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松江地方裁判所 平成12年(ワ)51号 判決 2002年3月06日

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

被告は,原告に対し,10,000,000円及びこれに対する平成11年9月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

1  事案の骨子

本件は,国立大学の助教授が教授昇任人事手続において担当者による著しい違法行為により教授への昇任ができず精神的苦痛を被ったとして,被告に対し国家賠償法1条1項に基づき,慰謝料とこれに対する遅延損害金を求めた事案である。

2  争いのない事実及び証拠上容易に認定できる事実

(1)  当事者

原告は,島根大学助教授であり法文学部言語文化学科ヨーロッパ言語文化講座フランス文化研究室に所属している(争いがない。)。

Aは,平成10年4月1日から平成12年3月31日まで,島根大学法文学部長であり同時に同学部人事委員会委員長の職にあった者である(乙29,証人A)。

(2)  教員昇任人事の手続概要等

島根大学法文学部における教員昇任人事の手続概要は,以下のアないしサのとおりである。なお,島根大学法文学部の組織と昇任人事案件の流れの概略図は,別紙の「法文学部の組織と昇任人事案件の流れ」のとおりである(乙25,証人C)。

ア 島根大学法文学部教授会(以下,単に「教授会」という。)は,教員の任免その他人事に関する事項を審議し(教授会規則4条2号。乙2),同大学法文学部人事委員会(以下,単に「人事委員会」という。)は,上記教員の人事に係る審議を行うことを目的として法文学部に設置され,専任教員の採用,昇任及び定員配置に関すること,人事に係る資格基準に関する形式的適合性に関すること等の事項について審議するものとされている(人事委員会規則1条,2条1項,4条1号,2号等。甲5)。

人事委員会は,学部長,各学科長,各学科代表からなる委員によって組織され,委員長は,学部長をもって充てる(人事委員会規則3条,5条1項。甲5)。人事委員会は,委員全員の出席をもって成立し,委員の3分の2以上をもって議決する(人事委員会規則6条2項。甲5)。

また,法文学部の学科又は教室に,教員の昇任等について協議するため,学科全員協議会又は教室全員協議会を設け,上記協議会は,島根大学教員選考基準に基づいて,教員の昇任候補者等の適格性を協議し,人事委員会に申請の可否を決するものとされている(協議会規則1条,3条。甲5)。

イ 教員の昇任人事,資格審査に係る申請は,所属する学科又は教室全員協議会から人事委員会に対して行い,その際,当該学科・教室は,所属する学科長に事前に報告を行うものとする(争いがない。)。上記の申請があった場合,人事委員会委員長が人事委員会を招集し(争いがない。),議長は委員長をもって充てる(人事委員会規則6条1項1号,同細則2条。甲5)。

ウ 人事委員会における審議の後,受理されれば,人事委員会は,当該学科又は教室から推薦を受けた委員候補4名(同一専門領域から2名,近接専門領域から2名)に人事委員会委員1名(当該教室の所属する学科の委員2名のうち1名を選出するのが慣例となっている。)を加えた5名に業績審査委員会委員を委嘱し,業績審査を業績審査委員会に付託する(争いがない。)。

エ 人事委員会委員長は,業績審査委員会委員の氏名を教授会構成員全員に通知する(争いがない。)。

オ 法文学部長が第1回の業績審査委員会を招集し,同委員会において,委員の互選により委員長を選出する(争いがない。)。

カ 業績審査委員会委員長は,第2回以降の業績審査委員会を招集し,業績審査を行う。業績審査委員会は,委員全員の出席をもって成立し,委員の3分の2以上をもって議決する(争いがない。)。

キ 業績審査委員会は,付託を受けた教員の昇任に係る業績審査を行い,業績審査の経過及び結果を人事委員会に報告する(業績審査委員会規則2条,6条。争いがない。)。

ク 人事委員会は,業績審査委員会の報告を受けて審議し,その結果を教授会に報告する。ただし,昇任人事の申請が否決された場合は,理由を付して,当該学科又は教室に通知することをもって教授会への報告に代えることができる(人事委員会規則8条。争いがない。)。

