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松江地方裁判所 昭和62年(行ウ)2号 判決 1992年3月18日

島根県浜田市殿町一〇番地四

原告

中山俊彦

右訴訟代理人弁護士

中村寿夫

島根県浜田市殿町一一七七番地

被告

浜田税務署長 大石宗男

右指定代理人

見越正秋

比嘉俊雅

岡田克彦

小下馨

水津憲治

松井重利

大橋勝美

矢野聡彦

西村章

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  被告が昭和五九年七月九日付けでした昭和五五年分所得税の更正のうち事業所得の金額一九六〇万一八九七円、納付すべき税額五三三万四二〇〇円を超える部分、過少申告加算税賦課決定のうち税額六万七〇〇〇円を超える部分及び重加算税賦課決定(ただし、変更決定及び審査裁決により取り消された後のもの)を取り消す。

二  被告が昭和五九年七月九日付けでした昭和五六年分所得税の更正のうち事業所得の金額二七四〇万二七五九円、納付すべき税額九三八万〇九〇〇円を超える部分、過少申告加算税賦課決定のうち税額八万三五〇〇円を超える部分及び重加算税賦課決定を取り消す。

三  被告が昭和五九年七月九日付けでした昭和五七年分所得税の更正のうち事業所得の金額二五五八万二七八四円、納付すべき税額七四五万二一〇〇円を超える部分及び過少申告加算税賦課決定のうち税額四万〇五〇〇円を超える部分(ただし、変更決定により取り消された後のもの)を取り消す。

四  被告が昭和五九年七月九日付けでした昭和五八年分所得税の更正のうち事業所得の金額三四六三万五七六二円、納付すべき税額一一九八万二〇〇〇円を超える部分、過少申告加算税賦課決定のうち税額一〇万一〇〇〇円を超える部分及び重加算税賦課決定を取り消す。

第二事案の概要

本件は、被告が原告の昭和五五年分ないし昭和五八年分(以下「本件各係争年分」という。)の青色申告書による所得税の申告につき更正等の処分を行ったことについて、原告がその適法性を争うものである。

一  争いのない事実

1  原告は、住所地において産婦人科医院(以下「原告医院」という。)を経営する者で、青色申告の承認を受けている者である。

2  原告が本件各係争年分の所得税につき青色申告書により、事業所得の金額、総所得金額及び納付すべき税額を別表一「確定申告」欄記載のとおり確定申告し、昭和五六年分につき同表「修正申告」欄記載のとおり修正申告したところ、被告は、右修正申告に対し同表「賦課決定」欄記載のとおり過少申告加算税の賦課決定を行った上、昭和五九年七月九日、同表「更正等」欄記載のとおり更正、過少申告加算税賦課決定及び重加算税賦課決定(以下順に「本件各更正決定」「本件各過少申告加算税賦課決定」「本件各重加算税賦課決定」という。)を行った。

原告は被告に対し、昭和五九年九月九日、同年七月九日付けの右各処分を不服として異議申立てを行ったが、被告が、国税通則法八九条一項により右異議申立てを審査請求として取り扱うことを適当と認めてその旨を原告に通知し、かつ、原告が同年一二月七日これに同意したので、同日国税不服審判所長に対し審査請求がされたものとみなされた。

被告は、昭和六〇年三月三〇日、昭和五五年分及び昭和五七年分の過少申告加算税を別表一「変更決定」欄記載のとおりに変更する旨の決定をした。

国税不服審判所長は、昭和六二年四月一八日、昭和五五年分については事業所得の金額、総所得金額、納付すべき税額及び過少申告加算税の額のうち別表一「審査裁決」欄記載の金額を超える部分を取り消し、同年分についてのその余の審査請求及び昭和五七年分ないし昭和五八年分についての審査請求を棄却する旨の裁決をし、右裁決書を原告に送達した。

3  原告は本件各係争年分の所得税の申告に当たり、期首商品棚卸高及び期末商品棚卸高を、別表二記載のとおり過少に申告した。

二  争点

1  原告の申告した本件各係争年分の雑収入の額には、申告漏れがあるか。あるとすれば、その金額はいくらか。

この点につき被告は、「<1> 原告は退院者等から謝礼として、別表二『雑収入』『被告の主張』欄記載の金額以上に相当する金品を受け取ったが、これを雑収入として申告しなかった。したがって、原告の申告した本件各係争年分の雑収入の額には、少なくても右金額の申告漏れがある。<2> 原告は、昭和六三年九月七日付け準備書面及び平成二年二月七日第一三回口頭弁論期日において、別表二『雑収入』『撤回前の主張』欄記載のとおり被告主張額の全部を認めたにもかかわらず、平成二年一二月五日付け準備書面において、被告主張額の全部を否認するに至った。右主張の変更は自白の撤回に当たるものであって、原告の自白は錯誤に基づくものとはいえないし、被告はその撤回に同意しない。仮に右が自白の撤回に当たらないとしても、時機に後れて提出された攻撃防御方法であって、訴訟の完結を遅延させるものであるから、民事訴訟法一三九条によって却下されるべきである。」旨主張し、

原告は、「<1> 原告が退院者等から受け取る謝礼は、全て社会的儀礼の範囲内の物品等の授受であり、原告が右物品の取得価額相当額の経済的利益を得たわけではないから、右物品の取得価額をもって雑収入の金額と認定することはできない。また、一般に事業の遂行に付随して受け取る謝礼に対して課税される例はほとんどないのであるから、原告に対してのみそのような課税をなすことは、租税公平主義に反する違法な処分といわねばならない。仮に雑収入として計上すべきであったとしても、従業員に対する福利厚生費、出入りの業者等に対する接待交際費、賄費などに費消し、原告が消費したものはないから、必要経費として収入から控除されるべきである。<2> 被告が主張する原告の主張の変更は、一度撤回した請求原因事実の主張を再度主張したものにすぎず、自白の撤回には当たらない。仮に自白の撤回に当たるとしても、錯誤に基づくものである。また、時機に後れて提出された攻撃防御方法で訴訟の完結を遅延させるものともいえない。」旨主張する。

2  原告が申告した昭和五六年分ないし昭和五八年分の賄費の額のうち、原告の事業の必要経費と認められない部分があるか。あるとすれば、その金額はいくらか。

この点につき被告は、「<1> 原告の右各年分における賄費の総額は、別表三『賄費の総額』欄記載のとおりであるが、原告は、妻・中山瑞枝、義母・中山教枝及び長男・中山健太郎と共に、医院の厨房で作った病院食を喫食し、賄費の総額の二六・二パーセントに当たる同表『被告が主張する家事費の額』欄記載の金額を家事費として使用したにもかかわらず、所得税の申告に当たり同表『原告が申告した家事費の額』欄記載の金額しか家事費として控除せず、同表『被告の否認額』欄(別表二『賄費』『被告の主張』欄)記載の金額を過剰に計上したものである。したがって、右金額は、原告の事業の必要経費とは認められない。<2> 原告は右各年分の賄費に関し、昭和六三年九月七日付け準備書面及び平成二年二月七日第一三回口頭弁論期日において、別表二『賄費』『撤回前の主張』欄記載のとおり被告主張額の一部を認めたにもかかわらず、平成二年一二月五日付け準備書面において、被告主張額の全部を否認するに至った。したがって、被告は右各年分の賄費についても、前記1項の被告主張<2>と同様の主張をする。<3> 原告は、課税庁が更正決定の附記理由と異なる主張をすることは許されない旨主張するが、更正決定の理由附記制度が課税庁の訴訟上の主張まで制限するものとは解することはできないばかりか、客観的真実に則した所得に応じた課税を実現するためには、かかる主張の制限を認めるべきではない。」旨主張し、

原告は、「<1> 原告は一日五食分前後の病院食を余分に作っているが、そのうちの一食分は検食のために、その余は緊急の入院等に備えたもので、原告や中山瑞枝、中山教枝がよりよい病院食を提供するために時々病院食の一部を試食することはあったが、原告やその家族が毎食病院食を喫食していたという事実はない。もっとも、原告やその家族の主食費の相当部分及び副食費の一部が賄費から支出されることがあった(ただし、五パーセントを上回ることがなかった。)ので、原告は、賄費総額の五パーセント相当額を家事費として控除して申告したものである。<2> 自白の撤回や民事訴訟法一三九条に関する被告の主張は、雑収入の場合と同様、採用できない。<3> 被告は、原処分の附記理由においては別表二『賄費』『被告の主張・更正附記理由』欄記載の額についてのみ必要経費とすることを否認していたのに、訴訟の段階になって右金額より多額の金額について家事費として控除すべきことを主張するものであって、かかる附記理由と異なる主張は、青色申告に対する更正決定に理由の附記を要求した所得税法一五五条二項の趣旨に照らし許されない。」旨主張する。

