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松江地方裁判所 昭和58年(わ)211号 決定 1985年7月03日

主文

被告人は無罪。

理由

一  本件公訴事実は、別紙起訴状記載のとおりである。

しかし、本件公訴事実については、いずれも犯罪の証明がなく、被告人は無罪である。

二  当裁判所が認定した事実

被告人並びに証人東方シズヱ、虫谷芳子、東方祇道、平田雅子及び木村佳苗の当公判廷における各供述、被告人の検察官及び司法警察員(三通)に対する各供述調書、西川睦彦の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、木村佳苗の昭和五九年一月九日付検察官に対する供述調書、武田弘及び東方いずみの司法警察員に対する各供述調書、福井有公作成の死体検案書及び鑑定書、浜田市長作成の除籍謄本二通、厚生省医務局長の「医籍登録の有無について(回答)」と題する書面を総合すると、次の事実が認められる。

(被告人の経歴と業務)

1  被告人は、昭和三六年三月佐賀龍谷高等学校を卒業、骨髄矯正の助手などをした後、昭和四二年四月関西柔整専門学校に入学、昭和四四年三月卒業と同時に柔道整復師の資格を取得し、大阪市の宮本整骨院に助手として勤め、昭和四五年六月二二日島根県知事から柔道整復師の免許を受け、同年九月から肩書住居地において、柔道整復師業「執行接骨矯正院」を開業し、父と妻と三人の子と共に生活している者で、医師免許はない。

2  被告人の業務の一般は、柔道整復師として、骨折、脱臼の応急手当、打撲、捻挫の手当として牽引、圧迫、屈伸、捻転、電気治療などを施術するのはもちろんのこと、更に、肩凝り、腰痛などについても、これを捻挫の一種とみて、「矯正」と称する施術を行つていた。この「矯正」という施術の概要は、患者をうつ伏せにさせ、その背骨の両側を片側づつ上から下に順次手の指で押すなどし、筋肉の張弛を診察したうえ、患部の筋肉を弛緩させるため、背中、腰などの筋肉ないし靭帯を手の指で圧迫するものである。骨に付随している靭帯等にこのような施術を行うことによつて脊柱などのゆがみを矯正すると称し、場合によつては、患者を正座させてその首筋の筋肉を手で圧迫するとか、あるいは患者を仰向けにさせてその腹部の左右を手で圧迫するとか、その足を引張るなどすることもあるが、外見的にはいわゆる指圧、マツサージと類似の行為であり、患者に特段の苦痛を与えるものではない。患者のなかには、自律神経失調症、関接炎、胃下垂などの慢性疾患、あるいは風邪気味、鼻ずまりなどであると言う者もいたが、これらの者に対する施術も、おおむね、右に述べたとおりであつた。施術は、右自宅施術所で行うほか、往診することもあり、本件当時約三〇名余りの固定客があり、一回の施術時間は通常約一〇分余りで、その代金は一五〇〇円であつた。

3  更に、被告人は、患者が風邪気味だと言う場合には、「いつごろから、どれ位の熱が出たか」などと尋ねながら、「愉気」と称するいわゆる整体法を行うこともあつた。「愉気」とは、患者を仰向けに寝かせ、その後頭部の下に片手を差し入れて手の平を当て、その腹部に他方の手の平を当てて、特に圧迫を加えるようなこともないまま施術者が患者と呼吸の調子を合わせるというごく単純なものであるが、循環、機能、内分泌などをよくし、体温を上げる効果もあると称し、また、患者が自分の手を腹部等に当てて、自ら愉気をすることも臍下丹田に力をつけると勧めたりしていた。

4  また、風邪気味の者などには、更に詳しい症状等を尋ねたりはしないまま、風が入らないように部屋を閉め、熱を出し切るように布団を掛けて暖かくし、水分や食物を余り取らないで休んでいるようにした方がよいなどと話し、時によつては、いわゆる民間療法である「足湯」を勧めたりしていた。被告人のいう「足湯」とは、両足を膝まで四〇度ないし四五度くらいの湯に七分弱の間つけて、一旦上げ、片一方の足が白ければ、その白い方の足をもう一度湯につけるというものであつて、体を温め、体温を上げる効果があると称していた。

5  なお、被告人は、自宅施術所には低周波と超短波の電気機器を設備し電気治療に使用していたが、他には注射器、聴診器、体温計などの機器を所持せず、投薬あるいは投薬に関する指示をした形跡もない。また医者の診療を禁止するようなこともなく、その資格を偽つた事実もない。

