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松山地方裁判所宇和島支部 平成10年(ワ)69号 判決 2001年9月10日

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  主位的

・ 別紙物件目録1及び2記載の各不動産が原告の所有であることを確認する。

・ 被告らは別紙賃貸借目録・ないし・記載の各賃借人らに対し,同目録記載の賃料の支払請求をしてはならない。

・ 被告らは原告に対し,連帯して1200万円を支払え。

2  予備的

原告が別紙物件目録1及び2記載の各不動産についての管理,処分の権限を有することを確認する。

第2請求の原因

(主位的)

1  原告(以下適宜「A部落」あるいは「部落」という。)

・ 歴史

愛媛県南宇和郡a町A部落の成立は古く,江戸時代初期あるいはそれ以前に遡るとも語り伝えられ,現在部落の地域的範囲は別紙1(a町A地区地籍図集成図)記載のとおりである。

・ 構成員

ア A部落はその成立以来の慣習として,部落内に世帯を持つ世帯主によって構成されており,その世帯が部落を出ときは,それと同時に部落構成員たる資格を失い,他方,他部落から移り住もうと,分家によろうと,部落内に世帯を持てば,その世帯主は当然に部落構成員たる資格を取得することとなっている。

イ A部落の世帯数は現在110世帯であり,この世帯主各1名合計110名の部落員によりA部落が構成されている。

・ 人格

A部落に法人格はないが,実在的総合人として存在する,いわゆる権利能力なき社団である。

・ 組織

A部落の組織・運営に関する成文の規約・規則は存在せず,全て不文法たる慣習法によって,その成立の当初から現在に至るまで規律されている。

・ 役員

ア 区長1名

部落総会により選任され,任期は2年であり,その職務の内容は,部落を代表し,その業務一切を行うことである。

イ 副区長1名

部落総会により選任され,任期は2年であり,その職務の内容は,区長を補佐し,区長に支障のあるときは区長の職務を代行し,会計を担当することである。

ウ 組代表

A部落は6組に分かれた組が存在する。

組代表は,各組が選任し,その職務の内容は,各組の代表で構成される役員会の構成員となり,A部落の内にあって,その運営・業務の遂行に関与する。

・ 会

ア 総会

総会は,部落員(世帯主)全員をもって構成する最高の意思決定機関として設けられている。通常総会は年2回,毎年1月と8月に開催され,臨時総会は必要に応じて開催され,両総会に議決権限の差異はない。

イ 役員会

役員会は,各組代表が出席して開催され,区長,副区長の諮問を受けて,A部落の業務の遂行につき意見を述べ,必要ある時は議決するなどして,区長,副区長の業務遂行につき,補佐し,助言する。

2  財産の所有及び帰属町字甲平乙番耕地b2番(以下「旧b2番」という。以下,地番のみ記載する。)),c1番(旧c2番),d1番(旧d2番),e1番(旧e2番),f1番(旧f2番),g1番,g2番(旧g3番g4),h1番(旧g3番),i1番(旧i2番)及びj1番(旧j2番)の各土地について

A部落が古く江戸時代から所有していたもので,地券制度が取られるや,A部落を代表する人たち名義の地券書が部落に交付され,現にA部落がこれを保管している。これらの土地は,部落所有地であり,一部をB1,B2に売却した事実を示す書類が部落にあり,その後,現在のようにA部落代表者らの名を借りて登記がされた。

・ k1番(149・8平方メートルのうち,31・91平方メートル)(旧e2番k2)及びm1番m2(旧e2番m3)の土地について

大正4年ころ,A部落が金員を借り入れ,官の許可を受けて海面を埋め立て,その埋立地の所有権を取得し,その後金員の返済を行い,また,その埋立地は部落所有地として管理処分権を有しているが,登記は個人名義で行った。

・ n1番(旧e2番n2)の土地について

大正13年ころ,A部落が金員を借り入れ,官の許可を受けて海面を埋め立て,その埋立地の所有権を取得し,その後金員の返済を行い,また,その埋立地は部落所有地として管理処分権を有していたが,この土地が波止場であったため登記が遅れ,昭和14年に国から部落に無償交付されたが,登記は部落員個人名義で行った。

・ o1番(旧o2番)の土地について

明治33年10月18日,CからA部落が買い受けて以来,部落が所有管理しているが,登記は部落員個人名義で行った。

・ p1番p2(旧p3番),q1番(旧q2番)及びr1番(旧r2番)の土地について

元々A若宮神社の境内地であり,明治4年1月5日発付の太政官布告第丙号の社寺上知令により,神社の所有であった。しかし,若宮神社はA部落の建立にかかるものであり,その土地の管理処分はA部落でしていた。

・ 以上,別紙物件目録1及び2記載の各土地(以下「本件土地」という。)はいずれも原告であるA部落の所有であり,被告らはそれを争っているから,同土地が原告の所有であることの確認を求める。

3  部落財産の管理処分

・ A部落が所有する財産の管理処分は慣習に基づいて,部落員の過半数以上が出席した総会で,その過半数による決議によってなされ,この例外は認められていない。

・ すなわち,部落所有の不動産を賃貸することの諾否及びその契約内容は,部落員の過半数が出席した総会の過半数の議決に基づいて決していた。

・ また,部落所有不動産の売却等処分もそれと同様の議決によって行われていた。

4  別紙賃貸借目録・ないし・記載の賃借物件の賃貸について

・ 本件土地はいずれもA部落が所有している。

・ A部落は,その土地を別紙賃貸借目録記載の賃借人らに対し,同目録記載のとおりの賃料・支払期日をもって賃貸し,その賃借人のうちDは別紙賃貸借目録3記載のE外17名に駐車場として同目録記載のとおりの賃料・支払期日をもって転賃貸し,同じくFは同目録3記載のG及びHに駐車場として同目録記載のとおりの賃料・支払期日をもって転賃貸し,部落所有のd1番の土地上の車庫について,同目録4記載の賃借人に対し,同目録記載のとおりの賃料・支払期日をもって賃貸している。

