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松山地方裁判所八幡浜支部 昭和49年(ワ)23号 判決 1978年4月28日

原告

若松静夫

被告

港湾商事株式会社

主文

被告は原告に対し、金六四二万七、九〇三円と、これに対する昭和四九年一〇月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の、その余を被告の、各負担とする。

この判決は、主文第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し、金一、四〇〇万円と、これに対する昭和四九年一〇月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え

2  訴訟費用は被告の負担とする

との判決および右第一項に対する仮執行宣言。

二  被告

1  原告の請求を棄却する

2  訴訟費用は原告の負担とする

との判決。

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  事故の発生

原告は、昭和四七年三月一三日午後一〇時一五分ころ愛媛県八幡浜市白浜通り一五三六―一〇五番地先道路を歩行中、後方から走行してきた取下前相被告小野克孝(以下単に「小野」という)運転の大型貨物自動車(愛媛一一や四五三、以下「加害車」という)に衝突されたものである(以下「本件事故」という)。

2  傷害、治療経過、後遺症

原告は、本件事故により、右第六ないし第一一肋骨々折、左第二腰椎横突起骨折、左腓骨々折、右拇指骨折、頸部捻挫、頭部外傷、顔面挫創、右外傷性滲出性胸膜炎、外傷性左足関節炎、右肋膜肥厚、右無気肺などの傷害を蒙つたために、本件事故当日から昭和四七年六月二〇日まで同県同市一五三六番地所在宇都宮病院において入院加療を受けたあと、同日大分県別府市北的ケ浜町五番一九号所在富士見病院に転院し、昭和五〇年一二月三一日現在においても同病院に入院中であつた。

なお原告には、平衡機能不全、肺機能不全などの後遺症が残り、自動車損害賠償保障法施行令別表に定める後遺障害等級六級に該当するものと認定された。

3  責任原因

(一)(1) 被告は、砕石、砂利採取および販売、貨物の荷役、清掃に関する事業、その他右に附帯する一切の事業を目的とする株式会社であるが、小野は昭和四五年二月ころから自己所有の加害車(ダンプカー)で被告の砂利、アスフアルト合材などの運搬などの業務に従事していたものであるところ、右業務は次のような方法によつていた。

小野は、前日、被告会社の事務所に設置されている黒板によつて翌日の仕事の指示を受けて、翌朝前日の指示どおり、加害車を運転して、自宅から直接、被告の買受けた砕石、砂利などの採取現場へ赴き、砕石などを積み込んで被告指定の場所まで運搬するなどの業務に従事したあと、その日の仕事について運転日報を作成して、被告会社の事務所にある所定の箱の中へ入れて輸送完了を報告しておき、賃金は運搬量に応じて毎月一定日締切、翌月一定日払の方法で受領していた。そして、右の業務の執行方法は賃金の支払方法の点を除き、概ね被告の従業員である運転手と同様であつた。

(2) 小野は、被告以外の仕事はせず、専属的に被告の業務に従事していたもので、休暇をとる場合には、その都度被告の許可を得ていた。

(3) 小野は、加害車の修理や、ガソリンの購入を被告名義でやることもあり、その場合には一旦被告がその代金を立替払しておき、小野の賃金から差し引くという処理をしていたもので、また被告が自動車損害賠償責任保険の保険料を立替払したこともあつたものである。

(4) 被告が、他から運転手付自動車の借入れの申込みを受けた場合、小野は、被告会社の指示により、借入れ申込み先へ出向いて仕事をすることもあつたが、その場合の運賃額などの契約はすべて被告と注文先との間でなされ、小野は、右運賃から一〇%の斡旋料を差引いた金員を他の業務についての賃金と一緒に被告から一括支払を受けていたものである。

(5) 小野は、道路運送法四条所定の運輸大臣の免許を受けていないものであるから独立の運送業者と考えることはできない。

(二) 以上の諸事情を総合すると、小野は、実質的には被告の従業員と何ら異なるところはないものと考えられるから、被告は、小野が持ち込んでいた加害車に対する運行支配とこれを使用することによる利益を保持していたものであり、自動車損害賠償保障法三条による運行供用者として、原告の後記損害を賠償すべき義務がある。

