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松江地方裁判所 平成9年(行ウ)5号 判決 2003年2月10日

主文

1  被告が平成5年2月3日付けでなした原告に対する地方公務員災害補償法に基づく公務外認定処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

主文に同じ

第2事案の概要

1  本件事案の骨子

本件は,学校給食調理員として安来市内の小学校に勤務していた原告が,給食調理作業による手指への継続的力学的負荷により手指先端部が屈曲したとして,被告に対して地方公務員災害補償法に基づく公務災害認定の請求をしたところ公務外認定処分を受けたため,被告がなした公務外認定処分の取消しを求めた事案である。

2  争いがない事実等

(1)  原告は,昭和9年★月★日生まれの女性である。

原告は,昭和37年4月1日から昭和39年3月31日までは安来市A小学校のPTA雇用職員として,昭和39年4月1日から昭和45年3月31日までは安来市の臨時職員として,昭和45年4月1日から平成7年3月31日までは安来市の正規職員として,安来市内の小学校で給食調理作業に従事していた。

原告が給食調理員として勤務していた小学校は,安来市立A小学校(昭和37年4月1日から昭和45年3月31日),同B小学校(昭和45年4月1日から昭和53年3月31日),同C小学校(昭和53年4月1日から昭和57年3月31日),同D小学校(昭和57年4月1日から昭和61年3月31日),同E小学校(昭和61年4月1日から平成7年3月31日)であり,原告が勤務した各小学校における当時の給食対象者数,調理員数,調理員1人1日当たりの担当給食数(平均調理食数)は,別表のとおりである。

(2)  原告は,給食調理員として就労中に手指先端部のとう痛,屈曲を訴えるようになり,平成元年4月にF病院において受診したところ,同病院のG医師から,変形性手指関節症(両手指変形性関節症,以下単に「変形性手指関節症」という。)と診断された(もっとも,原告は遅くとも昭和53年ころから手指先端部のとう痛が,遅くとも昭和58年ころには屈曲がみられるようになったと主張するのに対し,被告は発症の時期を平成元年1月ころであると主張している。)。

その後,原告は,平成2年6月にH病院I医師を,平成8年4月にJ病院整形外科K医師を,平成5年4月,平成14年3月にL医師をそれぞれ受診し,変形性手指関節症あるいはへバーデン結節と診断された。

(3)  変形性手指関節症とは,手指関節の軟骨及び軟骨下骨の変性破壊が進む一方,そのことによる関節の不安定性を代償する形で新たな骨の新生が繰り返され,関節部位の腫脹,とう痛,発赤,末期には関節に新生した骨が隆起し結節を結成する疾患である。これと類似又は同一の疾患としては,示指から小指までの遠位指節間関節(第1関節,DIP)に症状が生じた場合のヘバーデン結節,近位指節間関節(第2関節,PIP)に症状が生じた場合のブシャール結節が挙げられる。変形性手指関節症の発生機序については詳細は未解明であるとされているが,上記のおおまかな発生機序や,発症に加齢が関与しているという点については,論者の間でおおむね争いがない。

(4)  手指関節に関する疾患としては,変形性手指関節症のほか,慢性関節リウマチ,痛風,膠原病等が挙げられるが,現在までのところ,給食調理作業との関連性の有無が論じられた疾患は,変形性手指関節症のみである。

(5)  変形性手指関節症と給食調理員の調理作業との関連性に関する疫学的調査報告の一つに,中央労働災害防止協会が,地方公務員災害補償基金の委託に基づき行った調査研究の結果報告(〔学校等給食施設における給食調理員の勤務実態等に関する労働衛生学的調査結果報告書〕,以下「中災防報告」という。)がある。

この中災防報告は,一定程度の経験年数等を超える給食調理作業と変形性手指関節症との間には有意な関連があることを示唆し,発症の目安として,給食調理作業の経験年数が11年以上であって,かつ,給食数(各年度における調理員1人1日当たりの平均調理食数を経験年数分合計した数値)が2001食以上であるとの基準を示した。

(6)  そこで,被告においては,上記中災防報告の結果をもとに,以下の項目を目安にして公務起因性の有無が判断されている(以下「中災防判断基準」という。)。

① 当該職員の給食調理員としての経験年数が10年を超えていること

② 当該職員の総調理食数(各年度における調理員1人1日当たりの平均調理食数を経験年数分合計した数値)が2000食,かつ総平均調理食数(総調理食数を経験年数で除して得た数値)が200食を超えていること

③ 当該職員の平均調理食数が,全国の同等規模施設における平均調理食数を超える年度数が当該職員の経験年数の半数以上に及んでいるとか,それに準じる著しい公務過重の状況であるといえる特段の事情があると客観的に認められること

④ 当該職員が所属した給食調理施設において,当該施設における給食調理員の平均を下回らない程度の業務量,業務時間数,給食調理作業に従事していたと認められることもっとも,③,④の要件は,小規模給食調理施設における全国平均給食調理食数が,総じて100食を下回ること等にかんがみて,弾力的に運用する。

(7)  原告は,平成元年5月26日,被告に対し,上記手指先端部の屈曲は公務による災害であるとして,地方公務員災害補償法に基づく公務災害認定請求をしたが,被告は,平成5年2月3日,原告に対し,公務外認定処分をした。