(東方秀夫らと被告人との従前の関係)

1  東方秀夫は、東方祇道とシズヱとの長男として昭和二八年九月三日浜田市で出生し、昭和五一年三月工学院大学を卒業、昭和五五年三月ころ二級建築士の免許を受け、東京で設計事務所に勤めた後、浜田市瀬戸ケ島町一一番地の一に帰郷し、同年一一月から同所自宅において父祇道と共に「東方建築事務所」を開業していた者で、祇道及びシズヱと同居し、昭和五七年五月三〇日山品いずみと結婚(同年六月七日婚姻届出)した、本件当時二八歳、身長一八三センチメートル、体重約六六キログラム、骨格は大、栄養は常の健康な男子であつたが、昭和五七年七月一〇日午後〇時ころ、浜田市黒川町三七四八番地国立浜田病院に救急車で来院した時には、既に呼吸が停止しており、直腸温四三度五分であり、同日午後〇時三〇分、同病院においてその死亡が確認された。その死因は、気管支肺炎による心不全(肺の高度のうつ血水腫及び心不全)であつた。

2  秀夫の妻いずみは、昭和三一年四月二三日浜田市で出生し、昭和五三年三月広島医学技術専門学校三年を卒業、昭和五七年二月から浜田市相生町所在の西川胃腸科内科医院(医師西川睦彦)に臨床検査技師として勤務し、秀夫と結婚してからは同人らと同居していた者であつたが、秀夫の死亡後、同年八月二六日まで右西川医院に勤めていたものの、同年一〇月一一日午前九時、不幸にも自殺した。

東方祇道は、大正二年五月四日生れの当時六九歳で、建築設計士である。東方シズヱは、大正一二年三月一日生れの当時五九歳で、自宅近くの干魚商山本海産に勤めていた。また、秀夫には、他に嫁している姉虫谷芳子があり、同女は、浜田市内で会社員(コンピユーターのオペレーター)をし、しばしば東方宅に立寄つていた。

3  被告人は、本件に至るまで約一〇年来、祇道、シズヱ、虫谷芳子らの肩凝り、腰痛などを施術するため東方宅に毎週二回位の割合で定期的に赴き、一人あたり一回につき金一五〇〇円の施術代を得ていたが、被告人の弟と秀夫とがたまたま高等学校の陸上部の友人であつたことなどもあり、秀夫らの結婚にあたつても弟と共にお祝いとして金五〇〇〇円位を送るなどし、シズヱらの信頼を得て、いずみが西川医院に勤務する検査技師であることなど、少しは東方宅の内情をも知つていたが、親族関係などの個人的交際はなかつた。

4  なお、いずみは、昭和五七年六月二四日、風邪で三八度位発熱したため西川医院で注射及び投薬を受け、同日夕方被告人が東方宅に定期の往診で訪れた際、その施術を受けたことがある。また、そのころ、虫谷芳子の子真由美(当時八歳位)らも、風疹に罹患して西川医院で治療を受けた帰途東方宅に立ち寄つた際など、たまたま定期の往診で訪れた被告人の施術等を受けたことがある。祇道、シズヱ、虫谷芳子らが風邪の治療を被告人に依頼したことはない。

(秀夫の罹病と被告人の施術ないし介護)

1  昭和五七年七月五日。前夜から「一寸頭が痛い、風邪かな」と言つていた秀夫は、仕事を休み、床をとつた。いずみは、通常どおり勤務し、夕方帰宅した。夕食時、秀夫は普通食を床で取り、熱は三七度五分から三八度であつた。

2  翌六日。いずみは通常どおり勤務に出、二回程自宅に架電して、シズヱから「秀夫は、昼過ぎにそうめんを食べさせたら一寸元気になつた」などと聞いた。夕方、被告人はいつものようにシズヱらの施術のため東方宅を訪れたが、台所脇四畳半の間に洋服姿の秀夫が来て、「風邪気味で、だるくて、熱つぽい。診てもらいたい」旨告げたので、多分仕事の疲れだろうと思つて約一五分位の施術をし、シズヱと秀夫との二人分の代金合計三〇〇〇円を受領した。施術の際、秀夫から熱が三七度位あると聞いた被告人は、「風邪だからそんなに早く寝ちやあ熱は出んから、一寸動いて寝なあ熱は出ん。熱が出てしまえば風邪は治る。風に当たらないようにし、布団を掛けて、水分や食事を余り取らないように、休むこと。明日は、熱が出ないようなら、来てくれ」などと話した。医者に見せてはいけないなどと言つた事実はない。