3  原告の申告した本件各係争年分の備品消耗品費の額のうち、原告の事業の必要経費と認められない部分があるか。あるとすれば、その金額はいくらか。

この点につき被告は、「<1> 原告は本件各係争年分の備品消耗品費として、福田美装こと竹田博(以下「福田美装」という。)に対して支払った別表四『原告の申告額』欄記載の金額を申告したが、右金額のうち必要経費と認められるものは、同表『被告の認容額』欄記載の金額のみであり、その余は、昭和五五年分ないし昭和五七年分については全額が家事費、昭和五八年分については内金一四二万四一〇三円(翌年一月の取引にかかるカーテン一式等の購入費の内金)が翌年分の必要経費、内金五九万五四四五円が家事費であるから、原告が本件各係争年分の備品備品消耗品費として申告した金額のうち同表『被告の否認額』欄記載の金額(別表二『備品消耗品費』『被告の主張』欄記載の金額)は、いずれも必要経費には当たらない。<2>原告は備品消耗品費に関し、昭和六三年九月七日付け準備書面及び平成二年二月七日第一三回口頭弁論期日において、別表二『備品消耗品費』『撤回前の主張』欄記載のとおり被告主張額の全部又は一部を認めたにもかかわらず、平成二年一二月五日付け準備書面において、被告主張額の全部を否認するに至った。したがって、被告は本件各係争年分の備品消耗品費についても、前記1項の被告主張<2>と同様の主張をする。<3>附記理由と異なる主張の制限に関する原告の主張に対する反論は、前記2項の被告主張<3>のとおりである。」旨主張し、

原告は「<1> 被告が家事費と主張する費用については、そのほとんどが原告医院三階の応接室の備品の費用であるが、右応接室は製薬会社の社員等との応接、原告と看護婦とのミーティング、医院の事務長であった中山瑞枝の執務等のために使用されていたものであるから、少なくとも右費用の六〇パーセントは必要経費として認められるべきである。また、カーテン一式等の購入費用については、昭和五八年中に契約が成立し支払義務が確定した取引にかかる費用であるから、昭和五八年分の必要経費である。<2> 自白の撤回や民事訴訟法一三九条に関する被告の主張は、雑収入の場合と同様、採用できない。<3> 昭和五六年分ないし昭和五八年分の備品消耗品費に関する被告の主張は、別表二『備品消耗品費』『被告の主張・更正附記理由』欄記載のとおり更正決定の附記理由より多額の金額につき家事費として控除すべきことを主張するものであって、かかる附記理由と異なる主張は、前記2項の原告主張<3>に述べたように許されない。」旨主張する。

4  原告の申告した昭和五六年分ないし昭和五八年分の修繕費の額のうち、原告の事業の必要経費と認められない部分があるか。あるとすれば、その金額はいくらか。

この点につき被告は、「<1> 原告は右各年分の修繕費として、福田美装に対して支払った別表二『修繕費』『被告の主張』欄記載の金額を申告したが、右金額はいずれも家事費であって原告の事業の必要経費とは認められない。<2> 原告は、昭和六三年九月七日付け準備書面及び平成二年二月七日第一三回口頭弁論期日において、別表二『修繕費』『撤回前の主張』欄記載のとおり被告主張額の全部を認めたにもかかわらず、平成二年一二月五日付け準備書面において、被告主張額の全部を否認するに至った。したがって、被告は右各年分の修繕費についても、前記1項の被告主張<2>と同様の主張をする。」旨主張し、

原告は、「<1> 修繕費のうち被告が必要経費であることを否認する費用はいずれも、前記3項の原告主張<1>において述べた三階応接室に関するものであるから、原告の事業に関連した費用として必要経費への算入が認められるべきである。<2> 自白の撤回や民事訴訟法一三九条に関する被告の主張は、雑収入の場合と同様、採用できない。」旨主張する。

5  原告の申告した昭和五六年分の雑費の額のうち、原告の事業の必要経費と認められない部分があるか。あるとすれば、その金額はいくらか。

この点につき被告は、「<1> 原告は右年分の雑費として、福田美装に対して支払った別表二『雑費』『被告の主張』欄記載の金額を申告したが、右金額はいずれも家事費であって原告の事業の必要経費とは認められない。<2> 原告は、昭和六三年九月七日付け準備書面及び平成二年二月七日第一三回口頭弁論期日において、別表二『雑費』『撤回前の主張』欄記載のとおり被告主張額の全部を認めたにもかかわらず、平成二年一二月五日付け準備書面において、被告主張額の全部を否認するに至った。したがって、被告は右年分の雑費についても、前記1項の被告主張<2>と同様の主張をする。」旨主張し、

原告は、「<1> 雑費のうち被告が必要経費であることを否認する費用はいずれも、前記3項の原告主張<1>において述べた三階応接室に関するものであるから、原告の事業に関連した費用として必要経費への算入が、認められるべきである。<2> 自白の撤回や民事訴訟法一三九条に関する被告の主張は、雑収入の場合と同様採用できない。」旨主張する。

6  原告の申告した昭和五五年分、昭和五七年分及び昭和五八年分の接待交際費の額のうち、原告の事業の必要経費と認められない部分があるか。あるとすれば、その金額はいくらか。

この点につき被告は、「<1> 原告が右各年分の接待交際費として申告した金額のうち、福田美装に対して支払った金額は別表五『福田美装への支払分・支払額』欄記載の金額であるが、右金額のうち必要経費と認められるものは、同表『福田美装への支払分・被告の認容額』欄記載の金額のみであるから、同表『福田美装への支払分・被告の否認額』欄記載の金額は必要経費とは認められない。また、原告が接待交際費として申告した金額のうち、福田美装以外に支払った金額は同表『その他・支払額』欄記載の金額であるが、そのうち昭和五八年分については、別表六記載の順号を○印で囲んだ支出金額が必要経費とは認められず、その合計額は別表五『その他・被告の否認額』欄記載の金額となる。したがって、原告の申告した金額のうち同表『被告の否認額合計』欄記載の金額(別表二『接待交際費』『被告の主張』欄記載の金額)は、家事費に当たるので、原告の事業の必要経費とは認められない。<2>原告は昭和五八年分の接待交際費に関し、昭和六三年九月七日付け準備書面及び平成二年二月七日第一三回口頭弁論期日において、別表二『接待交際費』『撤回前の主張』欄記載のとおり被告主張額の一部を認めたにもかかわらず、平成二年一二月五日付け準備書面において、被告主張額の全部を否認するに至った。したがって、被告は右年分の接待交際費についても、前記1項の被告主張<2>と同様の主張をする。<3> 附記理由と異なる主張の制限に関する原告の主張に対する反論は、前記2の被告主張<3>のとおりである。」旨主張し、

原告は、「<1> 接待交際費のうち被告が必要経費であることを否定する費用はいずれも、患者を紹介してくれた人に対する謝礼や従業員に対するお歳暮であって、原告の事業に関連した費用として、必要経費への算入が認められるべきものである。<2> 自白の撤回や民事訴訟法一三九条に関する被告の主張は、雑収入の場合と同様、採用できない。<3> 昭和五五年分及び昭和五七年分の接待交際費に関する被告の主張は、別表二『接待交際費』『被告の主張・更正附記理由』欄記載のとおり、更正決定の附記理由では全く問題にしていなかった費用項目について減算すべきことを主張するものであって、かかる附記理由と異なる主張は、前記2項の原告主張<3>に述べたように許されない。旨主張する。

7  原告の申告した本件各係争年分の給料賃金の額及び昭和五五年分の青色事業専従者給与のうち、原告の事業の必要経費と認められない部分があるか。あるとすれば、その金額はいくらか。

この点につき被告は、「原告は内藤とし(原告の養母)及び中山教枝(原告の義母)に対する給料賃金又は青色事業専従者給与として別表七記載のとおり申告したが、右各人は医院の業務に従事したことがないから、右金額は原告の事業の必要経費とは認められない。また、平野幸子は本件各係争年分を通じ、医院の洗濯等の業務にも従事したが、大部分は原告方の家政婦をしていたから、同人の給料賃金として申告された金額のうち、同人と同じ医院の洗濯業務に従事していた山田正子の給料相当額を超える部分(別表七の『平野幸子』欄記載の金額)は、家事費であって、原告の事業の必要経費とは認められない。したがって、原告の申告した本件各係争年分の給料賃金の額及び昭和五五年分の青色事業専従者給与のうち、別表二の『給料賃金』『被告の主張』欄及び『青色事業専従者給与』『被告の主張』欄記載の各金額は、原告の事業の必要経費は認められない。』旨主張し、

