松山地方裁判所 平成22年(わ)164号 判決 2010年11月15日
主文
被告人を懲役9年に処する。
未決勾留日数中130日をその刑に算入する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,長男Aを殺害しようと企て,平成22年3月19日午前1時44分ころ,愛媛県a郡内の被告人方西側洋間において,就寝中の前記A(当時37歳)に対し,その左額付近を金属製ハンマー(重さ約1945グラム,長さ約44.5センチメートル)で数回殴打し,よって,同日午前2時45分ころ,b市内のc病院において,同人を外傷性脳損傷により死亡させて殺害したものである。
(証拠の標目)省略
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法199条に該当するところ,所定刑中有期懲役刑を選択し,その所定刑期の範囲内で被告人を懲役9年に処し,刑法21条を適用して未決勾留日数中130日をその刑に算入することとし,訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
(弁護人の主張に対する判断)
1 被告人の行為時の責任能力の程度に関し,検察官は,被告人には責任能力があったと主張するのに対し,弁護人は,被告人は心神耗弱状態であったと主張することから,以下検討する。なお,以下年号の表示がないものは平成22年である。
2 犯行に至るまでの経過
・※ 被害者であるAは,被告人とその妻Bの一人息子である。Aは,14歳の時,統合失調症を発症して,一時期は入退院を繰り返したが,最近は,症状が比較的安定し,デイケアに顔を出し,友人やその家族と交流するなどして活動していた。他方で,Aは,いらいらして被告人やBに対し暴言を吐いたり,物に当たるなどの行動があり,平成21年8月以降は,これが目立つようになった。平成21年8月15日には,被告人から薬を飲まないことを責められて立腹し,被告人の腰付近を3回足蹴りしたり,両手で首を絞めるなどの暴行を加えたことから,Bが警察を呼ぶ騒ぎがあり,その後も,犯行前までに数回程度,Bや被告人に軽い暴行を加えたことがあるほか,しばしば暴言を吐いたり,物に当たるなどのいらいらした行動が見られた。2月24日には,ショッピングセンターで,店員の対応に立腹し,つかみ合いの騒ぎを起こした。
・※ Bは,平成4年ころ,心因反応と診断され,薬物治療を受けており,被告人も,平成6年10月に軽いうつ病と診断され,通院治療を受けていた。Bが家事ができない間は,被告人がこれを行っていた。
・※ 被告人は,Aのことを何とかしなければならないと思ったものの,Aの主治医に対する不信感から,なかなか医師には相談できず,別件で保健所を訪れた際に,女性職員ばかりいたのを見て,Aを病院に連れて行く際には頼りにならないと考えて保健所の協力を求めるのもあきらめた。また,1月ころには,d警察署の何でも相談室に電話をかけてAのことを相談したが,その対応に失望し,これも頼りにならないと考えた。
・※ 3月9日,被告人は,Aとの関係修復を図ろうと,メールを初めてAに送ったが,Aから被告人を激しく非難する内容が返ってきた。3月10日には,Aの主治医に,Aの薬を増やしてもらうよう頼んだところ,その話がAに伝わり,Aが病院に行かないなどと言い出した。被告人は,そのころから一家心中を考え始め,AとBを殺して自分も自殺するなどと遺書を書いた。そして,一家心中の方法として,就寝中に,Aは自宅にあった金属製ハンマーで頭部を殴って一撃で殺す,Bは鉈で首を切って殺害する,などと決め,3月16日に鉈を購入するなどした。
・※ しかし,翌17日,長年連れ添ったBの顔を見ているうちに,一家心中の決意がゆらぎ,Bに遺書を見せてこれまでの気持ちを打ち明け,Bからさとされるなどしたことから,計画を実行には移さなかった。3月18日夕方にも,Bとの散歩の際に,「もうやられるか,やるしかない。Aを殺さんといかん。」と打ち明けたが,Bから,「そんなことしたらいかんよ。」などとさとされた。
