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松山地方裁判所 平成8年(ワ)157号 判決 1999年2月24日

原告

甲野太郎(仮名)

右訴訟代理人弁護士

髙田義之

被告

愛媛県

右代表者知事

加戸守行

右訴訟代理人弁護士

米田功

右訴訟復代理人弁護士

大熊伸定

右指定代理人

藤原徹明

石山武美

田鍋修

一色光

被告

伊予三島市

右代表者市長

篠永善雄

右訴訟代理人弁護士

佐伯継一郎

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

第一  本件休職処分に至る経過と違法行為の存否について

一  本件休職処分に至る経過

請求原因1(当事者)及び2(県費負担教職員の休暇制度と分限休職処分の事実、原告が南中学に英語担任教員として勤務中に平成四年五月中旬ころから年次有給休暇、病気休暇を取り、続いて休職処分、同延長処分を受け、平成五年四月一日に職場復帰したこと、原告が平成六年二月二一日に一年間の休職を必要とする診断書を提出し、乙山校長からの具申手続、市教委からの内申手続がとられて、県教委により同年四月一日付で本件休職処分(一年間の分限休職処分)が発令されたこと、以上の各事実は当事者間に争いがなく、右事実に加え、〔証拠略〕を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  原告は、平成二年一〇月一七日、妻の運転する普通乗用車に同乗していて普通貨物車に追突する事故に遭い、同日、栗整形外科病院で受診し、頸椎椎間骨軟骨症、頸部捻挫と診断された。その後、原告は、平成三年七月二七日に同病院に再受診し、同年八月七日まで通院治療を受けた。

2  原告は、平成四年四月から南中学に勤務するようになったが、着任当初から、乙山校長に対し前記交通事故による後遺症として首の痛みを訴え、同年五月一九日から八月五日まで病気休暇を取得した(なお、五月一九日までに七日間の年次有給休暇を取得している。)。原告は、その後、夏季休暇を経て、同年八月三一日から九月一九日まで年次有給休暇を取得し、九月二一日から翌平成五年一月三一日まで分限休職処分を受け、その延長処分により同年三月三一日まで休職した(結局、平成四年度に原告が南中学に勤務した日数は、僅か二八日だけである。)。

3  この間、原告は、栗整形外科病院、石川病院、松山赤十字病院で治療を受け、松山赤十字病院では、頸部脊髄症と診断され(当初の診断名は頸椎椎間板ヘルニア)、平成四年九月一日から入院して同年一一月九日に脊柱管拡大の手術を受けたが、頸髄の圧迫等の症状が残り治療が継続された。同病院の診療録によれば、原告は平成三年七月から左上肢に痛みが現れ、平成四年六月から歩行障害が出現し、同年一〇月二八日に実施したMRI検査では頸髄の圧迫所見が認められている。なお、原告は、前記交通事故が校外生徒指導の際に発生したとして、公務災害認定申請手続を進めていたが、平成四年九月ころ、右申請を取り下げている。

4  その後、原告は、平成五年二月一六日、症状が改善したとして同月九日作成の松山赤十字病院の医師二名の診断書を添えて県教委に復職願を提出し、同年四月一日付で南中学に復職となった。しかし、原告は、復職後、乙山校長に対し、動くと首が痛くなるので楽な仕事にして欲しい旨申し出て、同校長は、原告の体調を考え、学級担任には就けずに学年主任とし、担当する授業時間も軽減して、クラブ活動の指導も担当させなかった。ところが、原告は、体調が優れない様子で、学年主任も辞退したいと申し出て、同年五月からは他の教員に変更になった。

5  原告は、平成五年四月二〇日ころ、乙山校長に一学期で退職したいとの意向を漏らし、自己都合ではなく勧奨扱いの退職を希望するので、市教委の戊山教育長に直接その旨話したいと申し出た。同校長は、平成四年四月に原告が南中学に赴任した当初にも退職の意向を漏らされたことがあり、復職直後に再び退職の意向を聞かされて驚いたが、原告の申出を受け、戊山教育長と面談する機会をもうけることにした。原告は、同年四月二三日、南中学を訪問した戊山教育長と面談し、退職の希望を述べたが、体調が悪ければ休職して治療に専念し復職すればよいと慰留された。しかし、その後も、原告は、校長室を度々訪れて退職の意向を漏らし、乙山校長は、休職して治療に専念してそれから結論を出したらよいと慰留していた。