ケ 教授会は,人事委員会並びに業績審査委員会の報告を受け,投票により昇任人事の可否について最終的な決定をする(争いがない。)。

コ なお,教員の昇任等に関する資格審査は,教員選考基準,人事委員会規則,同細則及び業績審査委員会規則によるほか,以下の基準によってこれを行う(教員資格審査基準申合せ1条1号,3号,同号注2)とされている(甲5)。

(ア) 資格の認定に際しては,学科又は教室の主体性を尊重する(1号)。

(イ) 資格の最低基準としての論文数等の目安のうち,言語文化学科の教授については,論文数10以上とするほか,研究・教育歴を考慮の対象とする(3号)。

(3号注2)何をもって論文と見なし,又は準ずるものと見なすかは当該学科又は教室の判断に基づく。

サ 教員の人事に関し不服のある者は,人事委員会に不服申立てをすることができる(人事委員会規則9条。甲5)ところ,教員から人事に関し不服の申立てがあった場合には,人事委員会は必要な調査を行わなければならないとともに,右調査の結果,不服申立てが妥当と認められるときは,教授会等に対し適切な処置をとるように要請しなければならず,かつ上記各対応について申立人に報告しなければならない(人事委員会細則6条。甲5)。

(3)  原告の昇任人事に係る事実経過と業績審査委員会の結論等

ア 原告は,ヨーロッパ言語文化教室全員協議会(以下,単に「教室全員協議会」ともいう。)の審議において教授昇任人事を人事委員会に申請することが承認されたため,平成10年11月26日,教室全員協議会から人事委員会に対して原告の教授昇任人事の申請書(甲2)が提出された(争いがない。)。

イ 人事委員会は,上記申請を受け,B,C,D,E及びFに業績審査委員会委員を委嘱し(争いがない。),人事委員会委員長Aは,平成11年1月19日,その旨関係者に通知した(甲3,乙29)。

ウ 人事委員会委員長A(法文学部長)は,第1回目の業績審査委員会を招集した(乙29)。その後,D助教授が業績審査委員会の委員長に選出され,平成11年2月2日及び同月4日の2回にわたり,原告の昇任人事に関する案件を議題として業績審査委員会が開催された(争いがない。)。

エ 業績審査委員会は,2日にわたる議論の末,原告の論文を7本ととらえるB,E及びFの各委員と10本とするC及びDの各委員の意見が対立したため,D業績審査委員会委員長の提案で原告の教授昇任の資格の有無について投票により決することとした。投票の結果,原告の教授昇任資格ありとするのが2票,そうでないと考えるのが3票であった(甲4,乙5)。

そこで,業績審査委員会は,原告が業績として挙げた論文12本のうち5本が論文として認定されなかったとして,原告の業績が教授昇任には不十分との結論に達した(争いがない。)。

(4)  原告の不服申立てと調査作業部会及び人事委員会の結論等

ア 人事委員会の委員長であるAは,平成11年2月10日の人事委員会において,業績審査委員会の上記報告を受けて原告の教授昇任人事について審議したところ,教授としての業績が不十分であるとの理由で原告の教授昇任が否決された旨平成11年2月17日付けで教室全員協議会の代表に通知した(甲6)。

イ 原告は,平成11年3月18日,上記人事委員会の決議を不服として,人事委員会委員長Aに対して,不服申立てを行った(争いがない。なお,甲7によれば,不服申立てのあて先は人事委員会であると認められる。)。なお,教室全員協議会代表Cも同様に不服申立てを行った(乙4)。

ウ 平成11年4月5日付けの「今,公正な判断を!」と題する文書(以下「4月5日文書」という。)が,教室全員協議会名で法文学部教官に配布された(甲9,弁論の全趣旨)。

エ Aは,法文学部長及び人事委員会委員長として,平成11年4月22日,人事委員会作成の「4月5日文書に対する学部長・人事委員会見解」と題する文書を配布した(乙6,弁論の全趣旨)。

オ 平成11年5月10日付けの「今こそ,公正な判断を!」と題する文書(以下「5月10日文書」という。)が,教室全員協議会名で法文学部教官に配布された(甲10,弁論の全趣旨)。

カ 人事委員会は,平成11年5月12日,原告及び教室全員協議会から提出された上記不服申立てに対する調査のため,人事委員会内に調査作業部会を設置することとし,G(調査作業部会代表),H及びBを調査作業部会委員に指名した(乙7,8)。

