松山地方裁判所今治支部 昭和63年(ワ)30号 判決 1991年2月05日
原告
八木俊明
原告
八木益子
右両名訴訟代理人弁護士
冠木克彦
被告
鈴木孝
右訴訟代理人弁護士
土山幸三郎
主文
一 被告は、原告八木俊明に対し、金二〇四八万三九五四円及びこれに対する昭和六三年一月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告八木益子に対し、金二〇一五万八六〇四円及びこれに対する昭和六三年一月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告らのその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は、これを一〇分し、その九を被告の、その余を原告らの負担とする。
五 この判決は、第一、二項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告八木俊明(以下「原告俊明」という。)に対し、金二三二九万三二八三円及びこれに対する昭和六三年一月一五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
被告は、原告八木益子(以下「原告益子」という。)に対し、金二二九三万一七八二円及びこれに対する昭和六三年一月一五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、死亡した患者の両親が、医師に対して、診療契約の債務不履行ないし不法行為を理由に左記の損害の賠償を求めるものである。
① 逸失利益 二三四六万三五六五円
② 慰謝料 一八〇〇万円
③ 葬儀費(原告俊明) 三六万一五〇〇円
④ 弁護士費用(着手金各一五万円及び右①ないし③の各認容額の一割)四四〇万円
一争いのない事実
1 身分関係
原告両名は、訴外亡八木元樹(以下「元樹」という。)の実父母であり、被告は、住所地において鈴木病院を開業している医師である。
2 元樹は、昭和六三年一月七日、初めて被告の診察を受け、その後同月一一日、二度目の診察を受けた。
3 被告は、元樹に対し、同月一五日、バファリンの服用を指示した。
4 元樹は、同日午後六時ころ、救急車で被告病院に搬送され、被告から点滴、酸素吸入、人工呼吸等の治療を受けたが、午後一〇時三〇分ころ、治療が打ち切られ、死亡した。
二原告の主張
元樹は、被告に対して、以前アスピリンを飲んでいたことがあるとは告げておらず、ポンタールとピリン系の薬は禁忌である旨を告げた(被告作成のカルテ(<書証番号略>)の記載の一部は、改ざんされたものである。)。したがって、被告は、問診の結果、元樹がいわゆるアスピリン喘息患者であることがわかったのに、同人に対し、アスピリンが含まれる解熱鎮痛消炎剤であるバファリンを処方して服用を指示したもので、診療契約の債務不履行ないし不法行為に基づく責任がある。
三原告の主張に対する被告の反論
被告は、元樹から初診時に問診でアスピリンは可と聞いており、被告において元樹がアスピリン喘息患者でないと判断したことに何らの過失はなく、座薬を使用したことがない元樹に対して、他の薬剤アレルギーを考慮してバファリンを処方し、服用させたことは適切な処置で、何ら過失はない。
元樹の死因は、喘息重積によるもので、昭和六三年一月一五日、被告方に来院したときには既に手遅れの状態であり、バファリンの服用と元樹の死亡との間には相当因果関係はない。
四争点
1 元樹の死亡とバファリンの服用との間に相当因果関係があるか否か。
2 元樹が問診時、被告に対して、アスピリンは可と説明したか否か。
3 被告の責任の有無。元樹が被告に対し、アスピリンは可と説明したとしても、医師としてバファリン(アスピリン)の使用を控えるべきか否か。
4 損害額。
第三争点に対する判断
一元樹の死亡とバファリンの服用との間の因果関係
1 証拠(<略>)によると、次の事実が認められる。
(1) 元樹は、高校二年のときに風邪をこじらせて気管支喘息になり、そのころからポンタール、ピリン系の薬にアレルギーがあると医師から言われていた。また、右薬の他、ブルフェンや市販の風邪薬によっても呼吸困難となったことがあった。
