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松山地方裁判所宇和島支部 平成7年(ワ)19号 判決 1998年9月24日

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

宇都宮眞由美

被告

宇和島市

右代表者市長

柴田勲

右訴訟代理人弁護士

森脇正

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、五六四万六三三〇円及びこれに対する平成四年九月一六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告が、宇和島病院の設置開設者である被告に対し、その事業執行上の被用者であり準委任(診療)契約上の履行補助者である医師ないし検査技術員の過失ないし注意義務違反によって、C型肝炎に罹患していると誤解させられ、不必要な入院ないし検査を余儀なくさせられ、精神的苦痛等を被ったとして、右医師らの不法行為に基づく使用者責任(民法七一五条)及び債務不履行に基く慰藉料等を求めた事案である。

一  前提事実等(争いがない事実を含む)

1  (当事者等)

被告は、宇和島病院(以下「被告病院」という。)の設置開設者であり、医師西野圭一郎(以下「西野医師」という。)及び検査技術員柴千津子(以下「柴検査員」という。)は、被告病院に勤務する被告の事業執行の被用者であり履行補助者である。

2  (原告の入退院の経緯等)

(一) 原告は、被告(病院)との間で人間ドック診療契約を締結し、平成四年七月二八日、被告病院に入院、翌二九日退院したが、その際、右ドック担当医である内田医師から直腸の再検査の必要性を告げられ、また、肝機能障害等の精査の必要性から血液を採取され、引き続き、被告(病院)との間で診療契約を継続した(乙13、西野の九回証言九丁から一三丁、一〇回証言三丁、原告四項から九項)。

(二) 同年八月二〇日、原告は被告病院で直腸の再検査を受けた際、担当医である西野医師から、退院の際に採取した血液検査の結果、C型肝炎ウイルス(以下「HCV」という。)の検査(以下「第一HCV検査」という。)の結果が強陽性である旨告げられた。

(三) 同年九月二日、原告は、被告(病院)との間でC型肝炎の診療契約を締結し、同日、被告病院に入院、同月七日、西野医師により腹腔鏡検査(腹腔鏡を使って肝臓の状態を観察し、組織を採取する検査)を受けたところ、組織を採取する方の右葉が腹腔内の癒着のためその状態が観察できず、組織を採取することができなかった(その際、左葉は正常肝に近い状態が観察できたが、通常は大きい右葉から組織採取することになっており、特に、原告の場合は、左葉が薄く組織採取のための針が突き抜けてしまう可能性があり採取できなかった。)。そのため、後日、超音波(エコー)を使った組織採取を実施することになった(乙2、4、11、西野の九回証言二一丁表、二五丁から二六丁表、一〇回証言一二丁裏から一三丁表)。

(四) 右腹腔鏡検査の際、原告は、テレビモニターで自分の肝臓(左葉)を観察し、その状態がきれいだったことから第一HCV検査の結果に疑念を抱き、同月一〇日、原告の要望により、改めてHCV検査のための血液採取がなされた(西野の一〇回証言一三丁表、原告二九項、三〇項)。

(五) 同月一一日、西野医師は、原告に対し、超音波(エコー)を使った肝臓(右葉)の組織採取を実施し、その組織検査(以下「肝生検」という。)を行ったところ、活動性肝炎を疑わせるような所見は得られなかった(乙2、西野の九回証言二一丁表、二八丁から二九丁表)。

右検査後、西野医師は、HCV検査(以下「第二HCV検査」という。)の結果が陰性という報告を受け、その旨原告に告げた(乙3、西野の一〇回証言一八丁から一九丁、三〇丁、原告三一項)。

(六) そこで、原告は、第二HCV検査と第一HCV検査の結果との矛盾に疑問を感じ、第一HCV検査に使用した血液の再検査(以下「第三HCV検査」という。)を要望したところ、陰性という検査結果が出た(西野の一〇回証言三〇丁、柴の一一回証言五七項から六〇項、原告三一項)。

