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松江地方裁判所 昭和27年(ワ)28号 判決 1952年11月14日

原告 日本鉄線株式会社島根工場労働組合

被告 日本鉄線株式会社

主文

被告は原告に対し昭和二十六年九月十五日原告と被告とが締結作成した被告会社島根工場の労働協約書に署名せよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求める旨の申立をなし、その請求の原因として次のように陳述した。

被告は、鉄鋼二次製品の製造販売等を業とする株式会社であり、原告は、島根県大原郡木次町にある被告会社島根工場の従業員で組織する労働組合である。原告は、昭和二十六年九月頃、当時被告会社島根工場長として同工場の従業員の雇入、解雇その他の労働条件の決定について被告会社を代表する権限を有した訴外永見信治を通じ、被告会社との間で、同工場従業員の労働条件等に関して団体交渉を行つた結果、同月十五日これが妥結をみ、原告と被告との間に労働協約の基本となるべき合意が成立したので、同日労働協約書と題する書面(甲第一号証)を作成し、原告代表者と右訴外人とがこれに記名調印したのである。

その当時原告代表者らは、労働組合法第十四条にいう署名とは自署に限らず記名押印をも含むと解し、本件労働協約書についても記名押印だけで十分であるという考えからその自署の手続を省略したのである。しかし、同条にいう署名が自署に限り記名押印を含まないとするならば、本件労働協約書は、当事者双方の署名を欠く結果労働協約としては無効となるわけであるけれども、労働協約の基本となるべき合意が有効に成立し、すでに書面に作成せられておる以上、これに当事者双方の署名さえ加われば、右の合意が成立した前記日時まで遡つて労働協約としての効力を生ずるものであつて、当事者は互いに特に署名することを約定していないからといつてその署名を拒否することはできない。団体交渉によりすでに協定が成立し、労働協約書が作成せられたのにかかわらず、使用者があえてその署名を拒否すれば、それは、団体交渉の拒否による不当労働行為となるのであるから、被告は、原告に対し本件労働協約書を労働協約として有効確実なものとするについて協力するため、これに署名すべき義務があるといわなければならない。

しかるに、被告は、その義務の履行を拒否し、且つ、同年十月頃発生した、原被告間の労働争議に際し、右協約第八条の規定に違反して原告と一回の協議をも経ないで工場閉鎖の暴挙に出で、昭和二十六年十一月九日残務整理に必要な人員のみを除く他の従業員の全部である原告組合員九十三名に対し解雇の通告をなすに至つた。そこで、原告は、前記労働協約の効力を確保する必要があるので、被告に対し前記労働協約書に署名することを求めるため本訴請求に及んだのである。

なお、原告訴訟代理人は、被告の抗弁に対して次のように陳述した。被告の抗弁事実のうち、被解雇者等がいずれも予告手当、離職票、失業保険金を受領したこと、並びに本件協約書に被告主張の通りの規定があり、昭和二十七年八月八日頃被告より原告に対しその主張の如き通告のなされたことは認めるが、その余の点はすべて否認する。

(一)  原告は、本件解雇当時、これに反対しておるばかりでなく、被告に対しても被解雇者等が解雇予告手当を受領しても解雇を承認するものではないことを通告しており、かつ、被解雇者等が失業保険金の受領に際し離職票に解雇不承認の旨を記入していることからみても明らかなように、被解雇者等は、本件解雇を承認したものではない。

(二)  被告のなした島根工場閉鎖は、争議手段として単に現場作業を休止したに過ぎない仮装のものである。そして、本件解雇は、(1)前記労働協約に違反したものであり、(2)正当な事由に基かないものであり、(3)団体交渉拒否による不当労働行為であるといい得るから、いずれの点からしても当然に無効である。

(三)  更に、本件労働協約第九条、第十条の規定によれば、組合が労働委員会に提訴し、労働委員会において不当解雇の決定がなされたときは、被告は、被解雇者を解雇前の身分に復帰させる義務があるが、原告は昭和二十七年五月六日附で島根県地方労働委員会に対し不当労働行為の申立をなし、目下同委員会において審査中である。従つて、本件解雇による被解雇者等についてもまだ労働関係は確定的に終了していないから、原告組合は解散してはいないのである。

