松山地方裁判所 昭和41年(ワ)424号 判決 1968年5月14日
原告 日野民重
<ほか一名>
右原告ら訴訟代理人弁護士 岡本真尚
被告 西四国三菱ふそう自動車販売株式会社
右代表者代表取締役 米内剛政
右訴訟代理人弁護士 泉田一
同 南健夫
主文
一、被告は原告らに対し各金三一五、一二七円および内金二六五、一二七円に対する昭和四一年一一月四日から、内金五〇、〇〇〇円に対する昭和四三年五月一四日から各支払済に至るまで年五分の割合による金銭の支払をせよ。
二、原告らのその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用は、これを五分し、その三を被告の、その余を原告らの各負担とする。
四、この判決は、原告らの勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。
事実
第一、当事者の求める裁判
原告ら――「被告は原告らに対し各金八三五、〇〇〇円およびこれに対する昭和四一年一一月四日から支払済に至るまで年五分の割合による金銭の支払をせよ。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言
被告――請求棄却の判決
第二、請求原因
一 (事故の発生)
原告らの三女礼子は、昭和四〇年一一月一一日午前七時四〇分頃松山市立花町二丁目一番地四二先伊予鉄道踏切道路西側を保育園に通園のため北に向け歩行中、相原組こと相原義久の被用者川口保市の運転する大型貨物自動車(ブルドーザー運搬車、愛媛―い二二八六号、以下、「本件自動車」という。)に接触し、その後車輪で轢圧され、よって脳挫滅等により即死させられた。
二 (被告の責任)
被告は、本件自動車を所有して自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により、被害者の両親たる原告らに対し原告らの蒙った後記損害を賠償する責任がある。
三 (損害)
(一) 礼子の得べかりし利益
亡礼子は本件事故当時満五才の女子で、保育園に通園していた通常の健康な幼児であった。厚生省発表の第一〇回生命表によると、礼子はなお六六年余の平均余命があり、七一才までは生存し得ることになるが、その内満六二才まで働くとして満一八才より就職するとすれば、それより四五年間稼働可能である。しかして、昭和四〇年度の女子労働者の一人平均月間現金給与額を見ると、金一八、二〇〇円であるところ、礼子は満五才の幼年者であるから控え目にみて月金一二、〇〇〇円の収入として計算し、その生計費は収入の二分の一の月額六、〇〇〇円とみて、これを収入から控除すると、月額金六、〇〇〇円となり、これを四五年間合計すると金三、二四〇、〇〇〇円の得べかりし純収入となる。そして、ホフマン式計算法により年五分の割合の中間利息を控除すると、金一、二二〇、〇〇〇円余となり、これが礼子の得べかりし利益の喪失による損害である。
(二) 被害者の慰藉料
亡礼子が、本件事故に基づき生命を失ったことによりうけた精神的苦痛を慰藉するためには、金一、〇〇〇、〇〇〇円をもって相当とする。
(三) 相続
原告らは、いずれも礼子の両親として、被害者の有する権利を各二分の一宛の相続分をもって相続により承継したから、原告らは右(一)(二)の被害者の請求権合算額の二分の一である各金一、一一〇、〇〇〇円宛の請求権を取得した。
(四) 原告らの慰藉料
原告らの間には亡礼子のほかに緑(一五才)真理子(一三才)隆弘(八才)があるが、礼子は末子として原告らがとくに可愛がっていたところ、本件事故により不慮の死を遂げた。よって原告らは甚しい精神的苦痛を蒙ったもので、その苦痛を慰藉するために賠償する金額は、原告ら各自につき金五〇万円をもって相当とする。
(五) 医療費、葬式費用
本件事故により、原告らは礼子のため、医療費金二、九〇〇円、葬式費用金七五、〇〇〇円合計金七七、九〇〇円の経費を支出して同額の損害を蒙ったから、原告ら各自金三八、九五〇円宛の請求権を有する。
(六) 弁護士費用