(8)  そこで,原告は,平成5年4月12日,上記公務外認定処分を不服として,地方公務員災害補償基金島根支部審査会に審査請求をしたが,同支部審査会は,平成8年6月25日,審査請求を棄却する旨の裁決をした。

(9)  原告は,同年7月18日,上記裁決を不服として,地方公務員災害補償基金審査会に再審査の申立てをしたが,同審査会は,平成9年3月19日,再審査請求を棄却する旨の裁決をした。

3  争点及び争点に関する当事者の主張

原告の手指先端部屈曲は,給食調理作業(公務)に起因するものであるのか否か(公務起因性の有無)。

(原告の主張)

(1) 公務起因性の判断基準

労災制度が被災労働者の生活補償を目的とすることからすれば,公務起因性を判断するに当たっては,民事賠償制度における相当因果関係までを要求する必要はない。仮に,当該疾患と公務との間に相当因果関係が存することを要するとしても,相当因果関係を民事賠償制度よりも狭い枠組み(相対的有力原因説)で捉えることは,不当に被災労働者の救済を閉ざす結論を導くから失当である。

被告は,いわゆる相対的有力原因説(この内容は後記(被告の主張)の欄参照)を前提に,中災防判断基準に依拠して公務起因性の有無を判断している。

しかし,上記判断基準は,例えば,経験年数11年以上,総調理食数2000食以上といった数値の線引きを行っているもので恣意的なものである。また,この判断基準は,給食調理作業自体に変形性手指関節症の危険が内在していることを前提にしながら,同種の公務に従事している同僚等にとっても当該業務内容が過重であったか否かを要件とするために,変形性手指関節症にり患した給食調理員への救済の途を不当に閉ざすものである。

(2) 給食調理作業と変形性手指関節症の関係

給食調理作業は,手指に対して継続的力学的な負荷をかける作業であるところ,これは,変形性手指関節症の発症ないし増悪原因として作用するものである。現に多数の疫学的調査報告も給食調理作業と変形性手指関節症との関連性を指摘している。

(3) 原告の従事した給食調理作業の具体的内容

ア 原告の給食調理員としての経験年数は,昭和63年の時点でも10年をはるかに超える(中災防判断基準①)。その上,各年度における平均調理食数は,昭和37年から昭和44年のわずか8年間で,282食ないし322食,合計すれば2363食に達し,中災防判断基準にいう2000食を超えるものである(同②)。

イ(ア) 原告が従事した給食調理作業の中には,食材の洗浄,皮むき,野菜等の切裁,取っ手のないざる,ボール等の把持,開缶作業,蛇口操作,食材,食缶,食器等の重量物の運搬作業,食器や鍋,釜等の調理器具の洗浄作業,磨き作業,コンクリート床の洗浄等,手指に力学的負荷のかかる作業が多く含まれた。また,これらの作業は夏は高温多湿,冬は低温厳寒の環境の中で行われたため,これにより手指への負担は大きくなった。

また,原告は日本人女性平均に比して体格が小さかったため,男女平均体格に合わせて作られた調理設備,調理器具を用いる作業を強いられる中で,手指への負荷がさらに増強した。

(イ) 原告が当初勤務したA小学校では,冬場でもすきま風が入り込んでいたが,湯の配管はなかった。また,作業も手作業が多く,調理設備,調理器具も人間工学的な配慮に欠け,さらには,台車を用いることなく1度に20キログラムないし30キログラムもの重量物の運搬を強いられた。また,昭和44年ころまで脱脂粉乳,半乳がメニューとなっていたため,毎日,大へらを用いてミルク釜で粉をかくはんし,ミルクポットへ配缶する作業が加わった。

(ウ) 原告がその後に勤務したB小学校では,新校舎の竣工のために1年間,旧給食室から新校舎まで,数段の石段のある未舗装の通路を伝って合計重量約460キログラムにも及ぶ給食を63キロものリヤカーで3,4回に分けて運搬することを余儀なくされた。

(エ) さらに,C小学校では,ステンレス食器が採用された。ステンレス食器は一皿当たりの重量も重く,かつ,水分,食べ物の残りかすの付着により密着した食器をはがす作業によって指先に大きな負荷がかかった。

(4) まとめ

ア 以上のとおり,原告が従事した給食調理作業内容,原告に変形性手指関節症に関する他の危険要因がないことからすれば,給食調理作業における手指への継続的力学的負荷が,変形性手指関節症の発症ないし増悪原因となったものであり,その手指先端部の屈曲が公務に起因することは明らかである。

なお,被告は,公務起因性を判断するに当たって,原告が正規職員となった昭和45年4月1日以降の作業内容のみが公務起因性の判断において考慮されると主張するが,原告は,PTA雇用職員,臨時職員,正規職員時代を通じ一貫して安来市から賃金を支払われ,安来市の指揮,命令下にあったから,被告の上記主張は失当である。

イ 被告は,本件訴訟に至って原告が慢性関節リウマチにり患していたと主張したり,原告の既往歴をもとに,変形性手指関節症の危険因子として,力学的ストレスとは異なる種々の危険因子(性ホルモン異常,甲状腺機能異常等)を主張したりする。しかし,これは,当初被告がなした処分理由を訴訟になって差し替えるものであり,このような主張をすることは許されない。仮に,このような主張が許されるとしても,原告は慢性リウマチにり患していないし,被告が主張するところの変形性手指関節症の危険因子は原告の変形性手指関節症に何ら影響を与えていない。