3  翌七日。シズヱは仕事に出た。秀夫は熱が三九度から四〇度あつて、「しんどくてやれない」と言つていた。いずみは、勤めを休んだが、午前九時ころ被告人方に架電したうえ、同一一時ころ秀夫と共に被告人方を訪れた。被告人は、秀夫に前述の矯正など一般的な施術をしたが、熱が三八度位あると聞き、足湯の方法を説明したほか、「布団を掛け、汗を出し、水分は余り取らないようにして、食事は「お粥」程度でよろしい」などと話し、施術代金一五〇〇円を受領した。いずみは、被告人に対し風邪の治療には解熱剤を服用して熱を下げ、水分と栄養を取らないといけないのではないかと話したりしたが、帰途足湯の温度を計る温度計を買い求めて帰宅した。昼ころ、シズヱがいつものように昼食のために帰宅した折には、秀夫は、いずみと風呂場におり、風呂の縁に腰掛け、お湯に足をつけていた。その後、秀夫は自分で体温を計りながら二階で休んでいたが、体温は三八度八分位であつた。

なお、この日から、秀夫は、一日二回位茶碗に半分程の薄い「お粥」のようなもの、少量の西瓜及びごく少量の水のほかには、飲食物を取つた形跡がなく、薬は服用せず、医師の診療も受けていない。

4  翌七月八日。シズヱは仕事が休みで自宅におり、いずみは午前中のみ勤めに出た。被告人は、午前一一時ころ、シズヱから電話があつたと聞いて出先から東方宅に架電し、「秀夫の熱が三八度位あるのだが来てもらえないか」との依頼を受け、体でも拭いてあげようかと考え、水と湯を用意しておくように伝えて赴き、二階六畳の間で布団を掛けて汗をかきながら伏せつている秀夫の体を拭き、着替えを手伝い、布団を替え、約三〇分間愉気をするなどの介護をしたが、矯正の施術はせず、代金等は受領していない。秀夫は、それ程弱つている様子ではなく、その後、床を上げ、ズボンにシヤツ姿で「しんどい」と言つて二階四畳半の間のベツドで横になったりしていた。夜八時ころ、もう一度来てほしいとの電話を受けた被告人は、当然医師の診療を受けているとは思いつゝ、顔でも見れば安心するのではないかとも思い、東方宅に赴き、約一五分間愉気をするなどの介護をしたが、矯正の施術はせず、代金は受領していない。秀夫は少し元気がなく、その夜はあまり眠つていない。

5  翌九日。シズヱは仕事が休みで自宅におり、いずみは通常どおり出勤したが、勤務先の西川医院で何回かシズヱからの電話を受け、熱が四〇度ある旨を聞いていた。秀夫は自宅二階で床に伏していた。午前一一時ころ、被告人は、シズヱから秀夫の「熱が三九度位ある」旨の電話があつたと聞き、出先から東方宅に架電して依頼により赴き、同人の汗を拭き、着替えを手伝い、約一五分間愉気をするなどの介護をしたが、矯正の施術はせず、代金等は受領していない。同人は発熱で元気がなかつた。

同日午後五時ころ、被告人はいつものようにシズヱらの施術のため東方宅を訪れた際、同女らから秀夫の熱が四〇度と聞き、「あとは下がるだけだ」などと言いながら秀夫にも愉気をしたが、代金はシズヱの施術代一五〇〇円を受領したのみであつた。

同日夜。いずみは自宅に有り合わせの解熱剤(バツフアリン)と乗物酔止め薬(トラベルミン)の各一錠を秀夫に与え、同人は、自らそれを飲み、一時間半程眠り、熱は三九度に下がつた。

夜中の一二時ころ、シズヱから相談を受けた虫谷芳子らが東方宅を訪れ、シズヱに対して「今は夜中だから仕方がないが、明日は医者に診せなければいけん」と言つた(なお、いずみは以前から西川医師の診療を受けるよう勧めていたが、秀夫は「うん」と言うのみで、受診するには至らなかつた)。そのころも、秀夫の意識はしつかりしていたが、同日夜は、ほとんど眠つていない。

