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松江地方裁判所浜田支部 昭和36年(わ)1112号 判決 1963年12月11日

主文

被告人両名は、いずれも無罪

理由

本件公訴事実は「被告人両名はいずれも日本人であるが、乗員でない渡辺清茂、川口治男、大野広美、鼎富勝、積親夫、岩崎辰己及び尾崎清次郎こと張永普と共謀の上有効な旅券に出国の証印を受けないで昭和三十五年十二月二十四日右渡辺清茂を除く川口治男外五名と共に島根県邇摩郡温泉津港より漁船旭洋丸(一九、八九噸)に乗船し、朝鮮民主々義人民共和国新浦港に向け出航し、もつて不法に本邦を出国した」というのである。

右事実については、被告人等はいずれもこれを認めているのみならず、証拠上も極めて明白である。

弁護人は、被告人等の右出国は治安当局(特に島根、鳥取両県警察本部)が渡辺清茂と協力して朝鮮民主々義人民共和国(以下北鮮という)に対するスパイ行為として行われたものであつて、治安当局自ら物質的援助乃至協力をなした公認行為であるから正当な行為として違法性を阻却する。かりに然らずとするも被告人等は右出国につき治安当局の承認があるものと信じ、且つそのように信ずべき正当な理由があるから犯意がない。従つて無罪であると主張する。

当裁判所の見解は、証拠を検討した結果治安当局の援助、協力、承認があつた事実は確認できないが、被告人等は本件出国について治安当局(特に鳥取県境港警察署)の承認があるものと信じ、且つそのように信ずべき正当な理由があるから罪を犯す意思がない。また、かりに被告人等が浜田港に来て初めて本件出国についての違法の認識を持つようになつたとの検察官に対する供述(検察官調書)が真実であるとしても、当時の客観的情勢の下においては、もはや被告人等に右出国を思い止まることを期待することは不可能であつたから、いずれにしても本件所為は無罪であるというに帰着する。

そこで以下各証拠を検討した結果その理由を詳述する。

(一)  本件出国の経過

本件主謀者の渡辺清茂及びその背後にある福島四郎、中島辰次郎はいずれもかつての関東軍の特務機関員であり、福島は中島、渡辺の上司であつたもの、福島は終戦後総司令部の嘱託として情報活動をなし、現在もその方面の仕事をしていること、中島は終戦後在日米軍の情報員を、次いで内閣調査室韓国景武台機関に籍を置き主として共産圏国家の情報蒐集の任に当り、渡辺は新聞関係の職に就き主として中共、北鮮の政治、経済の情勢に関する資料を集め、これを在日米軍等に提供していたこと、本件出国の案内的役割を果した張永普は、北鮮に知人がありかつて景武台機関の機関員であり、現在も何等かの形で情報蒐集に当つていること、渡辺は中島と相談の上北鮮との漁業合作協約の成立を企図し呉権八、金奉民等を利用して昭和三十三年昭光丸を、同三十四年天神丸をそれぞれ境港より北鮮に向け出航させようとしたが、いずれも失敗に終つたこと、しかしその真意は本件もそうであるがいずれも北鮮の政治、経済情勢の把握と日本に配置された北鮮の情報機関の実態把握にあつたこと、渡辺は本件出国前の同三十五年十二月中旬頃「試験操業に関する基本方針」と題する書面(北鮮海域の漁場調査を主目的として、水産庁の許可を得た上で出港し場合によつては北鮮の海に寄港することもあることを内容とするもの)を中島に渡し、これに対する警察庁の意向打診を依頼したこと、中島は右意を伝えて右書面を更に福島に手交し、福島において警察庁警備課に出向きその意向を確かめたところ、不法ではない旨の回答を得たので中島を通じその旨渡辺に伝えられたこと、この際警察庁当局が、出国に関する前記渡辺等の真意を推察していたかどうか、渡辺等の北鮮に対するスパイ行為を利用しようとしていたかどうかは明らかでないが、渡辺等が前記試験操業のためと称し出国することについては当然知り得た筈であること、一方被告人洲崎は前記漁業合作の際昭光丸、天神丸の乗組員であり、同江籠平は同じく昭光丸の乗組員であつたところから渡辺の企図する北鮮との漁業合作についての知識を有していたこと、同三十五年十一月頃渡辺より牛深市居住の洲崎に漁業合作のため漁船が必要なので手配してもらいたい旨の連絡があつたところ、洲崎は丁度鮮魚買付運搬のため牛深港に停泊中の旭洋丸船長江籠平と合い、江籠平に渡辺の意を伝え、他の船員等とも協議のうえ後記認定のような事情から北鮮に向け出航することになつた。