原告は、「<1> 内藤としは、看護婦資格を有する者で、昭和五七年四月ころまでは、主として新生児保育を担当し、当直も週一回程度行っていたほか、特に看護婦の手が足りない夜間や休日に重点的に勤務し、昭和五七年四月ごろ以降は、洗濯・厨房業務の補助、医院の清掃、産衣の繕い、医院で発行していた雑誌の編集や清書等の医院の業務に従事してきた。また、同人は、浜田市日脚地区で知人関係を保ち、その知人関係により入院した患者には見舞や退院時のお祝いをするなどして、患者の獲得を図り医院経営に多大な貢献をした。<2> 中山教枝は、人手の足りない時の分娩や手術に伴う雑役、平野幸子の定休日における洗濯業務、厨房の配膳や片付け、医院に飾る生花や植木鉢等の管理、会計事務の補助、看護婦に対するマナー等の指導監督、洗濯・厨房・畑を担当する従業員の管理等多様な業務に従事してきたほか、昭和四四年まで亡夫経営の産婦人科医院を手伝っていた経験を生かして、医院の運営について原告や事務長の中山瑞枝に助言を与え、また、できるだけ多くの婦人の会合に出席するなどして知人関係を保ち、その知人関係により入院した患者には見舞いや退院時のお祝いをするなどして、患者の獲得を図り医院の経営に対して多大な貢献をしてきた。<3> 平野幸子は、主として医院のシーツやおむつ等の洗濯業務に、時として分娩や手術の後片づけ、配膳や食器洗い等の業務に従事してきた者で、同人が原告の家事を日常の業務として行っていた事実はない。また、山田正子は、パート勤務で、畑の開墾と耕作を業務としていた者で、平野幸子とは勤務形態も業務内容も異にする者であるから、同人の給料賃金の額を基準に平野幸子の給料賃金の額を決するのは相当でない。<4> 以上の次第であるから、原告が内藤とし、中山教枝及び平野幸子に支払ったものとして申告した本件各係争年分の給料賃金の額及び昭和五五年分の青色事業専従者給与の額は、いずれもその全額を必要経費に算入すべきである。」旨主張する。

8  原告の申告した昭和五七年分の退職金の額のうち、原告の事業の必要経費と認められない部分があるか。あるとすれば、その金額はいくらか。

この点につき被告は、「原告は昭和五七年分の必要経費として、内藤としに対する退職金三〇〇万円及び平野幸子に対する退職金二〇〇万円を申告した。しかし、内藤としについては、同人が原告の事業に従事した期間は昭和五三年四月から昭和五五年一二月までの二年九か月間であるところ、原告方の就業規則(乙二二号証)には、勤務年数が三年未満の場合は退職金に代えて寸志を贈呈する旨の規定があること、勤務二年余りで退職した他の従業員には退職金の支払いも寸志の贈呈もなかったことに照らせば、同人に対する退職金は必要経費とは認められない。また、平野幸子については、同人は昭和五三年四月から昭和五七年一二月までの間原告の事業に従事したが、その間前記7項において被告が主張したとおり原告の家事を行っていたのであるから、同項において被告が算定した原告の事業における同人の適正な給料賃金の額を基礎に、原告方の就業規則に従って同人の適正な退職金の額を算定すると、金三四万五〇〇〇円となる。したがって、これを超える金一六五万五〇〇〇円は家事費であって原告の事業の必要経費とは認められない。よって、原告の申告した昭和五七年分の退職金の額のうち金四六五万五〇〇〇円は原告の事業の必要経費と認められない。」旨主張し、

原告は、「<1> 内藤としについては、同人の勤務期間は昭和五三年四月から昭和五七年一二月までの四年九か月間であって、二年九か月間ではない。原告は昭和五四年一一月、一年六か月間勤務して自己都合により退職した元看護婦増川泰子に対し退職金五〇万円を支払ったことがあるので、これを参考にして、内藤としの場合は、増川泰子に比べて原告の事業に対する貢献度が大きく、勤務年数も長いこと、増川康子と異なり原告の都合により退職させたことなどを総合的に勘案して、同人には退職金として金三〇〇万円を支払ったものである。被告が比較の対象とした者のうち、河西ともは在職中は看護学院の学生で看護学院卒業後直ちに退職した者、山田正子はパート勤務であった者で、この二人は比較の対象とはなりえない。<2> 平野幸子については、同人が原告の家事を日常の業務として行っていた事実はない。原告は、前記増川泰子に支払った退職金五〇万円を参考にして、平野幸子の場合は、増川泰子に比べて原告の事業に対する貢献度が大きく、勤務年数も長いこと、増川康子と異なり原告の都合により退職させたことなどを総合的に勘案して、同人には退職金として金二〇〇万円を支払ったものである。」旨主張する。

9  原告の申告した昭和五五年分の貸倒損失金の額のうち、原告の事業の必要経費と認められない部分があるか。あるとすれば、その金額はいくらか。

この点につき被告は、「原告は、友人である竹内慧助に対する仮払金の残金五九〇万円が回収不能となったとして、貸倒損失金五九〇万円を昭和五五年分の必要経費として申告したが、竹内慧助に対する右仮払金の実質は、原告と事業の取引がない竹内慧助に対しその事業資金として貸し付けた貸付金であるから、その貸倒れは、所得税法五一条二項に規定する『その事業の遂行上生じた債権の貸倒れ』には当たらず、原告の事業の必要経費とは認められない。」旨主張し、

原告は、「竹内慧助に対する仮払金は、昭和五三年の医院開業後、原告の同級生で浜田市朝日町において薬局を経営していた竹内慧助が原告に対して、処方箋料の別途収入が確保できること、医薬品の仕入値と薬価との差額の一部を合法的に医院の所得から分離することを可能にし、個人所得税の累進課税体制の下では実質上の税負担の軽減をもたらすことの二点を強調して、医薬品の調剤を主たる目的とする第二薬局の設置を勧めたため、原告が同人に対し第二薬局開設に伴う業務の全てを依頼してその準備資金として仮払いしたものであるから、右仮払金の支出は医院の経営遂行上必要な支出である。しかるに、第二薬局の開設をみないまま右仮払金のうち金五九〇万円が回収不能になった。したがって、右回収不能は事業遂行上生じた損失として昭和五五年分の必要経費に算入されるべきである。」旨主張する。

10  本件各重加算税賦課決定は適法か。すなわち、原告は昭和五五年分、昭和五六年分及び昭和五八年分の申告にあたり、課税標準額等の計算の基礎となるべき事実を隠蔽または仮装したか。

この点につき被告は、「原告は所得税の申告に当たり、昭和五五年分、昭和五六年分及び昭和五八年分の期末商品棚卸高につき、故意にその数量を約二分の一に圧縮し、別表二『期末商品棚卸高』『被告の主張』欄記載の金額を除外して申告し、かつ、昭和五五年分の青色事業専従者給与及び昭和五六年分及び昭和五八年分の給料賃金につき、内藤とし及び中山教枝が原告の事業に従事した事実がないのに出勤簿を作成するなどして、別表七記載のとおり右両名の青色事業専従者給与ないし給料賃金を必要経費として申告した。原告の右所為は、国税通則法六八条一項に規定する課税標準額等の計算の基礎となるべき事実の全部または一部を隠蔽し、または仮装した行為に該当する。」旨主張し、

原告は、「期末商品棚卸高については、開業時に薬品会社から無償で供与を受けた医薬品は棚卸資産に計上する必要がないものと税法の解釈を誤って申告したものであって、原告には隠蔽の意図はなかった。また、内藤とし及び中山教枝に対する青色事業専従者給与や給料賃金については、前記7項の原告の主張のとおり必要経費として認められるべきものである。したがって、これらを対象とした本件重加算税賦課決定は、その要件を欠く違法な処分である。」旨主張する。

第三  争点に対する判断(以下において信用できない部分があることを指摘した証言及び供述を証拠として摘示する場合は、いずれも信用できない部分を除いて証拠とする趣旨である。)

一  争点1(雑収入)について

1  自白の撤回等について

被告は、昭和六三年九月七日付け準備書面(第六回口頭弁論期日陳述)及び平成二年二月七日第一三回口頭弁論期日における雑収入に関する原告の陳述が裁判上の自白に当たる旨主張するが、右陳述は、原告が患者等から受け取った謝礼を事業所得の金額の計算上総収入金額に算入すべきか否かという法律の適用解釈に関するものであって、事実に関する陳述ではないから、これを裁判上の自白とみることはできない。したがって、自白の撤回に関する被告の主張は理由がない。

また、原告が右陳述を平成二年一二月五日付け準備書面(第一六回口頭弁論期日陳述)において撤回したことをもって、時機に後れた攻撃防御方法の提出ということもできず、この点に関する被告の主張も採用できない。