(四)  仮りに本件解雇が有効であつて、原告組合が解散したものであるとしても、まだその清算が結了していないから、原告は清算の範囲内ではやはり存続しているものである。そして、原告は退職金の支払についても組合員のために被告と団体交渉をする考えであるから、原告に当事者適格なしとか或は訴の利益なしと主張する被告の抗弁は理由がない。

(五)  本件協約書第四十八条第二項には「協約変更の意思表示がなされても、新協約が出来る迄此の協約は有効である。」と規定されているのであるから、たとえ本件協約書作成後一年以上経過し、且つ被告よりその効力を延長しない旨の意思表示がなされても、新労働協約が原被告間に成立しない以上、本件協約書による合意はその効力を有し、従つて、原告は被告に対し本件協約書に署名を求める法律上の利益を有する。

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求める旨の申立をなし、答弁並びに抗弁として次のように陳述した。

原告の主張事実のうち、被告が原告主張の通りの株式会社であり、原告がその主張の通りの労働組合であること、原告主張の日時その主張の通りの権限を有する訴外永見信治を通じ、被告会社と原告との間に原告主張のような労働協約の基本となるべき合意が成立したこと、同日原告主張の通りの書面を作成し、これに双方が記名調印したこと、原告主張の日時被告が工場閉鎖を行い、原告主張の通りその組合員に対して解雇の通告をなしたことは認めるが、その余の点はすべて否認する。

(一)(イ)  労働協約書における署名は労働協約の効力要件であるから、先ず労働協約の基本となるべき合意が成立し、その後に署名がなされた場合、当事者間に特別の合意が成立しない限り、その署名の効力は、右の合意成立の時まで遡及するものではなく、署名の時から将来に向つてその効力を生ずるものである。従つて、本件労働協約書が署名を欠如しているためもともと無効なものである以上、被告のなした本件解雇が労働協約の規定に違反するということはあり得ない。

(ロ)  仮りに右労働協約書が労働協約として有効であるとしても、同協約第八条の規定は、個々の解雇の場合を予想したものであり、経営困難のため工場を閉鎖し、従業員全員を解雇するような場合には適用されるべきものではない。蓋し、かような場合にも組合の同意がなければ解雇ができず、工場閉鎖もなし得ないとすれば、企業経営を破壊し産業の崩壊を招来して公共の福祉を害する結果となるからである。被告会社島根工場は、昭和二十一年操業開始以来原材料の供給を受けていた日本製鉄が富士製鉄と八幡製鉄とに分離した後は、八幡製鉄からその供給を得て来た。これに対し被告会社大阪本社工場は富士製鉄から供給を受けて来たのである。ところが、種々なる経営から富士系のメーカーと八幡系のメーカーとが対立するようになつたため、大阪本社工場に対する富士製鉄からの資材を島根工場に廻すことができない上に、八幡製鉄の島根工場に対する割当も制限されるに及び、もともと立地条件の劣悪なところへ昭和二十六年四月頃から始まつた鉄鋼界一般の不況の影響を受けるに至つたので、ついに島根工場の経営は行き詰り、被告会社としてもやむを得ず本件解雇をなしたものである。かような客観情勢の必然の結果に伴いやむを得ずなした本件解雇には、右労働協約の規定の適用はない。

(ハ)  被告会社は、以上に述べたような事情から、昭和二十六年十一月九日被告会社島根工場を閉鎖することとなり、組合側にもその事情を告示して、残務整理要員九名を除くその余の原告組合員全部を、同月十三日限り解雇したのである。その後、残務整理要員九名は同月十三日に至り他の組合員と行動を共にしたい旨申入れて任意退職した。そして被解雇者等は何れも予告手当、離職票及び失業保険金を受取つているから、右解雇を承認したものに外ならない。