キ 調査作業部会代表Gは,平成11年5月17日,原告に対し,不服申立てに関する調査の問い合わせを行った(乙7)。さらに,作業部会代表Gは,平成11年5月18日,教室全員協議会代表Cに対し,不服申立てに関する調査の問い合わせを行った(乙8)。

ク 他方,原告は,作業部会代表Gに対して,平成11年5月18日に原告の不服申立てに関する調査問い合わせについて,調査方法に問題がある(原告が,公正な立場をとりうる事務官による記録,原告の依頼できる教官の同席,カセットテープによる録音を要求したところ,いずれも調査作業部会から拒否された。)として電話で拒否し,平成11年5月19日,文書による質疑応答をすることを提案した(乙9)。

ケ 教室全員協議会代表Cは,平成11年5月25日,作業部会代表Gに対し,不服申立てに関する調査についての質問と要請の文書を提出した(乙10)。

なお,上記質問の中には,調査は第三者機関に付託すべきであると考えるが,第三者機関でない人事委員会内に調査作業部会を設置した理由の説明を求めるものが含まれていた。他方,作業部会代表Gは,平成11年6月3日,教室全員協議会代表Cに対し,平成11年6月8日に不服甲立てに関する調査,問い合わせを行う旨通知した(乙11)。

コ 調査作業部会は,平成11年6月8日,教室全員協議会に対し,不服申立てに関する調査,問い合わせを実施した。その際,作業部会代表Gは,教室全員協議会の提出した質問及び要請に関しては,人事委員会が判断することになっていると説明したため,教室全員協議会代表Cは,同日,人事委員会に対し,上記と同趣旨の内容の不服申立てに関する質問と要請の文書を提出した(乙12,弁論の全趣旨)。

サ 法文学部長及び人事委員会委員長Aは,平成11年6月9日,「『5月10日文書』についての学部長・人事委員会見解(メモ)」を作成した(乙13)。

シ 作業部会代表Gは,平成11年6月10日,原告に対し,不服申立ての補充,修正の有無について問い合わせを行ったところ(乙14),原告は,平成11年6月14日,不服申立ての補充,修正をしない旨回答した(乙15)。

ス 人事委員会委員長Aは,平成11年6月18日,教室全員協議会代表Cから提出されていた平成11年6月8日付け文書に対する人事委員会としての回答を行った(乙16)。その内容は,調査作業部会が島根大学法文学部人事委員会細則6条に基づいて設置されており,調査の具体的な方法・内容にかかわる質問・要請には答えられないとするものであった(乙16)。

セ 調査作業部会委員Hは,平成11年7月21日,原告及び教室全員協議会代表Cに対し,申立書の内容確認の問い合わせを行った(乙17,18)。

これに対し,教室全員協議会代表Cは,H委員が行った問い合わせに関する要望と質問の文書を提出した(乙19)。また,原告は,平成11年7月23日,H委員の上記問い合わせに対して,教室全員協議会代表Cの不服申立ての内容と変わるところがない旨の回答を行った(乙20)。

ソ 教室全員協議会代表Cは,平成11年7月26日,H委員が海外研修の予定であるとして,人事委員会委員長A及び作業部会代表Gに対し,平成11年7月21日付けでH委員からの問い合わせに対する回答を行った(乙21)。

タ 人事委員

会委員長Aは,その後,調査作業部会の委員としてIを加えることにした(乙22,弁論の全趣旨)。

チ 調査作業部会は,平成11年9月14日,人事委員会委員長Aに対し,調査結果を報告した(乙22)。その結論は,原告及び教室全員協議会から出された不服申立ては理由がないとするものであった。

ツ 人事委員会委員Aは,上記報告を受けて,人事委員会で審議し,了承を得たとして,平成11年9月14日,原告及び教室全員協議会に対し,不服申立てに対する調査報告(甲8)を通知した(争いがない。)。

3  争点及び争点に関する当事者の主張の要旨

(1)  本案前の主張

(被告の主張)