なお、運行供用者は、運転者の私用運転の場合の事故についても責任を負うべきものと思料するが、本件事故は、小野が、被告より翌日の仕事の指示を受け、翌朝早くその業務に就くために修理業者から加害車を受け取り、自宅へ持ち帰る途中に惹起されたもので、単なる私用運転中のものとは言えず、業務の準備行為中の事故と考えるべきものであるから、右の点は被告の責任に消長をきたさない。

4  原告の損害

(一) 入院中の付添看護費 金一二万円

前記宇都宮病院入院中(一〇〇日間)、原告の病状が重くて付添を要し、原告の妻若松ハルミ、子若松邦俊らが付添看護にあたつたのでその間一日当り金一、二〇〇円として算定した。

(二) 入院中の雑費 金四八万六、五〇〇円

右宇都宮病院および前記富士見病院(昭和四七年六月二〇日から昭和五〇年一二月三一日まで一、二九〇日間)に入院中に要した入院雑費を、一日当り平均金三五〇円として算定した。

(三) 逸失利益 金一、二七三万八、七〇〇円

(1) 入院期間中の休業損害

原告は、本件事故当時、鮮魚の行商をしていたもので、収入は、一か月金一五万円くらいはあつたものであると思われるが、収入は必ずしも一定せず、明確ではないので、控え目にみて一か月金一三万円とし、必要経費を一〇パーセントとして右金額から控除すると、純益は一か月金一一七、〇〇〇円となる。そこで右金額を基礎とし、右両病院への入院期間を四五が月として算定すると、原告の逸失利益は金五二六万五、〇〇〇円となる。

(2) 後遺症による逸失利益

原告の前記後遺症は、自動車損害賠償保障法施行令別表に定める後遺障害等級六級に該当するものであるから、それによる労働能力喪失割合は、労働基準監督局長通牒(昭和三二年基発第五五一号)によると六七パーセントである。そこで右後遺症が原告の稼働収入に影響を及ぼす継続期間を昭和五一年一月一日から昭和六〇年一二月三一日までの一〇年間とし、原告の前記収入額を基礎として、ホフマン式計算法により中間利息を控除し、本件事故当時の一時払額に換算すると、原告の労働能力の一部喪失による逸失利益は金七四七万三、七〇〇円となる。

(117,000×12×0.67×7.945)

(四) 慰藉料 金八五〇万円

入院生活中の精神的苦痛に対する金四五〇万円と、後遺症によるもの金四〇〇万円の合計額である。

(五) 損害の填補

原告は、自動車損害賠償責任保険金二八八万円を受領したので、損害賠償請求権の残額は合計金一、八九六万五、二〇〇円となる。

5  よつて原告は被告に対し、右損害賠償残請求権のうち金一、四〇〇万円と、これに対する本件事故発生の後である昭和四九年一〇月八日から支払ずみまで民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の答弁

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は不知。

なお、原告が、本件事故によつて傷害を蒙り、治療を要したものであるとしても、治療を必要とした期間は事故後二年間であり、昭和四九年三月一三日ころには症状が固定したものと考えるのが相当である。

3  同3の(一)の(1)のうち、被告の営業内容に関する事実は否認するが、その余の事実は認める。同(2)、(3)、(4)の各事実、および同(5)のうち、小野は独立の運送業者ではないとの主張はいずれも否認し、同(二)の事実および主張はすべて争う。

4  同4のうち、原告が鮮魚の行商をしていたこと、原告主張の収入額をいずれも否認し、その余の事実は不知。

原告には勤労意欲が乏しく、本件事故当時、定職、定収入はなかつたもので、時々実母や妻らの経営している鮮魚行商や青果商を手伝う程度であつたものであるから、平均賃金の五分の一に当る収益さえ得ていたものか疑問である。

(被告の主張)

(1) 被告は、本件事故当時、砕石、砂利とその販売、それに関連する運搬およびアスフアルト舗装工事を営んでいたもので、小野は加害車を持ち込んで被告の砂利などの運搬業務に従事していたものであるが、以下に述べるとおり、被告は、本件事故について運行供用者としての責任を負わないものである。