2  そこで、原告の申告した本件各係争年分の雑収入の額には、申告漏れがあるか否かについて検討する。

証拠(甲一二、乙四一ないし四四、証人中山瑞枝(第二回)、原告本人)によれば、本件各係争年分を通じて、原告が患者やその家族から退院等の際に謝礼としてウイスキー、タバコなどの物品や現金を受け取ったが、原告はこれを雑収入として申告しなかったことが認められる。これらの謝礼は、事業用資産の購入に伴って景品として受ける金品(所得税基本通達二七-五参照)と同様、社会的儀礼の範囲内か否かを問わず、事業の遂行に付随して生じた収入として、事業所得の金額の計算上総収入金額に算入すべきであって、そのうち金銭以外の物の価額はその物を取得した時における時価で計算して総収入金額に算入すべきである(所得税法三六条二項)から、右に摘示した各証拠によれば、原告が退院患者等から受け取った謝礼の価額は現金と物品とを合わせると、各年少なくとも金七二万円に相当するものと認められる。したがって、原告が申告した本件各係争年分の雑収入の額には各年分につき少なくとも金七二万円の申告漏れがあったといわねばならない。

ちなみに、原告は、原告が患者等から受け取った謝礼について課税することは租税公平主義に反する旨主張するが、一般に、医院を経営する医師が患者等から受け取る謝礼に対しては、その価額がわかっていても課税しない取扱いがなされていることについて、立証を欠くから、原告の右主張は採用できない。

なお、原告は「雑収入に当たるとしても、福利厚生費や接待交際費等の必要経費として控除すべきものである。」旨主張し、証人中山瑞枝〔第二回〕や原告本人は、原告は患者等から受け取った謝礼のうちウイスキー等については従業員や業者に贈与していた旨証言又は供述するけれども、右贈与は原告が謝礼として受け取ったウイスキー等の全てを自ら費消できないという原告の個人的な事情に起因してなされたものであると認められるから、右贈与をもって、福利厚生費や接待交際費等の必要経費の支出とみることはできない。

二  争点2(賄費)

1  被告の主張制限について

青色申告書による申告についてした更正決定の取消訴訟において、被告である処分庁が、原処分の理由と異なる事実を主張できるか否かについて検討する。

一般に、課税処分の同一性はそれによって確定される租税債務の同一性によって捉えられるべきで、処分理由が異なるだけでは課税処分の同一性は害されないから、処分庁が訴訟の段階で原処分の理由と異なる理由を主張することは、原則として認められるべきである。しかし、青色申告者に対する更正決定については、所得税法上理由附記制度が採用されている(同法一五五条二項)のであるから、その趣旨を全く否定するような処分庁による理由の差替えは認められるべきではない。すなわち、青色申告者に対する更正決定の理由附記制度は、処分庁の判断の慎重・合理性を担保してその恣意を抑制するとともに、処分の理由を相手方に知らせて不服申立に便宜を与える趣旨に出たものである(最高裁判所昭和三八年五月三一日判決・民集一七巻四号六一七頁参照)から、処分庁が原処分では全く問題にしていなかった課税要件事実(原処分の附記理由との間に基本的な課税要件事実の同一性を欠く事実)を訴訟の段階で初めて問題にし、これを処分理由として主張することは、右の理由附記制度の趣旨を全く否定するものとして許されないと解するのが相当である。その結果、真実の所得に応じた課税が制限されることがあるとしても、それは、刑事手続における真実発見の要請がデュープロセスの要請によって制限されることがあるとの同様、課税手続におけるデュープロセスの要請との調和の観点から是認されるべきであるといえるから、右結論を左右するものではない。

本件訴訟においては、被告は昭和五六年分ないし昭和五八年分の賄費に関し、原処分の附記理由における否認額より多額の金額について必要経費であることを否認するものであるが、証拠(乙二五、弁論の全趣旨)によれば、本件訴訟における被告の主張と同様、原処分も、原告が賄費として申告した金額には家事費が含まれていることを理由としていたことが認められる。右によれば、本件訴訟における被告の右主張は、原処分時に全く問題にしていなかった事実を訴訟の段階で初めて問題とするものとはいえず、原処分の附記理由との間に基本的な課税要件事実の同一性を肯認しうるから、更正理由附記制度の趣旨を全く否定するものであるといえない。したがって、被告の賄費に関する右主張が許されないとすることはできない。

2  自白の撤回等について

昭和六三年九月七日付け準備書面(第六回口頭弁論期日陳述)及び平成二年二月七日第一三回口頭弁論期日における賄費に関する原告の陳述が裁判上の自白に当たるか否かについて検討する。課税処分取消訴訟において裁判上の自白の対象となるべき主要事実は、所得金額や個々の収入・経費の金額ではなく、その発生原因である具体的事実であって、必要経費に関しては、主張額を超えて存在しないことの主張立証責任が処分庁である被告にあると解するのが相当であるから、本件において主要事実となるのは、被告が賄費につき必要経費算入を否認する額を算定するに当たってその根拠とした具体的事実、すなわち、原告やその家族が賄費総額の二六・二パーセントに相当する病院食を喫食した事実であると考えられるが、原告の右陳述は、被告の否認金額のうち賄費総額の一九・二パーセントに相当する金額を家事費として必要経費に算入しないこと(抽象的な割合)を認めたものにすぎないと認められるから、原告の右陳述は裁判上の自白に当たらないというべきである。よって、自白の撤回に関する被告の主張は理由がない。

また、原告が右陳述を平成二年一二月五日付け準備書面(第一六回口頭弁論期日陳述)において撤回したことをもって、時機に後れた攻撃防御方法の提出ということもできず、この点に関する被告の主張も採用できない。

3  そこで、原告の申告した昭和五六年分ないし昭和五八年分の賄費の額の中には、原告の事業の必要経費と認められない部分があるか否かについて検討する。

証拠(乙五、七、三七、三九、証人中山瑞枝(第二回)、原告本人)によれば、原告の自宅は原告医院の三階に位置し、一階にある医院の厨房と原告の自宅との間には、リフトがあって食事等の上げ下ろしができるようになっていたこと、原告、妻の中山瑞枝、義母の中山教枝及び長男の中山健太郎は、従業員の平野幸子と共に、三階の自宅において日々の食事をしていたこと、原告医院において厨房業務を担当していた元従業員は大蔵事務官及び国税副審判官に対し「朝と夜は、原告、中山瑞枝、中山教枝、中山健太郎及び平野幸子の食事として五食分、昼は、原告、中山瑞枝、中山教枝及び平野幸子の食事として四食分の病院食を、それぞれ原告医院の厨房で作り、リフトで三階に上げていた。」旨答述し、原告の元看護婦も同様の答述をしていることが認められ、右各事実に照らせば、原告及びその家族は昭和五六年から昭和五八年にかけて一日当たり合計一一食分の病院食を喫食していたことが推認できる。これに対し、証人中山教枝、同平野、同中山瑞枝(第一、二回)及び原告本人は「原告やその家族は、病院食の内容や品質の点検を目的として毎食一食分の病院食を検食した以外には、病院食を喫食したことがない。」旨の証言又は供述をするが、右証言や供述は、原告の元従業員らの前記答述と齟齬するばかりか、右各証人の証言や原告本人の供述の中には「検食分の病院食の他、厨房で作ったものの残りも、リフトで三階に挙げていたが、原告らはこれを食べることなく三階で捨てていた。」等、不合理な内容が含まれていること、原告は国税不服審判所に対する審査請求においては、原告及びその家族が賄費の一九・二パーセントの金額に相当する病院食を喫食していたことを前提に必要経費の主張をしていたこと(乙二五)に照らせば、右各証人の証言や原告本人の供述は、後日に打ち合わされたものである可能性が高く、にわかに信用することができない。また、原告は、原告及びその家族が毎食欠かさずに病院食を喫食していたというのは経験則に反する旨主張するが、証拠(乙五、三九)によれば、原告らは病院食のほか、自ら調理した料理も合わせて食べていたことが認められるから、必ずしも右認定が経験則に反するともいえない。

ところで、証拠(乙一一)によれば、原告医院の厨房で調理された昭和五七年分の病院食の総数は一万五二九八食であることが認められるから、右年分において原告及びその家族が喫食した病院食の食数が右総食数に占める割合は、二六・二パーセント(一一食×三六五日÷一万五二九八食)であることが認められる。昭和五六年分及び昭和五八年分の病院食の総数については、直接にこれを認めることができる証拠はないが、証拠(甲七)によれば、昭和五六年から昭和五八年にかけて原告医院においてなされた、入院を要する分娩及び手術の件数は、ほとんど変化がなかったことが認められるから、昭和五六年分及び昭和五八年分において原告医院で作られた病院食の総数は、昭和五七年分のそれと大差がないものと推認するのが相当であり、したがって、右各年分において原告及びその家族が喫食した病院食の食数が右総食数に占める割合も二六・二パーセントであると推定するのが相当である。そして、証拠(乙二八、二九)によれば、昭和五六年分ないし昭和五八年分の原告医院の賄費の総額は、別表三「賄費の総額」欄記載のとおりであることが認められるから、原告及びその家族が喫食した病院食の価額は、右の賄費の総額に二六・二パーセントを乗じた、同表「被告が主張する家事費の額」欄記載の金額となる。