・ 上記賃貸借契約に基づく賃料は,支払期日に賃借人がA部落に支払い,これをA部落において,所有・管理してきた。

・ 被告らは平成9年1月ころから,本件土地,e1番,m1番,n1番,o1番及びd1番の土地上の車庫(以下「本件不動産」という。)は各登記名義人らの所有に属するものであると主張し始めた。

・ 平成9年7月ころ,本件不動産の所有名義人らの相続人の一部を集めて,古百姓・新百姓の会を結成し,本件不動産が同人らに属するものだとして,上記各賃借人らに平成9年1月分以降の賃料をその会に支払うよう求め,一部これを領収している。

・ しかし,本件不動産はA部落の所有に属するものであり,上記賃貸借契約もA部落と各賃借人間において,締結されているものであり,被告らに賃料を領収すべき権限はない。

・ よって,原告は被告らに対し,別紙賃借目録・ないし・記載の各賃借人らに対し,同目録記載の賃料の支払請求をしてはならない旨の判決を求める。

5  被告らの領得について

・ 平成9年3月1日に開催された臨時部落総会において,A部落が所有し管理する1200万円が被告らの所有・管理とされることとなったとして,被告らはこれを領得した。

・ しかし,そのような議決が部落総会において,なされたことはない。

・ よって,原告は被告らに対し,1200万円の返還をもとめる。

6  訴えの提起の議決

本件訴えについては,平成9年8月16日に開催された総会において,承認可決された。

(予備的)

1  仮に本件不動産がA部落員の総有であったとしても,これらの財産の管理処分は前述のとおり,A部落構成員によって構成される総会において,長年の慣習に従い,過半数以上が出席した部落員(世帯主)の過半数の議決によって管理処分されてきており,この例外は認められていない。

すなわち,本件不動産を賃貸することの諾否及びその諸条件の一切,その他利用に関する内容は,総会での過半数の議決に基づいて決していたし,これらの不動産の売却処分についても同様に過半数の議決によってなされていた。

2  したがって,仮に本件不動産がA部落員の総有にかかるものであったとしても,これらの不動産の管理,利用及び処分等に関する一切の権限は部落にある。

ところが,このことについて,被告らは争っているので,原告は本件不動産について管理及び処分する権限を有することの確認を求める。

第3請求原因に対する認否

(主位的)

1  請求原因1について

・ 同1,・のうち,A部落として地域的に呼称される集落が江戸時代に成立し,その範囲が別紙a町A地区地籍図集成図記載のとおりであることは認める。集落を形成した時期が,江戸時代の初期か,江戸時代以前に遡るかは知らない。A部落が総会,役員会を備えてきた事実は認められるが,地域住民の自治的な問題解決の場としての「寄り合い集団」の範疇を超えるものではなく,法人格なき社団として存在したことはない。

仮に存在するとしても,その成立時期は以下にのべるように大正13年以降である。

明治26年当時のA部落の区長はI1であったが,同34年に区長はI2となり,その後区長はI3,M1,I4,M1と大正13年2月まで交代しているが,これらはいずれもI1一門の人物である。この事実からして,それまでのA部落は古百姓・新百姓だけが正規の構成員として扱われる部落であり,他の多くの住民は「寄留者」として扱われるに過ぎず,独立した正規の部落構成員と認められていなかった。したがって,部落内に存在した資産は古百姓達の共有資産として管理しており,明治23年の町村制が施行された後も,新規転入者は「寄留者」,「平民」として扱い,独立した正規の構成員としては認めないという扱いがされた。

上記の経過を経て,大正12年に至り,古百姓を中心とする部落運営を改め,寄留者を含めた部落運営をすることとなり,大正13年「戸主会」が発足した。この段階で初めて寄留者にも部落の運営に参加する地位が付与され,戸主会会則4条により,古百姓・新百姓らはその共有する財産のうち,一定のものについては大正13年以降,戸主会が利用する権限を付与したが,所有権を移転したものではない。したがって,A部落が権利能力なき社団としての実体を備えたとするなら,その時期は大正13年以降であって,それより以前ではありえない。よって,原告が主張する所有権取得原因事実のうち,大正13年以前の事実は所有権取得原因事実としての適格を有しないものである。

・ 同・について

ア 同アについて

構成員について,部落成立以来の慣習により規律されていることは否認し,その余は認める。

A部落という地域に集落が成立した江戸時代からかかる慣習があったとする根拠はなく,かかる構成員についての慣習は比較的最近に成立したものである。

イ 同イは知らない。

・ 同・について

否認する。

・ 同・について

認める。但し,慣習の成立時期は比較的最近である。

・ 同・は認める。

・ 同・は認める。

2  同2について

・ 同2,・について

ア b1番(旧b2番)の土地(墓地)及びc1番(旧c2番)の土地(宅地)について

・ 前者は墓地で,後者は寺(現在は廃寺)の敷地である。古百姓,新百姓の祖先を祭るための土地であり,部落員全員を祭ったものではない。

・ 明治20年から明治末期にかけて,A地区は大敷網,鰹漁,鰯漁でわきかえり,数百人の寄留者がいたと推定される。昭和20年ころまで,地元の風習は土葬であったから,b1番(旧b2番)の土地109平方メートルは部落全体の共同墓地としては狭すぎ,特定の地権者の所有とみるのが合理的である。

・ また,b1番(旧b2番)の土地には当時の住職の墓碑が2其建っており,その1基は明治22年にJ1,I6が建立し,この両名は古百姓のJ2及びI1の子であり,当時のA,下A地区の区長はI1であったから,その土地と古百姓の深い関わりが推定できる。