(被告の主張)

(1) 公務起因性の判断基準

公務起因性を認めるためには,当該公務と疾病との間に相当因果関係が存することが必要であるところ,ここでいう相当因果関係は,民事損害賠償制度におけるそれよりも厳格な要件,具体的には当該公務が災害を引き起こすその他の要因との関係で相対的に有力な原因であったと評価できる事情があることまでをも要するというべきである(相対的有力原因説)。給食調理員に発症した変形性手指関節症は,未だその発症機序も明らかではなく,この疾患が給食調理に従事していない者にもしばしばみられる一方で,給食調理員の発症率も低いことにかんがみれば,この疾患が給食調理員に特異な疾患であるとも言い得ない。したがって,給食調理員に発症した変形性手指関節症が公務に起因するか否かは,当該公務が変形性手指関節症の相対的に有力な原因と認められるか否か,すなわち,公務過重性が認められるか否かという見地から判断されねばならない。そして,この公務過重性の有無は,当該公務に変形性手指関節症を発症させる危険が内在していたか否かの客観的な評価でなければならないことから,同種の公務に従事している同僚等にとっても過重であったか否かが問われなければならない。その意味では,中災防判断基準は,公務加重性の判断の目安としては合理的な基準である。

(2) 給食調理作業と変形性手指関節症の関係

変形性手指関節症は,加齢に基づく軟骨基質の退行性疾患である変形性関節症の一種である。この疾患は,加齢に伴う関節の老化現象に加えて力学的負荷,外傷,新陳代謝異常,遺伝的要因,急激な性腺活動の低下,骨関節軟骨の循環障害との関連性が指摘され,特に閉経期以後の女性に多く発症すると考えられている。本件では,原告が,手指先端部のとう痛,屈曲を訴えるようになった平成元年1月20日当時,閉経期にある中年女性であったことからすれば,加齢,性別,女性ホルモンの激減による影響は看過できない。

確かに,給食調理作業と変形性手指関節症との関連性をいう疫学的調査報告はあるが,これらは,他の職種との比較検討,加齢変化の関連性についての検討,一般人口と給食調理員との比較検討,職業特異性等の点において,なおも給食調理作業と変形性手指関節症との関連性を認めるには不十分である。また,これらは,縦断的・横断的調査を欠き,その調査方法も,調査対象者の選定や対象者数等の点において不備があるから,信用するに乏しい。

(3) 原告の従事した給食調理作業の具体的内容

ア 学校給食調理作業は昼食調理のみであり,この調理作業は複数の調理員のローテーションによって行われる上,各々の作業は短時間の作業である。

さらに,給食調理作業は,小学校に夏季,冬季,春季に長期休暇があるため,年間で170日ないし190日程度行われるにすぎず,個人的な休暇を含めると,その給食調理員の実就労日数はさらにこれを下回る。また,原告の場合,中災防判断基準に照らしてみれば,正規職員となった昭和45年度から昭和63年度まで(経験年数19年)に手掛けた総調理食数は2668食,総平均調理食数は約140食で200食を相当下回るし(中災防判断基準②),このうち,原告の所属した給食調理施設と同程度の規模の施設における全国の平均調理食数を超える年度は,昭和54年度から同57年度までと同62年度の合計5年間にすぎない(同③)。さらに,原告がPTA雇用職員,臨時職員として給食調理作業に従事していた時期をも含めても,昭和37年から昭和63年まで(経験年数27年)の総調理食数は5031食,その間の総平均調理食数は約186食で200食を相当下回る(同②)。以上から,原告の給食業務内容は中災防判断基準の公務加重性の要件を充たさない。

イ(ア) 原告の身長は,同年齢の女性の平均身長と比べてやや低い程度にすぎないし,握力は平成元年8月に実施した握力検査によれば,給食調理員の平均握力よりも勝っているから,原告が殊更に不利な条件下で給食調理作業に従事していたとの主張は前提を欠く。

(イ) A小学校で給食が開始されたのは昭和37年6月である。調理設備,調理器具は,当時の水準に照らせば充実しており,既に,皮はぎ器,洗浄器,菜断機(菜断機は現在のものと変わらない。),熱風保管庫,給食運搬用のエレベータが設置されていた。また,当時の献立はパン,ミルク(脱脂粉乳,半乳),副食の3種類であり,副食も大抵の場合は1種類であったから,給食調理員の作業内容は1種類の副食の調理と,ミルク粉を溶く程度の軽度のものであった。

(ウ) B小学校では,原告が勤務し始めた昭和45年4月1日から牛乳が導入されているから,ミルク釜での粉のかくはん作業等はなくなった。原告は新校舎竣工に伴うリヤカー作業を問題とするが,これは,夏季休暇,冬季休暇等をも考慮すれば通算180日足らずの限定的な期間になされた作業にすぎない。

(エ) C小学校では,昭和53年6月ころに調理場及び炊飯給食施設が新設され,調理設備,調理器具は充実していたから,原告の作業負担はさらに軽減された。原告はステンレス食器による作業負荷を問題にするが,C小学校では,ステンレス食器が殊更重量のある食器というわけではない。また,C小学校では,ステンレスのほか,アルマイト,ポリプロピレン,ポリガードの食器も使用されていた。