原告らは、被告および相原義久が本件事故による損害の賠償につき誠意を示さないので、やむなく昭和四一年一〇月一日愛媛弁護士会所属弁護士岡本真尚に対し、被告および相原に対する損害賠償請求訴訟を委任し同弁護士会報酬規定所定の報酬を支払う旨約し、このため原告らは着手金、謝金各五万円合計金二〇万円につき、着手金は右委任の日を、謝金は判決言渡日を夫々支払日とする債務を同弁護士に対し負うことになったが、右弁護士費用も本件事故により通常生ずべき損害であるから、原告ら各自に対し金一〇万円の賠償を求める。
(七) 保険金等の受領
原告らは、被告の自動車損害賠償保険金から金一、〇〇〇、〇〇〇円、相原義久から金七九六、五四五円の賠償をうけているので、原告らが蒙った損害から、これを控除する。
四 (結論)
そこで、原告らは被告に対し前記損害賠償の残額として、原告ら各自につき金八三五、〇〇〇円およびこれに対する訴状送達の日の翌日たる昭和四一年一一月四日から支払済まで民法所定年五分の遅延損害金の支払を求める。
第三、請求原因に対する被告の答弁
一、請求原因第一項の事実は認める。
二、請求原因第二項のうち、被告が事故発生当時、本件自動車を所有していたことは認めるが、その余の点は争う。
三、請求原因第三項(一)のうち、礼子の平均余命、平均月収が原告ら主張のとおりであることは認めるが、その余の点は争う。とくに、礼子は、幼女であるから、平均二五才の初婚年令に達すれば、結婚して特定の収入を挙げ得なくなるのが通常であるから、それ以後の逸失利益を算入するのは不当である。また、生活費についても、昭和四一年度国民生活白書によれば、都市近郊の農家の一人当り生計費は、昭和四〇年度で年額一四五、〇〇〇円とされているから、その月額生計費は一二、〇〇〇円となるはずであり、都市生活者では、なおこの額は上昇するはずであり、原告主張の月額金六、〇〇〇円の生計費は低きに失する。
同項(二)の慰藉料額は、争う。
同項(三)のうち、原告らと被害者との身分関係は、認める。
同項(四)の慰藉料額は、争う。
同項(五)は、争う。
同項(六)の弁護士報酬は、認める。
同項(七)の事実は、認める。
第四、被告の抗弁
一、(所有権留保等の主張)
被告が事故発生当時、本件自動車を所有していたのは、被告が相原組こと相原義久に対し昭和四〇年四月一日本件自動車を代金四、一六九、〇九三円、二二回分割払、代金完済までは被告に所有権を留保する特約のもとに売り渡したためで、同日以後の本件自動車の運行は、相原の責任と利益においてなされていたのであり、被告はなんらの運行支配権を有せず、運行利益も得ていない。
また、本件自動車の営業免許および車体に被告名義を表示していたのは、右所有権留保の事実を示すとともに、相原が被告の依頼をうけて被告の親会社にブルドーザーを引取りにいく際、その工場の出入にあたって被告の名称を車体に表示しておけばなんの支障もなく出入できる便宜があるためであり、これは専ら相原のための恩恵的な名義使用にすぎないから、被告が自賠法三条の責を負ういわれはない。
二、(免責の主張)
本件事故は、被害者側の過失によるものであって、被告に賠償責任はない。すなわち、本件自動車を運転していた川口保市は、当日松山市立花町二丁目一番地四二先伊予鉄道踏切を北に向け、時速約一〇キロメートルで渡りおえた。その直後自己の前方及び左右には、進行の障害となる人、車はなかったので、川口はなお進路前方、左右を注視し、同一速度で進んだのであるが、その時被害者礼子は、運転台の川口にとっては全く死角となり、これを発見することができない本件自動車の進路直前に飛び出したため、その自動車の後輪に轢かれたものである。もっとも、本件自動車には、アンダーミラーが装備されており、そのミラーを見れば礼子を発見できたかも知れない。しかし、アンダーミラーは停車から発進に移る際に死角となっている地点の確認のために見るべきものであって、進行中は絶えず進路の前方、左右の注視を続けるべきであるから、運転者川口には、前方不注視義務の違背その他の義務違背もなく、無過失である。これに対し、被害者礼子には、姉真理子の手をはなれて、前記のように本件自動車の進行直前に飛び出した過失があるのみならず、原告らは、本件事故発生地のような交通頻繁な道路上において、幼児の一人歩きをさせてはならない注意義務がある(道路交通法一四条三項)にもかかわらず、原告らは礼子の監護を一三才の真理子にまかせて監護の義務を怠っていたものであるから、被害者側にこそ過失があるというべきである。
