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松山地方裁判所今治支部 昭和43年(ワ)17号 判決 1972年3月29日

原告 西村吉太郎

右訴訟代理人弁護士 西浦義一

同 上田稔

被告 木原倬郎

右訴訟代理人弁護士 梶田茂

主文

被告は原告に対し金三六六万七、二一二円および、これに対する昭和四二年九月一一日以降、右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告の、その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを一〇分し、その三を原告の、その余を被告の各負担とする。

この判決の主文第一項は原告において金一〇〇万円の担保を提供するときは、仮りに執行することができる。

事実

第一、申立

一、原告

(一)、被告は原告に対し金五〇〇万円および、これに対する昭和四二年九月一一日以降、右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

二、被告

(一)、原告の請求を棄却する。

(二)、訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

≪以下事実省略≫

理由

一、被告が開業医であって、今治市別宮町三丁目七番地の八(森見通り三丁目)において、木原外科病院を経営していることは当事者間に争いがない。

二、≪証拠省略≫を総合すると、次のとおり認められる。

(一)、原告は大正八年三月四日生れであるが、昭和四一年五月二一日、被告に対し一〇日ほど前から四肢の関節に疼痛があり、かつ四肢に冷感と脱力感が生じている(冷感と脱力感は右側上下二肢の方が強い)こと、および以前から肩の凝りがあると訴えて診察と治療を依頼し、その際、既往症として、それより一年余り前の昭和四〇年一月二二日に手術によって右腎を摘出したこと、その病気は結核であったと告げた。

(二)、そこで被告は原告の血圧と血沈の測定および頸部のレントゲン写真をとる等の検査をした結果、血圧と血沈は正常値であったが、レントゲン写真により、頸椎の椎体の辺縁、特に後縁に隆起があり、かつ第三、第四椎間が狭いことが認められたので、変形性脊椎症ないし椎間板障害のため、前記症状が生じていると診断した。

(三)、そこで、被告はその際、原告に対して鎮痛剤(イカピリン)を注射し、飲薬(ハイピリンとアリナミンエフ)を投与し、かつ前記第三、第四椎間が狭くなっているのを拡げるための物理療法としてオルソトラック(O・L・八〇型)による頸部の牽引を指示し、同病院のレントゲン技師、高橋保幸(当時一八年)ほか一名にこれを施行させた。

(四)、右のオルソトラックによる牽引療法は右同日および、その後、同月二三日、二四日、二五日、二七日の通算五日間に各日一回、一回につき一〇分間、最高牽引力は一五キログラムないし二〇キログラムであって、機械の自動操作により、牽引力零の状態から二四秒間に次第に牽引力が加わり、最強の状態が、その後の六秒間継続し、その後の二四秒間に次第に牽引力が減少し、全く牽引力が加わらない状態が最後の六秒間おかれるもので、以上の循環(一回につき一分間)を継続して一〇回くりかえすものであった。牽引される際の原告の姿勢は坐ったのと仰臥したのとがあった(前後五回にわたる牽引時の姿勢につき、仰臥して牽引されたときの最高牽引力が二〇キログラムであったことが一回あり、坐って牽引されたときの最高牽引力が一五キログラムであったことが一回あったことが窺われるが、その余の三回についての具体的な最高牽引力と原告の姿勢は明らかでない)。

(五)、ところが、右牽引療法を受けている間の同月二五日(昭和四一年五月二五日)ごろ、原告は前記四肢の冷感が強まり、かつ四肢の運動に不自由を感ずるようになったので、同日および同月二七日の二回にわたり、今治市日吉甲八六三番地(北高前)、水島外科医院へ通って診察を受けたが、多発性関節リュウマチ、四肢神経不全麻痺と診断され、数種の飲み薬の投与を受けただけで、その病症の原因については明確な診断が得られなかった。

(六)、しかるに同月三〇日ごろになると、原告の四肢の冷寒および下肢の運動障害が更に強まり、かつ排便障害をも生じたので、同日、被告病院に依頼して看護婦の来宅を求めて、浣腸による排便をして貰った。