・ 昭和49年ころ,当時のA部落区長のLはc1番(旧c2番)の土地の上の寺が廃寺となっているから児童公園にしたいので,場所を提供してもらいたいとM2に申入れたが,同人はこれを謝絶した。M2はM3の母で,I1の子孫である。

イ d1番(旧d2番)及びg1番の土地について

乙第1号証の野取図(明治時代のもの)によると,これらの土地は船引場である。船引場というのは,台風の時,船が避難したり,船を修理する場所である。大正時代にその土地の沖合を埋め立ててからは,その土地は荷揚げや網干場に利用されていた。漁業権や漁船,漁網などを所有する古百姓がその事業経営のために利用する土地であったから,登記名義人の所有である。

ウ e1番(旧e2番)について

乙第1号証でいう波止場の付け根付近に位置する土地であり,魚を置いたり,荷捌所であったと推定される。宅地といっても居宅の敷地としては利用できない。せいぜい,管理小屋のような物が建っていた程度であろう。いずれにせよ,漁業経営のための土地であった。

エ f1番(旧f2番)の土地について

この土地は昔から「I6の井戸」と呼ばれ,古百姓I1が酒造業を営んでいた場所にある。I1は酒造のための内井戸と道具を洗うための外井戸を所有し,f1番はもとは池沼であったが,同人がこれを井戸に改良したものであり,今でもこの井戸の水量は豊富であり,非常時の防火用水としても利用された。また,I1は旧s番の土地にも防火用水用の井戸を作った。これらのことに感謝して,地区住民は旧7月7日の七夕には,地区総出で2箇所の井戸の掃除をしていた。また,これらの井戸は上水道が引けた昭和47年10月まで地区の生活用水として使用され,七夕の井戸掃除の習慣は最近まで続いている。

オ g2番(旧g3番g4)の土地について

この土地は若宮神社の敷地の一部で,現在,金光教の教会が建っている場所と思われる。江戸時代から神社の敷地である。登記名義人の所有である。

カ h1番(旧g3番)及びj1番(旧j2番)について

・ a町が保管する保安林の指定図面(明治39年作成)の図面は魚つき保安林を指定した図面である。これによると,魚つき保安林に指定された山林は3筆あり,それらはh1番,j1番及びs番の土地である。

・ この3筆の魚つき保安林の前の海面には別紙2の図面のとおりそれぞれ古百姓組の網代があり,いずれも,古百姓組の占有漁場であった。この3筆の魚つき保安林の共有名義人はいずれも同じで,その地先の3カ所の占有網代の代表者もいずれも古百姓組の人たちである。

・ j1番(旧j2番)の土地は赤ハゲ網代の魚つき保安林として,漁業のために特別に保護指定された山林であった。また,漁船の新造や修理のために材料とする松林であり,当然古百姓組の所有であり,漁業権や漁業経営と無関係のA部落の所有であるはずがない。また,この山林はA地区からかなり離れていて,山越えをしなければ来ることができない僻地であった。そのような土地を部落が所有しなければならない合理的な説明はできない。

キ i1番(旧i2番)の土地について

若宮神社の鎮守の森と思われる。県道が一部通っている。登記名義人の所有である。

・ 同・について

ア k1番(旧e2番k2)の土地について

古百姓の事業経営のため,私有地先の海岸を埋め立てたものである。

・ 土地台帳によると,大正6年12月,海面埋立所有権認定,大正7年6月16日,地価設定とされている。大正14年10月1日,雑種地1反2畝18歩として登記された。同日,n1外5名で所有権保存登記がされた。これらからすると,大正6年ころ,n1外5名が埋立事業の共同申請して,その認可を受けたうえで,海面埋立を行い,当局から同人らが所有権の認定を受けて,原始取得したと認められる。(公有水面埋立法24条では,埋立申請をした者が所有者となるとされている。)

・ n1外5名はいずれも古百姓であり,古百姓は漁業権の主体であり,また,大網,漁船などの大規模生産手段の所有者であって,漁業経営の主体であった。江戸,明治,大正時代には,古百姓は漁業経営によって資本,富を蓄積して,A部落の政治,経済の実権を握っていた。他の多くの部落民は漁業権の主体でなく,生産手段を有しない,古百姓の漁業経営の賃金労働者として,雇用されており,古百姓との間には,経済的地位と政治的発言力に大きな格差があった。

イ m1番m2(旧e2番m3)の土地について

古百姓であるI4が埋立の申請をして,所有権を取得したもの。

・ 同・について

n1番(旧e2番n2)の土地について

ア 明治初期作成の野取図によると,その土地は波止である。波止とは海岸から海に長く突きだして構築された堤のことで,波浪を防ぎ,船舶の発着や荷物の上げ下ろしに用いる。登記簿上の面積が12坪なので,野取図を参考に推測すると幅約1メートル,長さ12メートルの波止となり,当時としてはかなり大きな工作物であったと思われる。こうした波止が必要であったのは,占有漁場を持ち,漁業経営の主体であった古百姓組の人たちであり,部落とは無関係である。

イ n1番(旧e2番n2)の波止はk1番(旧e2番k2)の埋立工事が竣工したとき(大正6年)に,護岸として埋め立てられ,また,m1番m2(旧e2番m3)の埋立工事が竣工したとき(大正10年)に,地中に埋没した。しかし,波止としての公有水面の占有許可は消滅しないので,国はこの許可を取り消す方法として,昭和14年に国有地として地番を設定し,k1番(旧e2番k2),m1番m2(旧e2番m3)を造成した関係者である古百姓組の人たちに払い下げたと推定される。

・ 同・について

o1番(旧o2番)の土地について

ア 明治時代の初め,その土地上にはA尋常小学校が造られた。この時代には,文部省の指示により全国各地に学校が設立されたが,その経費や敷地の提供は地元の篤志家の好意によらざるを得なかった。A部落でも同様に,古百姓らの篤志によってA尋常小学校が造られた。野取図によると,その土地は,古百姓のひとりであるC2の住所(旧u番)に隣接する土地であり,野取図によると黄色で塗られているから,畑であったことが窺われる。A尋常小学校は明治34年4月,R1尋常小学校に統合されて廃校となった。統合された学校は新しくR2尋常高等小学校となった。

