大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。
官報全文検索 KANPO.ORG
月額980円・今日から使える・メール通知機能・弁護士に必須
AD

松山地方裁判所 平成3年(ワ)157号 判決 1998年3月25日

原告

雀野馬俊

雀野徳子

右両名訴訟代理人弁護士

佐藤融

被告

日本赤十字社

右代表者社長

藤森昭一

被告

原田篤実

右両名訴訟代理人弁護士

小堺堅吾

主文

一  被告らは、原告らに対し、連帯して、各金二七五万円を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告らの負担とし、その余は被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告らは、連帯して、原告らに対し、各金四七九六万四四〇三円を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告ら

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  事案の概要

一  本件は、被告日本赤十字社(以下、「被告日赤」という。)が経営する松山赤十字病院(以下、「被告病院」という。)腎臓内科において治療を受けた雀野俊徳(以下、「俊徳」という。)が転院後に腎細胞癌(腎癌)で死亡したことについて、俊徳の両親(共同相続人)である原告らが、被告日赤の被用者である被告病院勤務医の被告H(以下、「被告H医師」という。)が俊徳の病状を紫斑病性腎炎と誤診し、精密検査を怠った過失により俊徳が死亡したとして、被告H医師及び被告日赤に対し、不法行為責任(被告日赤に対しては使用者責任)に基づく損害賠償を求めた事案である。

二  前提となる事実(当事者間に争いがないか、被告らが明らかに争わない事実)

1  俊徳(昭和三七年二月一一日生れ)は、原告らの長男であり、昭和五五年三月に高等学校を卒業し、航空自衛隊自衛官や警察官をした後、昭和六二年一一月から石油荷役会社で勤務していた。

2  被告H医師は、被告日赤が経営する被告病院の勤務医(被使用者)であり、同病院腎臓内科において、昭和六二年七月一六日から平成元年二月四日まで、俊徳の主治医として同人の診療にあたった。

3  被告病院における俊徳の通院による受診状況は、次のとおりである。

(一) 皮膚科 昭和六二年三月一六日、同月二三日、同年四月二三日、同年五月二日、同月一五日、同月三〇日。

(二) 内科 昭和六二年六月二七日。

(三) 腎臓内科 昭和六二年七月一六日、同年一〇月二二日、昭和六三年六月二日、同月一六日、同年八月一日、同月四日、同年九月二六日、昭和六四年一月五日、平成元年一月九日、同月一四日、同年二月四日。

4  被告H医師は、昭和六二年七月一六日に俊徳を初めて診察した時から、同人の病状を紫斑病性腎炎であると診断し、経過観察することにして投薬治療を行っているが、その治療過程において、問診・血圧測定・尿検査・血液検査を実施しているが、超音波検査、腎盂造影検査、CT検査や細胞診、腎生検は一度も実施していない。なお、被告H医師が初めて診察したときから、俊徳には軽度の顕微鏡的血尿が出現しており、昭和六三年六月二日の受診時には、同医師に対し、紅茶様の肉眼的血尿があった旨告げている。

5  俊徳は、平成元年二月四日、被告H医師に対し、愛媛県立中央病院(以下、「県立中央病院」という。)での受診を希望し、同病院内科の赤松明医師(以下、「赤松医師」という。)への紹介状を受け取った。

6  俊徳は、平成元年二月八日、県立中央病院において赤松医師の診察を受け、その後、精密検査を受けて左腎細胞癌(腎癌)と診断され、同月二三日、手術を受けたが、同年九月一九日、腎腫瘍による癌性悪液質で死亡した。

7  原告らは、俊徳の両親であり、各二分の一の割合で同人の権利、義務を共同相続した。

三  争点及び争点についての当事者の主張

1  被告H医師の俊徳に対する診療行為に過失があったか否か。

(原告らの主張)

被告H医師には、俊徳を昭和六二年七月一六日に初めて診察した時から、超音波検査・腎盂造影検査・CT検査等の精密検査を行い、腎癌を早期に発見する義務があった。仮に、初診時には右義務がなかったとしても、同年一〇月二二日あるいは遅くとも昭和六三年六月二日には右義務が発生していた。しかるに、被告H医師は、かかる精密検査を一切行わず、俊徳を紫斑病性腎炎と誤診したまま、漫然と治療を継続した過失がある。すなわち、

(一) 一般的に、医師には、あらゆる可能性を考えて患者の病名確定をする義務があり、とりわけ重篤な病気については、仮にその発症頻度が低くとも、右義務を念頭において診療に当たらなければならない。

本件において、被告H医師は、昭和六二年七月一六日の初診時に、俊徳に対する尿・血液検査の結果、顕微鏡的血尿が出ていることを知ったことから、腎癌を含む種々の腎疾患を念頭において病名確定をすべき義務があった。しかるに、被告H医師は、俊徳に対し、初診時の一般的検査である超音波検査等を一切行わず、被告病院皮膚科における診断と当日の尿・血液検査等の結果のみに基づいて、軽々に、しかもそれ自体極めて稀な疾患である紫斑病性腎炎と誤診した過失がある。

(二) 仮に右初診時に被告H医師の過失が認められなくとも、同医師には、昭和六二年一〇月二二日の再診の際に俊徳に血尿が続いていると知った時点、あるいは、遅くとも昭和六三年六月二日に同人から肉眼的血尿の訴えがあった時点において、他の腎臓疾患、とりわけ腎癌を疑って、超音波検査・腎盂造影検査・CT検査等の精密検査あるいは触診を行う義務があった。しかるに、被告H医師は、俊徳の症状悪化の訴えに対し、十二指腸潰瘍や上気道炎等による紫斑病性腎炎の急性増悪と誤診し、依然、これらの精密検査を行わず、経過観察と投薬治療を漫然と継続した過失がある。

(被告らの主張)