(オ) 原告が勤務したD小学校,E小学校は,調理設備,調理器具とも充実していたし,米飯給食時にはパート調理員が加わったため,より一層作業負担が軽減された。

(カ) 以上からすれば,原告の従事した給食調理作業内容は給食調理員の平均水準に照らしても,特段に加重なものではない。なお,原告は,PTA雇用職員,臨時職員時代の作業内容をも含めて公務起因性を検討するべきであると主張するが,地方公務員災害補償法による救済の名宛人が常勤公務員に限定されていることにかんがみると,公務起因性の判断においてこれらの期間の作業内容を考慮することは許されず,せいぜい,原告の素因ないし属性の判断資料とされ得るのみである。

(4) 他の疾患,他の危険因子の可能性

以下の事情によれば,原告の場合は給食調理作業による力学的負荷よりも他の危険因子が手指先端部の屈曲に作用したものといえる。

ア 慢性関節リウマチの可能性

原告が通院していた病院のカルテの記載や,投薬されていた薬剤からすれば,原告は,関節性リウマチにり患していたと考えるのが相当である。したがって,原告は,そもそも変形性手指関節症にり患していない。

イ 既往症による他因子の影響

(ア) 性ホルモン異常の影響

原告は,昭和63年に子宮息肉様筋腫摘出術(膣式)を受け,そのころに,子宮膣部びらん,機能性出血,両側乳腺症,過多月経,子宮内膜がん(疑い),子宮内膜炎,粘膜下筋腫(疑い)の診断を受けている。このことからすれば,性ホルモン異常が原告の変形性手指関節症に寄与した可能性がある。

(イ) 甲状腺疾患の影響

原告は,昭和53年に甲状腺腫瘍の手術を受け,その後,年1回の甲状腺定期検診の指示を受けていた。そして,手指ヘバーデン結節を伴う全身性変形性関節症では,甲状腺腫大が高頻度にみられ,免疫学的機序が変形性関節症に関与する可能性があるとの報告や,閉経前に発症したへバーデン結節患者には甲状腺機能異常がみられるとの症例報告があることからすれば,原告の甲状腺疾患が変形性手指関節症に寄与した可能性がある。

(ウ) 関節疾患,関節関連疾患との関係

原告には,頸椎椎間関節症,頸椎症,頸椎椎間板症,肩関節周囲炎,右前腕腱鞘炎,右足関節部滑液膜包炎,腰痛症,頸肩腕症候群,骨粗鬆症,左変形性膝関節症等,関節又は関節に関連する多くの既往歴がある。したがって,原告の変形性手指関節症は,全身性変形性関節症等と関連しており,変形性手指関節症も手指への力学的負荷によるものでないことが疑われる。

ウ なお,原告は,被告が本件訴訟において手指先端部屈曲の原因について新たな理由を加えることは許されないと主張するが,少なくとも手指先端部の屈曲が給食調理作業に起因するものか否かについて,新たな医学的知見に基づいた主張をすることは当然許容されるべきであるから,原告の主張は失当である。

(5) まとめ

以上からすれば,原告の手指先端部の屈曲は給食調理作業を主たる原因とするものではないから,手指先端部の屈曲は,公務に起因するものではない。

第3当裁判所の判断

1  公務起因性の判断基準について

(1)  公務員が公務上負傷若しくは疾病にかかった場合,地方公務員災害補償法の補償を受けるためには当該公務と疾病等との間には相当因果関係が存することを要する(最高裁昭和51年11月12日第2小法廷判決・裁判集民事119号189頁参照)。そして,労災補償制度が,業務に内在又は随伴する危険が現実化した場合に,それによって労働者に生じた損失を補償するものであることにかんがみれば,公務と災害との相当因果関係を肯定するためには,業務に内在又は随伴する危険が現実化して当該疾病を発症又は増悪させたと認められることが必要である。

(2)  被告は,いわゆる相対的有力原因説の立場から,原告の給食作業内容は,中災防判断基準に照らして,平均調理食数が原告が所属した給食調理施設と同程度の規模の施設における全国平均を上回っている年数が少ないこと(中災防判断基準③)や,総平均調理食数が200食を下回っていること(同②)を,主要な根拠として,原告の手指先端部の屈曲は公務に起因するものではないと主張する。

上記中災防判断基準は,一定量,一定期間の給食調理作業が変形性手指関節症発症の要因たり得るとの前提に立ちながら,平均水準以下の給食調理作業に従事している限りでは変形性手指関節症の発症につながるような公務加重には至っていないとの前提に立つものであるといえる。しかし,本件証拠をみても,そもそも,平均水準以下の給食調理作業では変形性手指関節症発症に至る危険が内在化しないとの事情はない。また,同様に総平均調理食数ないし平均調理食数が200食以下の場合には,変形性手指関節症発症に至る危険が内在化しないことを裏付けるに足る的確な証拠もない。そうすると,平均調理食数が全国平均のそれを上回る年数が少ないことや総平均調理食数が200食を下回っていることをもって,当該疾患の公務起因性を直ちに否定することは早計であるというべきである。

(3)  よって,以下では,当該職員の公務内容,性質,作業環境,公務に従事した期間等の労働状況,疾病発症の経緯,発症した症状の推移,公務以外の他疾患,他の危険要因の有無等,諸般の事情を総合的に判断して,当該公務と手指先端部屈曲との間に相当因果関係が認められるか,具体的には,本件において,原告のなした給食調理作業に内在又は随伴する危険が現実化して当該疾病を発症又は増悪させたといえるか否かを検討することとする。