ア 本件訴えは,部分社会の法理ないし大学自治の観点から司法審査が及ばない。

すなわち,大学は,学生の教育と学術の研究とを目的とする教育研究施設であって,その設置目的を達成するために必要な諸事項については,法令に格別の規定がない場合でも,学則等によりこれを規定し,実施することのできる自律的,包括的な権能を有し,一般市民社会とは異なる特殊な部分社会を形成している。このような特殊な部分社会である大学における法律上の係争のすべてが当然に裁判所の司法審査の対象になるものではなく,一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題は,特段の事情のない限り,司法審査の対象から除かれるべきものである。

さらに,憲法23条は,大学の自治を認めており,大学の自治には大学の教授そのほかの研究者の人事に関する自治も含まれている。したがって,大学の自治権の行使として行われた大学の教員人事等の処置については,特段の事情のない限り,当該大学の自主的,自律的解決にゆだねるべきものである。

原告の主張するA教授の職務上の違法行為は,同教授が人事委員会委員長として,原告の昇任人事案件につき手続的に違法な職務行為を行ったというものであり,その内容は,①業績審査委員会の報告に係る決議には,教員資格審査基準申合せ1条3号注2の明文規定に違反し,原告の論文業績に関する教室全員協議会の判断を全く無視してなされた明白かつ著しい違法のあることを認識しながら,人事委員会において原告の教授昇任を否決したこと,②原告からの不服申立てについての調査報告が,一方当事者である人事委員会の内部に調査作業部会を設置して不服申立ての審査を行い,かつ専ら人事委員会側にのみ事情聴取等の調査をし,申立人である原告には内容確認の問い合わせをしただけで申立てに理由がないとした点において,余りにも公平を欠いた違法なもので,このような調査報告に基づき,原告の不服申立てを棄却したことである。これら主張は,教授への昇任人事選考に関する手続中,大学内部の自治的規範で規定され,大学内部にその適用範囲が限定される部分についての違法を主張しているものにすぎず,一般市民法秩序と直接関係を有するものではない。

また,原告の主張する精神的苦痛は,原告が教授に昇任できなかったことによる精神的苦痛である。しかし,教授昇任を認めるかどうかは,人事権者である学長及び教授会に広範な裁量権が認められているのであり,学校教育法所定の教授の資格要件を具備するからといって,その者に教授昇任を求める法的請求権や法律上保護されるべき期待権が認められるものではない。そうすると,原告には,教授昇任に必要な資格を得ること自体について法律上保護された利益を有する者ではないから,原告の有する市民法的権利が侵害されたものとはいえない。

以上からすると,本件訴えは不適法である。

イ 本件訴えは,裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」に該当しない。法律上の争訟として司法審査の対象となるためには,当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否の紛争であって(要件①),紛争が法令の適用によって解決することができるものであること(要件②)のほかに,事柄の性質上,司法審査に適しないような事情の存しないこと(要件③)が要求されている。

本件請求は,国家賠償法1条1項に基づく請求であり,本訴請求の前提として,A教授が人事委員会委員長として原告に対して負担する職務上の法的義務違背とこれに基づく原告の法的権利ないし法律上保護された利益の侵害の有無について判断することが要求されることになるが,これは上記の要件③を満たさないものである。

したがって,この点からも,本件訴えは不適法である。

(原告の主張)

ア (被告の主張)アについての反論

被告の主張は,要するに,大学という一般社会と隔絶した特殊社会における教授昇任審査手続は,大学の自主的,自立的判断にゆだねられているというものである。

法の支配は,社会の隅々にまで行き渡らなければならない。正当な権利を実現し,不当な権利侵害を救済するためには,公開の場で公正な立場の裁判官によって,当事者の主張を十分聞いた上,法を適用して当事者間の紛争を解決すべきである。司法審査の対象を抑制することがあってはならない。そして,当該団体の行った処分が,その処分を受けた者の地位や収入や名誉等の市民的生活を営む上で影響を与えるものである限り,「法律上の争訟」として司法審査の対象となる。

原告は,教授となるべき資格を有しており,不当に教授昇任を妨げられたものである。教授という社会的地位,職業的身分を排除され,教授としての収入を絶たれることになるのであり,不当に教授を罷免された場合と同様の事態である。市民法的秩序を著しく乱したものであり,司法による救済がはかられなければならない。