被告H医師の俊徳に対する診療行為に過失はない。すなわち、

(一) 本件は、紫斑病性腎炎に腎癌を併発した極めて稀な症例である。そして、被告H医師が昭和六二年七月一六日に俊徳を初めて診察した時点では、尿・血液検査等の所見からして、同人は紫斑病性腎炎にのみ罹患し、腎癌を併発するには至っていなかったものである。したがって、被告H医師が右初診時に俊徳の病状を紫斑病性腎炎と診断したことに過失はない。また、昭和六二年当時において、腎臓内科の一般的医療水準は、初診時に超音波検査等の精密検査をすることを要求していなかった。しかも、被告H医師は、同日、腎生検を含む精密検査のため、俊徳に対し入院を勧めたのに、同人においてこれを拒否したのである。なお、同医師は、俊徳に対し、それ以上強く入院を勧めなかったが、同人の紫斑病性腎炎に活動性の所見が見られなかったため経過観察することにしたものであり、この判断にも誤りはない。

(二) また、俊徳の昭和六二年一〇月二二日と昭和六三年六月二日の臨床所見(紫斑と関節痛)及び尿・血液検査の結果(蛋白尿・血尿の増悪・穎粒円柱・血清IgAの高値)等は、明らかに紫斑病性腎炎の症状を呈していたものである。そして、紫斑病性腎炎に腎癌を併発したという報告例はなく、しかも、若年成人には腎癌の発症自体が極めて稀とされていることからすれば、このような状況下で、被告H医師が俊徳を紫斑病性腎炎と診断したことに過失はなく、腎癌を疑って精密検査をしなかったことを非難されるいわれはない。また、腎癌の随伴症状である血沈亢進・高血圧・発熱等の症状もないのに、造影検査やCT検査等の精密検査を行うことは、昭和六二年ないし六三年当時の医療水準上要求されていなかった。したがって、被告H医師が前記各日時に俊徳に対し造影検査等の精密検査を行わなかったことにも過失はない。

(三) なお、昭和六四年一月五日の肉眼的血尿の訴えと同日以降の肉眼的血尿持続の症状は、回顧的には腎癌によるものと考えられるが、俊徳には十二指腸潰瘍・上気道炎・扁桃腺刺激の炎症反応(紫斑・関節痛の出現)や紫斑病性腎炎の増悪など、肉眼的血尿を起こし得る急性増悪因子が多数存在しており、被告H医師において、腎癌を疑わず、超音波検査等の精密検査を行わなかったことにも過失はない。

2  仮に、被告H医師の診療行為に過失が存在した場合、右過失と俊徳の死亡との間に相当因果関係が認められるか。

(原告らの主張)

被告H医師の診療行為上の過失と俊徳の死亡との間には相当因果関係がある。すなわち、

(一) 俊徳は、平成元年二月八日、県立中央病院内科において赤松医師の診察を受けたところ、精密検査の必要があるとして即日入院となった。そして、翌二月九日には、同病院泌尿器科の米田文雄医師(以下、「米田医師」という。)の診察も加わり、同月一四日の造影検査及び超音波検査で左腎臓に腫瘍が発見されて癌の可能性が高いと診断され、更に同月一六日にCT検査、同月二〇日には血管造影検査が行われ、翌二一日に左腎細胞癌(腎癌)であると診断された。このように、俊徳は、被告H医師の初診時から僅か一年七か月余り後に、腎癌と診断されていることからすれば、被告H医師が俊徳を最初に診察した昭和六二年七月一六日に超音波検査あるいは造影検査等の精密検査を実施していたならば、その段階で腎癌を発見できたものと推定される。

仮にそうでなくとも、昭和六二年一〇月二二日あるいは遅くとも昭和六三年六月二日に、被告H医師が俊徳に対し腎臓の超音波検査あるいは造影検査等の精密検査を実施していたならば、これらの時点で腎癌を発見できたはずである。

(二) そして、当時の医療水準に鑑みれば、腎癌でも適切な早期治療が施されれば救命が可能であり、俊徳は死亡を免れた可能性も存在する。まして、俊徳の腎癌は左腎臓のみであり、右の腎臓は正常であったことからすれば、早期の左腎臓の提出により、救命ないし延命の可能性があったというべきである。

(被告らの主張)

仮に被告H医師の診療行為に過失があったとしても、右過失と俊徳の死亡との間に相当因果関係はない。すなわち、

(一) 昭和六二年七月一六日には、前述の尿・血液等の検査結果の所見からして、俊徳は腎癌に罹患しておらず、同日超音波検査等を行っていたとしても腎癌は発見され得なかった。

(二) 同年一〇月二二日又は昭和六三年六月二日の時点で、仮に俊徳が腎癌に罹患していたとしても、早期腎癌の多くは無症候であって、肉眼的血尿・疼痛・腫瘤の触知のいずれかが発現する前に発見されることは稀であり、しかも、根治的手術が可能なのは血尿がない状態で偶然に発見される場合が殆どである。したがって、これらの日時に俊徳に対する超音波検査等の精密検査が行われていても腎癌を発見することは困難であったと思われ、仮に発見されていても根治的手術は不可能であった。

(三) なお、回顧的にみれば、被告H医師の昭和六四年一月五日から平成元年二月四日までの診察時に、俊徳に腎癌を疑うべき医学上の所見が存在したといえても、同人の腎癌はラピッドタイプで、しかも組織学的異型度がグレードⅢと最も悪性度の強いものであったから、その時点で治療を行っても、救命は極めて困難であった。

(四) 以上からすれば、仮に被告H医師の診療行為に過失があったとしても、右過失によって俊徳が死亡したという高度の蓋然性はなく、また、昭和六四年一月五日以降に適切な処置がとられていれば延命の可能性があったとしても、その期間は極く短かかったというべきである。したがって、被告H医師の過失と俊徳の死亡ないし延命利益の損害との間に相当因果関係はない。

3  俊徳及び原告らの損害

(原告らの主張)

(一) 俊徳の損害

(1) 逸失利益五五九二万八八〇七円

死亡当時、一か月の給与二七万七三五二円を得ていたので、平均余命をもって算定すると、五五九二万八八〇七円の得べかりし利益を失ったことになる。

(2) 死亡慰謝料 一〇〇〇万円

(3) 相続

原告らは、俊徳の損害賠償請求権を、各二分の一の割合で共同相続した。

(二) 原告らの損害

(1) 固有の慰謝料 各一〇〇〇万円

(2) 訴訟費用 一〇〇〇万円

(被告らの主張)