小野は、独立の運送業者として自己所有の加害車で、被告の下請けをなしていたもので(被告の給与台帳、従業員名簿に小野の名は見当らず、小野の名で各種社会保険に加入したこともない)、専属で稼働する旨の契約もなかつたものであり、仕事の性質上、業務の方法こそ被告の従業員と同一であつたが、被告の指揮監督は従業員に比し著しくゆるやかで、自由であつた。また被告は、加害車の購入についても一切関与しておらず、その占有保管はすべて小野がなしており、自動車損害賠償責任保険も小野名義で加入し、その保険料、加害車の修理代、ガソリン代などの必要経費も小野が支払つていたし、その車体には「小野興業」と表示してあつて被告会社名の表示はないものである。

以上の諸事情を総合すると、小野を被告の従業員と同一視することはできず、被告は、加害車に対する運行支配を保持していたものと言うことはできない。仮に運行支配をしていたものとしても、被告は業務の執行を介してのみ加害車に対して支配を及ぼすことができたものであると考えるべきであるから、本件のように、小野が休日に飲酒して帰宅中に加害車を運転していて起こした事故についてまで被告が運行供用者としての責任を負うべきものということはできない。

(2) 原告の傷害、後遺症が、原告主張のとおりであるとしても、それらは本件事故とは無関係な次のような事象の影響により、通常の場合よりも治癒までの期間が遷延し、症状が悪化したものである。

(イ) 本件事故は、原告がそれ以前に遭遇した交通事故による傷害が治癒して間もなくであつたから、右事情が心身両面から本件事故による傷害に悪影響を及ぼしたものである。

(ロ) 原告は五〇歳前後という身体的変調を生じやすい年齢であり、本件事故前から多数の成人病を有していたものである。

(ハ) 原告の生活態度、治療態度は極めて安易で、不真面目であり、原告は、社会復帰の意欲に欠けているものである。

以上の諸事情に原告の本件事故による傷害はもつと早期に治癒するはずであつたことを窺わせる事情があること、原告の後遺症は、原告主張のとおり、自動車損害賠償保障法施行令別表に定める後遺障害等級六級に該当するものと思料するが、それは主にいわゆる鞭打症などと同様、神経系統の障害であるから、特に右のような諸事情の影響が強いものであることなどを合わせて考えると、本件事故により現実に発生した損害のうち、被告が負担すべき相当性の範囲内にある損害は、傷害に関連する損害につき三分の二、後遺症に関連するものにつきその三分の一と考えるのが相当である。

(3) 仮に被告に運行供用者責任が認められるとしても、雇用契約が存在するなどの事情が認められる通常の場合とは異なり、小野と被告との間に特殊事情が存在することにより被告が原告に対して損害賠償責任を負うというものであるにすぎないから、損害の公平な負担という見地からして、被告の負担すべき損害賠償額は極力減額されるべきものであると思料する。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  事故の発生

請求原因1記載のとおりであることは当事者間に争いがない。

二  被告の運行供用者責任について

1  請求原因3の(一)の(1)のうち被告の営業目的に関する事実を除くその余の事実は当事者間に争いがなく、被告は、同(5)のうち小野が営業免許を有しない事実を明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