しかるところ、原告は同表「原告が申告した家事費の額」欄記載の金額を家事費として控除した上で確定申告しているから、原告が申告した賄費の額のうち必要経費と認められない金額は、同表「被告が主張する家事費の額」欄記載の金額から同表「原告が申告した家事費の額」欄記載の金額を控除した同表「被告の否認額」欄記載の金額となる。

三  争点3(備品消耗品費)について

1  被告の主張制限について

被告は本件訴訟において、本件各係争年分の備品消耗品費に関し、原処分の附記理由における否認額より多額の金額について必要経費であることを否認するものであるが、証拠(乙二五、弁論の全趣旨)によれば、原処分における附記理由も、本件訴訟における被告の主張と同様、原告が備品消耗品費として申告した金額には家事費が含まれていることを理由とすることが認められるから、本件訴訟における被告の右主張は、賄費に関する被告の主張と同様、更正理由附記制度の趣旨により禁止されたものとはいえない。

2  自白の撤回について

昭和六三年九月七日付け準備書面(第六回口頭弁論期日陳述)及び平成二年二月七日第一三回口頭弁論期日における備品消耗品費に関する原告の陳述が裁判上の自白に当たるか否かを検討するにつき、右陳述の前における弁論の状況を見てみると、原告の主張は、総勘定元帳(乙二六ないし二九)の備品消耗品費欄に計上された福田美装との各取引の総額を必要経費として主張するものであり、被告の主張は、福田美装の保管する納品書控え(乙一〇)を調査することにより、備品消耗品費として必要経費性を認めることが相当である原告・福田美装間の取引の全額を把握し、右取引額を超える原告の申告額について必要経費性を否認するものであると解されるが、証拠(乙一〇、二六ないし二九)によれば、原告の総勘定元帳記載の取引と福田美装の納品書控え記載の取引とは対応しないものが多いことが認められる。このような弁論の状況の下で、原告が被告の否認額の一部を認める陳述をしたとしても、それは、抽象的な金額について認めたものにすぎず、主要事実であるところの個々の具体的な取引の存否や事業関連性についてまで自白したものと解することはできない。したがって、原告の右陳述は、裁判上の自白とは認められず、自白の撤回に関する被告の主張は理由がないといわねばならない。

また、原告が右陳述を平成二年一二月五日付け準備書面(第一六回口頭弁論期日陳述)において撤回したことをもって、時機に後れた攻撃防御方法の提出ということもできず、この点に関する被告の主張も採用できない。

3  そこで、原告が申告した本件各係争年分の備品消耗品費の額の中には、原告の事業の必要経費と認められない部分があるか否かについて検討する。

証拠(乙八、一〇、二六ないし二九)によれば、原告は、原告医院の備品消耗品の購入のためになされた原告・福田美装間の取引の額は、別表四「原告の申告額」欄記載の金額であるとして、確定申告を行ったこと、しかるに、原告医院の備品消耗品の購入のためになされた原告・福田美装間の取引は、同表「被告の認容額」欄記載の金額を超えては存在しないことが認められるから、同表「原告の申告額」欄記載の金額から「被告の認容額」欄記載の金額を控除した同表「被告の否認額」欄記載の金額が、原告が申告した本件各係争年分の備品消耗品費の額のうち必要経費と認められない部分である。

なお、原告は「原告は福田美装から原告医院の備品消耗品を購入するため、別表四「原告の申告額」欄記載の金額に相当する各取引を行ったが、その大部分は、原告医院三階の応接室の備品消耗品を購入するものであるところ、右応接室は、原告家族の団欒の場としてだけではなく、取引先との応接、原告と看護婦との打合せや慰労、事務長の中山瑞枝の執務の場としても使用されたものであるから、右応接室の備品消耗品の費用は原告の事業の必要経費として認められるべきである。」旨主張するので、付言するに、まず、原告がその取引額を必要経費に算入すべきであるとする福田美装との各取引は、総勘定元帳(乙二六ないし二九)に記帳されてはいるが、福田美装が保管している納品書控え(乙一〇)の中には、右各取引に対応する控えが存在しないものが多く、果たして原告主張の各取引が現実に行われたものであるか疑問であるし、また、原告医院三階の応接室が原告の事業の用に供されていたという点についても、これに沿う証言や供述(証人中山瑞枝〔第二回〕、原告本人)があるが、これらは、前記認定のとおり、原告医院の建物は、一、二階が医院施設、三階が原告一家の居宅と区分されたものであること、原告は審査請求においては、右応接室が取引先との応接や中山瑞枝の執務にも使用されていた旨の主張をしていないこと(乙二五)、原告医院の看護婦であった平川ひろ子は国税副審判官に対し「右応接室には、給料を受け取りに上がったことがあるだけで、ほとんど上がったことがない。」旨の答述をしていること(乙三九)に照らせば、直ちに信用できるものではないから、原告の右主張は採用することができない。

また、原告は昭和五八年分の備品消耗品費に関し「被告が主張する取引の他にも、原告は福田美装からカーテン一式等を金一四二万四一〇三円で購入し、右代金の内金一〇三万五五〇〇円を昭和五八年一二月一三日に支払ったから、右費用を必要経費として加算すべきである。」旨主張し、証拠(甲一三)によれば、原告は福田美装に対し昭和五八年一二月一三日に金一〇三万五五〇〇円を送金したことが認められるが、他方、証拠(乙一〇、二九)によれば、原告は福田美装からカーテン等を金一〇三万五五〇〇円で購入し、昭和五八年一二月二二日に引渡しを受けたこと、右取引は、昭和五八年分の原告の総勘定元帳(乙二九)の器具備品勘定に計上されているが、それとは別個に同年一二月三一日付け決算修正として、福田美装に対する未払金一五〇万円が同勘定に計上された上、内金一四二万四一〇三円が備品消耗品費勘定に振り替えられていること、福田美装保管の昭和五八年分の納品書控え(乙一〇)の中には原告主張の右取引に該当する控えが見当たらないことが認められ、これらの事実に照すと、福田美装に対する昭和五八年一二月一三日付けの送金は原告主張の金一四二万四一〇三円の取引とは別個の取引に関するものと認めるのが相当であり、前記認定の送金の事実をもって、原告主張の右取引が昭和五八年中になされたものであると認めることは困難である。

よって、右取引額を昭和五八年分の備品消耗品費に加算すべきであるとする原告の前記主張は採用できない。

四  争点4(修繕費)及び争点5(雑費)について

原告が修繕費及び雑費に関し、昭和六三年九月七日付け準備書面(第六回口頭弁論期日陳述)及び平成二年二月七日第一三回口頭弁論期日において、被告否認額の全額が必要経費でないことを認めたのは、右各費用項目に関する争いを本件訴訟の争点から除外する目的によるものであるから、右陳述は、単に金額のみならず、その算定の根拠となった具体的事実(主要事実)についても被告の主張を認めたものであって、裁判上の自白に当たると解するのが相当である。したがって、原告が右自白の後、平成二年一二月五日付け準備書面(第一六回口頭弁論期日陳述)において「被告が必要経費に算入することを否認する費用はいずれも、原告がその事業の用に供している三階の応接室に関する費用であるから、必要経費に算入すべきである。」と主張を変えたのは、自白の撤回に当たるといわねばならない。

一般に、自白の撤回は、相手方に異議がない場合と、自白をした当事者が、自白にかかる事実が真実に適合せず、かつ自白が錯誤に出たことを証明した場合とに限って許されるものであるところ、本件においては、被告は原告の右自白の撤回について異議を述べており、かつ、原告医院三階の応接室が原告の事業の用に供されたものと認められないことは、前記判示のとおりであるから、自由にかかる事実に適合しないと認めることはできない。したがって、原告は右自白を撤回することが許されず、その自白にかかる事実によれば、原告が申告した昭和五六年分ないし昭和五八年分の修繕費の額のうち別表二「修繕費・被告の主張」欄記載の金額、昭和五六年分の雑費の額のうち同表「雑費・被告の主張」欄記載の金額は、いずれも原告の事業の必要経費には当たらないことが認められる。

五  争点6(接待交際費)について

1  昭和五五年分及び昭和五七年分について

被告が右各年分の接待交際費につき、更正決定の附記理由と異なる事実を主張することができるか否かについて検討するに、被告が更正決定の附記理由においては、右各年分の接待交際費の額を何ら問題とすることなく原告の申告額を認容していたことは当事者間において争いがない。にもかかわらず、被告が訴訟の段階になって初めて、前記第二の二6<1>記載のように主張して、右各年分の接待交際費を問題とすることは、処分庁の判断の慎重・合理性を担保し相手方の不服申立に便宜を与えるという前記判示の更正理由附記制度の趣旨を全く否定するものであって、許されないといわねばならない。