(2) ところで、アスピリンとピリン系製剤とは異なる薬ではあるが、右薬やポンタール、ブルフェンなどは、酸性系の非ステロイド系抗炎症鎮痛剤であり、局所で痛み、炎症、発熱を起こす原因となるプロスタグランディンが出来るのを阻害抑制し、炎症と痛みを抑え、熱を下げるという同じ作用機序を持っている薬である。そして、アスピリン喘息とは、アスピリンで喘息になるものばかりではなく、何らかの非ステロイド系抗炎症剤でも喘息を誘発されることが分かってきたため、現在では、右薬で喘息を誘発されたことがある人のことを意味するようになった。
したがって、元樹は、いわゆるアスピリン喘息であったと言える。
(3) 元樹は、昭和六二年一二月二一日と二八日の二回にわたってサルタノールインヘラー五ミリリットルのもの合計四本を愛宕病院から送付を受けているが、同人が死亡した昭和六三年一月一五日までの期間を考慮すると標準的な使用量であった。また、サルタノールインヘラーそのものによって喘息重積が起こるとは考えにくく、後記(4)のバファリンの服用の経過からしてもサルタノールインヘラーの服用と元樹の発症との間に相当因果関係があるとは認められない。
(4) 元樹は、昭和六三年一月一五日、会社に出勤し、昼過ぎに帰宅した際には37.2度の熱があり、食事をし、昼から会社を休んだ。午後四時ころ、被告からレスプレン、メドロキシン、アストフィリン、イノリン、ビソルボンなどとバファリンを原告俊明が受け取って帰宅し、自宅でまずレスプレンなどの入った薬を一服飲み、しばらくしてから元樹自身が「しんどくてたまらんから、点滴を頼んでくれないか。」と訴え、ソファーに座り込んでしまい、熱が38.7度あったことから、バファリン(一錠中に三三〇ミリグラムのアスピリンが含まれている。)を一錠飲んだ。すると五分か一〇分して、元樹は「息が苦しい。体が固くなる。」と言いながら前屈みで体を固くした恰好でやって来て「救急車を呼んでくれ。」と言い、原告益子が午後六時前救急車を呼び、午後六時ころ、被告病院に搬送された。
被告病院では、すでに喘息重積状態であった。
(5) 薬の副作用を主に研究している浜医師は、元樹がレスプレンなどの薬を飲んで呼吸困難となり、その後バファリンを飲んでさらに全身倦怠になったもので、これのみからバファリンが原因であるとは断定できないが、レスプレンなどの薬を飲んだ時点ではさほど重症ではなかったという経過などを考慮すると、元樹が喘息重積の状態になったのは、バファリンが主な原因であると考えられると証言している。
2 以上の事実に慢性喘息患者の中で、アスピリン過敏症の頻度が二八パーセントであること(<書証番号略>)を総合すると、元樹が喘息重積の状態に陥ったのは、バファリンが原因であると認めるのが相当である。
二元樹の初診時の状況
証拠(<略>)によると、昭和六三年一月七日、被告医院を訪れた元樹は、被告に対し、以前ピリン系とブルフェン、ポンタールにより呼吸困難になったことがあるが、アスピリンは構わないと言われたことがあると説明したことが認められる。
原告らは、被告作成のカルテ(<書証番号略>)のうち、元樹が被告に対し、アスピリンは構わないと言われたことがあると説明したとされる部分は改ざんされたものであり、右記載と同趣旨の被告本人尋問の結果も信用できないと主張する。確かに、元樹は、今治に転勤する前、高知で受診した愛宕病院の西原医師に対しては、アスピリンは禁忌である旨告げていること(<証拠略>)、以前薬を服用して呼吸困難になった経験があり、医師に対してはポンタールとピリン系にアレルギーがあると説明するようにしており、昭和六三年一月七日、被告医院から帰宅後母親に対して、薬のことは被告に説明した旨述べていたこと(<証拠略>)が認められる。