イ 甲第10号証によると,旧o2番の土地は明治33年10月18日にC名義で所有権登記がされ,同月19日には持分18分の17を売渡証書により,I2外16名に移転登記している。名義人18名はいずれも古百姓である。明治33年10月という時期は,その土地上のA尋常小学校が廃校になる6ヶ月前であり,6ヶ月後に返還になるその土地について,それを提供した者たちの権利を確認する意味で共有の登記となったものと推定される。

ウ 甲第55号証について

原告はこの書面をもってC2がA部落に旧o2番の土地を売り渡した証拠であると主張するが,以下に指摘するように,その文書は真正な取引文書ではない。

売渡人及び買受人いずれにも印影がない。その書面が現実の取引を前提とした文書なら,買受人として表示されたTがその土地の登記名義人となっているはずであるが,同人は登記名義人ではない。その土地をA部落が買い受けたものであるなら,同じく明治29年にA部落が取得した840番(旧p3番)のようにA部落の名義で所有権取得登記をするはずであるが,これがされていない。

・ 同・について

否認する。いずれも若宮神社の所有地であり,部落の所有でない。また,若宮神社はA部落の建立したものでない。

・ 同・について

本件土地が被告らの所有であると主張していることは認め,その余は争う。

3  同3について

・ 同・について

知らない。

・ 同・について

知らない。

・ 同・について

知らない。

4  同4について

・ 同・について

否認する。古百姓・新百姓(地権者)の所有である。

・ 同・について

否認する。

・ 同・について

A部落が賃料の管理をしてきた事実は認める。しかし,これは,地権者からの委託に基づくものである。

・ 同・について

否認する。

本件不動産は古百姓・新百姓の所有であり,従来は当然のこととして承認されていた。しかし,事情を知る古老が少なくなり,世代が交替し,転入者が増えるにしたがって従来の事情を知らない構成員が増え,時々総会において,本件不動産を部落のものとして取り扱うべきであるいう主張が一部の者からされることがあったが,地権者が従前の経過を説明し,事情を知らない構成員も納得していた。

・ 同・について

・ 平成9年3月1日に開催されたA部落臨時総会において,区長より本件不動産の管理は今後,古百姓・新百姓において,決めて欲しい旨の提案がされ,その旨の決議がされた。この決議を受けて,古百姓・新百姓は相談の結果,本件不動産の所有者である古百姓・新百姓で管理することとし,A部落にその旨通告した。

・ それを受けてA部落は役員会を開き,平成9年3月12日役員会は,本件不動産の賃貸人たる地位及び今後の管理を古百姓・新百姓に返還し,それまでの収益金を被告Uに交付した。

・ 同・,・について

争う。

5  同5について

・ 同・について

平成9年3月1日に開催された臨時部落総会において,A部落が所有し管理する1200万円が被告らの所有・管理とされることとなったと主張していることは認め,その余は否認する。

・ 同・について

否認する。

平成9年3月1日の臨時総会において,土地を含む特別会計の問題は土地の名義人の相続人の協議するところに委ねることが決定され,同月6日の名義人の相続人の協議で特別会計は名義人のものであるとされ,同11日の役員会で特別会計は名義人のものであるから定期預金については名義変更をする。ただ,定期預金1600万円のうち,町有地にかかる収益分が4分の1あるので,古百姓・新百姓の会の代表者として被告U名義に1200万円,部落名義に400万円に分けることが決議され,それにもとづいて同月12日,原告代表者であるVは1200万円を被告Uに引き渡した。以上からすれば,VはA部落の正式な意思決定機関の決定を受けて金員の引渡をしており,1200万円が部落に帰属するか,被告らに帰属するかを論じるまでもなく,前記金員の移転は法的な根拠に基づくものであり,原告への返還義務が生じる余地はない。

・ 同・は争う。

6  同6について

知らない。

(予備的)

1  同1は知らない。

2  同2のうち,不動産の管理,利用及び処分等に関する一切の権限は部落にあるとの主張を被告らが争っていることは認め,その余は争う。

第4被告らの主張

1  Aの古百姓組の沿革

・ 1718年からd28年のころ,宇和島藩は・(後のA)領民一戸に対し,一箇所の土地を分与し,後に子孫の数が増すと当初に土地を分与された本家の土地を分割して,分家を作ることを認めた。この本家が古百姓の由来である。

・ 古百姓組は賦役として,藩主が上洛の際,水夫を出していたが,その代償として,古百姓組は所有地先の漁業権を専有し,(特に,カマス,室鯵,キビナゴ)その他に乾鰯の売買,ノシ株(生け簀),酒屋株も専業することができ,古百姓は地区において,大きな権力を持つ本家筋にあたる家である。

・ 1796年に・はAと改名され,この当時藩主から土地を分与された住民は古百姓であり,その数は18軒であったと推定される。

2  古百姓組の発展

・ 幕末から明治にかけて古百姓株の所有者たちは専有漁業権の行使で大金を得た。収穫した鮮魚はその取り扱い手数料でも利益を得た。また,古百姓が個別に所有していた漁具を古百姓組という組織で所有管理するようになり,経営の合理をすすめた。明治12年には新百姓が漁業権獲得を目指して古百姓と対立した。新百姓は漁業権だけを持ち,古百姓は土地と漁業権の両方を所有していた。また,古百姓は江戸時代には名字帯刀を許された格式高い家柄であり,明治になっても,この古百姓組が事業の中心であり,Aに転入する者は平民,あるいは寄留者とされ,歴然とした格差があった。