2  昭和五八年分について

(一) 自白の撤回等について

原告が接待交際費に関し、昭和六三年九月七日付け準備書面(第六回口頭弁論期日陳述)及び平成二年二月七日第一三回口頭弁論期日において、被告否認額のうち審査裁決が否認を支持した金額について必要経費でないことを認めたのは、審査裁決が否認することを相当とした各支出(別表六の順号を○印で囲んだもののうち、順号14及び50を除いたもの)については、原告の事業の遂行上必要な接待や贈答のための支出でないことを認めたものであるから、裁判上の自白に当たると解するのが相当である。したがって、原告が右自白の後、平成二年一二月五日付け準備書面(第一六回口頭弁論期日陳述)において「右各支出は原告の事業の遂行上必要な接待や贈答のための支出であるから、その金額は必要経費に算入すべきである。」と主張を変えたのは、自白の撤回に当たるといわねばならない。

被告は右自白の撤回について異議を述べているので、右自白にかかる事実が真実に適合しないか否かについて検討するに、別表六「支出の理由」欄記載の事実は、原告が審査請求において主張したもの(ただし、73については審査裁決においては認定されたもの)であるところ、本件においては右事実を否定するに足りる証拠は見当たらないから、右事実を前提に、原告の自白の対象となった同表記載の各支出が、原告の事業の遂行上必要な接待や贈答のための支出であって、必要経費に算入されるべきであるか否かを判断することとする。まず、右各支出のうち同表の順番5、10、43、46、71及び82記載の各支出は、接待や贈答の相手が不明であり、順号21、26、30及び42記載の支出は、政治家や神社等原告の事業とは関係のない者に対する寄付等に関する支出であり、また、順号48、49、55、59、64、68及び83記載の各支出は、原告の同業者に対する贈答のための支出であるが、その者と原告の事業との関連性がわからないから、以上の各支出はいずれも原告の事業の遂行上必要なものとは認め難い。次に、順号4、17、54、58、62、63及び75記載の各支出は、原告医院の患者に対する贈答のための支出であるが、原告やその家族と特に個人的な親交のある患者のみを対象として、その親交を維持する目的をもってなされたものであると推認できるから、原告の事業の遂行上必要なものとは認められないし、また、原告の従業員に対する歳暮に関する順号78、79、81及び84記載の各支出についても、証拠(証人中山瑞枝〔第二回〕)によれば、従業員が原告に対して個人的に送った歳暮に対する返礼であることが認められるから、やはり原告の事業の遂行上必要なものとは認められない。更に、同表の順号32、33、39、65、73及び77記載の各支出は、患者の紹介者や医院運営の助言者等原告の事業と一定の関係を有する者に対する贈答等のための支出であるが、右贈答等は、原告の事業に対する具体的な協力や援助に際してなされたものと認めることができないから、そのための支出は、専ら原告の事業の遂行のためになされたものではなく、個人的な親交を維持する目的と効果も有する家事関連費であるというほかない(右は所得税法施行令九六条の各号に該当せず、必要経費に算入されるべきものではない。)。したがって、原告の自白にかかる事実のうち以上の各支出に関するものは、真実に適合しないものとは認められず、右の事実に関する自白の撤回は許されないものといわねばならない。

これに対し、順号2、15、28、52及び56記載の支出は、医院運営の相談、転院の世話、手術の応援等、原告医院が受けた援助に対する謝礼としてなされた贈答や接待のための支出であり、順号72記載の支出は、出入りの業者に対する香典のための支出であり、また、順号18、19、29、47及び67記載の各支出は、従業員に対する贈答や慰労に関する支出であるから、以上はいずれも、原告の事業を円滑に遂行するために必要な支出であるといえる。したがって、原告の自白にかかる事実のうち以上の各支出に関するものは、真実に適合しないものと認めることができ、かつ、右自白は錯誤に出たものと推定することができるから、右の事実に関する自白の撤回は許されるものといわねばならない。

(二) 原告が申告した昭和五八年分の接待交際費の額の中には、原告の事業の必要経費と認められない部分があるか否かについて検討する。

まず、原告が福田美装以外の者に支払った費用について見るに、原告が右年分の接待交際費として申告した額の中には、別表六の順号を○印で囲んだ各支出金額が含まれているところ、前記判示したところによれば、右各支出金額のうち別表六の順号2、15、18、19、28、29、47、52、56、67及び72記載の各支出金額は、原告の事業の遂行上必要な接待や贈答のために支出されたものであることが認められるが、撤回の許されない原告の自白にかかる事実によれば、順号4、5、10、17、21、26、30、32、33、39、42、43、46、48、49、54、55、58、59、62、63、64、65、68、71、73、75、77、78、79、81、82、83及び84記載の各支出金額は、原告の事業の遂行上必要な接待や贈答のために支出されたものではないから、右各支出の額の合計金四八万四一六〇円は必要経費の額から減算されるべきである。また、原告の自白の対象となっていない順号14及び50記載の各支出については、後者は、手術の応援を受けた医師の妻に対する贈答のための支出であるが、原告の事業を円滑に遂行するために必要な支出であったものというべきであり、必要経費に当たるが、前者は、贈答や接待の内容や相手方について原告は何らの主張立証を行わないから、原告の事業遂行に必要な支出ではないと推定すべきであり、その支出金額二九四〇円は必要経費の額から減算されるべきである。

次に、原告が福田美装に支払った費用について見るに、証拠(乙八、一〇、二九、)によれば、原告は、右費用の額は金七万二六〇〇円であるとして確定申告を行ったこと、しかるに、福田美装との間には、昭和五八年五月七日付けの金一万三五〇〇円の取引、同月二〇日付けの金一万八二八〇円の取引の他は、贈答用の取引は存在しないことが認められるから、その差額金四万〇八二〇円は、原告の申告した必要経費の額から減算されるべきである。

したがって、昭和五八年分の接待交際費につき原告の申告額からは、合計金五一万六一二〇円が減算されるべきである。

六  争点7(給料賃金・青色事業専従者給与)について

1  内藤としについて

証拠(乙三三ないし三五)によれば、原告は、内藤としの昭和五六年分ないし昭和五八年分の給料賃金として別表七「内藤とし」欄記載の各金額を申告したことが認められる。

そこで内藤としが昭和五六年以降も原告の事業に従事したか否かを検討するに、証拠(乙二、五ないし七、三六、三七、三九(原告及び原告の元従業員らの大蔵事務官や国税副審判官に対する答述〕)によれば、原告の養母である内藤としは、昭和五三年四月の原告医院の開業以降昭和五五年までは、週に四日程度おむつ替え等新生児の世話をしていたが、それ以降は週に何回か原告宅の掃除や留守番等をしたのみで、原告医院の業務に従事することはなかったことが認められる。なお、証人原田は、右認定の根拠となった自らの答述(乙六、三六、三九)は事実に反する旨証言するが、同証人は、大蔵事務官に対しては自己の退職時期と関連づけて「自分の退職した昭和五六年には内藤としは病室には来ていなかった。」旨明確に答述していながら(乙三九)、右答述は事実に反するとし、そのような答述をした理由としては、自分が最後に調査を受けたので他の人の答述に迎合する答述をした旨証言するばかりで、何ら合理的な説明をしないのであるから、同証人の右証言部分は信用することができない。また、内藤としは大蔵事務官に対し、新生児の世話をやめたのは昭和五七年ころである旨答述する(乙三)が、右答述は前掲の原告や元従業員の答述に照らし信用できないし、前記認定に反する証人佐々木、同三浦、同中山教枝及び同中山瑞枝〔第一回〕の各証言並びに原告本人の供述は、後日に打ち合わされたものであるとの疑いが濃厚であるから、たやすく採用することができない。

したがって、原告が内藤としの昭和五六年分ないし昭和五八年分の給料賃金として申告した別表七「内藤とし」欄記載の各金額は、原告の事業の必要経費とは認められない。

2  中山教枝について

証拠(乙三二ないし三五)によれば、原告は、中山教枝の本件各係争年分の青色事業専従者給与又は給料賃金として別表七「中山教枝」欄記載の各金額を申告したことが認められる。

そこで、中山教枝が本件各係争年分の間、原告の事業に従事したか否かを検討するに、原告は「中山教枝は本件各係争年分を通じて、分娩や手術に伴う雑役、洗濯業務、厨房の配膳や片づけ、生花や植木鉢等の管理、会計事務の補助、従業員に対する指導監督や管理等の業務に従事していた。」旨主張するが、これらの業務に継続的に従事していれば、その事実は他の従業員にとって明らかであると考えられるところ、証拠(乙三ないし七、三六、三七、三九)によれば、原告の元従業員らは大蔵事務官や国税副審判官に対して、一様に原告の義母である中山教枝は特に原告医院の業務には従事していなかった旨答述しているから、中山教枝が原告医院の右各業務に継続的に従事していた事実はないといわねばならない。右認定に反する証人佐々木、同三浦、同中山教枝及び同中山瑞枝〔第一回〕の各証言並びに原告本人の供述は、後日に打ち合わされたものであるとの疑いが濃厚であるから、たやすく採用することができない。