三、(過失相殺の主張)
かりに、被告側に過失があったとしても、前項のような原告側の過失がある以上、損害の算定にあたって斟酌さるべきである。
第五、抗弁に対する原告らの認否と主張
一、抗弁第一項のうち、本件自動車が被告より相原義久に売渡されていたという主張は否認する。通常自動車を割賦販売すれば所有者を売主、使用者を買主として登録し、車体検査証もそのような内容に記載される。又車体外装には買主の表示をし、自動車損害保険には買主が被保険者となり、保険料も買主が掛けているものである。しかるに、本件の場合には相原義久の氏名は全然出ていない。もし売買があるとすれば、被告の損害賠償義務を免れんとしてなした当事者間の虚偽表示である。
また、被告主張のとおり、被告が相原に対し所有権留保の特約のもとに本件自動車を売渡したとしても、本件の場合は、通常の割賦販売と異り、被告と相原との間には、特殊な協同関係があり、被告も本件自動車の運行を支配しかつ運行利益を得ていた。すなわち、被告は、本件事故発生当時はもとより、相原が代金を完済したのちも、登録原簿上の所有名義を被告とし、使用の本拠も被告の住所とし、前記保険も被告名義でなされていて、自賠法による強制保険の責任保険料及び登録税も被告会社名義により支払われており、本件事故発生当時においても変りはなかった。しかして、相原は運転手川口保市をして本件自動車の運転をさせていたが、相原にはブルドーザー運搬業の免許がなく、自動車運送事業を行う適法な資格がないところから、被告会社の名義を借りて、車体に被告会社の商号を表示し、もってブルドーザー運搬業をあたかも被告会社が営業しているような外形で行っていた。その業務の内容は、主として被告の仕事をしていたのであり、被告が販売した新車を東京の親会社から持ち帰ったり、修理した車をその得意先へ運搬するほかに、相原が自家用として所有する五台のブルドーザーを運んだり、さらに他の業者のブルドーザーの運搬も引き受けていたものである。
被告は必要な時に相原に指示して新車を取りに東京の三菱キャタビラ株式会社(被告会社の親会社)へ指定する車を指示する方法で運搬させ、また修理した中古車を指示によって得意先へ持って行き、修理を要する故障車を業者より被告へ持ち帰ったりしていたもので、これにより被告は一般業者に委せるよりも便利に安くブルドーザーを運搬できる一方、被告会社の商号を車体に表示することにより被告の宣伝に用いていた。したがって、本件自動車の運行によって被告は直接の利益を享受するばかりでなく、本件自動車の運行自体についても自己の支配力を及ぼし得る地位にあったことが明らかであるから、本件自動車を自己のために運行の用に供していたというべきである。
二、抗弁第二項、第三項は、争う。本件事故発生当時、事故発生場所である立花駅前は森松線と横河原線の電車が着いた直後で沢山の客が駅前へ出て来ていたので被害者もその人に阻まれて道路端より二、二〇メートルの地点を歩いたものと考えられるが、混雑時で前方左右道路には沢山の人が歩いていたので、このような状況では、歩行者は道路の端に一列になることはできないし、道路端から二、二〇メートル位のところを歩かなければならない場合も起りうることは、当然予想されるのである。このような場合には、運転手が人の歩行に合せて時速四粁位の徐行を行い、いつでも停車出来る体制で進行する義務がある。なお、原告らも、被告の主張と同様、運転手に自動車の進行中にアンダーミラーをみる義務まで要求するものではないが、川口運転手がアンダーミラーでないと認められない死角に入る以前に充分注意して進行すれば、本件事故の発生は避けられたものであるから、死角に入ったことを挙げて前方不注視の過失を免れることはできない。