6  原告は、平成五年四月二二日から再び松山赤十字病院に通院して、手術前と同じ歩行障害が出現したと訴え、同年五月二八日から三豊総合病院に通院を始めて、一か月前から両下肢がしめつけられる感じと歩行困難があり頸部が常時だるい旨訴えている。原告は、同年八月三日、三豊総合病院で脊髄造影検査等により第四、第五腰椎レベル脊柱管狭窄、椎間板膨隆(後方突出あり)と診断され、同月一七日ころから、入院して手術を受けることを強く勧められるようになった。しかし、原告には、勤務の関係や別の方法があるかもしれないと手術を逡巡する気持があり、同年一一月一六日になって、三豊総合病院の医師に手術を受ける意思を伝えたが、手術をしても完全に回復するかどうかは分からない旨告げられている(原告は、同年一二月二〇日には同病院で手術を予約し、その後取り消している。)。一方、松山赤十字病院の担当医師は、原告の症状について神経内科的疾患を疑い、三豊総合病院の担当医師も、精神的な面の影響を疑っている。なお、原告は、松山赤十字病院の担当医師に対し、同年一一月二日ころ、翌年には定年を待たずに退職する予定である旨述べている。

7  原告は、年次有給休暇を取得して、右通院治療を受けており、平成五年四月から同年一二月までに合計三〇日の年次有給休暇を取り、同年度に取得可能な年次有給休暇の大半を消化している。なお、原告は、平成四年度には、前記のとおり、五月一九日から八月五日まで約七〇日間の病気休暇を取得しているが、平成五年度は、所定の手続もとらず、病気休暇は取得していない。

8  乙山校長は、平成五年八月ころ、原告から医師に手術を勧められていると聞かされ、手術をするのなら早くして病気の治療を優先するように伝えた。同校長は、原告から手術が必要と聞かされたことなどから治療には相当長期間を要すると感じ、病気休暇については平成四年度に取得していることから無理であると考えて、原告に対し、休職処分の手続をとって治療に専念してはどうかと勧めた(県教委は、教職員が過去に休職した原因と同じ疾病で療養を必要とする場合は療養期間の長短にかかわらず休職処分で対応する方針をとっており(〔証拠略〕)、乙山校長の理解は、県教委の右方針に合致するものである。)。原告も同様なことを乙山校長に述べており、現に、原告から同校長に対し、病気休暇を取得して治療したい旨の申出はなかった。

9  乙山校長は、平成五年一二月ころ、南中学の全教職員に対し、例年どおり、翌年度の人事異動に関する希望を同月二〇日までに書面で提出するよう指示したが、原告は、退職か休職か迷っている様子で、右指示に応じず、市教委に対する意見具申の期限を過ぎても、平成六年度の人事異動希望を出さなかったため、同校長は、原告に対し、早く決断してほしいと再三要望した。しかし、原告は、はっきりした態度を決めず、平成六年二月四日には、来校した戊山教育長に退職したいので市教委で雇用して欲しいと申し入れたり、同月七日には、退職予定者を対象とした公立学校共済組合の退職者事務説明会(退職準備セミナー)に出席するなどしたため、乙山校長は、原告が退職の意向を強めていると受けとめていた。

10  乙山校長は、平成六年二月一八日、県教委の丙川主事から、原告が四月から休職するのであれば手続的に期限が迫っているので至急書類を出して欲しい旨指示を受けたため、同日、原告に対し意思確認したところ、原告は、同年四月一月から一年間休職すると答え、三豊総合病院の担当医師の勤務日である同月二一日に診断書をもらってくる旨述べた。

11  翌二月一九日、原告は、乙山校長に対しも一年間休職しても途中での復職が可能であるかと尋ね、同校長は、従来の例を知らなかったことから、無理ではないかと思うが明確には答えられないと返答した。すると、原告は、かつて同僚として勤務した間柄である県教委西条教育事務所の丙川主事に電話をしたいと述べ、同校長は、私的に相談すると理解して了承した。原告は、同日夜一〇時ころ、丙川主事の自宅に電話し、これまでの病気の経過を長々と述べた後、休職した場合に代員が配置されるのか、一年間の休職願を提出しても病気が回復すれば途中で復職できるのかと質問した。丙川主事は、自宅への夜半の電話に非常識な印象を持ったが、原告の質問には、一般論として、休職した場合には代員が配置され、一年間の休職になっても健康が回復すれば復職できる旨答えた。

12  原告は、平成六年二月二一日、三豊総合病院に赴き、医師二名の連記のある休職用の診断書(〔証拠略〕)を作成してもらった。右診断書では、原告の病名は腰部脊柱管狭窄症、頸髄症であり、休職を要する期間は当初三か月と記載されていたが、原告からの申し入れにより六か月とされ、さらに一二か月と訂正されて医師の訂正印が押された。右診断書によると、原告の復職可能年月日は未定となっており、精査の結果で腰部に対する手術を行うとなれば休職期間の延長もさらに必要となることもあると記載されている。原告は、同日、乙山校長に電話をして、診断書では休職を要する期間が三か月となっている旨連絡したが、同校長は、その診断書を持って早く南中学に帰るよう告げており、右期間を訂正してもらうような指示はしていない、なお、原告は、同日、三豊総合病院の担当医師に対し、退職するつもりであったが県教委から辞めなくてもよいと言われた旨告げている。