イ (被告の主張)イについての反論

そもそも被告の主張にいう要件③は,必要な要件ではない。仮に,被告の主張のとおりだとしても,司法審査は及ぶものと解すべきである。すなわち,本件は,教授に昇任すべき者が,不当に昇任を妨げられ,その結果,社会的地位と名誉を侵害され,あるべき収入を絶たれているのであるから,司法による救済がはかられることは当然である。

(2)  本案の主張

(原告の主張)

ア 人事委員会委員長Aの違法行為

(ア) 人事委員会委員長Aは,業績審査委員会における決議に明白かつ著しい違法があることを認識しながら,人事委員会の議長として人事委員会の会議の席上,原告の教授昇任の否決を行った。

業績審査委員会における決議の違法とは,以下のとおりである。すなわち,教員の昇任等に関する資格審査は,上記第2の2(2)コのとおり(4ページ)である。教員資格審査基準申合せ1条3号の注2は,何をもって論文と見なし,又は準ずるものと見なすかの決定権が当該学科又は教室にあるものとしており,業績審査委員会にあるものとはしていない。本件において,業績審査委員会は,上記第2の2(3)エのとおり(5ページ)の結論に達したが,その際,B,E及びFの各委員は,教室全員協議会で論文と認定されたものを結論がないとか方法論が間違っているなどの形式的理由で論文ではないとしたものである。業績審査委員会の上記結論は,教員資格審査基準申合せ1条3号注2に違反したもので,明白かつ著しい違法がある。

(イ) 原告の人事委員会に対する不服申立てに対し,人事委員会委員長Aは,上記第2の2(4)イないしツのとおり(6ページ以下),原告の不服申立てを認めなかった。人事委員会の調査報告(甲8)は,①調査作業部会を第三者機関ではなく一方当事者である人事委員会の内部に設置したこと,②原告の不服申立てに対して専ら人事委員会側にのみ事情聴取等の調査を行い原告に内容確認の問い合わせをしたにとどまることから,著しく公平を欠く違法なものである。

イ 原告の損害

原告は,人事委員会委員長Aの上記不法行為により教授に昇任できなくなり,多大な精神的苦痛を被った。その苦痛は,金銭に評価すると10,000,000円を下らない。

(被告の主張)

ア (原告の主張)アについての反論

(ア) (原告の主張)ア(ア)について

法文学部における人事関係諸規則としては,①人事委員会規則,②その下にある人事委員会細則及び③業積審査委員会規則が定められている(甲5)。教員資格審査基準申合せは,これら規則に従って行われる人事案件の円滑な審議に資するために,特に研究業績の審査に関する運用上の事項について制定されたものである。そうすると,教員資格審査基準申合せを基本的に根拠づけるのは,右①ないし③の規則あり,これら規則に優越する解釈を教員資格審査基準申合せから導き出すことは不適切である。

人事委員会は「学科又は教室の主体性を尊重しつつ,公平・円滑な人事運営を図る」(人事委員会規則2条2項)ために設置されたものであり,人事委員会の下に置かれる業績審査委員会の任務は「教員の採用及び昇任に係る業績審査を行うこと」(業績審査委員会規則2条)であり,その業績審査の範囲等に関しては人事委員会細則5条に規定されている。業績審査委員会は,委員の3分の2以上をもって議決することとされ(業績審査委員会規則5条2項),「申請を否決した場合は,理由を付して当該学科又は教室に通知することをもって教授会への報告に代えるものとする。」(人事委員会規則8条)とされていることなどにおいて端的に示されるように,業績審査委員会は教室の判断を尊重しつつも,何をもって論文として評価するかについて実質的に判断する機関であり,審査の権限を有することは明白である。

教員資格審査基準申合せ1条3号注2前段は「何をもって論文と見なし,又は準ずるものと見なすかは当該学科又は教室の判断に基づく。」とされている。上記申合せは,法文学部が複合学部で多様な専門領域から構成されているため,研究業績のうち何を論文とし,何を参考とするかについての形式基準についての認識にも専門領域により相当の開きがあり,形式的基準に関する無用の混乱を避けるために,申請時における研究業績の区分は教室の主体性にゆだねるという趣旨で制定されたものである。すなわち,上記申合せは,教員の資格審査を申請するに際しての学科又は教室の業績判断について述べたにすぎず,業績審査に関する教室の「決定権」を認めたものではない。