(七)、そして、その後も右の病症が続いたので、同年六月九日、一〇日、一一日の三日間、大阪市内の原告の実兄宅から同市福島区堂島浜三の一、大阪大学附属病院へ通って、内科、泌尿器科、神経科および整形外科と順次、診察を受けた。内科、神経科では病因が判明しなかったが、泌尿器科では導尿措置をして貰い、最後に整形外科(水野教授)研究生、医師、兪吉植から一応、オルソトラックの牽引による頸椎損傷が病因であるとの診察を受け、かつ、同日、同医師の指示によって同整形外科の医師、西山尊兼から筋電図による診察をも受けた(右西山医師は同筋電図検査の結果、原告の病因を頸椎損傷ではなく、脳中枢神経障害=脳卒中あるいは脳血栓等=と診断したが、この点は、原告が、そのまま今治市へ帰省して、特に照会もしなかったため、原告方へ知らされなかった)。

(八)、同月一三日から同四一年八月二二日までの間、原告は今治市蔵敷三六七番地、整形外科三木病院へ通院し、病因を頸椎間板障害(レントゲン写真等からみて第三、第四頸椎間がやや狭隘であると認められた)と診断され、頸部に固定用カラーを施用して貰った。当時、原告の病症は頸髄第一、第二以下に知覚鈍麻があり(そのうち右側の方がやや強かった)、四肢の諸腱反射が亢進し、握力が減弱し、起立歩行がやや障害され、膀胱直腸に軽度の機能障害があった。

(九)、その後の昭和四二年三月ごろ、排尿、排便の障害が強まり、そのごろ今治市内の阿部病院および山川病院でそれぞれ診察を受け、神経因性膀胱(尿閉)尿路感染症、頸椎障害と診断された。

(十)、そして、昭和四六年四月当時、原告の病症は運動障害として両脚起立時に上体が前後に動揺し、特に足先を揃えると上体の前後動揺が著明となり、左右への側方動揺もみられるようになり、頸部の運動は左側屈が一五度で左回旋が四五度で、それぞれ疼痛が生じて制限され、排尿が安静時でも起立してはしにくく、蹲居姿勢でする方が容易であり、挙睾反射は、両側とも消失していた。

以上のとおり認められ、他に右の諸認定を覆えすに足る適確な証拠はない。

三、そこで、被告がなした本件オルソトラックによる牽引が原告の右認定のとおりの本件病症の原因であるか否かにつき考えてみる。≪証拠省略≫を総合すると、原告は二〇才ごろから首が廻わり難くて痛むことがあったこと、現に被告から本件診察を受けた際にも以前から肩凝りがあったと告げていること、および本件牽引直後の昭和四一年六月四日、菅医院(今治市所在)での眼底所見により網膜細動脈の硬化症と診断されていること、および原告は戦前に淋疾患にかかっていたこと等からみて、本件牽引当時、原告の頸髄の高さでの前脊動脈の動脈硬化症が相当に亢進していた(このため四肢に冷寒を覚えていた)こと、および頸椎骨軟骨症が潜在していた蓋然性が大きく、右両疾患が本件オルソトラックによる牽引(特にその中に、少くとも一回、一〇分間にわたって行われた臥位での牽引)のため、悪化促進され、脊髄の血行状態が一層微弱化して、本件四肢等の運動障害および挙睾反射の消失、排尿障害等の病症を生じさせたものと認められる。

≪証拠省略≫中、右の認定と牴触する部分は、前示各証拠と対比して採用できず、他に右認定を覆えし、原告の本件病症が前記オルソトラックによる牽引と無関係な他の原因(換言すると、右の病症が非外傷性の原因すなわち全身の血圧低下あるいは心臓循環障害等による低酸素状態の発生等)によって生じたことを窺知するに足る証拠はない。

そうだとすると、被告は治療を受任した医師としてオルソトラックによる牽引は、高血圧の患者には注意すべきであり、かつ、頸椎に著しい破壊のみられる者に対しては禁止されているのであるから、頸部のレントゲン撮影および単なる血圧検査だけにたよることなく、原告の既往症を克明に尋ねて動脈硬化症の存否を確認するなり、あるいは肉眼的に動脈硬化を知る最も適確な方法とされている眼底の網膜細動脈所見を経させるなりすべきであるのに、そうすることなく、単なる血圧検査により原告の血圧に格別の異常が認められなかったことから、直ちにオルソトラックによる最高二〇キログラムないし二五キログラムの牽引をし、特に五回のうち少くとも一回は頸椎の治療方法として適切でないとされている臥位での牽引を行った点に医療行為上の過失があったといわざるを得ない。