また、原告は「中山教枝は医院運営に関する助言や患者の紹介活動をして、医院の経営に貢献した。」旨主張するが、右主張を裏付ける客観的証拠がないばかりか、同人が原告の義母であること、医業や病院の広告は医療法六九条によって大幅に制限されていることを考えると、右は、青色事業専従者給与や給料賃金の支払対象となるような就労とは認められない。

したがって、原告が中山教枝の本件各係争年分の青色事業専従者給与又は給料賃金として申告した別表七「中山教枝」欄記載の各金額は、いずれも原告の事業の必要経費とは認められない。

3  平野幸子について

証拠(乙二四、三三ないし三五)によれば、原告は、平野幸子の給料賃金として、昭和五五年分金一三七万三〇〇〇円、昭和五六年分金一四六万二〇〇〇円、昭和五七年分金一九三万八〇〇〇円、昭和五八年分金一三五万一五〇〇円を申告したことが認められる。

被告は、平野幸子は原告医院の業務だけではなく、原告宅の家政婦としての業務にも従事していた旨主張するので、その主張の当否について検討するに、証拠(乙二、三、五ないし七、三六、三七、三九)によれば、原告及びその元従業員は税務署調査に際し、平野幸子は本件各係争年分の間、原告医院の業務としてオムツ等の洗濯に従事するかたわら、原告の自宅の掃除や雑用を行っていた旨答述していることが認められ、右答述は、平野幸子は、昭和四四年ころまで産婦人科医院を経営していた原告の義父に、右医院の給食係兼家政婦として雇われていたが、原告の義父が死亡した後は、その妻である中山教枝と同居して家政婦としての仕事を続け、原告が昭和五三年に産婦人科医院を開業すると同時に、原告に住み込みで雇用されるに至った者であって、その雇用期間中、日々の食事を原告及びその家族と共にしていたという事実(証人平野、同中山教枝、同中山瑞枝〔第一回〕、原告本人)に照らし、信用することができるといえるから、平野幸子は原告医院の業務だけではなく、原告宅の家政婦としての業務にも従事していたことが認められる。右認定に反する証人平野、同三浦、同中山教枝及び同中山瑞枝〔第一回〕の各証言並びに原告本人の供述は、後日に打ち合わされたものであるとの疑いが濃厚であるから、たやすく採用することができない。

ところで、被告は、平野幸子に支払われた給料賃金のうち原告の元従業員である山田正子の給料賃金相当額を超える金額を家事相当分として否認するものであるが、前掲の各証拠によれば、平野幸子は原告医院の従業員としての勤務時間中に原告宅の家事を行っていたものであると認められるから、原告医院の業務に勤務時間中専念していることを前提に計算された他の従業員の給料賃金との比較において、平野幸子の給料賃金に占める家事相当額を算定するのは正確性を欠くものといわねばならない(その証左に、本件各係争年分の間に平野幸子の仕事の内容が変化したことを窺わせる証拠がないにもかかわらず、後記認定のように、平野幸子の給料賃金に対して被告が家事相当分として主張する金額の占める割合に大きな差異があるのは不自然である。)。そこで、平野幸子が原告に提供した労働のうち原告宅の家事のために提供した労働がどの程度の割合を占めるかという観点から、家事相当分の額を検討するに、証拠(乙七、証人平野)によれば、原告医院の元看護婦であった平川ひろ子は大蔵事務官に対し、平野幸子は八割方は家政婦としての仕事に従事していた旨答述していること、平野幸子は主としてオムツやシーツの洗濯業務を担当していたが、その一日の洗濯量は、縦約三メートル、横約四メートルの広さの部屋二室に充分に干せる程度のものであったことが認められ、右事実に照らせば、同人が原告に提供した労働のうち少なくとも半分は原告宅の家事のために提供していたものと推定するのが相当である。しかるところ、証拠(乙二四)によれば、原告が平野幸子の給料賃金として申告した前記認定の金額に対して被告が家事相当分として主張する金額(別表七「平野幸子」欄記載の金額)が占める割合は、昭和五五年分二四パーセント、昭和五六年分約二九パーセント、昭和五七年分約三七パーセント、昭和五八年分約九パーセントにしか満たないことが認められるから、結局のところ、少なくとも別表七「平野幸子」欄記載の金額は、家事相当分として原告の事業の必要経費に算入されるべきものではないということになる。

七  争点8(退職金)について

1  原告医院の退職金支給基準について

証拠(乙二二、二三、原告本人)によれば、原告医院の給与規程には、退職金は、勤続三年以上の者に対し、基本給に勤続年数を乗じた額を支払う、勤続三年未満の者に対しては寸志を支払う旨の規定があること、内藤とし及び平野幸子以外の元従業員に対する原告の退職金の支給状況を見るに、原告は、増川康子(看護婦、勤続一年七か月、昭和五四年一一月退職)に対し退職時基本給の約五・四倍に相当する金額を、原田哲子(婦長、勤続三年八か月、昭和五六年一二月退職)に対し退職時基本給の三倍に相当する金額を、江村セツヨ(賄婦、勤続四年一か月、昭和五七年五月退職)に対し退職時基本給の四倍に相当する金額を、平川ひろ子(看護婦、勤続三年六か月、昭和五七年八月退職)に対し退職時基本給の四倍に相当する金額を、大田範子(事務員、勤続四年三か月、昭和五八年二月退職)に対し退職時基本給の三倍に相当する金額をそれぞれ退職金として支払ったが、河西とも(看護婦、勤続年数二年一か月、昭和五七年三月退職)及び山田正子(雑役婦、勤続年数二年五か月、昭和五七年五月退職)に対しては退職金や寸志を支払わなかったこと、原告は右各従業員に対する退職金の有無や額を決定するに当たり、増川康子については、開業当初の新生児の管理等につき婦長以上の貢献度があったことを特に評価して給与規程の基準によらなかったが、その余の者については給与規程の基準を参考にして右決定を行ったことが認められ、右各事実によれば、原告は、昭和五四年に退職した増川康子のように、特に医院に対する貢献度が大きい等の特別の事情がある場合を除き、三年以上勤続した従業員に対しては、概ね右認定の給与規程所定の基準に従って算定した退職金を支給していたが、勤続年数が三年未満の従業員に対しては、退職金も寸志も支払わない取扱いをしていたということができる。

2  内藤としについて

原告がその養母である内藤としに対し、昭和五七年一二月に退職金として金三〇〇万円を支払ったことは当事者間に争いがないが、内藤としが原告医院の業務に従事したのは前記六の1において認定したとおり、昭和五五年までであることに照らせば、その二年後に退職金を支払うのは不自然であり、また、証拠(乙二三)によれば、金三〇〇万円という金額は、内藤としに対しその当時給与として支払われていた金額の約二四倍に相当するものであって、前記認定の他の従業員に対する退職金の支払状況、特に、昭和五七年に退職した勤続三年未満の従業員二名に対しては退職金も寸志も支払われていないことと著しく均衡を失するものである。

そこで、内藤としに対し退職金又は寸志が支払われるべきであったか否かについて検討するに、前記六の1において認定したところによれば、同人の勤続年数は二年に満たないのであるから、前記認定の基準に従えば、特別の事情がないかぎり退職金も寸志も支払われないことになる。そこで、特別の事情の有無について検討するに、前記六の1において認定したとおり、内藤としは昭和五五年以前においても週に四日程度しか出勤していないこと、証拠(乙三)によれば、内藤としは税務調査に際し、生活費をもらっているだけで給料や退職金はもらっていない旨の答述をしたことが認められるから、内藤とし自身は給料や退職金をもらえるような貢献をしたとは思っていないことが推認でき、これらの事実に照らすと、仮に原告主張のように「同人が率先して休日や夜間の勤務を引き受け、原告医院に患者を紹介する活動をしていた事実」があったとしても、原告医院に対し増川康子や婦長の原田哲子ど同視しうるような貢献があったとは到底認め難い。また、内藤としは、昭和五六年以降就労していなかったのであるから、昭和五七年の夏に妊婦死亡事故があって患者が激減するおそれがあったので、人員を削減する必要があり、医院の都合で内藤としに対し退職を勧告した旨の原告の主張が採用できないことは言うまでもない。このようにみると、内藤としについては給与規程の基準によらないことを正当化するような特別の事情はなく、従前の原告医院の退職金支給基準によれば、同人に対しては退職金も寸志も支払われないものであるといわねばならない。

以上によれば、内藤としに対し退職金名目で支払われた金三〇〇万円は、原告医院の業務に従事したことに対する退職金ということはできず、原告の事業の必要経費とは認められない。