6  翌七月一〇日。シズヱは、午前六時ころ、いずみと相談することなく、被告人宅に架電し、半分怒りながら「熱が一向に下がらん、どうしてくれるか」と告げた。被告人は、「風呂に入つてから行く」などと答え、同七時ころ東方宅に赴き、秀夫の汗を拭き、着替えを手伝い、愉気をするなどの介護をした。秀夫は、朝、いずみが計ると四〇度位あつたものの、ビールでも飲みたいと冗談をいつたりし、意識も明らかで会話もし、左程重態とも見えなかつたが、午前一〇時ころには体温が四二度となつた。その間、被告人は、二階でいずみと共に愉気をするなどの介護をしていたが、四二度に上がつた時にはその旨をシズヱにも伝えたうえ、引き続き、熱を下げると称して愉気をしていた。

ところが、秀夫は、午前一〇時半ころからうとうと眠りだし、やがて、容体が急変し、うわ言を言うようになり、そのうち、けいれんを起こして暴れた。被告人らは、舌をかまないように団扇の柄を口にかませ、暴れないように押えつけ、被告人において直ちに医師を呼ぶよう告げた。

7  同日午前一一時ころ、いずみから泣きながら急を告げる電話を受けた西川医師が急行した際には、閉め切つた二階六畳の間で、布団を敷いて秀夫が仰向けに寝ており、掛布団を体全体にかぶせ、いずみ、シズヱ及び被告人らが布団の上から押えつけている状態であつた。

右西川医師の診察時には、秀夫は、意識はほとんどなく、声はなく、呼吸もほとんどなく、瞳孔は開き、心臓はかすかに動いている容態であつたから、同医師は、気道確保のため「エアウエイ」を当て、救急車を手配し、脱水症状と認めて点滴、注射などをしたが、既に打つ手がない状態であつた。

(その他、本件で問題とされている患者について)

1  木村佳苗は、昭和三四年生れの女性で舞踊(ジヤズダンス)教師をしており、昭和五六年七月ころから週に一回位の割合で被告人の施術を受けていた者であるが、矯正の施術を受ける際、風邪気味の場合などに、愉気をもしてもらつたことがあり、また、熱を出しきるように暖かくして布団をしつかり掛け、余り食べないようにし、足湯をしたらよいなどと聞いたことがあるけれども、医師の診療も時には受け、被告人から右のほかに風邪の治療として特別な施術を受けたことはない。

2  平田雅子は、昭和二二年生れで小学校の養護教員をしており、頭痛、腰痛などの自律神経失調症により医師の治療を受けるかたわら、昭和五二年ころから被告人の施術を受けていた者であるが、矯正の施術を受ける際、愉気をもしてもらつたことがあり、また喉が痛いときなどに、足湯をしたらよいなどと聞いたことがある。

三  検察官の意見の要旨

被告人は、医師の免許を受けていないのに、昭和五六年七月ころから昭和五七年一二月ころまでの間、被告人方等において、木村佳苗、平田雅子、東方シズヱ及びその家族らに対し、その自律神経失調症、関節炎、胃下垂などの慢性疾患につき、多数回にわたり、愉気という治療行為をし、更に、同人らが風邪に罹患した場合にも、「いつごろから、どれ位の熱が出たか」などと問診し、背中などを触診し、もつて風邪と診察し、また、その治療方法として、「熱が出てしまえば風邪は治る」などと言つて、薬物投与により解熱するべきではなく、体温を上昇させ、体熱によつて雑菌を殺すべきだとの危険な見解を告げ、「熱を出し切るように、布団をしつかり掛けなさい」などと布団蒸しにして発熱を促進させるよう指示し、足湯を指示し、その病状にかかわりなく、余り水分や食物を取らないよう指示し、これらを実行させ、治療行為として愉気を行うなどして、治療費を受領していた者であつて、右一連の指示は医学上危険な発熱促進措置の指導であり、愉気は「体温を上下させる治療」であり、これらを全体的に観察すれば、「医行為」すなわち医師が医学的知識と技能を用いて行なうのでなければ人体に危険を生ずるおそれのある行為に該当する。

(業務上過失致死について)

被告人は、右のとおり医師の免許を受けていないのに治療行為を業としていた者であるが、昭和五七年七月六日、東方宅において、秀夫から風邪の症状を訴えられて同人を診察した際、同人の体温が三七度前後もあつて、風邪に罹患していると認め、自らはその適切な治療についての知識と技能がなく、その病状を悪化させ、場合によつては死に至らせるおそれがあつたのであるから、このような場合、直ちにその治療を中止し、医師の診療を受けるよう指示するべきはもちろんのこと、治療の業務に従事する者として、患者の生命に危険を及ぼさないようその方法等に細心の注意を払うべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、体温の上昇によつて雑菌を殺すとの誤つた見解の下に、「熱が出てしまえば風邪は治る」などと発熱の促進方を指示し、更に、

