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松山地方裁判所 昭和54年(行ウ)10号 判決 1982年9月29日

愛媛県西条市大町五五四番地の一六

原告

玉田忠雄

右訴訟代理人弁護士

東俊一

愛媛県西条市神拝字新町甲五二

被告

伊予西条税務署長

川村俊郎

右指定代理人

武田正彦

泉本喬

藤田正博

深川正夫

伊藤二郎

藤井正彦

幸田久

工藤茂雄

坂本禎男

村田一

主文

一  被告が昭和五三年八月九日付で原告の昭和五二年分の所得税についてした更正及び重加算税の賦課決定をいずれも取り消す。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、理容を業とする者であるが、昭和五二年分の所得税について、原告のした確定申告、これに対する被告の更正、(以下「本件更正」という。)及び重加算税の賦課決定(以下「本件賦課決定」という。)、異議申立とこれに対して被告がした決定、審査請求とこれに対して国税不服審判所長がした審査裁決の経緯は、別紙課税経過表記載のとおりである。

2  しかし、原告の昭和五二年分の所得中に課税されるべき譲渡所得はないから、被告がした本件更正(審査裁決により維持された部分。以下同じ。)は違法である。また、本件賦課決定は、本件更正を前提とする点で違法であり、仮に、そうでないとしても、原告において所得税の課税標準又は税額等の計算の基礎となるべき事実を隠ぺい又は仮装した事実がないのにされた点で違法である。

よって原告は、本件更正及び本件賦課決定の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因に対する認否

請求原因1の事実は認めるが、同2の主張は争う。

2  被告の主張

(一) 原告は、愛媛県西条市から買い受けて所有していた同市中野字楠甲六五三番地の二二宅地二二二・八三平方メートル並びに同地上建物木造セメント瓦葺平屋建居宅及び物置四三・六六平方メートル(以下「本件譲渡資産」という。)を、昭和五二年九月二八日、宮嶋安一に三一〇万円で売り渡した。これによって生じた原告の短期譲渡所得金額は、別紙課税経過表の審査裁決欄2項記載のとおり二〇五万四五七四円である。

(二) 原告は、昭和五二年九月当時、本件譲渡資産をその居住の用に供していなかった。したがって、原告は、前記短期譲渡所得について租税特別措置法(昭和五三年法律第一一号による改正前のもの)(以下「措置法」という。)三五条一項の特別控除を受けることはできなかった。原告は、それを知りながら、本件譲渡資産を譲渡当時居住の用に供していたと称して確定申告書を提出し、それを裏付けるため、松本修蔵らに依頼して虚偽の証明書を作成させて提出した。

したがって、本件更正及び本件賦課決定処分は、適法である。

三  被告の主張に対する認否及び原告の反論

1  被告の主張に対する認否

(一) 被告の主張(一)の事実を認める。

(二) 同(二)の事実を否認する。

2  原告の反論

原告は、本件譲渡資産から一・五キロメートルほど離れた西条市大町一四九四番地の二所在の木造セメント瓦葺二階建建物(以下「借店舗」という。)のうち一階部分を昭和三〇年三月賃借し、その後昭和四二年ごろから一、二階全部を賃借し、妻とともに理容業を営んできた。それで、原告及び妻は、定休日(月曜日)を除き、午前八時ごろから午後九時ごろまで一日じゆう借店舗で働き、昼食夕食は借店舗でとり、終業後本件譲渡資産に帰って寝るという生活を送ってきた。小学校に通うようになった二人の子供(昭和三四年六月生まれの次女及び昭和三六年四月生まれの長男)も、放課後を借店舗で過ごし仕事を終えた原告らと本件譲渡資産に帰った。もっとも、昭和四九年中学三年の次女が高校受験のための勉強に忙しくなり、そのころから、子供達は、夜遅く本件譲渡資産に帰るのをいやがり、借店舗の二階で寝るようになった。それに伴い、原告の妻も、子供の監督のために借店舗で寝ることが多くなった。しかし、原告は、従前どおり夜本件譲渡資産に帰っていた。そうして、定休日には、家族一同が本件譲渡資産で過ごした。以上のように、原告は、昭和五二年九月当時、本件譲渡資産をその居住の用に供していた。なお、借店舗の間取は、別紙現況図記載のとおりで、二階の室を長男が、天井の低い室を次女がそれぞれ使っていた。後は、一階台所横の板間(カーペット敷)部分の人ひとりが横になれるくらいのわずかな空間以外には、寝起に適する部分はなかった。