13  右同日夕刻、原告は、南中学で待機していた乙山校長に右診断書を提出し、休職手続を依頼して帰った。その際、原告は、乙山校長に、自分が医師に頼んで診断書の休職を要する期間を一二か月に訂正してもらったと述べたが、同校長は、医師の訂正印も押されていることから特別の不審を抱かなかった。その後、乙山校長は、事務員に原告名義の休職願を作成させ、原告が提出した診断書を添えて市教委に原告の四月一日から一年間の休職処分を具申した。なお、乙山校長は、原告が年次有給休暇の取得などで診断書だけを提出し必要書類の作成を事務員に委ねることが多かったことから、事務員に右休職願を作成させたものである。

14  ところで、県教委では、従来、教職員が休職処分を受けて休職した場合に代員を配置する扱いであったが、平成六年度は退職者が予定より少なく、新規採用者が過員となったため、休職者の出る学校に正規の教員を配置することになり、同年三月二日ころ、その方針を県教委西条教育事務所に伝達した。右方針を知った丙川主事は、原告が休職中に代員が配置されるか確認してきたことを思い出し、元の同僚としての親切心から原告に伝えておいた方がよいと考え、市教委の丁野次長に対し原告に右方針を伝えるよう依頼した。しかし、丁野次長は、右方針の変更を原告には伝えなかった。

15  原告は、平成六年三月二八日、新聞記事で同年四月から南中学の教員が増員になることを知り、乙山校長に問い質したところ、翌二九日、原告の休職期間中に代員ではなく正規の教員が配置されることが判明した。原告は、自分の休職中に代員ではなく正規の教員が配置されれば年度途中の復職が事実上困難になると考え、同日、市教委の丁野次長に電話をし、今回の人事異動は納得いかない旨伝えた。丁野次長は、人事のことは校長に申し出るように答えたが、乙山校長は同年三月で退職予定であり、人事担当者として原告の不満を聞くべく、同日、原告の自宅を訪問した。その際、原告は、丁野次長に対し、休職中に正規の教員が配置されることについて不満を述べたが、休職願を撤回するとまでの意思表示はしておらず、その後、乙山校長や市教委に休職願を撤回するとの書面や口頭による意思表示もしなかった。

16  県教委は、平成六年四月一日付で原告に対して本件休職処分を発令し、原告は、これに異議を唱えることなく、同日以降休職となった。

以上の事実が認められる。

二  乙山校長の違法行為の存否について

1  病気休暇の申出を断念させた違法行為の存否

(一) 原告は、乙山校長が原告に対し一年間の休職願を出すように頑なに求めて病気休暇の具申に応じない態度をとり続けたとして、同校長が原告に病気休暇の申出を断念させたことが違法行為である旨主張する。

(二) そこで検討するに、原告は、平成五年四月に南中学に復職した後、乙山校長に通院治療のため年次有給休暇を申請すると、同校長は不満な様子を顕わにする態度をとり続けたため、原告は平成六年度は病気休暇と年次有給休暇を取得して治療に専念したかったのに、これを断念せざるを得ず、結局、同校長の勧奨に押し切られて平成六年四月一日から一年間の休職処分を受けるに至った旨供述する。

しかしながら、前記認定事実によれば、原告は平成五年度に取得可能な年次有給休暇のほぼ全てを取得しており、乙山校長の妨害によって原告が年次有給休暇を取得できなかった事実は窺えない。確かに、学校経営の責任者である乙山校長にとって、生徒や父兄、同僚教員の立場を考慮すると、原告の度重なる休暇申請は歓迎すべきことではなく、仮に、原告に対し不快の態度を示したことがあったとしても、実際に原告は度重なる年次有給休暇を取得できており、同校長が原告に対し病気休暇の取得による治療を断念せざるを得ないような対応をとったという原告の供述は、一方的で誇張に過ぎる印象が拭えず、乙山校長の証言と対比して、にわかに信用することができない。

(三) また、原告は乙山校長から頑なに一年間休職をするように強要された旨供述するが、前記認定のとおり、乙山校長が平成五年八月以降原告から手術の話を聞かされ休職して治療に専念することを勧めた事実は認められるけれども、一年間の休職を強要されたという原告の供述は、同校長の証言と対比して、にわかに信用することができない。

