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松江地方裁判所 昭和37年(行)4号 判決 1968年4月17日

原告

亡山村廷訴訟承継人

山村シツ子

ほか三名

右四名代理人

松永和重

被告

島根県知事

田部長右衛門

右代理人

原良男

右指定代理人

雲島信茂

ほか三名

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立。

(原告ら)

「一、被告が昭和三六年四月一日山村延に対してなした行政職二等級一一号給から行政職五等級一八号給に降任するとの行政処分を取消す。

二、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決。

(被告)

本案前の申立として、

「一、原告らの訴を却下する。

二、訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決あるいは、

「一、本件訴訟は、昭和四一年九月二四日、山村延の死亡により終了した。」との判決。

本案の申立として、

主文同旨の判決。

<以下省略>

理由

一山村延が、行政職二等級一一号給の林業専門技術員として県農林部林政課に勤務していたものであるところ、被告は、昭和三六年四月一日、同人に対し、同人が地方公務員法第二八条第一項第一号および第三号に該当するとの理由で、同人を行政職五等級一八号給の技師に降任する旨の処分をなし、右処分書および降任処分説明書が同年同月三日同人に交付されたことは当事者間に争いがない。

二被告の本案前の申立について。

(一)、(二)<略>

(三)  山村延が昭和四一年九月二四日死亡したことは当事者間に争いがないところ、被告は、本件降任処分の取消請求権は一身専属権と解すべきであるから、山村延の死亡により本件訴訟は終了したか、仮に右主張が認められないとしても、たとえ本件降任処分が取消されても山村延がその地位を回復するに由ないのであるから、本件訴の利益は失われたものであり、したがつて、本件訴は却下されるべきであると主張する。

本件降任処分の取消請求権が一身専属権であると解すべきこと、および山村延の死亡により、たとえ本件降任処分が取消されても同人がその地位を回復するに由ないことは被告の主張のとおりである。しかしながら、一般に、降任処分においては、被処分者が降給の不利益を受けることがその分限処分としての重要な要素をなすものであると解すべきところ、成立に争いのない乙第七号によれば、被告の山村延に対する本件降任処分は、同人をして行政職一等級一一号給(月額一、三〇〇円)から行政職五等級一八号給(月額二七、六〇〇円)に降任したものであつて、同人の給与は月額にして一三、七〇〇円減額されたことになることが認められる。したがつて、もし本件降任処分が、違法であるとして取消されれば、同人において、従来支給されていた給与と降任により支給された給与の差額分(月額一三、七〇〇円)の支払を被告に対して請求できたはずであり右の差額分の給与請求権が相続の対象となりうることは、その財産権的性格からして明白である。

ところで、山村延の死亡によつて、その妻である原告山村シツ子、その子である同山村延昭、同恩田瑛および同渡部敬が共同相続により山村延の権利義務を承継したことは当事者間に争いがないところ、本件記録によつても明らかなように、原告らは、本訴において、右の差額分の給与の支払請求をしているものではないが、将来右の請求をするためには、まず本件降任処分が取消されるのでなければこれをなしえない関係にあるものである。そして、右のように、特定人に対する行政庁の処分が取消されるのでなければ、その相続人において将来訴訟上の救済を求めえない関係にある権利または法律関係があるときは、右の権利または法律関係について相続性が肯定される以上、当該相続人において処分の取消によつて回復すべき法律上の利益があるというべきである。このことは、現行行政事件訴訟法第九条が、処分または裁決の取消を求める原告適格を定めるにあたつて、「処分または裁決の効果が期間の経過その他の理由によりなくなつた後においても、なお処分または裁決の取消しによつて回復すべき法律上の利益を有する者を含む」との規定を設けている趣旨からいつても、前記のように解するのが相当である(なお、本訴の提起は昭和三七年七月一七日であつて、行政事件訴訟特例法の施行下にあつたが、同年一〇月一日から行政事件訴訟法が施行され、同法附則第三条により、本件における訴の利益の判断にあたつては同法の適用があるものである。)このように、山村延の相続人たる原告らについて、本件降任処分の取消しによつて回復すべき法律上の利益が認められるのであるから、原告らは、本訴において、すでに形成された訴訟法律関係を有効に承継しうると解すべきである。

したがつて、山村延の死亡により本件訴訟は終了したが、たとえ終了しなくても訴の利益を欠く旨の被告の主張はいずれも理由がなく、採用することができない。また、右により、原告らが山村延の相続人としてその権利義務を承継し、本訴を受継したことも明らかである。