3  平野幸子について

原告が平野幸子に対し、昭和五七年一二月に退職金として金二〇〇万円を支払ったことは当事者間に争いがない。

そこで、原告の事業の必要経費として認められるべき平野幸子の退職金の金額について検討するに、同人の退職金受領時までの勤続年数は四年九か月であることは当事者間に争いがないところ、前記認定の基準に従えば、特別の事情がない限り、退職時の基本給に右勤続年数を乗じた金額が、必要経費と認められるべき退職金の金額であるということができる。そこで、特別の事情の有無を検討するに、前記認定のように同人が担当したのは洗濯業務を主とする雑役であるばかりか、その勤務時間中に原告宅の家事もしていたのであるから、たとえ残業をすることが多かったとしても、原告医院の事業に対し前記増川康子や原田哲子と同視しうるような貢献があったとは認め難い。また、原告は、昭和五七年の夏に妊婦死亡事故があって患者が激減するおそれがあったので、人員を削減する必要があり、医院の都合で平野幸子に対し退職を勧告した旨主張し、証人中山瑞枝〔第一回〕及び原告本人は、右主張に沿う証言や供述をするが、証拠(証人平野、同中山教枝、同中山瑞枝〔第一回〕、原告本人)によれば、原告医院の患者数は、右事故以後特に減らなかったこと、平野幸子は、退職金受領後も昭和六二年一二月までパートタイマーとして原告医院に勤務し、その仕事の内容や量も従前と同じであったことが認められるから、証人中山瑞枝〔第一回〕の右証言及び原告本人の右供述部分は直ちに信用できない。したがって、平野幸子についても給与規程の基準によらないことを正当化するような特別の事情はないといわねばならない。

そして、前記六の3において判示したとおり、必要経費と認められるべき平野幸子の給料賃金の額は、山田正子の給料賃金相当額を超えるものではないから、必要経費と認められるべき平野幸子の退職金の金額は、山田正子の給料賃金相当額金六万九〇〇〇円に、平野幸子の退職金受領時までの勤続年数四年九か月を超える数字である五を乗じて被告が算出した金三四万五〇〇〇円を上回ることはない。したがって、それを超えて平野幸子に支給された金一六五万五〇〇〇円は、原告医院の業務に従事したことに対する退職金ということはできず、原告の事業の必要経費とは認められない。

八  争点9(貸倒損失金)について

原告が昭和五五年分の貸倒損失金として申告した金五九〇万円について、これを必要経費として認めることができるか否か検討するに、証拠(乙九、原告本人)によれば、原告は竹内慧介に対し、昭和五三年一〇月一九日に金九〇万円、昭和五四年六月二六日に金七〇万円、同年一〇月三一日に金三〇〇万円、昭和五五年二月二九日に金二〇〇万円をそれぞれ交付したが、そのうち金七〇万円しか返済を受けられず、昭和五五年一二月一〇日、残金五九〇万円について債権放棄をしたことが認められる。しかし、地方、証拠(乙一、九、原告本人)によれば、原告が竹内慧介に対し交付した金員はいずれも、竹内慧介が原告の高校時代の同級生であったことから、同人の経営する薬局の運転資金として融通したものであること、竹内慧介経営の右薬局は小売業であって、原告との取引はないことが認められるから、原告の竹内慧介に対する右金員の交付はいずれも、原告の事業とは関連のない個人的な貸付であるというべきであって、その回収不能は、原告の事業遂行上生じた債権の貸倒れとはいえない。したがって、原告が昭和五五年分の貸倒損失金として申告した金五九〇万円は、原告の事業の必要経費とは認められない。

なお、原告は、その本人尋問において、原告が竹内慧介に対して交付した金員のうち、昭和五四年一〇月三一日及び昭和五五年二月二九日に交付した金員については、第二薬局開設の準備資金として仮払いしたものである旨供述するので、その信用性について付言するに、第二薬局開設の計画内容や仮払金の使途に関する原告の供述は、曖昧で具体性を欠くこと、昭和五三年一〇月一九日及び昭和五四年六月二六日の金員の交付が原告の事業に関連のない個人的な貸付であることは、原告も本人尋問において自認しているところ、昭和五三年一〇月三一日及び昭和五五年二月二九日の金員の交付についても、右の各貸付と同様の領収書が作成され、かつ、記帳や債権放棄においても右各貸付と一括した処理がなされていること(乙九、二六)、原告は大蔵事務官から本件各更正決定に先立ち聴取を受けた際、第二薬局について全く言及していないこと(乙一)を総合すると、原告の右供述部分は信用できないといわねばならない。

九  争点10(重加算税)について

1  期末商品棚卸高について

原告は本件各係争年分の所得税の申告に当たり、期末商品棚卸高を別表二記載のとおり過少に申告したことについては当事者間に争いがないところ、証拠(乙一、一六ないし二一、原告本人)によれば、原告は昭和五五年末及び昭和五七年末の在庫につき、在庫表(乙一七、二〇)により実際の数量と金額を把握していながら、その数量を約二分の一に減縮した別の在庫表(乙一六、一九)を作成し、これにもとづいて確定申告していたことが認められ、かつ、右事実に徴すると、昭和五六年分及び昭和五八年分についても同様の処理がなされていたことが推認できる。このような処理をした理由として、原告は「開業時に薬品会社等から無償で提供を受けた医薬医薬品等については、棚卸額に計上する必要がないと思い、その分を減額したものである。」旨主張し、右主張に沿う大蔵事務官に対する答述(乙一)や原告本人尋問における供述部分が存するけれども、原告が開業時に医薬品等の無償提供を受けたことを裏付ける客観的資料はなく、無償提供を受けた医薬品の内容や金額に関する原告の右供述も曖昧であり、仮に原告の主張のとおりであれば、毎年の棚卸額から減額されるべき金額は一定額になるはずであるのに、別紙二「期末商品棚卸額」欄記載のとおり、本件各係争年分における計上漏れの額は毎年異なっていることに照らすと、原告の右答述部分及び供述部分はたやすく信用することができず、原告の右主張は採用することができない。そして、このように原告が期末商品棚卸額の計上漏れについて合理的な説明をせず、かえって信用することのできない答述や供述をしていることに鑑みると、右計上漏れに合理的な理由があったとは考え難く、租税を不当に免れる目的をもって、あえて課税標準額等の計算の基礎となるべき棚卸資産に関する事実を隠蔽したものというほかない。

したがって、別表二「期末商品棚卸高」記載の本件各係争年分の金額を対象として重加算税を賦課することには、違法な点はないといえる。

2  給料賃金及び青色事業専従者給与について

中山教枝が本件各係争年分を通じて、内藤としが昭和五六年分以降、原告医院の業務に従事していなかったことは、前記認定のとおりであって、右は、原告の事業規模や原告と右各人との親族関係等に照らせば、原告にとって極めて明白な事実であるというべきであるから、右各人に給料賃金や青色事業専従者給与を支払ったとして原告の事業の必要経費を申告すること自体、租税を不当に免れる目的をもって故意に、課税標準額等の計算の基礎となるべき、右各人の就労の事実を仮装したものというほかない。ちなみに、証拠(甲三ないし五の各一ないし一一、六の一ないし一二、証人中山瑞枝〔第一回〕によれば、原告医院の出勤簿には、中山教枝については昭和五七年以降毎日出勤していることを示す押印が、内藤としについては昭和五五年以降定期的な休み(月に四、五回)を除いて毎日出勤していることを示す押印が、それぞれ中山瑞枝によって事後的になされていることが認められるが、右出勤簿の押印は明らかに事実に反するものであり、右は右各人の仮装の就労を作出すものにはほかならない。

したがって、別表七記載の中山教枝の昭和五五年分の青色事業専従者給与並びに中山教枝及び内藤としの昭和五六年分ないし昭和五八年分の給料賃金の額を対象として重加算税を賦課することには、違法な点はないといえる。

一〇  結論

以上一項ないし八項において認定したところによれば、原告の本件各係争年分の事業所得の金額は、別表二「事業所得の金額」「裁判所の判断」欄記載の金額となるから、右の範囲内でなされた本件各更正決定及び本件各過少申告加算税賦課決定(昭和五五年分については、変更決定及び審査裁決によって取り消された後のもの)には違法な点はなく、また、前記九項において認定したとおり、本件各重加算税賦課決定にも違法な点はない。したがって、原告の本件請求はいずれも理由がなく、棄却を免れない。

(裁判長裁判官 大谷種臣 裁判官 田中澄夫 裁判官 村田龍平)

別表一

処分の経緯

<省略>

表二

原告の申告した事業所得の額に加算すべき金額

<省略>

別表三

賄費

<省略>

別表四

福田美装関係の備品消耗品費

<省略>

別表五

接待交際費の被告の否認額

<省略>

別表六

接待交際費

<省略>

<省略>

別表七

給料賃金等の被告の否認額

<省略>

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