(四) むしろ、前記認定事実によれば、原告は平成五年四月に南中学に復職後、前年の手術前の歩行障害等の症状が出現し、担当医師から再手術を勧められて、乙山校長には度々退職の意向を漏らしていたものであって(原告が退職の気持ちを有していたことは、戊山教育長への申出や、退職準備セミナーへの参加、担当医師への陳述などから明らかである。)、自らの深刻な病状から退職まで考えていた原告が、平成六年度に病気休暇と年次有給休暇(いずれも取得日数に制限がある。)を取得して治療に専念できると考えていたとはにわかに認め難い。また、前記認定のとおり、県教委は教職員が過去に休職したのと同種の疾病で療養を要する場合は休職処分で対応する方針をとっており、乙山校長は原告が病気休暇を取得することは無理と考えていたもので、原告も同様の理解から病気休暇の希望を出さなかったものと認められる(長年にわたり愛媛県の教職員として勤務してきた原告が、県教委の右方針を全く理解していなかったとは考え難い。)。なお、原告自身も、乙山校長に病気休暇を取得したいと言ったことはなく、同校長から病気休暇では困ると言われたことはないことを認めている(〔証拠略〕)。そうすると、平成六年度に病気休暇を取得して療養することを希望していたのに乙山校長に断念させられたという原告の供述は、にわかに信用し難いという外ない。

(五) さらに、前記認定事実によれば、原告は平成六年二月二一日に休職用の診断書を担当医師から作成してもらった際、当初三か月と記載されていたのを一二か月に訂正してもらっているが、乙山校長から指示されたものではなく、自ら申し入れたものであって、その経過からしても、原告は自らの意思で一年間の休職を決意していたと認めるのが相当である。

(六) 以上によれば、原告が平成六年度の一年間の休職願を提出したのは、自らの意思に基づくものと認められ、乙山校長が原告に休職を強要して病気休暇の取得を断念させたと認めることはできないから、原告の右主張は採用できない。

(七) なお、原告は、分限休職処分の要件である「心身の故障のため、長期の休養を要する場合(地方公務員法二八条二項一号)」とは、病気休暇を付与してもその期間内に治癒せず相当期間の療養を必要とする場合と解され、病気休暇で対応できる場合に休職処分をすることは違法であるとして、本件において、原告は病気休暇で対応できたのに乙山校長が休職を勧奨したのは違法である旨主張する。

しかしながら、前記認定のとおり、県教委は、教職員が過去に休職した原因と同種の疾病で療養を要する場合には休職処分で対応する方針をとっており、このような場合は再発し易く、完治し難い疾病であることが多いと考えられ、再三病気休暇を取得すると生徒や他の教員の負担が過大になることに照らすと、右方針には合理性があるといえる。そして、前記認定事実によれば、原告は平成四年度に頸部脊髄症により休職し脊椎管拡大の手術を受け、平成五年四月に復職後も手術前と同様に歩行障害等の症状が現れ、部位は異なるものの腰部脊椎管狭窄症と診断されて再手術が予定されていたものであって、同種の疾病により療養を要する場合と認められ、加えて、原告から提出された休職用の診断書にも手術となれば長期の療養が必要とされる旨記載されていたことからすれば、原告の病状は分限休職処分の要件に該当するものであったと認められる。したがって、原告の右主張は採用できない。

2  一年間の休職処分を具申した違法行為の存否

(一) 原告は、乙山校長が原告から休職用の診断書を受け取った際に休職を要する期間が原告の要請で訂正された旨の報告を受けたのであるから、右期間の訂正について医学的合理性を疑い、診断書を取り直させるなどの配慮をすべきところ、これを怠って原告の一年間の休職処分を具申したのは違法行為に当たると主張する。

(二) しかしながら、前記認定のとおり、右診断書の休職を要する期間を一二か月と訂正してもらったのは、原告自身に他ならず、医師の訂正印も押されていたことからして、これを受け取った乙山校長において、右診断書の記載を疑うべき合理的な理由はなかったというべきである。

(三) 加えて、前記認定事実によれば、右診断書では、原告の復職可能年月日は未定とされ、精査の結果で手術となれば休職期間の延長が必要となる旨記載されていることからすれば、一年間の休職を要することも十分予測され得るところであって(現に、原告は平成四年度にほぼ同様の症状で手術治療を受け約一年間にわたり勤務を休んでいる。)、それ故に、担当医師は、原告の申出により休職を要する期間を一二か月と訂正したものと理解される(右診断書の記載内容を全体的にみると、担当医師が休職必要期間を当初三か月と記載したのは、むしろ控え目な診断とみられ、いかに原告からの申出があったとはいえ、医学的根拠がないのに一二か月の訂正に応じるとは考えられない。)。

(四) 以上によれば、原告が提出した診断書に右訂正があったからといって、乙山校長において、原告に別の診断書を取り直させるなどの配慮をすべき義務があったとはいえず、同校長が右診断書を添えて市教委に原告の一年間の休職処分を具申したことに違法はないというべきである。なお、乙山校長は右診断書の提出を受け事務員に原告の休職願を作成させているが、前記認定のとおり、原告の依頼を受けてのものであって、原告が従来から申請書類の作成を事務員に委ねていた経緯からしても、この点を問題とするには足りない。したがって、原告の右主張は採用することができない。