・※ ところが,同日午後10時ころ,Aが,被告人とBの寝室に入ってきて,2人に対し,「(Bの)兄弟と仲良くせんか。」などと大声で叫び,Bの両肩辺りを手で軽く突き,左右のほおを両手の平で数回たたき,被告人の腕を背中にねじ上げて押さえつけ,「死ね,殺す,撲殺してやる。」などと叫びながら,寝室を出て行き,西側洋間から,「ドスン」といった物を投げつけているような音が2回位聞こえた。被告人は,Bに対し,「もうやるしかない。やるか,やられるかの瀬戸際じゃ。」と言った。Bは,やめるように言うとともに,警察に相談しようと言ったが,被告人は,警察は何か事件が起こらないと動いてくれないなどと述べて,警察に電話をさせなかった。
・※ 3月19日午前1時半ころ,被告人は,寝付けず,のどが渇いたことから,洗面所に行き,その際,玄関に置いてあったハンマーを台所に移動させた。そして,Aがいる西側洋間の電気が消えていて,Aが寝ていると思い,今ならAを殺害することができると考え,西側洋間に入り,電気をつけ,Aが仰向けに寝ていることを確認した上で,ハンマーを台所から持ってきて,両手で柄を持ち,右肩の上辺りまで振り上げて,Aの額を思い切り殴った。すると,Aが「ウッ」という小さな声を出したことから,Aが苦しまないよう,早く殺そうと考え,Aの左額付近を5回位続けて思い切り殴った。被告人は,Aの頭から血だまりが広がるのを見て,Aが死んだものと考え,1分後に,以前に登録していた携帯電話の短縮ダイヤルでd警察署に電話をかけ,息子を殺したので自首したい旨告げた。ところが,Aがいびきのような声を出したことから,まだ生きているのではないかと考え,警察官に救急車も呼ぶように依頼した。
・※ Aの左額付近には数か所の挫裂創があり,陥没して脳が損傷していた。
3 責任能力の程度
・※ 被告人の精神障害
信用できるC鑑定によれば,被告人は,犯行当時,軽症うつ病に加えて適応障害の状態であって,自分自身を含めて家族の将来を悲観し,不安,心配,抑うつなどの症状を呈しており,その程度は中等度であったが,うつ病については,被告人の能力(是非弁別能力や行動制御能力)に影響を及ぼすものではないとのことである。そして,適応障害の影響で,関心が非常に狭い範囲に限局されていて,他のことを考えられない(もっとも,公判廷において,C鑑定人は,別の刺激ないしきっかけがあれば,行為をやめようとする意思が入る余地はあるとする。)状態であったとしている。
・※ 犯行動機
被告人は,Aから度々暴力や暴言を受け,家族の将来を悲観し,そこから逃れるにはAを殺すしかないと考え,犯行に及んでいる。被告人やBがAから受けた暴行は,客観的に見ると,回数も,程度も,殺害を決意するほど激しいものとは考えられないが,一人息子であるAが,統合失調症を長年患っており,約半年前から急激に悪化して,以前には見られなかったほどの暴力を振るうようになったこと,被告人が,他の適切な解決策を十分に探さずにあきらめるなど,適応障害により,思考の幅が狭まっていたことを踏まえると,殺害の決意が了解困難なものとはいえない。
また,犯行を決意する最後のきっかけは,前日夜のAの暴行であったが,被告人は,Bから止められるなどして実行には移さなかったものの,少なくとも犯行の数日前から一家心中を考えており,決して直前の暴行により,突発的,衝動的にAの殺害を思い付いたものではない。そして,被告人は,機会があれば殺害しようと考えて,ハンマーを玄関先から台所に移動させた後,Aが寝ているのを確認し,今なら容易に殺害できると判断して,犯行に及んだもので,冷静さも認められる。
・※ 犯行態様