原告の主張は著しく失当である。

(イ) (原告の主張)ア(イ)について

原告の主張の調査作業委員会の設置に関する①については,以下のとおり理由がない。すなわち,人事委員会規則9条,10条,同細則6条1項が,人事委員会自体が教員の人事に関する不服申立ての審査機関であり,かつそのために必要な調査を行う調査機関である旨明文で規定しており,事実関係等の調査を他の外部機関にゆだねることが同規則,同細則の規定に反することは明らかである。調査作業部会を人事委員会の内部に設置して必要な調査を行ったことは,特に社会通念上著しく相当性を欠いたものとは認められず,むしろ人事関係諸規則の規定の在り方にまさに合致するものであるから,この点に関する原告の主張は理由がない。

次に,原告の主張の調査方法が不公平であるとの②についても,以下のとおり理由がない。すなわち,調査作業部会は,原告の不服申立ての内容,趣旨等に不明な点があったため,原告に対する面談による調査を予定した。原告は,調査方法に関する種々の条件(書記又は録音,原告が依頼した教官の立会い)の履行を調査作業部会に対して要求し,これが受け入れられないことを理由に直前になって上記調査への出席を拒否したものである。人事委員会がいかなる調査方法によるべきかについては人事委員会の裁量にゆだねられていると解すべきであるから,原告の上記要求に応じなかったことの一事をもって人事委員会の裁量権の範囲を超えるなどということはできない。原告の対応が上記のようなものであったため,作業部会代表Gは,やむを得ず文書という間接的な形式による調査ということで原告と合意せざるを得なかったものである。また,調査作業部会から原告に対する文書による問い合わせに対して,原告が申立書に補充・修正する内容はないと回答したため,調査作業部会は,不服申立書を慎重に検討することで調査は尽くされていると判断した。また,調査作業部会は,人事委員会のほか,学科代表会議,人事関係諸規則の制定,改正に携わった委員などにも必要と認めた範囲で事情聴取等を行っており,人事委員会側のみに調査を行ったものではない。

以上から,原告の主張は理由がない。

イ (原告の主張)イについての反論

否認ないし争う。

第3争点に対する判断

1  原告の本訴請求及び被告の本案前の主張について

原告の本訴請求は,要するに,人事委員会委員長Aの違法行為により,原告が教授に昇任できず精神的苦痛を被ったして慰謝料を請求するものである。

原告の本訴請求は,国家賠償請求として慰謝料を請求するもので具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式をとっているが,その前提として,人事委員会委員長Aの違法行為がなければ原告が当然に教授に昇任できるかのような主張をしている。しかし,他方,島根大学法文学部の教授会が,人事委員会並びに業績審査委員会の報告を受け,投票により昇任人事の可否について最終的な決定をするものとされていることは,上記第2の2(2)ケの認定のとおり(4ページ),当事者に争いがない。これは,仮に,人事委員会委員長Aの違法行為がなかったとしても,原告が当然に教授に昇任できることを意味するものでないことは明らかである。そうすると,原告が,本訴請求において,教授会の上記最終的な決定権をどのように考えているのか必ずしも定かではないことになる。ところで,この教授会の決定権について裁判所が審理判断することができないことは,大学自治の観点から明らかである。原告の本訴請求が教授会の上記決定権にまで審理判断を求めているものであるとするなら,原告の本訴請求は,裁判所法3条にいう「法律上の争訟」に当たらないものといわなければならない。その限りにおいて,本件訴えの却下を求める被告の本案前の主張は理由がある。