原告らの右主張は争う。

第三  証拠関係

記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

第四  争点に対する判断

一  争点1(被告H医師の過失)について

1  前記前提となる事実に加え、証拠(甲三ないし六、一〇ないし一六、一七の1、2、一八の1ないし8、一九の1ないし4、二〇の1ないし15、二一の1ないし18、二二の1ないし8、二三の1ないし11、乙一ないし一五、一六の1ないし3、一七、一八、二五、二六、証人赤松明、同米田文男、同豊岡みちえ、鑑定人福崎篤の鑑定結果及び同人の証言(以下、「福崎鑑定」という。)、被告H、原告雀野徳子)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 被告H医師による診療経過について

(1) 俊徳は、昭和五五年一〇月ころから身体に紫斑が出現し、半年に一回位、その後は二年おきに紫斑が出ていたが、昭和六二年三月一六日、両下肢から腎部にかけてと両前腕伸側に碗豆大の多数の出血斑が散在し、関節痛も出たことから、被告病院皮膚科を受診して外来治療を受けるようになった。そして、同年六月二七日、俊徳の腕に粟粒大の点状出血数個を認めた皮膚科医師により紫斑病と診断されて同病院内に転科され、同日、尿及び血液の検査を行ったところ、血清クレアチニン、1.3mg/dl・血清IgA四二三mg/dl・血清蛋白7.2g/dl・蛋白2+/T・沈査にて赤血球三〇〜四〇/HPF等の結果が出た。そこで、俊徳は、さらに被告病院腎臓内科に転科され、被告H医師の診察を受けることになった。

(2) 昭和六二年七月一六日、被告H医師は、俊徳を初めて診察したが、同日の尿や血液等の検査結果は、蛋白+/T・尿沈査にて赤血球八〜一〇/HPF・血圧一〇〇/六〇mm/Hg等であり、同医師は、皮膚科で紫斑病と診断されていることを前提に、右検査結果(尿蛋白・血尿・血清IgAの高値等)から糸球体腎炎の所見が加わったとして、俊徳の病状を、軽度の紫斑病性腎炎と診断した。そして、同医師は、右腎炎が軽度の蛋白尿と血尿(顕微鏡的血尿)のみであることなどから安定期にあると診て、経過観察することにし、俊徳に対し、三か月後に来院するよう指示した。

なお、当日の尿沈査にて赤血球八〜一〇/HPFの検査結果は、軽度の顕微鏡的血尿に該当する(同数値の三以下が陰性であり、五〜二〇が軽度、三〇〜五〇が中程度、六〇以上が重度の顕微鏡的血尿に該当し、紅茶色等肉眼で識別できるのを肉眼的血尿という。)。

(3) 次いで、俊徳は、同年一〇月二二日、被告H医師の診察(第二回)を受け、尿や血液等の検査結果は、血圧一二〇/七〇mm/Hg・蛋白±/T・尿蛋白クレアチニン比0.98・尿沈査にて赤血球一〇〜二〇/HPF・血清クレアチニン1.2mg/dl・血清IgA四四三mg/dl等であった。被告H医師は、俊徳の腎機能は正常で、間欠性の尿蛋白や顕微鏡的血尿はあるが、安定した状態と診断し、投薬治療を続行して経過観察することとし、予定どおりの通院(三か月後)を指示した。

(4) 俊徳は、その後、約七か月間通院せずにいたが、昭和六三年六月二日、被告H医師の診察(第三回)を受け、紫斑が時々出て、一日だけではあるが紅茶色の肉眼的血尿があったと訴えた。同日の尿や血液等の検査の結果は、血圧一一〇/六〇mm/Hg・蛋白2+/T・尿沈査にて赤血球六〇〜七〇/HPF・顆粒円柱一〜二/10LPF・蛋白量クレアチニン比0.55・血清クレアチニン1.0mg/dl・血清IgA407.9mg/dl等であった。被告H医師は、俊徳の訴えた肉眼的血尿は紫斑病性腎炎の急性増悪のためであり、腎炎の経過上は血尿が高度であってもさほど心配することはなく、症状としては安定していると診て、同月一六日、その旨を俊徳に説明した。なお、同日の尿や血液の検査結果は、蛋白1+/T・尿沈査にて赤血球五〇〜六〇/HPF等であった。

(5) 昭和六三年八月一日、俊徳は、三日前より両上下肢に紫斑が出現し、二日前の夜から心窩部痛があるとの訴えて、被告H医師の診察(第四回)を受けた、尿や血液等の検査結果は、血圧一二〇/七〇mm/Hg・蛋白+/T・尿沈査にて赤血球二〇/HPF・血清クレアチニン1.0mg/dl・尿蛋白クレアチニン比0.7・肝機能正常・血沈及びCRP少し亢進等であり、さらに同月四日に行われた尿や血液等の検査結果は、蛋白3+T/・尿沈査にて赤血球六〇/HPF等であった。なお、被告H医師は、俊徳から胃の痛みを訴えられ、同日、被告病院胃腸科で胃透視の検査をした結果、活動性十二指腸潰瘍と診断され投薬治療がなされた。

(6) 昭和六三年九月二六日、俊徳は、四、五日前からまた心窩部痛があり、一週間前からこれまでとは異なり四肢に丘疹・紅斑が出現したと訴えて被告H医師の診察(第五回)を受けた。被告H医師は、紫斑の出かたが異なったので皮膚科の診察を受ける必要があると判断し、同科に紹介したところ、紫斑病の再発と診断する旨の回答を受け、従前同様に経過観察することとした。同日の俊徳の尿や血液等の検査結果は、蛋白2+/T・尿沈査にて赤血球四〇〜五〇/HPF等であった。