三  丁野次長の違法行為の存否について

1  本件休職処分の内申における違法の存否

(一) まず、原告は、丁野次長には丙川主事から原告の休職期間中に代員ではなく正規の教員が配置されることを原告に伝達するよう指導されたにもかかわらず、これを放置した職務上の義務違反があった旨主張する。

(二) しかしながら、前記認定事実によれば、丙川主事が丁野次長に休職期間中の教員の配置についての県教委の方針を原告に伝えるよう連絡したのは、原告が元の同僚であり、事前に相談を受けていたこともあって、親切心から出たものであって、職務上の指導命令を発したものとは認め難い。

(三) さらに、休職者の代わりに正規の教員が配置された場合でも、復職が妨げられるものではなく(〔証拠略〕)、代員が配置された場合と比べて、休職者にとって復職後に元の職務にそのまま就けないという面があったとしても、自らの病気治療を理由に休職する者としては、生徒の立場や学校運営上の都合からすれば、その面は甘受せざるを得ないところであって、休職期間中に正規の教員が配置されることについて、原告から異議を述べられる筋合いではないというべきである。加えて、前記認定事実によれば、原告は、平成五年八月ころから担当医師に手術を勧められるという深刻な病状にあり、退職まで考えていたものであって、休職期間中に正規の教員が配置されることを知らされたとしても、一年間の休職を取り止めることができる状態にあったとは認め難く、それ故に、平成六年三月二九日に丁野次長と面談した際も休職中に正規の教員が配置されることについて不満を述べたに止まり、それ以上に、乙山校長や市教委に書面や口頭で休職願を撤回するとまでの意思表示をしなかったものと認められる(なお、丁野次長は、原告と面談した際に人事異動の不満は聞いていない旨証言するが、前後の経過からして、右不満が出なかったとは考えられず、右証言はにわかに信用できない。)。

(四) 以上によれば、丁野次長が丙川主事から前記連絡を受けながら原告に伝達しなかったとしても、そのことをもって、職務上の義務違反があったとまでいうことはできないというべきである。したがって、原告の右主張は採用できない。

(五) 次に、原告は、丁野次長は原告が一年間の休職願の意思を維持するか疑わしい事情が生じたのに、分限条例に基づく本来の手続に従った診断書作成の委嘱を県教委に連絡ないし内申しなかったのは、重大な職務上の義務違反であると主張する。

(六) そこで検討するに、分限条例及び同規則によれば、教職員を分限休職処分にするには、本来、任命権者が医師二名をあらかじめ指定して診断書の作成を委嘱するべきところ、県教委は、教育長通知により、特に必要と認めたとき以外は、教職員が選択した医師二名(少なくともうち一名は、公的医療機関等の医師とする。)が作成した診断書の提出をもって可とする運用をしていることが認められる(〔証拠略〕)。そして、右運用は、当該教職員にとっても受診している病院とは別の医師の診断を受ける必要がなく、負担が軽減されるものであって、妥当なものというべきである。

(七) 原告は、教育長通知による診断書取得の運用は休職願が当該教職員の真意に基づくことを根拠に許される便法であるから、その真意が疑われる場合は分限条例に基づく本来の手続が履行されるべきである旨主張するが、分限休職処分は心身の故障のため長期の休養を要する場合等に本人の意思に反して発令されるものであり(地方公務員法二八条二項、〔証拠略〕)、必ずしも原告が主張する場合に限定して右運用が許されるものとは解し得ない。

(八) そして、仮に、原告の主張する解釈が成り立つとしても、本件においては、前判示のとおり、原告は自らの意思で一二か月の休職を要すると記載された診断書を提出しており、正規の教職員が配置されることによって原告の復職が妨げられるものではなく、また、当時の病状から一年間の休職を取り止められる状況にはなかったと認められるから、原告が正規の教職員の配置について不満を述べたことをもって、原告の休職願の真意が疑われる事情が生じたとは認め難い。

(九) したがって、丁野次長には、本来の手続に従って二名の指定医師に診断書の作成を委嘱することを県教委に連絡ないし内申すべき義務はなく、原告の右主張は失当である。

(一〇) なお、原告が提出した休職用の診断書は、設立母体が観音寺市外四町である公的医療機関の三豊総合病院の医師が作成したものであり、かつ、同病院所属の二名の医師の連名で作成されたものであるから(〔証拠略〕)、教育長通知に適合するものであって、形式的要件に欠けるものではない。

2  本件休職処分に対する原告の異議への対応における違法行為の存否

(一) 原告は、丁野次長が平成六年三月二九日原告と面談した際に本件休職処分(内示)に対する異議が申し立てられたとして、これを前提に、同次長には県教委に分限条例に基づく本来の手続をとることを連絡しなかったなどの職務違反行為があった旨主張する。