してみると、被告は右の医療過誤によって生じた原告の損害を賠償すべき義務がある。

四、原告の逸失利益

≪証拠省略≫により、原告は本件牽引を受けた当時、四七才であって、その七年程前から、今治市宮脇通り三丁目で、妻末子(当時三九才)とともに、まるよし食堂という屋号の飲食店を営み、一か月平均して金五万円ぐらいの純益を挙げ、そのうち原告の稼ぎ分は一か月平均三万五、〇〇〇円ぐらいであったこと(他は妻末子の稼ぎ分)、しかるに本件牽引を受けた直後ごろから発生した本件病症のため、原告は全く稼働できなくなり、かつ妻一人では同食堂の経営もできなくなったので、同昭和四一年六月以降、右の家業をやめたことが認められる。そして厚生省統計調査部作成の昭和四一年簡易生命表によると、四七才の男子の平均余命は二六・一三年であるけれども、≪証拠省略≫によると、原告は従前より必らずしも健康体ではなく、二〇才ごろから頸髄の動脈硬化症が生じていた疑いがあり、かつ本件牽引より一年四か月前の昭和四〇年一月二二日に手術によって右腎を摘出されており、かつ本件牽引当時には、頸髄部での前脊髄動脈の硬化症が相当に亢進していて、血行状態が悪化していた蓋然性が大きいと認められるので、原告は本件牽引を受けなかったとすれば、将来八年ぐらい(五五才ごろまで)、従前どおり稼働できたものと推認することができる。

そして、右の期間中に、原告が得られた筈である純利益合計三三六万円を、ホフマン式年別計算により年五分の割合による中間利息を控除して昭和四一年六月一日当時に引き直すと金二七六万七、二一二円である。

五、原告の治療費等

≪証拠省略≫を総合すると、原告は昭和四一年五月二五日から翌昭和四二年九月一〇日ごろまでの間に、本件病症のため、今治市内の三木病院ほか四病院等、松山市にある松山精神病院、前記大阪市所在の大阪大学附属病院へ通って診察治療を受け、その治療費、交通費に合計二〇万円ぐらいを支払ったことが認められる。

六、慰謝料

原告が本件医療過誤の結果、持病が亢進悪化して前記病症を生じたため、精神的肉体的に多大の苦痛を被っているであろうことは容易に推認することができる。そして、前記認定のとおりの本件診察および牽引の具体的な内容に加えて、その反面、≪証拠省略≫によって、被告が原告を診察した当時において、既に生じていた病症からその原因を適確に診断することは必らずしも容易でなかったことが明らかであること、≪証拠省略≫により、原告は昭和四二年九月一一日以降においても、本件病症のため三重県所在の総合病院永井病院へ六日間入院し、かつ奈良県所在の同県立医科大学へ相当日数通院してそれぞれ診察、治療を受け、これに相当多額の費用を要したことが窺知できること、および同鑑定の結果により、原告には従前から頸椎骨軟骨症および頸髄部の前脊髄動脈硬化症の持病が進行していたもので、本件オルソトラックによる牽引を受けなかったとしても、同固疾の自然亢進の結果、早晩、本件病症と同類の病気が生じる可能性がなくもなかったと認められること、その他、≪証拠省略≫によって認められる双方の資産収入、生活状況等に、≪証拠省略≫により認められる、昭和四一年七月三日、被告から原告に対して本件病症の見舞金一〇万円が支払われたこと、その他、諸般の事情を総合勘案すると、本件医療過誤によって、被告が原告に支払うべき慰謝料は金七〇万円をもって相当であると認める。

七、以上の次第で、被告は原告に対し、以上の損害合計金三六六万七、二一二円および、これに対する同損害発生後である昭和四二年九月一一日以降、右完済に至るまで民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

よって、原告の本訴請求は右の限度内で理由があるから認容するが、その余の請求は失当として棄却することとし、更に、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 滝口功)

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