なお、同年一〇月三日、俊徳は、扁桃炎と紫斑との関係を疑った被告病院皮膚科医師の紹介により、同病院耳鼻科において扁桃誘発テスト等を受けたが、強い炎症反応があったものの、耳鼻科医師の判断により抗生物質の投与だけで、扁桃腺摘出手術は行われなかった。

(7) 昭和六四年一月五日、俊徳は、前年一二月二五日と二六日の二回にわたって紅茶色の肉眼的血尿があり、小さな凝血塊様のもの(幅一センチメートル位)が二回出たなどと訴えて被告H医師の診察(第六回)を受けた。尿や血液等の検査の結果は、血圧一二〇/七〇mm/Hg・蛋白3+/T・尿沈査にて赤血球九〇〜一〇〇/HPF・尿蛋白グレアチニン比3.5・血清クレアチニン1.4mg/dl・血沈著明に亢進・CRP17.7・貧血・白血球増加等であった。また、平成元年一月九日の検査結果は、蛋白2+/T・尿沈査にて赤血球八〇/HPF等であった。被告H医師は、俊徳に十二指腸潰瘍の影響を疑ったが、消化器科からは完治との回答を受け、肉眼的血尿の出現については、紫斑病性腎炎の急性増悪によるもので、何らかの感染症により急に臨床所見が悪くなったものと判断し、この時点でも腎癌の疑いを持たなかった。

(8) 平成元年一月一四日、俊徳は、数日前より咽頭痛や摂氏三九度を超える発熱があると訴えて被告病院に来院し、夜間であったため、田中医師の診察を受け、上気道炎と診断され投薬治療を受けた。この日も上下肢には紫斑がみられ、尿と血液検査の結果は、蛋白3+/T・赤血球無数・血沈亢進強度・軽い貧血・軽度の白血球上昇等であった。

(9) 平成元年二月二日、俊徳は、摂氏37.2度の微熱と紫斑及び肉眼的血尿の持続を訴えて被告H医師の診察(第七回)を受けた。同日の尿や血液等の検査結果は、血圧一一〇/六〇mm/Hg・蛋白2+/T・尿沈査にて赤血球無数・血清クレアチニン1.2mg/dl等であった。

被告H医師は、上気道炎又は扁桃腺炎が急性増悪因子となって肉眼的血尿などが出ているものと判断し、俊徳に対し、安静と水分摂取を指示したうえ抗生物質を投与した。

(10) 平成元年二月四日、俊徳は、被告H医師に対し、県立中央病院で治療を受けたいとの意向を示し、同医師は、同病院内科の赤松医師に電話連絡のうえ、病名を紫斑病性腎炎、十二指腸潰瘍の病歴とし、同年二月二日の検査結果で尿沈査にて赤血球無数などのデータが出ていること、神経質な患者であること、追伸として、腎生検はしていないが何かあったら連絡して下さいなどと記載した紹介状(乙二の17頁)を俊徳に交付した。

(二) 県立中央病院における診療経過と俊徳の死亡に至る経緯について

(1) 俊徳は、平成元年二月八日、前記紹介状を持参して県立中央病院内科に赴き、赤松医師の診察を受けた。赤松医師は、俊徳の顔色等から一見して病状は良くなく、触診したところ左腎臓に腫瘍が触れたことから癌の疑いがあり、翌日にでも泌尿器科で精密検査(膀胱内視鏡検査や静脈性造影検査等)をする必要があると判断し、即日、俊徳を入院させた。

(2) 翌九日、同病院泌尿器科において、米田医師により、俊徳の膀胱内視鏡検査が行われ、左尿管口から多量の出血があることや膀胱内には腫瘍がないことが分かり、同月一四日の静脈性造影検査で左腎臓の腫瘍が考えられるとの、また、同日の超音波検査で腫瘍により左腎臓が大きく腫大しているとの結果が出た。さらに、同月一六日には、CT検査が行われ、同様の結果が確かめられた。そして、同月二〇日に血管造影検査が行われた結果、最終的に、米田医師により、俊徳は左腎細胞癌(腎癌)であるとの確定診断がなされ、手術が必要であるとの診断が下された。

(3) そこで、俊徳は、平成元年二月二一日に同病院泌尿器科に入院し、同月二三日に経腹的左腎臓摘出手術を受けた。そして、摘出された左腎臓の病理検査の結果、腎細胞癌(腎癌)であり、進行度合はT4(筋膜を超えて浸潤した最も進行したタイプ)、細胞の悪性度はグレードⅢ(最も悪性のもの)でラピッドタイプ(進行が速いタイプ)と診断され、手術の結果、腎内リンパ節への転移がみられることが確認された。

(4) その後、同病院において、俊徳に対し、インターフェロンの投与等による治療が続けられ、同人は、平成元年五月八日に退院し、外来治療を受けていたが、全身状態が悪化して同年七月一三日に再入院となった。そして、俊徳は、同年七月一九日のCT検査の結果、胸部及び肝臓に癌が転移していることが判明し、その後さらに全身状態が悪化して、同年九月一九日に死亡するに至った。

(5) なお、俊徳は、同病院における手術後、家族から腎癌に罹患していたことを聞かされて、被告H医師に対する無念の心情を告げ、同人の姉から要請を受けて、同医師は、平成元年八月一八日、入院中の俊徳のもとに見舞に赴いている。

(三) 紫斑病性腎炎について

(1) 紫斑病性腎炎は、紫斑の出没とともに、関節炎症状あるいは腹痛・下血・腎炎を伴う腎臓疾患であり、尿検査において血尿・蛋白尿のほか赤血球・白血球・顆粒円柱や硝子円柱等の多彩な円柱尿がみられ、血清IgA値(正常値三七〇mg/dl)が著増するなどの臨床像を示す特徴がある。

(2) 成人例では、約半数が発病後五年ないし一〇年で完全寛解に至るが、約一五パーセントは腎不全に移行し、ほかに尿所見の異常が持続するものが三〇パーセント、腎不全により死亡する例が数パーセント程度みられる。そして、軽度のもの(「糸球体病変のISKDC分類」におけるⅠ・Ⅱ群)では、特に積極的な治療の必要もなく、経過観察か抗血小板薬投与のみでよいとされている。これより重くなると、ステロイド療法の適応がある場合(同分類におけるⅢ群)や、ステロイド・免疫抑制薬に抗凝血薬を加えた診療を試みる必要がある場合(Ⅳ・Ⅵ群)、さらにパルス療法ないし血漿交換法の施行が必要とされる場合(V群)もある。