(二) しかしながら、前記認定のとおり、原告が平成六年三月二九日に丁野次長と面談した際に休職中正規の教員が配置されることについて不満を述べた事実は認められるが、あくまで人事異動に対する不満を述べたに止まり、休職願の撤回や本件休職処分(内示)に対する異議を申し立てたとまでは認め難い。この点について、原告は丁野次長と右同日面談した際に休職願を取り消すことを申し入れた旨供述するが、その後の原告の対応等に照らして、右供述はにわかに信用できない。したがって、原告の右主張は、その前提を欠き、失当というべきである。

四  丙川主事の違法行為の存否について

原告は、県教委西条教育事務所の丙川主事についても、原告が休職中に正規の教員が配置されることを知った時点で一年間の休職願の意思が維持されるか疑わしい事態が生じたとして、丁野次長に原告の意思を確認させ、本来の手続に従った指定医師二名の診断書の作成を嘱託すべき義務があったのに、これらの職務上の義務を怠った違法行為がある旨主張する。

しかしながら、前判示のとおり、原告の休職願の意思が維持されるか疑わしい事態が生じたとは認め難く、原告の右主張は、その前提を欠き、失当というべきである。

五  以上によれば、乙山校長、市教委の丁野次長及び県教委西条教育事務所の丙川主事において、本件休職処分に至る一連の経過中で、原告に対し病気休暇を断念させたり、職務上義務づけられた手続を履行しなかったりするなど違法行為があったとは認め難く、むしろ、本件休職処分は、平成六年度に再手術を予定していた原告が自らの意思で一年間の休職を決意し、所定の手続に従って適法に発令されたものと認められるので、原告の右主張は採用することができない。

第二  原告の退職に至る経過と違法行為の存否について

一  原告の退職に至る経過

原告が平成七年二月二〇日付の退職願を県教委に提出し平成九年三月三一日の定年を待たずに平成七年三月三一旨付で退職したことは、当事者間に争いがなく、〔証拠略〕を総合すれば、次の事実が認められる。

1  原告は、本件休職処分を受けた後、平成六年五月一〇日、京大病院に転院し、同年八月三日、第四、第五腰椎レベルの両側椎弓切除及び脊柱関節突起切除の手術を受けて、同月二三日、同病院を退院した。

2  原告は、平成六年八月二九日、県教委西条教育事務所の丙川主事に電話をかけ、同年九月一日から復職したい旨申し出た。丙川主事は、原告に対し、南中学の校長、市教委を通じて正規の復職手続をとるように指導し、手続に要する期間からして同年九月一日からの復職は不可能であると告げたうえ、後任の丙野主事及び市教委に原告から右申出があったことを伝えた。なお、原告は、丙川主事への電話で、本件休職処分について乙山校長から強制され、騙されたと言い、休職願も自分が書いたものではないなどと不満を述べた。

3  丁野次長は、県教委からの連絡で、原告から復職の希望が出ていることを知り、平成六年八月三一日、原告方に電話をしたが、京都に行くためすぐには会えないから後日連絡すると言われた。ところが、その後原告からの連絡がなく、同次長は、再度連絡をとって、ようやく同年九月一〇日に原告と面談する約束を取り付けた。

4  平成六年九月一〇日、丁野次長は、南中学の乙田校長(乙山校長の後任)とともに原告方に赴いた。その際、原告はコルセットをしたままの状態で歩行動作もぎこちなかったが、車椅子でも仕事はできるなどと言って、丁野次長らに復職したい意向を示し、本件休職処分について誤った手続でなされた旨不満を述べた。丁野次長は、原告の右状態から復職はまだ難しいと感じたが、原告には、「このぐらいじゃったら復職できるんじゃないんかなー。」「待っといてください、方々にあたってみますから。」と述べた。なお、同日、原告は、復職したい意向を示しながらも、その手続に必要な診断書が作成されていることも告げず、丁野次長は、原告がそれまでに復職したことがあったので手続の説明まではしなかった。

5  丁野次長は、原告の状態や面談内容を丙野主事に報告し、同主事からは、原告に対し、十分に健康を回復してから復職するよう指導することを指示された。

6  原告は、その後、丁野次長に度々電話をかけて復職についての対応を促したが、明確な応答が得られなかった。しかし、原告においても、乙田校長を通じての正規の復職手続をとらないまま時間が経過していった。

7  平成六年一〇月二五日、丁野次長は、丙野主事とともに、伊予三島市役所において原告と面談した。その際、原告は、復職を同年九月一日に遡って発令すること、勤務部署は南中学ではなく市教委事務局などにすること、仮に南中学に復帰するのなら代わりの教員を外すことを要求し、丁野次長らは、これらの要求は無理であると返答したが、原告は納得する態度を示さなかった。

8  その後も、原告は、丁野次長に対し、平成六年九月一日に遡って復職させることなど前記要求を繰り返し、同次長は、右要求は無理であり、乙田校長を通じて復職願を出すなど正規の手続を踏むように指導した。しかし、原告から復職願や診断書の提出はなかった。