(七) 同年九月一六日、原告は被告病院を退院した。

二  争点

本件における主たる争点は、西野医師及び柴検査員に過失ないし注意義務違反があったかどうかである。

三  争点に対する当事者の主張

1  原告の主張

(一) 西野医師の過失について

(1) 説明義務違反

① 西野医師は、原告に対し、C型肝炎の検査結果が強陽性であった旨告げ、原告にC型肝炎に罹患していると誤解させ、また、C型肝炎の治療のために一か月入院させた(少なくとも原告はそのように理解した)が、原告にそのような誤解ないし理解をさせたのは西野医師の説明が不十分であったからである。

C型肝炎といえば死にも至る病気であり、しかもその検査が強陽性と告げられれば、医学的知識のない患者はC型肝炎の程度がひどいと考えるのが当然であり、非常に不安になるのであるから、患者にそのように考えさせないためには、医師としては、当該検査だけではC型肝炎に罹患しているかどうかの確定的な判断ができない旨を患者に説明しなければならない義務があるにもかかわらず、西野医師は、原告がC型肝炎に罹患しているとの思い込みないし前提意識のもとで、原告に対し、「C型肝炎は、A型肝炎、B型肝炎と異なり、一年半前に発見されたばかりで特効薬がない。治療方法としては、ウイルスを弱らせるためにインターフェロンを投与する。インターフェロンの投与は熱などの副作用があり、通院では無理だから一か月入院しなければならない。」「治療しなかったら肝硬変になり、さらに肝臓ガンになっていつか死ぬんですよ。もう肝硬変くらいにはなっているだろう。あなたの場合、糖尿もあるし、一〇年くらいですよ。」等と説明し、原告に「自分はC型肝炎でないかもしれない」と思うことができるような説明を怠った。

② 西野医師には、原告に対し、検査結果等について詳細に説明する義務があるにもかかわらず、第一HCV検査と第二HCV検査の検査結果が異なる理由につきなんら説明していない。検査担当者である柴検査員は、第二HCV検査の直後、検査結果が異なった理由につき乳びが影響したとの判断をしているのであるから、西野医師としては、柴検査員と話し合っていれば、少なくとも原告の退院時までには検査結果が異なる理由を説明できたはずである。にもかかわらず、西野医師は、柴検査員に対し、異なる結果が出た理由について尋ねることもなく調査もしないで、原告に説明することを怠った。

(2) 腹腔鏡検査前におけるHCV再検査義務

① HCV検査の正常値は1.0未満であるところ、陽性の場合は通常一桁の場合が多いのであるから、本件のように26.3という異常に高い数値が出たのであれば、西野医師としては、右数値に意を払い、検査担当者である柴検査員と意見を交換するなどして、腹腔鏡検査の前に再度HCV検査をすべき義務があったにもかかわらず、それを怠った。

② 被告は、RIA法による測定方法では、非常にまれではあるが干渉物質により誤差がでる可能性があり、著しい誤差を招く原因となるものに溶血と乳びがあることがRIA法の基礎に関する専門資料に記載されている旨主張するが、そうであれば、原告は、平成三年にも被告病院での人間ドックの検査で高脂血症が指摘されており、また、今回の人間ドックでの検査でも高脂血症が診断されているのであるから、西野医師にはそれがわかっていたはずであり、したがって、HCV検査の結果に誤差がでることも知っていたはずであるから、腹腔鏡検査の前にもう一度HCV検査をすべき義務があったにもかかわらず、それを怠った。

(3) 肝生検前におけるHCV再検査結果を待つ義務

西野医師は、原告から、HCVの再検査の結果を待って肝生検をするかどうか決めたい旨の申出を受けていたのであるから、肝生検の前にHCVの検査結果を待つ義務があったにもかかわらず、それを怠り、肝生検を実施しているが、同日には再検査の結果も出ているのであり、それを待てないほど緊急を要したとは思えない。また、再検査の結果如何にかかわらず肝生検が必要であるなら、その旨原告に説明し了解を得た上で実施すべき義務があるのに、それを怠った。