(二)  被告人両名が治安当局の承認があると信じた理由

(1)  被告人両名は同三十五年十一月二十日頃上京し渡辺に会い、渡辺より漁業合作に関する新聞、書類、北鮮からの電報を見せられ、北鮮とは連絡済であり心配はない、国家の仕事を我々が代つて遂行するのだから帰国すれば大いに歓迎される、警察の了解も得てある旨を告げられ、更に船主野元功や船員等にもこのことを告げ船員の承諾を得たこと、(前記昭光丸、天神丸事件では呉権八が密入国者であるとか、関税法違反の件で責任者が取調べられてはいるがこと北鮮えの出国に関し被告人両名が処分を受けた事実を認める証拠はない)渡辺は漁業合作のための北鮮出国について関係官庁の承解を得ていないのに、前記試験操業に関する警察庁の承解があることを奇貨とし、(本件が試験操業のための出国であることは認め難い)漁業合作が国家的な仕事であり、しかも当局の了解もついていると称して洲崎、江籠平を欺き、被告人等もこれを信じたこと、野元と渡辺との傭船契約は出航地である境港でなすこととし、旭洋丸は同年十二月二十日頃牛深港を出て一路冷凍機を積込むべく境港に向つたが給油のため浜田港に寄港したこと、同年十二月二十三日浜田市橋本旅館において江籠平が船主野元功の代理人となつて交易合作公社(理事渡辺清茂)との間に傭船料五十万円の契約をなしたことが明らかである。

(2)  同三十五年十二月十二日付渡辺より境港警察署汐留警備係長宛(広留の誤記)封書(渡辺の依頼で洲崎が出したもの)及び同年十二月十七日付洲崎より同署警備係景山部長宛封書がそれぞれ同警察署に送達され、渡辺が境港を基地として漁船による北鮮との漁業合作を実施する計画であり、これに要する資金が景山部長宛に送金されるかもしれないことは同署警備係長山下警部並びに景山部長において知つていたこと、同部長並びに山下係長は昭光丸、天神丸事件を通じ渡辺が漁業合作と称して北鮮えの出国計画を実行しようとしたことを知つていたこと、同年十二月二十一日洲崎は境港市港屋旅館に投宿中の渡辺と会い、同所に景山部長を呼び渡辺より同部長に対し旭洋丸が冷凍機の積込みを中止して浜田港より北鮮新浦港に出港することを告げたが同部長は何等右計画の中止を勧告しなかつたのみならず、渡辺、洲崎と酒を飲み交したこと、更に翌日頃同部長は渡辺、洲崎が境港を発つに当り洲崎が昭光丸事件の際の寝具を引取るについてその保管料の値引きをあつせんした上駅頭で渡辺にウイスキー一瓶を贈つたこと、同署警備係員等が渡辺のスパイ行為を察知し、これを利用しようとしたかどうか明らかでないが、右のような警察の好意的態度よりすれば洲崎、江籠平等をして本件出国を承認しているものと誤信されても止むを得ないことが認められる。

(3)  旭洋丸が浜田港に停泊中の同月二十三日頃迄の浜田警察署の被告人等船員に対する職務質問は密出国容疑としての取調べでなく何等突込んだ質問はなく暗に被告人等をかばうような状態であり、被告人両名に書かせた上申書も至つて形式的であること、渡辺の北鮮出国計画は鳥取、島根両県警察本部を通じ浜田警察署に連絡があつたのに同警察署においては何等未然に右出国を阻止しようとする形跡も見当らないことが明らかである。

(4)  以上の事実からすれば、警察当局が渡辺等の本件出国計画を暗黙のうちに了解していたのではないかとの疑問は残るが、(これは重大な問題であり当裁判所もこの点について遂に心証をとることができなかつた)景山部長が洲崎に接触したことをもつて景山証言のとおり捜査過程における資料入手のためであるとしても洲崎が北鮮との漁業合作のため出国することを警察当局が承認しているものと信ずるのは当然であり、且また信ずるにつき相当な理由があるというべきであり、一方江籠平にあつては当然右の(2)事情は洲崎より聞き及んでいたものと認めるのが相当であるから洲崎の場合と同一に論じなければならない。

(三)  被告人両名に期待可能性がない理由

被告人洲崎の検察官に対する供述調書(三十六年一月二十五日付)、同江籠平の同供述調書(同年一月二十四日付同年二月二日付同年二月五日付)の各記載には違法の認識の下に出国した旨の記載があるが、右記載は前記事実や被告人等の当公廷における供述にてらし迎合的な供述と認めるのが妥当であつて信用できない。かりに被告人等が真実そのように思つたとしても洲崎は当時合計約二十万円の金を渡辺より北鮮出港の費用として受取り、被告人両名が上申書を書かされる以前に右金員を航海に必要な燃料、食糧等一切の物資購入費や船員の給料に支出していたこと、出航中止のことを言い出しても出航の準備は全べて完了しており渡辺が聞き入れる筈はなく、このまま牛深に帰港したのでは野元より受取つた航海費や本件傭船料を支弁できる当がなかつたこと、加うるに前記境港警察署の好意的態度や被告人等が漁業合作という国家的目的のために北鮮に行くのだという強い確信の度合等かれこれしんしやくすれば、当時本件出国を被告人等に思い止まることを期待することは不可能の状態であつたものと認めるのが相当である。

(四)  結語

以上説示のとおり本件はいずれにしても被告人等にその責を負わすことはできず結局犯罪の証明がないか、もしくは罪とならないことに帰するから刑事訴訟法第三百三十六条により無罪の言渡をすべきである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 荒石利雄)

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