9  平成六年一一月二〇日ころ、原告は、丙野主事に対し、復職について市教委の対応を待っているのに自宅待機のままの状態にある、早急に何らかの対応をお願いする旨記載された書面(〔証拠略〕)を送付し、平成六年九月一日から復職可能と記載された同年八月二三日付の京大病院の医師二名の連記による診断書(〔証拠略〕)のコピーを同封した。また、原告は、戊山教育長にも、九月付の復職許可を待っているのに自宅待機させられている旨記載された同年一二月一九日付の書面(〔証拠略〕)を送付した。

10  丁野次長は、丙野主事や戊山教育長から、右内容の書面が原告から送付されてきたことを聞き、平成六年一二月二四日、原告の自宅を訪問して、同年九月一日に遡っての復職は無理であることを改めて伝え、乙田校長を通じて正規の復職手続をとるよう指導した。その際、原告から同年八月二三日付の前記診断書でよいかと尋ねられ、丁野次長は、日付が古いので新しい日付の診断書が必要である旨答えた。これに対し、原告は、年明けに京大病院から診断書を取り直すと言い、同次長は、新たな診断書が取れれば原告の復職手続が進められると安心し、原告方を辞した。

11  ところが、原告から新たな診断書は提出されず、平成七年一月上旬ころ、丁野次長との数回の電話では、原告は診断書を取り直す必要はないと言い、同次長はその必要があると答えて、対立した状態となった。

12  平成七年一月二〇日、原告は、市教委に丁野次長を訪ね、妥協して解決するから復職に時間がかかった原因を文書にして欲しいと懇願し、同次長が、下書きの趣旨で、原告の復職については市教委と県教委で合議しているなかで現在になりました旨記載した書面(〔証拠略〕)を作成したところ、翌日返すからと言って原告が持ち帰ってしまった(なお、原告が当初提出した〔証拠略〕では、右書面を一部抹消して、自分の復職について丁野次長が答えた体裁になっているが、甲一九の2が元の書面であり、文書を改ざんしたとの非難を免れない。)。

13  その後、原告は、平成七年二月一日、戊山教育長に、平成六年八月二三日付の前記診断書と同日付の復職願(〔証拠略〕)を郵送した。そのため、丁野次長は、同年二月二日及び三日に原告方を訪問し、新しい診断書と直近日付の復職願を校長宛に提出して正規の復職手続をとるように求め、その後も、丙野主事や戊山教育長も、原告と面談して、平成六年九月に遡っての復職はできないことを告げ、復職を希望するのであれば直近日付の復職願等を乙田校長を通じて提出するよう繰り返し指導したが、原告は聞き入れようとしなかった。

14  原告は、平成七年二月一六日、戊山教育長に、一旦復職して退職するから勧奨退職扱いにしてほしいと申し入れ、同月二一日には、県教委西条教育事務所に、同様の申出をしながら、同日夕刻には、市教委に、平成六年九月に遡って復職したいと電話して、真意が測りかねる態度をとった。なお、平成七年二月二二日、乙田校長は、原告が戊山教育長に送付した前記診断書及び復職願を送り返した。

15  平成七年二月二四日、原告から乙田校長宛に同月二〇日付の退職願が郵送され、所定の手続がとられて、原告は同年三月三一日付で退職となった。

以上の事実が認められる。

二  復職手続における市教委及び県教委の違法行為の存否について

1  原告は、分限休職処分を受けた教職員の処分事由が消滅した場合は、任命権者は裁量の余地なく復職させなければならず、原告は平成六年九月一日ころには健康を回復して処分事由が消滅し再三復職の申出をしたのに県教委及び市教委が速やかに原告の復職手続をとらなかったことが違法行為に当たると主張する。

2  そこで、検討するに、分限条例には、任命権者は教職員が休職中であっても処分事由が消滅したと認められる場合は速やかに復職を命じなければならない旨規定されており(四条三項為〔証拠略〕)、処分事由が消滅したと認められるのに任命権者が当該職員を速やかに復職させなかった場合は違法であることは明らかである。しかしながら、病気により分限休職処分を受けた職員が医師の診断書を提出しないで復職を求めてきた場合、任命権者において休職処分事由の消滅の有無についてにわかに認定することができないから、任命権者において当該教職員に右事由の消滅を証明する診断書の提出を求めることは許される運用と解される。この点につき、県教委は、心身の故障を理由とする休職処分を受けた教職員が復職するには、医師の診断書を添えて所定の様式の復職願を提出させる運用にしており、その手続を記載した「学校事務」と題する書類を所轄の各学校に備え置き、教職員への周知を図っている(〔証拠略〕)。右運用は、復職願の提出により教職員の復職意思を確実に把握でき、医師の診断書の提出により心身の故障の回復という休職処分の消滅事由を認定できるという面で合理的であり、復職を希望する教職員は右手続をとる必要があるというべきである。