(四) 腎癌について

(1) 腎癌の典型的徴候は、三主徴といわれる血尿・疼痛及び腎部腫瘤であり、その他の特異的臨床所見としては、発熱・体重減少・全身倦怠感・胃腸症状・血沈亢進・赤血球増多・高血圧・高カルシウム血症・肝障害等がある。

(2) 腎癌発見の端緒となる症状としては、血尿が最も多く、ことに排尿痛などを伴わない間欠的な肉眼的血尿のことが多い。なお、顕微鏡的血尿がみられる症例の四〇パーセントから六〇パーセントにかけて何らかの腎臓疾患を認め、その三パーセントから一〇パーセントに腎尿路の悪性腫瘍が存在するとの報告例もある(福崎証言12丁裏)。ただし、腎癌は、早期には無症候であることが多く、早期発見は困難であるとされてきたが、CT検査や超音波検査等の普及により、自覚的に全く無症状で、かつ、尿所見も正常である症例についても早期腎癌の発見率が増加している(乙一〇)。

(3) 腎癌の所見を得るために必要な検査には、血液検査及び尿検査の一般的検査のほか、超音波検査(非侵襲的でありスクリーニング検査としての価値は高い)・静脈性腎盂造影検査・CT検査(これでほぼ腎臓癌の確定診断が下され、癌の進展度も同時に判明する)・MRI検査(CT検査同様の価値がある)などがある。一般的には、まず、超音波検査や尿細胞診検査等の非侵襲的な検査を実施し、ここで腎癌が疑われれば、さらに静脈性腎盂造影検査やCT検査・MRI検査等により確定診断する。なお、極めて小さな腫瘤や嚢胞性の腫瘤の場合には、診断が難しく、腫瘤の生検を行って病理学的診断が行われ、手術時の迅速病理検査で診断が確定することも少なくない。

(4) 腎癌の発症は、五〇歳ないし六〇歳代に最も多く、若年者の発症は比較的稀ではあるが、二〇歳代にも発病しないわけではなく、三〇歳未満の若年者の腎癌の発症率は毎年三〇〇万人に一人程度ともいわれている。

(5) 腎癌の患者が、潜在的転移を来してから死亡に至るまで、一般的に二年以上の経過を経ているのが通常である(福崎証言9丁裏、15丁目表)。

一般に、腎癌の術後の五年生存率は五〇パーセント程度、一五年生存率は二〇パーセント程度と、予後は一般的に不良であるが、その原因は悪性度が高いというだけではなく、初期の段階で無症状に経過し、発見が遅くなるためと考えられる。なお、若年者の腎癌は、再発が少ないとされており、四〇歳未満の患者では、治癒手術がなされた症例の大部分が一〇年以上再発しないとの報告もある。

(6) 腎癌は、大部分が進行癌であり、一見転移がないようにみえて、その六〇パーセント以上は潜在的転移をもつ。その発育速度に応じ、スロータイプとラピッドタイプ(クイックタイプ)等に分かれるが、ラピッドタイプは、術後五年までに(多くは一年ないし二年で)急速に進行して死亡するものをいう。そして、腎静脈への腎細胞浸潤症例の術後五年生存率は二〇パーセント台に止まり、予後が明らかに悪いとされている。

2  以上の認定事実に基づいて、被告H医師の過失の有無について判断する。

(一)  一般的に、人の生命及び健康を管理すべき医業に従事する医師は、その業務の性質に照らし、自ら担当する患者に対して医療上必要とされる最善の注意義務を尽くすことが求められており、当時の医療水準に基づいて、適切な諸検査等による正確な病名の医学的解明を行い、これによって、患者に対して適切な指示・指導・治療行為をなすべき義務を負っているといわなければならない。

(二)  これを本件についてみるに、以下のとおり判断される。

(1)  まず、被告H医師は、昭和六二年七月一六日の初診時において、俊徳の病名を紫斑病性腎炎と診断しているが、同人には紫斑の出没と関節痛がみられ、尿や血液等の検査結果(ことに血清IgAの高値)も同疾患の臨床像を示していたことからすれば、右病名の診断に過誤はなかったものと認められる(福崎鑑定書10頁)。

その意味から、被告H医師による右病名診断自体を誤診とする原告らの主張は失当である。

(2)  しかしながら、俊徳は、被告H医師の右初診時から約一年七か月を経た平成元年二月に、県立中央病院に転院直後、腎細胞癌(腎癌)と確定的に診断され、しかも、その段階で腎癌は触診で腫瘍が触れるまで肥大化、進行しており、左腎臓摘出手術を受けたものの同年九月一九日には死亡するに至ったことからすれば、被告H医師の診療過程において、俊徳に腎癌を疑う所見はなかったか、そのための適切な諸検査が尽くされたといえるか、の点が検討されなければならない。

(3) そこで検討するに、腎癌の典型的徴候の一つに血尿の出現が挙げられ、同疾患の発見の動機となる症状としては血尿が最も多く、ことに排尿痛などを伴わない間欠的な肉眼的血尿が多いとされているところ、被告H医師の診療過程において、俊徳には尿沈査の結果、次のとおり、血尿の出現がみられている。

① 昭和六二年七月一六日 赤血球八〜一〇/HPF

(なお、同年六月二七日の被告病院内科における検査で、赤血球三〇〜四〇/HPF)

② 同年一〇月二二日 赤血球一〇〜二〇/HPF

③ 昭和六三年六月二日 赤血球六〇〜七〇/HPF

(肉眼的血尿が一日だけ出た旨の訴えあり。)

④ 同年八月一日  赤血球二〇/HPF

⑤ 同年八月四日  赤血球六〇/HPF

⑥ 同年九月二六日 赤血球四〇〜五〇/HPF

⑦ 昭和六四年一月五日  赤血球九〇〜一〇〇/HPF

(肉眼的血尿が二回あった旨の訴えあり。)