(一)  翌七日には、三八度位の発熱と聞きながら、足湯と、手足などを直接風に当てないように布団を掛け、汗を出し、水分は余り取らず食事は「お粥」程度でよいと指示し、

(二)  翌八日も、二回にわたり、愉気を施したほか、体温を上げるため密閉した部屋で、布団を二枚敷き、タオルケツト一枚と布団一枚を掛け、その足元を別の夏布団で包ませるなどし、

(三)  翌九日も、二回にわたり、三九度ないし四〇度の高熱と聞きながら、右同様発熱促進の危険な治療行為を継続させたうえ、更に冬布団一枚を追加して掛けさせ、

(四)  その間、シズヱから西瓜を食べさせてよいかと尋ねられた際にも、「ちよつとならええ」と申し向けて水分の補給を制限し、

(五)  七月一〇日も、右治療法を継続させ、秀夫が高熱のため掛布団をはねのけようとするや、いずみとシズヱに命じて秀夫の手足を布団で包んで押えさせ、熱を上げるためと称して愉気を継続するなどし

て危険な治療行為を継続した過失により、次第に秀夫の病状を悪化させ、同日午前一一時ころ同人がけいれんを起こすに至つて初めて医師の診療を受けさせたが、時既に遅く、同人を、同日午後〇時三〇分、国立浜田病院において、脱水症状・気管支肺炎に起因する心不全により、死亡するに至らせた。

四  当裁判所の判断

1  柔道整復師は打撲、捻挫等の手当としての施術を行う者であつて、柔道整復師法によれば骨折、脱臼の応急手当は許されるけれども、外科手術や投薬若しくはその指示を禁じられ、また、医師法一七条により、医師でない者は、医業すなわち医行為を業としてはならない。

2  そこで、認定にかかる被告人の一連の所為が医行為に該当するか否かを検討するに、

(一)  被告人が業として行う矯正は、患部の筋肉ないし靱帯を手の指又は手の平で圧迫してこれを弛緩させる施術であり、また愉気は、基本的には患者の後頭部と腹部に手の平を添えるというごく単純なものにすぎず、いずれも、ごく自然な、かつ、患者に特段の苦痛を与えない手段、程度、態様の行為であつて、危険な行為ではない。

検察官は、あたかも愉気が体温を上下させる治療行為であるかにいうけれども、被告人においてそのように説明したにしても、また、秀夫の体温が四二度にも上がつたとはいえ、愉気にこのような生理上の効果があると認めるに足る証拠はない。

(二)  また、その施術ないし愉気等の際に、発熱がいつからで、何度位かとか、熱を出し切れば治るとか、布団を掛けて暖かくし、余り水分とか食物を取らないようにした方がよいとか、足湯がよいなどと話したことも、いずれも、患者の年齢、職業等を併せ考えるまでもなく、日常の雑談と認めうる程度、態様の会話である。

検察官は、これらの会話が医学上危険な「発熱促進措置の指示」であるかにいうけれども、被告人において、医師の診療を断念させるなど、右療養方法を強いた事実は認められず、たまたま秀夫らにおいてこれを墨守したとはいえ、このような会話を、日常の雑談としての程度、態様を逸脱した危険な「指示」であると認めるに足る証拠はない。

(三)  被告人らが、秀夫の汗を拭き、着替えをさせ、布団を掛けるなどした介護も、適切でなかつたとはいえ、その行為自体の方法、程度、態様においては、一般的な介護方法の域を出ないものと認められる。

検察官は、あたかも「布団蒸し」にして発熱を促進させたかにいうけれども、秀夫らにおいて介護を拒んだ形跡はなく、むしろ継続して依頼したものであり、また、一〇日に西川医師が急行した際、全員で布団の上から押えていたのも、秀夫がけいれんを起こして暴れたためと認められるのであるから、秀夫の死亡という極めて重大な事実があるとはいえ、右介護行為それ自体は、これを「医学上危険な発熱促進措置」であると認めるに足る証拠がない。