(二) 柴検査員の過失について

(1) 第一HCV検査の結果と第二HCV検査及び第三HCV検査の結果が異なるということは通常考えられないことであり、そこには検査対象物である血液を取り違えるとか、検査結果を読み違える等、検査担当者である柴検査員の過失が存在する。

(2) 被告は、RIA法による測定方法では、非常にまれではあるが干渉物質により誤差がでる可能性があり、著しい誤差を招く原因となるものに溶血と乳びがあることがRIA法の基礎に関する専門資料に記載されている旨主張するが、そうであれば、それを行う技術者である柴検査員はそれを当然に知っておくべきであり、第一HCV検査の際にも血液を冷凍保存した上で乳びを除去して検査をすべき義務があったのに、それを怠った。

(三) 損害について

(1) 慰藉料

五〇〇万円

① 原告は、西野医師から、HCV検査が強陽性である旨を告げられた時、まさにエイズやガンのように死に至る病気に罹患したと思い、事業の断念はもとより、一巻の終わりだなと感じるほどの精神的衝撃を受け、長女には大学の休学を、次男には専門学校の中退を余儀なくさせることになり、子供たちに申し訳がないという気持ちにさせられ、本来必要のなかった入院や腹腔鏡検査等を受けさせられ、精神的、肉体的苦痛を余儀なくさせられた。

② 右原告の精神的、肉体的苦痛を慰藉するには五〇〇万円が相当である。

(2) 入院治療費

四万六三三〇円

(3) 弁護士費用

六〇万円

2  被告の主張

(一) 西野医師の過失について

(1) 説明義務違反について

① 西野医師は、原告に対し、「C型肝炎の可能性が高い。C型肝炎は、近年診断できるようになった肝炎で、慢性化しやすく一〇年以上の長期経過で慢性肝炎の進行、肝硬変、さらには肝臓ガンの合併の可能性がある。診断、治療のために腹腔鏡検査、肝生検による組織診断が必要である。」旨説明した上、原告から治療方法について説明を求められたため、「当時、抗ウイルス療法としてはインターフェロンがあり、発熱、食欲不振などの副作用もあるため、投与初期には入院が望ましい。」旨説明したものであって、C型肝炎の可能性は高かったが、診断がついていたわけではなかったので、治療を強要するような言動はなく、「治療をしなかったら肝硬変になり、さらに肝臓ガンになっていつか死ぬんですよ。もう肝硬変くらいにはなっているだろう。」といった説明はしていない。

また、C型肝炎の診断は、HCVの検査が陽性であるのみで確定診断ができるわけではなく、肝機能異常の有無、輸血症、手術歴を検討した上で、腹腔鏡により肝表面を観察し、肝右葉の組織生検、診断が必要であり、原告の入院目的もC型肝炎の精査目的のためである。

② HCV検査は、HCVに対する患者の抗体を、ラジオアイソトープ(放射性同位元素)を利用して測定する放射性免疫測定法(以下「RIA(ラディオインムノアッセイ)法」という。)で行なわれる。ところが、まれにではあるが、RIA法による測定方法では、干渉物質により誤差がでる可能性があり、著しい誤差を招く原因となるものに溶血と乳びがあることがRIA法の基礎に関する専門資料に記載されており、原告の場合は、高度の乳びが右誤差を招いたものと推測される。

しかしながら、RIA法の測定系に右のような乳びが干渉物質になりうるということについては、一般的な医学書、検査書、被告が本件HCV検査に使用した検査キット添付の説明書には記載されていなかったのであるから、当時の医療水準上の知見としても一般の医師、検査員に普及及び定着していなかったものというべく、西野医師に原告が主張するような説明義務を課することは困難である。

(2) 腹腔鏡検査前におけるHCV再検査義務、肝生検前におけるHCV再検査を待つ義務について

① 原告は、西野医師には、腹腔鏡検査の前にもう一度HCV検査をすべき義務、肝生検の前にHCV再検査の結果を待つ義務があった旨主張するけれども、前記のとおり、RIA法における干渉物質の存在とそのメカニズムについての知見は、当時の医療水準上の知見として、一般医師、検査員に普及及び定着しておらず、実際、西野医師もそのような知識を持ち合わせていなかったのであるから、その知見、知識があることを前提にした右主張は成立する余地はない。