⑧ 平成元年一月九日  赤血球八〇/HPF

⑨ 同年一月一四日  赤血球無数

(但し、田中医師の診察時)

⑩ 同年二月二日  赤血球無数

そして、血尿は顕微鏡的血尿と肉眼的血尿に分けられ、尿沈査による赤血球のHPFの数値の三以下が陰性であり、五〜二〇が軽度、三〇〜五〇が中度、六〇以上が重度の顕微鏡的血尿に該当することからすれば、俊徳には、被告H医師が初めて診察した昭和六二年七月一六日時点で、既に軽度の顕微鏡的血尿がみられ、昭和六三年六月には肉眼的血尿が出現して、増加の一途を辿っていることが認められる。

そうすると、俊徳に出現した血尿は、腎癌の徴候としてのものであったとみることが十分可能であり、その増加傾向を辿れば、進行性の疾患としての特徴を有する腎癌に起因するものと認めるのが相当である。

(4) 一方、血尿は紫斑病性腎炎にも出現するものであり、被告H医師において、俊徳が同疾病に罹患していると判断したこと自体に誤りがないことは前述のとおりであって、医師についての過失を回顧的に結果からのみ追求することが許されないことはいうまでもない。

しかしながら、医師において患者の病名を診断する場合、症状が一つの病名に適合する場合であっても、それのみと決めつけて、他の疾患を疑わないことは危険であるといわなければならず、ことに癌のような生命に直接かかわる進行性の重大な疾患については、何よりも早期発見が必要であって、その徴候が現れているのに、これを他の疾患の徴候と決めつけて見逃すことがあってはならないというべきである(福崎証言11丁裏、14丁表、25丁表から裏、赤松証言(平成七年五月一七日調書)10丁裏参照)。

(5)  この観点からみれば、被告H医師は、俊徳を最初に診断した昭和六二年七月一六日の時点において、同人に紫斑の出没や関節炎等、紫斑病性腎炎の典型的症例が出揃っていたとはいえ、当日同人にみられた軽度の顕微鏡的血尿を同疾患の徴候のみと決めつけ、同疾患よりも直接生命にかかわる腎癌の徴候を疑わなかったことは、腎臓内科の専門医として問題があったといわなければならない。そして、被告H医師の初診時より約二〇日前の被告病院内科での検査で俊徳に既に中程度の顕微鏡的血尿がみられており、このデータは当然に被告H医師に引き継がれているとみられるから、初診時に軽度とはいえ顕微鏡的血尿が出現したことを知った同医師としては、腎癌の徴候かもしれないことを疑い、それを視野に入れた精密検査を考慮すべきであったというべきである。

(6) そして、前記認定のとおり、腎癌は無症候であることが多く早期発見が困難とされてきたが、超音波検査等の普及により尿所見が正常である症例についても発見率が増加しており、一般的には、尿・血液検査等のほか、まず超音波検査を行い、CT検査かMRI検査で確定診断することが多いとされており、そうすると、被告H医師において、右初診時に、俊徳に対し、少なくとも超音波検査(非侵襲的でありスクーリング検査としての価値が高いとされている。)を実施し、その結果如何によってCT検査等に進むことにより、同人にみられた血尿が紫斑病性腎炎だけでなく腎癌に起因する危険がないか精密検査すべきであったといえる(福崎証言21丁裏、23丁表、24丁表、同旨)。しかるに、被告H医師は、俊徳の血尿を紫斑病性腎炎の一症状と確定診断して、腎癌の罹患の有無についての何らの精密検査を行わず、右腎炎が軽度であるとして、漫然と三か月後の受診を俊徳に指示したことは、医師として最善の医療行為を行うべき注意義務を怠ったといわざるを得ない。

(7)  さらに、被告H医師は、昭和六二年一〇月二二日の第二回診察時において、俊徳に軽度の顕微鏡的血尿(初診時よりやや増加)がみられたのに、前同様、紫斑病性腎炎との確定診断のまま、腎癌を疑っての精密検査をしておらず、初診時から三か月(被告病院内科での検査から四か月)後にも血尿が持続していることを知った同医師としては、遅くとも、第二回の診察時において、俊徳に対し、血尿の出現、持続が腎癌の徴候かもしれないことを疑い、それを視野に入れた超音波検査等の精密検査を行うべきであったというべきである。

(8)  以上からすれば、被告H医師には、俊徳に対し、初診時の昭和六二年七月一六日、遅くとも、第二回診察時の同年一〇月二二日において、同人にみられた血尿(軽度ないし中程度の顕微鏡的血尿)を腎癌の徴候かもしれないと疑い、それを視野に入れた超音波検査等の精密検査を行うべきところ、これを怠った過失があり、さらに、その後、昭和六三年六月以降には俊徳に肉眼的血尿が生じているのに、平成元年二月に県立中央病院に転院するまで、紫斑病性腎炎の増悪としてのみ診断して腎癌を疑わず、一度も超音波検査等の精密検査を行わなかったことは、医師に求められる最善の診療を尽くすべき注意義務を怠った過失があると判断される。

(9) なお、被告らは、被告H医師が俊徳の初診時に腎生検を含む精密検査のため入院を勧めたのに同人が拒否した旨主張し、同医師は、その旨証言するが、カルテ上には、そのように記載はなく、その後俊徳に肉眼的血尿が出現した昭和六三年六月、あるいは、昭和六四年一月に至っても、被告H医師は紫斑病性腎炎の急性増悪と診断して腎癌を疑っておらず、俊徳に検査入院を勧めた形跡もないことからすれば、初診時に検査入院を勧めたという同医師の証言は、にわかに信用することができない。

