で1回突き刺したが,同人に全治約1か月間を要する胸部刺創,胸骨骨折の傷害を負わせたにとどまり,殺害の目的を遂げなかった
第2業務その他正当な理由による場合でないのに,前記日時場所において,前記柳刃包丁1本を携帯した
ものである。
(証拠の標目)
省略
(事実認定の補足説明)
1 前提となる事実
(1) 被害者(A)は,被告人方の隣に住んでおり,3年前までは,親しく付き合っていたが,被害者が近所の葬式を手伝わなかったことをきっかけとして,交際を絶った。
被害者は,昼夜を問わず酒に酔って大声で叫ぶ癖があった。
被告人は,事件の4日前に,被害者が,被告人方に通じる通路に立ち小便をしているのを目撃して注意したところ,「かたわにしてやろうか」などと言われ,常識のない,自分よりも格下と見なしていた被害者からそのようなことを言われたことに怒りを感じた。
被告人は,事件の2日前にも,被害者の立ち小便を目撃し,怒りを感じた。
(2) 被告人は,本件事件当日,晩酌をした後うたた寝をしていたところ,被害者が大声で奇声を上げたことで,目が覚め,立腹し,右手に柳刃包丁(刃体の長さ約26.5センチメートル)を,左手に修理中の水中銃を持って,被害者方に向かった。
(3) 被告人は,「じゃかましい。」などと怒鳴りながら,被害者方の玄関引き戸を開け,奥の3畳間から現れた被害者が,両手に何も持っていないのを見て,水中銃を手放し,被害者に近付いていき,被害者も,被告人に向かって近付いていった。
(4) 被告人が両手で持っていた包丁が,被害者の左胸部に,斜め下方向に向かって約7センチメートル突き刺さり,胸骨(主として肋軟骨や剣状突起部分)を貫通して止まった。
(5) 被告人は,被害者に包丁が突き刺さり,出血しているのを見て我に返り,「動くな。動くと死ぬぞ。」と言い,ゆっくりと包丁を抜いた。
(6) 被害者は,全治約1か月間を要する胸部刺創,胸骨骨折の傷害を負った。
2 被告人に刺すつもりがあったかについて
弁護人は,被告人が脅すつもりで被害者方を訪れたと主張する。しかし,脅すだけならば,水中銃(被告人が被害者を脅す目的でこれを持参したことに争いはない。)を手放して,被害者に向かって近付いていく必要はない上,被害者に向かって何か言ってしかるべきであるにもかかわらず,被害者方に入る際に怒鳴った以外には,何も言わずに,水中銃を手放した上で包丁だけを持ってかなり近距離まで近付いていることからすれば,被告人は,被害者方に入った時点で,被害者を刺すつもりがあったと考えるのが自然である。
3 どの場所で被害者の胸に包丁が刺さったのかについて
被害者は,玄関板間で被告人に刺されたと供述するのに対し,被告人は,被害者に包丁が刺さったのは,4畳半間と3畳間の境目付近であると供述する。
被害を受けた場所について,被害者があえて虚偽の供述をする理由は見当たらない。また,被告人の衣服への血痕の付着状況や,現場にかけつけた被害者の親族の供述からすると,被害者の胸部付近から相当程度出血していたにもかかわらず,事件の約2時間後に行われた実況見分において,4畳半間及び3畳間に血痕様のものの付着が発見されておらず,他方で,被害者が刺されたと述べている玄関板間付近には血痕をぬぐったような跡が残っていることからすれば,被害者が供述するとおり,玄関板間で被害者の胸に包丁が刺さったと考えられる。
4 包丁が刺さった際の互いの体勢について
被告人の持っていた包丁が,被害者の左胸部に,斜め下方向に向かって突き刺さっているところ,このような傷は,両者直立して向かい合った状態のままでは生じ得ない。検察官は,被害者がとっさに腰を引き,くの字の状態となり,上半身が包丁に対して斜めとなったところに,包丁が突き刺さったと主張する。この点,被害者は,被告人が包丁で刺してきた後,板間の背後にある2畳間との段差にしりもちをついたと供述しているが,その一連の流れ(被告人が被害者に向かって包丁を突き出し,被害者が後ろにしりもちをつくような状態)の中で,被告人の包丁が,被害者の体に下向きに入ったと考えるのが自然かつ合理的である。
これに対し,弁護人は,被害者が,包丁の刃先がある場所に向かって,その左肩が前に出るような体勢で,前に倒れたと主張するが,被告人も被害者も,被害者の上半身が前向きに倒れたとは述べておらず,被害者が被告人の刃先に向かって倒れたとすれば,いずれかの記憶に残るのが通常であることからすれば,弁護人の主張するような経緯で上半身が倒れ込んだとは考え難い。
5 被告人が包丁を突き出した力の強さについて
包丁が,被害者の衣服の上から,皮膚及びその下の組織に刺さり,胸骨を貫通していることからすると,それなりの力が加わったと考えられる。しかし,その場所が,固い胸骨体ではなく,それよりも柔らかい肋軟骨や剣状突起を貫通していること,包丁自体が相当鋭利なものであるにもかかわらず,刺さった長さが約7センチメートルと刃体全体の長さに比べて短いことからすれば,被告人が検察官の主張するほどの強い力で包丁を突き出したとまではいい難い。
6 被告人は,被害者のどこを狙っていたのか