2  右各事実に加えて、被告作成部分についてはいずれもその成立につき当事者間に争いがなく、小野作成部分については証人小野克孝の証言(第一回)によりいずれも真正に成立したものと認められる甲第一〇号証の一ないし一〇、いずれも成立に争いのない同第一一号証、乙第五号証、証人新地重昭の証言(第一回)により真正に成立したものと認められる乙第四号証、証人小野克孝(第一、二回)、同宮内昭人、同二宮正男、同新地重昭(第一、二回)の各証言および弁論の全趣旨によると、被告は、砂利、砕石などの販売、運搬、アスフアルト舗装工事、他会社へ運転手付で貨物自動車を貸し付けることなどを業務の内容としていたもので、本件事故当時、自己所有の貨物自動車二〇両くらいのほか(そのうち相当数の車両については、一応被告が売買代金を支払つてその所有とするが、専属的にその自動車の運転にあたる従業員が、給料から分割して右代金を被告に支払つた場合には、その所有権が右運転手に移転されることになつているものである。)小野と同様に貨物自動車を持ち込んで稼働する者四名くらいを使用して業務を遂行していたこと、車両持込みで稼働する者が、そのまま被告と正式に雇用契約を結び、形式的にも従業員となる例もあつたこと、小野は、右1のとおり営業免許を持つておらず(この点は被告も承知していたものである)、また事務所、車庫等の施設も有しないで、加害車一台のみを所有使用して自ら運転に当たり日曜を除き概ね毎日、朝から夕方まで(もつとも時々、休暇をとつたり、指示された仕事が完了することはあつたものと思われるが、正式の雇用契約こそなかつたものの、信義的な拘束もあり、自由に仕事を休むということは事実上できず、その場合には予め被告に連絡するのが建前であつた。)、請求原因3の(一)の(1)(4)のとおり、被告の業務に従事していたもので、運転日報の用紙は被告より毎月一冊ずつまとめて渡されていたものであること、右業務内容方法は、小野と同一の職種に従事している被告の従業員と同様であり、仕事の割当については、従業員も、車両持込みの者をも一緒にして平等に車両番号で指示し、それにつき予め車両持込みの者の意思を確認することは少なく、小野はほとんど被告の指示どおりに仕事をしていたものであること、輸送代金は、請求原因3の(一)の(1)のとおり、輸送量に応じて毎月一定日に一括して支払われていたが、その額は、積荷の重量、輸送距離などによつておおよそ定まつており、事実上、被告がその支払方法などをも含めて一方的に決定していたものであること、小野は被告との間で専属契約を結んでいたわけではないが、本件事故当時まで約二年間、一、二度、自己の親族の仕事を手伝つた以外には、被告以外の仕事をしたことはなかつたこと、小野は被告名義で加害車に使用したガソリンを購入したり、それを修理に出すこともあり、その場合には一旦被告がその代金を立替払し、その後輸送代金から差し引く方法で清算されていたものであることがいずれも認められ、証人新地重昭の証言(第一、二回)のうち、右認定に反する部分は証人小野克孝の証言(第一、二回)に照らしたやすく措信できず、他に右認定を覆すに足る的確な証拠はない。

3  右1、2認定の各事実、とりわけ小野は、運送業者としての独立性に乏しく、積荷の数量、輸送区間などや、輸送代金、支払方法などのすべてについて被告の指示、決定に従つて、被告の従業員と同様に砂利などの輸送にあたり、本件事故時まで約二年間に亘り、被告の業務のみに従事してきたものであることなどの諸事情を総合すると、小野は被告の従業員類似の存在であつて、両者の間にはきわめて密接な結びつきが存在するものであり、被告は業務の遂行の面では、小野を自己の従業員とほとんど同様に利用し、支配していたものと考えても差し支えないものと思われるから、被告は加害車の運行について実質上支配力を有し、その運行による利益を享受していたもので、自己のために加害車を運行の用に供する者に当たると解するのが相当である。

ところで、成立に争いのない甲第二号証、証人小野克孝(第一回)、同宮内昭人の各証言によると、本件事故は、小野が、加害車を修理に出して仕事を休んだ日に、知人宅で飲酒したあと、いつものように翌朝早く、自宅から直接被告に指示された仕事現場へ赴くために、修理業者から加害車を引き取り、それまで運転していた普通乗用自動車から乗り換えて、自宅へ持ち帰る途中、請求原因1記載の日時場所で惹起されたものであることが認められ、右認定を左右するに足る的確な証拠はないが、前記認定の被告と小野との密接な関係、平素の加害車の運行状況などに照らして考えると、本件事故当時の加害車の運行は、客観的外形的には、なお被告のためにする運行と認めるのが相当である。

なお、前掲各証言によると、被告主張のとおり、小野には給料の最低保障も、賞与もなく、被告は小野の雇主として社会保険に加入していないなど、小野は身分上、被告の従業員と異なつた扱いを受けており、また小野は、自動車損害賠償責任保険も自己名義で加入し、加害車を概ね毎日自宅に持ち帰つて保管し、その車体には被告会社名ではなく、「小野興業」との表示がなされており、被告は加害車の購入について特に経済的な援助をするなどの関与はしていないことなどが認められるけれども、右認定の諸事情は、未だ、前記運行供用者責任についての判断を左右するに足る決定的な徴憑となるものとは言い難い。