・ A古百姓の中でも,I1,M1,W1の三家は大いに繁栄した。I6家は造酒屋,大敷網の事業者,鰹船の船主,鰹節製造所の事業主であり,M4家は乾鰯の売買,ノシ株による鮮魚売買で事業をのばし,武Aは明治25年から27年までのR2村の初代村長,政治的リーダーであった。

・ 大正3年7月24日の台風と竜巻で甚大な被害が出た。そこで,古百姓は自らの財産を守るために古百姓組の所有する土地の先の海岸を埋め立てることにした。これが,埋立事業の発端である。

第5当裁判所の判断

1  請求原因について

(主位的)

・ 同1のうち,A部落として地域的に呼称される集落が江戸時代に成立し,その範囲が別紙a町A地区地籍図集成図記載のとおりであること,同・,アのうち,A部落は,部落内に世帯を持つ世帯主によって構成されており,その世帯が部落を出るときは,それと同時に部落構成員たる資格を失い,他方,他部落から移り住もうと,分家によろうと,部落内に世帯を持てば,その世帯主は当然に部落構成員たる資格を取得することとなっていること,同・ないし同・の事実は当事者間に争いがない。

・ 被告らは部落が権利能力なき社団として成立したことを争っているから,まず,部落が権利能力なき社団として認められるか,認められるとすればそれが成立したのはいつかをまず判断する必要がある。

上記争いのない事実,甲第70号証の1,第76号証の1,乙第43号証によると,明治33年ころには部落において総会が開催され,大正5年ころまでの間に,浜と網代への蒔を置くことの禁止,大波止を修理するため1戸5人宛て出役すること,不出役については30銭徴収,出役は18歳以上の男子,やむを得ないときは女子でも可能であるとの決議,酒小売期限,各種出金,税金の件,区長,組長の改選の決議,総会不来者の不来料,頼母子講の禁止,寺の費用,区長の給与等,総会の時間の決議,部落共有屋敷貸付,初節句の定めの決議がされている事実が認められ,また,大正13年1月1日,地方改良と地方の因襲をなくして公衆民の福利を増進するという目的のために戸主会が発足し,その会則が施行され,同会則には,部落に居住する20歳以上の男女で独立の生計を営んでいる者(寄留者も含む)を戸主会の構成員とし,部落共有財産を共用する権利と部落費を支払義務を定め,戸主会長等の役員を選出し,戸主会長が同会の事務を行い(なお,明文の規定はないが,戸主会を代表する権限も有していたと推測される。),総会を開催して必要と認められる事項を決議するとされている。以後,部落の運営は現在までおおむね同会則の定めるところ即した形で行われている。

ところで,権利能力なき社団というためには,団体としての組織を備え,多数決の原則が行われ,構成員の変更にかかわらず団体が存続し,その組織において,代表の方法,総会の運営,財産の管理等団体としての主要な点が確定していることが必要であると解されるところ,前記認定の事実によれば,明治33年ころには部落としての実体が存在し,それが,権利能力なき社団として成立したのは戸主会が成立し,上記の要件を備えるようになった大正13年1月1日であると認めるのが相当である。

したがって,原告が部落の土地であると主張する本件土地について,大正13年1月1日以降,部落がそれを取得したと首肯しうるに足りる所有権取得原因事実が認められるか否かを以下に判断することとなる。

2  同2について

・ b1番(旧b2番)の土地について

甲第1号証によると,b1番(旧b2番)の土地の表題部の所有者欄にI1外43名と記載されており,甲第62号証の5によると,その土地の地券と登記簿の記載はほぼ一致しており,同地券が作成されたのは明治13年11月2日であるから,明治13年ころにはI1外43名がその土地を共有していたものと事実上推定される。その後,権利能力なき社団としての部落がその土地の所有権を取得したと認めるに足りる証拠はない。

原告は,甲第56号証によると,b1番(旧b2番)の土地40坪を,A部落総代M1及びJ1が,B1に代金21円20銭で売却している事実が認められるから,上記土地は部落所有地であると主張するが,その売買は同号証によると明治30年2月8日に行われており,権利能力なき社団として部落が成立する以前であるから,上記事実はI1外43名がその土地を共有していたという推定を覆すに足りるものではない。

・ c1番(旧c2番)の土地について

甲第2号証によると,c1番(旧c2番)の土地の表題部の所有者欄にはX外43名と記載されており,甲第62号証の8によると,その土地の地券と登記簿の記載とほぼ一致しており,同地券が作成されたのが明治13年11月2日であるから,明治13年ころにはX外43名がその土地を共有していたものと事実上推定される。その後,権利能力なき社団としての部落がその土地の所有権を取得したと認めるに足りる証拠はない。

原告は,甲第53号証によると,部落がc1番(旧c2番)の土地の固定資産税を納入していたから上記土地は部落の土地であると主張するが,固定資産税が納入されていたのは大正12年であり,権利能力なき社団として部落が成立する以前であるから,このことは,X外43名がその土地を共有していたという推定を覆すに足りるものではない。

・ d1番(旧d2番)の土地について

甲第3号証によると,d1番(旧d2番)土地の表題部の所有者欄にはM6外43名と記載されており,甲第62号証の14によると,その土地の地券と登記簿の記載はほぼ一致しており,同地券が作成されたのが明治16年8月4日であるから,明治16年ころには,M5外43名がその土地を共有していたものと事実上推定される。その後,権利能力なき社団としての部落がその土地の所有権を取得したと認めるに足りる証拠はない。

・ e1番(旧e2番)の土地について

甲第5号証によると,e1番(旧e2番)の土地の表題部の所有者欄にはI1外43名と記載されており,甲第62号証の4によると,その土地の地券と登記簿の記載はほぼ一致しており,同地券が作成されたのが明治13年11月2日であるから,明治13年ころにはI1外43名がその土地を共有していたものと事実上推定される。その後,権利能力なき社団としての部落がその土地の所有権を取得したと認めるに足りる証拠はない。