しかしながら,本件訴訟の経過,原告の本件訴訟における主張等にかんがみると,原告の本訴請求には,原告の教授昇任手続が適正になされず,そのような適正な手続を享受できなかったこと自体に対する精神的苦痛(教授に昇任できなかったかどうかにかかわりない。)を理由とした慰謝料請求をする趣旨を含んでいるものと解することができる。このように考えるならば,裁判所は,上記教授会の決定権とはかかわりなく,原告の精神的苦痛について審理判断することが可能となる。そこで,次に,原告が本訴請求で主張している人事委員会委員長Aの違法行為について,裁判所の審理判断が及ぶかどうか検討する。原告が本訴請求において主張している人事委員会委員長Aの違法行為は,上記第2の3(2)の(原告の主張)アのとおりであり(12ページ以下),その内容は人事委員会委員長Aが手続的に違法な職務行為を行ったというものである。これは,手続の瑕疵に関する問題であり,形式的手続行為に関する問題といえるから,国立大学が被告のいう部分社会であり,大学の自治が認められているからといって,裁判所の司法審査が及ばないものではない。

したがって,以下においては,原告の本訴請求を上記の内容であるとして,本案について検討する。

2  本案について

(1)  業績審査委員会における決議の違法性の有無について

ア 既に認定した事実のほか,証拠(甲5,乙23,26ないし28,証人J,原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すると,以下の事実を認めることができる。

(ア) 島根大学法文学部における教員の人事案件は,かつては,教員資格審査委員会の審査を経て教授会で議決をする手続であった。

(イ) その後,島根大学法文学部は,平成元年,教員人事の発議・申請についての学科又は教室の主体性を尊重しつつもその独善性・閉鎖性を排除し,教員人事の客観性・透明性を確保し,また法文学部としての公平・円滑な人事運営を図るために,人事関係諸規則の改正を行った。改正後の人事案件処理の手続の概略は,上記第2の2(2)記載(2ページ以下)のとおりである。

(ウ) 教員資格審査基準申合せ(甲5,12ページ。平成9年12月改正前のものは乙23。)は,元来,資格審査委員会の審査を経て教授会で人事案件を処理するという手続をとっていた昭和59年4月に取り決められた。この申合せは,当時,「公式には明文化しない。」とされていたが,その趣旨は大学の規則集に登載して公開する取扱いをしない趣旨であり,法文学部の教員人事は,その後,人事関係諸規則のほかにこの申合せに従って行われてきた。

前項のとおり,平成元年の人事関係諸規則の改正に伴い,人事委員会・業績審査委員会の制度が発足し,その権限等も明確になった。しかし,教員資格審査基準申合せが業績審査委員会の判断を拘束するような人事関係諸規則の改正等の動きはなかった。

(エ) 教員資格審査基準申合せは,平成9年12月に改正された。この改正は,法文学部の学科体制の改組に伴う人事関係諸規則の見直しの一環であった。

教員資格審査基準申合せ1条3号注2は,従前は,「何をもって論文と見なし,又は準ずるものと見なすかは当該教室の判断によるものとする。」とされていたが,上記改正により「何をもって論文と見なし,又は準ずるものと見なすかは当該学科又は教室の判断に基づく。」とされた。その趣旨は,「判断による」との表現が,教室に判断権を専属させているかのようなニュアンスであるとの指摘を受け,人事案件処理の手続の趣旨及び運用からみて適切でなく,「判断に基づく」とすることで,同申合せが意図していた業績審査における教室の業績判断が相対的であることをより明確に表現したものである。すなわち,上記改訂は,人事案件処理手続の趣旨及び運用をより正確に反映させようとしたものであり,教室の役割を変更する意図もなく,まして教室の権限を強化する意図もなかったものである。

イ 判断

既にみたように,教員の昇任人事に関しては,教室全員協議会から人事委員会に申請を行い,人事委員会において業績審査を業績審査委員会に付託し,業績審査委員会の審査,さらに人事委員会の審議を経てその結果を教授会に報告される手続になっている。そして,このような手続においては,業績審査委員会の審査が,重要な部分を占めることになることが多いと考えられ,とりわけ,教員資格審査の重点項目をなす論文業績については,業績審査委員会の審査の中核をなすものと考えられる。そのような重要な判断について,学科又は教室の判断が,業績審査委員会の審査を拘束するとすることは,業績審査委員会の審査を無にするに等しく,平成元年の法文学部の人事関係諸規則の改正目的すなわち学科又は教室の主体性を尊重しつつもその独善性・閉鎖性を排除し,教員人事の客観性・透明性を確保し,また法文学部としての公平・円滑な人事運営を図るとする目的を大きく逸脱するものとなる。