2  変形性手指関節症と給食調理作業との関連性

(1)  手指関節部に関する疾患としては,変形性手指関節症のほか,慢性関節リウマチ,痛風,膠原病等が挙げられるところ,現在のところ,給食調理作業との関連性の有無が論じられている疾患は変形性手指関節症であることは第2の2(争いのない事実等)(4)で認定したとおりである。

(2)  そこで,まず,変形性手指関節症と給食調理作業との関連性について,変形性手指関節症の原因に関する学説状況,疫学的視点からの調査報告の内容を踏まえて検討を加えるに,証拠によれば,以下の事実が認められる。

ア 学説状況

変形性手指関節症は,閉経期にある中年女性に比較的多く発症するとされるが,その発症ないし増悪原因,機序については未解明な部分が多い。現在,その原因としては,加齢のほか,力学的負荷(力学的負荷による指関節の異常屈曲とその反復による筋肉疲労などの結果,関節軟骨,さらに軟骨化骨が破壊され変形性手指関節症が発症するとする考え方。以下「力学的ストレス説」という。),人種,肥満,遺伝,酵素,ホルモンバランス異常,甲状腺疾患,骨粗鬆,喫煙等,様々な要因が挙げられている。

力学的ストレス説以外の説の中には,力学的負荷を変形性手指関節症の直接の発症原因と断定することには懐疑的であるとする見解もみられるが,他方で力学的負荷を変形性手指関節症の発症ないし増悪原因となり得ることを,根拠をもって完全に否定する見解は見当たらない。現に,力学的負荷が変形性手指関節症の直接の発症原因となることには懐疑的な立場に立つM医師も,労働負荷が変形性手指関節症の進行に影響を及ぼすことがあり得る旨を証言している。

イ 疫学的視点からの調査報告

(ア) 給食調理作業と変形性手指関節症に関する疫学的視点からの調査報告として代表的なものとしては,まず,中災防報告がある。これは,調査対象を給食調理員に限定したものではあるが,全国的規模の調査である。この報告は,調理作業継続期間,作業量が変形性手指関節症に影響する要因である旨を結論づけている。

(イ) 次に,給食調理員とそれ以外の者との変形性手指関節症発症率の比較に着目した調査報告としては,給食調理員と事務員との変形性手指関節症有訴率の比較を行った岡山大学医学部衛生学教室甲田茂樹の報告,給食調理員と一般人口のヘバーデン結節陽性率を比較した鈴鹿回生総合病院院長藤澤幸三の報告がある。これらの調査報告は,それぞれ,給食調理員の変形性手指関節症ないしヘバーデン結節の陽性率は,事務員ないし一般人口のそれに比して高くなると結論づけている(なお,藤澤幸三は,上記報告前〔1987年〕には給食調理員と手指屈曲の関連性を否定していたところ,1995年になって上記の結論を導いている。)。

(ウ) 被告は,上記の調査報告は,いずれも,給食調理作業と変形性手指関節症との関連性を認めるには不十分である上,その各々のなした調査手法にも不備があるから,信用するに乏しいと主張し,証拠もこれに沿う内容のものである。しかし,調査手法に不備があり,また,これらの調査報告のみでは,給食調理作業と変形性手指関節症発症の因果関係までもを直ちに認めることができないとしても,このことによって,給食調理員とそれ以外の者との間で変形性手指関節症の発症率に有意差があるとの事実や給食調理作業継続期間,作業量と変形性手指関節症発症との間に何らかの関連性があるとの事実までもが覆されるものではない。

(3)  ところで,給食調理作業の中には,包丁,ひしゃく等,調理器具の把持,開封,開缶作業,食缶,ざる,かご等の運搬やこれらの洗浄作業に伴う指先のつまみ動作,ひっかき動作,あるいは重量的負荷など,手指に負荷のかかる作業が含まれ,また,その処理量が家事労働における調理作業のそれと比べて膨大なことに伴って,手指に更なる力学的負荷がかかることは明らかである。

変形性手指関節症の発生機序については,未解明な部分が多く残っている。しかし,変形性手指関節症の概括的な発生機序が手指関節の軟骨及び軟骨下骨の変性破壊,新たな骨の新生の反復にあるということについては,論者の間でおよそのコンセンサスが得られているといえる。また,変形性手指関節症と力学的負荷の影響自体を正面から否定する見解はなく,むしろ,給食調理作業と変形性手指関節症発症との関連性を結論づける調査結果がある。これらのことからすれば,給食調理作業の手指への力学的負荷の蓄積は,変形性手指関節症を発症する危険を内在するものと考えるのが相当である。そして,この結論は,変形性手指関節症の発症に調理食数や経験年数の関与が考えられるとする中災防報告とも矛盾していない。

そこで,問題は,原告の場合にその従事した給食調理作業の具体的内容,手指先端部屈曲の発症経緯,既往歴等からみて,手指先端部の屈曲が給食調理作業における手指への力学的負荷の蓄積による危険が現実化したことにより発症したと言い得るかどうかであるので,以下において検討する。