原告は,甲第54号証によると,部落がe1番(旧e2番)の土地の固定資産税を納入していたから上記土地は部落の土地であると主張するが,固定資産税が納入されていたのは大正12年であり,権利能力なき社団として部落が成立する以前であるから,このことは,I1外43名がその土地を共有していたという推定を覆すに足りるものではない。

・ f1番(旧f2番)の土地について

甲第8号証によると,f1番(旧f2番)の土地の表題部の所有者欄にはI1外44名と記載されており,甲第62号証の10によると,その土地の地券と登記簿の記載と一致しており,同地券が作成されたのが明治13年11月2日であるから,明治13年ころにはI1外43名(上記44名は誤記と認められる。)がその土地を共有していたものと事実上推定される。その後,権利能力なき社団としての部落がその土地の所有権を取得したと認めるに足りる証拠はない。

・ g1番の土地について

甲第9号証によると,g1番の土地の表題部の所有者欄にはZ外43名と記載されており,甲第62号証及び乙第19号証によると,本件土地周辺の土地の地券が作成されたのは明治11年から16年にかけてであることからして,上記土地もそのころにはZ外43名が共有していたものと事実上推定される。その後,権利能力なき社団としての部落がその土地の所有権を取得したと認めるに足りる証拠はない。

・ g2番(旧g3番g4)の土地について

甲第11号証によると,g2番(旧g3番g4)の土地の表題部の所有者欄にはJ2外43名と記載されており,甲第62号証及び乙第19号証によると,本件土地周辺の土地の地券が作成されたのは明治11年から16年にかけてであることからして,上記土地もこのころにはJ2外43名が共有していたものと事実上推定される。その後,権利能力なき社団としての部落がその土地の所有権を取得したと認めるに足りる証拠はない。

・ h1番(旧g3番)の土地について

甲第12号証によると,h1番(旧g3番)の土地の表題部の所有者欄にはJ2外43名と記載されており,甲第62号証の12によると,その土地の地券と登記簿の記載はほぼ一致しており,同地券が作成されたのが明治15年1月26日であるから,明治15年ころには,J2外43名がその土地を共有していたものと事実上推定される。その後,権利能力なき社団としての部落がその土地の所有権を取得したと認めるに足りる証拠はない。

原告は,甲第54号証によると,部落がh1番(旧g3番)の土地の固定資産税を納入していたから上記土地は部落の土地であると主張するが,固定資産税が納入されていたのは大正12年であり,権利能力なき社団として部落が成立する以前であるから,このことは,J2外43名がその土地を共有していたという推定を覆すに足りるものではない。

・ i1番(旧i2番)の土地について

甲第13号証によると,i1番(旧i2番)の土地の表題部の所有者欄にはW1外43名と記載されており,甲第62号証の2によると,その土地の地券と登記簿の記載はほぼ一致し,同地券が作成されたのが明治15年1月26日であるから,明治15年ころには,W1外43名がその土地を共有していたものと事実上推定される。その後,権利能力なき社団としての部落がその土地の所有権を取得したと認めるに足りる証拠はない。

原告は,甲第52号証によると,部落がi1番(旧i2番)の土地の固定資産税を納入していたから上記土地は部落の土地であると主張するが,固定資産税が納入されていたのは大正12年であり,権利能力なき社団として部落が成立する以前であるから,このことは,W1外43名がその土地を共有していたという推定を覆すに足りるものではない。

・ j1番(旧j2番)の土地について

甲第14号証によると,j1番(旧j2番)の土地の表題部の所有者欄にはW2外43名と記載されており,甲第62号証の3によると,その土地の地券と登記簿の記載はほぼ一致し,同地券が作成されたのが明治15年1月26日であるから,明治15年ころには,W2外43名が本件土地を共有していたものと事実上推定される。その後,権利能力なき社団としての部落がその土地の所有権を取得したと認めるに足りる証拠はない。

原告は,甲第52号証によると,部落がj1番(旧j2番)の土地の固定資産税を納入していたから上記土地は部落の土地であると主張するが,固定資産税が納入されていたのは大正12年であり,権利能力なき社団として部落が成立する以前であるから,このことをもって,W2外43名がその土地を共有していたという推定を覆すに足りるものではない。

・ k1番(旧e2番k2),m1番m2(旧e2番m3)及びn1番(旧e2番n2)の土地について

ア  k1番(旧e2番k2)の土地について

乙第20号証の4によると,大正4年6月4日,I3外5名が,行政官庁に対し,R2村4番耕地e3番地,e2番地先の海面1反2畝18分を物干場にする目的で埋立の申請をし,大正6年11月27日,雑種地1反2畝18歩の認定がされた事実が認められる。甲第4号証及び乙第28号証によると,大正6年12月海面埋立地所有権認定,大正7年6月16日地価設定がされ,大正14年10月1日I3外5名が上記土地の所有権保存登記をしたことが認められる。

以上の事実からすれば,k1番(旧e2番k2)の土地は大正6年にI3外5名が埋め立てし,その所有権を取得したものと事実上推定される。その後,権利能力なき社団としての部落がその土地の所有権を取得したと認めるに足りる証拠はない。

イ  m1番m2(旧e2番m3)の土地について

乙第20号証の5によると,大正10年1月25日,I4が,行政官庁に対し,R2村4番耕地字甲平e2番地丁先の海面1071坪の埋立を申請し,甲第6号証によると,大正14年10月1日,I4が上記土地の所有権保存登記をしていることが認められる。

上記認定の事実によれば,埋立が完了したk1番(旧e2番k2)の土地の前の海面をI4が埋立の申請をし,埋立地について,その所有権を取得したものと事実上推定される。その後,権利能力なき社団としての部落がその土地の所有権を取得したと認めるに足りる証拠はない。