(四)  なお、検察官は、被告人が問診し、背中などを触診して、風邪と診察したとし、この診察が許されない医行為に該当するというけれども、しかし、被告人が右に述べた施術ないし介護をするにあたり、その部位、方法、程度を定めるに必要な限度で問診及び触診などの診察をすることは、その施術ないし介護が許されない危険なものでないからには、その診察行為自体が危険なものでない限り、施術等の前提として当然になしうるものと思料されるところ、右に述べたとおり、問診といわれる会話は日常の雑談と認めうる程度、態様のもの、触診といわれるものは、矯正術の一部でごく自然な、患者に特段の苦痛を与えない手段、程度、態様の行為であつて、この診察行為自体が危険な行為とは認められず、更に、注射器、聴診器、体温計などの機器を所持して診察したものでもなく、その他、打診とか、口腔内を診るとか、食生活又は排便の状況を尋ねるなど医師の診察と類似した、若しくはこれと紛らわしい所作をした形跡もないことなどを総合すると、その診察が、その施術ないし介護の前提としてなしうる限度を逸脱して、風邪など内科的疾病の診察として行われたものと認めることもできない。

3  そこで、以上を全体として検討すれば、一般的に、柔道整復師が慢性疾患のある者、風邪で発熱している者などから柔道整復師としての施術の依頼を受けた場合、もとよりその病状の程度によつては医師の診療を受けるよう勧めることが適切かつ期待されるとはいえ、患者が既に医師の診療を受けたうえで右施術を依頼しているのであれば、その求めに応じてはならないということはできず、また、患者が医師の診療を受けるか否かは、一次的には同人の決することであつて、施術の依頼を受けた柔道整復師としては、その症状の詳細を知らず、かつ、医師の診療を要する病状か否かを診断する知識も技能も有しないのであるから、医師の診療を受けていないこれらの患者からの施術の依頼であつても、柔道整復師としての施術である限りは、その容体が一見して重い場合はともかく、一概に、その依頼を拒み、施術を中止する義務があると断定することも難しいところ、更に、患者の容体が重く、施術を中止するべきであると認められる場合に、これを看過して求められるままに施術したとしても、この容体を看過した点に過失があれば後に検討する業務上過失の問題とはなるにしても、だからといつて、その施術が、それ自体としては、手段、方法、程度、態様及び効果等において一般的に危険な行為とは認められない許されたものであるにもかかわらず、患者の容体が重く、施術することが不適切であつたとの事由でもつて、医師でなければなしえない危険な医療行為に該当することになるということは難しい。

4  以上によれば、結局、医行為とは、それ自体の手段、方法、程度、態様及び効果から見て、医師がその医学的知識と技能を用いて行うのでなければ患者の身体、生命に危険を及ぼすおそれがあると一般的に認められる医療のための行為若しくはその指示をいうと解されるところ、被告人の一連の所為が医行為に該当すると認めるに足る証拠はないから、公訴事実第一・医師法違反については、犯罪の証明がなく、被告人は無罪である。

(業務上過失致死について)

1  風邪等に罹患して発熱している者から依頼を受け、その肩凝り、関接痛などについて、柔道整復師としての施術等をすることが必ずしも許されないものではないこと、前述のとおりである。しかし、その発熱等の症状が顕著な場合は、医師の診療を待つのが相当であるから、医師の診療を受けるよう勧めることが適切かつ期待され、殊に、その容体が重く、一見して医師の診療を要すると認められる場合には、直ちに施術を中止しなければならないものというべきであるところ、本件にあつては、被告人は、既に七月八日昼の時点で、体でも拭いてあげようかと考えて赴き、愉気などの介護をしたのみで矯正の施術はしなかつたというのであるから、遅くとも、この時点で、被告人は施術を中止するべき義務あるに至つたものというべきである。

そして、同日以後、被告人は、施術の代金を請求せず、また、秀夫の汗を拭いたり、愉気をするなどの介護をしたのみで、柔道整復師としての矯正の施術をせず、施術を中止したかのようではあるけれども、依頼を受けるままにその都度秀夫方に赴いたからには、その行為が介護の範囲を出なかつたにしても、いまだその施術業務を中止したとはいえないものと認めるべきであつて、被告人には、この点で、施術中止義務の違反があつたというべきである。