3  給食調理作業の具体的内容,手指先端部にとう痛,屈曲が生じた経緯証拠及び弁論の全趣旨によれば,原告の従事した給食調理作業内容,手指先端部にとう痛,屈曲が生じた経緯は以下のとおりであると認められる。

(1)  給食調理作業の具体的内容

ア 原告は,昭和37年4月1日から給食調理員として就労していたところ(ただし,昭和39年3月31日まではPTA雇用職員),原告が手掛けた総調理食数は,昭和37年度から昭和63年度まで(経験年数27年)は5031食,昭和45年度から昭和63年度まで(経験年数19年)は2668食である。そのうち,昭和37年度ないし同44年度,同57年度は,平均調理食数も200食を超過し,さらに,原告が安来市の正規職員となった昭和45年度以降,原告の所属した給食調理施設と同程度の規模の施設における全国の平均調理食数を超える年数は少なくとも合計5年(昭和54年度から同57年度,同62年度)であった。

イ 安来市の学校給食調理員の勤務時間は,月曜日から金曜日は午前8時30分から午後5時15分で,午後0時45分から午後1時30分,午後0時30分から午後0時45分まで,午後5時から午後5時15分までが休憩時間ないし休息時間であった。土曜日は午前8時30分から午後0時30分が勤務時間であり,午後0時15分から午後0時30分までが休息時間であった。1年間の実就労日数は,小学校に夏季,冬季,春季休暇があることに伴い,170日ないし190日であった。

ウ 1日の給食調理作業の流れは,おおむね,食材の搬入,食材の洗浄,皮むき,切裁,調理,食缶への配食,食器,食缶,調理器具の洗浄,整理であり,これらは複数の調理員によるローテーションによって行われた。

(ア) A小学校時代(昭和37年4月1日から昭和45年3月31日)A小学校では,昭和37年6月から給食が開始された。同小学校には,既に菜断機,皮はぎ機,熱風保管庫等,当時の水準に照らせば高性能の調理設備,調理器具が備わっていたものの,依然として切裁は手切りが中心であり,包丁を長時間持って大量の調理作業を行わねばならなかった。また,開缶作業も家庭用缶切りを用いて行われたため,指先に力を入れる必要があった。さらに,当時は業者から搬入される食材の中には1箱ないし1袋当たり20キログラムないし30キログラムを超えるものも少なくなく,台車なしでこれらを運搬することも多かった。

A小学校では,昭和41年までは脱脂粉乳が,昭和44年ころまでは半乳がメニューとなっていたため,毎日,釜でわかした熱湯をひしゃくでバケツに入れてからミキサーに移し換え,ミキサーでミルク粉をかくはんした後,保温のために再度ひしゃくを用いてミルク釜に移し換え,ミルクを大へら(原告は身長148センチメートルで背が低く手も小さいため,太い大へらを完全に握ることができず手に負担がかかった。)を用いて加熱した後にミルクポットへ配缶する作業が行われた。

当時は,副食調理のために平釜が用いられていた。平釜は回転釜よりも焦げやすいため,長い柄のついたひしゃくで食缶に食材を移し替えたり,洗浄をしたりする際に,回転釜のように角度を調節することができず,不自然な体勢で作業をすることになり,手や腕などに負担がかかった。また,洗浄後の排水作業も回転釜であればハンドル操作だけで排水が可能であるのに対し,平釜は洗面器大のボールで200回以上かき出す必要があり,手,腕,腰に負担がかかった。平釜は,重油バーナーで下から炊きあげる構造で,火力調整のためには平釜下方にあるバルブ操作を行う必要があったが,バルブ操作はガスコック以上に指先に力を必要とした上,不自然な体勢で頻繁に火力調節を行わざるを得なかった。

給食室は,湿気対策のために冬場でも,床の溝からも冷気が入る構造であったが,ストーブや湯の配管はなく,冷水を使って手がかじかみながら調理作業をしていた。

(イ) B小学校時代(昭和45年4月1日から昭和53年3月31日)B小学校では,原告が勤務したころには牛乳が採用されたため,ミルク粉のかくはん作業等の負担はなくなった。しかし,新校舎の竣工のために,昭和52年3月から昭和53年3月ころまで(通算して約180日間)は,旧給食室から新校舎まで(片道約110メートルの距離),数段の石段のある未舗装通路を伝って300人を超える児童の給食を3,4回に分けてリヤカーで運搬していた。(なお,原告は,後記第3の3,(2)〔手指先端部のとう痛,屈曲発症の経緯について〕のとおり,昭和53年ころには,手指,肩,腰部付近にとう痛を感じるようになった。)

(ウ) C小学校時代(昭和53年4月1日から昭和57年3月31日),D小学校時代

(昭和57年4月1日から昭和61年3月31日)

C小学校では,昭和53年6月ころ調理場及び炊飯給食施設が新設され,調理設備,調理器具は比較的充実していたものの,ステンレス食器が採用されたため,食器の重量が増えた上,従前の作業に加えて,水分,残りかすの付着により密着した食器をはがす作業が加わった。このほか,毎朝,業者から搬入された牛乳瓶を子供用のケースに入れ替える作業が付加された。

安来市では,昭和53年ころからアルファ化米による米飯給食(月1回)が,昭和56年からは精白米による米飯給食(週2回,昭和62年からは週3回)が行われるようになり,これに伴い,従前の作業に加えて,洗米,炊飯,運搬作業が加わった(もっとも,安来市では,昭和56年から米飯給食の日は,4時間のパート調理員が配置されている。)。