従つて、本件解雇は有効であるから、被告会社島根工場の従業員を以つて構成せらるべき原告組合は、本件解雇によつて組合員の全部を欠き、当然消滅したものといわねばならない。果して然らば、原告組合は、本件請求について正当な原告としての適格を有しないわけである。

(二)(イ)  前記の通り原告組合自体がすでに存在せず、且つ、本件労働協約書が署名の時から将来に向つてのみ労働協約としての効力を生ずるものである以上、右労働協約書に署名を求めるということは全く無意味のことであつて、原告は、本件請求について訴の利益を有しない。

(ロ)  また、仮りに本件労働協約書が署名前なお何等かの効力を有したとしても、右協約書の第四十七条第一項には、「此の協約は協約を結んだ日より向う一年間有効とする」と規定されているから、昭和二十六年九月十五日作成された右協約書はすでに満一ケ年を経過してその効力を失つたものである。なお、右協約書第四十八条第一項には「此の協約期間満了前三十日前迄に会社組合いずれからも改訂の意思表示がなされない時はそのまま自動的に更に一年間延長される。」と規定されているが、被告は昭和二十七年八月八日附の書面で、原告に対し右協約書の効力を延長しないことを通告した。従つて、原告は、右協約書に対し署名を求めるについて法律上何等の利益を有しない。

以上のいずれの理由によつても原告の本訴請求は失当である。

なお、昭和二十七年五月六日附で、原告より島根県地方労働委員会に対し、不当労働行為の申立がなされ、目下審査中であることは認める。

(立証省略)

理由

被告が鉄鋼二次製品の製造販売等を業とする株式会社であり、原告が島根県大原郡木次町にある被告会社島根工場の従業員を以て組織する労働組合であること、昭和二十六年九月十五日被告会社島根工場長であつて同工場の従業員の雇入、解雇その他の労働条件の決定について会社を代表する権限を有する訴外永見信治を通じ被告会社と原告組合との間で右工場従業員の労働条件等に関して団体交渉が妥結し、労働協約の基本となるべき合意が成立したこと、同日労働協約書と題する書面(甲第一号証)を作成し、原告代表者と右訴外人とがこれに記名調印したこと、被告が昭和二十六年十一月九日右工場を閉鎖し、原告組合員九十三名に対し解雇の通告をなしたことは当事者間に争がない。

昭和二十七年法律第二百八十八号労働関係調整法等の一部を改正する法律第三条による改正前の労働組合法第十四条によれば、「労働組合と使用者又はその団体との間の労働条件その他に関する労働協約は、書面に作成し、両当事者が署名することによつてその効力を生ずる」とあり、右は、労働協約の基本となるべき合意が成立してこれを書面に作成しても、これに当事者の署名を欠く限り労働協約としての効力を生ぜず、これに当事者の署名が加えられた時にはじめて労働協約としての要件を完備し、その効力を生ずるに至る、すなわち、労働協約は、右の基本となるべき合意が成立した時ではなく、労働協約書に対する署名のなされた時に有効に成立するものであるという趣旨に解され、且つ、右にいわゆる署名は自署を指し、記名押印を以てこれに代えることは許されないから、甲第一号証の本件労働協約書は、たとえ前示の通り当事者双方の代表者の記名押印がなされていても、あらためてこれに当事者双方の署名がなされるまでは、労働協約としての効力を有しないものといわねばならぬ。