してみると、被告は加害車の運行供用者として、本件事故による原告の損害について賠償義務を負つたものといわなければならない。

三  原告の傷害、治療経過

証人若松邦俊の証言によりいずれも真正に成立したものと認められる甲第一二、一三号証、証人内田孝の証言によりいずれも真正に成立したものと認められる同第一五、一六、一九号証、原本の存在について当事者間に争いがなく、右証言によりそれが真正に成立したものと認められる同第一八号証、原本の存在とその成立について争いのない同第二〇号証、いずれも成立に争いのない乙第七ないし第一二号証、証人若松邦俊、同内田孝の各証言、原告本人尋問の結果(第一、二回)によると、請求原因2の事実が認められ、更に原告は、本件事故後、全身状態が重篤で、数週間生命に危険な状態が続いていたこと、原告は、昭和四七年一二月三一日前記富士見病院を一旦退院したものの、昭和四八年一月二四日に再入院し、昭和五二年七月八日現在でも未だ右富士見病院に入院中であるが、同病院医師内田孝によつて、本件事故に起因する請求原因2記載の傷害は昭和四九年八月二〇日に治癒したとの診断がなされており、しかも昭和四九年五月ころからは投薬の効果がなくなつてきたので機能訓練が主であつたこと、原告は本件事故前から糖尿病、背椎辷り症、硬化性心臓病など種々の内科的疾患を有していたものであるが、右傷害治療に引き続いて、それらの疾病の治療も受けているものであること、原告には、他覚症状としても、頸椎変形、右拇指・左足関節・頸椎・胸腰椎の運動制限など本件事故による傷害に起因する種々の後遺症が残つているが、主なものは平衡機能不全と肺機能不全であること、そのうち平衡機能不全は本件事故による頭部外傷に起因するものであるが、そのために原告は真直ぐ歩行することができず、酒に酔つているような歩き方になり、混雑しているところや、階段の昇降にはきわめて危険を伴う状態であつて、右症状は種々の検査の結果によつても他覚的に認められるものであり、また肺機能不全は、肋骨を取り除いたことと、滲出性胸膜炎などに起因して無気肺、肋膜肥厚などの器質的損傷を生じた結果であつて、息切れがしやすく、長く歩行することもできないほどの症状であること、右内田医師によつて、右各後遺症のうち、平衡機能不全および肺機能不全はいずれも自動車損害賠償保障法施行令別表に定める後遺障害等級七級に該当し、「神経系統または胸腹部の機能に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に当たり、足関節運動機能障害は右等級一二級に、背椎の運動障害は右等級一四級に各該当する旨診断され、また自動車損害賠償責任保険に関する査定では、平衡機能障害は右等級七級に、肺機能の悪化は右等級一一級に各該当するから、それらを併合して原告の後遺症は右等級六級に相当する旨判定されたことがいずれも認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

四  原告の損害について

1  入院中の付添看護費

証人若松邦俊の証言により真正に成立したものと認められる甲第一四号証、および右証言によると、原告は、原告主張のとおり、宇都宮病院に入院中(一〇〇日間)、付添看護を必要としたので、同人の妻ハルミらが付添つたことが認められるところ、その費用は、原告主張のとおり、入院一日につき金一、二〇〇円をもつて相当とするから、原告は右入院期間中に金一二万円の損害を蒙つたものということができる。

2  入院中の雑費

(一)  右三認定のとおり、原告は、昭和四七年一二月三一日に一旦退院したが、昭和四八年一月二四日に再入院し、原告主張のとおり、昭和五〇年一二月三一日にも富士見病院に入院中であつたものであるけれども、右三認定のとおり、同病院医師内田孝によつて本件事故に起因する傷害は昭和四九年八月二〇日に治癒したものと診断されたこと、証人内田孝の証言中には、本件事故に起因する傷害についてもつと早く治癒と診断してもよかつた旨の証言があること、前掲乙第八号証によると、国立別府病院の医師は、すでに昭和四七年一二月二五日に、肺機能障害について、「今後、少々の軽作業により社会復帰のトレーニング」をすることを勧めているほどであることが認められること、前掲乙第一一号証によると、原告は昭和四九年一二月末に帰省してから当分の間帰院しなかつたために、富士見病院によつて一旦退院手続を求められたこともあること(結局、昭和五〇年一月二九日に再入院した)が認められること、前記三認定の昭和四九年五月ころからの治療状況などに照らして考えると、本件事故と相当因果関係の認められる入院期間は、長くみても昭和四九年一二月三一日までであると推認するのが相当である。(証人内田孝の証言によると、右内田医師は、以前から原告に対して作業訓練士のいる病院へ移つて、坐作業などに従事する方が治療効果があがる旨原告に勧告していたが、原告が応じなかつたものであることが認められるところ、原告が右勧告に従つて早期により適切な治療を受けなかつたことが、入院期間を幾分長引かせたのではないかとの疑問の余地があることをも考え合わせる必要がある。)