(エ) E小学校時代(昭和61年4月から)

E小学校では,陶磁器の食器が使われるようになり,食器の重量が増え,また食器が壊れやすいために,運搬や収納の際には負担がかかった。

エ 以上のとおり,原告が給食調理作業に従事した年数,その具体的作業内容に照らしてみれば,それが,中災防判断基準の要件を完全には充たすものでないにせよ,手指に変形性手指関節症発症の危険を現実化させるに足るほどの負荷が継続的にかかっていたことが認められる。

なお,被告は,原告が安来市の正規職員となった昭和45年4月以降の作業内容のみを公務起因性の判断において考慮することができる旨を主張するが,原告はPTA雇用職員時代はともかく,臨時職員であった時期にも,安来市の指揮,命令下において給食調理作業に従事していたことは明らかなのであるから,正規職員になってからの作業内容のみを公務起因性の判断の対象とする被告の主張は採用できない。

(2)  手指先端部のとう痛,屈曲発症の経緯について

ア 原告は昭和53年ころには,手指,肩,腰部付近のとう痛を感じるようになり,N医院でパラフィン浴治療を受けたり,塗り薬を処方されたが,効果がなかったため次第に放置するようになっていた。しばらくすると,手指先端部が屈曲し出し,昭和58年ころ,自分もそのころ給食作業員に発症が多いと取りざたされていた「指曲がり症」発症の可能性を疑ったが,自分の指先が指曲がり症にいう「くの字型」にまでは曲がっていなかったため,放置していた。ところが,原告は平成元年1月ころになって指先の激痛を感じたため,再びN医院に通院するようになり,同年4月にF病院を受診した。

イ 被告は,手指先端部のとう痛,屈曲が始まった時期に関する原告の陳述,供述に変遷がみられることや,原告作成の本件公務災害認定請求書にも平成元年1月20日午前10時30分ころ安来市E小学校給食室にて発症した旨が記載されていること,さらに,昭和61年ころのN医院のレセプト控えには手指の異常に関する記載がないことを根拠に,手指の異常が発生したのは,平成元年1月ころのことであると主張する。しかし,原告は,いったん手指の治療を受けたもののその後放置していたというのであるから,一時期のレセプト控えに手指異常に関する記載がないとしても,上記認定と矛盾するものではない。その上,証拠によれば,原告は,公務災害認定請求の前である平成元年4月5日に,F病院のG医師に対して,およそ10年前から手指の変形(スワンネック)に気付いた旨を,さらに,H病院のI医師やJ病院のK医師にも,昭和58年ころから手指先端部が屈曲した,仕事をはじめて10年ころから手指の変形,痛みが出現したと申告していることがうかがえる。結局,発症時期を平成元年1月とした公務災害認定請求書の記載は,手指の異常が顕著に現れた時期を記したものにすぎないと解され,そうすると,公務災害認定請求書の記載内容をもって,手指のとう痛,屈曲が平成元年ころになって初めて生じたと推論することはできず,この点の被告の主張は採用できない。

4  原告を診察した医師らの見解

原告を直接診察したG医師,I医師,K医師,L医師の診断内容は,いずれも,原告の手指先端部の屈曲が慢性関節リウマチ,膠原病,痛風等,他の疾患によるものではなく,変形性手指関節症によるものであると結論づけるものである。もっとも,K医師はその主因を加齢や素因であると推論するが,いずれの医師も,その発症ないし増悪原因の一つとして,少なくとも給食調理作業による力学的負荷が挙げられると考えている点では一致している(K医師は,給食調理作業による力学的負荷が主因で変形性手指関節症が発症したとすると,より強度の力学的負荷のかかる母示指や利き手側の指に強く変性変化が生じるべきであるのに,原告のレントゲン所見では母指の屈曲は軽度で,かつ利き手側に変性変化が強いとまではいえないから,原告の変形性手指関節症は給食調理作業よりも年齢を含めた生物学的因子が大きく関与していると推論し,藤澤医師の意見書の内容もこの見解に沿うものである。しかし,給食調理作業において利き手側の指により強く負荷がかかっているかどうかは直ちには断言し難いし,現に,証拠によれば,上記の根拠によって力学的負荷を主因から除外する推論には懐疑的な見解もあることが窺えるから,この点のK医師の推論を採用することはできない。)。

M医師は,平成元年以降は原告の手掛けた調理食数も減少し,また,原告が平成7年3月に退職しているにもかかわらず,平成2年6月,平成5年10月,平成14年3月にそれぞれ撮影された手指のレントゲン写真を比較すると,これに反して手指先端部屈曲の増悪が大きくなっていることを根拠に,手指先端部の屈曲は手指への力学的負荷を主因とするものではないと指摘する。しかし,証拠によれば,変形性手指関節症は,一般的に時間を経るほど加速的に屈曲が悪化する症例が多いとの見解もあることが認められ,本件においては,平成14年3月の時点でみられた屈曲が退職時にほぼ完成していたと推論しても上記レントゲン所見と矛盾するものではない。よって,この点のM医師の指摘を採用することは困難である。