教員資格審査基準申合せは,規則ないし細則ではなく「申合せ」とするにとどまっており,従前は公式には明文化されていなかったことからしても,人事委員会規則,同細則及び業績審査委員会規則の下位に位置するものと解するのが相当であり,被告において,上記第2の3(2)(被告の主張)ア(ア)指摘(13ページ)のとおりである。また,教員資格審査基準申合せは,平成9年12月に改正されたが,上記認定のとおり,学科又は教室の権限を強化したものではない。さらに,教員資格審査基準申合せ1条1号は,資格の認定に際しては,学科又は教室の主体性を尊重するとし,これを前提に同申合せ同条3号が規定されていることからすると,業績審査委員会は,論文の業績について学科又は教室の判断を尊重しつつも,これに拘束されることなく,独自の立場で業績審査を行うことができると規定しているものとみるのが相当である。

このように考えると,教員資格審査基準申合せ1条3号の注2が論文業績の審査の決定権を当該学科又は教室にあるものとし業績審査委員会にないとしているとの原告の主張は採用できない。

したがって,この点に関し,人事委員会委員長Aに違法行為はない。

(2)  人事委員会による調査の違法性の有無について

ア 調査作業部会を人事委員会の内部に設置した点について

原告が平成11年3月18日に業績審査委員会の決議に基づき人事委員会においてなされた原告の教授昇任否決の決議に対して,不服申立てを行ったこと,人事委員会が原告の不服申立てを受けて,必要な調査のために人事委員会内に調査作業部会を設置したこと,調査作業部会の調査の結果,「調査作業部会報告」(乙22)が人事委員会に提出されたことは,上記認定第2の2(4)のとおり(6ページ以下)である。

ところで,人事委員会規則9条は,教員の人事に関し不服のある者は人事委員会に申立てをすることができるとしている(甲5)。これを受けて,人事委員会細則6条1項は,教員から人事に関し不服の申立てがあった場合には,人事委員会は必要な調査を行わなければならないとしている(甲5)。しかし,上記調査の方法,範囲などについてこれを定めた規則等は見当たらない。

以上からすると,人事委員会は,原告の上記不服申立てを受けて,人事委員会細則6条1項により必要な調査を行わなければならないことになるが,そのために,人事委員会内に調査作業部会を設置したものと認められる。原告は,調査作業部会を第三者機関でなく人事委員会内部に設置したことを公平を欠くものと主張するが,そもそも,原告の不服申立てについての調査を第三者機関に行わせるような手続は存在していないのであり,調査作業部会を人事委員会内部に設置したことは当然であり,何ら違法な点はない。したがって,調査作業部会を人事委員会内部に設置したことが違法である旨の原告の主張は採用しない。

イ 原告の不服

申立てに対する事情聴取等の調査の仕方の点について

調査作業部会が原告に対して行った調査等は,上記第2の2(4)記載(6ベージ以下)のとおりである。すなわち,原告は,調査作業部会からの調査問い合わせに対して,調査方法について条件(事務官による記録,教官の同席あるいは録音テープによる録音をすること)を出し,これが受け入れないとなると,面接の方法による調査を拒否している。その後,調査作業部会は,原告に対しては,書面による調査の方法を採用し,原告において最終的には不服申立書に補充・修正する内容はないと回答したことから,調査を終えている。

人事委員会による調査については,前項で述べたとおり,人事委員会細則6条1項しかなく,同条項によっても具体的な調査方法を定めてはいない。結局,調査方法に関しては,人事委員会の広範な裁量にゆだねられているものと解するほかはなく,その裁量権の範囲を逸脱した場合のみ違法な調査となる。本件において,原告に対する調査方法は,上記のとおりであり,原告に弁明の機会を十分与えているといえるし,書面による調査をせざるを得なかったのは原告にもその責任がないとはいえないし,そのほかに社会通念上著しく相当性を欠いた事情も見当たらないといえるから調査の方法等に何ら違法な点は見い出せない。したがって,原告に対する調査方法が公平を欠くとの原告の主張は採用しない。

(3)  以上から,人事委員会委員長Aに違法な行為は存在しない。

第4結論

以上からすると,原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判官 横山光雄)

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