② 西野医師は、第一HCV検査結果の26.3というデータが強陽性であるとの判断をし、右数値の信憑性をより正確に測定するために、肝炎の有無、程度の診断のため、腹腔鏡検査、エコー下での肝生検などの検査計画を立て、肝炎の精査目的で原告に入院を促したのである。仮に、原告のHCV検査の再検査を実施し、その結果が正常値であったとしても、西野医師の肝炎発症の有無についての検査計画は引き続き組立てられ実施されていると思われる。すなわち、一回でも検査結果が26.3と強陽性に出たとすれば、その原因が直ちに解明されない限り、万一の肝炎(それもC型肝炎)発症の可能性の否定的根拠を得るために、右以外の方法による検査を実施することこそ、医師の診療上の義務というべきであり、西野医師は右医療上の要請にしたがって原告に各種検査を実施し、肝炎罹患について否定的なデータを得、その旨原告に告げたのであるから、西野医師には原告が主張するような義務違反はない。

(二) 柴検査員の過失について

(1) 前記(一)(1)②のとおり、第一HCV検査結果が強陽性になった原因として、原告の場合、高度の乳びが右結果を招いたものと推測され、原告が主張するような血液を取り違えるとか、検査結果を読み違えるとかの過失はない。

(2) 前記(一)(1)②のとおり、RIA法の測定系に乳びが干渉物質になりうるということについては、一般的な医学書、検査書、被告が本件HCV検査に使用した検査キット添付の説明書には記載されていなかったのであるから、当時の医療水準上の知見としても検査員に普及及び定着していなかったものというべく、柴検査員に原告が主張するような検査義務を課することは困難である。また、RIA法による測定方法に溶血と乳びが影響を与えることがRIA法の基礎に関する専門資料に記載されているけれども、これらは論述であり一報告例であって、冷凍保存はともかく、乳びを除去して検査をする法的義務の存在を裏付ける程度に熟した文献はない。

(三) 損害について

不知

第三  争点に対する判断

一  西野医師の過失について

1  説明義務違反について

(一) 原告にC型肝炎に罹患していると誤解させる等した点について

(1) 人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務が要求され、右注意義務の基準となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であると解するのが相当である(最高裁判所平成八年一月二三日判決民集五〇巻一号一頁、同平成七年六月九日判決民集四九巻六号五七頁等参照)。

(2) C型肝炎の診断及び治療方法等について

そこで、原告が第一HCV検査を受けた平成四年七月当時におけるC型肝炎の診断及び治療方法等の医療水準について検討するに、証拠によれば、以下の事実を認めることができる。

① C型肝炎(ウイルス)は一九八九年(平成元年)に発見され、特に輸血後肝炎の約九〇パーセント以上がこれに該当し、感染後は慢性化しやすく一〇年以上の長期経過で肝硬変に移行し、かなりの頻度で肝臓ガンを合併してくる疾患である(乙16、17、19、西野の九回証言三丁裏)。

② C型肝炎の診断試薬については、我が国において、一九八九年(平成元年)一一月に免疫放射定量測定法(以下「IRMA(イムノラジオメトリックアッセイ)法」という。)を利用する診断試薬が血液センターで正式に採用され、一九九〇年(平成二年)四月から一般病院でも利用されるようになり、被告病院でも、平成四年四月から栄研化学株式会社(製造発売元)のHCV抗体IRMAキット(以下「栄研キット」という。)を取り入れた(乙16、17、31、濱本証言七項、一〇一項、柴の一二回証言二〇項、六一項)。

