松江地方裁判所 昭和45年(ワ)135号 判決 1974年4月15日
原告 門脇成昭
右訴訟代理人弁護士 松永和重
被告 株式会社島根自動車教習所
右代表者代表取締役 野々村延
右訴訟代理人弁護士 原良男
主文
一、被告は原告に対し金三六二万七五三四円およびうち金三一五万七五三四円に対する昭和四三年一月二六日より完済まで年五分の金員を支払え。
二、訴訟費用は被告の負担とする。
三、この判決は仮に執行することができる。
事実
第一原告の申立
主文同旨
第二争いない事実
一、本件傷害交通事故の発生
発生時 昭和四三年一月二五日午前一一時頃
発生地 松江市西津田町内被告教習所構内練習用道路(幅員約一〇米)
加害車 練習用普通乗用車
運転者 練習生 朝比奈明子
添乗者 足立正
(技術指導員)
態様 原告が教習所構内道路を自動二輪車の運転練習のため操縦東進中、対向西進してきた加害車とT字型交叉路附近で衝突し、原告は(昭和六年三月三〇日生)転倒して傷害を蒙った。
二、原告の傷害
右下腿脛骨腓骨開放骨折。入院加療二二二日間、(1)昭和四三年一月二五日より同年八月一三日まで、(2)同年一一月一一日より同年一一月三〇日まで。通院加療昭和四三年八月一四日より同年一一月一〇日まで(但通院回数二)
三、責任原因
被告は加害車を所有しこれを自動車教習業務のために運行に供していた。
第三争点
(原告主張)
四、傷害程度および後遺障害
(一) 原告は前示争いない入通院のほか昭和四三年一二月一日より同四四年三月二〇日まで通院加療(但し実回数は三)を要した。
(二) 原告には右足関節、運動機能が、背屈八八度、底屈一一五度、外反三度、内反八度、内転五度、外転一〇度にとどまる障害が残った。
五、損害の費目、数額
別紙損害表記載のとおり。特記事情は左記。
Bにつき。
(1) 原告は種苗栽培を主とする農業、苗木、植木、花の行商、および自由労働を職とし、事故直前である昭和四二年度の右職による純益は包括して七二万円であり、右家業に占める妻の寄与分を二割とみてこれを差引くと原告固有の純益は五七万六〇〇〇円となる。
(2) 原告は本件受傷のため事故日より昭和四四年三月三一日まで就労しえず、一ヶ年五七万六〇〇〇円の割合による右就労不能一・一八〇八年分の得べかりし利益は六八万〇一四〇円となりこれを失った。
(3) 原告には前示の後遺障害が残るところ、前出職種よりして原告の労働能力はその稼働可能終期に至るまで継続して一四パーセント減少したものと評価できる。従って一ヶ年につき五七万六〇〇〇円の一四パーセントである八万〇六四〇円の割合による喪失がある。
(4) 原告は事故当時三七才一〇月の健康体であり、昭和四四年四月一日以降もなお二六年間は就業しうる筈であり、右二六年にわたり年間八万〇六四〇円の割合の減収となり、これの現価は一三二万〇七九四円である。
Cにつき。
受傷程度は重篤であり、九〇日間にわたりギブスを装着した。また後遺障害は生涯不治である。
六、まとめ
よって被告に対し原告の申立掲記の交通事故損害金と遅延損害金の支払を求める。
七、被告の運行者免責の抗弁および過失相殺の主張は争う。朝比奈運転、足立添乗の加害車には、方向指示の合図をせず、原告車と至近距離で急に右折して直進車の進行を妨害し、しかも危険発生後急ブレーキをかけなかった過失がある。
(被告の主張)
原告主張四、五の各事実は否認。
八、運行者免責の抗弁