また、被害者が本件自動車の前に飛び出したとは考えられない。姉真理子が一緒にいることを知っているから一人で反対側に渡るとは考えられないこと、幼稚園へ行くための横断場所はもっと北にあったので、その途中で姉と離れて一人で反対側へ行こうとするとは思えないからである。なお、礼子の姉真理子は、中学二年生(一三才)になっていたから通園の付添として不適当ではなく、原告らに保護者としての監護上の過失はない。
第六、証拠関係≪省略≫
理由
一、事故の発生
原告らの三女礼子が昭和四〇年一一月一一日午前七時四〇分頃松山市立花町二丁目一番地四二先伊予鉄道踏切付近道路西側を保育園に通園のため北に向け歩行中、相原組こと相原義久の被用者川口保市の運転する大型貨物自動車(ブルドーザー運搬車、愛媛―い二二八六号)に接触し、その後車輪で轢圧され、よって脳挫滅等により即死した事故が発生したことは、当事者間に争がない。
二、被告の責任
しかして、事故発生当時の本件自動車の所有者が被告であったことは、当事者間に争ないが、≪証拠省略≫によれば、被告が本件自動車の所有権を有していたのは、被告主張のとおり相原義久に対する割賦販売契約に基づき、割賦金支払確保のための所有権留保の約定によるものであったことが認められ、右認定に反する証拠がない。したがって、被告と相原義久との間に、単に売主と買主以上の特別な関係が存しないのであれば、運行支配権は買主にのみ帰属すると解するのが相当であるから、被告に自賠法三条の責任を問うべき筋合はないといわなければならない。
そこで、進んで、被告と相原義久との間に売買当事者以上の特別な関係があったかどうかについて検討する。≪証拠省略≫によれば、(一)本件自動車の売買契約を締結した昭和四〇年四月一日当時、本件自動車の買主である相原組こと相原義久の経済状態は相当悪かったが、同人と被告会社とは二〇年来の顧客関係にあり、また同組にはブルドーザーが五、六台、ダンプカーも一四、五台あったため、あえて同組に売ることとなったこと、(二)ところで、本件自動車はブルドーザー運搬車であって、これを営業用として使用するには営業免許が必要であったので、被告会社は、本件自動車の所轄陸運事務所への登録の届出、車体検査証には、すべて営業免許を受けている被告会社名義を相原に貸与したこと、(三)また、被告会社は、本件自動車の車体に被告会社名の表示を許容し、その系列会社の工場への出入の便宜をはかり、加えて、被告会社名の表示のある本件自動車が運行の用に供されることを承知のうえで、相原に対し、被告会社が販売、修理したブルドーザーの運搬をしばしば依頼し、その回数も約二〇回、運賃約八〇万円に達し、これを売買代金から差引いていたことが認められる。もっとも、≪証拠省略≫によれば、本件事故当時、本件自動車は、相原組の車庫におかれ、その運転手たる川口保市は相原義久の被用者として、同人から給料を支給され、しかも本件自動車の事故当時における用務は相原のブルドーザーの運搬であったけれども、本件自動車は、総じて、被告会社が修理、販売したブルドーザーの運搬と相原のそれの運搬とに共用されていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
右認定事実によれば、被告と相原との関係は、自動車の割賦販売における単なる売主と買主との関係にとどまらず、また被告の営業免許および車体の名義貸与も単なる顧客へのサービスとは考えられず、むしろ、原告ら主張のように、被告はその会社名を車体に表示した本件自動車に被告の商品であるブルドーザーを積載して運行させることによって、自己の企業の一部を相原に代行させ、併せて売買代金を回収していたというべきであるから、被告は、本件自動車の運行によって、運行利益を得ていたと考えるのが相当である(事故当時、本件自動車の用務が相原のブルドーザーの運搬にあったことおよび相原が被告から運賃相当の売買代金の差引をうけていたことは、右判断の妨げとはならない。)。また、被告は、相原に対し営業免許名義の貸与のみならず、会社名の車体表示まで許容し、かつ本件自動車に被告会社の修理、販売したブルドーザーを積載、運搬していたこと前記のとおりであるから、被告がなんらかの形で相原に対し本件自動車の運行に関して支配する権能を有しているのでなければ、被告は顧客、監督官庁および社会一般に対する信用を保持することができない筋合であるから、被告は相原を通じて本件自動車の運行を支配しうる地位にあったと推認するのが相当である。