なお証人内田孝の証言中には、理学療法は「通院でもやれないことはないと思います」との証言があるけれども、右三認定のとおり、原告の傷害、後遺症は相当重いものであること、右証言中には、原告の場合、治療をしても効果はないが、それをやめると症状が悪化する状態である旨の証言があることなどに照らして考えると、右のとおり「治癒」と診断された後の機能訓練ないし社会復帰の準備などのための入院を直ちに相当性がないものということはできず、その後も右認定の程度の期間の入院は必要であつたものといわなければならない。

(二)  以上のとおりであるから、本件事故と因果関係の認められる入院期間は、本件事故当日から昭和四九年一二月三一日まで(ただし、昭和四八年一月一日から同年同月二三日までの退院期間を除く)の一〇〇日間であるところ、原告が右入院期間中に要した雑費の金額を具体的に認めるに足る証拠はないけれども入院中通常の生活費以上の諸雑費の支払を余儀なくされることは経験則上明らかであり、右三認定の原告の症状などからすると、その金額は、平均して入院一日につき原告主張の金三五〇円を下らないものと考えるのが相当であるから、原告は、右入院期間中に金三五万〇、三五〇円の入院雑費を要したものということができる。

3  逸失利益

(一)  前記三および四の2の(一)認定の各事実を総合すると、原告の本件事故による傷害の諸症状は、遅くとも前記三認定のとおり、「治癒」と診断された昭和四九年八月二〇日には固定したものと認めるのが相当であり、右症状固定以後は後遺症として評価されるべきものであるが、前記四の2認定のとおり、昭和四九年一二月三一日までの入院を相当性がないものとすることはできないものであるから、原告は、逸失利益として、本件事故当日から昭和四九年一二月三一日までの間の全休業損害と、昭和五〇年一月一日以後の労働能力一部喪失による減収分相当の損害を請求できるものと考えられるところ、右三認定の事実に照らすと、原告の後遺症は、症状が固定したものと考えるべき昭和四九年八月二〇日当時と昭和五〇年一月一日当時の症状には大差がなく、自動車損害賠償保障法施行令別表に定める後遺障害等級六級に該当するとの原告、被告双方の主張を是認でき、右等級に該当する者の労働能力喪失割合は、労働基準監督局長通牒(昭和三二年基発第五五一号)によると六七パーセントとされているが、右三認定の事実および後記認定の原告の年齢、職種(前記三認定の事実によると、原告は転職を余儀なくされるものと推測できる)などの諸事情を総合すると、右後遺症が、原告の稼働収入に影響を及ぼす継続期間は、昭和五〇年一月一日から原告主張の昭和六〇年一二月三一日までの一一年間を下るものとは考えられず、後遺症の影響喪失時までの間の稼働収入の減少率の平均は、原告ら主張の右労働能力喪失割合と同率であるとするのが相当である。