5  他疾患,他の危険要因の可能性について

(1)  新たに他疾患,他の危険要因を主張することの可否

被告は,本件訴訟に至って,新たに,原告が変形性手指関節症にり患したことを否定し,また,種々の既往症(①子宮息肉様筋腫摘出術〔膣式〕,婦人科病歴,

② 甲状腺腫瘍手術歴,③関節疾患又は関節関連疾患歴)から,原告のり患した変形性手指関節症の主要な危険因子は,給食調理作業の力学的負荷以外にあると主張する。

行政庁は,取消訴訟において自らがなした処分の適法性を基礎づけるため,処分の同一性を害しない範囲内で客観的に存在した一切の事実上及び法律上の根拠を主張できるところ,手指の屈曲の公務起因性が否定され,原処分の適法性を問題とする本件取消訴訟において,公務起因性判断に係る事情として新たな医学的知見をもとに他疾患,変形性手指関節症の他の危険因子を主張することは何ら処分の同一性を害するものではない。

したがって,被告が本件取消訴訟においてこのような主張をすることは許されるといえる。そこで,以下においては,原告に被告が主張するところの他疾患の可能性があるか,原告の既往症が変形性手指関節症の発症に寄与している可能性があるかどうか検討する。

(2)  ア 慢性関節リウマチの可能性について

被告は,原告が変形性手指関節症ではなく,慢性関節リウマチにり患していたと主張し,確かに,証拠によれば,平成8年のF病院のレセプト控えには「慢性関節リウマチ(疑)」と記載され,さらに,原告には一時期慢性関節リウマチのための薬剤(カルフェニール)が処方されていたことが認められる。しかし,本件証拠上,その後,原告に対してリウマチの治療が続けられた形跡もなく,原告はアメリカリウマチ協会の診断基準に照らしてもリウマチの所見ではないことが認められる。現に原告を直接診察したG医師,I医師,K医師,L医師はいずれも,原告が慢性リウマチにり患している可能性を否定している。

よって,この点の被告の主張は採用できない。

イ 原告の既往症について

被告は,①子宮息肉様筋腫摘出術(膣式)歴,婦人科病歴,②甲状腺腫瘍手術歴,③関節疾患又は関節関連疾患歴から,変形性手指関節症の主要な危険因子は,力学的負荷以外にあると主張し,証拠によれば,原告は過去に被告の指摘する疾患にり患したと診断され,あるいは,疑い診断を受けていたことが認められる。また,証拠によれば,性ホルモンと変形性手指関節症の関連性を指摘して子宮摘出患者の変形性手指関節症の有意性が高いとする症例報告や,変形性手指関節症と甲状腺機能異常との関連性を指摘する報告があることが認められる。しかし,本件証拠上,性ホルモン異常であれ,甲状腺機能異常であれ,変形性手指関節症との関連性を指摘する症例報告は未だ少なく,その機序も解明されていないのが現状で(むしろ,証拠によれば,甲状腺機能異常は骨粗鬆症と関連を有するものの,変形性手指関節症との関連性は見いだし難いとする見解があることが窺える。),これらは,論者の間で未だコンセンサスを得るまでには至っていない見解であるといえる。また,性ホルモンとの関連性を指摘する上記症例報告は子宮摘出に関するものであるところ,腫瘍を摘出するにすぎない子宮息肉様筋腫摘出術や,その他の婦人科系疾患と変形性手指関節症がどのように関係するのかは全く不明である。同様に,甲状腺機能疾患についても,原告の場合は昭和53年に甲状腺手術を受けたとはいえ,その後に実施された数回の甲状腺機能検査の結果,正常であったことが認められるのであるから,本件においては,なおさら甲状腺機能異常と変形性手指関節症の関連性を考えることは困難である。

次に,被告は,原告には関節疾患,関節関連疾患が多いことから,原告の変形性手指関節症と全身性変形性関節症との関連性を指摘するが,本件証拠上,原告が全身性変形性関節症にり患しているとの確定診断がなされた形跡もない。また,給食調理作業においては,手指以外にも腰,腕,肩,頚に力学的負荷がかかるといえるから,手指以外の部位に関節疾患,関節関連疾患があったとしても,それのみで全身性変形性関節症を疑うこともできないし,変形性手指関節症と手指への力学的負荷との関連性を覆すこともできない。

(3)  結局,本件証拠のみからでは,原告が慢性関節リウマチにり患している可能性も,原告の既往症(子宮息肉様筋腫摘出術歴,婦人科病歴,甲状腺腫瘍手術歴,関節疾患又は関節関連疾患歴)が変形性手指関節症の発症に寄与している可能性も認め難い。

6  まとめ

以上のとおり,原告が給食調理作業に従事した年数,その具体的作業内容に照らしてみれば,原告にはその手指に変形性手指関節症発症の危険を現実化させるに足るほどの力学的負荷が継続的にかかっていたといえる。かつ,原告の手指先端部のとう痛発現時期,屈曲時期が遅くとも昭和53年ころから昭和58年ころであり,原告には加齢等の自然的増悪原因以外に変形性手指関節症に寄与する原因が見いだし難いことからすれば,給食調理作業による継続的力学的負荷が,変形性手指関節症発症の危険を現実化したものと認めるのが相当である。

よって,公務である給食調理作業と手指先端部の屈曲との間には相当因果関係があるといえる。

第4結論

以上によれば,原告の請求は理由がある。

(裁判長裁判官 横山光雄 裁判官 上寺誠 裁判官 秋田智子)

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