三本案について。

(一)  まず、山村延について、被告の主張するような降任処分の事由が存したか否かについて検討する。

(1)  勤務実績不良の点について。

<証拠>によれば、山村延は、旧制宮崎高等農林学校を卒業しており、昭和一九年ごろ県職員となり、昭和二五年ごろ一定の資格試験に合格し、その後林業専門技術員となつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。また、森林法(昭和三二年法律第一〇〇号による改正後のもの)第一八七第および同法施行令(同年政令第一八五号による改正後のもの)第九条によれば、林業専門技術員は、都道府県の吏員をもつてこれを充て、試験研究機関と密接な連絡を保ち、専門の事項について調査研究を行い、林業改良指導員を指導するものであつて、国の行う一定の資格試験に合格した者等でなければならないと規定されているところ、<証拠>によれば、県の林業専門技術員としては昭和三四、五年ごろ山村延を含めて五名の者がいたこと、右の林業専門技術員の職務は、林業関係の調査研究およびその成果の発表等のほか、県下に八〇余名いる林業改良指導員に対する指導や一般の人々に対する指導教育、ラジオ等による啓蒙普及事業などを主な内容としており、右の調査研究は、主として指導教育のための資料を集め、これを充実させることを目的としてなされるものであつたこと、県では林業専門技術員は行政職二等級の給与を支給され、本庁の課長相当の地位にあつて、管理職の一種とみられており、右のような職務内容からして、ある程度の自主性を有する研究者的要素もあつたが、反面、地方公共団体の職員として上司の命令に従う義務があり、職務の逐行にあたつては、自ら進んで調査研究し、指導教育の企画立案をする等積極性を要請される立場にあつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

つぎに、山村延が昭和三二年四月一日から昭和三四年六月三〇日まで県林業試験場に、同年七月一日から昭和三六年三月二一日まで県農林部林政課にそれぞれ勤務していたことは当事者間に争いがない。<証拠>によると、県職員は、県職員服務規定第三条により、登庁したときの出勤簿への押印、休暇欠勤の際の届出の義務があるところ、山村延は、林業試験場勤務の昭和三三、四年当時、他の職員に比し出勤簿に押印しないことが多く、特に昭和三三年一〇月から昭和三四年四月二一日ごろまでは数日間を除いて全く押印せず、そのころ同人は休暇欠勤についても所定の手続をとらなかつたこと、そのため同人は被告に対して、同年四月二四日付で、今後手続連絡を充分にする旨の始末書を提出していること、同人は、そのころ出勤退庁時間が不規則で、勤務時間中ただ漫然と机に向つていることが多かつたことなどが認められ、右認定を覆えずに足りる証拠はない。また、<証拠>によれば、山村延は、農林部林政課勤務当時の昭和三五年六月一〇日から同年七月八日までの約一カ月の間、勤務時間中に無断で離席することがしばしばあり、着席しているときも読書や執筆等に従事せずに漫然と机に向つている時間が一日平均四時間以上に及んでいること、右のような勤務状況は同人の農林部林政課を通じてほぼ同様であつて、他の職員に比しても著しく目立つものであつたこと、このような事情もあつて、同課課長高橋正夫は山村延を他の部門へ配置換えするように県人事課に依頼したことがあつたことなどが認められ、右認定を覆えずに足りる証拠はない。右認定事項によれば、山村延が昭和三二年から昭和三四年四月ごろにかけて出勤簿への押印を怠り、休暇欠勤の届出をしなかつた点および昭和三三年から昭和三六年にかけて勤務時間中漫然と机に向つていることが多かつた点などは、地方公務員としての職責を忠実に果していたとはいえず、同人の勤務実績の良否を計るうえに重要な資料となるものであるが、前記のような同人の林業専門技術員としての地位役割から考えると、右のような事実から直ちに地方公務員法第二八条第一項第一号にいう勤務実績が不良の場合に該当するということは困難である。