2  なお、検察官は、医師の診療を受けるよう指示するべきであつたというけれども、しかしながら、被告人も知つていたとおり、秀夫は、高等教育を受けた二級建築士であつて、また、父祇道、母シズヱ及び妻のいずみと同居し、その看護を受けており、加えて、いずみは、臨床検査技師とはいえ、専門教育を受けて、西川胃腸科内科医院に勤務し、医療に携わる者であつて、秀夫の容体及び被告人の施術ないし介護のほぼ全般を知つていたのであるから、これらの事情を併せ考えると、被告人において医師の診療を受けているか否かを確認せず、また、改めて医師の診療を受けるよう告げなかつたからといつて、この点で、その義務に違反した落度があるということは難しい。

3  さて、本件における主たる争点は、このように施術中止義務に違反して施術ないし介護を継続した被告人に、患者の生命に危険を及ぼさないよう「治療」方法等に細心の注意を払うべき業務上の注意義務があつたかどうか、及びこれを怠つた過失があつたかどうかである。

(一)  認定にかかる被告人の一連の施術、愉気及びその他布団を掛けるなどの介護等が、いずれもそれ自体としては、その手段、方法、程度、態様及び効果において一般的に危険な行為とは認められないこと、その際の発言も日常の雑談と認めうる程度のものであつて、いわゆる「発熱促進措置の指示」とは認められないこと、そのための診察も、なしうる限度を逸脱したものとは認められないことなどは、既に医師法違反に関して述べたとおりであるけれども、もとより、被告人において施術ないし介護を継続したからには、この施術ないし介護が、それ自体として危険な行為でないというだけでは足りず、更に、秀夫の病状にとつて適切を欠き同人を危険に陥れることのないよう注意を払うべき業務上の義務があつたというべきである。

(二)  ところで、被告人の施術ないし介護が秀夫の病状にとつて適切を欠いたことは、認定にかかる経過に照らし明らかであるから、次に、このように適切を欠いた点について、被告人において右注意義務に落度がないにもかかわらず他の何らかの事情により適切を欠く結果となつたのか、それとも、被告人の責に帰すべき注意義務の違反、すなわち過失があつたから適切を欠く結果となつたのかについて検討すると、

(1) まず、秀夫の容体、経過、睡眠、食生活などを知悉していたのは、起居を共にしていた妻のいずみであり、また、七日の夜から仕事に出ることなくその看護にあたつていた母のシズヱであつて、同女らは、適切な療養、看護をし、適切な治療を受けさせる義務を負うべき立場にあり、かつまた、その適切な対処を期待しうる十分な能力を有していたものであつて、現に、いずみは、医院に勤務する者であり、七月七日被告人に対し、風邪の場合のより適切な療養方法を具体的に話しており、秀夫に対しても、西川医師の診療を受けるよう勧めていた。

従つて、いずみらが、いかなる事情があつたにせよ、適切な療養、看護を誤り、数日にわたつて、高熱の続く秀夫に対し、十分な水分と栄養を補給せず、薬品を投与せず、医師の診療を求めないでいるというような、あるいは秀夫自身これを求めないでいるような、はなはだ突飛な事情を、被告人において認識し、又は認識し得たとは認め難く、予見するべきであつたともいい難い。

(2) 被告人は、同女ら顧客から依頼を受けた柔道整復師にすぎず、秀夫の症状のうち、発熱の程度と経過の概略は知つていたと認められるものの、その睡眠及び飲食等の状況、投薬の有無など、その療養、看護の詳細を知つていたとは認められず、むしろ、もとより秀夫が適切な療養、看護をも受けていると思つていたと認められるところ、秀夫は、その最期の直前まで意識が明らかで、会話もできていたのであるから、被告人において、右療養、看護の詳細を知らないまま他に適切な療養、看護を受けているものと思つた点に、落度があつたとは認め難く、更に、同人の病状がその生命にかかわる程に重いということに気付かないで依頼を受けるまま認定したような施術ないし介護等に終始したことについても、落度があつたとはいい難い。

(3) なお、いずみあるいはシズヱは、このように秀夫の容体などを知悉し、また被告人の介護等にもほとんど立会うなどしてその全般を知り、若しくは知りうべきであつたにもかかわらず、秀夫の病状がその生命にかかわる程に重く、また被告人の介護が不適切で、より適切な診療が必要だということを明確に判断しえなかつたのであつて、そうとすれば、これに比し、被告人は、秀夫の病状、療養、看護等の一端しか知りえなかつたのであるから、いかに業務上の注意義務があるとはいえ、医師として、あるいは医師と詐称して関与したのではなく、依頼を受けた柔道整復師として施術ないし介護をしたのであつてみれば、より適切な対処を欠いたことについて落度があつたとも認め難い。