③ 右試薬検査によるHCVの検査結果が陽性と出た場合、医師としては、かなりの高率(九五パーセント)でC型肝炎ウイルスに感染しているとの疑いを抱くが、それだけでC型肝炎の確定診断をして治療に向かうのではなく、肝機能異常の有無、輸血歴、手術歴などを検討した上、腹腔鏡ないし超音波(エコー)を使って(肝臓の状態を観察し)、実際に肝臓の組織を採取し、組織学的な活動性の有無、繊維化の程度の組織検査を経た上で確定診断を下すことになる(乙19、濱本証言四〇項から四四項、七三項から七五項、七八項、西野の九回証言一丁裏から二丁、一九丁表、一〇回証言八丁裏)。

なお、被告病院では、腹腔鏡を使った方が実際に肝臓の状態を見ることができ、診断率も高いことから腹腔鏡を使った肝生検を実施することになっており、また、後述するようにC型肝炎の治療方法としては、インターフェロン治療が一般的であるが、平成四年一月にC型肝炎に対しインターフェロン療法が保険適応となったこともあって、インターフェロン治療をするためには必ず腹腔鏡検査等による組織検査を実施することになっていた(乙19、濱本証言七九項、九五項、西野の九回証言一丁裏から三丁表、一〇回証言三一丁)。

④ 肝生検は合併症などを伴う危険性があり、適切に対応できる状態で検査するため、二、三日の検査入院が必要である(濱本証言四五項、四六項、八三項、西野の九回証言二二丁裏から二三丁表)。

⑤ 肝生検による組織診断の結果、C型肝炎の確定診断がなされると、その後は治療に移るが、治療方法としては、インターフェロンの投与が一般的であり、一か月の入院は必要である(濱本証言五〇項から五二項、西野の一〇回証言七丁、一一丁)。

(3) 右C型肝炎の診療についての当時の医療水準によれば、西野医師には、原告に対し、C型肝炎に罹患している可能性が非常に高いこと、C型肝炎が肝硬変を経て肝臓ガンに移行する確率の高い疾患であること、確定診断のためには腹腔鏡による肝生検を実施し、組織学的活動性の有無等を確認する必要があること、腹腔鏡による肝生検のためには合併症などの危険防止のために二、三日の検査入院が必要であることを説明し、必要に応じて、確定診断後の治療方法として、インターフェロンの投与が一般的であり、そのためには一か月の入院が必要であることを説明する義務があったといえる。

(4) そこで、これを本件について見るに、証拠によれば、西野医師は、右C型肝炎に対する診療水準を了知した上で、第一HCV検査の結果が強陽性(正常値は1.0未満であるところ、原告の場合は26.3であった)であったこと、原告に輸血歴があり、人間ドックの検査結果から肝機能障害の疑いがあったこと、それまでに陽性反応が出たケースでC型肝炎でなかった経験もなかったこと等から、原告がC型肝炎に罹患しているとの強い疑いを抱き、原告に対して、C型肝炎に罹患している可能性が高いこと、確定診断のためには腹腔鏡検査で肝臓の状態を観察し、組織を採取し、肝生検を実施する必要があること、右検査のために二、三日の入院が必要であることを説明し、その際、原告から治療のことについて聞かれたので、肝生検の結果、組織学的に肝炎の活動性があるとなると引き続きインターフェロン等の治療をし、一か月程度の入院が必要である旨説明したこと、以上の事実を認めることができ(乙1、2、11、13、27、西野の九回証言一〇丁裏から一一丁表、一四丁裏、一七丁裏から一八丁表、一九丁裏から二四丁、一〇回証言五丁表、七丁から九丁表、一〇丁から一一丁、二一丁裏から二二丁、二七丁裏から二八丁)、原告供述を含め右認定を左右するに足りる証拠はない。