そこで、山村延の林業専門技術員としての指導教育および調査研究等の実績について検討する。<証拠>によれば、昭和三四年八月一日から昭和三五年八月三一日までの間において、山村延を含む林業専門技術員五名全員が、講師として研修、講習会等に出席した実績および一般の指導に従事した実績について、その日数、時間数および対象人員の合計を各一〇〇%とすれば、山村延の占める割合は指導日数において約二%(その他の林業専門技術員は二四%、二五%、二〇%、二九%程度の割合)、指導時間数において約一%(その他の林業専門技術員は三五%、一二%、二九%、二三%程度の割合)、対象人員において約一%(その他の林業専門技術員は一五%、二四%、二九%、三一%程度の割合)であつたこと、ラジオ等による放送発表も全くなかつたこと(その他の林業専門技術員のうち一名は全くないが、三名はいずれも一五回以上行つている。)、昭和三二年四月ごろから昭和三四年にかけても、山村延の指導教育の実績は他の林業専門技術員のそれに比して極めて低調であつたことが認められ、他に右認定を覆えず足りる証拠はなく、また、前掲の同じ証拠によつて専門事項に関する調査研究の実績についてみると、山村延は、昭和三四年夏ごろ以降に着手した林業経営指針案三件のうち、飯石郡頓原町に係るものは完成したものの、益田市二条地区および能義郡広瀬町に係るものは完成せず、右の指針案は他の林業専門技術員であれば、それぞれ約一カ月で完成できる程度のものであつたこと、昭和三五年春ごろから、山村延は同じ林業専門技術員山本武敏らとともに、県の綜合振興計画の林業部門案の作成に従事したが、結局実質的なとりまとめは山本武敏が行つたこと、昭和三四年八月一日から昭和三五年八月三一日までの間において、山村延が林業関係の実態調査を行つた例が一回あるだけであり、放送用原稿、研修用テキスト、レポートの作成、会合への出席等の例がほとんどないこと(その他の林業専門技術員については、右のような調査研究、資料の作成等が毎月の実績となつている。ちなみに、昭和三五年度におけるテキストや原稿の作成、会合やコンクール等についての各林業専門技術員の起案文書に関する調査によると、山村延は起案文書が一件もなく、他の四名はそれぞれ一八件、五件、九件、四件であることが認められる。)、昭和三二年四月ごろから昭和三四年にかけても、山村延の調査研究面での活動は他の林業専門技術員に比して著しく低調であつたことが認められ、他の右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右のように、山村延の林業専門技術員としての指導教育および調査研究活動は極めて不活発であり、このような職務の履行状況は、これに前記の同人の勤務時間中の態度を合わせ考えると、地方公務員法第二八条第一項第一号にいう勤務実績が不良の場合に該当すると解するのが相当である。

(2)  職務に必要な適格性を欠く点について。

まず、地方公務員法第二八条第一項第三号にいう適格性を欠く場合の意味にいて考えてみるに、もともと、地方公務員は、全体の奉仕者として、公共の利益のために地方公共団体の行政が民主的能率的に運営されるように職務に専念しなければならないものであるところ(同法第三〇条、第三二条、第三五条等参照)同法第二八条第一項は、右の公務の能率の維持向上のために、勤務実績が不良のとき(第一号)および心身の事故のため職務の遂行に支障がある場合(第二号)のほか、第三号において、前二号の場合以外で職員がその職に必要な適格性を欠くときも分限処分事由となりうることを規定したものと解される。そして、右第三号にいう適格性を欠の場合とは、前二号以外の事由で、職員の素質、能力、性格等からいつて公務員たるに適しない傾向を有し、それが持続的なものであつて簡単には矯正できない性質のものである場合を指称するということができる。

これを本件についてみると、前記のように、山村延は一定の資格試験をへて林業専門技術員となつたものであつて、その職務に必要な学識を一応具備していたものとみられるが、反面、前記認定事実によれば、同人は林業専門技術員として県の管理職的地位にあり、その職務内容からいつても、職務の逐行にあたつては指導力、統率力、企画性、積極性等の諸要素を要請される立場にあつたものであるところ、同人は、相当長期間にわたり継続してその職務を忠実に履行せず、その指導および調査研究の実績は極めて低調であつて、右の事実からして、同人が管理的職務に必要な前記諸要素を著しく欠いており、これらの欠陥が容易には矯正できないものとなつていたことを推認するに難くないし、<証拠>によると、山村延は、同人が指導教育すべき林業改良指導員のほとんどの者から敬遠され、他の職員も同人とはほとんど口をきかないなど、関係職員の信頼がなく、これらの者との協調性に欠けていたことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。右事実によれば、山村延は林業専門技術員としての管理職的職務に必要な適格性を欠いていたものであつて、地方公務員法第二八条第一項第三号にいう分限処分事由に該当するというべきである。

(一)  以上のとおり、被告の山村延に対する本件降任処分は、同人の勤務実績不良の点およびその職に必要な適格性を欠く点においていずれも理由があるところ、<証拠>によると、山村延は昭和三四年三月ごろ、脳軟化症にかかり、そのため、その後しばしば欠勤したこともあつて、健康上激しい仕事には堪えられない面があつたことが認めえないではないが、しかし、<証拠>によると、山村延は、同人の病気について上司に申出て軽勤務の措置を希望したような事実はなく、その後脳軟化症は治癒したことが認められ、これらの事実によると、同人の右罹病の点は、前記降任処分事由を認定するうえに妨げとなるものではない。また、同人を行政職二等級一一号の林業専門技術員から行政職五等級一八号の技師に降任する旨の本件処分は、前記不適格事由からみて、その処分の程度において相当であり(<証拠>によれば、県において、行政職三、四等級はいずれも準管理職的地位として扱われていることが認められる。)、結局、本件降任処分は、その処分事由および処分の程度の点で違法はないというべきである。