したがって、原告は、昭和五二年の短期譲渡所得につき、措置法三五条一項の特別控除を受けることができる。

四  原告の反論に対する認否

原告の反論の事実のうち、原告が昭和三〇年三月から借店舗を賃借し、妻とともに理容業を営んできたこと、昭和四九年ごろから原告の子供達が専ら借店舗に居住するようになったことを認めるが、その余は争う。すなわち、昭和四九年ごろから、原告の子供達だけでなく、原告夫婦も、専ら借店舗だけで生活するようになり、本件譲渡資産には、原告夫婦が掃除などのために時々きていた程度であり、昭和五二年九月当時、原告は、本件譲渡資産を居住の用に供していなかった。このことは、本件譲渡資産での昭和四九年一月から昭和五二年九月までの間の電力使用量が、多い月で六キロワット時、少ないときでは九か月で一キロワット時であったこと、使用量が零の月が昭和五〇年及び昭和五一年中に各九か月、昭和五二年一月から一〇月までの間に五か月あったことからも、明らかである。

第三証拠

一  原告

1  甲第一ないし第三号証、第四号証の一、二、第五ないし第八号証、第九号証の一ないし四、第一〇号証の一ないし三、第一一ないし第一八号証。(甲第一〇号証の一は、昭和三七年ころの借店舗の表側、同号証の二は、昭和四二年ころの借店舗の裏側、同号証の三は、昭和四二年ころの借店舗の北側の各写真である。)

2  証人玉田春子、同伊藤通、原告本人(第一、二回)。

3  検証。

4  乙第一六ないし第一八号証、第二〇ないし第二二号証、第二三号証の一ないし四の各成立は不知。その余の乙号各証の成立を認める。

二  被告

1  乙第一号証、第二号証の一、二、第三ないし第二二号証、第二三号証の一ないし四、第二四、第二五号証。

2  証人川村俊郎。

3  甲第九号証の一ないし四、第一一、第一二号証、第一五号証の各成立は不知。甲第一〇号証の一ないし三の各被写体が原告主張のとおりであることを認めるが、撮影者及び撮影日は不知。その余の甲号各証の成立を認める。

理由

一  請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二  本件更正処分の適法性について判断する。

1  原告が愛媛県西条市から買い受けて所有していた本件譲渡資産を昭和五二年九月二八日宮嶋安一に三一〇万円で売り渡したこと、それによって生じた原告の短期譲渡所得金額が別紙課税経過表の審査裁決欄2項記載のとおり二〇五万四五七四円であることは、当事者間に争いがない。

2  本件譲渡資産を、昭和五二年九月当時、被告は、原告が居住の用に供していなかったと主張するのに対し、原告は、自己が居住の用に供していたと主張するので、以下この点について検討する。