(5) 右認定事実によれば、西野医師としては、原告に対する説明義務を尽くしたものというべく、原告の主張は採用できない。

(二) 原告に対し、検査結果が異なった理由について詳細な説明を怠った点について

(1) 第一HCV検査の結果が強陽性と出た原因について

① 争いのない事実及び証拠によれば、以下の事実を認めることができる。

被告病院におけるHCV検査の手順は、患者から採取した血液を試験管に入れ、その場で看護婦が右試験管に患者の名前と日付を書いたラベルを貼った後、血液検査の窓口に持っていき、検査室の受付が右試験管に受付番号を記入した上、同じ通し番号を記入した空の試験管を用意し、分離した血清を右空の試験管に入れて柴検査員に手渡すという取り扱いになっていた(西野の一〇回証言二九丁、柴の一一回証言一三項から一五項、一九項から二二項、一二回証言六項から一五項、五七項から五九項)。

第一HCV検査について

平成四年七月二九日に採取され、冷蔵保存された原告の血清が、翌三〇日、柴検査員のもとに届けられた。その際の血清状態は乳びのまま均一に混ざったものであったが(中性脂肪が溶け込んでいる状態)、柴検査員は普通の乳びと思って、そのまま栄研キット添附の説明書に記載された操作法に従い検査したところ、数値が26.3という強陽性の結果が出た(乙13、15、24、25、濱本証言二五項、柴の第一一回証言六項、三七項、五二項、一二回証言四六項、六四項、六五項、七七項、八八項から九四項)。

第二HCV検査について

平成四年九月一〇日に採取され、マイナス四〇度の冷凍室で保存された原告の血清を、翌一一日、柴検査員が解凍し、ミキサーで均一にしてから冷却遠心したところ、乳び血清の上澄にラード状の乳びが分離したので、それを取り除き、第一HCV検査と同様の操作法に従い検査したところ、数値が0.01という陰性の結果が出た(乙3、15、20の1ないし3、22、23、26の1ないし3、西野の九回証言二七丁裏、柴の一一回証言六項、四三項から四八項、五〇項、五二項、一二回証言三一項から三四項、七七項)。

第三HCV検査について

マイナス四〇度の冷凍庫に入れて保存していた第一HCV検査の際に使用した残りの血清を、柴検査員が第二HCV検査と同様に解凍した後、同様の手順にしたがって検査をしたところ、数値が低いマイナスという陰性の結果が出た(乙15、20の1ないし3、22、23、26の1ないし3、柴の第一一回証言四六項、四八項、五二項、五七ないし五九項、一二回証言三八項、七二項から七三項)。

RIA法(IRMA法)

被告病院が本件HCV検査に使用した栄研キット、すなわち、IRMA法による検査方法は、原理的にはRIA法と同じであり、同法に包摂されるものであるが、具体的には、ビーズに抗原であるC型肝炎ウイルスを附着させ、それに対する患者の血清中の抗体とラジオアイソトープを組込んだ標識抗体の結合の割合を測定し、標識抗体との結合物が多ければ(患者の血清中の抗体が少なければ)HCV抗体が陰性であり、逆に少なければ(患者の血清中の抗体が多ければ)陽性ということになるというものであって、かなり正確に(数値)測定ができる精度の高い測定法であるが、類似の物質(例えばB型肝炎ウイルス)あるいはそれ以外のものが抗原に附着して抗原抗体反応を妨害し、あるいは同様の反応を起こす可能性のあることが指摘されており(乙16、17、31、32、濱本証言六項から一七項、柴の一一回証言一〇項)、また、平成四年七月当時、RIA法の測定技術に関する文献(一九九〇年〔平成二年〕一二月一〇日改訂新版)(乙14)には、測定値に著しい正負誤差を招く原因となるものに溶血や乳びがあること、乳び血清では乳びの主成分である外因性カイロミクロンが抗原抗体反応に影響を与え、正誤差を生む場合があり、その例としてAFP測定における乳びの影響の実験結果の表が記載されていることが認められる。