してみれば、被告は本件自動車を自己のため運行の用に供していたものとして、自賠法三条により、本件事故に基づく損害賠償義務を負う責任があるといわなければならない。
三、被告の免責の主張に対する判断
被告は、本件事故は、被害者側の過失によって惹起されたものであるから、被告に賠償責任がないと主張するので、この点について判断する。
≪証拠省略≫を綜合すると、次のような事実を認めることができる。すなわち、
1 本件事故は、幅員約七、二メートルの国道三三号線の道路と伊予鉄道横河原線の軌道とが交差する踏切(幅二三、五メートル)のすぐ北側、道路西端から中央寄り二、二メートルの地点で発生したが、同地点は、伊予鉄道立花駅の広場の東側にあたり、右広場には、同駅に乗降する客が来集するほか、バスの発着場も併設されており、本件事故の発生した午前七時四〇分頃には、道路の両側を通行する通勤、通学者の数が多く、二列位で併進している状況であり、また、バス、トラック等の大型車輛を含む自動車の通行がとくに頻繁で、道路の幅に比して交通量が多く、歩道、車道の区別もない。
2 運転手川口保市は、事故当時、本件自動車を運転して前記踏切の国道左端から中央寄り約二米を時速約一〇粁で北進中、踏切を越えた路上左側に立っていた婦人が「アッ」という声を発し、異常な挙動をしていたのを認めた直後、車体に、「コトン」という音がしたのを感じたので停車してみると、礼子が本件自動車の左後車輪の内側車輪で頭部を轢かれて即死していたのを発見した。
3 礼子は、事故当時姉真理子(当時拓南中学生、一三才)の付添で保育園に登園するため、前記踏切の国道左端から中央寄り約〇、六メートルのところを姉の後について歩行していた。当時姉真理子は両手に荷物をもっていたので、礼子の手をひかずに歩いていたところ、礼子は踏切の北側付近で真理子が気付かない間に、その約二メートル前方を道路西端から中央寄り約二、二メートルのところを北に向け歩行しているのを認め、危険を感じた瞬間、礼子が背後から本件自動車の前部で押し倒されたのを目撃した。
4 ところで、本件自動車は、ブルドーザー運搬車で、幅二、四二メートル、全長八、〇八メートル、地上から運転台までの高さ、一、二メートルの大型貨物自動車で、運転手席は車体右側にあって、地上から運転手の目までの高さは二、一メートルであり、事故当時助手は塔乗していなかった。
以上のような事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫
右認定の諸事実に基づいて考えてみると、本件自動車の運転手席は車体右側にありかつ地上からかなり高い位置にあるため、車体左側前方の状況を十分確認しえない状態にあったのに、助手の塔乗もなかったのであるから、川口運転手が前記の如く交通の輻輳しかつ歩行者の多い道路で本件自動車を走行させるには、いつでも直ちに停車し得るよう最徐行するのはもちろん、前方の注視のみならず車体の左右両側とくに死角に当る部分の多い左側前方に十分注意して、車体が歩行者らに接触しないよう万全の措置をとって運行すべき注意義務があったといわなければならない。しかるに、川口運転手は時速約一〇粁に減速したものの、道路左側前方の注視が十分出来ない状況のまま最徐行をせずに、漫然車を進行させたため、本件自動車の前方を歩行していた礼子の姿を事前に発見し得ず、その結果本件事故を惹起したものであるから、同運転手において自動車の運転者としてとるべき前記注意義務を怠っていたことは明らかである。もっとも、本件事故の原因は、後記認定の如く、原告らの過失も一因をなすとはいえ、その大半は川口運転手の重大な過失にあるものと認めるのが相当である。
四、過失相殺の主張に対する判断