(二)  前掲乙第七号証、証人内田孝、同若松マサの各証言、原告本人尋問(第一、二回)の結果によると、原告は、大正一四年九月二〇日生の男子で、尋常高等小学校を卒業後、主に妻子とともに青果商を営んできたものであるが、昭和四六年二月にも自動車の横転事故に遭つて背椎圧迫骨折、頭部外傷、右腰部、右肩打撲などの傷害を負い、同年二月一三日に前記富士見病院に入院し、右外傷は二ないし三か月で完治したので、それに引続き硬化性心臓病、脳動脈硬化症、糖尿病などの内科的疾患の治療も受けたあと、同年一一月ころ退院したものであること、原告は、右のとおり退院した後は、暫らく休養したあと、それまでの青果商をやめ、実母の営んでいた鮮魚行商を引き継ぐつもりで、得意先を教えてもらうために何回か実母と一緒に行商に回つているうちに本件事故に遭うに至つたものであること、原告が右のとおり入院してからは、原告の妻が青果商を継続していたが、借りていた店舗の返還を求められたことなどから現在は廃業し、同女は、運輸会社の炊事係として勤務していることがいずれも認められ、原告本人尋問の結果のうち、原告は、本件事故当時、独立して鮮魚行商を営んでいた旨の供述は、証人若松マサの証言に照らしてたやすく措信できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

右認定事実によると、原告は、本件事故当時さしたる収入はなかつたものであることが推測でき、将来における鮮魚行商による収益額を認定するに十分な証拠もないが(証人若松マサの証言のうちには、同人の鮮魚行商による収益は月一四万ないし一五万円くらいである旨の証言があるけれども、右証言のみで原告の将来における収益を予測するに十分であるとは言い難い)、右認定事実に照らして考えると、収入額の立証がないものとして原告の逸失利益を認めないのも妥当ではないので、一応、労働省の賃金構造基本統計調査報告中の平均賃金を参考にして算定せざるを得ないが、右認定のとおり、本件事故当時、原告にはさしたる収入がなかつたことに、右認定のとおり、原告は、鮮魚行商を初めたばかりであつたから、確実に将来の目途がついていたものと言えるだけの状況ではなかつたし、また当分の間、実母の手伝いの域を出ず、さほどの収益をあげることはできなかつたものと推測できること、右認定の昭和四六年度中の原告の治療状況に関する事実および前記三認定の事実に照らすと、原告は、本件事故前後を通して種々の内科的疾患を有しているもので、しかも昭和四六年度と昭和五〇年度以後における右富士見病院での原告の治療状況、入院期間などからすると右疾病は決して軽度のものであるとは思えないこと、原告本人尋問の結果(第一、二回)によると、原告は右富士見病院で治療を受け始める以前からそれ以外の病院でも右内科的疾患について入通院治療を受けていたものであることが認められること、右事実と、前記認定の原告の妻の稼働状況、青果商の経営形態などに照らして考えると、将来、鮮魚行商につき妻子の協力がかなりの比重を占めることになつたであろうということが十分予測できること、(従つて、現実の収益額から妻子の寄与分を控除したものが、原告個人の労務価値部分であるということになる)、前記三認定のとおり、原告は、昭和五〇年一月一日以後も主に右内科的疾患の治療のため長期に亘り入院を続け、現実に稼働していないものであること、鮮魚行商という職業の性質、右認定の原告の年齢などの諸事情を合わせて考えると、原告の逸失利益算定の基礎とする収益額は右平均賃金の三分の一程度とするのが相当であると考える(原告の主張する鮮魚行商による純収入は月額金一一万七、〇〇〇円であるにすぎないことをも考え合わせる必要がある。)。

(三)  そこで労働省の賃金構造基本統計調査報告中企業規模計、全産業常用男子小学・新制中学卒労働者の平均賃金額(以下「平均賃金額」という)の三分の一を原告の収益額としてその逸失利益額を算定する。

(1) 昭和四七年度の平均賃金額は、年額金一四八万三、七〇〇円(月額金一二万三、六四二円、円未満四捨五入、以下同様)であるから、原告が本件事故の翌日である昭和四七年三月一四日から同年一二月三一日までに得べき収入は金三九万一、五三三円となり(123,642×1/3×9.5)ホフマン式年毎計算法により中間利息を控除して(ほぼ一年間として算定する)本件事故当時の一時払額に換算すると、金三七万二、八五七円となる(391,533×0.9523)

(2) 昭和四八年度の平均賃金額は、年額金一八二万〇、五〇〇円であるから、原告の昭和四八年一月一日から同年一二月三一日までの間の収入はその三分の一に当たる金六〇万六、八三三円となり、右(1)と同様に本件事故当時の一時払額に換算すると、金五五万一、六七二円となる{606,833×(1.8614-0.9523)}