② 原因について

そこで、以上の事実をもとに検討するに、第一HCV検査と第二HCV検査及び第三HCV検査との違いは、血清を冷凍保存したかどうか、ラード状の乳びを取り除いて検査したかどうかという点にあるところ、冷凍保存の点については、それを冷蔵保存したこと自体によって検査結果に著しい正負誤差を招くことを窺わせる証拠はなく、その違いはむしろ乳び血清からラード状の高度の乳びを取り除いたかどうかという点にあることが可能性として指摘でき(乙18、濱本証言一九項から二二項、二六項、二九項、五八項、柴の一二回証言三五項)、したがって、第一HCV検査結果の強陽性を招いたのは、そのような高度の乳びが抗原抗体反応を妨害したことが可能性として指摘できる(なお、本件証拠を精査するも、その確定まではできない)。

(2) ところで、被告病院が本件HCV検査に使用したIRMA法による検査試薬は前記(一)(2)②のとおり、我が国において、平成元年一一月に血液センターで正式に採用され、平成四年四月から被告病院で取り入れられたものであること、証拠によれば、当時、検査試薬としては被告病院が本件HCV検査に使用した栄研キットを含めて二社くらいしかなかったこと(柴の一二回証言七八項)、右栄研キット添付の説明書(乙16)には、操作上の留意事項として妨害物質に関する記載があるが、その内容は妨害物質としての否定的な内容のみが記載されており、本件のような乳びを含め肯定的な妨害物質についての記載はなされていないことを認めることができ、右事実を併せ考慮すれば、検査試薬品の添付書類の記載事項は、当該検査試薬の測定系に最も高度な情報を有している業者が、これを使用する検査員や右測定結果を判断する医師等に対して必要な情報を提供する目的で記載するものであるから、検査員や医師等が当該検査試薬を使用し、その結果を判断するに当たっては、特段の事情のない限り、右文書に記載された操作上の留意事項に従い検査、判断すれば、検査員や医師等に要求されている注意義務を尽くしたものと解するのが相当である(前記最高裁判所平成八年一月二三日判決参照)。

なお、前記(1)①認定のとおり、RIA法の測定技術に関する文献には、測定値に著しい正負誤差を招く原因となるものに溶血や乳びがあること、乳び血清では乳びの主成分である外因性カイロミクロンが抗原抗体反応に影響を与え、正誤差を生む場合があり、その例としてAFP測定における乳びの影響の実験結果の表が記載されていることが認められるけれども、それらは一報告例であって、右情報が一般的に普及していることを認めるに足りる証拠はなく、右のとおり、検査試薬の測定系に最も高度な情報を有している業者が、その説明書に乳びが妨害物質になることの記載をしていないこと、また、証拠によれば、一般の病院に勤務する医師や検査員にとって、右説明書以外に知識を得る機会は通常ないこと(濱本証言三四項、三八項、四九項、六九項、八九項、九〇項、西野の九回証言一八丁、柴の一二回証言二一項、二五項、五〇項)を認めることができ、右事実を併せ考慮すれば、一般の病院に勤務する医師や検査員に対し、乳びがHCV抗体IRMA測定の妨害物質になり得ることの可能性、それが著しい正誤差を招く原因となることまで予測するのを期待するのは困難というべく、現に西野医師や柴検査員にはそのような知識もなかったのであるから(西野の一〇回証言二〇丁裏から二一丁表、柴の一一回証言六二項、六五項、一二回証言四九項、五〇項)、同人らに対し、そこまでの注意義務を課することは当時の医療水準に照らしてもできないというべきである。

(3) そこで、これを本件について見るに、証拠によれば、西野医師は、第一HCV検査と第二HCV検査の結果が異なった原因につき、他の医師とも相談した結果、原告の高脂血症が影響した可能性が考えられるけれども、あるとしてもごくわずかのデータの誤差であり、それだけでは本件のように強陽性から陰性になる理由として説明ができないという結論に達したこと、その際、柴検査員にも聞いてみたところ、同じような意見だったことから、結局、西野医師としては、原因が特定できず、原告に対しても、原因がわからないとしか説明することができなかったことを認めることができ(西野の九回証言二九丁から三〇丁、三四丁裏、一〇回証言二〇丁表、二二丁、原告三三項)、そうであれば、原因が可能性の領域に止まり、合理的な化学根拠に裏付けられた説明ができない以上、西野医師に対し、検査結果が異なった原因について、それ以上に調査解明し、明確に説明することまで期待するのは困難というべく、そこまでの注意義務はないというべきである。よって、原告の主張は採用できない。