本件事故は原告の一方的過失に基づくものであって、被告側には何らの過失がなく、かつ加害車に構造上の欠陥や機能障害はなかった。すなわち、事故当日の午前九時より同一一時までは外周外廻りコースで技能検定が行われており、担当指導員小笠原富久は原告に対し外周内廻りを走行練習し優先車たる検定車の妨害をしないようにとの指示を与えた。ところが検定車であることその標示より明瞭な加害車が外周を時速約一〇キロで西進し、T字型に分岐して右側にのびる中央幹線道路の手前に至り、右幹線路に右折進入しようと方向指示をしてなお西進し、幹線路東南角手前約一五米に至った際、原告は右幹線路西南角より西一九米の位置を対向東進していた。そして加害者が右折に入り三叉路に先入したところ、原告は右折の合図を無視してそのままの速度で直進してきて、加害車の左前角に自ら接触したものである。
九、過失相殺
仮に被告の責任が免れえないとしても、原告にも右八の如き過失があり損害賠償額算定に斟酌さるべきである。
第四証拠≪省略≫
理由
第五争点に対する判断
(一) ≪証拠省略≫によれば、原告は本件事故により原告主張の通院加療をしたことならびに後遺障害として右足関節可動域が原告主張の程度にとどまって固定し、また右の足踝や脛部に傷後痛や疲労時のしびれ感が残っていることが認められ、反証はない。
(二) 損害の費目、数額
別紙損害表認定欄記載のとおり。補充説明は左記。
Aにつき。
入院一日につき原告主張の三〇〇円程度の雑費を必要とすること公知の事実であり、原告主張を肯認できる。
Bにつき。
(1) ≪証拠省略≫によれば、原告は昭和三八年頃以降五才年少の妻と二人で自作畑七畝、小作畑二反に植木苗を育てて苗木、盆栽を仕立て、これを原告自ら東北、関東、近畿、山陽各地方に春は三月から六月、秋は八月から一一月にかけての各期間行商に歩き、事故当時年に平均して月商約一二万円をあげていたこと、苗木盆栽の行商を終局の目的とする植木栽培農の必要経費の主なものは、小作料、苗木購入費、肥料代、手伝人夫雇費、荷作費、運賃、交通費、宿泊費等であり年間を通じ一ヶ月平均して四万円であること、植木の育成は行商期間中は妻のみが担当し、冬夏期は原告と妻の二人が従事していたこと、原告夫婦には事故当時で七才と四才になる二児があって妻は家事のほか子の保育に手をとられ、植木業に専念しきれなかったこと、以上が認定できる。右認定に牴触する≪証拠省略≫ならびに八束町長の昭和四八年三月二九日付、同年六月二八日付各調査嘱託の結果は、原告が脱税のために所得の縮少申告をしたことが原告本人の供述により明らかであるから、いずれも原告の真の所得を示すものとはいいえないことになるので信用できず、他に前認定を左右する証拠はない。
右認定事実によってみると、年間純益九六万円をあげる家業に占める寄与貢献度は、原告七割妻三割とみるのを相当とすべきである。なお自作畑七畝という資本財の寄与分があり、これは同畑につき地代の支払が不要となったことに相等しいから、純理論からは、この七畝歩の地代相当額を九六万円より控除しその残額の七割をもって原告の寄与度とみるべきであろうが、右にいう地代は僅少であること経験則上明らかであるから原告の逸失利益の算定に当っては微弱因子として考慮の外におくこととする。そうすると原告が稼働することによる利益は一ヶ月五万六〇〇〇円、従って年間六七万二〇〇〇円というべきである。
(2) 前出争いない傷害程度および前認定の傷害程度に原告本人の供述を併せ考えると、原告は本件受傷のため事故当日より昭和四四年三月末頃までの一四ヶ月間は全く稼働できず、その間月額五万六〇〇〇円の割合による利益である七八万四〇〇〇円を失ったものといわざるをえない。