(一)  いずれも成立に争いがない甲第八号証及び同第一八号証、原告本人尋問の結果(第一回)によりいずれも真正に成立したものと認められる甲第九号証の一ないし四、借店舗の表側(東側)の写真であることは、当事者間に争いがなく、前記原告本人尋問の結果により原告が昭和三七年ころ撮影したものであることが認められる甲第一〇号証の一、借店舗の裏側(西側)の写真であることは、当事者間に争いがなく、前記原告本人尋問の結果により原告が昭和四二年ころ撮影したものであることが認められる同号証の二、借店舗の横側(北側)の写真であることは、当事者間に争いがなく、原告が昭和四二年ころ撮影したものであることが認められる同号証の三、原告本人尋問の結果(第二回)により真正に成立したものと認められる甲第一五号証、証人玉田春子の証言、原告本人尋問の結果(第一、二回)並びに検証の結果を総合すれば、以下の事実が認められる。本件譲渡資産は、昭和二六年に建築された市営住宅(六畳と三畳の二間)で、その年原告の両親及び原告を含む子供達が入居した。それを原告の母が昭和四四年二月二一日に代金は三年年賦払いの約束で買い受けたが、そのころ原告の父は死亡していて、右代金を原告が全部支払ったので、昭和四六年五月三一日、西条市から原告名義に本件譲渡資産の所有権移転登記を経由した。当時、本件譲渡資産には、原告、その妻、次女(昭和三四年六月二七日生)、長男(昭和三六年四月一三日生)と原告の母(昭和四八年七月七日東大阪市へ転出)が居住していた(昭和三二年五月二四日に生まれた長女は、昭和三七年一二月二六日死亡した。)。なお、本件譲渡資産には、その後四畳半が増築された。ところで、原告は、本件譲渡資産から一・五キロメートルほど離れたところにある借店舗で、昭和三〇年三月から理容店を開店し、昭和三一年に結婚した妻とともに、定休日(月曜日)を除き、午前八時ごろから午後九時ごろまで一日じゅう借店舗で働き、昼食夕食は借店舗でとり、終業後本件譲渡資産に帰って寝るという生活を送ってきた。学校に通うようになった二人の子供も、放課後を借店舗で過ごし、仕事を終えた原告らと本件譲渡資産に帰った。そのうち、昭和四九年中学三年の次女が高校進学のための勉強に忙しくなり、そのころから、子供達は、夜遅く本件譲渡資産に帰るのをいやがり、借店舗の二階で寝るようになった。それに伴い、原告の妻も、子供らの監護のために借店舗で寝ることが多くなった。ところで、原告は、当初昭和三〇年三月には、借店舗(一階が畳をつくる仕事場で、二階にはわらが置かれていた。)のうち一階部分を賃借し、そこを理容店に改造して営業を始めたもので、その後、<1>昭和三五年ごろ、一階部分の北側に客待合所と物入れ(別紙増改築経過図の青線表示部分)を増築し、<2>昭和四二年ごろ、手狭であったので、一、二階全部を賃借し、一階部分の北側に物入れ等、西側に板間、台所、階段等(別紙増改築経過図の黄線表示部分)を増改築し、<3>半年後、二階に物入れ(別紙増改築経過図の茶線表示部分)を造り、<4>昭和五〇年、雨もりがひどくなって屋根を修繕する際、二階部分の東側に部屋(別紙増改築経過図の赤線表示部分)(ただし、天井までの高さが窓際部分では一・七五メートルあるが、入口部分は一・三四メートルしかない。)を増築し、<5>昭和五一年一二月ごろ、高校の剣道部に入っていて身体にあざが絶えなかった次女がふろ屋に行くのをいやがったので、一階部分の物入れ(別紙増改築経過図の緑線表示部分)を風呂場に改造した。その結果、借店舗の一、二階は、別紙現況図のとおりとなった。前記のように昭和四九年ごろから専ら借店舗で暮らすようになった二人の子供は、別紙現況図の室ができるまでは、室で勉強し、室で寝ていたが、室ができてからは、室を長男が、室を次女が使い、原告の妻が泊るときは、室か一階の板間(カーペット敷)で寝た。この借店舗は、畳が敷かれたところは一切なく、坐ったり寝たりする部分の板の間にはカーペットを敷いて使われてきた。以上のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない(もっとも、原告が昭和三〇年三月から借店舗を賃借し、妻とともに理容業を営んできたこと及び昭和四九年ごろから原告の子供達が専ら借店舗に居住するようになったことは、当事者間に争いがない。)。

ところで、原告は、昭和四九年ごろから二人の子供が借店舗の二階で寝るようになったのに伴い、原告の妻も子供の監督のため借店舗で寝ることが多くなってからも、従前どおり夜本件譲渡資産に帰り、定休日には家族一同が本件譲渡資産で過ごしたと主張し、原告本人及び証人玉田春子は、いずれも右主張にそう供述をし、成立に争いがない乙第一五号証(原告作成の昭和五三年七月一九日付申立書)には、原告が一週間に四、五日、一月のうちで約二〇日は本件譲渡資産に帰っていた旨の記載がある。しかし、成立に争いがない乙第二四号証によれば、昭和四九年一月から昭和五二年九月一六日の譲渡時までの本件譲渡資産での電力使用量は、別紙電力使用量等の明細記載のとおりであって、昭和四九年度は零の月が五か月、昭和五〇年度は零の月が九か月、昭和五一年度も零の月が九か月、昭和五二年度の原告負担期間中には零の月が五か月あった事実が認められる。また、証人川村俊郎の証言並びにこれによりいずれも真正に成立したものと認められる乙第一六ないし第一八号証及び同第二三号証の二、三に成立に争いがない甲第一七号証を総合すれば、高松国税局不服審判所の国税不服審判官として審査裁決のための調査に当った川村俊郎に対し、本件譲渡資産の近くの住人の松本修蔵、松本泰、宮嶋安一、小野勇及び千葉絹子がいずれも、本件譲渡資産で毎日原告が生活していたことはない旨の供述をした事実が認められる。これらの事実に照らすと、原告の主張にそう前記各証拠をたやすく信用することができない。