さきに認定した本件事故発生の経過に徴すれば、原告らが礼子の監護者として同女を前記のように真理子の付添のもとに交通頻繁な道路を歩行させるには、真理子が礼子の付添としての適格があるかどうかについて十分配慮するのはもとより、真理子に対し、右側通行をし、また礼子の手を離さず、また離すにしても礼子が道路中央に寄らないよう十分監視するよう指示を与えるなどして、幼児の交通事故を未然に防止すべき注意義務があるというべきである。そうであるのに、付添の真理子は礼子を左側通行させ、また礼子の手も引かず、礼子が道路西端から中央寄り約二、二〇メートルのところを離れて歩行したのにこれを制止することもできなかったものであるから、真理子が付添として適当であったとは認められず、また真理子が礼子を路端へ寄って歩行させていたならば、本件事故の発生を避けえたものと認められるから、真理子の過失はもとより同女に付添をさせた原告らの監護上の過失も、本件事故発生の一因をなしたものと認められる。そうだとすれば、右被害者側の過失と前記川口運転手の過失とを対比すると、双方の過失の度合は、大体において前者が三、後者が七であると認めるのが相当である。
五、損害
(一) 礼子の得べかりし利益 礼子が死亡の当時満五才六ヵ月の女子であったことは、≪証拠省略≫によって認められ、この年令の女子の平均余命が原告主張のとおり六六年余であることは、当事者間に争ない。しかして、右原告本人の供述によれば、礼子は松山保育園に通園していた健康な女子であったことが認められるから、同人がもし本件事故に遭わなかったならば、原告主張のとおり、七一才になるまで存命し、その間、少くとも満一八才から満五五才に達するまでの三七年間はなんらかの職業に就いて稼働し収入を挙げることができたものと推測される(原告らは礼子の稼働期間を満一八才から満六二才までと主張するが、当裁判所は前記の稼働期間をもって相当と考える。)。
なお、被告は礼子が二五才にして結婚すれば特定の収入を挙げえなくなると主張するが、現に結婚後も稼働している女子が少なくないことは周知の事実であるのみならず、わが国の産業の発展に伴い、女子労働者が結婚後も就労する蓋然性は、将来ますます多くなると推測されるから、右主張は採用の限りでない。
さて、礼子が存命したとして将来いかなる職業に就いたであろうかを推測することは困難であるが、≪証拠省略≫によれば、原告らの長女は高校在学中であることが認められるから、礼子もまた高校教育を終えてから就職したであろうと推測され、したがって、同人の就く職業は、少なくとも一般女子の得る平均収入と同程度の収入を挙げることのできるものであったろうと考えられる。
ところで、≪証拠省略≫によれば、昭和四〇年四月当時の女子労働者の全国平均月間給与額は一八才ないし一九才の者は一五、七〇〇円、二〇才ないし二四才の者は一八、一〇〇円、二五才ないし二九才の者は二〇、〇〇〇円、三〇才ないし三四才の者は二〇、九〇〇円、三五才ないし三九才の者は二〇、八〇〇円、四〇才ないし四九才の者は二〇、一〇〇円、五〇才ないし五四才の者は二〇、二〇〇円であったことが認められる。そうだとすると、礼子が将来稼働して挙げ得べかりし収入は、別紙計算書のとおり合計金八、七八八、八〇〇円に達するものと推測される。他方、礼子は本件事故で死亡したことにより前示稼働期間にわたって自己の生活費の支出を免れえたものと考えられるから、得べかりし純収入を算出するには前示収入額から前示稼働期間の生活費を控除しなければならない。そして、同人の右生活費を的確に判定することは困難であるが、≪証拠省略≫によれば、被告主張のように、昭和四〇年度の都市近郊農家の一人当り生計費は月額金一二、〇〇〇円であることが認められ、この事実と前示収入額とを比較考量しながら女子労働者の生活費を考えてみると、未婚の時代は収入に比して生活費も一般に高いことが考えられるから、二〇才に達するまでは収入の八割、二〇才以上女子の初婚平均年令である二五才に達するまでは収入の七割、二五才以降五五才に達するまでの生活費は、通じて六割(結婚後は夫の収入および子供の数如何により、妻が分担すべき婚姻費用の額もおのずから異なるが、独身時代に比して支出すべき生活費の割合は、収入に比して総じて低くなると考えられる。)