(3) 前認定の原告の後遺障害ならびに原告の職種と参与内容ならびに≪証拠省略≫によると、原告は事故当時三六才一〇月であり、健康体で四〇キロの荷を背負って四キロを一気に歩きぬく位頑丈な身体の持主であったことが認められ、また前出植木栽培農は行商面において若干の商才が必要であるほかは比較的単純な職業であり、原告は、右の仕事を再開した昭和四四年四月一日より六三才に達した直後時までのなお二五年間は右の職種に従事して支障なく稼働できるものとみるのが相当である。ところが前出後遺障害があり、左足が不自由になったため原告は、事故前と同質同量の労働ができなくなり、前出証言と供述によれば、現に原告は行商についても妻の現場での助力を必要とするようになり、また得意先廻りのための重荷の携帯運搬が従前に比し不如意となったことが認められるのであり、前出後遺障害が固定したことを考慮し、かつ原告の労働の実質が単純であって工夫次第では肉体的故障を補充する余地がありうることを斟酌するとき、年六七万二〇〇〇円と評価できる原告の稼働能力は前出二五年間にわたりその一〇パーセントを喪失したものとみるべきである。この喪失額は昭和四四年四月一日を基準時として中間利息を控除すると一〇七万一四四三円となる。
Cにつき。
前示の如く入通院が長期にわたったこと、不治の後遺障害が残り、社会生活上の苦痛不便が続くこと等よりすると原告の慰藉料は一五〇万円をもって相当というべきである。
Dにつき。
一〇〇万円以下の部分につき一五パーセント、超える部分につき一〇パーセントをもって本件事故との通常の因果関係を肯定できる。
(三) 運行者免責の抗弁について。
右抗弁は採用できない。
本件においてまず第一に考えるべきことは、原告は運転無能力者であり、加害車を操縦した朝日奈も同様運転無能力者であり、添乗の足立正検走員のみが運転能力者であるということである。従って過失の有無および量を論ずる次元において、朝比奈、足立という連結操縦者群と単独練習生原告とにおいては前者が能力ある専門家であり、後者が能力なき素人であるという決定的な差を前提としなければならないところ、≪証拠省略≫を綜合すると、加害車すなわち朝比奈、足立連結運転者は、外周路センターライン左側を西進し、T字型交叉点を右折合図して右折しようとしたとき、前方約一〇米の地点を時速一〇キロ位で東進してくる原告車を確認したこと、原告は実技練習の僅か二日目であり、操縦不慣れであり、加害車が右折直前の時には原告車はふらつきもたついた状態で直進してきていたこと、足立は原告が停止して加害車に先に右折通過させてくれるものと即断し、朝比奈に対しても検定採点中ということで原告車の動静を注視し自車の停止、警報合図等の対応措置をとるように注意をうながす等のことをせず、右折態勢に入るがままに放置したこと、原告は直進車である自車が優先すると観念して時速一〇キロ即ち秒速約二・八米で右交叉点に進出し、加害車が原告車において停止してくれるものと即断した時点より数秒以内に本件衝突をみたこと、原告は右折合図を目に入れていないこと、以上が認められるのであって、朝比奈、足立連結運転者には原告車の動静に対応する措置をとらず直進車の進路を妨害した過失があること明らかである。被告の主張するところは原告が完全な交通能力者であるという誤った前提によるものであって採りえない。
(四) 過失相殺について
前項で認定説示したところから明らかなとおり本件事故発生につき原告にも落度がないとはいえないが、損害賠償額の算定について減額斟酌すべき過失と評価できるほどのものは何もない。
第六結論
そうすると被告は原告に対し、別表認定欄の損害金の範囲内である、原告申立の交通事故損害金三六二万七五三四円およびうち金三一五万七五三四円に対する昭和四三年一月二六日より完済まで年五分の遅延損害金を支払う義務があるものというべく、原告の請求は理由があるので認容すべく、民訴法八九条、一九六条を適用のうえ主文のとおり判決する。
(裁判官 今枝孟)
<以下省略>