ウ  n1番(旧e2番n2)土地について

乙第1号証によると,n1番(旧e2番n2)の土地は明治初期にすでにその一部が波止場として存在していることが認められ,前記認定の事実によれば,その後,k1番(旧e2番k2)の土地及びm1番m2(旧e2番m3)の土地が埋立によって生じるに至り,上記土地と一体になり,n1番(旧e2番n2)の土地はさらに沖の方へ張り出すような形となりその面積も増加したものと考えられる。甲第7号証によると,昭和14年5月31日に大蔵省が保存登記し,同日,大蔵省からM,J3,I7が売買により取得している。

以上の事実からすると,上記土地は前記ア及びイ記載の埋立によって生じた土地と一体となり,I3外5名あるいはI4の所有となったものと事実上推定される。その後,権利能力なき社団としての部落がその土地の所有権を取得したと認めるに足りる証拠はない。

エ  原告は,上記の埋立の主体は部落であり,埋立地も部落がその所有権を取得したと主張し,その根拠として,部落が構成員より埋立の費用を徴収したり,部落が埋立の費用を銀行より借り入れ,これを返済していたことを指摘するが,k1番(旧e2番k2)の土地が埋立により所有の対象となったのは,大正6年であり,部落が権利能力なき社団としての成立する以前であるから,その当時,部落がその土地の所有権を取得したとはいえない。また,前記証拠によると,部落の埋立のための支出が開始されたのは大正9年ころであり,前記の埋立時期とは齟齬すること,銀行からの借入や返済が上記の埋立にどのように関係していたのかは明確でなく,逆にm1番m2(旧e2番m3)の土地の名義人であるI4は愛媛県農工銀行から金員を借り受け,同人所有の土地に抵当権を設定している事実もあり,また,前記3筆の土地が部落の所有なら,保存登記がされたときの名義もまた同一となるのが自然であると考えられるが,登記名義は異なっているうえ,m1番m2(旧e2番m3)の土地は単独名義になっており,これらすべてが部落の土地であったとするのは合理的でない。

また,甲第35号証及び乙第31号証によれば,A部落には明治初期には古百姓と呼ばれる本家筋の人々がおり,漁の専用権があり,乾鰯の売買権及びノシ権(鮮魚取り扱い)酒屋株等漁業権を有し,経済的に裕福であり,大きな権力を持っていたことが認められ,およそ部落でなければ埋立事業をよくなし得なかったとは考えられず,この点からしても,埋立の主体が部落であったとはいえない。

・ o1番(旧o2番)の土地について

甲第10号証によると,明治33年10月18日,Cが上記土地の保存登記をし,同月19日,同人は上記土地の持分18分の17をI2外16名に売却して所有権移転登記をし,その際,5年間の不分割の合意をしている。以上の事実からすれば,Cから上記土地の所有権を取得したのはI2外16名であると事実上推定される。その後,権利能力なき社団としての部落がその土地の所有権を取得したと認めるに足りる証拠はない。

原告は,甲第55号証によると,明治29年9月,C2がその土地を部落土地管理人であるTに売却したのであるから,部落の土地であると主張するが,部落が法的な主体として成立したのは大正13年であり,その事実はそれ以前のことであること,また,部落が買い受けたのではなく,部落管理人が買主であること,この事実は甲10号証記載の事実に反することから,これは上記土地がC外の所有であるとの推定を覆すに足りるものではない。

・ p1番p2(旧p3番),q1番(旧q2番)及びr1番(旧r2番)の土地について

ア  p1番p2(旧p3番)の土地について

甲第15号証によると,明治20年9月17日,A部落が売買によってその土地を取得し,大正5年9月9日,部落がA若宮神社へその土地を寄付し,その旨の所有権移転登記がされていることが認められ,その土地はA若宮神社所有地と事実上推定される。

イ  q1番(旧q2番)の土地ついて

甲第16号証によると,昭和25年10月5日,大蔵省が保存登記し,同日,大蔵省からA若宮神社に譲渡による所有権移転登記がされていることが認められ,その土地はA若宮神社所有地と事実上推定される。

ウ  q2番(旧r2番)の土地について

甲第17号証によると,明治43年12月29日,愛媛県が保存登記をし,同日,愛媛県が神社合併地跡譲與により若宮神社へ所有権移転登記がされていることが認められ,その土地は若宮神社所有地と事実上推定される。

そして,以後,上記各土地を権利能力なき社団としての部落がその所有権を取得したと認めるに足りる証拠はない。

エ  原告は,A若宮神社は部落が建立したものであり,上記3筆の土地は部落の所有にかかるものであると主張するが,前記戸主会会則6条は,部落には神社が1宮(若宮神社のことと認められる。)あるが,戸主会会員はその尊厳を失わせないために維持の方法を取るべきものとし,この神社が下Aの合社であることも規定しているから,A若宮神社はかえって部落の所有でないとも考えられ,結局,上記3筆の土地が部落の土地であると認めるに足りる証拠はない。

・ 以上,本件土地は部落の所有であるとは認められないが,この点に関し,原告は,部落は以前から個人に土地を貸し,その賃料を部落に特別会計を設けこれを管理してきており,また,本件土地の固定資産税についても,部落が支払っているとし,これらの事実からすれば,本件土地は部落の所有であると認められると主張する。

甲第71号証の1によれば,昭和19年ころから浜税と呼ばれる土地の使用料を管理する特別会計は存在し,M7の証言によれば,昭和23年にはその取り扱いを巡って論争があったことが認められ,甲第52ないし54号証によると大正12年に部落が固定資産税を支払ったことが認められ,以後も甲第46号証及びVの証言によれば,部落が固定資産税を支払ったことが認められる。

