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松江地方裁判所 昭和40年(ワ)134号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕喜進が本件事故により左下腿骨皮下骨折の傷を受けたことは当事者間に争いないところ、<証拠>によれば、喜進は本件事故当日(昭和三九年一月一九日)松江赤十字病院に入院、手術を受け、同年三月二二日ギブス固定のまま退院、自宅より通院をつづけたが、同年五月四日松江市立病院に入院、当時骨折部の骨癒合不十分のため各種注射薬で治療を受けたが効果なく、同年六月九日骨折部を切開し使用金属を除去、その後も骨癒合が不全のため、同年七月二二日骨折部癒合の再手術を受けたところ、術後創に一部細菌感染を来たして化膿部分が拡がるおそれが生じ、同年九月一六日、さきの七月二二日の手術の使用金属を除去したが、その後も膿汁分泌が高度となり、左脛骨骨髄炎へと移行、多少全身衰弱の傾向があり、同年一一月一九日左脛骨骨髄炎の根治手術を受け、術後膿汁分泌はほとんど消失したが、手術による全身衰弱と膿汁分泌が長期にわたつたため、同年一一月三〇日ごろより腎炎の症候を呈するようになり、次第に全身衰弱、腎機能不全が進み、同年一二月末ごろ尿毒症へと進行し、昭和四〇年一月四日死亡したものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。右事実によれば、喜進は本件事故による骨折部の骨癒合が不十分のため再度の骨癒合手術を受けたのであるが、その手術後に術後創に一部感染を来たし、それが原因で腎炎から尿毒症へと進行し死亡するに至つたことが認められるところ、証人金田賢之介の証言によれば、医師による右骨縫合の手術には格別の手落ちがなかつたこと、手術創が大きいような場合、術後に細菌の感染することのあるのはある程度やむをえないことであつて、その際化膿部分が増大することは稀ではあるがありえないわけではないこと、喜進には体質上特に異常な点はなかつたことなどが認められ、右認定に反する証拠はなく、右の各事実を綜合して考えれば、本件事故による喜進の負傷とその死亡との間には法律上の相当因果関係があると解するのが相当である。<中略>

<証拠>によれば、昭和三九年五月中旬ごろ、被告会社本社総務課主任の訴外中島貞夫ならびに被告会社松江営業所長の訴外佐藤正明が松江市立病院に入院中の喜進を尋ね、喜進との間に慰藉料および治療費の支払等について話合いが行われ、慰藉料として五〇、〇〇〇円を支払うことになつたこと、同年六月二二日ごろ右佐藤正明が同病院喜進を尋ね、喜進に対し右五〇、〇〇〇円と被害車輛の修理代として一〇、〇〇〇円合計六〇、〇〇〇円を手交したこと、その際、右佐藤は今後一切請求しないという趣旨の示談書と題する書面を喜進に渡し、これに同人の署名捺印を求めたが、同人は右書面を受けとつたままこれに署名捺印しなかつたこと、その後一〇日位して右佐藤が再び喜進を尋ねたが、喜進は手術の結果をみてからと言つて右書面を佐藤に渡さず、以後右書面あるいは示談等に関して被告と喜進との間に何らの交渉もなかつたこと、被告は喜進の治療費の一部として三六一、八二三円を負担したが、これらは全部自賠法の責任保険から支払を受けたものであることが認められ、<証拠説示部分省略>。右事実に、前記認定のとおり、喜進は昭和三九年五月四日松江市立病院に入院後も骨折部の癒合が不十分で、同年六月九日骨折部を切開して使用金属を除去し、その後も加療をつづけ同年七月二二日に再手術を受けており、前記中島貞夫や佐藤正明と話合つた際は骨折部の治癒の見通しがまだ立たない段階であつたことを考え合わせると、当時、喜進には被告との間に確定的に示談すなわち和解契約を結ぶ意思があつたとは解されず、喜進が受領した五〇、〇〇〇円も、右の段階で本件事故に関する慰藉料あるいは見舞金として受領したにとどまるとみるのが相当であり、これをもつて今後一切の損害賠償の請求をしないという趣旨の示談契約が成立したものとみることはできない。したがつて、その余の点について判断するまでもなく、被告の示談契約成立の主張は肯認することができない。<中略>

年金額(編註・国家公務員共済組合法による共済年金)から生活費を控除しないのは、元来収入から生活費を控除するのはその生活費が収入を得るために必要な支出であると認められるからであるが、稼働可能期間経過後の生活費と年金収入とは右のような関係にたつものではないからである。(広瀬友信 畠山勝美 林 五平)

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