(3) 昭和四九年度の平均賃金額は、年額金二一八万八、九〇〇円であるから、原告の昭和四九年一月一日から同年一二月三一日までの間の収入はその三分の一にあたる金七二万九、六三三円となり、右(1)と同様に本件事故当時の一時払額に換算すると、金六三万四、四八九円となる{729,633×(2.7310-1.8614)}

(4) 昭和五〇年度の平均賃金額は、年額金二四九万五、〇〇〇円であるから、原告の昭和五〇年一月一日から昭和六〇年一二月三一日までの各一年間の収入額は、その三分の一にあたる金八三万一、六六七円で、労働能力の一部喪失による減収分は年額金五五万七、二一七円となるので(831,667×67/100)、右の一一年間の減収分は金一二万九、三八七円となり、右(1)と同様に本件事故当時の一時払額に換算すると、金四二七万八、五三五円となる{557,217×(10.4094-2.7310)}

(5) 従つて原告の逸失利益額は、右(1)ないし(4)の金員の合計金五八三万七、五五三円となる。

4  慰藉料

前記認定の原告の傷害の部位、程度、後遺症の内容、程度、治療の経過に、前記認定のとおり、本件事故と因果関係の認められるのは原告の全入院期間の一部にすぎず、また原告は本件事故前から健康体ではなかつたこと、前記認定の本件事故当時における原告の生活状況など本件口頭弁論に顕われた諸般の事情を合わせて考えると、原告が蒙つた精神的苦痛を償うべき慰藉料としては金三〇〇万円が相当であると考える。

5  なお前記認定のとおり、原告は、昭和四六年二月にも自動車事故で背椎圧迫骨折、打撲傷などの傷害を蒙つて入院していたことがあり、また本件事故以前から種々の内科的疾患を有していたものであること、前記認定のとおり、原告は、担当医師の適切な助言に従わないで漫然と前記富士見病院に入院し続けていたこと、前記三、四の2の(一)認定の事実に、証人内田孝の証言を総合すると、原告には社会復帰の意欲が幾分不足しているものと推測できないわけではないことなど、損害の拡大に寄与したのではないかとの疑問を懐かせる余地のある原告の責任領域内に属する事象のあることは被告主張のとおりであるけれども、前記三認定のとおり、原告の本件事故による傷害および主な後遺症は、それ自体顕著な労働能力の低下をきたすものであり、右のような諸事情がなくとも原告に甚大な損害を蒙らせるものと容易に推測できるほど重大なもので、しかも、器質的損傷を伴うものが多く、平衡機能不全についても、種々の検査の結果によつて他覚的に認められるものであること、前記四の3の(二)認定のとおり、昭和四六年二月の事故による傷害は本件事故前に完治していたものであり、証人内田孝の証言によると、それによる後遺症としても他覚症状はなかつたものであることが認められることなどの諸事情に照らして考えると、被告に前記認定の限度で原告の蒙つた全損害の賠償義務を負担させてもさほど損害負担の公平の原則に悖るものということはできず、また運行供用者責任を負う被告と小野の間には不真正連帯債務関係が成立し、各自原告に対して生じた損害の全部を賠償すべき義務を負うものであり、被告は小野に対する求償権の行使によつて同人との間で損害負担の公平をはかるべきものであるから、被告の運行供用者責任は、運行供用者と運転者の間に雇用契約が存在するなどの事情がある通常の場合とは異なるから原告に対して被告の負担すべき損害賠償額が減額されるべきであるとの被告の主張は採用できない。

6  損害の填補

前掲甲第二〇号証、および弁論の全趣旨によると、原告は、自動車損害賠償責任保険金二八八万円を受領したことが認められるので、原告が取得した右1ないし4の損害賠償請求権の合計額金九三〇万七、九〇三円から右保険金額を控除すると、原告の請求権の残額は金六四二万七、九〇三円となる。

結論

以上のとおりで、原告の本訴請求は、前記四の6の損害賠償請求権の残額である金六四二万七、九〇三円およびこれに対する本件事故発生の後である昭和四九年一〇月八日から支払ずみまで民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度においては理由があるからこれを認容し、右の限度を超える部分は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 楠井勝也)

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