(三) ところで、被告らは、被告H医師の俊徳に対する診療行為には過失がない旨主張するので、以下、検討を加える。

(1) まず、被告らは、被告H医師が俊徳を初めて診察した昭和六二年七月一六日には尿・血液検査等の所見からして同人は紫斑病性腎炎にのみ罹患し腎癌は発症していなかった旨主張するが、前述のとおり、その当時、俊徳には既に腎癌の徴候の一つである血尿(軽度ないし中程度の顕微鏡的血尿)が出現していたもので、一般に腎癌の患者が潜在的転移を来して死亡に至るまで二年以上経ているのが通常で、俊徳が県立中央病院で腎癌と確定診断された平成元年二月において触診でも分かるまでに進行していたことからすれば、既に同人に腎癌が発症していたものと推認するのが相当である。この点について、福崎鑑定においても、右経過から被告H医師の初診時(昭和六二年七月一六日)に少なくとも俊徳の腎癌が潜在的転移を有していた可能性が高いとしている(同鑑定書7頁、なお、この点を否定する長澤俊彦医師作成の鑑定書(乙一九)の記述は、福崎鑑定と対比して採用できない。)。そして、本件のように、腎癌の徴候の一つである血尿の出現がみられているのに、医師の側で検査をしていない場合に、確定的立証ができないことを患者側の不利益に帰せしめるのは訴訟信義則にも反するというべきである。

(2) 次に、被告らは、当時の医療水準からして、腎臓内科の初診時に超音波検査等の精密検査をする義務はなかった旨主張するが、俊徳には被告H医師の初診時から腎癌の徴候の一つである血尿(軽度ないし中程度の顕微鏡的血尿)が出現していたもので、そのような場合、少なくとも、患者に負担を与えない超音波検査や尿の細胞診検査を初診時でも行うべきことは昭和六二年当時でも常識であったことが認められ(福崎証言21丁裏、なお、福崎証言では泌尿器科において常識であったというが、腎臓内科において異なるとは考え難い。)、被告らの右主張は採用できない(この点、昭和六二年の医療水準で尿蛋白・血尿を主訴に来院した患者に超音波検査を行うのは必須ではなく、それは平成に入ってからであるとの長澤鑑定書(乙一九)の記述は、福崎鑑定と対比して採用できない。)。

また、被告らは、俊徳に腎癌の随伴症状である血沈昂進・高血圧・発熱等がなかったのに造影検査等の精密検査をする義務まではなかった旨主張するが、泌尿器科や腎臓専門医であれば、尿蛋白の有無にかかわらず、尿潜血反応や顕微鏡的血尿がみられた段階で腎尿路の悪性腫瘍の存在を考慮して、少なくとも、患者に侵襲を与えない尿細胞診や超音波検査を行い、肉眼的血尿がみられた時点では静脈性腎盂造影検査やCT検査を行うのが一般的であり(福崎鑑定書6頁)、血沈昂進等の症状が発現しないまで精密検査の義務がなかったとする被告らの主張は採用できない。

この点について、被告らが提出した小磯謙吉医師作成の鑑定書(乙二四)でも、他の尿所見はどうであれ、尿中に赤血球が出現する場合、諸検査が必要であり、仮に紫斑病性腎炎の随伴症状とみられた場合でも、身体的所見、尿細胞診、腎の画像診断を行うべきであったとしており、県立中央病院の赤松医師も、肉眼的血尿だけではなく顕微鏡的血尿がある場合、超音波検査で腎癌が発見されることもあり、必ずしも所見が揃わなくても腎癌の初発症状と疑われることもある旨の証言をしている(平成七年七月一三日調書11丁目表から裏)。

(3) さらに、被告らは、俊徳の血尿等の臨床所見は明らかに紫斑病性腎炎の症状を呈していたもので、同疾病に腎癌が併発したという報告例はなく、若年成年に腎癌が発症することは極めて稀であるから、被告H医師が俊徳を紫斑病性腎炎と診断したことに過失はなく、腎癌を疑って精密検査をしなかったことにも過失がない旨主張する。

しかしながら、前述のとおり、俊徳には紫斑病性腎炎の典型的症例が出揃っていたことは確かであり、被告H医師の同病名診断に誤りはないというべきであるが、そのことから、腎癌を疑わなかったことの過失が否定されるものではない(むしろ、俊徳に出現していた血尿を右腎炎に起因するものと決めつけて、同疾病よりも直接生命にかかわる腎癌の徴候を疑わなかったことの過失こそが、本件において問われているのである。)。そして、前記認定のとおり、若年者に腎癌が発症する例は比較的稀ではあるが、二〇歳代にも発病しないわけではなく、若年であることが腎癌の検査の必要性を否定する合理的理由とはならないこと(福崎鑑定書11頁)、紫斑病性腎炎に腎癌が併発するのは必ずしも稀とはいえないこと(同鑑定書10頁、福崎証言6丁ないし8丁)からすれば、被告らの右主張も理由がない。この点について、被告らは、紫斑病性腎炎に腎癌が合併した症例は本件当時に報告されていないとして、福崎証言を弾劾する資料(乙二七の1ないし3、二八)を提出するが、紫斑病性腎炎に罹患していれば腎癌には罹患しないなどといったことが医学上いえない以上、その併発が稀であることをもって、腎癌についての検査義務を免れることはできないというべきである。

3 以上からして、被告H医師には俊徳に対する診療行為において、早期の段階で腎癌を疑い超音波等の精密検査をすべき注意義務を怠った過失があると判断され、被告日赤は同医師の使用者であることは前記認定のとおりであるから、被告らは、被告H医師の右過失と相当因果関係のある俊徳の損害について、連帯して損害賠償をなす義務を負っている(被告H医師は民法七〇九条、被告日赤は同法七一五条に基づき)というべきである。

二  争点2(被告H医師の過失と俊徳の死亡との相当因果関係)について

1  そこで進んで、被告H医師の前記過失と俊徳の死亡との相当因果関係の有無について判断するに、前記認定事実に加え、証拠(乙一九、二四ないし二五、福崎鑑定)によれば、次のとおり認められる。

(一) 腎癌は、大部分が進行癌であり一見転移がないようにみえて六〇パーセントは潜在的転移をもつとされるところ、俊徳は、若年であるが、平成元年二月に腎癌と確定診断され手術を受けた後、約七か月で死亡していることから、既に昭和六二年七月の時点で少なくとも潜在的転移を有していた可能性が高いと考えられること(福崎鑑定書7頁)。