もっとも、証人川村俊郎の証言によれば、前記調査の際、宮嶋安一は、本件譲渡資産に原告の妻がきて掃除をしたりふとんを干したりしていたが、泊ることはごく少なかったのに対し、原告の方は一週間に二、三日きて寝ていたと答えた事実が認められ、証人伊藤進の証言によれば、伊藤進は、国鉄線路を挾んで借店舗の斜向いで自転車店を営んでいるが、朝自転車に乗って借店舗に出てくる原告を昭和五二年の夏に何度も見かけた事実が認められる。また、原告本人尋問の結果(第一回)及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第一二号証によれば、株式会社西条プロパンは、本件譲渡資産に住んでいた原告の母が東大阪市に転出した後も、原告が本件譲渡資産を譲渡した昭和五二年秋まで、本件譲渡資産に原告の注文により一〇キロ入りプロパンガス・ボンベを四か月ないし六か月に一本の割合で配達し、代金は借店舗で原告から支払を受けていた事実が認められる。それに、借店舗は、畳敷のところが一切なく、坐ったり寝たりする部分の板の間にカーペットを敷いて使われてきたことは、前示のとおりであって、到底人並な居住用家屋とはいえないうえ、検証の結果によれば、借店舗には、原告とその妻とが思春期に達した子供達に対して夫婦だけの秘密を守れる生活空間はないことが認められる。これらの事実を総合すれば、一週間に四、五日、一月のうちで約二〇日は本件譲渡資産に原告が帰った旨の前掲乙第一五号証の記載をそのまま採用できないものの、原告の二人の子供が前示のように専ら借店舗の二階で生活するようになり、その監護のために原告の妻も借店舗で寝ることが多くなった昭和四九年以降も、安眠等を得るために原告が一週間に二日程度は本件譲渡資産に帰って寝ていたことを確認することができる。本件譲渡資産での昭和四九年一月以降の電力使用量が一般家庭に比べてきわめて少いことは、前記のとおりであるが、原告本人は、本件譲渡資産では、原告は、電気器具として、三つの部屋に二〇ワットの螢光灯を一個ずつつけていたほか、八〇ワットの給水ポンプを使用していただけで、テレビをつけることはなかった旨、証人玉田春子も、本件譲渡資産では電球以外の電気器具を使用することはなく、冷蔵庫は故障していた旨それぞれ供述し、これらの供述に、前示のように原告が本件譲渡資産から離れた借店舗で理容業を営んでいた関係上本件譲渡資産には夜遅く帰って寝るだけであったことを考え合せると、本件譲渡資産での電力使用量がきわめて少いからといって必ずしも原告が本件譲渡資産に前記認定の頻度では帰っていなかったとはいえないから、電力使用量が少ない事実は、いまだ前認定を妨げるに足りない。なお、証人川村俊郎の証言により真正に成立したものと認められる乙第二三号証の四(盛実進作成の申立書)中の原告家族が全員借店舗で寝泊りしていた旨の記載は、にわかに採用できない。他に前認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  証人玉田春子の証言及び原告本人尋問の結果(第一、二回)に前掲乙第一二号証を総合すれば、原告夫婦としては、借店舗での生活(原告が借店舗に泊るときは、一階のカーペット敷の板の間で原告の妻と一組のふとんに寝ていた。)は、あくまで子供の勉学期間中の一時的なものと考え、借店舗には、理容業に必要なもののほかは、子供の身の回りの品だけを置き、他方、本件譲渡資産のある町内会費を滞ることなく納め、その当番を引き受けていた事実が認められる。

(三)  以上の事実を総合すれば、二人の子供が専ら借店舗の二階で生活するようになり、それに伴い、原告の妻も、子供の監護のために借店舗で寝ることが多くなった昭和四九年以降も、依然として、原告は、本件譲渡資産をその居住の用に供していたものと認めるのが相当である。

三  そうすると、本件更正は、違法であり、また、本件賦課決定は、本件更正を前提とする点で違法であるから、本件更正及び本件賦課決定処分をいずれも取り消すこととし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡邊貢 裁判官 高橋勝男 裁判官 山垣清正)

課税経過表

<省略>

電力使用量等の明細

<省略>

(二階)

<省略>

(一階)

<省略>

現況図(単位メートル)

(二階)

<省略>

(一階)

<省略>