というべきであり、結局、被告人に、秀夫の生命に危険が生じる結果となることを予見し、これを回避するべき業務上の注意義務を怠つた過失があるとは認め難く、その立証はない。

(三)  なお、

検察官は、被告人が、シズヱから西瓜を食べさせてよいかと尋ねられた際、「ちよつとならええ」と申し向けて、水分の補給を制限したかにいうけれども、右をもつてしては、水分補給を制限したものとまではいい難く、水分補給等を制限したと認めるに足る証拠はない。

秀夫の最期の直前、被告人らにおいて秀夫を布団に包んで押えていた点は、同人がけいれんを起こして暴れるのを防ぐためと認められること前述のとおりであつて、その後直ちに医師に連絡したことなど併せ考えれば、この行為に過失ありということも難しい。

4  最後に、翻つて、被告人の施術中止義務違反について検討すると、既に述べたとおり、その後の被告人の施術ないし介護に必ずしも落度があつたとは認め難いところ、秀夫自身はもちろんのこと、いずみとシズヱとの適切な対処があれば秀夫の死亡という結果が回避できなかつたものではないという見方も、否定しきれず、また、最も残念な点が秀夫自身のはなはだ突飛な体力過信にあつたと指摘しうるうえ、いずみらのはなはだ突飛な療養、看護の誤りを予見するべきであつたとはいい難いこと前述のとおりであるから、結局、被告人の施術中止義務違反については、これが秀夫の死亡の原因になつたとは認められない。

5  以上の次第で、公訴事実第二・業務上過失致死についても、犯罪の証明がなく、被告人は無罪である。

よつて、刑事訴訟法三三六条後段により、主文のとおり判決する。

別紙

公訴事実

被告人は、島根県知事の免許を受け、柔道整復師として昭和四五年九月以来浜田市国分町一、八一九番地四七の自宅において柔道整復業を営んでいるものであるところ

第一 医師の免許を受けていないのに、昭和五六年七月ころから同五七年一二月ころまでの間、同市熱田町五五八番地三〇木村佳苗(当二三年)方及び同市瀬戸ケ島町一一番地一東方秀夫(当二八年)方等において多数回にわたり右木村佳苗及び東方秀夫、東方いずみらの風邪の病状を診察し、同人らの両足を四五度位の湯につけたうえ、布団蒸しにして体温を上げる愉気と称する温熱法等による解熱のための治療行為を行い、もつて医業をなし

第二 前記のとおり医師の免許を受けていないのに治療行為を反覆していたものであるが、同五七年七月六日、前記東方秀夫方において、同人から「身体がだるく熱があるので診察してほしい。」旨診察の依頼を受け、同人の症状等を診察した結果、同人は体温が摂氏三七度前後もあつていわゆる風邪に罹患しているものと判断したので、かかる場合右東方秀夫から診察や治療を依頼されても、医行為についての専門的知識や診療を行う能力がないのであるから直ちにこれを断わり内科医等の専門医による診察、治療をうけることを指示すべきであつて自ら患者に対する内科の診察や治療等の医行為をなしても患者の真実の病名等を発見することができず、したがつて、患者に対し、適切な治療行為等をなし得ず患者に対し生理上の危険を与えその病状を悪化させ、場合によつては患者を死に至らせるおそれがあつたから厳にこれを避けるべきは勿論のこと、医師の免許がなくても敢えて前記のように事実上治療の業務に従事するものは、患者の生命に危険を及ぼさないようその方法等に細心の注意を払うべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、その後同月一〇日ころまでの間数回に亘つて東方秀夫方において右東方秀夫に対し、「風邪だから、熱を出してしまえばなおるから。」「熱を上げれば後は下がるから、早く熱を出してしまわないといけない。手足は絶対外へ出してはいけない。水分は余りとつてはいけない。」などと指示し、愉気と称する温熱法による治療を行うなどして同人の解熱のための治療を継続して次第にその容態を悪化させ同月一〇日午前一〇時ころに至り同人の熱が四二度にも上がり、同人がけいれんを起こすなどの症状となるに及んで初めて医師の治療を受けさせた過失により、右東方秀夫をして高熱のため脱水症状を起こさせ、同日午後零時三〇分、同市黒川町三、七四八番地国立浜田病院において、気管支肺炎に起因する心不全により死に至らしめ

たものである。

罪名及び罰条

第一事実 医師法違反 同法第一七条、第三一条第一項第一号

第二事実 業務上過失致死 刑法第二一一条前段

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