被告人は,犯行直後に現場に臨場した警察官から被害者を包丁で刺した理由を尋ねられたのに対して,「自分の言うことを聞かんけんこらしめてやった。」と答えており,自らの意図しない部位に包丁が突き刺さったと弁解していないことなどからすれば,被害者に実際に生じた傷が,被告人の意図と離れた意外な結果であったとは考え難い。加えて,被告人が両手で握った包丁を前に突き出していると認められることや,実際の傷の場所からして,被告人が手足など体の周辺をあえて狙っていたとは考え難いこと,被害者と被告人の身長差などを考え併せれば,被告人は,胸部や腹部といった胴体付近を狙っていたものと考えられる。
7 (以上をふまえ)殺意の有無について
被告人が,包丁で刺すつもりで被害者の至近距離に近付き,胴体という身体の中心部分を狙って,それなりの力で包丁を前に突き出していること,包丁は,先端が鋭利で,刃体が長く,材質も固いものであり,これを体に突き刺すのは非常に危険な行為であること,包丁は,被告人が普段使い慣れていたものであり,その危険性については当然認識していたはずであるにもかかわらず,あえて自宅から持ち出して凶器として使用していることからすれば,被告人は,被害者が死ぬ危険性の高い行為をそのような行為であると分かって行ったもので,殺意があったと認められる。
弁護人は,刺した強さが検察官の主張するほど強烈なものと認め難いことや,被告人が,犯行後,それ以上攻撃を加えることなく,むしろ被害者の傷口を広げないように包丁をゆっくりと抜いていることなどから,被告人には殺意がなかったと主張するが,その事情から,検察官が主張するような,被害者を殺そうという強固な殺意までなかったとはいえても,上記のような意味(被害者が死ぬ危険性の高い行為をそのような行為であると分かってやった)での殺意を否定する事情にはならない。被告人の行為前後の心の動きは,被害者が,夜間に大声で叫ぶことや,被告人方に通じる通路で立ち小便をすることを繰り返し,被告人が注意をしても聞かず,かえって暴言を吐いたことなどから,不満や怒りがたまっていたところ,事件当日,被害者が夜間に奇声を発したことをきっかけに,それまでたまっていた不満や怒りが爆発し,とっさに犯行に及んだものの,実際に被害者に包丁が刺さり,傷口から出血しているのを見て我に返り,冷静さを取り戻し,大変なことをしてしまったなどと考え,それ以上攻撃することなく慎重に包丁を抜いたというものであったと考えられる。
(法令の適用)
被告人の判示第1の所為は刑法203条,199条に,判示第2の所為は銃砲刀剣類所持等取締法31条の18第3号,22条にそれぞれ該当するところ,各所定刑中判示第1の罪については有期懲役刑を,判示第2の罪については懲役刑をそれぞれ選択し,判示第1の罪は未遂であるから刑法43条本文,68条3号を適用して法律上の減軽をし,以上は刑法45条前段の併合罪であるから,刑法47条本文,10条により重い判示第1の罪の刑に刑法47条ただし書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役3年に処し,刑法21条を適用して未決勾留日数中120日をその刑に算入し,押収してある柳刃包丁1本(平成22年押第10号の1)は,判示第1の殺人未遂の用に供した物で被告人以外の者に属しないから,刑法19条1項2号,2項本文を適用してこれを没収し,訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
被告人は,至近距離から,鋭利な柳刃包丁で胴体を狙って突き刺すという危険な行為を意図して行っている。その結果,被害者は,全治約1か月間を要する胸部刺創,胸骨骨折の怪我を負っており,犯行の結果も重大である。包丁の軌道がずれていれば,心臓や肺といった重要な臓器を傷付けていた可能性も高い。
被告人は,隣に住む被害者の振る舞いに腹を立てていたところ,事件当日被害者が夜間に奇声を発したことから,それまでたまっていた不満や怒りが爆発して本件犯行に及んだものである。その心情は,全く理解できないわけではないが,だからといって,包丁を持ち出して刺すのは明らかにやり過ぎといわざるを得ない。
被告人は,平成15年9月に恐喝未遂の罪で執行猶予付きの有罪判決を受けており,一度は反省と立ち直りの機会を与えられたにもかかわらず,今回,このような危険な行為に及んでいる。
以上からすれば,被告人の刑事責任は重く,今回については,刑の執行を猶予するのは相当でない。
他方,本件犯行には計画性までは認められないこと,前記のとおり,被害者の日ごろの言動がきっかけとなった側面があること,殺意自体もそれほど強いとはいえず,被害者に対する攻撃は1回だけにとどまること,積極的な救護措置こそとっていないものの,傷口を広げないように慎重に包丁を抜くなど一定の配慮をしていること,幸いにも現在被害者の怪我が回復していること,被告人が,被害者に対して謝罪し,反省の弁を述べていること,その年齢や体調など,被告人のために酌むべき事情も認められることからすれば,未遂減軽をした上で,その刑期の範囲内で,主文のとおりの刑に処するのが相当である。
(量刑意見:検察官/懲役7年,弁護人/懲役2年・執行猶予4年)
(裁判長裁判官 村越一浩 裁判官 伊藤隆裕 裁判官 松原経正)