(二) つぎに、原告らは、本件降任処分は山村延が被告の退職勧奨に応じない故をもつてなされた報復的な処分であり、違法であると主張するので、この点について判断する。

<証拠>を綜合すれば、被告は、昭和三〇年ごろから職員構成の高齢化、硬直化に対処し、その新陳代謝をはかるため、高齢の者に対して退職勧奨を行うことを計画し、昭和三一年度において、前年度に満五〇歳に達した職員に対して退職を勧奨し、昭和三二年度からは満五五歳に達した者に毎年退職勧奨を行つていたが、昭和二五年四月ごろ、当時満五五歳になつていた山村延を含む職員約六〇名に対して、例年の職員の異動期である同年七月三一日を目標に退職勧奨を行い、勧奨の方策として、一〇年以上勤務した者で勧奨に応ずる者には通常の退職手当の倍額を支給し、一〇年以下の勤務者には特別昇給を認め、退職後の職のない者は非常勤嘱託として再採用するなどの優遇措置を講ずることとし、その結果、右の約六〇名の退職勧奨を受けた者のうち、山村延を含む五、六名の者を除いては、同年七月三一日までにすべて勧奨に応じて退職し、右五、六名の者も、山村を除いては、昭和二六年一月ごろまでに勧奨に応じて退職したこと、被告は、職員の直接の上司を通じて退職勧奨を行わせる方針をとり、山村延に対する退職勧奨については、農林部次長林正人が昭和三五年四月から八月ごろまでの間に三、四回出村延と話合い、同年八月ごろには人事課長古瀬禦が山村延に勧奨したがいずれも話合いがつかなかつたこと、同年九月初めごろ、山村延は、同人の当時の号俸を五号程度昇給させてくれれば勧奨に応じてもよいという条件で、退職勧奨に関する被告側との交渉を県職員組合の執行部に一任し、そのころ、右執行部の役員は前記人事課長らと交渉したが話合いがつかず、右交渉の際、同席していた県主任監察員が「山村延を処分できる材料がある。」という趣旨の発言をなし、人事課長は、「山村延に対して退職勧奨中であるから同人の処分は考えていない。」という趣旨の発言をしたことがあつたこと、その後、昭和三六年二月ごろ、総務部長が山村延に対して勧奨したが、同人はこれに応じなかつたこと、同人に対する前記の退職勧奨の話合いにおいて、特に強制にわたるような点はなかつたこと(反証―排斥)が認められ、認定を覆えすに足りる証拠はない。また、被告が、林政課庶務係長曾田保吉をして、昭和三五年六月一〇日から同年七月八日までの間、山村延の出勤退庁時刻、離席の回数および時間、その理由等を調査せしめたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によると、同年一二月ごろ、県の総務部長、監察員らが協議した結果、山村延の昭和三二年四月以降の勤務状況が悪く、その実質的内容が極めて不良であり、林業専門技術員としての職務に不適任で業績も低調であることなどを理由に、地方公務員法第二八条により同人に対し降任処分をするのが適当であるとして、同年一二月一七日付で、本件降任処分を行われたい旨の禀議書を起案したが、山村延が退職勧奨に応ずる場合を考えて、これをそのまま留保し、昭和三六年二月下旬ごろ、右禀議書に総務部長および人事課長が押印、同年三月中、下旬ごろ、被告が押印決裁して、同年三月三一日付で本件降任処分を決定していることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右認定事実によると、被告は、山村延に対する退職勧奨と併行して両人の勤務状況に関する調査を行い、本件降任処分を内定していることが認められるが、両人に対する降任事由としては、退職勧奨前の昭和三二年四月以来の同人の勤務状況、林業専門技術員としての業務実績等が考慮されており、(なお、同人の林業試験場勤務当時の勤務状況に関する監察結果(乙第四号証の二、三、四)は、昭和三四年四月二二日ごろ作成されており、同人の林業専門技術員としての業績調(乙第三号証の一ないし四)も、証人林正人の証言によれば、同証人が、林業専門技術員の今後の活動の参考に資するため、各林業専門技術員自身に命じて作成提出させたものを基礎として作成されていることが認められ、そのうち、昭和三四年四月から昭和三五年三月までの実績調(乙第三号証の三、四)は、昭和三五年四月には作成されている。)、これに、山村延自身に対する退職勧奨は五、六回なされているが、特に強制にわたるものであつたとはみられないこと、および本件降任処分は、前記のように、その処分事由において、尤もな理由があつたことを考えると、本件降任処分が、専ら同人が退職勧奨に応じない故をもつてなされた報復的なものであるとみることはできない。(反証―排斥)

四よつて、被告の山村延に対する本件降任処分は正当であつて、原告らの本訴請求は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。(広瀬友信 畠山勝美 林五平)

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