確かに,土地の所有者は自らそれを他人に賃貸し,その賃料を収受することができるが,他方,土地の所有者は,他人にその管理を委ね,土地を賃貸させ,その賃料の徴収を委託することもできるのであるから,部落が土地を賃貸し,その賃料を徴収しているということをもって直ちに,その土地が部落所有の土地であるとはいえず,また,固定資産税についても,徴収した賃料等を管理する特別会計から支出されていると考えられるので,このことをもって直ちに,その土地が部落所有の土地であるとはいえず,上記各事実は,本件土地が部落の所有でないとの認定を左右するものでない。

3  同3について

甲第77号証の1によると,昭和56年から59年にかけてj1番(旧j2番)の土地の一部を部落総会の決議によって道路用地として売却し,同じく平成4年にもg2番(旧g3番g4)及びh1番(旧g3番)の土地の一部をバイパス拡張用地として売却していることが認められる。原告は以上の事実が本件土地が部落所有であることの1つの根拠であるとするが,上記土地は前記認定のとおり共有者が44名の土地であり,しかもそれらの者については相続が開始していることが明白であり,共有者は多数にのぼるものと考えられる。そして,道路建設にあたり共有者をすべて見つけだし,その承諾を得たうえでこれを行うことは極めて困難な作業であることは容易に推測できるものであり,結局は,次善の策としてこの土地を管理している部落の総会において買収の承諾の決議をすることで道路建設を進めざるをえないのであり,これらの事実から部落に上記土地の処分権が認められ本件土地が部落所有でないとの認定を左右するものではない。

よって,本件土地は部落の所有とは認められず,主位的請求1は理由がない。

4  同4について

本件土地は部落の所有でないから,原告が被告らに対し,別紙賃貸借目録・ないし・記載の各賃借人らに対し,同目録記載の賃料の支払請求をしないことを求める権利はない。同・記載の部落が所有しているとされる車庫について,確かに部落が賃料を徴収しているが,その車庫が部落の所有であることを認めるに足りる的確な証拠はないから,同じく同・記載の各賃借人らに対し,同目録記載の賃料の支払請求をしないことを求める権利はない。よって,主位的請求2は理由がない。

5  同5について

甲第78号証,乙第8,第46号証の3,4,第47,第48,第49,第51号証の2,第52号証の2,V,M8の証言及び被告Uの本人尋問の結果によると以下の事実が認められる。

平成9年2月8日,部落の臨時総会において,特別会計に組み入れられている土地の使用料等について,それがその土地の名義人の相続関係者のものか,部落のものかが問題となり,これを明確にする方法として,特別会計に組み入れられている金を名義人の相続関係者に渡したうえで部落と名義人の相続関係者との間で訴訟をするか,その金は部落が管理し,部落と名義人の関係者とで同じく訴訟をするか,その他の方法をとるかについて決議したところ,第1の方法を取るべきとするのが1票,第2の方法を取るべきとするのが37票,話し合いをすべきであるとするのが39票,無効12票となり,この問題については話し合いを継続することとなった。しかし,その後,部落と名義人の相続関係者間における話し合いはうまくいかず,同年2月14日,役員会が開かれ,この問題は訴訟によって解決するほかないとして,第1の方法か,第2の方法かどちらかを選択するかを部落員らの書面決議によって決することとした。ところが,同月21日,役員会が開かれ,書面決議に異議が出ていることから,決議は凍結して,同年3月1日に臨時総会を開催することとした。同日の臨時総会において,特別会計の扱いについては,名義人の相続関係者によって協議決定することとした。同月6日に名義人の相続関係者の代表者が集まり,特別会計として管理されている金は名義人の相続関係者のものである。名義人代表者を1名部落の役員にして,特別会計からの支出について協議する。特別会計の金は従来通り支出してよい。名義人の相続関係者の代表者として被告Uを選任すると決議した。同月11日,臨時総会が開かれ,特別会計として管理されている定期預金1600万円のうち,1200万円(伊予銀行700万円,農協300万円,郵便局200万円)については,名義人の相続関係者に引き渡す。名義変更について異議が出て,変えよという場合はいつでも変えると決議した。同月12日,原告代表者のV,被告I8,被告U,M8らが関係する金融機関を回り,定期預金の名義変更手続をした。同年8月16日の通常総会の資料として,定期預金の名義の変更の経緯,部落所有地と名義人の相続関係者土地の賃料徴収方法の変更についての説明が記載された文書が作成され,同年9月26日E外77名が被告らに対し,1200万円を支払うこと等を求めた訴訟(当庁平成9年・第71号)が提起され,同10年8月16日開催の部落総会で部落に対し,1200万円の返還を求める決議がされた。

以上の事実によれば,当庁平成9年・第71号が提起された後の平成10年8月16日までの間に部落総会で名義人の相続関係者から1200万円の返還を求める決議がされたことを認めるに足りる証拠はなく,また,前記のとおり,そもそも特別会計で保管している金員の帰属主体がだれであるかは訴訟によって明確にし,その方法として預金の名義をそのままにして訴訟を提起するか,名義人の相続関係者の名義にして訴訟を提起するかを部落総会において討議されてきたのであり,その名義を被告Uに変更し,引渡すことについては,部落の最高の意思決定機関である部落総会において適法に決議されているから,部落は被告らに対して,1200万円の返還を求めることはできない。

仮に,上記のようにいえなくとも,本件不動産は部落の所有ではないから,その土地からの収入である1200万円を部落が被告らに対し,返還を求める権利を有しない。

よって,主位的請求3も理由がない。

(予備的)

前記のとおり,本件不動産は部落の所有でないので,部落がその処分権を有しないことは明らかであり,管理権については,部落は遅くとも昭和19年ころすでに土地の管理をしていたと認められるが,それが,共有者らから委託に基づいてなされたと認めるに足りる証拠はなく,事実上その管理を継続してきているに過ぎず,部落において,法的な意味での管理権が生じているとは認められないから,その意味での管理権の確認を求める予備的請求は理由がない。

(裁判官 今中秀雄)

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