3  ところで、前記認定事実によれば、原告は、本件休職処分を受けた後、平成六年八月三日に京大病院で手術を受け、同月二三日に退院して、同月二九日、県教委西条教育事務所の丙川主事に電話で同年九月一日から復職したい意向を申し出ているが、電話で復職を申し出ただけでは休職事由が消滅したか確認できないことは明らかであり、原告は、同主事から校長や市教委を通じて正規の復職手続をとるよう指導されたのであるから、速やかに診断書を提出して所定の手続をとるべきであった。したがって、丙川主事が原告から電話で復職の意向を聞いたからといって、正規の手続がとられていない以上、県教委において原告の復職手続を進める義務はないというべきである。

なお、校長に診断書を添えて復職願を提出するという正規の復職手続については、前記認定のとおり、学校事務の備え置きにより教職員に周知されていたものであり、〔証拠略〕によれば、原告は平成五年四月一日付で復職した経験があり、その際には、所定の復職願及び診断書を提出しているから、原告は右手続を熟知していたものと認められる。

4  次に、前記認定事実によれば、原告は、平成六年九月一〇日以降、市教委の丁野次長に対し、復職したい意向があることを再三申し出ていることが認められるが、同次長から正規の復職手続をとるように指導を受けながら、同年九月一日に遡っての復職に固執して、右手続をとろうとしなかったものであり、かかる原告の対応の下で、市教委や県教委において原告の復職手続を進める義務はなかったというべきである。確かに、前記認定のとおり、丁野次長は、同年九月一〇日原告と面談した際に「このぐらいじゃったら復職できるんじゃないんかな一。」「待っといてください、方々にあたってみますから。」と述べており(右発言を否定する同次長の証言は、〔証拠略〕に照らして信用できない。)、右発言が原告に待機していれば復職が実現できるかの誤解を抱かせたとすれば、人事担当者として不適切であったとの批判は免れない。しかしながら、当日は、原告はコルセットをして歩行もぎこちない状態であり、車椅子での勤務の話も出ていたほどであって、丁野次長の右発言は、多分に手術後退院してきた原告を励ます趣旨から出たものと理解され、原告が何らの手続をとらなくても復職させる約束をしたとまで認めることはできない。むしろ、右発言を楯にとって、市教委や県教委の対応を批判するだけで自らは診断書も復職願も堤出せず、九月に遡っての復職に固執した原告の態度こそ責められるべきである。

5  ところで、前記認定事実によれば、市教委の丁野次長らは原告から度々電話等により復職についての対応を促されながら明確な応答をしていないことが認められ、かかる経過からして、原告の復職には慎重な対応をとっていたことが窺われる。しかしながら、翻って検討するに、原告は歩行障害等の症状により入院手術をして平成四年度はほぼ一年間勤務せず、平成五年度には復職したものの直ぐに体調不良を訴えて年間三〇日の有給休暇を取得して通院治療を受け、さらに、平成六年度は休職中に再手術を受けて、同年二学期が始まったころは退院後間もない時期であったもので、以上の原告の病歴等に鑑み、管理者側としては、学校運営や生徒の立場を考慮して、原告の復職については健康回復を十分見極めた上で慎重に行おうとしたものと理解され、その態度には無理からざる一面があったというべきである。

6  さらに、前記認定事実によれば、原告は、平成六年一一月二〇日ころ丙野主事に同年八月二三日付の京大病院の医師が作成した診断書のコピーを送付しているが、その時点でも原告は同年九月一日に遡っての復職に固執する態度をとっており、右診断書のコピーの送付が正規の復職手続でないことは明らかであるから、市教委及び県教委において原告の復職手続を進める義務が生じたとはいえない。任命権者側としては復職させる教職員の最新の診断書を取得する必要があることは自明の理であり、丁野次長において、その後原告に対し日付の新しい診断書を取り直すよう指示したことは適切かつ妥当な行為であって、右指示に従わなかった原告の態度こそ責められるべきである。

7  なお、原告は、丁野次長から診断書の取り直しを指示されながら、前記認定のとおり、平成七年二月一日には戊山教育長に平成六年八月二三日付の前記診断書と同日付の復職願を送り付けているが、この時点では、丁野次長との対応から日付の古い診断書や遡っての復職は無理であることを承知していたものと理解され、しかも、校長を通さずに市教委教育長に直接右書類を送付したのは、自己の見解に固執し手続を無視する態度と評価されてもやむを得ないというべきである。

8  以上によれば、県教委や市教委の職員において、原告の復職手続について職務上の義務違反と認められる行為があったとは認め難く、むしろ、原告の復職が実現しなかったのは、原告が平成六年九月に遡った復職に固執し正規の手続を履行しなかったためと認められるので、原告の右主張は採用することができない。

第三  結論

以上の次第で、原告の被告らに対する本訴請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤武彦 裁判官 熱田康明 島戸真)

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