成立に争のない甲第一、第二号証、甲第五号証の四、五、乙第六号証の二及び原告代表者本人訊問の結果を綜合すれば、原告組合はその以前昭和二十五年六月二十六日にも被告会社と労働協約を締結しているが、その際作成した労働協約書(甲第二号証)も双方の代表者において記名調印しており、本件労働協約書の作成に当つて、原被告双方の代表者は労働組合法第十四条にいわゆる署名は、当然記名押印を以てこれに代えることができるものと解して、本件協約書に記名押印したものであること、従つてその作成当時には原被告双方ともに有効な労働協約が成立したものと信じ、その労働協約書の一通を松江地方労政事務所に提出したものであることを認めることができる。しかるに本件労働協約書は、前示の如く当事者双方の代表者の署名を欠く結果として、その予期に反し労働協約としての効力を生じなかつたわけであるが、少くとも本件労働協約書の作成により、原被告間に労働協約の基本となるべき合意の成立したことは当事者間に争のないところであり、また、当事者双方が、前示の通り、有効な労働協約を締結する意思を以て本件労働協約書に記名押印したものである以上、右合意の成立と同時に、原被告間に有効な労働協約を締結することについてもまた合意の成立したものと解するのが相当であり、従つて原被告は互に相手方に対し法律上有効な労働協約を締結するに必要な協力をなすべき義務を負うに至つたものであることは明白である。然らば、原告が被告に対し右義務の履行として、本件労働協約書に対する署名を求める以上、被告はこれを拒否することは許されないところであつて、被告会社代表者において右協約書に署名すべき義務の存することは明らかである。

そこで、被告の抗弁について考えてみる。

(一)  被告は、本件解雇が有効であり、原告組合がその組合員の欠如によつてすでに解散してその存在を失い、従つて当事者適格を有しないと主張する。しかし、原告組合の組合員全員が被告より解雇の通告を受けたとしても、組合員等がその解雇の効力を争い、原告組合において被告会社とその解雇の効力をめぐつて闘争している限り、原告組合は引き続き存続しているものと解するのを相当とする。そして、原告が昭和二十七年五月六日附で島根県地方労働委員会に対し本件解雇を不当労働行為として救済の申立をなし、目下同委員会において審査中であることは当事者間に争がなく、証人祝千代造及び原告代表者本人訊問の結果によれば、原告組合は現に七十余名の組合員を有し、本件解雇をめぐつて被告会社と闘争を継続していることを認めうるのであるから、本件解雇が果して有効か否かについて判断するまでもなく、原告組合が現に存続していることは明白であり、原告が当事者適格を有することについては疑の余地がない。

(二)(イ)  前示の通り本件労働協約書に署名がなされても、その署名の時から労働協約としての効力を生ずるに過ぎないのであるが、原告組合が現に存続し、本件解雇の効力を争つている以上、原告は被告に対し、本件労働協約書に署名することを訴求する利益を有することは明らかである。更に、仮に本件解雇が有効であつて、原告組合の組合員全員が被告会社島根工場の従業員としての身分を失つているものとしても、前記甲第一号証及び原告代表者本人訊問の結果によれば、本件労働協約書の第十一条には退職金に関する規定があり、原告組合は、本件解雇が有効であることに確定すれば、解雇せられた組合員のために、被告会社と退職金の支給につき交渉する意思を有することを認め得るから、右の場合にも、原告が本件請求について訴の利益を有することは明らかである。

(ロ)  前示甲第一号証によれば、本件労働協約書には、「第四十七条此の協約は協定を結んだ日より向う一年間有効とする。但し此の協約は会社組合双方の同意があれば何時でも変更できる。第四十八条此の協約期間満了前三十日前迄に会社組合いずれからも改訂の意思表示がなされない時はそのまま自動的に更に一年間延長される。協約変更の意思表示がなされても新協約が出来る迄此の協約は有効である。」との規定が存する。そして本件労働協約書成立後すでに一年以上を経過していること並びに被告が昭和二十七年八月八日附の書面で原告に対し右協約書の効力を延長しないことを通告したことは当事者間に争がない。しかし、前記第四十八条第二項の規定によれば、たとえ被告より原告に対し本件労働協約書の効力を延長しない旨の意思表示をしても新協約が出来るまでは、本件労働協約書による合意は労働協約の基本となるべき合意としての効力を有し、その作成後一年以上を経過した今日においても、原被告双方の代表者が本件労働協約書に署名すれば労働協約としての効力を生じ得るわけであるから、原告が被告に対しその署名を求めるにつき法律上の利益を有することは明白である。従つて、その余の点については判断するまでもなく、被告の抗弁は、すべて理由がないものといわねばならない。

よつて、原告の本訴請求は理由があるから正当として認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 松本冬樹 阿座上遜 浜田治)

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