2  腹腔鏡検査前におけるHCV再検査義務について

前記1(一)(4)認定のとおり、西野医師は、第一HCV検査の26.3という数値に対し、原告に輸血歴があり、肝機能障害の疑いがあったことからC型肝炎の疑いを強く抱いたこと、証拠によれば、その際、西野医師は、26.3という数値がかなり高い数値であると感じたものの、二〇とか三〇という数値が出るケースもあったことから、再検査の必要を感じるような異常な数値とまでは思わなかったこと(西野の九回証言一八丁表、一九丁、三一丁表、一〇回証言五丁裏から六丁)、柴検査員としても二〇とか三〇という数値はたまに出るので26.3という数値がそんなに珍しいものではなく、同じ検体を二つに分けて検査し、同じ結果が出たことから間違ったと感じるほどの数値とは思わなかったこと(柴の第一二回証言二二項)が認められること、そして、右事実に前記1(二)(2)認定のとおり、西野医師らに対し、HCV検査に乳びが著しい正誤差を招く原因になることまで予測する注意義務を課することはできないことを併せ考慮すれば、西野医師に対し、右数値に疑念を抱き、その段階でHCVの再検査をすべき注意義務まで認めることはできないというべきである。よって、原告の主張は採用できない。

3  肝生検前におけるHCV再検査を待つ義務について

(一) 証拠によれば、腹腔鏡検査後、原告は、西野医師に対し、HCVの再検査を希望し、その結果を見て肝生検をするかどうか決めたい旨希望していることが認められるけれども(乙2、西野の九回証言二六丁、原告三〇項)、他方で証拠によれば、西野医師としては、C型肝炎というのは、肝臓の障害が不均一に現われるケースが多く、腹腔鏡により観察できた左葉だけが正常でも右葉が傷んでいるケースも経験していたことから、他の医師の意見も聞いた上、実際に右葉から組織採取をし、肝生検を実施した上で確定診断する必要があると判断する一方、再検査の結果いかんにかかわらず、第一HCV検査の結果を考えると、C型肝炎でないという確証を得るためには肝生検は必要であると判断し、その旨原告に対して説明した上で超音波(エコー)下の肝生検を実施していることを認めることができ(西野の九回証言二七丁表、一〇回証言一三丁から一五丁表、一九丁から二〇丁表、二五丁裏から二六丁)、原告供述を含め右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二) 右認定事実によれば、西野医師が原告の意に反して肝生検を実施したとまでは認めることはできず、原告の主張は採用できない。

二  柴技術員の過失について

1  検体の取り違え、検査結果の読み違えについて

前記一1(二)(特に同(1)①のから)で認定した事実によれば、被告病院においては、患者から採取した血液と柴検査員のもとに届けられる血清との同一性は、通し番号によって識別できることになっており、検体を取り違えたことを窺わせる証拠はなく、また、第一HCV検査についても第二HCV検査及び第三HCV検査と同様の操作法に従い検査をしており、特に第一HCV検査の際には同一の血清を二つにわけて検査をしているのであって、検査結果を読み違えたことを窺わせる証拠もない。よって、原告の主張は採用できない。

2  第一HCV検査における血清の冷凍保存及び乳び除去義務について

前記一1(二)(特に同(1)②、同(2))で認定した事実によれば、第一HCV検査の際に冷凍保存をしなかったこと自体が検査結果に影響を与えたと認めるに足りる証拠はなく、また、柴検査員についても、西野医師同様、HCV抗体IRMA測定に乳びが妨害物質になり得ることの可能性、それが著しい正誤差を招く原因となることまでの予測を期待するのは、当時の医療水準に照らしても困難というべく、原告の主張は採用できない。

三  結論

以上によれば、結局、西野医師及び柴検査員には過失ないし注意義務違反を認めることはできず、原告の請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官山田整)

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