しかし、右カルテの記載自体からは改ざんの跡は伺えず、愛宕病院のカルテでも当初(昭和六一年四月)には、アスピリン禁、ポンタール禁となっているのが、その後ピリン禁、ポンタール禁となったりしていて一定しておらず、元樹においてアスピリンとピリンとを混同して説明した可能性もあり(証人西原は、当初のカルテが出てこなかったので、その後新しいカルテを作成した際、記載間違いをしたとする。)、必ずしも元樹がアスピリンを禁忌として明確に記憶していたものと認定することはできず、被告に対する問診の際にもアスピリンとピリンとを混同し、また、勘違いしてアスピリンは使用したことがあると述べた可能性を否定することはできない。この点に関して被告の供述もあいまいな部分がないではないが、カルテの改ざんを認めることはできない。
三被告の責任
前記のとおり、被告は、元樹から初診時にピリン系とブルフェン、ポンタールが禁忌である旨告げられていたのであるから、医師として元樹がアスピリン喘息であることを疑い、たとえ以前アスピリンは構わないと言われたことがあるとの説明を受けたとしても、薬には素人である患者が専門的な用語で説明したのであり、「アスピリン」と「ピリン」は言葉の上でも紛らわしいのであるから、元樹の記憶、認識が正確なものであるか、さらにアスピリンの投与を受けた時の状況、薬剤の商品名、医師名などを詳しく問診して確認する診療契約上の義務があったのにこれを怠った責任があると認められる。
また、被告は、昭和六三年一月一五日に直接元樹を診察せず(<証拠略>)、たんに看護婦から間接的に容体を聞いたのみでバファリンを熱が37.5度の時一錠、三八度の時二錠服用するように看護婦を介して指示して投与したもので(<証拠略>)、バファリン(アスピリン)は、アスピリン喘息または既往症のある患者について禁忌であり、気管支喘息患者には慎重投与となっていたのであるから(<証拠略>)、解熱の必要性も含め(三九度以上の熱がなければ解熱の必要はない(<証拠略>)。)、直接診察や問診をするなどして再度安全性を確認し(看護婦を介した電話での指示もあいまいである(<証拠略>)。)、可能な限りバファリンの投与を避け、水分を多く取らせ、氷で冷やしたり、やむをえず解熱剤を使用する場合にも副作用の少ない薬(パラセタモール、ペナセチンなど。<証拠略>)を投与するようにすべき義務があったと言わねばならない。
四損害額
1 逸失利益 二三四六万三五六五円
元樹は、本件当時満二七歳(昭和三五年六月四日生)で、四国日本信販株式会社に勤務し(争いがない)、独身で(<証拠略>)、昭和六二年には二一六万八二三七円の給与所得があった(<証拠略>)。
元樹は、本件により死亡しなければ、今後四〇年間稼働することができ、その間右給与所得を下らない年収を得ることができ、全期間につき生活費として収入の五〇パーセントを必要としたもので、ホフマン方式により中間利息を控除する(ホフマン係数は21.643)のが相当であるから、これらを基礎として得べかりし利益を計算すると二三四六万三五六五円となる(円未満切捨て。以下同じ。)。
(計算式)
2,168,237×(1−0.5)=1,084,118
1,084,118×21.643=23,463,565
2 慰謝料 一八〇〇万円
元樹の死亡に至る経過、同人の年令、経歴等(元樹は、昭和五七年三月、大学を卒業後就職して高知で勤務した後、今治に転勤し、付き合っていた女性もいた(<証拠略>)。)本件に現れた一切の事情を考慮すると、同人の慰謝料は一八〇〇万円が相当である。
3 葬儀費 原告八木俊明につき三六万一五〇〇円
元樹の葬儀のために原告俊明は、その費用三六万一五〇〇円を出捐したが(<証拠略>)、本件に現れた諸事情によれば、右金額が本件と相当因果関係のある相当な葬儀費用と認められる。
五過失相殺
前記のとおり、元樹は、初診時被告に対し、以前ピリン系とブルフェン、ポンタールにより呼吸困難になったことがあるが、アスピリンは構わないと言われたことがあると説明しており、その際、ブルフェン、ポンタール等専門的な名称も使用していたことも考慮すると、元樹側の被った損害から一〇パーセントを減額するのが相当である。
六相続
原告らは、元樹の前記四1、2の損害を各二分の一の割合により相続したから、その額は、それぞれ一八六五万八六〇四円となる。
七弁護士費用 原告らそれぞれ一五〇万円
本件と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害は、原告らそれぞれにつき一五〇万円と認めるのが相当である。
(裁判官小野木等)