とみれば十分と推測される。したがって、これを前示収入額から控除すると、礼子が一八才から五五才に達するまでの間に得べかりし純収入の額は、別紙計算書のとおり金三、三三一、五六〇円ということになる。これを複式ホフマン計算法によって年五分の割合による中間利息を年毎に控除すると、同計算書のとおり、金一、七七三、四七九円となる。そして、さらに、右の数額から礼子の死亡時から満一八才の基準時まで(丸一二年として計算する)年五分の割合による中間利息を控除すると、金一、一〇八、四二四円となる。これが、礼子の死亡時における同人の得べかりし純収入の現価であり、同人は死亡によりこれを失ったものである。しかるに、本件事故については、前示のように、被害者側の過失があるので、これを斟酌すると、被告に対し賠償を請求しうる損害は、そのうちの金七七六、〇〇〇円とするのを相当とする。
(二) 礼子の慰藉料 前記認定の本件事故の態様、その他諸般の事情に、≪証拠省略≫を綜合し、さらに被害者側の前示過失を斟酌すれば、礼子は本件事故により幼い生命を一瞬のうちに失ったことに対する慰藉料として金七〇〇、〇〇〇円の支払をうけるのを相当とする。
(三) 相続 原告らが礼子の両親であることは当事者間に争がない。したがって、原告らは相続により前記逸失利益金七七六、〇〇〇円および慰藉料金七〇〇、〇〇〇円の各二分の一にあたる金七三八、〇〇〇円の損害賠償請求権をそれぞれ承継取得したと認められる。
(四) 原告らの慰藉料 原告らが満五才六ヵ月にもなる三女礼子を本件事故で卒然として失ったことによる悲嘆、愛惜の情はまことに深いものであることが明らかであるから、その甚大な精神的苦痛に対して被告が相当額の慰藉料を支払うべきことは当然であり、その額は、前記諸般の事情を考慮して、原告ら各自につき金三五〇、〇〇〇円をもって相当と認める。
(五) 医療費、葬式費用 ≪証拠省略≫によれば、原告らは本件事故後の礼子の医療的処置およびその葬祭費用として、合計金七二、五四五円の支出をしたことが認められる。よって、原告らは右金員の二分の一にあたる金三六、二七二円宛の損害を蒙ったものであるところ、被害者側の前示過失を斟酌すれば、原告らはそのうち金二五、四〇〇円宛の賠償を求めうると認めるのが相当である。
(六) 弁護士費用 被告および相原義久が前記認定のとおり、損害賠償義務を負うべきものなるところ、被告および右相原がこれを任意に弁済しなかったため原告らが被告および相原に対し本訴提起を原告代理人岡本真尚に委任し、着手金五万円を委任の日たる昭和四一年一〇月一日限り、謝金五万円を本件判決言渡日に原告ら各自がそれぞれ支払う債務を負ったことは、当事者間に争なく、これまた本件事故により原告らが蒙った損害と認められるから、各金一〇〇、〇〇〇円の賠償を被告に請求しうるものとするのが相当である。
以上請求権の合計は、原告ら各自につき金一、二一三、四〇〇円となる。
(七) 保険金等の受領 しかるに、原告らは、本件事故に基づく自動車損害賠償保険金一〇〇万円を受領し、また相原義久から金七九六、五四五円を受領していることを自認しているので、その各半額にあたる金八九八、二七三円を前記(一)ないし(五)の請求権から控除することとする。
六、結論
以上のとおりであるから、被告は原告らに対し、各金三一五、一二七円の損害賠償金および内金二六五、一二七円に対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四一年一一月四日から、内金五万円(弁護士謝金)に対する本件判決の言渡の日たる昭和四三年五月一四日から各支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払義務を負うものというべく、したがって、原告の本訴請求は、右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 糟谷忠男)
<以下省略>