(二) 腎癌の所見を得るための精密検査としては、まず超音波検査を行い、その結果如何で、CT検査かMRI検査に進み、腎盂造影検査や生検が行われることもあるところ、俊徳に対し昭和六二年七月の時点で超音波検査を実施していた場合、腎癌が判明した可能性が高いといえるけれども、腫瘍の大きさや部位によっては判明できなかった可能性もあること(福崎証言19丁表、25丁裏から26丁表、福崎鑑定書6頁)。

(三) 腎癌には、スロータイプとラピッドタイプがあり、ラピッドタイプは術後五年までに(多くは一年ないし二年で)急速に進行して死亡に至るとされているところ、俊徳の腎癌は、病理検査の結果により細胞の悪性度がグレードⅢであり(最も悪性のもので、若年者のハイグレードの腎癌について全例が一年ないし二年で死亡しているとの報告例(乙二五)もある。)、かつ、ラピッドタイプであったことが判明しており、昭和六二年七月の時点で俊徳に腎癌が発見されていた場合でも、救命された可能性は極めて少ないと予測され(福崎鑑定書9頁)、延命できた可能性がなかったとはいえないが、死亡の結果は変わらなかった可能性の方が高いこと(福崎証言23丁裏)。

2 以上によれば、俊徳に対し昭和六二年七月あるいは同年一〇月の時点で腎臓の超音波検査が実施されていた場合、腎癌を発見できた可能性が高いものの、発見できなかった可能性もあり、発見されていた場合でも、救命の可能性は極めて低く、延命の可能性は否定されないが、死亡の結果は変わらなかった可能性の方が高いと認められ、その後、肉眼的血尿が出現した昭和六三年六月以降に腎盂造影検査やCT検査等が行われて発見されていた場合でも時期的な点や俊徳の腎癌の悪性度からして、同様であったものと認められる。

そうすると、被告H医師の前記過失と俊徳の死亡との間の相当因果関係は、これを否定せざるを得ないというべきである。

三  争点3(俊徳及び原告らの損害)について

1  前判示のとおり、被告H医師の前記過失と俊徳の死亡との相当因果関係は否定せざるを得ないから、俊徳が死亡したことによる逸失利益の損害を被告らにおいて賠償すべき義務はないといわなければならない。

2 しかしながら、生命の危険に直結する重大な疾病に罹患した患者としては、担当医師に対し、その徴候があれば早期発見のための検査を受け最善の治療を受けることを期待して当然というべきであり、本来実施されるべき検査が行われたとしても死亡が避けられない場合であっても、当該検査の実施により重大疾病の早期発見、早期治療により、一定の蓋然性をもって延命の可能性が期待できる場合には、かけがえのない生命の尊厳という観点からして、その期待は法的保護に値するというべきである。そして、かかる患者が担当医師の過失によって右期待権を侵害された場合には、これによって被った精神的苦痛に対する慰謝料請求権を有すると認めるのが相当である。

3 これを本件についてみるに、俊徳は、被告H医師の前記過失により、腎癌の徴候である血尿の出現がありながら、早期に超音波検査等の精密検査を受ける機会を逸し、同医師が早期に右精密検査を実施していれば、救命の可能性は極めて低いものの、延命の可能性はあった(否定されない)ことからすれば、同医師の前記過失により延命の可能性を期待する利益を侵害されたものと認められる。

そして、俊徳は、昭和六二年七月から平成元年二月まで、一年七か月もの長期間、被告H医師の診察を受けながら一度も腎癌についての精密検査を受けず、県立中央病院への転院後、既に手遅れというべき状態で腎癌と診断され、手術の甲斐もなく約七か月後には死を迎えていること、被告病院は地域医療の中核を担う高度の医療機関で各科の専門医が総合診療体制の下に最新の検査機器を備えて診察に当たる総合病院であり(弁論の全趣旨)、被告H医師は腎臓内科の専門医であって、俊徳は、同病院及び同医師に全面的信頼を寄せていたと推認されること、それだけに、長期間にわたり紫斑病性腎炎とのみ診断され、早期精密検査により腎癌を発見する機会を逸したことについての俊徳の憤りは強かったことが窺え、現に、同人は、家族に対し、手術後に被告H医師に対する無念の心情を告げていること、俊徳は、死亡当時二七歳という春秋に富む年齢であったことなどに照らすと、右期待権を侵害されたことにより同人の被った精神的苦痛は甚大であったと認められる。一方、被告H医師が俊徳を紫斑病性腎炎と診断したこと自体には過失はなく、俊徳には紫斑の出没など同腎炎の典型的症例が出揃っていたことも確かであり(このことが、俊徳にとっても最大の不幸であったというべきである。)、その他、本件弁論に顕れた諸般の事情を総合斟酌すれば、俊徳の右精神的苦痛に対する慰謝料としては、五〇〇万円をもって相当と認める。

4  前記認定のとおり、原告らは、俊徳の両親であり、共同相続人として、同人の損害賠償(慰謝料)請求権を各二分の一(二五〇万円)ずつ承継したことが認められる。

5  原告らが本訴の提起・追行を弁護士に委任したことは本件記録上明らかであり、本件事案の性質・審理の経過・認容額等を考慮すると、被告H医師の前記過失と相当因果関係のある弁護士費用としては五〇万円(原告らにつき各二五万円)が相当である。

6  なお、原告らは、俊徳の死亡につぎ両親として固有の慰謝料を請求するが、前述のとおり、被告H医師の過失と俊徳の死亡との間の相当因果関係が否定され、延命の期待権侵害による慰謝料だけを認めるべき本件については、民法七一一条に基づく近親者の固有の慰謝料は認めることができない。

第五  結論

以上の次第で、原告らの本訴請求は、被告らに対し、各金二七五万円(合計五五〇万円)の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条、六四条本文、六五条、仮執行の宣言につき同法二五九条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤武彦 裁判官熱田康明 裁判官藤野美子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例