被告人は,Aを確実に殺害できるよう,重さ約2キログラムのハンマーを凶器として用い,その額付近目がけて数回振り下ろして殴っている。弁護人は,被害者の遺体の損傷状況からすれば,被告人は2発目以降も力一杯殴っており,精神運動性興奮がかなり高まっていたと認められ,行動制御能力は著しく低下していたと主張する。しかしながら,被告人は,1発殴った時,Aが声を出したことから,苦しませないために,早く殺そうと考えて,2発目以降の殴打に及んでいること,犯行時に具体的に額のどの部分を殴ったかについては実際と少し違う場所を指示しながらも,その日の行動や心の動きについては詳細に供述していること,Aの頭部の傷は,ほぼ一か所に集中しており,所構わずめった打ちにしたというようなものではないこと,犯行直後に警察に電話し,自分の氏名や住所を述べた上で,被害者を殺害したことを告げていることからすれば,被告人が一定程度興奮していたとしても,冷静に行動していた様子も認められる。
・※ 被告人の性格と行為との関係
被告人は,これまでに他人に暴力を振るったことはほとんどなく,C鑑定人も,被告人が大人しい性格であると分析する。他方で,Bや被告人の供述によると,芯が強く,いったん思い込むと左右が見えにくくなる面もあるとのことであり,被告人の本来の性格を考えても,前記経緯や被告人の当時の精神状態からすると,まったくその犯行が理解できないというわけではない。
・※ 結論
以上からすれば,犯行当時,被告人の善悪の判断能力や,それに従って行動する能力は,著しく減退していなかった,すなわち,心神耗弱ではなかったと認められる。
(量刑の理由)
1 犯行の結果について
被害者は,統合失調症に罹患し,一時は入院もしていたが,治療を続けて,28歳ころには,通院だけで生活できるまでに回復していた。体調の悪いときには,家族に対して暴行や暴言を加えることがあり,家庭外でトラブルを起こしたこともあるものの,デイケアに通い,友人やその家族とも交流するなど,社会と触れ合い,音楽など,自分なりの楽しみも持っていたのである。犯行は,このような被害者の将来を一方的に奪うものであり,1人の命を奪ったという事実は重大といわざるを得ない。
2 犯行の態様について
被告人は,寝ていて無抵抗の被害者の頭部を,約2キログラムの金属製ハンマーで力一杯複数回にわたり殴打したものであり,遺体の損傷状況からしても,犯行は,検察官が指摘するように,非常に残酷である。
3 犯行に至る経緯について
被告人は,妻も精神的な病気を有する中で,長年,統合失調症の息子を抱えながら生活し,特に,平成21年8月以降,被害者の暴力や暴言から心労を重ね,適応障害を発症し,最後は,被害者を殺すしかないと思い詰めて,犯行に及んだものであり,その経緯には,同情できる面もある。
しかし,当時の状況は,客観的に見て,被害者を殺害してでも逃れることを考えるような切迫したものとはいい難く,犯行前日の暴行についても,警察に通報するなどの措置を取ることなく犯行に及んでいる。その犯行は,自分と妻の生活を守るためのものであり,適応障害により思考が狭まっていたことの影響を考えても,障害を抱えながら懸命に社会に適応しようとしていたその息子を殺す理由にはならず,やはり身勝手な面があるといわざるを得ない。本件は,生活苦や介護疲れ,精神的な病から自殺を決意した者が,自分が死んだ後に残すのがかわいそうであるとの気持ちから,その家族を道連れにするという,無理心中の事案とは異なる。
4 その他の事情
被告人は,犯行直後に自首をしており,この点は有利に評価すべきである(ただし,犯行当時の状況からすれば,被告人は犯人であることは明らかであり,さほど重視することはできない。)。また,被告人がこれまで犯罪とは無縁の生活を送ってきたこと,反省し,いかなる刑も受けると述べていること,その帰りを待つ妻がいることなどの事情もある。
5 結論
以上の事情を踏まえ,弁護人の示す量刑検索システム(子に対する殺人,自首)の量刑傾向も参照して検討したが,人1人の命が奪われたという結果の重大性,犯行態様の残酷さ,適応障害の影響があったとはいえ,殺害以外の選択肢を十分検討することなく犯行に至ったことなどからすれば,本件については,執行猶予を付すことも,法定刑の下限である懲役5年を下回ることも相当な事案とは認められず,懲役9年に処するのが相当である。
(量刑意見:検察官/懲役10年,弁護人/懲役3年・執行猶予5年)
(裁判長裁判官 村越一浩 裁判官 中村光一 裁判官 松原経正)
<編注:『※』部分は原文のとおり。>